夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 銀河(B寝台)

1997年2月7日(金曜日)、 東京駅10番線ホームで10歳(小4)の鉄道大好き息子と急行「銀河」の入線を待っていた。実は2週間前に子供が関西の鉄道に乗りたいのと大阪環状線弁天島駅高架下にあった交通科学博物館(現京都鉄道博物館に統合されて閉館)へ行きたいと言い出して小学生が見ても興味ありそうな物は無いけど許諾して「銀河」のB寝台下段は2枚押さえて乗車券代わりに京阪神ミニ周遊券も購入。当初は往復「銀河」を考えたけど寝台は子供半額適用にならず新幹線「ひかり」大人5150円・子供2570円に比べて「銀河」は大人7240円・子供6800円と銀河が高い。

 

よって2月8日は朝から動いて帰路は当日夜の2階建て食堂車が営業している100系の「ひかり120号」へプラン変更。本当は子供が春休みになって青春18きっぷで現地泊も含めて安く行きたかったけど僕が3月になると年度末で仕事が忙しくなり、年次休暇申請も難しいので早々に旅立った次第である。22:51に「銀河」の回送が9番線に入線すると早速禁煙の9号車(オハネフ25-46)に乗車してすぐに先頭に移動して田端運転所のEF65-1111を確認後に飲み物他を購入してから9号車へ戻ると東京駅を23:00発車した。急行「銀河」と言えば9割が出張利用で私用乗車は皆無なのであるが子供は窓をしげしげを見てる。

 

この24系25形は窓が大きいと25形0番台の特徴を特徴をすっかりチェックしている我が子を見ながら缶ビールを飲んでいるとここまで育ったかと思いながら満足する鉄バカ親バカな自分を今更ながらにこの原稿をExcel作成しながら再認識する自分であった。車掌が回って来たので親子で京阪神ミニ周遊券と急行・B寝台券を呈示して時間が時間なので子供だけ早々と寝かせるがカーテン閉めても窓のブラインドが開いているから起きて景色を見ているのがバレバレ。自分も飲み残しのビールを一気に流して寝る準備をしていると品川(23:08)を発車したのですぐにベッドへ収まった。

 

このところ業務多忙で疲れていたため、横浜(23:25-26)発車は覚えていたものの、すぐに寝てしまったようである。就寝中の停車駅と時刻は大船(23:41-42)・小田原(0:14-15)・熱海(0:36-37)・静岡(1:48-55)・岐阜(5:01-02)・米原(5:45-47)・大津(6:33)。京都駅の手前まで寝ていたかったけど子供に起され(近江電鉄の電車が何であるか聞かれて「涙」)いい迷惑だ(苦笑)。こうなる事は覚悟していたから仕方が無い事だけど本人曰く寝たのは小田原の先で起きたのは米原停車中だったらしいが子連れ旅は嫁からは歓迎されるけどやはり気ままな一人旅が私は好きである。

 

しかし子供が親にくっ付いて旅行してくれるのも今だけなので有り難いと思わなければいけないのかも知れない。湖西線の線路が近付くと滋賀県大津市から京都府山科区に入り、山科駅を通過すると列車は東山隧道を越えると新幹線と近付いて京都(6:43-44)に入線した。普段見たことがない車両が停まってたり走ってたりするものだから子供からの質問攻めに合い、通路側の折り畳み椅子に座っていた50代半ばのスーツ姿氏が笑っていたが今日一日えらい目にあいそうだ。京都駅を発車すると数年前に子供と一緒に行った梅小路機関車館が見え、梅小路運転区近くには寝台特急「出雲」を牽引してきたEF65PFが停まっていた。

 

向日町駅を通過すると京キトこと京都総合運転所(旧 向日町運転所)が見えると子供は通路側の窓に顔を近づけて必死に眺めている。特急車両だけでも485系583系キハ181系・681系・24系他が停まっており、特に風貌に特徴がある583系が気に入ったようである。臨時「津軽」が完全廃止になる前に1回は乗せないと・・・なんて思いながら長岡京~山崎の有名撮影地を走りながら大山崎の大カーブ(ここも撮影地として有名)が終る箇所くらいで京都府から大阪府に県境(府境?)に入る。吹田信号場から宮原操車場を経由して尼崎駅へ向かう北方貨物線と分かれて新大阪(7:13-14)に到着。

 

新大阪駅を発車した急行「銀河」は淀川橋梁を渡り、西の都・大阪駅へ定時で7:19に3番線ホームに到着した。梅地下の早起き喫茶店(「銀河」で大阪出張する際に利用する店)でモーニングサービスを食べてから京阪神ミニ周遊券フル利用の子供が乗りたい電車に乗せる&交通科学博物館を見物する旅が始まり、岐路は新神戸17:10発の「ひかり120号」に乗り込み、荷物だけ置いてから100系2階建て食堂車(8号車)へ直行。夕飯時間にはまだ早いのと土曜日なので出張帰りのビジネスマンが居ないので親子で同じテーブルの窓際に座れたので安心した。

 

今日は何でも好きな物頼んでいいぞと言うとメニューを見ながらハンバーグステーキセットを注文、僕はカキフライでビールを飲んでからビーフカレーで〆た。僕にとって新幹線食堂車のカレーは想い出がある。今から52年前のEXP70こと、大阪万博へ行く際に「こだま」のビュッフェで食べたのがビーフカレーであり、想い出の味なのだ。子供が味見すると食堂車のカレーは美味しいと子供ながら生意気な事を言ってたけど血筋は争えないと嬉しくも目頭が熱くなった100系新幹線食堂車であった。その後も追加のコーヒーやバニラアイスクリームを注文して帰路銀河とひかりとの差額(大人2,100円+子供4,230円)は美味しく頂きました。

 

急行銀河のレポートは数多くあるため、マンネリ打開で今回は趣向を変えてみました

 

