夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

臨時急行 八甲田(自由席)

1998年8月1日(土曜日)、 全ての撮影を終えてレンタカーも返却して青森駅で臨時急行「八甲田」(8108レ)の入線を待っていた。既に今夜の臨時「八甲田」となる14系座席車の編成は臨時快速「海峡86号」(8144レ)として19:01に入線中だが、今夜は簡単な車内整備を行うために乗車出来るのは19:35頃との情報は得ていた。そういえば2年前の1996年7月28日に子供と上り臨時急行「八甲田」に乗車した際は、「海峡86号」が入線するとそのままの状態で車内整備や車内清掃もせずに「八甲田」へ仕立てちゃったけど2年後の今頃に同じ列車なのに体制が変わったのは何故なのだろう?。

 

早々と並ばなくても確実に希望の席へ座れるけど「八甲田」の発車が20:03発なのでホームの立ち食い蕎麦を食べて腹ごなしだけはしておいた。既に先頭には青森運転所東派出のED75-751が連結されており、751号機の牽く下り「八甲田」は今回の旅で満足のいく撮影ができたので騒ぎはしないけど人気のオリエントサルーン専用機でもあるが個人的にはもっとED75P型(1000番台)を撮影したかった。ホーム先端で751のバルブ(長時間露光)撮影からN君が戻ると車内清掃と整備が終ったのか、上り臨時急行「八甲田」(8108レ)の扉が公約時間に開いたので往路と同じ8号車のオハ14-91に乗り込む。

 

発車時刻まで約30分あるので発車前だけどN君と1BOXにした席で飲み始める。実は帰路の自由席座席車で帰るのがだるくて自分1人なら確実に特急「はくつる」のB寝台に魂を売ったであろうが、お互いに倹約しているので何とか掟破りをする破目だけは免れたが4泊の旅もようやく終わりを迎える事ができた。2日目の晩は八戸着が、遅かったのでフルフラットシート車での車中泊に3日目の晩は4800円の激安ビジネスホテルで思ったより、安上がりな旅だったが臨時八甲田もこれで乗り納めとなる。次回の北東北エリアの鉄道写真撮影は積雪期以外はマイカー移動になるだろう。

 

臨時急行「八甲田」に接続する快速「海峡12号」が到着しても乗り換える人は殆どいなくてどうしてここまで八甲田が人気がなくて腐っちゃたのだろう?。臨時列車格下げになっても暫くは人気があった列車なのにここまで落魄れてしまったとはショックなのだが僚友の臨時「津軽」が1996年のゴールデンウィークから消えて今年は一番混雑するお盆まで設定がない病みたいなものが「八甲田」にも取り憑かれてしまったのだろうか。どんな人気の列車でも臨時格下げして運転日数が年々少なくなると乗客からは忘れられてしまう事は過去にも「十和田」「おが」「天の川」などで同じ様な兆候で消えていった。

 

青森駅を20:03に定時発車したので発車間際に購入した缶ビールで乾杯しながら青森駅で購入した若どり弁当(820円)をツマミに飲み始める。価格の割にはこれと言った特徴もない駅弁だがぱっと見た目は野辺地のとりめし(700円)と変わらんが若鶏の照り焼きが多くて三角コーナーの橋休めも唐揚げや茄子など立派なおかずに変わっていたが割高に感じてしまう。とりめし系駅弁では立派に確立した高崎駅の鳥めし(800円)、横川駅の峠の鶏もも弁当(700円)、仙台駅のわかどり弁当(700円)、水戸駅の鳥めし(700円)など価格的にも内容的に味覚的にも満足する鶏めし系が多いのに割高感を感じてならない。

 

今夜も8号車は空気輸送的な臨時急行「八甲田」(8108レ)は浅虫温泉(20:18)と小湊(20:27)に停車しながら帳の降りた陸奥(みちのく)路を南に向かうが車内がこうも空いていると盛り上りに欠けるというものだ。気分だけでも盛り上げようと青森駅のホームで立ち食い蕎麦を食べた時に購入したワンカップ清酒。まだ12系座席車時代の八甲田や津軽が運行していた頃から立ち食いそば屋でそばを注文せずにカップ清酒カップ入り濁酒ばかり買うお客だと思われていた節があるけど今は誤解も解決済みだけど塩分濃度の濃い青森駅の立ち食い蕎麦は苦手なのである(顔馴染みの人だと味薄めに作ってくれる)。

 

お互いにこれが本当に最後の「八甲田」乗車になるので八甲田に纏わる想い出話で盛り上る。昔の繁忙期は自由席乗車待ちの列を各乗車口別にホームに対して縦に整列させて先発の列車ドア扱いが終ると所定乗降口に移動させていたとか旧型客車時代の「八甲田」は仙台回転車(1978.10.2で廃止)が連結されていたり、上り「八甲田」は青森駅0:03発なので夜行列車というより始発列車扱いで交通公社の時刻表東北方面から上野行き夜行列車抜粋から上り「八甲田」が消えていたり(※)想い出話は尽きないのだが、八甲田乗継で一番思い出されるのは青函連絡船である。

 

上り「八甲田」の伝統の乗継ルートだと札幌15:05(おおとり)19:24函館19:40(青函連絡船6便)23:30青森0:02(八甲田)11:06上野、だと記憶するけど北海道ワイド周遊券で特急自由席が乗れなかった時代は札幌から函館が急行「宗谷」や急行「ニセコ」だったと思う。更に夏に旧型客車で運行された「八甲田」は流石に暑くて毛嫌いして避けていたのも今では懐かしい思い出だ。1976年10月から季節列車の急行十和田下り1号(6201レ)や上り3号(6202レ)に14系座席車12両が投入されて青函連絡船への接続は劣るけど冷房の快適さには敵わなくて我ら八甲田派は裏切って夏季のみ14系ハザ十和田に浮気していた罰当りな俺。

 

なんてN君と「八甲田」の想い出をネタに語り合っていると列車は野辺地(20:41-42)を発車して三八上北(青森県東部を指す地域呼称)の三沢(21:05)を発車するとJR東日本.盛岡支社・2分目ダイヤグラムのA3判コピーと時刻表を眺めながら八甲田より青森駅を57分遅く発車した臨特電8002Mスジが自分らが乗ってる臨急客8108レをどこで抜くのか、N君が必死なって探している。時刻表では8002Mは盛岡発車時点では8108レとの差は21分に縮まるが8002Mの次の停車駅は宇都宮まで止まらないので途中時刻は分からない。盛岡支社2分目ダイヤグラムは一ノ関までしかスジが引いてないのだ。

 

実際に盛岡支社管内は東北線だと油島駅までだが一ノ関以南は書き込みがなく、今回の撮影旅行で仙台支社管内では撮影しないため、仙台支社管内の東北線・2分目ダイヤグラムコピーは持ってこないので分からないが、一ノ関駅まで8002Mと8108レの間に高速貨物3076レが入り込んでいるため、抜けずに仙台駅か福島駅で待機かも?と適当に答えたがこれは大嘘である事が帰宅後に分かる。青森県第3の都市である八戸市のお膝元駅(因みに八戸市の中心地は八戸線本八戸駅になる)八戸(21:23-24)に到着。八戸駅を発車すると朝の夜行を撮影した北高岩~八戸や苫米地~北高岩の撮影地を通過。

 

更に昼間583系はつかりED75貨物も撮影した諏訪ノ平~剣吉も通過すれど車窓からは暗くて確認できないまま三戸(21:40)に到着した。目時~金田一温泉青森県から岩手県に入るものの、途中での利用客が恐ろしく少なく、二戸(21:54-54)では8号車に乗った乗客は0人であった・・・これじゃあ完全廃止されても致し方ないけど急行「八甲田」栄光の時代であった1975年くらいから1982年6月22日までの輝かしかった足跡を知る者にとっては見たくもなかった凋落化の末路を見てしまい、動揺を隠せない。一戸(22:01)発車とともに車内は減光になったので2人で1BOX使って寝るとしよう。

