夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 銀河(B寝台)

1996年9月6日(金曜日)、 「ひかり107号」にて大阪へ移動して昼過ぎからの打ち合わせの出張が無事に終ったけど出張先のかなり前から懇意にさせてもらってる人から一席設けたと言われて翌日は土曜日なのでこちらも気が大きくなって中央区淀屋橋界隈で宴会になり、二次会が終って時計を見ると既に「のぞみ28号」はとっくに発車して東京行き最終となる「のぞみ304号」も発車まで15分くらいなため、諦めて寝台急行「銀河」狙いで大阪駅へ移動した。とりあえず指定券だけは確保したいので大阪駅みどりの窓口へ行くと禁煙車の9号車下段が空いているので発券してもらう。

 

まだ何とか店を開けていたキヨスクの土産物屋で家族の土産に小倉昆布(塩昆布詰め合わせ)と銘菓を購入して寝台急行「銀河」が入線する10番線ホームで待っていると向かいの11番線ホームには急行「きたぐに」(583系10B)新潟行き(新津~新潟は快速列車)の自由席を待つ乗客が数人並んでいる。入線時間になると宮原客車区から北方貨物線経由で塚本方から急行「銀河」のライトが近付いて入線したが、何と牽引機は田端運転所のPF3次車でもあるEF65-1029だった。扉が開くと早速9号車のオハネフ25-39に乗り込み、寝台に荷物を置いて機関車を見に行くと大きいパンタにスノープロウが恰好いい。

 

ホームの自販機で明日の朝飲む甘さ控え目な缶コーヒーを買って車内に戻ると大阪駅を22:05定刻で発車すると数分後に車掌が急行寝台券と乗車券のチェックに来た。浴衣姿に着替えていると列車は新大阪(22:10-11)に到着して9号車は4人乗ってきたが、今夜の急行「銀河」禁煙席は4割近い売れ残りがあるのを指定券購入時に確認している。窓口担当者は9号車指定をかける前に禁煙車だけで確認(端末のモニターディスプレイに残席数が、表示される)した時に残数を聞いた。京都(22:42-43)に到着したけどベッドで横になるのでカーテンを途中まで閉めていたので人数は分からないけど6~9人?くらいが乗車。

 

「銀河」に乗るのは1月ぶりで上り「銀河」に関して言えば1994年1月以来となり、2年7ヶ月ぶりであるが新幹線「のぞみ」が更に増えると出張での銀河利用は更に減るけど今夜みたいな仕事で最終「のぞみ」に乗れない時は使える手なので使って行きたいけど翌日出勤日だと勘弁願いたいもの。今宵乗ってるオハネフ25-39は製造されて1976年2月25日に宮原客車区へ配置され、「日本海」「つるぎ」に使用。1986年11月からは「銀河」にも使用されてオハネフ25-39は宮原から出る事もなく、客車の生涯を終えて1999年5月12日に廃車された。

 

大津(22:57-57)を発車したので早いけどそろそろ寝る事にしよう・・・以下は就寝中の停車駅と時刻。米原(23:44-50)・名古屋(0:53-57)・富士(4:23-31)・沼津(4:48-51)・熱海(5:08-11)・小田原(5:31-32)。起床したのは6時少し前で藤沢~大船辺りであったが列車は大船(6:02-03)に到着すると自分の朝の洗顔と歯磨きに下車準備と忙しい朝を過ごす。寝台車には100回以上乗ってるけど朝早く終着駅に到着する列車は朝の時間が慌ただしい。それでも窓から一瞬見えた大船観音が見え、東海道本線・東京口では唯一のトンネルで煉瓦積の1887年に竣工、鉄道隧道では現役最古参の清水谷戸隧道に進入。

 

隧道を出るとおよそ5分ほどで横浜(6:17-18)に到着して、約10分で川崎を通過して六郷川橋梁を渡り、東京都に入る。昨日の夜に大阪駅ホームで買った甘くない缶コーヒーを飲みながら東京に帰って来た実感と急行「銀河」の旅も終わりである寂しさを心に感じながら山手線や京浜東北線と並走しながら品川(6:34-34)に到着した。田端へ帰るには品川駅から山手線外回り電車の方が早い気もするけどせっかくだし、東京駅まで行こう。品川を発車すると一大車両基地を通過するのだが毎回の様に珍しい客車や機関車が来ていないか確認するが客車では長野総合車両所のスロフ14とオロ14の800番台が停車。

