夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 出雲(Bネ)

1999年1月20日「水曜日」の朝に寝台特急サンライズ出雲」で米子駅に到着した自分は午前中は米子市に出張して午後からは特急「やくも」にて出雲市へ移動してからプラットフォーム(コンピューターに於けるOSやハードウエアサービスにソフトウェアを提供・カスタマイズするのに必要な基礎部分となるスタンダード環境)のLinuxにおける構築と実装での問題点解決の打ち合わせだったので以外と早く終って17時前には出雲市駅に到着する事ができた。

 

1999年1月20日(水曜日)17時前には出雲市駅に戻れたので帰路の寝台特急「出雲」の特急B寝台券(7号車下段)だけは押さえて昼は移動で何も食べてないため出雲蕎麦では定番となる三段の割子蕎麦を食べて家族の土産などを購入すると大まかな入線時刻が近付いて来たのでコンビニで缶ビールなどを買って改札を通り、駅員に入線時刻を聞いてホームに入る。早めにホームに入ると後藤総合車両所DD51-1179が出雲のヘッドマークを掲げて入線。11両編成「電源車混みで12両」だが9号車から11号車は季節減車でいつもより短いが扉が開くと早速7号車に乗車した。

 

7号車は尾久客車区のオハネ25-225で個室でもない昔ながらの開放二段B寝台だけど自分が初めて1977年に乗ったブルートレイン「瀬戸」がこのタイプなので違和感はないし、この設備だけでも充分に夜行列車の旅情と浪漫を感じる事が出来て往路に乗ったサンライズ出雲のBソロより有効面積が広くて快適だと思える。寝台特急「出雲」は1998年7月10日の「サンライズ出雲/瀬戸」の開業により従来の「出雲3号・2号」が廃止になり、残っていた「出雲1号・4号」が出雲市~浜田間を廃止にして上り「出雲」(8レ)として旧「出雲4号」の時刻をほぼカバーしながら東京へ6:57に到着するダイヤである。

 

岡山行き特急「やくも28号」が発車した12分後に我が「出雲」も後を追う様に一路東に向けて発車(17:46)したが向こうは電車でこちらはDiese機関車DD51が牽引する客車列車なので差が広がるばかりでお話にならない。車掌の特急寝台券他改めは簡素に終ったので缶ビールで乾杯しよう。米子から出雲市へ特急やくもで移動した時に夕飯に購入した米子駅の名物駅弁"吾左衛門弁当「1,220円」"を夕飯に買っておいた。かに寿し・大山おこわ・吾左衛門鮓「鯖」におかず類が入った酒を飲みながら食べるには最高の弁当だ。本日の出雲市の日の入り時刻は17:24なので出雲市駅発車時点で日没という事になる。

 

車窓からの景色が見れると確かに楽しいけど始発駅発車時点で日没時刻だと車窓は別にして音と揺れと五感にて夜行列車を楽しむ事が出来る。特に個室じゃなくて今宵みたいに乗ってる客数が少ないと単線非電化区間(一部複線区間もあるけど)をディーセル機関車に牽かれてコトコト進むようなブルートレインは「出雲」だけになってしまった。途中、宍道(18:01-01)に停車するが8号車は誰も乗車しなかったが、出雲市鳥取間のB寝台に限って立席特急券で乗れるが、米子駅までなら自分も特急「やくも」を使う。「やくも28号」に乗れば岡山から新幹線乗り継ぎでも名古屋までしか行けないけど・・・。

 

弁当は吾左衛門鮓(鯖)だけ残り3個になったのでワンカップ清酒を出して鯖鮓を食べ終えると松江(18:19-20)に到着するして7号車にも数名が乗り込んで安来(18:41)にも到着して米子駅構内の手前で島根県安来市から鳥取県米子市への県境を越えると米子(18:50-52)に到着。2分停車なので先頭車の一番前からホームに出て後藤総合車両所DD51-1179を見学する。1179号機は1976年に日立で落成すると福知山機関区に投入されてその後も山陰線を出る事無く、後藤総合車両所で過ごして現在でも後藤総合車両所に籍を置いて山陰線で活躍している。

 

