夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 出雲(Bネ)

1999年1月20日「水曜日」の朝に寝台特急サンライズ出雲」で米子駅に到着した自分は午前中は米子市に出張して午後からは特急「やくも」にて出雲市へ移動してからプラットフォーム(コンピューターに於けるOSやハードウエアサービスにソフトウェアを提供・カスタマイズするのに必要な基礎部分となるスタンダード環境)のLinuxにおける構築と実装での問題点解決の打ち合わせだったので以外と早く終って17時前には出雲市駅に到着する事ができた。

 

1999年1月20日(水曜日)17時前には出雲市駅に戻れたので帰路の寝台特急「出雲」の特急B寝台券(7号車下段)だけは押さえて昼は移動で何も食べてないため出雲蕎麦では定番となる三段の割子蕎麦を食べて家族の土産などを購入すると大まかな入線時刻が近付いて来たのでコンビニで缶ビールなどを買って改札を通り、駅員に入線時刻を聞いてホームに入る。早めにホームに入ると後藤総合車両所DD51-1179が出雲のヘッドマークを掲げて入線。11両編成「電源車混みで12両」だが9号車から11号車は季節減車でいつもより短いが扉が開くと早速7号車に乗車した。

 

7号車は尾久客車区のオハネ25-225で個室でもない昔ながらの開放二段B寝台だけど自分が初めて1977年に乗ったブルートレイン「瀬戸」がこのタイプなので違和感はないし、この設備だけでも充分に夜行列車の旅情と浪漫を感じる事が出来て往路に乗ったサンライズ出雲のBソロより有効面積が広くて快適だと思える。寝台特急「出雲」は1998年7月10日の「サンライズ出雲/瀬戸」の開業により従来の「出雲3号・2号」が廃止になり、残っていた「出雲1号・4号」が出雲市~浜田間を廃止にして上り「出雲」(8レ)として旧「出雲4号」の時刻をほぼカバーしながら東京へ6:57に到着するダイヤである。

 

岡山行き特急「やくも28号」が発車した12分後に我が「出雲」も後を追う様に一路東に向けて発車(17:46)したが向こうは電車でこちらはDiese機関車DD51が牽引する客車列車なので差が広がるばかりでお話にならない。車掌の特急寝台券他改めは簡素に終ったので缶ビールで乾杯しよう。米子から出雲市へ特急やくもで移動した時に夕飯に購入した米子駅の名物駅弁"吾左衛門弁当「1,220円」"を夕飯に買っておいた。かに寿し・大山おこわ・吾左衛門鮓「鯖」におかず類が入った酒を飲みながら食べるには最高の弁当だ。本日の出雲市の日の入り時刻は17:24なので出雲市駅発車時点で日没という事になる。

 

車窓からの景色が見れると確かに楽しいけど始発駅発車時点で日没時刻だと車窓は別にして音と揺れと五感にて夜行列車を楽しむ事が出来る。特に個室じゃなくて今宵みたいに乗ってる客数が少ないと単線非電化区間(一部複線区間もあるけど)をディーセル機関車に牽かれてコトコト進むようなブルートレインは「出雲」だけになってしまった。途中、宍道(18:01-01)に停車するが8号車は誰も乗車しなかったが、出雲市鳥取間のB寝台に限って立席特急券で乗れるが、米子駅までなら自分も特急「やくも」を使う。「やくも28号」に乗れば岡山から新幹線乗り継ぎでも名古屋までしか行けないけど・・・。

 

弁当は吾左衛門鮓(鯖)だけ残り3個になったのでワンカップ清酒を出して鯖鮓を食べ終えると松江(18:19-20)に到着するして7号車にも数名が乗り込んで安来(18:41)にも到着して米子駅構内の手前で島根県安来市から鳥取県米子市への県境を越えると米子(18:50-52)に到着。2分停車なので先頭車の一番前からホームに出て後藤総合車両所DD51-1179を見学する。1179号機は1976年に日立で落成すると福知山機関区に投入されてその後も山陰線を出る事無く、後藤総合車両所で過ごして現在でも後藤総合車両所に籍を置いて山陰線で活躍している。

 

北海道を除く、どこでも見かける500番台のB寒冷地対応車だが2分間の停車は短くて発車時刻が近付いたので自分も車内に戻って米子発車を確認してから寝台に戻ると米子駅から乗車した乗客で増えていたけど立席特急券利用者かも知れない。冬だと車窓は真っ暗なので日本海や秀峰大山に落陽によるトワイライトタイムとかは無関係なので時おり聞こえるDD51の擦れたホイッスルを聞きながら24系25形が奏でる走行音を聞いていると開放B寝台でも心が豊かになって客車の夜行列車本来の楽しみや味わいを感じる事ができてこれが非電化区間の夜行列車旅情だなーと納得している自分がそこにあった。

 

倉吉(19:38-38)を発車すると最後のカップ酒も飲み終わると鳥取(20:21-23)に到着したので2分停車を利用して食料を求めに行くけど立ち食いそば屋には駅弁の売れ残りはなくて自販機で飲み物だけ購入して7号車のB寝台に戻って25形出雲の旅を満喫するが今夜の上り出雲は特に空いている。正月の松の内が終ってまだ2週間なのと週の真ん中の水曜日なのが原因しているのだと思う。先頭車のオハネフ25の展望区画から小刻みに揺れて力行しているDD51サウンドを聞いていると「ドドン チャチャ ドドン」のリズミカルなジョイント音を確認してから7号車に戻ると浜坂(20:58-58)に到着。

 