 

機関車では長野総合車両所EF64-42が停まっており、高崎運転所のEF64-36が停車していたがナノ座(浪漫)のプラスゴールドとロイヤルブルーのカラーが目に眩しかった。浜松町駅を通過したくらいに車掌の東京到着車内放送が流れて6:42、定刻に東京駅9番線ホームへ到着した。新橋側では寝台特急「出雲2号」を牽引してきたEF65-1052が牽引して品川まで回送するので一番先頭へ歩くとなんと電源車がトワイライトエクスプレス色のカニ24-12であった。

 ☆☆来週1月24日のブログは都合によりお休みさせてもらい1月31日に再会します☆☆

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1975年の時刻表から・・・東海道夜行②

2021年11月22日にUPした「1975年の時刻表から・・・東海道夜行」の続きで関西(京都・新大阪・大阪)発着の夜行列車を紹介します。時期的には1975年3月と言えば山陽新幹線が博多開業した年で多くの夜行列車が統廃合や淘汰された時期だけど、まだ関西発着の東海道・山陽方面の夜行列車は元気があった時期であります。

 

では1975年3月号の時刻表/下り東海道線山陽線89ページから。関西始発下り東海道線山陽線最初の夜行列車は新大阪17:55発の寝台特急「明星1号」の西鹿児島行きで583(581)系の電車寝台にグリーン車1両と4両が普通座席指定席車になっているがこれは4両寝台をセットしないで座席車として販売しているが583(581)系を組み立て寝台設定するスタッフが不足しているため。2番目の出発は新大阪18:12発の座席夜行急行「雲仙」+「西海」の長崎行きと佐世保行きで肥前山口駅で両列車は切り離して単独で運転。客車は1975年3月から14系座席車の6B+6Bの12両で運転。

 

3番手は新大阪を18:28に発車する日豊線経由の宮崎行き・寝台特急「彗星1号(3003M)」、編成は583(581)系で寝台特急「明星1号」と同様で4両が全車指定の普通座席車なのも上記に書いた理由である。何で客車の「彗星」が都城まで運行されるのに583(581)系だと宮崎止まりなのかは宮崎からまだ非電化区間なので乗り入れが出来ないだけという理由。4番手の発車は新大阪18:42発の寝台特急「明星2号(25レ)」西鹿児島行きで24系25形0番台使用。全てがモノクラスだけど初めて2段ハネの24系25形が関西に投入された列車。5番目は京都を18:20に発車する寝台特急「明星3号(27レ)」の西鹿児島行きで583(581)系でグリーン車と非営業のサハネ581意外は全車B寝台で運転となっている。

 

なお1975年10月2日当時の583(581)系関西口・発着車両は門ミフ車を全車両大ムコに集中配置した12両編成で編成組換えがなされている。6番手の発車は大阪19:10発の寝台特急「あかつき1号(41レ)」、長崎・佐世保行きで早岐の14系14形で運転。肥前山口で長崎行きと佐世保行きを分割運転してA寝台は長崎行きに連結。7番目の発車は新大阪19:15発の夜行急行「阿蘇(203レ)」の熊本行きで熊本の14系座席車12両なのに全車指定席という強気だが翌年1976年3月より一部自由席連結、更に1978年10月よりこの先に登場する夜行急行「くにさき」と統合されて門司まで「阿蘇」+「くにさき」という多層立て列車になる。

 

8番手は季節列車の夜行特急「明星4号(6029レ)」、西鹿児島行きだが14系座席車使用の全車指定席で運転。更に9番手は新大阪19:31発の寝台特急「彗星2号(3005レ)」の都城行きで全車モノクラスオール二段B寝台は向日町の24系25形0番台・12両編成を使用。いよいよ二桁10番目の発車は名古屋16:50発(途中大阪19:51発)の臨時夜行特急「金星51号(8031レ)」西鹿児島行きで全車指定席、14系座席車(区所名不明・・・客車運用が名古屋起点なので受け持ち区はおそらく名ナコか?)。11番目の発車は新大阪19:58発の臨時特急「彗星51号(8009レ)」宮崎行きで全車指定席の14系座席車使用。

 