       ★★★★★Memories of the night train★★★★★

1990年代の夜行列車変移

弊ブログの「想い出夜行列車レポート」が続いたので久々に違うネタで書いてみたいと思う。「想い出夜行列車レポート」は1997年1月14日をトレースしているので1990年代の夜行列車を総括してもいい頃だと思い、本日は1990年から1999年の間に廃止になった、新設された、経由線区(一時的な経由変更は除く)や車両が変わったり、愛称が変わった夜行列車を年表風に描いてみたいと思うが1990年以前はyahooブログに発表済みだけど現在は閉鎖になったので閲覧する事は不可能になっている。本当は臨時の夜行列車も取り上げたいがキリがないので一部を除き、定期列車を中心に紹介してゆく。

 

【1990年】9月1日付:14系座席車で運行していた急行「津軽」が山形新幹線工事のため、仙石線経由によって583系(全車座席車扱い)にて運行。仙山線をED78+14系で走る事は可能だが、ED78は新幹線軌道強化工事により板谷峠を単線運行していた50系牽引や仙山線の貨物重視で使われるための理由。将来的に福島運輸区のED75を全車青森東運転所に集中配備する事も理由。更に山形新幹線の工事で寝台特急「あけぼの」1往復が東北線奥羽線経由から東北線陸羽東線奥羽線経由に変わり、別の「あけぼの」1往復が高崎線上越線羽越線経由で上野~秋田を結ぶ寝台特急「出羽」として設定された。

 

【1991年】3月16日付:札幌~稚内間を結んでいた14系夜行急行の「利尻」がキハ40系気動車を改造したキハ400形・480形に14系寝台車(スハネフ14-500番台)を挟んで運行するスタイルに変更されてキハ400形・480型は急行「宗谷」と共通運用になった。

 

【1992年】3月14日付:札幌~網走間を結んでいた14系夜行急行の「大雪」は14系寝台車のスハネフ14-500番台をキハ183系で挟んで運行、急行「大雪」から特急「オホーツク9・10号」として格上げて運行する形になり、「大雪」という名称は一時的に消えた。急行「大雪」と時間的には大差なく、便乗値上げだと揶揄された事もある。7月付:583系で運行されていた急行「津軽」が485系に車両変更。

 

【1993年】3月18日付:門司港西鹿児島間を25形客車と12系座席車で運転していた急行「かいもん」と「日南」は787系の特急格上げで特急「ドリームつばめ」と「ドリームにちりん」へ変更されて「かいもん」・「日南」の列車愛称名が消滅した。一方、上野~金沢間を14系座席車で運転していた急行「能登」が、同日改正から金沢運転所の489系に車両変更になり、車両も車掌もJR西日本持ちとなる。更に上野~長野間を189系電車で運行していた急行「妙高」も同日廃止になったが臨時「妙高」は189系・12系座席車・14系座席車にて長野新幹線北陸新幹線)開通直前まで臨時運行された。

 

3月19日付:札幌~釧路間を14系寝台車と14系座席車で運行していた急行「まりも」は「オホーツク9・10号」と同じ様に14系寝台車をキハ183系で挟んで特急「おおぞら13・14号」として運転。夜行「おおぞら」は自由席が1両のみで自由席利用客からは不評だった(余剰となったドリームカーは「はまなす」用に転属)。古くは441Mと呼ばれた新宿~長野間を結んだ115系普通夜行列車の流れを汲んで上諏訪行き、更に甲府行き(列車番号は変わるけど乗ったまま上諏訪まで運行された421M→1521Mが遂に定期列車から姿を消したた。後に松本夜行快速として臨時列車(8421M)が残ったけど1998年5月で完全廃止。10月1日付:急行「津軽」の車両が485系から583系に戻った。

 

12月1日付:上野~青森間を東北線廻りで運転された伝統の急行「八甲田」も廃止の運命を辿って臨時列車格下げ。夏のモトトレイン併結のため、臨時列車化後も2年間は運転日数も多く臨時は三段B寝台車1~2両の連結もあった。大昔は出世列車とも呼ばれた東北線仙山線奥羽線経由で結ぶ名門だった急行「津軽」も前記「八甲田」と同じく廃止の篩にかけられて臨時列車へ格下げされた。一時期は青函連絡船との連絡で最大7往復も走っていた寝台特急ゆうづる」も廃止となって臨時格下げへ。しかし全線東北線経由の寝台特急はくつる」の1往復増えて2往復体制となる。上越線関連では1990年で紹介した「出羽」も廃止となり「鳥海」へ統合吸収された。1993年はJRになって初めて多数の夜行列車が廃止になって年であった事を忘れてはないならないだろう。

 

【1994年】12月3日付:最初に東海道スジから、東京~熊本・長崎間を結ぶ寝台特急「みずほ」と、東京~博多間を結んだ寝台特急「あさかぜ1・4号」(通称 博多あさかぜ)が廃止となり、東京発着寝台特急の廃止は1978年の「いなば」、1984年の「紀伊」以来の廃止となった。新大阪と新潟を結んでいた寝台特急「つるぎ」も廃止になって臨時格下げされ、関西発の北陸方面寝台特急群の中では最初に廃止になった寝台特急でもある。更に今度は東北側の動向を見てみよう・・・1993年12月1日で寝台特急はくつる」が2往復化に増えているが1年後には1往復の「はくつる」が廃止、臨時列車化。

残る1往復の「はくつる」は583系から「あさかぜ1号・4号」の廃止で捻出された編成を転用して「はくつる」で使用。同じく12月3日付けで臨時夜行急行として繁忙期のみ細々と走っていた座席車の「おいらせ」(上野~青森)、「十和田」(上野~青森)、「天の川」(上野~酒田)も完全廃止となった。

 

【1995年】1月4日付:上野~秋田間を結ぶ臨時夜行急行「おが」は季節列車から臨時列車として長い期間に運転されたが1995年1月5日の運転を最後に臨時夜行急行「おが」は完全廃止となった。上野発着の臨時夜行急行では最後の25形二段B寝台車連結を連結していたが最終日の運転は24系25形寝台車3両(オハネフ25+オハネ25+オハネ25)と14系座席車4両(スハフ14+オハ14+オハ14+スハフ14)で運転されて末期は北上線DD51経由で運転されて自分も北上線内で撮影している。

 