少し早いけど寝具をセッティングして横になって毛布をかけて証明を落とすと餘部橋梁(全長310.59m)を渡る音が聞こえてトンネルを出入りしている内に寝てしまった様だ。以下は就寝中の停車駅並びに時刻、香住(21:19)・城崎(21:43-44)・豊岡(21:54-56)・福知山(22:56-57)・綾部(23:09-09)・京都(0:27-35)・静岡(4:32-33)・沼津(5:13-14)「途中米原・名古屋・浜松で運転停車」。目が覚めたら爆音の丹那隧道を走行中で熱海(5:31-33)に到着すると2分停車を利用してホームの自販機で缶コーヒーを買う事に成功した。車内に戻った時に確認したら自分の周囲の寝台(13番上段と14番下段・上段)はノンゲストで驚きであり、7号車全体でも3割強の乗車率である。

 

取り合えず先頭の8号車「オハネフ25」デッキの貫通扉窓へ移動して牽引機を確認すると田端運転所のPFが見えて1100号機のナンバーを確認して寝台に戻るが日の出時刻が6:50なのでこの時間帯に楽しみにしている車窓から相模湾を除む事は100%不可能なため、昨日出雲市のコンビニで買った朝飯の助六寿司を食べてから熱海駅で購入した缶コーヒーを飲みながらマッタリしていると小田原駅国府津駅を定刻で通過。そういえば寝台特急「出雲」は長年列車番号が1001レ~1004レ(更に昔は「出雲」が1001レ・1004レ・「いなば」は1003レ・1002レ)の1000番台だったけど1998年7月からは9レと10レに変わっている。

 

9レと10レの列番だと当時は「あさかぜ1・4号」が使っており、ピンと来ないのだが東京発着ブルートレインの削減整理でここまで変わるとは思わなかったけど「あけぼの」も1000番台を使っていたのに現在では2000番台を使っている事を考えるとブルートレインも衰退終期をとっくに越えて末期なのだな~と1人で納得してしまった。列車は藤沢駅を通過して下車準備をしていると清水谷戸トンネルを出ると外は随分明るくなったので下車準備を始める。横浜(6:33-34)に到着すると以外と横浜駅で下車する乗客が多くて驚いたりしながら川崎駅を通過して多摩川(六郷川)を渡ると都内へ入った。

 

個室もいいけど狭いサンライズ・ソロより空いてる25形開放B寝台の方が楽だし、音も静かでよく寝てたかと思うがオシ24の弁当販売(時間帯によって車内販売で巡回)もあるし、空いてる時期なら25形「出雲」の方が落ち着けると思ったほどだ。二往復から一往復へ削減してしまったけど昔ながらのブルートレインを応援したいなと考えていたら品川駅を通過して6:57、定刻で東京駅に到着した。横浜~東京間を23分で走り抜き、最高速度130km/h運転の上りサンライズ瀬戸・出雲と同一所要時間で走ったなんて凄い。嫁と落ち合いお土産と着用済下着類とワイシャツが入った手提げ袋を引き取ってもらう。

 

時間からして会社へは直行なので25形「出雲」の回送10列車の発車(東京駅発7:06)を姿が見えなくなるまで見送ると9番線には「サンライズ瀬戸・出雲」が入線したので自分はコーヒーを飲んでから会社へ向かった。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

寝台特急 サンライズ出雲(B1)

1999年1月19日(火曜日)、 1999年初めての出張となるが寝台特急「出雲3・2号」と「瀬戸」が廃止になってサンライズ「出雲」・「瀬戸」になると出張として利用しずらくなって正にダイヤ改悪だ。松江や出雲市だと下り「サンライズ出雲」だと到着が遅くて使えず、上りだと出雲市発が19:01なので17時に仕事が終わっても乗車時刻が遅いように感じる・・・とは言うものの使いやすかった「出雲3号」は廃止になり、「出雲1号」も「出雲3号」のダイヤを継承して米子、松江などに9時前に到着可能な寝台特急は消滅してしまったので現在ある物を有効利用するしかない。

 

昨年の1998年7月10日から登場した285系電車に乗るものの、今回が初めてで嬉々としてそうだけど本人からすれば「出雲3・2号」と「瀬戸」を死に追いやった列車なので複雑な心中に決まってる。今回の出張は早めに決まっていたので唯一出張手当から捻出できる一番狭くて安いサンライズ・ソロを確保してある。東京22:00発車では駅弁も手に入らないため、20時半に残業を終らせてから職場近くの中華飯店で夕飯を食べてから東京駅に向かった。今宵の宿は10号車18番ソロなので早めに9番線ホームに入り、「サンライズ出雲」10号車乗車位置で待つ。

 

21:50に5031Mとなる285系の「サンライズ瀬戸出雲」の回送電車が入線すると開業して半年が経過するけどホームは俄かに活気付く。扉が開いて早速10号車に乗り込み、18番ソロに入ると2階の進行方向左側だけど第一印象は狭いの一言。寝台幅や個室内幅・高さも「あけぼの」ソロ2階室より明らかに狭いと感じたが、10分停車なのでホーム売店で缶ビール等を購入して車内に戻ったけど乗車したのはモハネ285-3001「MN285」である。22:00の東京駅発車と同時に缶ビールを開けて人生初となった285系及び寝台特急「SR出雲」の旅を1人で乾杯した。

 

列車は2M5T×2の4M10T(Mはモーター車・Tはトレーラー車の付随車)モーター車比率が極めて少ない国鉄時代やJR初期には信じられないが三相誘導電動機・WMT102Aが気持ちよい加速で新橋駅をあっと言う間に通過。車掌が現れたので今夜の乗車率を聞いてみるとシングルツインとノビノビ座席に若干の空席があるだけでほぼ満室との事。自分が購入したサンライズ出雲のソロも20部屋しかなく、18番なので残り数部屋の部類で開業以来平日でも人気だと車掌が述べていた。今夜は明日の朝食と同時にデリカ系のおかすおつまみも用意したのでビールのピッチが早くて500ml缶2本を早々と飲んでしまう。