12番目の発車は新大阪駅20:27発の寝台特急「あかつき2号」(33レ)+「明星5号」(33レ)長崎・熊本行きで全車向日町の24系25形、オール2段ハネのモノクロスB寝台編成。2本の列車は鳥栖で分離運転している。13番手は大阪20:44発、夜行急行「くにさき(205レ)」大分行きで列車名は国東半島から銘々、宮原の14系座席車11両を使用して全車指定席で運転しているがその後に「阿蘇」と併結して自由席も連結している件は2番目の急行「阿蘇」に記述済み。14番目は新大阪20:44発、寝台特急「なは」(35M)の西鹿児島行きで583(581)系にて運転・・・西鹿児島行きなのに沖縄県の県庁所在地名の列車名が意味不明。

 

15番手は新大阪20:57発の臨時急行「阿蘇51号」+「くにさき51号」(7111レ)の熊本行きと宮崎行きで下関まで全車指定席、使用客車の詳細不明だけど12系座席車か旧型客車かと推察される。全車指定席の臨時夜行急行に旧型客車は無さそうな気がするのだけど?。16番目は新大阪21:27発、寝台特急「明星6号(43レ」+「あかつき3号(43レ)」の熊本行きと佐世保行きで、この列車は筑豊線経由で鳥栖まで向かい、鳥栖で熊本行きの「明星6号」と佐世保行きの「あかつき3号」を切り離す寝台特急で客車は門ハイの14系14形客車を使い、1~7号車までが「あかつき3号」(2号車はオロネ14)、8~13号車が「明星6号」であった。

 

17番目は新大阪21:43発、寝台特急「彗星3号(3011M)」の大分行きで大ムコの583系を使用して1両のみ寝台をセッティングせずに指定席を発売していたが寝台解体・設営要員の目処がつくとB寝台として設定。18番目は新大阪21:58発、臨時特急「あかつき51号(8045レ)」の長崎・佐世保行き、14系座席車6B+6Bユニットの編成で全車指定席・・・肥前山口駅で編成を分割して運転。19番目は新大阪22:27発、寝台特急「明星7号(37M)」の博多行きだが大ムコの583系を使用して1両のみ寝台をセッティングせずに指定席を発売していたが「彗星3号」同様その後にB寝台として設定されている。

 

いよいよ20番目である、大阪22:40発の臨時夜行急行「阿蘇52号」(8113レ)の鳥栖行きでこれまた強気の下関まで全車指定席だが残念ながら使用客車が全くと言っていいほど分からないのである。客車なので14系座席車か12系客車、はたまた旧型客車なのか全く予想が付かない。14系座席車は臨時夜行特急のハザシで多く利用されているから臨時急行まで回らないと思う。21番目の発車は新大阪22:58発の寝台特急「安芸」(1001レ)は呉線経由の下関行き、

 

「安芸」はそもそも急行列車だったけど1975年3月10日に急行「音戸」の特急格上げにより、再々度新設された寝台特急で下関運転所の20系寝台車で運転。関西発着の山陽方面定期寝台特急では唯一の20系だったけど1977年10月に24系25化されたが1978年10月2日には利用客減少にて廃止になった僅か3年7ヶ月弱の短い生涯だった定期寝台特急だ。いよいよ発車時間帯が深夜の23時を越えると23番目の発車は新大阪23:31発の宇野行き急行「鷲羽1号」(601M)で関西始発の定期夜行列車では最終列車となる。急行「鷲羽1号」は宮原の153系だが5号車のグリーン車のみサロ165を組み込んだ全車指定編成である。

 

そして24番目は新大阪23:25発の臨時急行「鷲羽51号」(9603M)の宇野行き、宮原の165系モノクラス編成で全車指定席だが「鷲羽1号」(601M)も行「鷲羽51号」(9603M)も宇野線宇野駅から宇高連絡船・深夜便に接続しているが宇野着がAM2時台なので寝れない夜行列車としても有名。走行区間も短くて中途半端だけど関西圏からの四国連絡列車として多客期シーズンのみ人気があった。

 

関西発着山陽・九州方面の夜行列車は以上だが番外編として名古屋を22:50に発車する福岡行きの寝台特急「金星」も京都と大阪に停車するので敢えて仲間に入れておく。「金星」は583系門ミフ車を使用、博多着が10:11なのでビジネスには使えないが下松以西の山口県内には出張に使いやすい時刻。以上で終わりだが名古屋始発を含めた関西始発の山陽本線方面・九州方面の定期夜行列車が9種類もあるのに30年後の2005年に残ったのは何と「彗星」「なは」「あかつき」のみという事実。