 

以降は就寝中の停車駅と停車時間・・・沼宮内(22:32)・盛岡(22:57-23:01)・花巻(23:30)・北上(23:40-40)・水沢(23:55)・一ノ関(0:14-15)・黒磯(4:09-4:16)・宇都宮(4:54-55)。私は寝る体制に移って早々に寝てしまったがN君は盛岡到着はまだ起きていたそうで盛岡駅での乗車は予想に反して少なかったとの事であった。目が覚めた時には小山(5:16-17)入線間じかだったけど既に首都圏内に戻ってきている。ヒガハスこと東大宮~蓮田間の有名撮影地には多くの鉄道写真ファンが集結していたので本列車の臨時「八甲田」の牽引機がEF65-1118?と思ったが1号車の貫通扉までN君が確認から戻るとEF65-1107との由。

 

実は8月1日の朝に苫米地~北高岩で撮影した11列車「はくつる」が青森運転所のEF81でなくて田端運転所のEF8195が牽引してやってきた。所定は青森81牽引だけど多客臨や団体の臨客牽引が増えたり、検査などで有効機関車の保有台数が少なくなると田端のEF81が変臨運用として11~12列車の運用に入る事もあるのだ。なので11レが、田端EF81運用に入れば12レで戻って帰区する、今回の様なイレギュラーなケースになったのだと思われる。しかし今朝のヒガハスは朝霧が発生してISO50~ISO100のリバーサルフィルムで撮影するのは露出的に難しそうである。

 

大宮(6:04-05)に停車する直前に大宮駅のホーム先端にもカメラ持った鉄ちゃんが多くてこんな駅のホームで狙うなら大宮~浦和間の沿線から狙える場所が沢山あるのに駅の先端に群がる輩を見ると同じ鉄道写真ファンとして気持ち悪く見えるから不思議である。赤羽(6:19)を発車すると多くの鉄道写真ファンが待機していた、東十条駅界隈の撮影地を通過すると多くの脚立と三脚が並んだ激選地に知った顔が何名かいたけど一瞬に通過して京浜東北線の駅にもカメラを持った人が増えて尾久客車区と田端運転所の横を通過。10時間27分の臨時急行「八甲田」の旅も終り、上野駅13番線に定刻6:30に入線した。

 

N君に9分後にEF81-95に牽引された12レが入線するけど上野発の推進回送12レ発車時刻は6:52なので鶯谷駅で推回が狙えるよと混ぜ返すと昨日朝に苫米地~北高岩のS字カーブで正面にバリバリ光線を受けてギラついたEF8195はくつるをVに決めたので早く帰りましょうと余裕の笑顔だった。ここで「八甲田」の想い出夜行列車レポートは終りですが我々が乗った8108レを後発の8002Mがどこで抜くのかについては未解決である。自分が適当に答えてたのであるが帰宅後にJR東日本・仙台支社管内の東北線2分目ダイヤグラムを確認すると何と8002M(はくつる82号)が8108レ(臨時八甲田)を抜いたのは仙台駅でも福島駅(両駅は1分停車)でもなくて何と松川駅でした。

 

最後に本文上から47~48行目に記述した(※交通公社の時刻表東北方面から上野行き夜行列車抜粋から上り「八甲田」が消えて)件の1978年10月号時刻表・12ページをUPして下に貼っておく。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

臨時急行 八甲田(自由席)

1998年の夏季休暇の第1回目の4連休(7/30~8/2)は1998年の冬臨運行が最後となる、急行「八甲田」の乗車と撮影がしたくて序に撮影する「はくつる」や583系で運行される「はくつる81号」の撮影プランを同じ勤務先でも部署は違うN君に昼休みにランチを食べながらそれとなく6月くらいに計画を話していたらN君曰く、MOTOトレイン併結も今年の夏が最後だし、下りは先頭にハネフが連結されるので自分も参加したいと急遽話が決まって後日家族と調整して参加が決まった。帰路は同じく1998年の冬臨を最後に完全廃止になる急行「津軽」を考えていたのだが6/15発売された某誌にはお盆の運転さえなかった。

 

1998年7月29日(水曜日)、 4連休前夜だが上野駅13番線の「八甲田」8号車・乗車位置の前でN君と並んでいた。既に臨時急行「八甲田」は既に入線しているけど扉が、開いたのは21時30分くらいで早速、禁煙自由席の8号車に乗ると盛アオのオハ14-91で乗車待ち人数も少なかったので進行方向右側の席をキープするが、前の席を回して1BOX状態にした。途中で大勢乗ってくれば開放すればいいだけの話である。発車まで45分あるので牽引機の確認(田端運転所のEF651029)と売店で缶ビール(500ml)を購入して早速乾杯だ(発車6分前くらいに増結ビールを買いに行く目論み)。

 

流石に夏休み期間中とはいえ、水曜日発の臨時座席夜行急行は需要ないのか発車10分前なのに8号車の禁煙自由席は空席多数なのは需要がないのであろう?。同じ臨時夜行急行の「津軽」はお盆期間中も設定がなくて1998年の夏臨で上野から青森まで行く夜行列車は急行「八甲田」の他に特急「はくつる81・82号」(583系9B)と特急「あけぼの81・82号」(24系青森車9B)のみで寂しくなったものである。増結ビールをN君が買いに戻ると数分して急行「八甲田」(8105レ)は上野駅を22:16に発車したので500mlのロング缶ビールで再度乾杯をした。周遊きっぷは座席夜行の急行自由席に全区間乗れる恩恵も薄いのか若者の利用が少ないのが気になる。

 

ミニ周遊券やワイド周遊券が使えた1998年3月末までは自由周遊区間に入る前のエリアでも全区間急行列車の自由席が使えたのだが周遊きっぷになるとゆき券と帰り券は急行自由席が有料になって自分達も上野駅から青森駅まで自由席急行券はレール&レンタカーの1割引で購入したが、本当に周遊きっぷは使えない。下り臨時夜行急行「八甲田」に乗車するのは1996年以来、約2年ぶりになるが下り八甲田に乗るのはこれが最後になる筈である。大宮(22:42-43)を発車しても1BOXを開放する事も無い乗車率なので人気がないのであろうか?。

 

末期の臨時急行妙高81号(14系座席車)みたいで今年度で完全廃止もこれでは止むお得ない。N君は旧客や12系時代の「八甲田」は一番乗ったらしいけど臨時格下げされた「八甲田」に乗るのは初めてで、旧客や12系時代の八甲田はいつ乗っても程々乗車率があったのに翌日平日とは言え、夏休み期間中なのにこの乗車率は酷いと驚いていた。そういえば急行「八甲田」も年々上野駅を発車する時間帯が遅くなっているが旧客や12系で運行していた頃は上野発19:08前後、14系になると21:30発になり、1996年から上野発が22時台に変わった事をN君に説明していると小山(23:20-21)と宇都宮(23:43-44)に到着。

 

宇都宮を発車すると車内は減光されたのでもう寝ようかという事になり、寝る努力をすれど快速「ムーンライトえちご」のように暗い減光に比べて明るいし、すぐに寝れるか微妙ではあるけどウトウトはしたけど列車の制動で目が覚めたら黒磯(0:26-34)に到着。二人ともいそいそと先頭へ行くと黒磯まで牽引したEF65PFが外されて青森運転所東派出のED75-758が連結されたが発車1分前まで758号機を眺めてホームの自販機で飲み物を購入してから車内に戻ったが、ED75牽引の夜行列車に乗るのも久々である。この辺で寝ておかないと明日がしんどいので1BOX確保のままお互いに足を投げ出しあって寝た。