 

よく考えると東京駅22時台発の寝台特急に乗るのは初めてで(22:45発の寝台急行「銀河 」に乗車した事は数回ある)臨時急行ではあるが1980年台前半の急行「銀河51号」の東京駅発車時刻が22:00であった。さてサンライズのカラーコンセプトは朝焼けの高貴な赤色と朝霧の印象のベージュ色に日の出の地平線をイメージした金色からなり、先頭車前面と側面数箇所に昇る太陽をイメージした"SUNRISE EXPRESS"のロゴマークが表示しており、優等列車の冠であるヘッドマークやテールマークは用意されていないのが何とも残念である。これでは写真撮影でSR出雲かSR瀬戸なのか判別できない(苦笑)。

 

東京~横浜間の所要23分間は8レ「上り出雲」と同じで130km/h運行が可能ならスーパー踊り子83号(8003M)みたいに所要20分は無理なのだろうか?横浜(22:23-24)を発車したのでテンキー式の暗証番号で個室に鍵をかけて同じ10号車にあるラウンジスペースヘ行くと海側と山側に4席ずつ椅子や窓際にカウンター系式のテーブルが、あるけど従来のブルートレインみたいな座り心地がよいソファーではなく、回転椅子で座り心地が悪くてとても長居できない場所だ。このスペースでグループに騒がれるとソロの環境が悪くなりそうだが今宵は静かであった(そのために座り心地が悪い椅子なのかな?)。

 

他にシャワールーム(シャワーカードは車掌から買う)と自販機(酒類はなし)と公衆電話があるスペースだけど禁煙なのが嬉しいが個室に戻る。それにしてもソロのベッドが狭く見えるが70㎝幅のベッドだけど他の部屋からの張り出し部分があるため、56㎝か58㎝くらいまで狭い箇所があって狭い箇所は足を入れる様に使うのが一般的だけど部屋の向きからして進む方角に足を向けたい乗客も少なくはないだろう。狭いけどコンセントに目覚ましアラームもあって列車の位置や向きが変わったり、県境で周波数が変わっても最適なFM-NHKラジオが聞ける自動チューニングFMチューナーは素晴らしい。

 

時刻は23時を回ったので詳細感想は翌朝にお答えする事にして今夜は早々と寝る事にした。以降は就寝中の停車駅と時刻、熱海(23:21-23)・沼津(23:39-40)・富士(23:53-54)・静岡(0:19-20)・浜松(1:11-13)・姫路(5:28-29)・岡山(6:27-6:33)。目が覚めたら岡山駅到着9分前で急いで歯磨きと洗面を済まして着替えてから6分停車の岡山駅11番線ホームを散歩してみると事前情報で聞いた駅弁売りが見つからない。階段を上がった連絡コンコース上に売店があるのかは定かではないけどこんな事のために東京駅付近のコンビニで朝ご飯を用意して正解だった。自販機で缶コーヒーとお茶を購入して車内に戻った。

 

サンライズ瀬戸」を切り離して先に高松へ向けて発車すると次に「サンライズ出雲」が列車番号を5031Mから4031Mに変わって西へ向けて発車した。下り「サンライズ出雲」は米原駅大阪駅伯備線内の駅でも運転停車があるようだけど岡山駅を発車して約30分で白壁の町並みが有名な倉敷(6:44-45)に到着。いよいよ伯備線に入るが僕の世代だと子供の頃に布原信号所付近の橋梁で撮影したD51三重連のパネル写真を親にせがんで買ってもらった経験があるので伯備線といえばまずD51三重連を想像する。初めて伯備線に乗った時はまだキハ20で特急「やくも」がキハ181で運行されていたのが懐かしい。

 

昨夜東京駅近くのコンビニで買った助六寿司とおにぎりを岡山駅の自販機で購入した緑茶で流し込み、最後に缶コーヒーを飲みながら昔を思い出す。思えばキハ20で走破した伯備線以来乗るのは初めてかも知れない。ただし「出雲1号」の伯備線迂回運転が2年続いた1994年か1995年にDD51重連「出雲1号」の撮影でK君の車で黒坂~根雨間で撮影はしているが伯備線入線は久々である。列車は高梁川に沿って走るのは昔と同じだけど非電化区間だった約20年前(このブログを書いてる2023年からすれば約44年前)なので当時はもっと周囲の人口も少なく、ここまで栄えていなかったと予想する。

 

急に住宅が増えて来ると総社市となる総社駅を通過すると暫く走るとまた周囲は田舎の佇まいに戻る(ローカル線でよくあるパターン!!)。では昨夜から乗って来た「サンライズ出雲」の乗車感想に付いて記してみようかと思う・・・ソロの内装や通路に車内全般だけど木の温もりを感じさせる木目調のインテリアに統一されて住宅の設計や施工などを行っている"ミサワホーム"が携わったらしいけど木目調のデザインは良く出来ていると思う。東京駅で初対面したソロの寝心地や居住性だが狭いの一言。幅70㎝ベッドが他の部屋の突起物の所為で56㎝まで狭まれるのは狭い方向に足元を向けて寝れば解決する。

 

