夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

紀勢線快速 2921M

1999年1月2日(土曜日)、 日本国内では唯一で毎日運転のオール自由席車・夜行快速となった、かつては「南紀」「はやたま」「921レ・924レ」とも呼ばれた伝統の紀州夜行だけど1999年10月ダイヤ改正で2921Mは廃止か臨時格下げする噂話?も一部から持ち上がっていた。2921Mは1997年3月に乗車しているけどはやり最後にもう1回乗っておかないと後悔すると思い、当初は正月明けの1月3連休(1/15~17)を考えていたけど時刻表を捲りながらプランを考えていたら子供も行きたいと言い出してだったら正月に行こうという事になった(正月は親戚不幸で喪中なので正月の年始参りや来客は無いため、都合がよい)。

 

東京駅から東海道線の始発電車で出かけるが前回の2921M乗車と同じく、極力乗り換え回数を減らし、短い時間の乗り継ぎが続くと飽きるので余裕ある乗り継ぎで確実に当駅始発の座れる電車を乗り継いで西へ向かい16時前には新大阪に到着。正月で飲食店が早仕舞いするので早めの夕飯を済ませて青春18きっぷに翌日の日付を入れてもらい11番線ホームの1号車乗車位置で待つが、1~3号車が新宮行きで4~6号車が紀伊田辺止まりである。2921Mの入線を待っていると発車3分前の22:42に回送電車が入線して日根野電車区165系×6連が入線したのでドア扱いが始まると早速1号車に乗り込むとクハ165-111であった。

 

因みに2921Mの165系は2号車・3号車・5号車・6号車にはトイレが無くて新宮行きのトイレ付きは1号車だけなので僕たちは1号車を選んだけど何でモハ164とクモハ165のトイレを無くしてしまったのか解せない。流石に正月1月2日の夜行なので勤め帰りや釣り客は少い中、2921Mは新大阪駅を22:45に発車すると列車は東海道本線の下り線で淀川を渡り、大阪駅の手前で分岐する単線の梅田貨物線に進入。梅田貨物駅の北から西側を回りこんで福島駅と野田駅の北側を通過してから、桜島線へと向かう貨物線と分かれて大阪環状線に進入して西九条(22:53)に停車した(子供は謎の貨物線経由の件は理解した様だ)。

 

弁天町(22:56)・新今宮(23:01)と停車して2分停車の天王寺(23:03-05)16番線ホームに到着するといつもなら帰宅の遅い勤め帰りのサラリーマンが沢山乗ってくるのだが流石に正月2日目だけあって今夜の天王寺駅乗車は少ない。夕飯が早かったので子供とコンビニで購入したサンドイッチをつまんでいると天王寺駅を発車。阪和線に入るが大阪環状線と違って速度も増して阪和線快速電車並みに速度アップして堺市(23:13)・鳳(23:19)・和泉府中(23:24)・東岸和田(23:29)・熊取(23:34)・日根野(23:37-37)・和泉砂川(23:42)と停車しながら快速電車本来の走りを楽しむ。

 

そもそも紀勢線は亀山から新宮を経て和歌山に向かうのが下り列車(例921レ)で和歌山から新宮を経て亀山方面に向かうのが上り列車(例924レ)だったけど1989年の東海道線乗り入れ開始に同線に合わせて変更したもので和歌山から新宮方面行きが下り列車、新宮から和歌山方面行きが上り列車になった経緯がある。最初は時刻表の誤表記なのかと思ったけどATS-P等の保安装置問題もあって京都始発や新大阪始発の紀勢線乗り入れ優等列車東海道本線に合わしたのが原因らしい。Cタイプ列車無線も下りと上りとでは400MHz帯の周波数も変わるため、素人ながら面倒なだけだと思うのだが・・・。

 

鳳駅や日根野駅で下車もあって天王寺駅発車時点に比べると乗車率は約半分に減り、列車は山中渓~紀和間で大阪府阪南市和歌山県の県境を越えると和歌山(23:59-0:01)に到着した。和歌山駅でも下車客が以外と多くてこのまま1BOXを2人で使えそうなので子供が寝たあとに飲まないでとっておいたワンカップ清酒を取り出して紀勢線の思い出を脳裏に浮かべて酒を飲む。紀州夜行の「はやたま」と後の921レ・924レは1983年から1985年の冬くらいまでEF58牽引の旧客+10系寝台や「はやたま」の寝台廃止後はEF58牽引の12系座席車を定宿にして昼間に3往復走っていたEF58+客レを何回も撮影したものである。

 

紀勢線は日中の普通客レが3往復から2往復に減り、光線的にもベストだった123レと124レが消えて10年くらいは紀勢線の普通夜行には乗らなくなった。なんて懐かしい記憶を辿っていたら列車は紀三井寺(0:07)・黒江(0:11)・海南(0:13)・加茂郷(0:20)・下津(0:24)・初島(0:27)・箕島(0:30)に停車してそろそろ自分も寝るとしよう。以上は就寝中に停車した駅名と停車駅・・・紀伊宮原(0:34)・藤並(0:38)・湯浅(0:42)・紀伊由良(0:51)・御坊(0:59-59)・印南(1:15-15)・南部(1:30)・紀伊田辺(1:38-55)・白浜(2:10-20)・周参見(2:56)・見老津(3:07)・江住(3:12)・和深(3:20)・田子(3:24)・田並(3:30)。

 

紀伊有田(3:34-34)・串本(3:40-50)・古座(4:00-00)・紀伊田原(4:09)・紀伊浦神(4:15)・下里(4:22)・太地(4:25)・湯川(4:29)・紀伊勝浦(4:33-34)・紀伊天満(4:38)・那智(4:41)・宇久井(4:47)・紀伊佐野(4:51)。前の席に足を伸ばせて寝れたので結構ぐっすり寝てるけど紀伊田辺駅の停車で後ろより3両の4~6号車を切り離していたのは何となく記憶の端っこにあるけど半分寝ていたのかも知れない。三輪崎(4:55)の停車で目が覚めたのか子供に起されたのかは定かではないけど外はまだ真っ暗で5:01、定刻で新宮駅に到着してもまだ頭の中は寝ているようで寝惚けたまま新宮駅ホームを歩いた。

 

2921Mの到着に合わせて早朝から営業している新宮駅の立ち食いそば屋で軽く朝食を食べてから新宮6:05発の松坂行き「5326D」に乗りかえてそのまま名古屋方面へ行った。紀州夜行2921Mは1999年10月2日の改正で新大阪発紀伊田辺行きになって紀伊田辺~新宮までは紀勢線臨時夜行8321Mとして臨時延長されたが2000年9月30日をもって臨時延長運転も廃止になってしまい、乗車して正解だったのである。

       ★★★★★Memories of the night train★★★★★