 

以降は就寝中の停車駅と発着時刻・・・一ノ関(4:33-35)・水沢(4:55-55)・北上(5:09-09)・花巻(5:21-21)。目が覚めたのは岩手飯岡駅付近であり、僕が起床した時には既にN君は起きていて仙台駅の運転停車10分間の時に後続の寝台特急はくつる」に抜かれたと報告。盛岡(5:51-6:00)に到着すると唯一の朝食購入駅なので早速3社(村井松月堂、伯養軒、むつ弁)のワゴンを見て回り、530円の"特製折とりめし"を選んだ。価格が価格なので鶏肉のソボロをご飯の上に乗せただけの弁当だと思っていたら盛岡駅を発車早々に二人で弁当を開くと鶏の出汁スープで炊いた炊き込み飯の上にスライスした鶏の照り焼きを乗せておかずにはコロッケ、焼売、鶏肉団子、フルーツ、香の物が付いていた。

 

味付けもあっさりしてて朝に食べるには都合がよくて美味しく平らげて満足したが近年は高い駅弁が、多過ぎて東京駅や上野駅では最低クラスが800円なのは物価の差だけでは無い様な気がしてならない。車窓から岩手山が見えてくると昔ED75牽引の「ゆうづる」を撮影した好摩岩手川口の撮影地を通過すると沼宮内(6:27-27)に到着して奥中山越えとも言われる御堂~奥中山に横たわる十三本木峠へと入る。かつての東北本線の最高地点に当たり、最大23.8‰(パーミル)が連続するこの区間は、蒸気機関車時代の同線では最大の難所であったがED75の登場で電源車込み13両まで牽引できる時代がきた。

 

小繋~小鳥谷の撮影地を車窓から眺めていると一戸(6:57)と二戸(7:03-04)に到着、朝ご飯でお腹が満足すると眠くなってくるのは仕方が無い事だが、昨夜あまり寝ていないN君は特に眠そうだ。金田一温泉駅目時駅の間にある馬淵川を渡ると岩手県から青森県に入ると目時(7:17)に到着した。N君は爆睡中であるがそろそろ明日と明後日に「はくつる」と「八甲田」を撮影する予定の苫米地~北高岩北高岩~八戸を通過するので起そうかと思ったら自分から目覚めてくれたので車窓から簡単にガイドしていると八戸(7:36-36)に到着した。

 

N君は再び船を漕ぎ出して夢空間へと入ってしまったが八戸駅では区間利用者が乗ってきたけど下車客もそれ以上にあったので車内は朝なのに閑散としていた自分も釣られて眠くなったので盛岡駅での駅弁+お茶購入した際に自販機で缶コーヒーも買っているので早速飲もうと缶を開けた音でN君は目を覚ましたので早速今日の予定を詰める。「八甲田」が9:07青森到着したら9時から予約してあるレンタカーを借りる所までは決まっているのだが奥羽線大釈迦鶴ヶ坂鶴ヶ坂津軽新城で「あけぼの」「日本海3号」を写して上りの「日本海2号」と「あけぼの」はその辺で撮影する事に決めた。

 

乗車した優等列車を沿線で風景を入れて撮影する事は100%出来ないのでどうしても効率が悪く、無駄な時間が増えてしまうのが難点だが今回は臨時「八甲田」最後の乗車になる公算が強いため、敢えて「八甲田」に乗車した。三沢(7:57-57)を発車すると車窓右側に小川原湖が見え始めて来ると野辺地はもうすぐで鉄道防雪林が、見えて来ると大湊線乗り換え駅でもある野辺地(8:22-22)である。1997年5月6日で運転休止になって1年が経過した、南部縦貫鉄道のホームを見ながら野辺地を発車すると1986年11月に新たに駅が新設された小湊(8:38)に到着。

 

そして車窓に陸奥湾が見えてくると海沿いに温泉ホテルや温泉旅館が立ち並ぶ温泉街に隣接した浅虫温泉(8:48-48)を発車すると陸奥湾の海岸沿いに列車は走り、青森駅へラストスパートを駆けると終着青森駅はあと僅かだ。東青森駅を通過ると青森信号場、青森運転所・東派出、JR貨物青森機関区線路が見えてると滝内信号場へ行く線路と分かれて9:07、定刻で青森駅に到着した。そういえば仕事での出張を除けば青森駅で降りるのは初めてかも知れない。

 

14系客車はこのまま臨時快速「海峡83号」(8143レ)に変わるのだが、レンタカーの予約時刻を過ぎているため(予約時に8~9分くらい遅れる事は伝えである)、急いで改札を出た駅レンタカーへ急ぐ。各種の手続きを終えてから、限定車予約したマツダデミオに乗り込んで出発。国道7号線を進み、途中から道道247号線にシフトして鶴ヶ坂津軽新城間の撮影地近くに車を停めて撮影地まで機材を担いで三脚と立てて「あけぼの」を撮影すると今度は大釈迦鶴ヶ坂の撮影地へ行く予定が時間的に間に合いそうなので国道7号線をさらに進み、浪岡~北常盤で「日本海3号」を狙った。

 

N君のために川部~津軽新城間の撮影地を回りながら撮影ポイントを紹介してお昼も済ましてから午後の上り寝台特急を撮影に大釈迦鶴ヶ坂にて85㎜望遠レンズでややサイド気味に「日本海2号」を撮影して81分後に来る「あけぼの」は当初の予定では鶴ヶ坂津軽新城で撮影する都合だったけど何とか光線が回りそうだったので同じ撮影地にて今度は200㎜望遠レンズでやや正面気味に狙ったらエロイ光線にギラギラ輝いて無事に撮影した。明日は朝から苫米地-北高岩で「はくつる」「八甲田」を撮影するために八戸市へ向かった。

       ★★★★★Memories of the night train★★★★★

寝台特急 出雲2号(B1) 

1998年6月30日(火曜日)、 梅雨の雨が鬱陶しい松江駅寝台特急「出雲2号」の入線を待っていた。松江出張の帰りなのだが、出雲空港からの最終便18:45発のJAS278便は松江温泉初の空港連絡バスは99~109分前打ち切り、JRで出雲市駅まで移動して電鉄出雲市駅からの空港連絡バスは70~100分前で打ち切られるので危ない橋は渡れずに「出雲2号」にした。指定券を求めると何とシングルツインが1部屋あいているのだが会社では二段式B寝台の料金しか出してくれないけど来月早々には「出雲3・2号」は廃止になって「サンライズ出雲」になるため、即決で発見してもらい乗車券も同時購入。

 

時間があれば近くの蕎麦屋で出雲蕎麦でも賞味してみたかったけどそれも許されずに夕飯の駅弁を買ってホームに入る。3号車乗車口で待機していると出雲鉄道部・出雲運転区所属のDD51-1134に牽引されて17:29に入線した。早速3号車のオハネ14-303に乗り込み11番の部屋に荷物を置いて11分停車を利用して冷えた缶ビールを買いに行き事前に購入しておいた珍味で乾杯した。上り特急「くにびき11号」と特急「スーパーやくも17号」の退避も終って松江駅を17:40に発車するとすぐに車掌がやってきて見た様な車掌さんだ。今年のゴールデンウィーク山陰旅行の際に乗車した出雲の車掌らしい。

 

「家族旅行でもお仕事でも使ってくれてありがとうございます」と言われてしまったがきっぷのチェックが終ると個室カードキーをくれた。今回のシングルツインは日本海側ではない個室だけどどうせ雨天で夕日も落陽も見えないから今日は関係ない。安来(18:01-01)を発車するとこれが最後の寝台特急「出雲」乗車になるのでしみじみと雨粒が、窓に流れる様子を眺めていると不思議な気持ちになる。来月の7月10日にサンライズ出雲・瀬戸が開業すると寝台特急「出雲3・2号」と「瀬戸」は廃止。残る「出雲1・4号」も出雲市~浜田間を廃止するので東京発着ブルートレインがまたつまらなくなってしまう。

