夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 サンライズ出雲(B1)

1999年1月19日(火曜日)、 1999年初めての出張となるが寝台特急「出雲3・2号」と「瀬戸」が廃止になってサンライズ「出雲」・「瀬戸」になると出張として利用しずらくなって正にダイヤ改悪だ。松江や出雲市だと下り「サンライズ出雲」だと到着が遅くて使えず、上りだと出雲市発が19:01なので17時に仕事が終わっても乗車時刻が遅いように感じる・・・とは言うものの使いやすかった「出雲3号」は廃止になり、「出雲1号」も「出雲3号」のダイヤを継承して米子、松江などに9時前に到着可能な寝台特急は消滅してしまったので現在ある物を有効利用するしかない。

 

昨年の1998年7月10日から登場した285系電車に乗るものの、今回が初めてで嬉々としてそうだけど本人からすれば「出雲3・2号」と「瀬戸」を死に追いやった列車なので複雑な心中に決まってる。今回の出張は早めに決まっていたので唯一出張手当から捻出できる一番狭くて安いサンライズ・ソロを確保してある。東京22:00発車では駅弁も手に入らないため、20時半に残業を終らせてから職場近くの中華飯店で夕飯を食べてから東京駅に向かった。今宵の宿は10号車18番ソロなので早めに9番線ホームに入り、「サンライズ出雲」10号車乗車位置で待つ。

 

21:50に5031Mとなる285系の「サンライズ瀬戸出雲」の回送電車が入線すると開業して半年が経過するけどホームは俄かに活気付く。扉が開いて早速10号車に乗り込み、18番ソロに入ると2階の進行方向左側だけど第一印象は狭いの一言。寝台幅や個室内幅・高さも「あけぼの」ソロ2階室より明らかに狭いと感じたが、10分停車なのでホーム売店で缶ビール等を購入して車内に戻ったけど乗車したのはモハネ285-3001「MN285」である。22:00の東京駅発車と同時に缶ビールを開けて人生初となった285系及び寝台特急「SR出雲」の旅を1人で乾杯した。

 

列車は2M5T×2の4M10T(Mはモーター車・Tはトレーラー車の付随車)モーター車比率が極めて少ない国鉄時代やJR初期には信じられないが三相誘導電動機・WMT102Aが気持ちよい加速で新橋駅をあっと言う間に通過。車掌が現れたので今夜の乗車率を聞いてみるとシングルツインとノビノビ座席に若干の空席があるだけでほぼ満室との事。自分が購入したサンライズ出雲のソロも20部屋しかなく、18番なので残り数部屋の部類で開業以来平日でも人気だと車掌が述べていた。今夜は明日の朝食と同時にデリカ系のおかすおつまみも用意したのでビールのピッチが早くて500ml缶2本を早々と飲んでしまう。

 

よく考えると東京駅22時台発の寝台特急に乗るのは初めてで(22:45発の寝台急行「銀河 」に乗車した事は数回ある)臨時急行ではあるが1980年台前半の急行「銀河51号」の東京駅発車時刻が22:00であった。さてサンライズのカラーコンセプトは朝焼けの高貴な赤色と朝霧の印象のベージュ色に日の出の地平線をイメージした金色からなり、先頭車前面と側面数箇所に昇る太陽をイメージした"SUNRISE EXPRESS"のロゴマークが表示しており、優等列車の冠であるヘッドマークやテールマークは用意されていないのが何とも残念である。これでは写真撮影でSR出雲かSR瀬戸なのか判別できない(苦笑)。

 

東京~横浜間の所要23分間は8レ「上り出雲」と同じで130km/h運行が可能ならスーパー踊り子83号(8003M)みたいに所要20分は無理なのだろうか?横浜(22:23-24)を発車したのでテンキー式の暗証番号で個室に鍵をかけて同じ10号車にあるラウンジスペースヘ行くと海側と山側に4席ずつ椅子や窓際にカウンター系式のテーブルが、あるけど従来のブルートレインみたいな座り心地がよいソファーではなく、回転椅子で座り心地が悪くてとても長居できない場所だ。このスペースでグループに騒がれるとソロの環境が悪くなりそうだが今宵は静かであった(そのために座り心地が悪い椅子なのかな?)。

 

他にシャワールーム(シャワーカードは車掌から買う)と自販機(酒類はなし)と公衆電話があるスペースだけど禁煙なのが嬉しいが個室に戻る。それにしてもソロのベッドが狭く見えるが70㎝幅のベッドだけど他の部屋からの張り出し部分があるため、56㎝か58㎝くらいまで狭い箇所があって狭い箇所は足を入れる様に使うのが一般的だけど部屋の向きからして進む方角に足を向けたい乗客も少なくはないだろう。狭いけどコンセントに目覚ましアラームもあって列車の位置や向きが変わったり、県境で周波数が変わっても最適なFM-NHKラジオが聞ける自動チューニングFMチューナーは素晴らしい。

 

時刻は23時を回ったので詳細感想は翌朝にお答えする事にして今夜は早々と寝る事にした。以降は就寝中の停車駅と時刻、熱海(23:21-23)・沼津(23:39-40)・富士(23:53-54)・静岡(0:19-20)・浜松(1:11-13)・姫路(5:28-29)・岡山(6:27-6:33)。目が覚めたら岡山駅到着9分前で急いで歯磨きと洗面を済まして着替えてから6分停車の岡山駅11番線ホームを散歩してみると事前情報で聞いた駅弁売りが見つからない。階段を上がった連絡コンコース上に売店があるのかは定かではないけどこんな事のために東京駅付近のコンビニで朝ご飯を用意して正解だった。自販機で缶コーヒーとお茶を購入して車内に戻った。