一番難儀したのは天井が低くて狭い事、まだ2階ソロは階段部分に立てば立ち上がれるけどそれでも車窓を見ながらビールを飲んだり車窓を眺めながら朝食を食べるのにはつらい姿勢をとる必要があります。天井までの高さは145㎝しかなく、Bシングルは185㎝あるそうでこれはB個室ツイン車はダブルデッカー構造でBソロはシングルデッカー構造なのでソロは部屋の中に階段がある原因によりソロの1階と2階は狭いと言う結論になりました。今回出張という事でB寝台料金しか会社側からもらえないのでソロにしたけどプライベート等で乗る時は約1,000円高くてもBシングルを選びたいと思う。

 

他に気づいた事は隣の人が個室の扉を閉める際にかなり響くし、モーター搭載車なので120km~130kmで走行する際にキーンというモーター音が気になる。電車寝台は上野~青森間を爆走した583系の「ゆうづる」・「はくつる」に乗ってきたけどここまで気にならなかった。1984年くらいまでの盛アオ583系は8M5Tのモーター比率が多かったけどそんなに気にする様な騒音ではなかったけど2M5Tの7両編成で僅かモハネが2両しかない285系サンライズ」はマキシマムで走る際の騒音は半端ないと思う。以上が初めて285系サンライズ」ソロへ乗って気付いた所感である。

 

最新の設備に寝台はオール個室は若い人や女性にビジネスマンには好まれるかも知れないけどこれは個人的な考え方だが、旅情や夜行列車浪漫は全く感じなかった。EF65PFやDD51に牽かれて青いブルートレインの「出雲」で例えれば開放B寝台でも私はそちらに軍配を上げるし、大好きだったPF牽引「瀬戸」を死に追いやった張本人は好まないけど高松出張の際に利用する事になりそうだ。なんて考えながら伯備線を車窓を眺めていたら新見(7:42-43)に到着した。布原駅「1987年3月31日までは布原信号所」を通過するとD51三重連で有名な第23西川橋梁を探すけど分からないまま通過した。

 

1994年か1995年にDD51重連牽引「出雲1号」の伯備線迂回を撮影した黒坂~根雨はすぐに分かったけど懐かしさを覚える。今は出雲市止まりの「出雲」が一往復しか残ってないけどDD51重連で走る事もないんだろうな?。そう言えば「サンライズ出雲」は伯備線経由なので山陰の海が見れないのと餘部橋梁を通らなかったので山陰地方に来た感じが全くしないまま、山陰線との接続駅でもある伯耆大山駅を通過した。自分が米子駅で下車するので下車準備も完了しているが米子9:08着は利用しにくいダイヤだ。米子駅到着の車内放送が流れたので自分もデッキにでて9:08定着した米子駅で下車した。

 

次回の想い出夜行列車レポートより乗車した285系の詳細番号は割愛します。乗車号車や個室番号と乗車系式の記号「TNwc'  TNw2  MN  TNws  MN2  TNw  TNwc」は表記します。更にサンライズ○○では長いので次回より本文はSR「SUNRISEの略」表記に変更。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

快速 ムーンライトえちご(上り)

1999年1月16日(土曜日)、 昼間は磐越西線DD51-745牽引の上り臨客を撮影し終えた僕とN君は新潟駅まで戻って新潟で晩酌付き夕飯を終えてから新潟20:41発の945Mで村上駅に戻って快速「ムーンライトえちご」(3948M)の2号車に乗るとモハ164-860で上沼垂運転区のM6編成で今夜も三連休対応の6両編成であった。席に座るとN君が買ったばかりのPDAPersonal Digital Assistant」シャープ・パワーザウルスを取り出して本日撮影したデーターを打ち込んでる。スケージュールや連絡先にタスク管理ができる電子手帳というか情報端末でWebブラウザやメールもあり、デジカメ搭載らしい。

 

22:31に村上駅を発車したが何でもシャープ製のPC「Mebius」と互換性があるらしく、撮影データー(撮影年月日・撮影線区・駅区間列車番号・牽引機と客車・使用フィルム・使用カメラと使用レンズで可能ならシャッター速度と露出(F値)も入力したいと言ってるが流石に撮影後は即座に片付けて撤収して次の撮影に急行する追っ掛け撮影では無理だが当時僕は手帳に記入して帰宅後にパソコン入力というアナログ的な手法だった。列車は坂町(22:41-41)・中条(22:48)・新発田(22:58-59)の順に停車して新発田駅から白新線に入ると豊栄(23:09)と停車して新潟(23:22-27)へ入線した。

 

新潟駅からは進行方向を変えて列車番号が3948Mから3720Mに変わり、5分停車を利用してホームの菊水ふなぐち一番しぼりの自販機で黄色いアルミ缶に入った清酒を買ってから列車に戻る。N君から明日は八高線で高尾臨「DD51+12系6」9222レを撮影するので高崎駅か大宮駅で下車するという。既に列車は新潟駅を発車しているが自分も行くので大宮駅から川越線八高線経由で寄居駅からタクシーで行こうと提案する。流石に冬の3:39に到着して待合室のない高崎駅で約2時間待つのはつらい。新潟駅から信越線に入ると列車は鉄道の街として有名な新津(23:40-0:02)へ到着。

 

新津駅のホームでは新津小学校に保存してあったC57-180を復元復活させて4月29日から磐越西線で週末を中心に新津~会津若松~新津で運行する「SLばんえつ物語」のポスターと旗が飾ってあった。寝台特急日本海2号」と高速貨物2082レの先行通過が終ると新津駅を発車して自分達は寝る体制に入る。しかし昨夜の馬下保養センターでは早く寝て爆睡したため、中々寝付かれない。寝れない中、加茂(0:16-16)・東三条(0:22-23)と停車して知らない内に寝てしまった様だ。以降は就寝中の停車駅と時刻、見附(0:34)・長岡(0:43-1:09)・高崎(3:39-40)。

 