 

米子(18:11-13)を発車すると到底この天気では秀峰・大山が見える筈もなく、少し早いけど夕飯にしよう。松江駅の駅弁売場で買ったのは100㏄入りの清酒が2銘柄付いて更に松江名物や宍道湖名物のおかず「酒の肴」(あまさぎの甘露煮、モロゲエビ天ぷら、ずわいがにヤマトシジミ、中海の赤貝、アゴ野焼き、鰻蒲焼他)におにぎりが入った左党派には最高の「ごきげん弁当」という日本酒付き駅弁。最初は甘口の「國暉」飲んで次に辛口の「湖上の鶴」を飲んだがやはり個人的に日本酒は辛口が好きだ。この駅弁は予約制になってる筈だが予約のキャンセルか多目に作っての販売なのだろうか?。

 

大山は雲に隠れたまま日没前に暗くなって倉吉(18:59-19:00)を発車すると景色も見えないので出張先での会議打ち合せの内容を纏めて議事録の骨子を作成したり報告書の下書きを書いていると列車は鳥取(19:39-44)に到着した。5分停車なので気分転換にホームに降りて先頭のDD51-1134を見に行くと煤で汚れててそれぞDD51の姿だとニンマリするが機関車に付いてる出雲のヘッドマークもボロボロで白い雲の部分も汚れて名称のローマ字も不鮮明な部分があるけど年季の入ってるマークなのだろう。5分停車も終るので自分は車内に戻って歩いて3号車の個室に到着する前に鳥取駅を定刻で離れた。

 

短かかったけどホームを歩いての機関車見物はいい気分転換になり、残りの仕事の続きを初めると何とか纏め上げて職場に戻ったらPCに入力してすぐに提出出来そうだ。一仕事終わると揺れる車内での筆記が疲れたのか、急に眠くなって浜坂(20:19-19)発車早々に部屋の照明を落として休む事にする。以降は就寝中の停車駅と時刻・・・香住(20:39-40)・城崎(21:04-05)・豊岡(12:15-17)・福知山(22:17-18)・綾部(22:30-31)・京都(23:49-57)・米原*(0:44-46)・名古屋*(1:47-49)・浜松*(3:05-07)・沼津(4:41-42)・「*は運転停車」。昨夜は21時前に寝てしまったようなのでよく寝たけど目が覚めたのは丹那トンネル内だった。

 

そういえば京都駅で牽引機がDD51からEF65PFに代わっている筈で浴衣のまま先頭の8号車へ行くと田端運転所のEF65-1053号機でパンタグラフが菱形のPS17搭載する最後の第5次車なのだが東京口のEF65PF牽引寝台特急にはめったに運用に入らない機関車で後々これが最後の寝台特急牽引の花道だったと知るのは後の事である。熱海(4:59-5:00)を発車すると我が個室を寝台から座席に変えて幸い個室から太平洋が拝めるので楽しみだ。梅雨の中休みか、晴れているので湯河原から早川までの海岸線を個室の窓から眺める事が出来るのは実にラッキーな事。

 

因みに東京発着ブルートレインのB個室から太平洋が眺められるのは「出雲3・2号」のシングルツインの一部(11,12,13番)のみである。白糸川橋梁そして玉川橋梁など東海道線京口の名所を通り、小田原駅を通過した時に出雲市駅近くのコンビニで翌朝の朝食のサンドイッチを買った事に気が付いて車内の自販機で飲み物を購入して流し込むと東京到着ちょうど1時間前の二ノ宮駅を通過するところだった。馬入川(相模川)橋梁を渡り、湘南モノレールの高架橋が近付くと大船駅を一瞬に通過していよいよ横浜市に入ると戸塚~横浜間の清水谷戸隧道を出ると横浜(6:02-03)に到着した。

 

次の停車駅は終着の東京駅なので下車準備をして最後の「出雲2号」シングルツインからの車窓と列車の雰囲気を楽しむ。多摩川を渡り、品川駅を通過すると定刻6:27に東京駅10番線ホームに無事到着した。京浜東北線北行電車に乗り田端の我が家へ帰宅すると既にお風呂が沸いており、ざぶんと一浴びして夜汽車の疲れを落とす。下着各種とワイシャツを取り替えてネクタイも別なのにして家内が握ったお握りをお茶で流し込んでから自分は出勤したのである。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

北斗星開業10周年を迎えて

このブログタイトルを見て「北斗星」なんて今から7年前の2015年には廃止になってるだろうと訝しんでる貴兄が多いと思う。確かに「北斗星」は2015年3月で廃止になったし、その後の臨時「北斗星」も2015年8月に完全廃止になっているが私のブログのメインコンテンツである"想い出夜行列車レポート"が現在1998年6月上旬をトレースしていたので開業10周年という訳なのである。そんな訳でタイトルで初めてこのブログまで来られた皆さんには誤解を生じる記事タイトルで申し分けない。

 

寝台特急北斗星」は1988年3月13日から運行を始めた訳であるが、当初私は「北斗星」の開業より同じ日に最後の航行となった青函連絡船廃止のショックが大きくて北斗星の開業は素直に喜べなかった。あれから10年の月日が流れて北斗星が27年間で廃止になるとは夢にも思わなかった。私の「北斗星」初乗車は1988年3月18日の「北斗星5号」で北斗星開業後最初の金曜日の晩でしたが、詳しくは弊ブログを読んでみてください(「寝台特急 北斗星5号(SA1)初乗車」でブログ記事検索やGoogle or yahooネット検索するとヒットします)。

 

では1988年3月18日から1998年6月5日(先週のブログで記事UP済)までに乗った北斗星の乗車回数をまとめてみましょう。1号「9回乗車」、2号「15回乗車」、3号「2回乗車」、4号「5回乗車」、6号「0回乗車」、その他「4回乗車」。合計41回乗車してその他は夢空間北斗星北斗星トマムスキー。下りでは一番多い1号だけどソロが3両に増えてからでそれ以前は仕事帰りに乗れる5号が多かったです。3号は仕事後に間に合わないのにソロ個室も少なく、下りでは一番少ない。上りではダントツ1位が2号、2位は4号で何と6号は0回(現時点では乗車してない)。

 

6号の乗車回数が0回なのは上野到着が11:12で昼近いのが原因で他意はないのであるが、札幌在住で仕事帰りでも間に合う人にはベストなダイヤだと思う。大雑把に10年間で乗車回数が、41回が多いのか少ないのかは分からないけど多い時は年間6回乗車が最高で少ない年は2回とバラツキが多いけど特に急行「八甲田」と「津軽」が、廃止(臨時へ格下げ)になる年はそちらへの乗車が多くて北斗星への乗車回数が少なかったのが原因。長年色んな寝台特急ブルートレインに乗ったけど「北斗星」ほど夢中になる寝台列車は無かった。

 

個室の種類が多くて個室が多く、食堂車が連結しているのが理由だけど実は会社毎に個室のデザインや装置・意匠が違い、更に登場年度ごとに個室の内装が違うので飽きないのである。1990年以降はロイヤルだけで5タイプあり、ソロも5種類あってグランシャリオディナーメニューも1994年か1995年くらいまではほぼ毎年メニュー更新があって最初の頃(1988年~1990年)は4種類のディナーが用意されてて乗る楽しみも多くて毎回楽しみであった。勿論ロビーカーやロビー室が連結されて車内での語らいも多く、出会いもあって従来の寝台列車とは一線を画す魅力が多かった列車でもある。

