夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

快速 ムーンライトえちご(上り)

1999年1月16日(土曜日)、 昼間は磐越西線DD51-745牽引の上り臨客を撮影し終えた僕とN君は新潟駅まで戻って新潟で晩酌付き夕飯を終えてから新潟20:41発の945Mで村上駅に戻って快速「ムーンライトえちご」(3948M)の2号車に乗るとモハ164-860で上沼垂運転区のM6編成で今夜も三連休対応の6両編成であった。席に座るとN君が買ったばかりのPDAPersonal Digital Assistant」シャープ・パワーザウルスを取り出して本日撮影したデーターを打ち込んでる。スケージュールや連絡先にタスク管理ができる電子手帳というか情報端末でWebブラウザやメールもあり、デジカメ搭載らしい。

 

22:31に村上駅を発車したが何でもシャープ製のPC「Mebius」と互換性があるらしく、撮影データー(撮影年月日・撮影線区・駅区間列車番号・牽引機と客車・使用フィルム・使用カメラと使用レンズで可能ならシャッター速度と露出(F値)も入力したいと言ってるが流石に撮影後は即座に片付けて撤収して次の撮影に急行する追っ掛け撮影では無理だが当時僕は手帳に記入して帰宅後にパソコン入力というアナログ的な手法だった。列車は坂町(22:41-41)・中条(22:48)・新発田(22:58-59)の順に停車して新発田駅から白新線に入ると豊栄(23:09)と停車して新潟(23:22-27)へ入線した。

 

新潟駅からは進行方向を変えて列車番号が3948Mから3720Mに変わり、5分停車を利用してホームの菊水ふなぐち一番しぼりの自販機で黄色いアルミ缶に入った清酒を買ってから列車に戻る。N君から明日は八高線で高尾臨「DD51+12系6」9222レを撮影するので高崎駅か大宮駅で下車するという。既に列車は新潟駅を発車しているが自分も行くので大宮駅から川越線八高線経由で寄居駅からタクシーで行こうと提案する。流石に冬の3:39に到着して待合室のない高崎駅で約2時間待つのはつらい。新潟駅から信越線に入ると列車は鉄道の街として有名な新津(23:40-0:02)へ到着。

 

新津駅のホームでは新津小学校に保存してあったC57-180を復元復活させて4月29日から磐越西線で週末を中心に新津~会津若松~新津で運行する「SLばんえつ物語」のポスターと旗が飾ってあった。寝台特急日本海2号」と高速貨物2082レの先行通過が終ると新津駅を発車して自分達は寝る体制に入る。しかし昨夜の馬下保養センターでは早く寝て爆睡したため、中々寝付かれない。寝れない中、加茂(0:16-16)・東三条(0:22-23)と停車して知らない内に寝てしまった様だ。以降は就寝中の停車駅と時刻、見附(0:34)・長岡(0:43-1:09)・高崎(3:39-40)。

 

目が覚めたのは大宮到着10分前の北本駅近くでN君に起されたみたいだが急いで下車準備をしていると大宮(4:30-30)に到着したので下車するが上りムーンライトえちご(旧ムーンライト含)を大宮駅で降りたのは初めての経験である。川越線八高線を乗り継いで寄居駅へ到着すると駅前からタクシーで寄居~用土の撮影地に直行して高尾臨9222レを撮影して折り返しの9223レは八高線非電化区間では時間的に暗いので撮影しないでそのまま帰宅した。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

快速 ムーンライトえちご(下り)

1999年1月14日(木曜日)、 1999年始まって最初の3連休(1/15~17)前夜であるが僕と同じ会社に努めるN君と新宿駅7番線ホームで村上行きの快速「ムーンライトえちご」の入線を待っていた。およそ1ヶ月前ににはN君と快速「ムーンライトえちご」でK君のマイカーへ便乗してJR北海道731系の甲種輸送羽越線まで撮影に行ったけど今回は盛アオ583系(9B)の団体列車回送が青森から越後石山まで走るのと翌日16日は磐越西線DD51-745牽引のカヌ座を牽引するためで尤もK君が583系の回送如きでは来ないのであり、後者がメインである。

 

1998年12月から1999年1月までに使う青春18きっぷも早くも2冊目(正確には2枚目)の用途となりホームで待機していると22:50に快速「ムーンライトえちご」となる回送電車が入線して扉が開くと5号車のモハ164-823「新カヌM1編成」に乗車した。流石に青春18きっぷが使える3連休前夜は殆どの席が埋まって今夜は早々と指定券が早くから売り切れ状態であった。本日は6両編成の運転だが、快速「ムーンライトえちご」は新宿駅を定刻23:16に発車したので我々も缶ビールで乾杯してK君には携帯電話のショートメールにて新宿駅を定時で発車した旨を連絡しておく。

 