         

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寝台特急 北斗星2号(B1)

2022年最初のブログですが本年もよろしくお願いします

 

1996年8月31日(土曜日)、長かった息子との北海道旅(道内夜行4泊・宿2泊)を終えてお土産も沢山買って(夕張メロンカニは宅配便で送ってある)札幌駅5番線ホームの5号車・乗車位置で上野行きの寝台特急北斗星2号」を待っていた。実は仕事で札幌在住のM君(高校時代からの友達で2019年に交通事故で他界)と北斗星2号入線直前まで喫茶店でお茶を飲んでいたのでそのまま見送ってもらう事になった。帰路は子供から再三再四要望があった1人用B個室である。ご存知の方も多いかと思うけどJRマルス端末からの個室券の発券操作は1回の操作で1件のみなのでリスクが高い。

 

特に「北斗星」の個室は難易度が高くて僕にとっても始めてのチャレンジだったがもし2枚目のソロが取れない可能性も考えてB2デュエットは信頼性があるJR北海道プラザ東京店にマルス操作1ヶ月前に頼んで更に別駅でも10時打ちを2駅でお願いして5号車3番(2F)と5号車8番(1F)を何とか確保する事が出来た。どっちがいいか子供に選ばせると進行方向に向いて座れる1階席の偶数(5号車8番)個室をチャッカリと選んでくれて余った5号車3番には僕が入る事にして5号車8番の特急・寝台個室券を息子に渡しながら見送りに来てくれたM君が「二世は鉄ちゃんの才覚がありますね」などと冷やかすから嬉しいやら悲しいやら(苦笑)。

 

そうこうする内に5番線ホームも賑やかになったところへ札幌運転所からの回送1列車が接近するとDD51 1148+????のDD51重連総括が24系を牽引してホームに接近すると V型12気筒ディーゼル機関2,200PS/1,500rpm×2両(重連)のエグゾーストノート音に包まれて轟音の中でDD51が入線。注意喚起の短笛を鳴らすと目の前に今夜乗る24系の客車がゆっくり通過する。非電化王国の北海道でしか見られないシーンで全線電化された首都圏では見れない貴重なシーンだと思う。無事17:07に入線した「北斗星2号」の5号車6番に乗り込むと5号車はオハネ25-551。

 

暫く使わない息子の部屋(5号車8番)は勝手に使われない様に鍵をかけておき、ホームの売店で冷えたビールを買ってる時間はM君に子供を預けてちゃって申し訳ないなと思いながらももう寝台特急北斗星2号」発車時刻である。M君に見送られて札幌駅を17:13に寝台特急北斗星2号」は札幌駅を発車した。しかしやる事はまだある・・・7号車のGrand Chariotへ行ってシャワーカードを同一時間で2枚予約して急いで号車8番に戻るとビールで乾いた喉を湿らせていると札幌車掌所の車掌が来たので個室寝台券と北海道フリーきっぷに中小国からの普通乗車券も見せて自由な時間になった。

 

北斗星2号」に乗るのは久々で1995年5月以来で近年は子供と北斗星に乗る事が多くてB2が多いけど帰路はB1が2枚取れたので子供は既に今からワクワクしているみたいだ。息子は早く自分の部屋に行きたそうなので早めの夕飯を一緒に食べるが僕が選んだのは南千歳駅で買ったサーモン寿し(700円)と日高路(600円)。息子はえぞ寿司(650円)と札幌駅のとりめし(700円)で早めの夕飯にして残り1個の駅弁は夜食に回すので今回はパブタイムは行かないからねと確約してある。今日は8月最後の土曜日だけど個室指定券は全て売切れになってると車内放送の情報。

 

札幌駅から34分で南千歳(17:47-48)に到着すると息子は自分の部屋に行きたそうなので注意点を述べてから開放したが注意点は個室に入ったらロックする。6号車のロビーカーへは立ち入り自由にしたけど絶対にホームへ降りない事、遅くまで起きてないで早く寝る事、個室から出るときはテンキーロックして暗証番号忘れたら車掌に申し出る事などを付け加えて息子は飲食物と飲み物を持って自部屋の5号車8番へ引っ越して急に静かになったので1人で飲み始めると苫小牧(18:08-09)に到着した。息子の部屋へ遊びに行くとM君からもらった土産の北斗星マークを模ったキーホルダーを眺めてニヤついてる。

 