 

一番強烈な印象だったのは1988年3月18日に乗った北斗星5号(北斗星初乗車)の3号車2番(オロハネ25-501)のロイヤルで横幅160㎝の大きな窓に向いた邪魔にならない位置取り付けた白いランプシェード付きのテーブル。幅90㎝のベッドメイク済みのふかふかシングルベッドにデオドラオザー下のカーテンを開くと通路側の車窓まで眺める窓があってこれは凄い個室だと嬉しくなったが翌年までにJR北海道のロイヤルと共通化を図るべく、80㎝のベッドに補助ベッドを格納改造して個室レイアウトもJR北海道ロイヤルと同等になって興醒めした。

 

1988年3月の帰路に乗った「北斗星2号」のロイヤルは初めてだから乗ったものの、期待度は低かったけど東日本車ロイヤルに比べると窓が小さい(横幅118㎝)、ベッドも10cm狭くて一人用椅子も東日本車ロイヤルに比べると小ぶりであったが窓の横幅が42㎝も小さいのは車窓を楽しみにしている鉄道ファンからすれば問題だ。それほどにJR東日本の初期ロイヤル(1988年度限定)のインパクトは多かったが、両者(両社)の初期ロイヤルには欠点があった。オーディオスイッチと目覚まし時計などがモニターTVの下にあるのでベッドに横になると操作が出来ないし時計も遠くてベッドからだと確認できない点。

 

1989年に登場した北斗星5号・6号と北斗星3号or4号のJR東日本編成に投入されたオロハネ24-551 552 553 554とオロハネ24-501もJR北海道式のロイヤルで少しガッカリしたけど1990年に登場した北斗星1号・2号のSA1/B1の増備車でもあるオロハネ25-556 557 558は姿見鏡に摩周湖をデザインしてロイヤルの窓も少しだけ大きくなり、ステラリウムという装備も付いて若い二人連れの利用者には喜ばれそうだと気をよくした。新造車は上に書いたAVスイッチと時計など全てのスイッチ類をベッドに横になってても手が届く位置に改善はされている。

 

北斗星が世に出てから10年間はあっという間だったけどオールハネだった6003レ・6004レに個室や食堂車が連結されて5・6レや1・2レにSA1/B2(5・6レ)やSA1/B1(1・2レ)が連結され、個室が増えてJR東日本・尾久客車のスシ24がリニューアルされて両側4人テーブルが片側だけ2人用テーブルになって椅子も変更。更に尾久客車のスシ24では初となるテーブルにステンドガラス(透明)風のランプシェードが設置された。JR北海道編成の1・2レはオールソロやオールデュエットが増えて1号車と11号車のオハネフ25がBコンパートになると1997年に1・2レのオール個室が完成した。

 

簡単に北斗星の10年間を振り返ったけど他にも書きたい事や伝えたい事はあるけど長くなるのでトラブルも少なくなかった。北斗星開業3日目には6レが青函隧道内で牽引機のED79が電位差で過電流が働きトンネル内送電が停止。1994年6月には白河駅構内の貨物列車脱線事故で下りの全北斗星が、常磐線迂回。同年9月には東北地方の集中豪雨で東北線が抑止、そのため、北斗星1~5号は奥羽・羽越・信越上越高崎線経由で6号は盛岡打ち切り。色々あったけど自分的には原色だった空知運転区のDD51が、青い塗装になったのはショックを隠せなかった。

 

赤いDD51に青いマークが映えてこそだと思うのに青い色になって利尻、大雪、まりものマークも映えなくなってしまった。それに牽引機が客車と同じ色ってもヤラセ臭くて個人的には鉄道写真の分野ではヤラセとかネタとか嫌いなので最後まで専用機は好きになれなかった。自分の人生を変えた北斗星北斗星という列車を基に多くの友達が増えて知り合えた事は何よりもよかった事でもある。

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寝台特急 北斗星2号(B1)

1998年6月5日(金曜日)、千歳市内での出張を終えて南千歳駅寝台特急北斗星2号」を待っていた。札幌駅まで戻ってから「北斗星2号」に乗る時間はあったのだけど南千歳~札幌間往復運賃が1620円なのでグランシャリオの朝めし代に回して特急寝台個室券は札幌駅から買っておいたが予定通り南千歳駅から乗る事にした。夕飯の駅弁と冷えた缶ビールを買って北斗星の5号車乗車口に並んでいると千歳駅方面からライトをギンギンに輝かせた「北斗星2号」が函館運転所のDD51重連総括(1141+1093)「A106+A102」に牽引されて17:47に入線。

 

扉が開くと5号車のオハネ25-551に乗り込み指定された4番個室に乗り込むと1階の個室でラッキーだったが、南千歳を17:48に発車した。すぐに札幌車掌所の車掌がやってきて寝台個室券と往復きっぷの復路を呈示して自由な時間となる。買った缶ビールとツマミのソフト鮭トバを出して早速飲み始める。沼ノ端~植苗の撮影地で有名な大カーブや陸橋アングルを通過するとやがて苫小牧(18:08-09に到着した。流石に金曜日の週休二日制に於ける連休前夜だけあって9号車にも何名かが乗り込んで発車した。もう1本のサッポロクラシックを空けて南千歳駅で購入した日高路という寿司の駅弁を肴にする。

 

前にも書いていると思うが日高路は生を酢でしめたシシャモの押し寿司とハモを蒲焼風に焼いた押し寿司のセットで600円。昨年の苫小牧出張の帰りに翌日土曜日で北斗星に乗車した際にも購入してるお気に入りの駅弁だがビールのおつまみに美味しく頂きました。かなり太陽も低くなり、列車は登別(18:40-41)を発車すると富浦界隈の海岸線沿いを走って鷲別機関区に停めてあるDD51やDF50を眺めながら東室蘭(18:55-57)に到着。今日に日没時刻は19:09なので黄金~稀府のカーブ区間でちょうど落陽を拝めるかなと期待しているといい具合に太陽が海に没してベストタイミングだった。

 

北舟岡駅を通過した頃にはまだ周囲は明るかったけど伊達紋別(19:17-17)を到着した時には少しずつ暗くなったけどまだ外の景色は見れる状態である。しかし洞爺(19:29-30)を発車した時点で闇の世界が近付き、豊浦~大岸~礼文の海岸線沿いは陸と海の差が判別できないくらいに黒い夜になったけど夜行列車らしくてこれはこれで味わいがある。秘境駅(1998年当時は秘境駅という言葉はなく、一部の鉄道ファンからは超辺鄙駅と呼ばれていた)の小幌駅を一瞬に通過し、長万部(20:01-01)に到着。トイレの帰りに車内販売と遭遇したので缶ビールを購入。

 

南千歳駅で購入したサーモン寿司(スモークサーモンの押寿し)を肴に3本目となるサッポロクラシックを飲んでいると北海道にいる幸せを感じながら美味しく完食すると列車は八雲(20:25-25)に到着して外は見えないけど落部野田生辺りを走ってるようだ。S字カーブ続きの線形に短い橋梁(野田生川と落部川)を渡り、駅を通過するとすぐに国道5号線沿いのセイコーマートセブンイレブンで確認後に森(20:53-53)に到着。砂原線の線路と分かれると姫川駅の先まで急勾配と急カーブ連続で先頭のDD51重連はフルスロットルで力行しているのだろうが流石に音までは聞こえない。

 