【1996年】3月16日付:「ムーンライトながら」(東京~大垣)の新設で165系・自由席の通称大垣夜行は役目を終えた。更に新宿~村上間を結んでいた快速「ムーンライト」が快速「ムーンライトえちご」に変更になったが夜行列車自体の廃止はなかった1996年。

 

【1997年】3月22日付:寝台特急「鳥海」は同日に経由を東北線陸羽東線奥羽線から高崎線上越線羽越線奥羽線にルート変更した寝台特急「あけぼの」に吸収される形で廃止となり、上野発着の寝台特急がまた1本消えた。10月1日付:大阪~長野間を結ぶ昔からの山岳夜行列車で信州方面の観光客やトレッカー達から人気の夜行急行「ちくま」。末期は14系15形寝台車3両(スハネフ15+オハネ15+オハネ15)と14系座席車5両(オハ12+オハ12+オハ12+オハ12+スハフ12)で運行されたが上記改正日からは383系での運行となった。後に165系や14系座席車の臨時「ちくま」も運行されている。定期夜行急行ではEF64-0番台が唯一牽引する貴重な夜行急行だった。

7月29日付:北陸新幹線長野新幹線)開業で信越線の横川~軽井沢間(碓氷峠)が廃止になり、急行「能登」が15年振りに信越線経由から上越線経由に戻った。更に臨時夜行急行「妙高」も消えた。11月29日付:東京~西鹿児島を結んでいた寝台特急はやぶさ」が熊本で運転打ち切り、更に東京~南宮崎を結んでいた寝台特急「富士」が大分で運転打ち切りとなり、日本一の長距離定期列車の座を寝台特急「さくら」に譲る事になった。その「さくら」が11月29日付でカルテットと食堂車が編成から外されて一部編成が14系15形に変更となった。

 

【1998年】7月10日付:14系寝台車で東京~出雲市間を東海道線~山陰線経由で結んでいた寝台特急「出雲2・3号」が廃止。代わりに直流285系寝台特急サンライズ出雲」が東海道線伯備線~山陰線経由にて新たにデビュー。24系25形の旧「出雲1・4号」は出雲市~浜田間を廃止して東京~出雲市間として寝台特急「出雲」として運転。「出雲2・3号」で使われていたシングルDX(オロネ14-300番台)とシングルツイン・ツイン(オハネ14-300番台)は寝台特急「あかつき」に転用された。同じく7月10付では東京~高松間を結んでいた寝台特急「瀬戸」は直流285系寝台特急サンライズ瀬戸」運行に変わって廃止となるがシングルDXのオロネ25-300番台は寝台特急日本海1・4号」に転用。

8月22日付:この日をもちまして臨時急行「八甲田」(モトトレイン含む)は完全廃止となり、上野発着の東北方面行きの座席夜行は全て完全開始となった。更に同僚の臨時夜行「津軽」は早々と1998年1月4日の上り運行を最後にそれ以降は姿を消してしまう事になり、首都圏発の定期夜行座席急行は「能登」と「アルプス」の2本だけになった。

 

【1999年】7月16日付:北斗星の季節列車だった北斗星3号(6003レ)と北斗星4号(6004レ)が臨時列車格下げになり、日本初となった全車2人用A個室をコンセプトにしたE26系客車の臨時寝台特急カシオペア」を運行開始。「カシオペア」は1編成しか車両がないため、運行しない日や検査などで1週間以上運転しない日もある変わった運用。

10月2日付:大阪~出雲市間を福知山線山陰本線経由で結んでいた14系寝台車と12系座席車の昔ながらの夜行列車シーンを彷彿させてくれる急行「だいせん」(倉吉以西は快速列車として運転)はキハ65系気動車(エーデルタイプ)に変更。更に10月2日改正では普通夜行「南紀」のち「はやたま」の血筋を引き継ぐ昔ながらの165系電車で全車自由席で新大阪から新宮(元は天王寺~新宮)まで運転されていた2921Mも夜行列車の運転としては10月2日で廃止されて翌日からは紀伊田辺(1:38着)となり、新宮まで延長は繁忙期の臨時列車となる。

12月4日付:寝台特急「さくら」が寝台特急はやぶさ」と併結運転になり「さくはや」とも呼ばれ東京発着寝台特急の大幅整理が始まった。これにより24系25形と14系15形の当時の鉄道常識では理解出来ない運転方法が確立して夜行列車もいよいよ終焉の時代に向かって行くのである。

 

総括 実際にはカートレインやシュプールなど廃止日が分からない臨時列車も多くて完全網羅は不可能だったけど伝えたい事は全て書く事が出来たかも知れない。特に年間で数日しか運転されない臨時夜行急行「加賀」(1998年8月22日で廃止)みたいに後から分かって取り上げた臨時夜行もあるので記載漏れのある夜行列車もあるかも知れないがこの程度のレベルでお許し願いたいものだ。何れにせよ1990年台は夜行列車に於いて激動の年であった事は言えるだろう。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

寝台特急 鳥海(B寝台)

1997年1月14日(火曜日)、 弘前の出張を終えて弘前駅の待合室でぼんやり過ごしていた。青森空港から羽田に向かう最終便のJAS218便(青森20:30⇒21:45羽田)には間に合うけど翌日は休日だし、どうせ帰路も「鳥海」か「あけぼの」で帰るつもりでお得な往復乗車券も買ってしまったので帰路も寝台特急で帰るため、駅へ到着後に「鳥海」のB寝台を1号車の1BOX売れ残っている箇所の下段も購入して大舘花善に電話で鶏めし弁当も予約してある。土産屋で弘前銘菓の「パティシエのリンゴスティック」と「気になるリンゴ」を購入してからカップ入りの日本酒2個も買ってから改札を通る。

 

EF81のハイビームはかなり遠くでも分かるのでライトの光を目で追いながら長岡運転所のEF81-149に牽引されて18:09に弘前駅へ入線。1号車に乗り込むと昨夜乗った同じ車両のオハネフ24-21で18:10に弘前を発車した。すぐに車掌が来て乗車券と指定券をチェックして消えたが上りの寝台特急「鳥海」に乗るのは今回が最初で最後になりそうである。翌日が休日だから今夜の「鳥海」は乗客は多いのかと期待したら1号車はやはり空いてるけど秋田くらいから乗客が増えるかなと思う。もっとも常に乗車率が多ければ3月改正で廃止(「あけぼの」に吸収)にはならないのかも知れない。