目が覚めたのは大宮到着10分前の北本駅近くでN君に起されたみたいだが急いで下車準備をしていると大宮(4:30-30)に到着したので下車するが上りムーンライトえちご(旧ムーンライト含)を大宮駅で降りたのは初めての経験である。川越線八高線を乗り継いで寄居駅へ到着すると駅前からタクシーで寄居~用土の撮影地に直行して高尾臨9222レを撮影して折り返しの9223レは八高線非電化区間では時間的に暗いので撮影しないでそのまま帰宅した。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

快速 ムーンライトえちご(下り)

1999年1月14日(木曜日)、 1999年始まって最初の3連休(1/15~17)前夜であるが僕と同じ会社に努めるN君と新宿駅7番線ホームで村上行きの快速「ムーンライトえちご」の入線を待っていた。およそ1ヶ月前ににはN君と快速「ムーンライトえちご」でK君のマイカーへ便乗してJR北海道731系の甲種輸送羽越線まで撮影に行ったけど今回は盛アオ583系(9B)の団体列車回送が青森から越後石山まで走るのと翌日16日は磐越西線DD51-745牽引のカヌ座を牽引するためで尤もK君が583系の回送如きでは来ないのであり、後者がメインである。

 

1998年12月から1999年1月までに使う青春18きっぷも早くも2冊目(正確には2枚目)の用途となりホームで待機していると22:50に快速「ムーンライトえちご」となる回送電車が入線して扉が開くと5号車のモハ164-823「新カヌM1編成」に乗車した。流石に青春18きっぷが使える3連休前夜は殆どの席が埋まって今夜は早々と指定券が早くから売り切れ状態であった。本日は6両編成の運転だが、快速「ムーンライトえちご」は新宿駅を定刻23:16に発車したので我々も缶ビールで乾杯してK君には携帯電話のショートメールにて新宿駅を定時で発車した旨を連絡しておく。

 

1998年12月のJR北海道731系甲種輸送の際は新津下車だったけど今回は村上までゆっくり寝て行けるのでその分助かるが、今回の583系団臨回送はマークが無表示か回送表示になる公算が強いので接近戦より線路からかなり引いて撮影するサイド写真か俯瞰撮影の風景写真になりだけど雪が降ると風景写真は真っ白の世界になるので難しい。列車は池袋(23:16)と赤羽(23:26)に停車して東京都から埼玉県に入ると大宮(23:40-43)に到着。N君が現地の天気を気にして明日の撮影で使うポジ(リバーサルフィルム)の選択で悩んでいる。

 

まだスマートフォンどころか携帯でWEBサイトを検索さえ出来ない時代だったので現地の天気予報を市外局番+177で聞くしかなく、新潟県下越地方の気象はエリアが広すぎてピンポイントな天気は分からなかった。NTTドコモFOMA登場は2001年からだが大都市圏の一部でしか使えずに同じドコモのiモード携帯でネットが出来るようになったのも2001年から登場の210iシリーズからだった。自分も常用リバーサルフィルムはフジクロームVelviaRVP」を+1補正するかエクタクローム「E100VS」なので現地に到着して1発目を撮影する時に考えようとアドバイスしたと記憶している。

 

曇った時にカラーなんて使っても意味がなく、趣味的な写真なら白黒のトライX(TX400)やT-MAX400(TMY)で充分だけど鉄道雑誌社への投稿はポジを要求(ポジは印刷に向いてるから)されるので自分としては極力ポジでの撮影がしたいのである。話が違う方に脱線したがほぼ満席状態で大宮駅を発車すると列車は高崎線に入り、暫くすると車掌が回って来たので銘々に高崎までの乗車券+青春18きっぷと指定券を呈示するとどこかで見かけた車掌で向こうも自分を見ながらおや?と言いたげである。1998年は快速ムーンライトえちごに9回も乗車しているので不思議じゃないけど。

 

5号車の切符拝見も終ると減光したのでリクライニングを大きく倒して高崎駅では缶ビールが飲めるなんて考えていたらいつの間にか寝てしまったらしいw。以降は就寝中の停車駅と時刻・・・高崎(0:55-1:28)・長岡(4:05-13)・見付(4:24-24)・東三条(4:33-33)・加茂(4:40)・新津(4:53-54)。目が覚めたら新潟(5:06-15)に停車していたのでホームの自販機で微糖缶コーヒーを購入して飲んでいると新潟駅を発車した。新潟を発車すると向きを変えて3921Mとして運転するが外はまだ暗いし、船を漕いで寝てしまう。豊栄(5:25)・新発田(5:35-36)・中条(5:46)は気が付かないままに坂町(5:54-55)に到着。

 

二度目の目覚めは坂町停車中で自分で起きたのかN君に起されたのか定かではないけど終着駅となる村上駅には定刻の6:05に到着した。改札を出るとK君が待っており、車に乗り込んで国道7号線と高速の無料区間で余目付近まで行き、上りの583系回送を追いかけて3回撮影して新津市内(現新潟市秋葉区)にあるJRの某運輸区へ行って明日の磐越西線臨客の詳細時刻を確認するためにB報を確認。その後、五泉市公共の宿でもある「馬下温泉・馬下保養センター」に宿泊(当時素泊まり1泊4000円ちょい)して温泉に入って寛いだ。

 

翌日は磐越西線・非電化区間DD51-745牽引のカヌ座を北五泉五泉猿和田馬下、徳沢~上野尻、山都~喜多方で撮影して終了。K君に喜多方駅まで送ってもらい、喜多方駅からN君と231D・新潟行きに乗って新潟駅方面に戻った。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