1998年12月のJR北海道731系甲種輸送の際は新津下車だったけど今回は村上までゆっくり寝て行けるのでその分助かるが、今回の583系団臨回送はマークが無表示か回送表示になる公算が強いので接近戦より線路からかなり引いて撮影するサイド写真か俯瞰撮影の風景写真になりだけど雪が降ると風景写真は真っ白の世界になるので難しい。列車は池袋(23:16)と赤羽(23:26)に停車して東京都から埼玉県に入ると大宮(23:40-43)に到着。N君が現地の天気を気にして明日の撮影で使うポジ(リバーサルフィルム)の選択で悩んでいる。

 

まだスマートフォンどころか携帯でWEBサイトを検索さえ出来ない時代だったので現地の天気予報を市外局番+177で聞くしかなく、新潟県下越地方の気象はエリアが広すぎてピンポイントな天気は分からなかった。NTTドコモFOMA登場は2001年からだが大都市圏の一部でしか使えずに同じドコモのiモード携帯でネットが出来るようになったのも2001年から登場の210iシリーズからだった。自分も常用リバーサルフィルムはフジクロームVelviaRVP」を+1補正するかエクタクローム「E100VS」なので現地に到着して1発目を撮影する時に考えようとアドバイスしたと記憶している。

 

曇った時にカラーなんて使っても意味がなく、趣味的な写真なら白黒のトライX(TX400)やT-MAX400(TMY)で充分だけど鉄道雑誌社への投稿はポジを要求(ポジは印刷に向いてるから)されるので自分としては極力ポジでの撮影がしたいのである。話が違う方に脱線したがほぼ満席状態で大宮駅を発車すると列車は高崎線に入り、暫くすると車掌が回って来たので銘々に高崎までの乗車券+青春18きっぷと指定券を呈示するとどこかで見かけた車掌で向こうも自分を見ながらおや?と言いたげである。1998年は快速ムーンライトえちごに9回も乗車しているので不思議じゃないけど。

 

5号車の切符拝見も終ると減光したのでリクライニングを大きく倒して高崎駅では缶ビールが飲めるなんて考えていたらいつの間にか寝てしまったらしいw。以降は就寝中の停車駅と時刻・・・高崎(0:55-1:28)・長岡(4:05-13)・見付(4:24-24)・東三条(4:33-33)・加茂(4:40)・新津(4:53-54)。目が覚めたら新潟(5:06-15)に停車していたのでホームの自販機で微糖缶コーヒーを購入して飲んでいると新潟駅を発車した。新潟を発車すると向きを変えて3921Mとして運転するが外はまだ暗いし、船を漕いで寝てしまう。豊栄(5:25)・新発田(5:35-36)・中条(5:46)は気が付かないままに坂町(5:54-55)に到着。

 

二度目の目覚めは坂町停車中で自分で起きたのかN君に起されたのか定かではないけど終着駅となる村上駅には定刻の6:05に到着した。改札を出るとK君が待っており、車に乗り込んで国道7号線と高速の無料区間で余目付近まで行き、上りの583系回送を追いかけて3回撮影して新津市内(現新潟市秋葉区)にあるJRの某運輸区へ行って明日の磐越西線臨客の詳細時刻を確認するためにB報を確認。その後、五泉市公共の宿でもある「馬下温泉・馬下保養センター」に宿泊(当時素泊まり1泊4000円ちょい)して温泉に入って寛いだ。

 

翌日は磐越西線・非電化区間DD51-745牽引のカヌ座を北五泉五泉猿和田馬下、徳沢~上野尻、山都~喜多方で撮影して終了。K君に喜多方駅まで送ってもらい、喜多方駅からN君と231D・新潟行きに乗って新潟駅方面に戻った。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

快速 ムーンライトながら 

1月2日に東京駅から始発の東海道線普通列車乗り継ぎで新大阪まで来た我々親子2名は新大阪発新宮行きの夜行快速2921Mで翌早朝に新宮駅に到着してそこから紀勢本線で松坂~亀山~名古屋方面へ移動したがそのまま行くと12時前には名古屋駅に付いてしまうので途中のローカル線を乗りつつ、正月期間の大垣駅前商店街では飲食店や飲み屋さえ営業していないと予想していたので名古屋駅前で夕飯を済ませて大垣駅へ向かった。

 

1999年1月3日(日曜日)、 当初は大垣駅から臨時大垣夜行・9372Mに乗る事を考えており、計画書でもそうなったけど12月の某会定例集会で知り合いが1月3日の快速「MLながら372M」が2枚並び席を買ってくれないかと言われたので即座に手帳を出して該当日を確認すると丁度親子旅の期間中で2枚の指定券は乗変済みだが大人2名分の料金を支払い指定券を確認後に無事受け取った。自分は1976年から347M・344Mと呼ばれた大垣夜行に乗って来たけど快速「ムーンライトながら」乗車は生まれて初の乗車になるのでこれは楽しみである。

 