 

そういえば上りの寝台特急「鳥海」は青森20:32発⇒上野9:20着というダイヤが頭の中に焼きこまれて上り「鳥海」なら上野までゆっくり寝て行けるイメージがいつまでも僕の記憶に残っていて、撮影でも日が高い5月から梅雨入り前までなら津久田~岩本の橋梁や渋川~敷島の大正橋や八木原~渋川のヤギシブカーブに熊谷~行田のクマギョウ直線などで撮影していたので1993年12月1日ダイヤ改正寝台特急「出羽」を吸収統合した「鳥海」が運転時刻を大幅に変えたなんてすっかり忘れていたのである。列車は大鰐温泉(18:21)・碇ヶ関(18:30)に停車して県境超えと矢立峠に入り、大舘(18:50-51)に到着した。

 

大舘駅では電話で鶏めし弁当を予約してあるので代金の800円を握り締めて1号車のデッキで待機しているとそれと分かる人(花善の社員さん?)と目が合って代金を渡して鶏めし弁当を受け取った。まだ暖かいので席に戻ってワンカップ清酒をひと口飲んでから無性にかぶり付くと久々の花善鶏めしは美味い。美味い弁当はいつ食べても美味しいし期待を裏切らないから予約を入れてでも食べてみたくなる。列車は鷹ノ巣(19:08-09)と二ツ井(19:21-21)に停車、鷹ノ巣では交換列車となる913D(急行よねしろ)を待たせての発車は寝台特急「鳥海」の権威もまだまだ捨てた物ではない。

 

外はかなり雪が降って部分的に積もっているけど今のところ寝台特急「鳥海」は所定ダイヤをトレースして東能代(19:37-39)に停車。東能代では3673M(快速しらかみ5号)を待たせての交換だが2分停車を利用して前に繋がれているEF81-149を見に行くとスノープル(スノープロウ)で掻いた雪などで連結器部分まで雪の塊になってヘッドマークでさえ雪が付着して1円玉状態になっていた。東能代を発車すると酒類も終り、寝るにはまだ早いし、やはりロビーカーやミニロビーなどの公室もない「鳥海」だと話す相手がいないと間を持たしてしまう。

 

かと言ってオハネフ24-21の展望エリアへ行ってもEF81-149が巻き起こす雪が貫通扉窓に付着して何も見えないので意味がない。翌日は祝日・成人の日なのに1号車の乗車率は酷いものであるが森岳(19:50-50)と八郎潟(20:05-06)に停車して大清水信号所を通過すると上飯島~土崎間の複線区間で大阪発青森行きの特急「白鳥」と一瞬のすれ違いだった。土崎駅の手前で秋田港からの秋田臨海鉄道の線路と交わり、次に左手にJR土崎工場(現秋田総合車両センター)が見えてくると秋田(20:21-33)駅だ。秋田駅ではホームKIOSKのみ営業していたが車内が暑いので350ml缶ビールと缶コーヒーを購入して戻る。

 

秋田駅では1号車も乗客が増えたけどそれでも4割程度しか乗っていないのが気になるけど、この先も0時くらいまで既に廃止になった寝台特急「出羽」が停車してた駅にも小まめに停まって行くのでどの程度まで乗車率が増えるのか楽しみではある。秋田を発車すると羽越線に入り、夜なので景色は見れないけど桂根から羽後亀田の手前まで日本海沿いを進み、羽後本荘(21:10-11)に停車。自分も浴衣に着替えて窓のカーテンは開けたまま、寝台へ横になって過ごす。降る雪も治まらずに深々と積もっているようだがそのまま深い眠りに落ちたようである。

 

就寝中の停車駅と時刻は仁賀保(21:25)・象潟(21:36)・遊佐(21:59)・酒田(22:11-13)・余目(22:24-24)・鶴岡(22:40-40)・あつみ温泉(23:07)・村上(23:56-56)・新発田(0:26)・新津(0:51-1:04)・高崎(4:36-38)。5:30くらいに自然に目が覚めたけど所定ダイヤなら桶川周辺を走っているけど車窓を眺めると高崎駅手前の信越線と交わる付近だったので約1時間の遅延である。こうなると上野到着は60分遅れになる筈で6時半まで寝ようとベッドに潜ろうとしたけど辞めて車掌室へ状況を聞きに行くと六日町から上越国境までの除雪遅れによる雪害遅延との事だった。

 

高崎駅は乗務員交代が終ればすぐの発車だったのでホームを走って先頭のEF81を見てすぐに客車に戻ったけどEF81149は雪だるま状態で凄く、1号車の折戸からも雪が車内に紛れ込んでステップに雪が積もっていたのには笑ってしまう。外はまだ真っ暗なのでベッドに戻ってゴロゴロしながら過ごし、大宮には65分遅延の6:48に到着した。大宮市(現さいたま市大宮区)の日の出時刻が6:51なのでやっと空が明るくなってきたが大宮を発車すると籠原発上野行きの普通電車826Mが2分前を走っているし、更にその前に普通電車の528Mが走っているため、「鳥海」も抜けずにノロノロ運転。

 

下車準備を済ませて待つと終着の上野駅には70分遅延の7:11に15番線ホームに到着したが自分にとって最初で最後の上り寝台特急「鳥海」乗車となってしまった。1号車の乗車率が低いせいで楽な旅をさせてもらったが所定運行では上野着が6:11着なので定期の寝台特急では日本一朝が早く、終着駅へ早く到着する列車でもあった。どうせ遅れるなら特急料金払い戻し対象になるまで遅延すればもっと寝れたのにと少し恨めしく思いながら雪の中を奮闘したであろうEF81-149を横目に見ながら1・2番線ホームへ移動した。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

寝台特急 鳥海(B寝台)