北海道を除く、どこでも見かける500番台のB寒冷地対応車だが2分間の停車は短くて発車時刻が近付いたので自分も車内に戻って米子発車を確認してから寝台に戻ると米子駅から乗車した乗客で増えていたけど立席特急券利用者かも知れない。冬だと車窓は真っ暗なので日本海や秀峰大山に落陽によるトワイライトタイムとかは無関係なので時おり聞こえるDD51の擦れたホイッスルを聞きながら24系25形が奏でる走行音を聞いていると開放B寝台でも心が豊かになって客車の夜行列車本来の楽しみや味わいを感じる事ができてこれが非電化区間の夜行列車旅情だなーと納得している自分がそこにあった。

 

倉吉(19:38-38)を発車すると最後のカップ酒も飲み終わると鳥取(20:21-23)に到着したので2分停車を利用して食料を求めに行くけど立ち食いそば屋には駅弁の売れ残りはなくて自販機で飲み物だけ購入して7号車のB寝台に戻って25形出雲の旅を満喫するが今夜の上り出雲は特に空いている。正月の松の内が終ってまだ2週間なのと週の真ん中の水曜日なのが原因しているのだと思う。先頭車のオハネフ25の展望区画から小刻みに揺れて力行しているDD51サウンドを聞いていると「ドドン チャチャ ドドン」のリズミカルなジョイント音を確認してから7号車に戻ると浜坂(20:58-58)に到着。

 

少し早いけど寝具をセッティングして横になって毛布をかけて証明を落とすと餘部橋梁(全長310.59m)を渡る音が聞こえてトンネルを出入りしている内に寝てしまった様だ。以下は就寝中の停車駅並びに時刻、香住(21:19)・城崎(21:43-44)・豊岡(21:54-56)・福知山(22:56-57)・綾部(23:09-09)・京都(0:27-35)・静岡(4:32-33)・沼津(5:13-14)「途中米原・名古屋・浜松で運転停車」。目が覚めたら爆音の丹那隧道を走行中で熱海(5:31-33)に到着すると2分停車を利用してホームの自販機で缶コーヒーを買う事に成功した。車内に戻った時に確認したら自分の周囲の寝台(13番上段と14番下段・上段)はノンゲストで驚きであり、7号車全体でも3割強の乗車率である。

 

取り合えず先頭の8号車「オハネフ25」デッキの貫通扉窓へ移動して牽引機を確認すると田端運転所のPFが見えて1100号機のナンバーを確認して寝台に戻るが日の出時刻が6:50なのでこの時間帯に楽しみにしている車窓から相模湾を除む事は100%不可能なため、昨日出雲市のコンビニで買った朝飯の助六寿司を食べてから熱海駅で購入した缶コーヒーを飲みながらマッタリしていると小田原駅国府津駅を定刻で通過。そういえば寝台特急「出雲」は長年列車番号が1001レ~1004レ(更に昔は「出雲」が1001レ・1004レ・「いなば」は1003レ・1002レ)の1000番台だったけど1998年7月からは9レと10レに変わっている。

 

9レと10レの列番だと当時は「あさかぜ1・4号」が使っており、ピンと来ないのだが東京発着ブルートレインの削減整理でここまで変わるとは思わなかったけど「あけぼの」も1000番台を使っていたのに現在では2000番台を使っている事を考えるとブルートレインも衰退終期をとっくに越えて末期なのだな~と1人で納得してしまった。列車は藤沢駅を通過して下車準備をしていると清水谷戸トンネルを出ると外は随分明るくなったので下車準備を始める。横浜(6:33-34)に到着すると以外と横浜駅で下車する乗客が多くて驚いたりしながら川崎駅を通過して多摩川(六郷川)を渡ると都内へ入った。

 

個室もいいけど狭いサンライズ・ソロより空いてる25形開放B寝台の方が楽だし、音も静かでよく寝てたかと思うがオシ24の弁当販売(時間帯によって車内販売で巡回)もあるし、空いてる時期なら25形「出雲」の方が落ち着けると思ったほどだ。二往復から一往復へ削減してしまったけど昔ながらのブルートレインを応援したいなと考えていたら品川駅を通過して6:57、定刻で東京駅に到着した。横浜~東京間を23分で走り抜き、最高速度130km/h運転の上りサンライズ瀬戸・出雲と同一所要時間で走ったなんて凄い。嫁と落ち合いお土産と着用済下着類とワイシャツが入った手提げ袋を引き取ってもらう。

 

時間からして会社へは直行なので25形「出雲」の回送10列車の発車(東京駅発7:06)を姿が見えなくなるまで見送ると9番線には「サンライズ瀬戸・出雲」が入線したので自分はコーヒーを飲んでから会社へ向かった。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★