夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

東京駅と夜行列車

本日から始まる新企画「夜行列車と駅」、夜行列車の始発駅で終着駅でもある"駅"に付いて記そうと思う。第一回目の本日はどこの駅にしようかと悩んだ挙句、日本の首都であり、官公庁や企業の本社が多く集まる千代田区丸の内に大手町と中央区日本橋に近い東京駅を取り上げるには誰も異存はないだろう。弊ブログのメインコンテンツでもある想い出夜行列車レポートだけでは明らかに先細りになってこのままのブログUP頻度では2028年くらいに終焉を迎えそうな気もしなくもないのでネタを増やそうかと思った次第である。

 

初めて東京駅へ停車してるブルートレインを見に行ったのは中学1年生の頃で確か1971年だと記憶するが、東京駅デビューとしては遅いけど僕が小学生の時は1人で地元の駅へ行く事は禁じ手で1人でいるところをもし先生やクラスメイトの親やPTAに見られたらそれこそえらい事なったし、もし警察や鉄道公安管に補導されたらまずい事になる。だから中学1年の夏休み早々に決行した。当時の東京駅、在来線は15番線まであって寝台特急や特急に急行などの優等列車は14・15番線から発車して11番線はホームのない線路のみで機関車の機回しで使ったり、東京~上野間を通過する列車の専用線でもあった。

 

東海道線在来線(横須賀線含む)のホームが7番線から15番線まで多かったのは東海道新幹線開業前に東京発着の中京・関西・山陽・山陰方面優等列車が多かった名残だと思うけどその後に14・15番線は新幹線増設ホームに変わった。当時の東京発着ブルートレインは全て20系で「さくら」(1レ・2レ)、「みずほ」(3レ・4レ)、「はやぶさ」(5・6レ)、「富士」(7レ・8レ)、「あさかぜ」(9レ・10レ・11レ・12レ・13レ・14レ)の5系統7往復で下関あさかぜの13レと14レ以外は全て博多あさかぜだった。3往復とも南シナの20系だけど特筆するのは9レ・10レはA寝台やA個室を含めてナロネ20、ナロネ21、ナロネ22が合計5両連結したシーンは眩しかった。

 

無論11レ・12レにもナロネ21とナロネ20が2両、13レ・14レにはナロネ21が2両連結してて全て食堂車連結して元祖ブルートレインの貫禄たっぷりで当時は「あさかぜ」推しな自分でしたが、「出雲」「瀬戸」「紀伊」は夜行急行で10系寝台車と旧型客車で組成されてて、ブルートレインとは一線を画して眼中はなかった。「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「富士」もナロネを2両していたが、東京駅(18:30発)から西鹿児島駅(18:57着)の「富士」の走行時間は24時間27分も時間を要し、上り「富士」は24時間35分もかかって是非とも機会があれば乗りたいと思った。最後に1971年東京駅初訪問の想い出に急行「銀河」を記しておこう。

 

当時の「銀河」は定期列車「1号と2号」の2往復(101レ・102レ・103レ・104レ)あり、季節列車の51号(6103レ・6104レ)1往復に臨時の52号(9117レ・8114レ)が設定されており、101レ・102レは東京⇔大阪を結ぶ全車寝台でA寝台2両を含む10系寝台。103レ・104レは東京⇔姫路を結ぶA寝台2両とB寝台6両に旧型客車の座席車で全車指定席だったが上りだったか下りだったか失念したが自由席だった記憶がある。季節列車の6103レ・6104レと臨時の8117レ・8114レは寝台を連結しない全車座席車で詳細不明だがあと1年早ければ大阪万博EXP70波動輸送の臨時夜行が見れたかもしれないのに残念でならない。

 

自分は都内の私立大学付属高校だったので東京駅はちょくちょく下校後に通う事になるのだが「さくら」「みずほ」が14系寝台車に変わり、「はやぶさ」「富士」「出雲」が24系24形に装いも変わり、急行だった「瀬戸」も特急に格上げされて20系化。急行だった「紀伊」も特急化されて14系寝台車になり、特急「いなば」なるニューフェースも増えて14系寝台車になって東京⇔名古屋間は「紀伊」と併結はちょっとしたニュースだった。しかし東京発着の寝台特急は名門東京機関区のEF65Pに愛称マークを付けていたが「いなば」+「紀伊」だけは浜松機関区のEF58牽引の愛称マーク無しなのが解せなかった。

(本件に付いては浜松機関区のEF58はヘッドマークステーがない機関車もあり、労使間との間でヘッドマーク取り付けが就業に含まれてなかったと話を聞いた事がある)

 

東京駅初参戦より夜行列車に乗るのは夢の夢で当分無理そうだけど僕が高校3年生(1976年秋)に嬉しいニュースが流れて来た。それは「はやぶさ」「富士」「出雲」に二段B寝台の24系25形が投入されたからで今までは関西発の「あかつき」「彗星」「明星」でしか乗れなかった24系25形のブルートレインが東京駅から乗れる嬉しさでクラスメイトのM君と早く乗ろうと計画を進めるが当時は週休二日制ではないので九州まで行ったら戻るのが大変だし、かといって冬休みまで待てない感じである。乗るなら新型の25形100番台にしようと決めて翌年1977年10月8日にデビューしたばかりの25-100「瀬戸」に乗車した。

 

東京駅初参戦より6年待って初めて待望のブルートレインに乗ったが詳細は弊ブログにレポートを纏めている。生まれて初めてのブルートレイン乗車に時間がかなり経過してしまったけど無事初乗車を済まし、翌年の1998年には憧れだった往路「はやぶさ」・復路「富士」のフル乗車を済ますが東京発着ブルトレの象徴だったEF65PからEF65PFへの切換時期にかかってて、往復とも直流区間はEF65PF(1000番台)だったのが何とも恨めしかった。話が前後するけど東京駅発着の夜行列車では始めて乗ったのが1976年3月に大垣夜行の347Mだったけど153系や155系の鈍行夜行は当時眼中なかったのは本当の話。

 

機関車が牽引する客車ならまだ夜汽車の旅情や風情があるけど急行「東海」と共通運用の見慣れた153系・155系電車では興味が無いのは致し方ないけど時の経過で一番好きだった「下りあさかぜ1号・上りあさかぜ1号」(9レ・10レ)も20系のままで25形になるのが遅くて自分の中ではどうでもいい存在に変わっていた(9レ・10レは1978年2月1日から24系25形になった)。月日が過ぎると東京駅を発車する夜行列車も大きく変わり、1976年には寝台急行「銀河」が20系になり、臨時の「銀河51号」(6101レ・6102レ)に14系座席車が投入されて更に1978年には「いなば」が「出雲3・2号」に変わり、「紀伊」が1982年2月に廃止されて残念無念。

 

1970年台後半以降は東京発着夜行列車についてまさに激動だったけど東京駅12・13番線ホームも東北・上越新幹線のホーム工事で消え、日本国有鉄道(JNR)が解体されて新制JRになると東京駅発着夜行列車にとって縮小・合理化・整理によって自分が思ったより早くブルートレインが終息する日が近付くのである。かなり大昔の記述もあるため、間違っている箇所があればお許し願いたい。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★