1997年1月13日(月曜日)、 上野駅15番線で青森行きの寝台特急「鳥海」の入線を待っていた。今回は弘前市にある企業への出張で弘前駅までの利用だ。飛行機だと青森空港まで始発便でも到着が9時を過ぎるので使えない。指定券などは昼休みに確保したので20時まで残業してこの時間帯でも数種類の駅弁を扱っている東京駅新幹線コンコース側の売店でまだ残っていたチキン弁当を買って上野駅15番線ホームへ移動した。案の定上野駅にはチキン弁当を置いてる店舗はなく、残ってても1000円クラスの駅弁ばかり。

 

 因みに乗車券は翌々日が祝日(成人の日)なので帰路も「鳥海」か「あけぼの」で帰る腹積もりもあったので東北線奥羽線経由で都区内~弘前間を往復乗車券(17420円)で購入しておいた。21:06くらいに尾久客車区からの回送2021レが推進運転で接近してホーム尾久寄りから推進運転用の携帯ライトを輝かせて、1号車を先頭にテールマークと尾灯を灯しながら入線。オハネフ24の貫通扉を開けて推進運転士がポータブルのブレーキ装置に手をかけながらEF81に乗務した本務運転士と無線で連絡しながら推進運転で入線して来るシーンは定期列車では「はくつる」「北斗星」「北陸」「あけぼの」「鳥海」でしか見れない。

 

入線して扉が開くと早速1号車(オハネフ24-21)に乗車して指定された12番下段に荷物を置いて牽引機を確認しに行くと長岡運転所のEF81-136であったが、最後尾1号車へ戻る際に売店で缶ビールを2本購入して車内に戻ると発車まで5分を切っていた。指定券を購入する際に一番空いていそうな禁煙B寝台である1号車のボックスがまだ誰も買われていない席をキープしたのだが1号車は尋常じゃないない数のB寝台が売れ残っているけど翌日が平日だから仕方が無い事である。21:23に上野駅を発車するとすぐに秋田運輸区の車掌が登場して乗車券と特急・寝台券を提示すると早速遅い夕飯だ。

 

ビールをひと口飲んだ後にチキンをツマミにビール飲んで残ったオカズとチキンライスで〆の夕飯を済ませて自分以外誰もいない、B寝台区画で夕飯をそそくさと済ませて備え付けの浴衣に着替えて最後尾となる1号車・車掌室横の展望スペースで後方へ流れゆく夜景を眺めていると大宮駅(21:49-49)に到着。そういえば2ヶ月後の1997年3月22日ダイヤ改正寝台特急「鳥海」は廃止になる。これは東北線陸羽東線奥羽線経由だった寝台特急「あけぼの」が高崎線上越線羽越線奥羽線経由に変更されて「あけぼの」に統合される形で廃止になるのである。

 

そもそもは「鳥海」は2往復走っていた「あけぼの」の分身で、福島~米沢(板谷峠)の新幹線を通す軌道強化等や山形新幹線開業でルートも変わって名称も変更になった歴史がある。大宮を発車しても1号車は下段さえ空席が目立ち、時間も22時になるので今夜は早めに休むとしよう。ベッドに横になって「鳥海」という列車の想い出を遡ってみると初めて夜行急行「鳥海」乗ったのが1976年で10系寝台に旧型客車を連ねた編成だった。2番目の「鳥海」は1983年に485系12連の食堂車も連結された特急「鳥海」に青森から上野までフル乗車して食堂車も利用した(1985年3月の583系代走は乗る機会を得なかった)。

 

なんて「鳥海」の思い出に浸っていたらいつの間にか夢路を辿ってしまった様である。就寝中の停車駅と時刻は以下の通り・・・高崎(22:50-53)・水上*(23:42-44)・長岡*(1:04-06)・新津*(1:43-45)・村上(2:49-50)・あつみ温泉(3:37-37)・鶴岡(4:04-08)・余目(4:22-22)・酒田(4:37-40)・遊佐(4:49-49)・象潟(5:14-14)・仁賀保(5:24-24)・羽後本荘(5:38-38)「*印は運転停車」。目が覚めたのは秋田駅到着10分前で朝ごはんをどこで買うか迷っていたが流石に7:59の大舘まで待つのは辛く、自分は弘前駅下車なので食べたらすぐに下車する感じて気分的にはノラないけど秋田駅で買うしかないのかなって感じ。

 

秋田(6:15-18)に到着すると駅弁売りを見つけたがやはりこの時間帯は「あきた小町弁当」しかないのだろうなと諦めの境地で覘いてみたら何と「牛めし」が4個だけあるので即、牛めし弁当を購入して温かいお茶と甘くない缶コーヒーも求めて車内に戻る。下り寝台特急「鳥海」は秋田~青森間がヒルネとして立席特急券でも乗れるけど端っこの1号車は誰も乗って来ないし、上段寝台もノンゲンストなのでハシゴ折り畳んで甘くない缶コーヒーを飲みながらまったりしてから買った時は冷たかった関根屋の牛めしも車内室温に慣れてきた頃なので暖かいお茶と頂く事にする(久々の牛めしは美味しかった)。

 

寝台特急「鳥海」は八郎潟(6:42-43)・森岳(6:58-59)・東能代(7:11-14)と停車して7:00の日の出時刻を過ぎるとようやく朝らしくなってきたけど1号車は相変わらず人が少なくてヒルネ客も乗ってこない。この時期は積雪でホームの端は完璧に除雪していない場所もあるのが原因なのかも知れない。流石に奥羽線だけあって雪の量もハンパないけど今のところは定時運行されているから助かる。米代川橋梁を渡ると二ツ井(7:29-29)に停車すると更に雪深くあって秋田内陸縦貫鉄道(旧国鉄阿仁合線)の線路が近付くと「みちのく」の小京都こと鷹ノ巣(7:40-41)に到着。

 

