夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

上野駅と夜行列車

3週間前の4月8日に「東京駅と夜行列車」というタイトルでブログをUPしているが、今回は続編として「上野駅と夜行列車」で書いて行きたい。初めて上野駅へ行ったのは1971年か1972年くらいかと記憶するが、この時は9時くらいに到着して上野駅を探索しただけなのであるが、本格的に夜行列車を見に行ったのは1973年7月30日だった。東海道線横須賀線の始発電車(因みに大垣夜行の744Mは川崎駅通過)では遅くて、AM5時前に発車する京浜東北線上野駅へ向かって朝6時到着の上り夜行列車から出迎える事が出来た。

 

さて1973年といえば自分が中学3年生の頃であったけど当時は定期の寝台特急は「ゆうづる」と「あけぼの」だけで「北陸」や「北星」は10系寝台の夜行急行であり、当時急行「能登」は東京駅から米原敦賀経由で運転されていたため、上野駅発着の「能登」は臨時のみの運行しかなかった。当時の上野駅は20番線まで使われて一部の臨時列車は品川発もあったけど臨時列車まで入れたら膨大な数になるのため、定期列車と季節列車「列車番号6000番台」のみ紹介するが1973年の時刻表は手元にないので時間や列車番号・編成他相違していましたら申し訳ない。

 

朝6時からだと6:00到着の寝台特急ゆうづる2号」(5018レ)から(実際には5:55到着の寝台特急ゆうづる1号」(18レ)も見れるため、数に含める)夜行列車到着が始まり、ラストが12:00着の寝台急行「十和田5号」(6202レ)まで全20本の夜行列車が東北・上越信越方面から集まってくるのだが3本が20系、4本が583系で残りの13種が10系寝台や旧型客車で1973年当時は10系寝台車も旧客や雑客の分類に入れたくらいに10系寝台車と旧型客車は興味が殆どなくてどうでもいい存在であった(笑)。

 

一番中心に考えていたブルートレインは「ゆうづる」2本と「あけぼの」の合計3本でそれを見たさに上野駅へ行った様な物である。上野発着の寝台特急が増えたのは1975年改正かそれ以降くらいで夜行急行が寝台特急に格上げされて「北陸」「北星」などがブルートレインに生まれ変わった。しかしブルートレインと言っても機関車にヘッドマークは付かないし、牽引機もEF58・EF80・EF62という地味な機関車ばかりで唯一特急色のEF65PFが牽引したのは「あけぼの」のみである。それでは5:55到着から12:00到着の上野駅に到着する夜行列車を一挙に紹介しましょう。

 

 5:55  特急「ゆうづる1号」(18レ)・20系・12両・青森19:15発・Aネ/Bネ/食

 6:00  特急「ゆうづる2号」(5018レ)・20系・12両・青森19:20発・Aネ/Bネ/食

 6:04  急行「天の川」(802レ)・10系・13両・秋田17:48発 ・Aネ/Bネ・寝台急行

 6:09  急行「北星」(104レ)・10系・11両・盛岡21:15発・Aネ/Bネ・寝台急行

 6:19  急行「津軽1号」(402レ)・10系他・12両・青森15:27発・Aネ/Bネ/グ/指/自

 6:25  急行「おが2号」(6402レ)・10系他・11両・男鹿18:28発・Bネ/指/

 6:33  急行「北陸2号」(3604レ)・10系他・12両・金沢21:00発・Aネ/Bネ/グ・寝台急行

 6:37  特急「ゆうづる3号」(14M)・583系・13両・青森21:10発・Bネ/グ/食

 6:41  急行「鳥海」(804レ)・10系他・11両・秋田19:03発・ Aネ/Bネ/グ/自

 6:41  急行「十和田2号」(6204レ)・62系他・12両・青森18:50発・グ/指/自

 6:45  特急「あけぼの」(1002レ)・20系・12両・青森18:25発・Aネ/Bネ/食

 6:50  特急「ゆうづる4号」(5014M)・583系・13両・青森21:15発・Aネ/Bネ/食

 7:03  急行「越前」(606レ)・10系他・9両・福井20:32発・Aネ/Bネ/グ/自・

 7:23  急行「十和田3号」(204レ)・10系他・10両・青森19:30発・Aネ/Bネ/グ/指/自

 8:47  特急「ゆうづる5号」 (18M)・ 583系・13両・青森23:35発・Bネ/グ/食

 9:09  特急「はくつる」(6M) ・583系・13両・青森23:59発・Bネ/グ/食
 9:51  急行「十和田4号」(6206レ) ・10系他・12両・青森21:35発・Aネ/Bネ/グ/指/自

10:12  急行「津軽4号」(404レ) ・10系他・12両・青森19:58発・Aネ/Bネ/グ/指/自
10:58  急行「八甲田」(103レ)・10系他・12両・青森0:05発・Bネ/グ/指/自
12:00  急行「十和田5号」(6202レ)・62系他・12両・青森0:20発・グ/指/自

 

では上記の見方を説明しよう、左から上野駅入線時刻、列車種別、列車名、列車番号、車両系式、両数、始発駅の発車時刻、設備で寝台急行は寝台車だけで編成する夜行急行を意味している。なお普通夜行列車は取り上げずに愛称のある急行と特急のみで形式の10系はオロネ10・オハネフ12・スハネ16などで62系はグリーン車のスロ62であり、両数は電源車や荷物車・郵便車は含まれていない・・・更に食堂車連結でも非営業が多かった。急行おが2号は男鹿駅発の8134レと大館発の9402レがあるのだが列車番号が設定臨より予定臨を優先した。

 

当時の上野駅発着夜行列車は地上ホームも少なくなかったので早朝からホームを走ってまるで運動会であった。他にも上野駅には多くの夜行列車が入線したが、「佐渡」「妙高」「ばんだい」「あずま」「まつしま」「いわて」等は上野着が早朝4時~5時台で流石に時間的に間に合わなかったのです。他にも早朝4~5時台に到着する臨時や季節列車は多く、あの広い上野駅地上ホームと地平ホームを走って移動するのはいい運動になったけど上野駅を発着する夜行列車は「あけぼの」や「ゆうづる」を除けば茶色や青とはいえないような色をしたボロ客車ばかりで機関車にマークは付かないし、東京駅発着の夜行列車みたいな優雅さを感じえなかったのが第一印象でした。

 

しかし高校生くらいになると10系寝台・旧型客車・EF58などに興味が湧いて鉄道趣味への趣向対象も変化して通っていた高校が都内にある私立某大学付属高校だったので通学定期券を利用して足りない分は精算でよく上野駅には通っていた。上野発東北線廻りの一ノ関行きや常磐線廻りの仙台行き(何れも普通列車の旧型客車)に途中まで乗って旧型客車の良さを発見している。そして1975年には人生初となる夜行列車でもあり寝台特急となる寝台特急ゆうづる1号」へ修学旅行の足として、乗る事が出来て夜行列車が更に好きになってしまう。

 

上野駅のよさは寝台特急などがホームに入線するとテープでなくて男性の肉声で「うーえーのー」の放送が遥々長旅を終えて到着した感じが感無量で好きだったけど時代の流れでテープになったけど合理化という事でこればかりは致し方ない。上野駅と言えば可動式の売店が夕方から地平ホームに登場したり、繁忙期の夜行急行自由席は通常の乗車口でない箇所に並んだり、夏の旧型客車夜行は暑くて冷凍ミカンが売れてた時もあったけど13番線の車止め付近にあった立ち食い蕎麦屋も懐かしい。上野駅の夜行列車想い出は書ききれないほどあるけど今日はここまでにしておこう。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★