中京エリアの新快速に乗ったり、名古屋グルメを楽しんで僕たち親子は快速「ムーンライトながら」(372M)が入線する少し前に名古屋から大垣駅に到着して372Mの入線を心待ちにしていた。大垣駅の改札を出て翌日の青春18きっぷの捺印を入れてもらいホームに戻るとちょうど373系電車が入線するところだった。一番最後尾となる1号車に乗るとクハ372-3で席は中ほどの6番AB席であったが、完全に特急形車両なので子供は喜んだけど臨時大垣夜行の古びたBOX席に比べればリクライニングするし、足元にはフットレストが装備されて並ばなくても良いのは本当に助かる。

 

乗り込むと車両の窓が大きくて子供はワイドビューだと喜ぶけどワイドビュー383系キハ85系である事を付け加えておく。回転リクライニングシートに座席間隔は970㎜でフットレストもあって上々の設備だけど373系は客室と乗降口を分けるデッキ部の仕切りがないので夏場の冷房が心配だけど冬場は隙間風が寒い165系・167系・169系に比べれば環境はよさそうである。22:52発臨時大垣夜行(9372M)の発車を見送り、大垣を通過する大阪発長野行き・急行「ちくま」(4801M)の勇姿を見送ると快速「ムーンライトながら」(372M)は23:08に大垣駅定刻発車した。

 

僕は快速「ムーンライトながら」と373系電車初乗車を記念して名古屋駅で購入した珍味で清酒ワンカップを傾けるが、子供は始めて乗る快速「ムーンライトながら」と373系に落ち着かない様で車内彼処を探索している。列車は穂積(23:13)・岐阜(23:18-18)・尾張一宮(23:27)と快速運転で停車すると名古屋(23:37-41)に到着したが、本日の指定券が何回も調べたけど満員御礼状態だったのだが名古屋駅を発車してもいい具合にポツポツ空席が目立つのである。この先、豊橋、浜松、静岡で乗って来るとも思えないし、やっぱり隣に誰も来ない様に隣席も買ってしまうニ席厨と言われてる輩の仕業なのだろうか?。

 

指定券・額面が安い「300円・310円・510円」列車の場合だと1ヶ月前の発売だと正確な必要枚数が判らずに多めに購入して余った分は駅の精算所やみどりの窓口に返却して精算すると差額が帰ってくるけど300円や310円の普通「快速」指定席券の場合、返却しても逆に精算料金が高い(高いといってもその分請求される訳はない)ので面倒だから駅へ返却しないでそのままだと席は空いてるのにマルスでは満席というケースが多々ある。しかし一番許せないのは隣に誰も座らせない様に隣席も購入して知らんぷりするセコくて幼稚なやり方でムーンライト系、ふるさとライナー系、ミッドナイトにはこの手が多い。

 

名古屋駅では夜行急行「ちくま」より先に快速「ムーンライトながら」発車したけど明日は品川駅下車だし、初めての373系の寝心地を試したくてリクライニングを深く倒してフットレストの上に足を乗せて目を瞑ると金山(23:44)停車は覚えていたけど前夜の寝不足も手伝ってすぐに就寝したようだ。以降は就寝中の停車駅と時刻・・・大府(23:54-54)・苅谷(23:59)・安城(0:04)・岡崎(0:10)・蒲郡(0:20-20)・豊橋(0:30-36)・浜松(1:01-03)・静岡(1:58-2:00)・富士(2:27-29)・沼津(2:46-56)・熱海(3:12-14)・小田原(3:31-33)・大船(4:02)くらいまで爆睡していたようだが横浜(4:16-16)到着で目が覚めた。

 

窓際の子供は完全熟睡しているようで中々起きないけど起していると川崎(4:24)到着くらいにやっと起きて次が品川駅で乗換がある旨を伝える。無理せず東京まで行き折り返しの323Mで富士駅まで行くと始発駅から終点まで乗り換えなしで乗れる直通列車が暫くないため、品川駅に付いたら1分の接続で321Mに乗る原案は子供が作成したのだが本人は眠くて忘れているようだ。品川駅に接近してるので子供と扉前で待機していると品川(4:23)に到着。急いで階段を走って渡り東海道線下り電車が出る7番線ホームに降りると沼津行き321Mに間に合いBOXで親子にて沼津まで寝て行く。

 

沼津から735Mに乗り換えて富士7:41発の625M(身延線)で甲府まで身延線の走破に付き合うが富士駅仕入れた駅弁「駿河ちらし」「牛肉弁当」に飲み物各種と酒類も入手して身延線3時間半の旅にチャレンジした。甲府からは普通に中央線の普通電車に乗って年始早々の親子旅は終了した。

 

なお本文中に子供がワイドビューと喜んでいるのにワイドビュー383系キハ85系だと制した記述があるけど後に子供から373系ワイドビューだと時刻表を見せられると確かに"ワイドビュー東海"や"ワイドビュー富士川"と書いてあった。国鉄型でない電車は興味ないもんなー(苦笑)。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★