鷹ノ巣駅を発車すると進行方向右側に米代川を沿って走るが雪景色での川沿いを行くシーンもなかなか良くて東北線と違って奥羽線は変化が多くて車窓が楽しめる区間であるがやがて米代川とも離れて花輪線の線路と交わると大舘(7:58-59)に到着した。大館駅では名物"鶏めし"のホーム販売もいたけどお腹は満たされているので今回はパス。大舘を発車すると白沢~陣場の有名な撮影地でもある下内川橋梁を渡り、更に矢立峠を進み、津軽湯の沢駅手前で秋田県から青森県を入るが、流石に峠区間の積雪は多くて雪国の車窓を十二分に楽しめた。

 

区間では一部吹雪いた区間もあるので1号車の車掌室横の展望区画へ行くと金網入りの窓ガラスには案の定雪がベッタリ付着しており、真っ白で展望出来ないのが残念だけどデッキに続く展望区画はもの凄く寒いので席に戻った。やがて列車は碇ヶ関(8:20)を発車して碇ヶ関長峰でも少し吹雪いて大鰐温泉(8:29-29)に到着。弘南鉄道大鰐線の元東急の車両も見えて懐かしいが次の駅が自分の下車駅なのでネクタイしてスーツとコートを羽織って出張用鞄と菓子折りが入った紙袋(会社が用意)を手元に置いて到着を待つが弘南鉄道弘南線の線路が近付くと弘前(8:40-41)に到着である。

 

2ヶ所で吹雪かれたのに定時到着とは恐れ入るがホームに降りてオハネフ24-21を見ると全面雪に覆われて笑ってしまったが改札を出てからタクシーで出張先の企業へ行った。

 

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

臨時大垣夜行 9372M

1997年1月4日(土曜日)、 高山線DD51-821が牽引する14系座席車6Bを車で追いかけて4回も撮影した我々はE君に岐阜駅まで送ってもらい、4名(K君、N君、T君、自分)で大垣駅近くの居酒屋で夕方から夕飯を兼ねて祝杯を挙げていた。すでにホームには邪魔にならない様に先頭号車の乗車位置に場所取りはしているので腰を落ち着けてゆっくり飲める。寒い時期だったのでおでんや寄せ鍋に居酒屋定番のメニューを頼んで熱燗・温めない日本酒・ビールなど各自飲みたい物をオーダーして楽しんでいた。因みに1~2年前にY君と9372Mに乗る前に生ビールジョッキで乾杯した店で安心価格の店である。

 

大垣は鉄道のジャンクション駅(東海道線樽見線「後の垂水鉄道」・美濃赤坂支線)だけど大垣夜行や快速「ムーンライトながら」が無ければここまで有名にならなかったと思われる。17時半から21時半まで粘って大いに食べて大いに飲んで割り勘1人当り6,000円のお勘定は安い方だったが、千鳥足で大垣駅のホームに戻ると発車1時間だけど行列はかなり伸びていた。 9372Mが入線して8号車に乗ると昨日乗った9375Mと同じ神領電車区のクモハ165-108だったが22:54に大垣駅を発車した時点ではまだ空席があった。2人で1BOXキープでも良かったけど、名古屋で全席埋まるから今夜も狭いBOXで仮眠。

 

大垣駅を出ると穂積(23:00)・岐阜(23:05)・尾張一宮(23:14)の順に停車して名古屋(23:26-42)に到着。快速「ムーンライトながら」を先に発車させるために16分停車する。1996年3月改正までの9372Mは4分停車だったけど大垣夜行が「ムーンライトながら」に変わり、時刻が変わると臨時大垣夜行9375Mのダイヤも多少変更になっている。16分も停車すれば急げば駅前のコンビニにも行ける訳でホームの立ち食いきしめんも営業していれば(当然営業していないけど)食べる事は出来たはずである。案の定空席は全て名古屋駅で埋まって隣のホームを先に発車する快速「ムーンライトながら」を確認。

 

そういえば名古屋駅では夜行急行「ちくま」(4801レ)が停車していたとN君から報告があったけど自分はホームで飲み物の自動販売機を探していたので全く気が付かなかった。4人とも前夜の9375Mでは寝不足だし、かなり酔っ払っていたので眠くて特に自分は金山(23:48)以降の記憶が無く、早々に寝てしまったらしい。以降は就寝中の停車駅と時刻…大府駅(23:59-59)・苅谷(0:03)・安城(0:09)・岡崎(0:16)・蒲郡(0:26)・豊橋(0:38-43)・浜松(1:11-12)・静岡(2:09-12)・富士(2:38-39)・沼津(2:54-59)・熱海(3:17-19)・小田原駅(3:36-37)・大船(4:06-07)・ 横浜(4:20-21)。

 

横浜到着くらいには全員起きていたけど全く寝れなかったのがK君でK君曰く、もう座席夜行では寝れない体になってしまったと一言ポツリ。撮影旅では三菱デリカのフルフラットシートで横になって休むのが常になり、動く走行音が煩い足も伸ばせぬ環境では寝れなくなったとか。N君は青春18きっぷのシーズンは偶に夜行列車に乗るけど165系「ムーンライト」「ムーンライトえちご」でないと寝れないと溢していた。僕は座席夜行でも寝ちゃうけど翌日の疲れがハンパない。K君、N君、自分は1997年で39歳になるアラフォーなのでもう若くはないのだとしみじみ思った次第である。

 

座席夜行でも1BOX貸切で前の席に足を投げ出したり、グリーン車の旧シートを再利用した席ならまだまだ大丈夫だけど睡眠時間が短いと昼間に眠くなって疲れになる事もある。車で行く撮影も自宅をAM4時に出るなら23時くらいに出て三脚だけ立てて近くに車を停めて朝までフルフラットシートで車中泊した方が楽だし、ベストポジションに三脚を立てられるからつい後者を選んでしまう(閑話休題)。川崎(4:23)を発車した頃には車内の乗客も目覚めて多摩川を渡ると東京に入るがまだ車窓は真っ暗で夜の続きといった具合だが品川(4:33)では大崎方面乗り換えのN君が下車、3人で手を振り分かれた。

 

新橋(4:38)では営団地下鉄(現東京メトロ)銀座線乗り換えのK君が下車して終着駅の東京駅へ4:47に到着した。T君は中央線乗り場へ、自分は5:00発の大宮行きがあるので京浜東北線北行電車ホームへと移動して新年最初の朝帰りした。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