駒ヶ岳越えを終ると夜で見えない大沼の湖畔沿いを走り、大沼公園駅を通過して大沼駅も一瞬に掠めるように通過。1978年くらいに大沼から大沼公園まで行くのにちょうど普通列車がない時間帯で1km離れただけなので犬走りを歩いてたら突然下り貨物が来て驚いた事があるけどこの区間を走ると当時の思い出が蘇る。仁山駅の先で函館の街夜景が望めるポイントでは100万ドルの夜景と遠くの沖合いで操業するイカ釣り船の灯りが、見えてやっぱり夜行列車の旅はいいな~っと心の隙間が埋まったようでもあった。五稜郭駅の手前で江差線と合流すると函館(21:40-46)に到着。

 

ホームのよつば乳業自販機で紙パック牛乳を買ってED79を見に行くと青函運転区の14号機「A102仕業」が、連結されてる姿を確認するとED79側面に「ドラえもん海底列車」のキャラクターイラストが描かれていた。これは青函トンネル開業10周年記念のイベントだと記憶しているが快速「海峡」のED79限定運用の筈だけど繁忙期の変臨運用時期でもないのに思案しながら5号車の個室に戻って牛乳を飲んでいると函館駅を発車。江差線に入り、七重浜から木古内まで最高速度が75km/hまで落ちるが、渡島当別駅を通過すると札幌駅を発車してちょうど5時間が経過した。

 

少し早いが寝てしまおう・・・以降は就寝中の停車駅と時刻「*は運転停車」。泉沢*(22:20-21)・蟹田*(23:38-40)・青森(0:05-13)・盛岡*(2:38-40)・仙台(4:49-51)・福島(5:50-52)。目が覚めたら福島駅に停車中ですぐに発車したけど今朝も6時半からの1番飯の和朝食狙いで起床して歯磨きや洗面を終らせてロビー室の7号車よりで待機する。今朝は2番目だったけどattendantに呼ばれて席について和朝食と食後の珈琲も注文すると郡山(6:31-33)を発車した。熱々の緑茶を飲みながらほっこり待つと和朝食が運ばれて来た。今朝は和朝食がすぐに売り切れたのでSA1やA2へのルームサービスもあるのかも知れない。

 

流石に2日連続の和朝食Grand Chariotだと感動は薄いけど本日も美味しく頂いて別会計の珈琲も飲み終わって会計を済ませて5号車に戻るが1号車の一番前に移動して展望可能な窓から牽引機を確認すると田端運転所のEF81-78で78が牽引する「北斗星」久々に見た。どうも78号機は安中貨物や常磐貨物など貨物を牽くシーンが多いイメージなのだが私の思い込みであろうか?。交流(20kV「50Hz」)から直流(1.5kV)へのデットセクションがある黒磯駅を7:18に通過すると黒磯駅西部直流機留置線にSuper Express Rainbow色に変わったEF65-1118が停まっていたが実車を見たのは始めてである。

 

色ガマには興味はないけどEF65-1019に比べてイマイチだな~と思ったのが実感でパンタがPS22B、ナンバープレートをステンレスエッチング加工や通風孔の廃止など撮り鉄からすると機関車の魅力が欠けたのは事実だ。宝積寺~氏家、蒲須坂~片岡、片岡~矢板などの上り「北斗星」の撮影地が多い界隈を通過すると列車は宇都宮(7:56-58)に到着するといよいよ首都圏内に突入。先頭のEF81は最後の乗務員交代が終わって水田が美しい栃木県と埼玉県を走り、大宮(8:54-56)に到着した。

 

次は終着駅上野駅なので下車準備をするが今回は家族へのお土産が多くて銘菓だけでも「雪鶴」「サーモンサブレ」他で手提げ袋がパンパンである。荒川橋梁を渡って埼玉県川口市から東京都北区へ入り、いよいよ終着駅の上野駅が近付いてきた。長かった16時間の旅も終わりであるがやはり早く自宅へ急ぎたい気持ちと心残りな気持ちがちょうど50%ずつで北斗星に乗り始めて10年経過してるのにこんな気持ちになるなんて不思議だ。尾久駅と井堀信号場の横を通過すると所定時刻どおりの9:21に上野駅14番線ホームへ滑り込んだ。流石に東京の6月は蒸し暑く現実に引き戻された感じがした。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

寝台特急 北斗星3号(B1)

4月くらいから北海道千歳市出張が決まっていたが、千歳空港から離れている場所ではないし、羽田6:50発のANA53便に乗れば千歳空港8:20到着なのでこの時点では「北斗星」を使うなんて考えは全く無かった。4月中旬に課長と会議後の打ち合わせを2人でしていたら課長曰く「偶には北斗星に乗りたいだろ?飛行機より費用が安いならいいよ」的な話を振ってきたので完全に読まれているなと思いながらよっしゃ、6月の千歳出張は6003列車に決定だ・・・翌日は土曜日なので2列車だとちょうどいい。早速JR北海道プラザ東京に速攻電話して早期にソロ個室を10時打ちOK、という夢の様な出張になったのです。

 

1998年6月4日(木曜日)、 上野駅13番線で寝台特急北斗星3」号の入線を待っていた。出張で下りの北斗星に乗るのは今回初めてだがまさか上司の方から話を振ってくるとは思わなかったけど計算すると北斗星で南千歳までだと23,200円、片や飛行機だと料金に浜松町までのJRと東京モノレール運賃を合わせると25,620円で差額は2,420円でこの差は大きい。意気揚々と9号車乗車口で待っていると17:05に回送6003列車が推進運転で入線すると今夜の北斗星3号は尾久客車区持ちで9号車はオロハネ24-501である。扉が開くと早速乗車して5番ソロに荷物を入れて財布に入ってた出雲用のカードキーで施錠。

 

牽引機を確認すると田端運転所のA5仕業はEF81-99だったが、確認後は売店で冷えた缶ビールを購入して個室に戻ると出張なのに何故かウキウキする。1998年は出張で既に「瀬戸」「はくつる」「あさかぜ」に乗車して楽しんでるけど「北斗星」は高揚感も一線を画して楽しい気分になるのは観光列車であるのが原因なのであろう(自分は仕事で乗ってるけど楽しめるのは鉄のサガだから)。上野駅を17:18に発車すると買っておいた枝豆で缶ビールを飲み始める。荒川を渡った頃に青森運輸区の車掌が登場して往復乗車券の行き券と寝台個室券を見せて個室カードキーを受け取った。

 

大宮(17:42-43)に到着した時には購入した缶ビール2本も飲み終えて買いに行こうかと個室を出たら車内販売が来たので早速サッポロクラシックビールを購入して夕飯にはまだ早いけどチキン弁当を肴に飲む。6月の日が長い時期で梅雨になる前なので日没時刻が、氏家駅付近のため、明るい時間帯の走行ゆえ、車窓が楽しめるのが有り難い。そういえば下り「北斗星」は1号と5号ばかり利用しており、北斗星3号の利用は本当に久々で1990年以来なんと8年ぶりとなる。ソロ個室に限って言えば3号・4号が個室定員が少なく、個室の多さを考えると1号を利用するし、仕事帰りに乗るなら5号しかないのだ。

 

さっきの青森運輸区の車掌が来た時に色々聞いてみたのだが、今夜の「北斗星3号」はツインデラックスには4室空きがあり、B寝台も空があるけど団体が2組入ってて2組とも早朝の函館下車との事。最近新聞を見ても阪急交通社や近畿日本ツーリストのツアーでも行きは北斗星、帰路は飛行機利用で北斗星利用をアピールした新聞広告も増えてる。北斗星も開業して10周年を迎えてるのでそろそろ北斗星人気や青函トンネル人気も下火なのだろうと思う。車掌曰く閑散期の翌日が平日になる日もロイヤル個室がノンゲストの日もあるらしく利用者離れが心配である。

 