快速 ムーンライトながら 

1月2日に東京駅から始発の東海道線普通列車乗り継ぎで新大阪まで来た我々親子2名は新大阪発新宮行きの夜行快速2921Mで翌早朝に新宮駅に到着してそこから紀勢本線で松坂~亀山~名古屋方面へ移動したがそのまま行くと12時前には名古屋駅に付いてしまうので途中のローカル線を乗りつつ、正月期間の大垣駅前商店街では飲食店や飲み屋さえ営業していないと予想していたので名古屋駅前で夕飯を済ませて大垣駅へ向かった。

 

1999年1月3日(日曜日)、 当初は大垣駅から臨時大垣夜行・9372Mに乗る事を考えており、計画書でもそうなったけど12月の某会定例集会で知り合いが1月3日の快速「MLながら372M」が2枚並び席を買ってくれないかと言われたので即座に手帳を出して該当日を確認すると丁度親子旅の期間中で2枚の指定券は乗変済みだが大人2名分の料金を支払い指定券を確認後に無事受け取った。自分は1976年から347M・344Mと呼ばれた大垣夜行に乗って来たけど快速「ムーンライトながら」乗車は生まれて初の乗車になるのでこれは楽しみである。

 

中京エリアの新快速に乗ったり、名古屋グルメを楽しんで僕たち親子は快速「ムーンライトながら」(372M)が入線する少し前に名古屋から大垣駅に到着して372Mの入線を心待ちにしていた。大垣駅の改札を出て翌日の青春18きっぷの捺印を入れてもらいホームに戻るとちょうど373系電車が入線するところだった。一番最後尾となる1号車に乗るとクハ372-3で席は中ほどの6番AB席であったが、完全に特急形車両なので子供は喜んだけど臨時大垣夜行の古びたBOX席に比べればリクライニングするし、足元にはフットレストが装備されて並ばなくても良いのは本当に助かる。

 

乗り込むと車両の窓が大きくて子供はワイドビューだと喜ぶけどワイドビュー383系キハ85系である事を付け加えておく。回転リクライニングシートに座席間隔は970㎜でフットレストもあって上々の設備だけど373系は客室と乗降口を分けるデッキ部の仕切りがないので夏場の冷房が心配だけど冬場は隙間風が寒い165系・167系・169系に比べれば環境はよさそうである。22:52発臨時大垣夜行(9372M)の発車を見送り、大垣を通過する大阪発長野行き・急行「ちくま」(4801M)の勇姿を見送ると快速「ムーンライトながら」(372M)は23:08に大垣駅定刻発車した。

 

僕は快速「ムーンライトながら」と373系電車初乗車を記念して名古屋駅で購入した珍味で清酒ワンカップを傾けるが、子供は始めて乗る快速「ムーンライトながら」と373系に落ち着かない様で車内彼処を探索している。列車は穂積(23:13)・岐阜(23:18-18)・尾張一宮(23:27)と快速運転で停車すると名古屋(23:37-41)に到着したが、本日の指定券が何回も調べたけど満員御礼状態だったのだが名古屋駅を発車してもいい具合にポツポツ空席が目立つのである。この先、豊橋、浜松、静岡で乗って来るとも思えないし、やっぱり隣に誰も来ない様に隣席も買ってしまうニ席厨と言われてる輩の仕業なのだろうか?。

 

指定券・額面が安い「300円・310円・510円」列車の場合だと1ヶ月前の発売だと正確な必要枚数が判らずに多めに購入して余った分は駅の精算所やみどりの窓口に返却して精算すると差額が帰ってくるけど300円や310円の普通「快速」指定席券の場合、返却しても逆に精算料金が高い(高いといってもその分請求される訳はない)ので面倒だから駅へ返却しないでそのままだと席は空いてるのにマルスでは満席というケースが多々ある。しかし一番許せないのは隣に誰も座らせない様に隣席も購入して知らんぷりするセコくて幼稚なやり方でムーンライト系、ふるさとライナー系、ミッドナイトにはこの手が多い。

 

名古屋駅では夜行急行「ちくま」より先に快速「ムーンライトながら」発車したけど明日は品川駅下車だし、初めての373系の寝心地を試したくてリクライニングを深く倒してフットレストの上に足を乗せて目を瞑ると金山(23:44)停車は覚えていたけど前夜の寝不足も手伝ってすぐに就寝したようだ。以降は就寝中の停車駅と時刻・・・大府(23:54-54)・苅谷(23:59)・安城(0:04)・岡崎(0:10)・蒲郡(0:20-20)・豊橋(0:30-36)・浜松(1:01-03)・静岡(1:58-2:00)・富士(2:27-29)・沼津(2:46-56)・熱海(3:12-14)・小田原(3:31-33)・大船(4:02)くらいまで爆睡していたようだが横浜(4:16-16)到着で目が覚めた。

 

窓際の子供は完全熟睡しているようで中々起きないけど起していると川崎(4:24)到着くらいにやっと起きて次が品川駅で乗換がある旨を伝える。無理せず東京まで行き折り返しの323Mで富士駅まで行くと始発駅から終点まで乗り換えなしで乗れる直通列車が暫くないため、品川駅に付いたら1分の接続で321Mに乗る原案は子供が作成したのだが本人は眠くて忘れているようだ。品川駅に接近してるので子供と扉前で待機していると品川(4:23)に到着。急いで階段を走って渡り東海道線下り電車が出る7番線ホームに降りると沼津行き321Mに間に合いBOXで親子にて沼津まで寝て行く。

 

沼津から735Mに乗り換えて富士7:41発の625M(身延線)で甲府まで身延線の走破に付き合うが富士駅仕入れた駅弁「駿河ちらし」「牛肉弁当」に飲み物各種と酒類も入手して身延線3時間半の旅にチャレンジした。甲府からは普通に中央線の普通電車に乗って年始早々の親子旅は終了した。