臨時大垣夜行 9375M

1997年1月3日(金曜日)、 今年度の年末年始休みは1996.12.28から1997.1.5の9連休と長くて例年なら12/28には仕事終りで翌年1/5は仕事始めなのだが今年度は12/28と1/5が土曜日や日曜日と重なり、例年より2日長いのでお徳なのだが、その代償で成人の日(1/15)が三連休(1995年や1996年は三連休だった)にならないので喜んでいいのか、悲しんでいいのか訳分からない年末年始である。1996.12.28から大掃除を手伝ったり、正月用品買出しのドライバーや荷物持ちに借り出されて鉄ちゃん活動はゼロであった。新年早々中京地区の友達から1月4日にDD51+14系ハザが高山本線に入線するとの情報を入手。G

 

中京地区在住E君の車はハイエースなのであと4人くらいは乗れるのでメンバーを集めるといつも世話になってるK君、同じ勤務先のN君、最若手のT君が参加メンバーになり、1月3日、品川駅10番線ホーム・臨時大垣夜行の8号車乗車位置に集合という事になった。入線時刻の3時間前に品川駅10番線へ行くと既に乗車整列位置の先頭にN君とT君が並んでおり、自分も撮影機材を乗車位置の列に並べて3人で雑談しているといつもはマイカーで動いて滅多に列車に乗る事がないK君もやってきて早々と4名のメンツが揃った。やがて10番線に臨時大垣夜行(ながら救済臨)が入線。

 

8号車に乗り込むと神領電車区のクモハ165-108で進行方向右側のボックスに集まるが車内の座席は一瞬で埋まり、快速「ムーンライトながら」の方がいい車両でシートも上質なのにこれだけ臨時大垣夜行(ながら救済臨)が混雑するのは快速「ムーンライトながら」の指定券が押さえられなかった人が多いのだろう。やはり乗車日当日でも並べば確実に座れる165系大垣夜行(375M・372M)が良かったと思うのは自分だけであろうか。新年最初の顔揃えなので銘々に缶ビールで乾杯していると「ムーンライトながら」が23:53に発車すると我が9375Mも品川駅を23:55に後を追いかける様に発車した。

 

品川駅発車時点での8号車・乗車率は100%以上で1月3日なので仕事帰りの帰宅組乗車はないけど立ち客は10名ほどいて先ほど発車した快速「ムーンライトながら」は空席もあった(二席厨?)ので明らかにこちらの方が混雑している。臨時大垣夜行9375Mは蒲田駅付近で日付が変わり、多摩川(六郷川橋梁)を渡って神奈川県に入ると川崎駅(0:06)に到着。川崎から日付が変わるので予め用意しておいた4日の日付が入った青春18きっぷをパスケース外側の見える側に入れ直しておく。K君が夜行列車に乗車したのは半年振りだそうで久々の夜行列車を楽しんでいるように見える。

 

横浜(0:14-15)停車中に携帯電話のアラームが鳴り、急いでデッキに移動して電話を受けると明日(実際は今日)お世話になるE君からで最終的な人数を伝えて明日の集合場所は岐阜駅の駅舎出口を確認。ついでに撮影被写体の事を聞くとユーロナイナー色のナクイチ(DD51-791)でなくて赤いDD51との事で客車もユーロピアでなくて、原色の14系ハザとの情報だった。席に戻って皆に報告するが満員の車内に我々と同じ装備の鉄ちゃんは誰も乗っていない。1月4日は東海道線御殿場線経由でEF58-61牽引の「さようならサロンエクスプレス東京(メモリアルサロン東京)」がある影響だろう。

 

また同日のSL奥利根号はC58363+EF62重連が運転される予定なので関東の鉄道写真ファンが中京方面に流れる訳がないのである。高山本線DD51+14系ハザも鉄道雑誌の臨時列車運転情報には記載がないのがありがたく、各地域で情報を入手して教えて貰えるのは感謝に耐えない。最若手のT君はEF58-61が牽くサロンエクスプレス東京は写したかった様だけどK君がJRFC(鉄道友の会)主催だからヘッドマークが付くよと混ぜ返して自分もEF5861+サロン東京のマルーン色はマーク無しの姿が一番と力説している。臨時大垣夜行9375Mは戸塚(0:25)・大船(0:30-30)と停車するが我がBOXは撮影ネタで盛り上る。

 

大船駅を発車すると小田原までは各駅に停車(藤沢0:35・辻堂0:39・茅ヶ崎0:43・平塚0:48・大磯0:52・二ノ宮0:57・国府津1:01・鴨宮1:06・小田原1:09-10)だが小田原から終着・大垣までは快速運転に移行する。品川駅を発車して1時間15分と少しだがいい加減に話すネタも尽きてそろそろ寝ようという事になった。車内は相変わらずデッキと車内に立ち客数名いるけど運転席があるデッキではレジャーシートを敷いて寝ている猛者もいて本当にご苦労様。自分は寝たいときに寝ないと翌日必ず疲れや睡眠不足を背負い込むので先に休ませてもらうが就寝中の停車駅と時刻は以下のとおり。

 

熱海(1:29-30)・三島(1:43-43)・沼津(1:50-56)・富士(2:12-13)・静岡(2:43-59)・浜松(3:58-4:09)・豊橋(4:39-52)・三河三谷(5:05)・蒲郡(5:08-08)・岡崎(5:20-20)・安城(5:27)・苅谷(5:35)・大府(5:40-40)・共和(5:44)。目が覚めたら列車は共和~大高の築堤上を走っており、1989年にこの築堤でEF5861+EF5889+江戸を撮影したのを思い出した。他の3人は既に起きており、僕が一番寝坊だったようである。遅くまで起きていたメンバーの話によれば16分停車の静岡ではコンビニ買い出し組が出没して、13分停車の豊橋では快速「ムーンライトながら」を抜いたそうである。

 