 

サンライズ瀬戸」を切り離して先に高松へ向けて発車すると次に「サンライズ出雲」が列車番号を5031Mから4031Mに変わって西へ向けて発車した。下り「サンライズ出雲」は米原駅大阪駅伯備線内の駅でも運転停車があるようだけど岡山駅を発車して約30分で白壁の町並みが有名な倉敷(6:44-45)に到着。いよいよ伯備線に入るが僕の世代だと子供の頃に布原信号所付近の橋梁で撮影したD51三重連のパネル写真を親にせがんで買ってもらった経験があるので伯備線といえばまずD51三重連を想像する。初めて伯備線に乗った時はまだキハ20で特急「やくも」がキハ181で運行されていたのが懐かしい。

 

昨夜東京駅近くのコンビニで買った助六寿司とおにぎりを岡山駅の自販機で購入した緑茶で流し込み、最後に缶コーヒーを飲みながら昔を思い出す。思えばキハ20で走破した伯備線以来乗るのは初めてかも知れない。ただし「出雲1号」の伯備線迂回運転が2年続いた1994年か1995年にDD51重連「出雲1号」の撮影でK君の車で黒坂~根雨間で撮影はしているが伯備線入線は久々である。列車は高梁川に沿って走るのは昔と同じだけど非電化区間だった約20年前(このブログを書いてる2023年からすれば約44年前)なので当時はもっと周囲の人口も少なく、ここまで栄えていなかったと予想する。

 

急に住宅が増えて来ると総社市となる総社駅を通過すると暫く走るとまた周囲は田舎の佇まいに戻る(ローカル線でよくあるパターン!!)。では昨夜から乗って来た「サンライズ出雲」の乗車感想に付いて記してみようかと思う・・・ソロの内装や通路に車内全般だけど木の温もりを感じさせる木目調のインテリアに統一されて住宅の設計や施工などを行っている"ミサワホーム"が携わったらしいけど木目調のデザインは良く出来ていると思う。東京駅で初対面したソロの寝心地や居住性だが狭いの一言。幅70㎝ベッドが他の部屋の突起物の所為で56㎝まで狭まれるのは狭い方向に足元を向けて寝れば解決する。

 

一番難儀したのは天井が低くて狭い事、まだ2階ソロは階段部分に立てば立ち上がれるけどそれでも車窓を見ながらビールを飲んだり車窓を眺めながら朝食を食べるのにはつらい姿勢をとる必要があります。天井までの高さは145㎝しかなく、Bシングルは185㎝あるそうでこれはB個室ツイン車はダブルデッカー構造でBソロはシングルデッカー構造なのでソロは部屋の中に階段がある原因によりソロの1階と2階は狭いと言う結論になりました。今回出張という事でB寝台料金しか会社側からもらえないのでソロにしたけどプライベート等で乗る時は約1,000円高くてもBシングルを選びたいと思う。

 

他に気づいた事は隣の人が個室の扉を閉める際にかなり響くし、モーター搭載車なので120km~130kmで走行する際にキーンというモーター音が気になる。電車寝台は上野~青森間を爆走した583系の「ゆうづる」・「はくつる」に乗ってきたけどここまで気にならなかった。1984年くらいまでの盛アオ583系は8M5Tのモーター比率が多かったけどそんなに気にする様な騒音ではなかったけど2M5Tの7両編成で僅かモハネが2両しかない285系サンライズ」はマキシマムで走る際の騒音は半端ないと思う。以上が初めて285系サンライズ」ソロへ乗って気付いた所感である。

 

最新の設備に寝台はオール個室は若い人や女性にビジネスマンには好まれるかも知れないけどこれは個人的な考え方だが、旅情や夜行列車浪漫は全く感じなかった。EF65PFやDD51に牽かれて青いブルートレインの「出雲」で例えれば開放B寝台でも私はそちらに軍配を上げるし、大好きだったPF牽引「瀬戸」を死に追いやった張本人は好まないけど高松出張の際に利用する事になりそうだ。なんて考えながら伯備線を車窓を眺めていたら新見(7:42-43)に到着した。布原駅「1987年3月31日までは布原信号所」を通過するとD51三重連で有名な第23西川橋梁を探すけど分からないまま通過した。

 

1994年か1995年にDD51重連牽引「出雲1号」の伯備線迂回を撮影した黒坂~根雨はすぐに分かったけど懐かしさを覚える。今は出雲市止まりの「出雲」が一往復しか残ってないけどDD51重連で走る事もないんだろうな?。そう言えば「サンライズ出雲」は伯備線経由なので山陰の海が見れないのと餘部橋梁を通らなかったので山陰地方に来た感じが全くしないまま、山陰線との接続駅でもある伯耆大山駅を通過した。自分が米子駅で下車するので下車準備も完了しているが米子9:08着は利用しにくいダイヤだ。米子駅到着の車内放送が流れたので自分もデッキにでて9:08定着した米子駅で下車した。

 

次回の想い出夜行列車レポートより乗車した285系の詳細番号は割愛します。乗車号車や個室番号と乗車系式の記号「TNwc'  TNw2  MN  TNws  MN2  TNw  TNwc」は表記します。更にサンライズ○○では長いので次回より本文はSR「SUNRISEの略」表記に変更。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★