電着塗装という電気化学応用を使用した塗装法の一つで電位差で塗装成分を電気泳動させる事によって被塗物の表面に塗膜を折出させる塗装印刷技術で25形の車体色である青20号にゴールドラインが入って中央に北斗星のマークがリアルに輝いている俺が欲しいと思ったくらいに精巧に忠実に再現されたキーホルダーだ。そろそろ予約しているシャワーの時間なので北斗星のシャワーセットなどを持って息子と6号車のロビー室(スハネ25-502)にあるシャワー室へ行くとA室・B室両方開いていたので親子で同時に入る。

 

シャワー中に登別(18:40-41)に停車していたようだが僕が先に出て息子が出てくるのを待ってから少しロビー室で寛いでから5号車に戻ると車内販売と遭遇したので冷えてるサッポロクラシック缶を買っていると子供が僕の顔を覗きながらアイスクリームを買えと言いたげそうなのでアイスも追加して支払いを済まして5号車の通路で息子と別れたが「北斗星2号」は東室蘭(18:55-57)に入線するところであった。8月末における道内の日の入り時刻は遅く(18:16)、東室蘭を発車してやっと待望の非電化区間に入ったのに外は暗くて景色は楽しめないが夜行列車らしくなってきた。

 

個室の照明を全て落として黄金駅周辺や北舟岡駅周辺の砂浜海岸の様子を見ながら3年前くらいに北船岡駅前に車を停めてK君と車中泊した事を思い出す。AM5:45過ぎに3本続けて通過する上りDD51貨物を踏切で撮影するために駅前車中泊したあの日の思い出が懐かしい。伊達紋別(19:16-17)と洞爺(19:30-30)に停車しながら暇なので6号車のロビー室へ遊びに行くとなんと息子が座っているけど僕が近くには行かずに離れた席で知らんぷりしながら子供の様子を伺っていると列車はトンネル区間走行中なのに車窓を気にしている姿にいぶかしんでいた。

 

一瞬トンネルを出てすぐにトンネルを入ると息子は満足そうに僕がパソコンで編集作成した北斗星2号の全停車駅と全通過駅の通過時刻を書いたコピー集を見始めた。礼文華隧道と幌内隧道の間にある小幌駅を確認したようで、この10数年間は秘境駅として人気はあったけど1996年当時はコアなファン以外は気に留める者は少なかったのである。マイナーな小幌駅を確認するなんて小学4年生なのにヤルなと嬉しく思っていたら列車は長万部(20:01-01)を発車。子供が席を外したので自分も自販機で缶ビールを購入して5号車の個室に戻る。

 

夜食夜に残しておいた駅弁「日高路」を缶ビールで流し込んだけど日高路はシシャモとハモ蒲焼の押し寿司で600円という価格を考えてもなかなか美味しく、価格も低く抑えられてベストチョイスでした。寝台特急北斗星2号」は八雲(20:25-25)に停車して自分も個室の照明を落として部屋を真っ暗にしてから落部野田生落部~石倉・本石倉~石倉や桂川石谷などの噴火湾(内浦湾)の海岸沿いに進む車窓を眺めながら自宅から持って来たポータブル・MDプレーヤーで好みの洋楽を聴きながら漁火を炊いてるイカ釣り舟を見ながら自分の世界に入っていると森(20:53-53)に到着。

 

森駅で駒ヶ岳越えの本線から砂原線と別れて函館本瀬は姫川(現姫川信号所)、東山と駒ヶ岳まで急勾配を登るのでフルスロットルで力行してるDD51重連の唸り音が聞こえてきそうだ。大沼公園駅を所定で通過したので息子の部屋に行くと案の定息子は部屋を真っ暗にして窓ガラスに顔を付けて景色をガン見していたので仁山駅周辺で函館の夜景を空気が澄んでいれば函館山の輪郭が見えるポイントを伝授する。トンネルを出たら函館の街の夜景が、見れるからと伝えてその一瞬を待っていると函館の街や五稜郭の街が見えた・・・真夏なので函館山はガスっていたのが残念。

 

函館駅で機関車交換があるので11号車のデッキへ移動するとちょうど函館(21:40-46)に到着したのでホームに降りて待機していると青函運転所のED79-14(ED75-786を改造)が接近して連結された。貫通試験や制動試験の自動ブレーキ弁操作で聞こえるエアー音が終るとポケットに入れた無線機からイヤホンを通して無線機の感銘テストが聞こえたので車内に戻り、ドアが閉まると「こちら2列車の車掌、2列車函館発車」の無線が聞こえてきたので11号車(オハネフ25-8)から5号車へ戻る時に通過した、グランシャリオはパブタイムで盛況でした。