紀勢線快速 2921M

1999年1月2日(土曜日)、 日本国内では唯一で毎日運転のオール自由席車・夜行快速となった、かつては「南紀」「はやたま」「921レ・924レ」とも呼ばれた伝統の紀州夜行だけど1999年10月ダイヤ改正で2921Mは廃止か臨時格下げする噂話?も一部から持ち上がっていた。2921Mは1997年3月に乗車しているけどはやり最後にもう1回乗っておかないと後悔すると思い、当初は正月明けの1月3連休(1/15~17)を考えていたけど時刻表を捲りながらプランを考えていたら子供も行きたいと言い出してだったら正月に行こうという事になった(正月は親戚不幸で喪中なので正月の年始参りや来客は無いため、都合がよい)。

 

東京駅から東海道線の始発電車で出かけるが前回の2921M乗車と同じく、極力乗り換え回数を減らし、短い時間の乗り継ぎが続くと飽きるので余裕ある乗り継ぎで確実に当駅始発の座れる電車を乗り継いで西へ向かい16時前には新大阪に到着。正月で飲食店が早仕舞いするので早めの夕飯を済ませて青春18きっぷに翌日の日付を入れてもらい11番線ホームの1号車乗車位置で待つが、1~3号車が新宮行きで4~6号車が紀伊田辺止まりである。2921Mの入線を待っていると発車3分前の22:42に回送電車が入線して日根野電車区165系×6連が入線したのでドア扱いが始まると早速1号車に乗り込むとクハ165-111であった。

 

因みに2921Mの165系は2号車・3号車・5号車・6号車にはトイレが無くて新宮行きのトイレ付きは1号車だけなので僕たちは1号車を選んだけど何でモハ164とクモハ165のトイレを無くしてしまったのか解せない。流石に正月1月2日の夜行なので勤め帰りや釣り客は少い中、2921Mは新大阪駅を22:45に発車すると列車は東海道本線の下り線で淀川を渡り、大阪駅の手前で分岐する単線の梅田貨物線に進入。梅田貨物駅の北から西側を回りこんで福島駅と野田駅の北側を通過してから、桜島線へと向かう貨物線と分かれて大阪環状線に進入して西九条(22:53)に停車した(子供は謎の貨物線経由の件は理解した様だ)。

 

弁天町(22:56)・新今宮(23:01)と停車して2分停車の天王寺(23:03-05)16番線ホームに到着するといつもなら帰宅の遅い勤め帰りのサラリーマンが沢山乗ってくるのだが流石に正月2日目だけあって今夜の天王寺駅乗車は少ない。夕飯が早かったので子供とコンビニで購入したサンドイッチをつまんでいると天王寺駅を発車。阪和線に入るが大阪環状線と違って速度も増して阪和線快速電車並みに速度アップして堺市(23:13)・鳳(23:19)・和泉府中(23:24)・東岸和田(23:29)・熊取(23:34)・日根野(23:37-37)・和泉砂川(23:42)と停車しながら快速電車本来の走りを楽しむ。

 

そもそも紀勢線は亀山から新宮を経て和歌山に向かうのが下り列車(例921レ)で和歌山から新宮を経て亀山方面に向かうのが上り列車(例924レ)だったけど1989年の東海道線乗り入れ開始に同線に合わせて変更したもので和歌山から新宮方面行きが下り列車、新宮から和歌山方面行きが上り列車になった経緯がある。最初は時刻表の誤表記なのかと思ったけどATS-P等の保安装置問題もあって京都始発や新大阪始発の紀勢線乗り入れ優等列車東海道本線に合わしたのが原因らしい。Cタイプ列車無線も下りと上りとでは400MHz帯の周波数も変わるため、素人ながら面倒なだけだと思うのだが・・・。

 

鳳駅や日根野駅で下車もあって天王寺駅発車時点に比べると乗車率は約半分に減り、列車は山中渓~紀和間で大阪府阪南市和歌山県の県境を越えると和歌山(23:59-0:01)に到着した。和歌山駅でも下車客が以外と多くてこのまま1BOXを2人で使えそうなので子供が寝たあとに飲まないでとっておいたワンカップ清酒を取り出して紀勢線の思い出を脳裏に浮かべて酒を飲む。紀州夜行の「はやたま」と後の921レ・924レは1983年から1985年の冬くらいまでEF58牽引の旧客+10系寝台や「はやたま」の寝台廃止後はEF58牽引の12系座席車を定宿にして昼間に3往復走っていたEF58+客レを何回も撮影したものである。

 

紀勢線は日中の普通客レが3往復から2往復に減り、光線的にもベストだった123レと124レが消えて10年くらいは紀勢線の普通夜行には乗らなくなった。なんて懐かしい記憶を辿っていたら列車は紀三井寺(0:07)・黒江(0:11)・海南(0:13)・加茂郷(0:20)・下津(0:24)・初島(0:27)・箕島(0:30)に停車してそろそろ自分も寝るとしよう。以上は就寝中に停車した駅名と停車駅・・・紀伊宮原(0:34)・藤並(0:38)・湯浅(0:42)・紀伊由良(0:51)・御坊(0:59-59)・印南(1:15-15)・南部(1:30)・紀伊田辺(1:38-55)・白浜(2:10-20)・周参見(2:56)・見老津(3:07)・江住(3:12)・和深(3:20)・田子(3:24)・田並(3:30)。