金山(5:58)を発車すると名古屋(6:03-08)で車内の約半分の乗客が下車して更に新規の乗客も増えて入替わるが5分間停車するのでホームの自販機でポッカ缶コーヒー190g缶を購入して車内でまったり飲んでいると名古屋駅を発車したので早々に下車準して待つ。途中、稲沢(6:16)・尾張一宮(6:21)に停車しながら岐阜駅へ6:29に到着したので急いで下車、改札を出てE君が運転する車の世話になって一気に撮影地を目指す。自分たち余所者が運転すると主要道路(国道・バイパス)を走るし、事実ナビもその道路を教えてくるのでナビのいう事を聞いてしまう事は多い。

 

しかしE君は混雑する主要道路は避けて、信号が少なく、流れが良い県道を抜けて最初の撮影地である各務原~鵜沼に到着。撮影すると追っ掛けモードに入り、2発目は下麻生~中川辺、3発目は焼石~飛騨金山、トドメの4発目は飛騨小阪~渚で〆て遅めの昼飯をファミレスで雑談しながら楽しんで大垣駅まで送ってもらった。撮影した被写体も赤いDD51に牽かれる青い原色14系客車が何発も撮影出来てよかった。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

1996年の夜行列車乗車回数

1996年に乗車した夜行列車の多さは尋常ではないくらいの本数でかつての自分に於ける年間乗車回数記録だった1984年の29回乗車が記録だが、なんと1996年はそれを簡単に塗り替える40回乗車という記録を作ってしまった。1ヶ月間に3.3回も夜行列車に乗った事と同じになる訳であれから26年経過した今でも忘れられない衝撃と戦慄だった(苦笑)。出張利用も12回乗車しているが出張を別にすれば28回だけどそれでも多すぎる。僕は旅行に行かない日は毎晩21時まで残業してたし、月に1~2回くらいの土曜日は休日出勤もして稼いでいたし、子供を連れて行った回数も多いため、嫁も大目に見て行かせてくれたのかも知れない。

 

さて1996年の出張利用で乗った夜行列車は以下のとおり・・・「あけぼの」「北斗星」「はくつる」「富士」「北陸」「瀬戸」「出雲3号」「銀河」「エルム」で2回乗車が3列車もあった。それでは1996年の夜行列車別ランキングやその他で分けたランキング形式で紹介するが列車名のない375Mや9372M等は大垣夜行、中央線臨時快速8421Mは中央夜行として集計した。1996年に乗車した夜行列車の種類は全部で18種類で数多くバラけているが1回のみ乗車が9種類もあって面白味に欠ける結果となっている。それでは【列車別ランキング】【列車種別ランキング】【利用施設ランキング】【形式別ランキング】を紹介しよう。

 

★夜行列車の列車別ランキング★1位は2種類あって6回乗車の「あけぼの」と同じく6回乗車の「ムーンライト」(ムーンライトえちご)が同数の1位であり、両列車が1位に輝いたのは初の快挙である。2位は3回乗車の「大垣夜行」「北斗星」「北陸」「八甲田」の4種類、更に3位は2回乗車の「瀬戸」「銀河」「はくつる」「おおぞら」の4種類という有様。4位は1回乗車の「富士」「鳥海」「出雲」「利尻」「オホーツク」「中央夜行」「エルム」「能登」の9種類と多すぎて2位から4位までは集計してて本当につまらない(乗っていた時は楽しかったけど)結果になってしまい遺憾である。

 

★夜行列車・種別ランキング★1位は特急種別の23回(あけぼの⑥・北斗星③・はくつる②・北陸③・おおぞら②・瀬戸②・富士①・鳥海①・オホーツク①・出雲①・エルム①)。2位は普通・快速種別の10回(ムーンライトえちご「ムーンライト含む」⑥・大垣夜行③・中央夜行①)という結果で、3位は7回乗車の急行(八甲田③・銀河②・利尻①・能登①)であった。

 

★夜行列車・乗車形式ランキング★1位は19回乗車の24系(あけぼの⑥・北斗星③・はくつる②・瀬戸②・富士①・鳥海①・銀河②・出雲①・エルム①)。2位は9回利用の165・167系(ムーンライトえちご⑥・大垣夜行③)。3位は8回利用の14系寝台車(北陸③・おおぞら②・八甲田①・利尻①・オホーツク①)。4位は2回利用の14系座席車(八甲田②)、5位は1回利用が2種類あって115系(中央夜行①)と同じく1回利用の489系(能登①)という結果になりました。因みに道内夜行特急の「利尻」「オホーツク」「おおぞら」は全てスハネフ14である。

 

★夜行列車・利用施設ランキング★1位は13回利用のB寝台車(はくつる②・瀬戸②・銀河②・おおぞら②・鳥海①・出雲①・八甲田①・エルム①・利尻①・オホーツク①)。2位は12回利用の1人用B個室ソロ(あけぼの⑤・北斗星③・北陸③・富士①)。3位は6回利用の指定席(ムーンライトのちのムーンライトえちご⑥)、4位は5回利用の自由席(八甲田②・大垣夜行①・中央夜行①・能登①)。5位は2回利用のグリーン車大垣夜行②)、⑥位は1回利用、A寝台個室シングルDXとB寝台個室デュエットが同位差で(A1:あけぼの①)(B2:北斗星①)。

 

1996年はSA1(ロイヤル)クラスの利用は0回でA1利用も1回のみでそれも家族旅行での乗車だから極力予算は押さえていたけど乗車回数が尋常ではないので嫁のやりくりも大変だったのではないだろうかと感謝に耐えない。1996年も自由席の座席車が大幅に減っているが自由席連結の客車夜行列車がこの時点で減っている。臨時急行「八甲田」「津軽」の運転日数も大幅に減ったし、今まで繁忙期だけ走った臨時急行「おが」「天の川」「十和田」も3~4年前に完全廃止になって客車臨時夜行「妙高」も電車に変わっている。

 

今後僕が乗る夜行列車数は明らかに低下してゆく、1998年のワイド周遊券・ミニ周遊券廃止でお得な切符が消えてしまい、撮り鉄メインの自分としてはだったら自宅からマイカーの方が・・・って事になってしまう。僕がアクティブに夜行列車に乗り歩くのも1997年か1998年くらいになりそうであるがこればかりは集計を終えてみないと判らない。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★