 

6号車のロビー室に向かうと空いていたので息子と座るが子供は僕が作成した北斗星2号の時刻表ばかり気にしている。知内駅(知内信号所⇒湯の里知内信号所)を通過すると列車は汽笛を鳴らしながら長さ1.2kmの第一湯の里トンネルに進入したが、多くの人はこのトンネルが青函トンネルだと勘違いしてるけど実際には第一湯の里トンネル過ぎて非常に短いシェルターで覆われたコモナイ川橋梁を渡ると全長53.85kmの青函トンネルに入るのだが車内からだと第一湯の里トンネルとコモナイ川橋梁のシェルターは一体化している(一体化した青函隧道総延長は約55km)ので非常に分かりずらい。

 

なんて事を子供に教えたけどそこまでは難しいようで理解は出来ないみたいだけど吉岡海底駅(現吉岡定点)を通過してトンネル最深部分に向かう。最深部分には青色と緑色の蛍光灯による目印があるのですぐに分かるが青函トンネル完成前から津軽海峡中心部は公海上で日本の排他的経済水域ではなかったが青函トンネルの完成でトンネル内(作業坑・先進導坑・などを含む)は日本の主権が及ぶ領土になった逸話があるが津軽海峡自体は公海上だ。列車は竜飛海底駅を通過すると青函トンネルから地上に出て暫く走ると新中小国信号所(JR北海道JR東日本の境界線)を通過したので子供を連れて5号車の個室へ戻る。

 

子供にとっては夜遅すぎでもっと早く撤収するべきだったと反省しても後の祭り!・・・蟹田(23:37-38)で運転停車して下り急行「はまなす」とすれ違うシーンを通路で眺めていたら何と寝たはずの息子が出てきた。寝ろと言っても寝てくれないのため、青森駅でキューゴー見に行こうかと誘ってみる。実は8月30日の夕方に1レはEF81-95だと知り合いから携帯に連絡をもらっていたので情報は掴んでいたのだ。息子と1号車のオハネフ25まで歩いて最後尾(青森発車から先頭になる)に到着すると暫くして青森(0:05-13)へ到着するとホームへ出て先頭部分へ行く。

 

待っているとSER(Super Express Rainbow)色のEF81-95が接近して北斗星2号のオハネフ25へ連結されるのを見物すると目立つ朱色にサイドにEF81とレタリングを施したデザイン塗装に子供は喜ぶが、95号機は1973年度に製造されて富山第二機関区へ新製配置、常磐線のEF80老朽化対策で1982年に田端運転所へ転属。1987年に登場した14系欧風座席客車(Super Express Rainbow)の配色に合わせた派手な機関車になっている。早めに車内に戻って5号車に移動して今夜はこれで寝るように言い、明日はゆっくり8時まで寝ていいからオヤスミを言って分かれた。

 

自分も部屋に戻ってすぐに就寝したけど以下は就寝中に停車した駅と時刻(運転停車除く)・・・仙台(4:49-51)・福島(5:50-52)・郡山(6:31-33)・宇都宮(7:56-58)。昨夜は0:30くらいに寝て宇都宮停車中に目が覚めたので7時間くらいは寝た計算になるけどやはり眠く、起きて子供を起こしにドアを何回も叩くが返事がない。するとトイレにでも行ったのか浴衣姿の息子が眠そうな顔をしながらトボトボと歩いてきた(実はロビー室からの帰りだとこの後に自供した)。今からグランシャリオに行くにも面倒だし、どうしようかと思案していたら車内販売が接近。

 

弁当は売り切れだけどサンドイッチならあるとの事でサンドイッチ2個にホットコーヒーと子供用にオレンジジュースを買って部屋に戻って食べる。北斗星の車販サンドイッチを食べるのは初めての経験だけど日本食堂・仙台営業所謹製でした。1970年代や1982までの東京発着ブルトレの車内販売サンドイッチは食堂車で作っていたから美味しかったけど時代は変わったなと思う。仙台(4:49-51)積み込みなので未明2~4時に製造しただろうと推測するがサンドイッチのパンがパサついていた。そんなサンドイッチをコーヒーで流し込んで朝食が終ると列車は蓮田駅を通過。