 

紀伊有田(3:34-34)・串本(3:40-50)・古座(4:00-00)・紀伊田原(4:09)・紀伊浦神(4:15)・下里(4:22)・太地(4:25)・湯川(4:29)・紀伊勝浦(4:33-34)・紀伊天満(4:38)・那智(4:41)・宇久井(4:47)・紀伊佐野(4:51)。前の席に足を伸ばせて寝れたので結構ぐっすり寝てるけど紀伊田辺駅の停車で後ろより3両の4~6号車を切り離していたのは何となく記憶の端っこにあるけど半分寝ていたのかも知れない。三輪崎(4:55)の停車で目が覚めたのか子供に起されたのかは定かではないけど外はまだ真っ暗で5:01、定刻で新宮駅に到着してもまだ頭の中は寝ているようで寝惚けたまま新宮駅ホームを歩いた。

 

2921Mの到着に合わせて早朝から営業している新宮駅の立ち食いそば屋で軽く朝食を食べてから新宮6:05発の松坂行き「5326D」に乗りかえてそのまま名古屋方面へ行った。紀州夜行2921Mは1999年10月2日の改正で新大阪発紀伊田辺行きになって紀伊田辺~新宮までは紀勢線臨時夜行8321Mとして臨時延長されたが2000年9月30日をもって臨時延長運転も廃止になってしまい、乗車して正解だったのである。

       ★★★★★Memories of the night train★★★★★

1998年の夜行列車乗車回数

1998年分の想い出夜行列車レポートのブログ発表が終ったので夜行列車乗車回数の列車名別、種別、乗車列車の系式別、利用施設別の各ランキング形式で発表したいと思う。1998年の乗車した夜行列車傾向について書くと昨年「1997年」の31回に比べて34回と3回分乗車が多いけど1998年は異例の出張での夜行列車利用が多くてその回数は何と13回という異例の多さで特に1998年は事業社が自社のIT導入でPlanningからintroductionまで営業部が契約した案件を実際に自分達が直接現地に赴き、サポートするという仕事が大幅に増えてこの様な結果になったが実際の趣味的な乗車回数は21回と言う事になる。

 

因みに出張で利用した夜行列車は「出雲①」「北陸①」「瀬戸②」「はくつる②」「あさかぜ②」「あけぼの②」「北斗星③」の7種13回だ。バブルから10年経過した日本の産業界はバブルの崩壊で冷え込んだけど事業所や事業部に研究機関が地方に移転してITというソリューションを媒体に自分の出張で夜行列車の乗車本数が増えたのは計算外で嬉しい誤算だったと言えるだろう。因みに臨時大垣夜行・(救済臨)9375M・9372Mは大垣夜行と表記、更に列車名のない中央東線の夜行快速8421Mは中央夜行で表記。それでは列車別ランキング・列車種別ランキング・利用施設別ランキング・形式別ランキングの順番に紹介していこう。

 

★夜行列車の列車別ランキング★1位は9回乗車した快速「ムーンライトえちご」で1998年は堂々の1位キープ、青春18きっぷで利用出来て510円の指定席料金でグリーン車のリクライニングシートで寝れるのは快適で嬉しい。2位は5回乗車の寝台特急北斗星」で北斗星も上位常連で3位は4回乗車の「臨時大垣夜行」で1997年も同じ3位だった。4位は3回乗車の寝台特急「出雲」、5位は2回乗車で5種類あるので全部記入すると「瀬戸」「八甲田」「はくつる」「あさかぜ」「あけぼの」であった。6位は1回乗車が3種があり、急行「上越スキー号」「中央夜行」「北陸」の結果である。夜行列車の種類が少なくなるとこの手の集計もイマイチ盛り上がらないようだ。

 

★夜行列車・種別ランキング★1位は特急種別の17種類(北斗星⑤・出雲③・瀬戸②・はくつる②・あさかぜ②・あけぼの②・北陸①)。2位は快速・普通の14種類(ムーンライトえちご⑨・大垣夜行④・中央松本夜行①)。3位は急行種別の3種類(八甲田②・上越スキー①)。

 

★夜行列車の利用施設ランキング★1位は11回利用の1人用B個室(北斗星⑤・出雲③・あけぼの②・北陸①)だがソロとシングルツインは価格も部屋の状態も違うけど一人用B個室という同じ点ではなので同一として考えた。2位は9回利用の指定席(ムーンライトえちご⑨のみ)で掛値なしのガチな2位である。3位は8回利用の自由席で以外と自由席利用も少なくない(大垣夜行④・八甲田②・上越スキー号①・中央線松本夜行①)。4位はB寝台の6回でこの6回は全部出張利用と言ってもいいくらいだ(瀬戸②・はくつる②・あさかぜ②)。