 

なお本文中に子供がワイドビューと喜んでいるのにワイドビュー383系キハ85系だと制した記述があるけど後に子供から373系ワイドビューだと時刻表を見せられると確かに"ワイドビュー東海"や"ワイドビュー富士川"と書いてあった。国鉄型でない電車は興味ないもんなー(苦笑)。

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紀勢線快速 2921M

1999年1月2日(土曜日)、 日本国内では唯一で毎日運転のオール自由席車・夜行快速となった、かつては「南紀」「はやたま」「921レ・924レ」とも呼ばれた伝統の紀州夜行だけど1999年10月ダイヤ改正で2921Mは廃止か臨時格下げする噂話?も一部から持ち上がっていた。2921Mは1997年3月に乗車しているけどはやり最後にもう1回乗っておかないと後悔すると思い、当初は正月明けの1月3連休(1/15~17)を考えていたけど時刻表を捲りながらプランを考えていたら子供も行きたいと言い出してだったら正月に行こうという事になった(正月は親戚不幸で喪中なので正月の年始参りや来客は無いため、都合がよい)。

 

東京駅から東海道線の始発電車で出かけるが前回の2921M乗車と同じく、極力乗り換え回数を減らし、短い時間の乗り継ぎが続くと飽きるので余裕ある乗り継ぎで確実に当駅始発の座れる電車を乗り継いで西へ向かい16時前には新大阪に到着。正月で飲食店が早仕舞いするので早めの夕飯を済ませて青春18きっぷに翌日の日付を入れてもらい11番線ホームの1号車乗車位置で待つが、1~3号車が新宮行きで4~6号車が紀伊田辺止まりである。2921Mの入線を待っていると発車3分前の22:42に回送電車が入線して日根野電車区165系×6連が入線したのでドア扱いが始まると早速1号車に乗り込むとクハ165-111であった。

 

因みに2921Mの165系は2号車・3号車・5号車・6号車にはトイレが無くて新宮行きのトイレ付きは1号車だけなので僕たちは1号車を選んだけど何でモハ164とクモハ165のトイレを無くしてしまったのか解せない。流石に正月1月2日の夜行なので勤め帰りや釣り客は少い中、2921Mは新大阪駅を22:45に発車すると列車は東海道本線の下り線で淀川を渡り、大阪駅の手前で分岐する単線の梅田貨物線に進入。梅田貨物駅の北から西側を回りこんで福島駅と野田駅の北側を通過してから、桜島線へと向かう貨物線と分かれて大阪環状線に進入して西九条(22:53)に停車した(子供は謎の貨物線経由の件は理解した様だ)。

 

弁天町(22:56)・新今宮(23:01)と停車して2分停車の天王寺(23:03-05)16番線ホームに到着するといつもなら帰宅の遅い勤め帰りのサラリーマンが沢山乗ってくるのだが流石に正月2日目だけあって今夜の天王寺駅乗車は少ない。夕飯が早かったので子供とコンビニで購入したサンドイッチをつまんでいると天王寺駅を発車。阪和線に入るが大阪環状線と違って速度も増して阪和線快速電車並みに速度アップして堺市(23:13)・鳳(23:19)・和泉府中(23:24)・東岸和田(23:29)・熊取(23:34)・日根野(23:37-37)・和泉砂川(23:42)と停車しながら快速電車本来の走りを楽しむ。

 

そもそも紀勢線は亀山から新宮を経て和歌山に向かうのが下り列車(例921レ)で和歌山から新宮を経て亀山方面に向かうのが上り列車(例924レ)だったけど1989年の東海道線乗り入れ開始に同線に合わせて変更したもので和歌山から新宮方面行きが下り列車、新宮から和歌山方面行きが上り列車になった経緯がある。最初は時刻表の誤表記なのかと思ったけどATS-P等の保安装置問題もあって京都始発や新大阪始発の紀勢線乗り入れ優等列車東海道本線に合わしたのが原因らしい。Cタイプ列車無線も下りと上りとでは400MHz帯の周波数も変わるため、素人ながら面倒なだけだと思うのだが・・・。

 

鳳駅や日根野駅で下車もあって天王寺駅発車時点に比べると乗車率は約半分に減り、列車は山中渓~紀和間で大阪府阪南市和歌山県の県境を越えると和歌山(23:59-0:01)に到着した。和歌山駅でも下車客が以外と多くてこのまま1BOXを2人で使えそうなので子供が寝たあとに飲まないでとっておいたワンカップ清酒を取り出して紀勢線の思い出を脳裏に浮かべて酒を飲む。紀州夜行の「はやたま」と後の921レ・924レは1983年から1985年の冬くらいまでEF58牽引の旧客+10系寝台や「はやたま」の寝台廃止後はEF58牽引の12系座席車を定宿にして昼間に3往復走っていたEF58+客レを何回も撮影したものである。

 

紀勢線は日中の普通客レが3往復から2往復に減り、光線的にもベストだった123レと124レが消えて10年くらいは紀勢線の普通夜行には乗らなくなった。なんて懐かしい記憶を辿っていたら列車は紀三井寺(0:07)・黒江(0:11)・海南(0:13)・加茂郷(0:20)・下津(0:24)・初島(0:27)・箕島(0:30)に停車してそろそろ自分も寝るとしよう。以上は就寝中に停車した駅名と停車駅・・・紀伊宮原(0:34)・藤並(0:38)・湯浅(0:42)・紀伊由良(0:51)・御坊(0:59-59)・印南(1:15-15)・南部(1:30)・紀伊田辺(1:38-55)・白浜(2:10-20)・周参見(2:56)・見老津(3:07)・江住(3:12)・和深(3:20)・田子(3:24)・田並(3:30)。