列車は快調に東北本線を走り、宇都宮(18:41-43)に到着するが、ここで田端運転所の乗務員から福島運輸区(旧郡山運輸区)の乗務員に交代するがこの先控えてる黒磯駅構内のデッドセクションでのDC1.5kVからAC20kVへの走行車上切換があるため、乗務員は緊張する区間でもあると聞いた事がある。宇都宮駅を所定で発車すると太陽が低くなり、黄昏タイムになってきたが本日の日没時刻は18:55なのでもうじきだ。流石に5月ともなれば日光連山は全く見えずにそのまま暗闇が訪れて黒磯駅を通過(19:19)した頃には夜の静寂が忍び寄って周囲は真っ暗に変わっていた。

 

豊原~白坂で栃木県と福島県の県境にもなってる黒川橋梁を通過していよいよ南東北福島県白河市に入る。暇になったので車内を軽く巡回してみると10号車のSA1/B2がオロハネ25-554、8号車のA2がオロネ24-501、7号車の食堂車がスシ24-507、6号車のロビーカーが、オハ25-504であった(B寝台に限っては60%程度しか乗ってない様だ)。本当はこのブログの記事UP時点では北斗星開業10周年になったこの記事で「北斗星」の事を色々書きたかったけど長くなりそうなので単独記事として翌々週の月曜日に特集としてUPする予定です。

 

やがて郡山(20:04-06)を発車すると退屈したので6号車のロビーカーへ行くがグランシャリオの中を通るとディナー2回目が始まって約40分しか経過してないのにゲストは3名のみ(全員和食懐石膳)で幾ら平日木曜日の晩だからといってこれは少なすぎる?。6月は北海道観光にとって繁忙期ではないけど観光シーズンなのだが団体80名あまりの乗車が関係しているのだろうか?自分は下り北斗星に乗るのは休日前日が殆どなのだがかくいう自分も最後に北斗星のディナータイムを利用したのが1994年か1995年なので偉そうな事は言えないけど北斗星人気が落ち着いたのは確かなのかも知れない。

 

ロビーカーも空いており、一番グランシャリオ側の席(公衆電話側)が空いていたので座るとちょうど福島(20:42-44)に入線するところだった。2回目のディナータイムはゲスト3名、全て和食懐石膳だったので早めに終ったのだろうか21時を少し回った頃にグランシャリオのアテンダントから呼ばれて2人用のテーブルに付いて早速瓶ビールとソーセージ盛り合せを注文。前にどこかに書いてるけどJR東日本のステンドグラス風のランプシェードは相変らず眩しいけど調光式だとよいのだが。喉の渇きは収まったのでウィスキーに切替えてピザをオーダー、やっぱり北斗星のパブタイムは寛げるから嬉しい。

 

列車は仙台(21:42-44)を発車して岩切駅を通過したくらいに会計を済まして個室に戻るが久々のパブタイムに満足。早々にベッドへ入ったけど以下は就寝中の停車駅と時刻、盛岡*(23:54-56)・青森*(2:24-31)・新油川信号場*(2:38-39)・函館(4:52-58)・森(5:44-44)「*は運転停車」。目が覚めたら石倉~落部(時刻にして05:57頃)の噴火湾沿いを走っており、急いで洗面&歯磨きetcを終わらせて着替えてからロビーカーの順番待ち席に座り、Grande ChariotのMorning timeを待つ。先客1名は同じスーツ姿で朝の挨拶をしてから待つと先客氏はよく見ると北斗星のネクタイピンをしていたので鉄道ファンか?。

 

お互いに私服ならプライベートな旅なので声をかけたりするかも知れないけど仕事が絡む旅だと思うので自分も敢えて聞かなかった。八雲(6:10-10)に停車しながら待つと6:30少し前に食堂車スタッフから呼ばれてパブタイムの時と同じ席に座り、和朝食と食後に別会計のコーヒーを注文。長万部(6:35-35)を発車して熱いお茶を飲みながら待つとすぐに運ばれて来たので味噌汁を一口啜ってご飯を食べるといつもの安定の美味さ。おかずもいつもの美味さで腹ペコの胃に収まると食後のコーヒーを飲みながらJR東日本のスシ24は夜より朝の方が向いているように思える。

 

逆にJR北海道のスシ24は夜向きで朝にはやや重たい感じがすると睨んだのであるが朝だとステンドグラス風のランプシェードは眩しくないし、個人的な好みの一言で終らせておこう。朝の混雑する時間帯ゆえ会計を済ませて個室へ戻る事にした。そういえば今回はED79(A111)とDD51重連総括(A103「前ソ」+A107「次ソ」)の機関車番号は確認してないけど先頭には電源車が連結してるので青森~函館間以外では無理なので諦める事にしよう。個室に戻ると礼文~大岸~豊浦の海岸線沿いを走り、洞爺(7:06-06)を発車すると下りの寝台特急撮影地で有名な北入江信号場~有珠のS字カーブを通過。

 

伊達紋別(7:18-19)を発車すると噴火湾が近付き、北海道では一番海に近い駅として知られる北舟岡(7:22)を一瞬に通過して後ろに去る噴火湾を眺めていたら対岸にうっすらと渡島地方のランドマークでもある秀峰駒ヶ岳が見えた。陣屋町本輪西駅では建設中の白鳥大橋が近くに見えて来たが完成すれば道内で一番高い橋になるため何回見ても迫力がある。因みに陣屋町駅はJR貨物の貨物駅だが、JR北海道の2分目ダイヤグラム北斗星の動力車乗務員運転時刻表にも時刻が掲載されてるため、使用したけど旅客会社の駅間では崎守~本輪西間になる。

 

室蘭や母恋から来る室蘭本線・支線の線路と交わると五稜郭から長々と続いた非電化区間も終って電化区間となる東室蘭(7:37-39)に到着。二分停車なのでホームに降りて気温を確認すると東京に比べて涼しく爽やかだけど昼間はもう少し気温が上がりそうな予感だけど流石に北海道、湿度が少ないのがいい。そうえば今朝グランシャリオの朝食待ちの際にお見かけした北斗星のタイピンでネクタイを止めていた人が東室蘭で下車した。モバイルノートPCが入るようなハードケース(アタッシュケース風)にサラリーマンがよく使う鞄を持っていたのでこのまま勤務先まで直行なのかな?。

 

自分もブルートレインで寝て勤務先直行は何回もあるけど例え車内で完全熟睡したとしても独特の時間差といきなり現実の世界(社会)へ叩き込まれるのはいい気持ちはしない・・・北斗星タイピン氏に幸あれ。北斗星3号は電化区間に入ると車窓からの見どころは幌別駅先から登別駅手間の海沿いと白老~社台の社台ファーム(競走場の牧場)と樽前山くらいしかないが、出張先で使うプレゼンテーション企画資料を見直していると登別(7:53-54)に到着した。車内販売で買ったホットコーヒーを飲みながら夜行列車の中で仕事をするなんて個人的・趣味的には邪道なのだろうけど。

 

邪道でも不謹慎だろうが、ただボケーっと過ごす時間と違って時間の経過は早く、苫小牧(8:23-23)に到着すると次の駅が下車する南千歳駅なので仕事は止めて下車準備をしていると南千歳駅到着の案内放送が流れてきた。実は南千歳駅の改札から出るのは初めてで(旧駅・千歳空港駅ならあり「1992年7月1日から南千歳駅へ改名された」)楽しみではあるけど「北斗星3号」は定時8:44に南千歳駅へ到着してタクシー乗り場から出張先へむかった。

       ★★★★★Memories of the night train★★★★★

寝台特急 あさかぜ(Bネ)