 

★夜行列車の形式別ランキング★1位は13票で165系「167・169系含む」(ムーンライトえちご⑨・大垣夜行④)、同率1位は24系寝台車の13票(北斗星⑤・瀬戸②・はくつる②・あさかぜ②・あけぼの②)、3位は4票の14系寝台車(出雲③・北陸①)、4位は3票の14系座席車(八甲田②・上越スキー①)、5位は1票の115系(中央線松本夜行)だったけど中央線の松本行き臨時快速夜行も完全廃止でもうこのコーナーに115系もランキングされる事もない訳で急行八甲田も完全終了しちゃったし、考えていたら寂しくなりました。よく考えれば115系1963年昭和38年)登場ですから還暦を越えて60歳から61歳になる訳ですが・・・湿っぽい話は辞めて次週からは1999年1月からの想い出夜行列車レポートを発車させます。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

臨時大垣夜行 9375M

1998年12月18日(金曜日)、翌日の土曜日17時過ぎから大阪駅近くの飲み屋を予約した関西エリアの忘年会が行われ、頭にRが付くアルファベット4文字や関西○○軍団などの京阪神地区在住のちょっと過激な撮り鉄の忘年会が行われる。関西以外に中京エリアや北陸エリアの参加もいて自分達関東組も誘われた。1998年・冬の青春18きっぷは12月10日から利用できるので臨時大垣夜行で行こうという事になった。大阪駅までなら臨時大垣夜行に乗らなくても東京駅から東海道線・始発の323Mで西に乗り継いで行けば16時には到着出来るけどあまりにも面倒なのとロングシート車に乗りたくないのが理由。

 

いくら青春18きっぷが使えるからといって冬休み前なのでそんなに混雑しないだろうと始発駅の品川駅7番線ホーム臨時大垣夜行9375M最後尾乗車口に発車4時間前へ行くと一番乗りだったけど先頭車1号車は行列が出来ていた。1998年冬臨の臨時大垣夜行・運転日もパターンがあって165系.167系.169系の8両と11両のパターンがあるけど今夜は田町電車区の167系8連の予定で今夜くらいは空いてると有り難いななんて思っていたらN君、O君、K君の順に到着して今夜のメンツは揃った。品川駅がごった返してきた、23:25に臨時大垣夜行9375Mの回送が入線したのでクハ167-1に乗車。

 

いつものよう~に(ちあきなおみ喝采ではないw)進行方向右側のBOXシートに陣地を取ってから買出しタイムを終えて車内に戻ると席は全て100%埋まっていた。発車前から缶ビールで乾杯していると9375Mは品川駅を23:55に発車して定期375Mの2分後を追って大垣へ向かった。ビールの500ml缶を飲み終わり、自宅でステンレスポケットボトルに角瓶ウィスキーを詰めてきたので売店で購入したカップ氷に注いでロックの様な水割りのようなウィスキーを飲み始める。大森~蒲田で日付が変わって多摩川を渡ると神奈川県に入り、川崎(0:05-06)に到着。

 

川崎から日付が変わるのでこの駅から青春18きっぷの使用開始なるが既に最寄駅を出発する際に青春18きっぷへの日付は入れてもらっている。1998年では最後の夜行列車乗車となるが臨時大垣夜行は4回目の利用となるけど座席夜行列車では個人的に一番乗りたくないWorst1(寝れない・減光しない・並んで待つのが面倒などの理由)に入っている割に乗る回数が少なくないのには笑ってしまう(ᵔᗜᵔ*)ァ,、'`。川崎から8分間で横浜(0:14-15)に到着して東海道線京口では最初のトンネル(それも煉瓦積トンネル)でもある清水谷戸隧道を抜けて戸塚(0:25)、大船(0:30)と停車すると少し眠くなってきた。

 

流石に飲む物と食べる物が無くなると口数が減るものであるが誰かが鞄の中から出した4個入りのドーナツ分け前を頂き、自分も4個入りのクリームパンを提供して仲間で空腹を癒したが列車は藤沢(0:35)、辻堂(0:39)茅ヶ崎(0:43)、平塚(0:48)、大磯(0:32)は停車するがそろそろ寝ようと誰か(多分O君)が言い出して明日の朝も早いから寝ようという事になった。4人で上手く足を伸ばしあって寝ようとするが巨体のO君がいるので上手く行かなくて新聞紙を床に敷いて靴を脱いで下に足を伸ばす者と前に足を伸ばす者とに別れて就寝した。以降は就寝中(寝れない時間も含む)の停車駅と時刻・・・二ノ宮(0:57)、国府津(1:01-01)、鴨宮(1:06)、小田原(1:09-10)。

 