 

紀伊有田(3:34-34)・串本(3:40-50)・古座(4:00-00)・紀伊田原(4:09)・紀伊浦神(4:15)・下里(4:22)・太地(4:25)・湯川(4:29)・紀伊勝浦(4:33-34)・紀伊天満(4:38)・那智(4:41)・宇久井(4:47)・紀伊佐野(4:51)。前の席に足を伸ばせて寝れたので結構ぐっすり寝てるけど紀伊田辺駅の停車で後ろより3両の4~6号車を切り離していたのは何となく記憶の端っこにあるけど半分寝ていたのかも知れない。三輪崎(4:55)の停車で目が覚めたのか子供に起されたのかは定かではないけど外はまだ真っ暗で5:01、定刻で新宮駅に到着してもまだ頭の中は寝ているようで寝惚けたまま新宮駅ホームを歩いた。

 

2921Mの到着に合わせて早朝から営業している新宮駅の立ち食いそば屋で軽く朝食を食べてから新宮6:05発の松坂行き「5326D」に乗りかえてそのまま名古屋方面へ行った。紀州夜行2921Mは1999年10月2日の改正で新大阪発紀伊田辺行きになって紀伊田辺~新宮までは紀勢線臨時夜行8321Mとして臨時延長されたが2000年9月30日をもって臨時延長運転も廃止になってしまい、乗車して正解だったのである。

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1998年の夜行列車乗車回数

1998年分の想い出夜行列車レポートのブログ発表が終ったので夜行列車乗車回数の列車名別、種別、乗車列車の系式別、利用施設別の各ランキング形式で発表したいと思う。1998年の乗車した夜行列車傾向について書くと昨年「1997年」の31回に比べて34回と3回分乗車が多いけど1998年は異例の出張での夜行列車利用が多くてその回数は何と13回という異例の多さで特に1998年は事業社が自社のIT導入でPlanningからintroductionまで営業部が契約した案件を実際に自分達が直接現地に赴き、サポートするという仕事が大幅に増えてこの様な結果になったが実際の趣味的な乗車回数は21回と言う事になる。

 

因みに出張で利用した夜行列車は「出雲①」「北陸①」「瀬戸②」「はくつる②」「あさかぜ②」「あけぼの②」「北斗星③」の7種13回だ。バブルから10年経過した日本の産業界はバブルの崩壊で冷え込んだけど事業所や事業部に研究機関が地方に移転してITというソリューションを媒体に自分の出張で夜行列車の乗車本数が増えたのは計算外で嬉しい誤算だったと言えるだろう。因みに臨時大垣夜行・(救済臨)9375M・9372Mは大垣夜行と表記、更に列車名のない中央東線の夜行快速8421Mは中央夜行で表記。それでは列車別ランキング・列車種別ランキング・利用施設別ランキング・形式別ランキングの順番に紹介していこう。

 

★夜行列車の列車別ランキング★1位は9回乗車した快速「ムーンライトえちご」で1998年は堂々の1位キープ、青春18きっぷで利用出来て510円の指定席料金でグリーン車のリクライニングシートで寝れるのは快適で嬉しい。2位は5回乗車の寝台特急北斗星」で北斗星も上位常連で3位は4回乗車の「臨時大垣夜行」で1997年も同じ3位だった。4位は3回乗車の寝台特急「出雲」、5位は2回乗車で5種類あるので全部記入すると「瀬戸」「八甲田」「はくつる」「あさかぜ」「あけぼの」であった。6位は1回乗車が3種があり、急行「上越スキー号」「中央夜行」「北陸」の結果である。夜行列車の種類が少なくなるとこの手の集計もイマイチ盛り上がらないようだ。

 

★夜行列車・種別ランキング★1位は特急種別の17種類(北斗星⑤・出雲③・瀬戸②・はくつる②・あさかぜ②・あけぼの②・北陸①)。2位は快速・普通の14種類(ムーンライトえちご⑨・大垣夜行④・中央松本夜行①)。3位は急行種別の3種類(八甲田②・上越スキー①)。

 

★夜行列車の利用施設ランキング★1位は11回利用の1人用B個室(北斗星⑤・出雲③・あけぼの②・北陸①)だがソロとシングルツインは価格も部屋の状態も違うけど一人用B個室という同じ点ではなので同一として考えた。2位は9回利用の指定席(ムーンライトえちご⑨のみ)で掛値なしのガチな2位である。3位は8回利用の自由席で以外と自由席利用も少なくない(大垣夜行④・八甲田②・上越スキー号①・中央線松本夜行①)。4位はB寝台の6回でこの6回は全部出張利用と言ってもいいくらいだ(瀬戸②・はくつる②・あさかぜ②)。

 

★夜行列車の形式別ランキング★1位は13票で165系「167・169系含む」(ムーンライトえちご⑨・大垣夜行④)、同率1位は24系寝台車の13票(北斗星⑤・瀬戸②・はくつる②・あさかぜ②・あけぼの②)、3位は4票の14系寝台車(出雲③・北陸①)、4位は3票の14系座席車(八甲田②・上越スキー①)、5位は1票の115系(中央線松本夜行)だったけど中央線の松本行き臨時快速夜行も完全廃止でもうこのコーナーに115系もランキングされる事もない訳で急行八甲田も完全終了しちゃったし、考えていたら寂しくなりました。よく考えれば115系1963年昭和38年)登場ですから還暦を越えて60歳から61歳になる訳ですが・・・湿っぽい話は辞めて次週からは1999年1月からの想い出夜行列車レポートを発車させます。

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