1998年5月13日(水曜日)、  急遽山口県下松市まで出張の破目になり、今からでは羽田空港18:25発の山口宇部空港行き最終便・ANA699便には間に合わない公算が強いため、「あかかぜ」しかないなと新幹線の時刻表ページを捲りながら少し思案して上司から許可をもらって自分の仕事をしながら明日の出張で使う資料のコピーを用意しながらギリギリまで残業して東京駅に向かう。みどりの窓口で禁煙車でマルスの指定席発売プログラムでは一番最後に売る2号車の禁煙車で頼むと余席が大量にあるので中ほどで隣の下段と上段がまだ売れてない編成中ほどの下段を発券してもらう。

 

ついでに夕飯がまだなので駅弁を探すがチキン弁当がない、東北新幹線乗り場近くの売店には何とか残り1個見つけて早々に会計してから東京駅10番線ホームの2号車乗車口に辿り付くと回送7レが18:49に入線するところだった。扉が開いて早速2号車に乗り込むとオハネ25-207で指定された席に鞄を置いて11分間の停車時間を利用して牽引機を確認すると下関地域鉄道部・下関車両センターのEF66-43だった。EF66原色は富士やまだ牽引機会がないけど日本海のマークも似合いそうだ。ホーム売店で缶ビール他を購入して車内に戻れば発車2分前を切っていたのには驚き。

 

仕事としての出張なのにブルートレインに乗るといい歳してついついハイテンションになってしまうのが恥ずかしいけど仕事なのにどうしても自分のペースに持って行きたくなる癖があるのは困りものである(苦笑)。発車早々に缶ビール500mlを空けて車窓に乾杯するが家族や友達との夜行列車旅もいいが、やはり1人で夜行列車を味合うのが最高だとつくづく思う。さっきまで仕事に終われていたのに僅かな時間差でスーツを脱いでワイシャツ姿で今は寝台特急「あさかぜ」の車内で缶ビールを飲んで寛いでるアフターな時間は大好きなんて考えていたら車掌が回って来た。

 

東京駅を19:00に発車して有楽町~浜松町のオフィスビルを眺めながらもう何回も書いてるけど東海道線普通列車の車内で見た風景と違う様に見えるブルートレインは異空間なのだなと自分に納得しながらもう1本の缶ビール(500ml)を飲みながらチキン弁当を食べる事にする。実は東京駅中央コンコース・新幹線口売店で最後の1個だったチキンを弁当を購入した際に実は別に狙っていた人がいてその人はチキン弁当か他の弁当と思案してた時に自分がタッチの差で購入したので買えなかった人はやられた~的な顔をして思わず笑いそうになったが美味しく頂きました。

 

横浜(19:26-27)を発車して左手に当時は日本で一番高かったビルでもあるランドマークタワーが見え、清水谷戸隧道をぐぐると大都会から抜けて住宅地といった感じであるが相変らず2号車は空気輸送だ。それでも5号車と6号車はそこそこ乗っていたし、やはり2号車はマルスの妙技らしいが自分はそれを裏に取って指定券入手している訳なのだが。本日の「あさかぜ」に電源車のカニ24-100番台は連結されていないので1号車は荷物室が付いたオハネフ25-302、4号車はパンタグラフで集電したのち静止波インバーターで適正電圧に変圧する装置が搭載されたラウンジカーのスハ25-301が連結されている。

 

列車は東京駅を発車してちょうど1時間経過した時に茅ヶ崎~平塚間を走行中でまだ1時間経過とは信じられないくらいに「あさかぜ」車内は快適で運転もムラのない滑らかな走行に感謝。小田原駅を通過(19:20)する際に「あさかぜ」より10分早い、18:50に東京駅を発った伊東行き535Mを退避させて抜かす。早川駅を通過すると街並みの灯りが、急に減って玉川橋梁や白糸川橋梁を渡るとカーブの感じや橋梁走行音で分かってしまう自分が怖い。そういえば3~4日前の土曜日と日曜日もこの界隈(早川~真鶴)でAM5時台通過の「出雲2号」から「銀河」「出雲4号」「瀬戸」「あさかぜ」までの写真を撮影していた。

 

熱海(20:38-38)を発車するとJR東海・静岡運転所の運転士が担当する区間だけどどんな運転になるか楽しみである。シャワーを浴びに4号車のラウンジカーへ移動すると1回も使われた事がないカウンターにシャッターが下りてて滑稽。シャワーを浴び終えて自販機で缶入り水割りを購入して寝台に戻って一気に飲み干す(喉が渇いていた)。そういえば下りの「あさかぜ」に乗るのも久々で出張から帰宅後に調べてみると1995年1月10日の何と3年4ヶ月振りである事が分かり、この時も下松の某H製作所笠戸事業所であった。

 

1994年12月3日「あかかぜ1・4号」「みずほ」が消えて今年の夏には「出雲3・2号」と「瀬戸」が事実上の廃止となって残った「出雲1・4号」も出雲市~浜田間が、廃止で東京駅発着の寝台特急群も随分寂しくなってしまうのが、気にかかるけど繁忙期以外のB寝台は利用率も低く、「出雲3・2号」と「瀬戸」が、個室中心の夜行列車になるのは嬉しいと思ってる人は多いみたいだけどやっぱり自分としては青い機関車が青い客車を牽引する夜行列車が最高だと思っているけど風情だけでは利用してくれないのだから致し方ないのだろうか?。なんて考えていたら眠くなったので早いけど寝る事にする。

 

以下は就寝中の停車駅と時刻・・・静岡(21:32-22)・浜松(22:28-29)・名古屋(23:41-46)・米原*(0:44-46)・京都*(1:33-34)・大阪*(2:05-08)・岡山(4:15-17)・福山(5:01-01)・尾道(5:17-17)・糸崎(5:26-26)・三原(5:30-31)「*=運転停車」。目が覚めて車窓を見ると三原駅に停車中で外は夜が空けて太陽が出ているので通路側の椅子に座って車窓を楽しむ。

 

ラウンジカーの自販機で缶コーヒーを購入してモーニングタイムを味わっていると列車は西条駅の街中を通過して八本木駅くらいから山の中に入る。この辺りは瀬野八(セノハチ)とも呼ばれ、瀬野~八本木間を略した読み方だが連続急勾配区間が続き、特に上り線は22.8‰(22.8/1000)の連続急勾配区間であり、専用の補助機関車を連結した区間でもある。瀬野駅を通過して呉線の線路と合流する海田市駅くらいから街が広がって広島(6:36-39)に到着した。3分停車なのでホームの自販機で緑茶500mlペットボトルを購入して車内に戻ると昨日の夜にコンビニで翌日まで賞味期限があるオニギリを朝食用に購入しておいた。

 

お茶を飲みながらオニギリを食べてお腹が満足したところで車窓を眺めると芸備線可部線の線路と分かれて阿品駅から瀬戸内海が見えて来ると宮島口(6:57-58)に到着。玖波駅から海と分かれて列車は岩国(7:16-16)に滑り込んだ。岩国駅で2号車にもヒルネ客が、数名乗ってきたけど感じからして通勤客ではなさそうである。岩徳線の線路と分かれて藤生駅くらいから瀬戸内海が近付いて来ると神代~大鼻の有名撮影地を通過。大島へ渡る大島大橋から海沿いをアウトカーブして西へ向かう寝台特急を俯瞰気味に写す昔から有名な撮影地だけど未だに訪問できていない。

 

寝台特急「あさかぜ」は柳井港駅までは瀬戸内海沿いを走っていたが一旦内陸に進んで柳井(7:41-42)に到着すると自分が下車する光駅まで近いので下車準備をして過ごしていると東海道線にもある同名の島田駅を通過すると定刻7:59に光駅へ到着した。「あさかぜ」を下車して8:25発の広発・小郡行き621Mの115系電車に乗り換えて1区間のみ乗車して下松駅で改札口を出てタクシーで出張先へ向かった。なおJR西日本管内では阪和線にも下松駅があるけどこちらは"しもまつ"と読む。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★