熱海(1:29-30)、三島(1:43-43)、沼津(1:50-56)、富士(2:12-13)、静岡(2:43-59)、浜松(3:58-4:09)、豊橋(4:39-52)、三河三谷(5:05)、蒲郡(5:08)、岡崎(5:20)、安城(5:27)、苅谷(5:35)。目が覚めたのは大府(5:40-40)停車中で誰かに起こされたのか、自然に起きたのかは不明だけど4時間半くらいは寝れたけどまだまだ眠い。BOX席の4人定員だから完全熟睡は無理だけど自分も当時は40歳だからまだ座席車仮眠はいけるけど「ムーンライトえちご」の様な元グリーン車シートでないと翌日ツライのは確かである。列車は共和(5:44)、金山(5:58)と停車しながら名古屋(6:03-08)に到着した。

 

5分停車なので自販機で冷たい飲み物(車内の暖房が暑かった)で喉を潤わしたりしながら過ごして名古屋駅を発車するとJR貨物愛知機関区が見えて来ると構内に停まっているDD51他を4人で注視しながら話で盛り上がり、稲沢(6:16)・尾張一宮(621)・岐阜(6:03-08)と停車。岐阜駅を発車すると少し早いけど先頭車の一番前デッキへ徒歩移動して何が何でも接続の731Fに座ろうという魂胆である。先頭の1号車車内を4人でぞろぞろ歩いていると車内の何名かがこちらの魂胆に気が付いて続行でデッキに続いたが我々4人が先頭デッキの乗降口をキープ。

 

穂積(6:35)を発車すると次がいよいよ終着駅の大垣だが4人の中で一番足が速いO君に任せてダッシュしてもらう事にしてもらう。4人全員軽装備で荷物も少ないけど早く走れるようにO君には手ぶらで走ってもらうために待機していると6:41、定刻に大垣駅に到着した。先頭集団は全員ダッシュするが高校時代は陸上の短距離選手で国体の予選まで昇りつめたO君は流石に速くて楽勝で731Fボックス席をキープしたぜいと言わんばかりのドヤ顔で待っていた。731Fで米原駅まで行き、ホームの立ち食いそば屋で朝飯(自分はかき揚げそばと稲荷寿司)を食べてから2本後の列車で大阪駅を目指したが4人とも眠いので加古川まで睡眠不足を解消した。

 

加古川から戻って昼から営業している串カツ屋で串カツ類などでビールを飲みながらのランチを済ませて夕方18時からは忘年会に参加して二次会まで楽しみ首都圏4人組みはカラオケ屋のソファーで朝まで寝て僕とN君は予約しておいたJR東海ツアーズの「ぷらっとこだまエコノミープラン」で帰宅した。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

時刻表と夜行列車

西暦2024年の新年が明けました・・・想い出夜行列車レポートは1998年12月をトレースしている最中ですが今日は別のネタで書いてみたいと思う。時代が平成から令和に移行するにつれてインターネットの普及とスマートフォンの普及で列車の時刻や乗換えに運賃計算は全てインターネットやスマートフォンのアプリで簡単に同時に運賃や料金も調べられて色んな候補というか代案も表示するので便利になったけど鉄道ファンには必要な入線時刻と入線番線に普通列車と快速と新快速が走る区間ではどこでどの列車に抜かされる等が分からない等,紙の時刻表でないと分からない事もある。

 

しかし従来からある紙製の時刻表「大型時刻表」だとそれらが簡単に分かり、編成表とか発売しているお得な切符の種類と価格まで分かるのでデジタル化した西暦2024年に於いても私は紙製の時刻表「JR時刻表@交通新聞社」は愛用してるけど通常はパソコンで見て出先ではスマホで見付けど旅のプランはJR時刻表を使うので書斎の机の上か机の引き出しの中に入ってる。時刻表との出会いは自分が小学生の頃で父親が出張で使って不用なのを貰って出会ったのが最初である。小型時刻表でその時刻表で夜行列車という夕方か夜に発車して翌朝目的地に到着する列車がある事を学んだ。

 

ただ小型時刻表は全ての駅が掲載されてなく、臨時列車は最初の黄緑色したページに纏めて掲載されているので定期列車との比較が面倒でやっぱり時刻表は大きいサイズが限ると学んで初めて時刻表を小遣いで買ったのが1970年。自分が11歳の頃で交通公社時刻表「大型」が当時200円したのだが、当時の小学生にしては価格の高い買い物で購入するまで何度も躊躇したものである。1970年当時の物価は牛乳25円、銭湯「大人」38円、週刊誌70円、お店で食べるラーメンが110円の時代だから無理もない!。購入した時刻表の表紙は白糸川橋梁「根府川~真鶴」をゆく157系特急あまぎであった。

 

1970年という年は大阪万博国鉄がDISCOVER JAPANというキャンペーンを始めた年でもあったけどページを捲ると最初が東海道新幹線「東京~新大阪」でその次が東海道線だったので最初に確認するのは東京10時台発の急行桜島から始まって夕方はさくらから始まるブルートレインタイム・・・更に急行夜行・普通夜行の時刻も記述があり。東海道線山陽線上越信越方面、東北・常磐方面、ページを捲る度に星空の旅情と青い流れ星の夜行列車の全てが詰まった時刻表に夢中になって学校から帰宅して宿題と夕飯が終れば寝るまで時刻表のページを捲ってまだ見たことない、そしてまだ乗った事ない夜行列車の旅情と浪漫に心ときめく夢を見ていた。

 

そんな時刻表を眺めながら夜遅く走ってる夜行列車のシーンを回想しながら時おり聞こえるEF65PやEF58が牽引する夜行列車の通過音を聞いてると一刻も夜行列車に乗りたくなるけど当時の中学生(1971年~1973年)には一人旅なんてもっての他でブルートレインを眺めに東京駅や上野駅ホームを1人で歩いていると家出人と思われて補導される事が多かった時代で、かくいう自分も補導されそうになったり、補導されたのだがトイレへ行くと嘘を付いて窮地から逃げ出した事も実際にあった。西は静岡駅、東は黒磯駅までは一人旅経験済みだけど夜行列車乗車はまだ未経験の中学生時代。

 

両親は夜行列車というのは治安が悪くてお前にはまだ早いという昔ながらの考え方で小学生高学年から中学生までは時刻表を眺めながらの空想旅行しか出来なかったけど高校に入るとクラスメイトM君「59歳で他界」との出会いもあって更に鉄道や時刻表に詳しくなって人生の初の夜行列車でもある1975年に寝台特急ゆうづる1号」に乗れるまで至ったけど確か1975年くらいに交通公社の国鉄監修時刻表が、200円から400円に値上げしたのは鉄道ファンであり、時刻表ファンでもある自分にとって痛手だった。山陽新幹線博多でページも増えて広告も増えたのが原因かと思ったけど詳細は不明。

 

時刻表では解決しない問題(特にルールが複雑な周遊券など)はガイドブックからも吸収して特に1973年か1974年に購入した実業の日本社『周遊券の旅』は旅の実戦でも役に立った。特に時刻表の均一周遊券では全く触れていないB券の"継続乗車船"のルール問題点が細かく描写されており、国鉄線区内の特例を知るのに交通公社の国鉄監修時刻表ピンクのページでは理解しかねる箇所もあって時刻表と併用して参考書として役に立つ書籍。"継続乗車船"の「船」とは国鉄路線に4箇所の航路(青函・宇高・仁堀・宮島)があって国鉄直営の連絡船を就航していたからである。

 

さて時刻表の話を続けましょう、1976年に始めて個人的な鉄道旅行として北海道へ行く事になって出会ったのが北海道に特化した時刻表です。交通公社の国鉄監修北海道時刻表を購入したかったけど当時住んでいた川崎駅周辺の書店には置いてなく、交通公社の支店にもなくて気が進まなかったけど唯一書店で売ってた弘済出版「現交通新聞社」発行の道内時刻表を購入。国鉄に限っては通常の時刻表には掲載されないローカル線の仮乗降場と時刻が掲載される程度だけど国鉄士幌線の新士幌駅みたいに道南時刻表にも掲載の無かった駅もあった嘘のような本当の話。

 

国鉄が分割されて民営化されるとJR北海道エージェンシー発行の北海道ダイヤばかり買うようになったし、JR化でJR公式時刻表が交通公社(JTB)から弘済出版の時刻表に変わったけど長年交通公社の国鉄監修時刻表を使っていたのだが弘済出版JR時刻表の見づらい事。2色刷も見づらい要因なのだがページレイアウト的に自分には向かなくてJTB時刻表にも入線時刻が掲載してたら交通公社「JTB」版を使っていたと思う。JTB版はインクの色が濃くて列車名がゴジック風で優等列車には縦のアンダーラインが引いてあるのでとても見やすく、老眼になった今ではJTB時刻表に変えようかと真剣に悩んでいる。

 

そんな時刻表も多い時では毎月お得な時刻表定期購読していた時期もあったけど年々購入回数が減り、春と秋のダイヤ改正号と夏臨掲載と冬臨掲載の年間4冊まで購入ペースが少なくなっていく。夜行列車が大幅に減った2005年以降は年間3冊に減って大きなダイヤ改正が行われる3月と10月しか買わない年も増えていき、春臨・夏臨・秋臨・冬臨の詳細は鉄道ダイヤ情報に詳細運転日、使用車両系式と両数まで記載があるので時刻表での臨時列車依存が大幅に減り、インターネットでの無料で見れる時刻も含めて紙媒体時刻表の利用価値が下がってきたのは否めない。

 

「時刻表と夜行列車」というタイトルのブログだけど思った事をExce打ちした文章(ブログの元となる文書作成)を読み直してみると夜行列車の登場があまりにも少なくてブログタイトル詐欺だと言われそうだけど自分が書きたい事・伝えたい事は全て文章にしたのでこの辺で終らせたいと思います。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★