 

北斗星2号はEF81-95なのと夏休み最終日兼日曜日なので多くの撮り鉄諸氏がヒガハス(東大宮~蓮田間の撮影地別称)に集まるだろうと楽しみにしている95牽引情報が流れたのか多くの三脚が並んでやはり95は人気の機関車だ。僕は洗面にハミガキと髭を剃っていると大宮(8:54-56)に到着して下車準備も終らしてから子供と残り僅かの乗車を楽しむ。昨夜は何時に寝たのか聞いてみると運転停車の八戸まで起きていたそうで困った物であるが本人にとっては楽しい旅であったらしい。

 

かく言う自分も懐かしいローカル線に乗れて楽しかったけどそんな話をしていると上野駅地平ホームへ通じる線路へ入って定刻どおり9:21に上野駅14番線ホームへ入線した。ホームへ降りると北海道の心地よい気温や北斗星のエアコンに慣れた身に蒸し暑い熱気が纏わりついて東京は朝なのに猛暑でいっぺんに鬱陶しくなる。いつものマンネリした北斗星のレポートだけは避けたくて視点を変えて父親の目から書いてみたがブログ本文が長すぎてしまった。

 

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特急 オホーツク10号(B寝台)

1996年8月29日(木曜日)、 残った道東観光地をレンタカーなどで回った自分達親子2人は網走駅の駅舎内で22:15発・札幌行き特急「オホーツク10号」の改札が開くまで待機していた。長かった子供と2人親子北海道旅だったけど今夜乗るのが道内最後の夜行DC特急のラストになる。21:50に特急「オホーツク10号」の改札が始まり、改札を通ると1番線にスハネフ14をキハ183系でサンドイッチした一風変わった編成が停まっているので3号車のスハネフ14-508に乗車、3番下段と4番下段だったので自販機の飲み物を買いがてら編成を眺めると「スーパーとかち」色の183系が混じっているのがご愛嬌。

 

8月下旬の木曜日、B寝台は大いに空いており、3割くらしか乗っていないけどこの先の北見で乗客が増えると思うので何とも言えないけど22:15に定刻で網走を発車すると旭川車掌所の車掌がキップ拝見で巡回してきたので親子で北海道フリーきっぷと金額表示のない特急寝台券を見せてから今夜は早く寝るんだよと息子に言い聞かす。夜行おおぞらに比べて「オホーツク10号」は1時間15分乗車時間が長いのですぐには寝ずに暫くは夜行列車の雰囲気を楽しむために4号車の空いてる自由席に座って暫し、就寝前の一時を楽しんだ。

 

女満別(22:38)に停車して多少の乗車客を拾って美幌(22:50-51)を境に自由席から3号車の寝台車に戻って浴衣に着替えて寝台に潜って就寝した。以降は就寝時間中の停車駅・時刻・・・北見(23:17-18)・留辺蕊(23:41)・生田原(0:07)・遠軽(0:24-34)・丸瀬布(0:59)・白滝(1:30)・上川(2:23-46)・当麻(3:32)・旭川(3:45-4:20)・深川(4:47-48)・滝川(5:10-12)・砂川(5:20)・美唄(5:36)・岩見沢(5:51-52)。朝6時ごろ目が冷めてトイレを行くために息子の寝台のカーテンを捲るといないので3号車のトイレと4号車のトイレを探すが使用されずにトイレの扉を開けて中を確認すると息子は入っていなかった。

 

これはもしかして途中の駅で降りたって事はないと思うが途中駅で息子が浴衣姿でホーに降りれば車掌や駅員くらいは気付くだろう。やや青くなってグリーン車のトイレでも入っているのかと探しに行くと何と寝台車備え付けの浴衣を着たままグリーン車の端の席に座っていたので頭を軽くポンと叩いてデッキに出て注意をしてから3号車の寝台に戻る。江別(6:10)を発車すると札幌駅までは20分なので洗面にハミガキや下車準備を済まして待つと既に列車は千歳線と並んで走り、定刻の6:30に札幌駅4番線ホームに滑りこんだ。

 

8月30日(金曜日)札幌駅構内でホットコーヒー(息子はホットミルク)を飲んで暫し休憩した後、帯広行きの特急「スーパーとかち1号」の2階建てグリーン車、キサロハ182-550番台のグリーン車に乗って帯広では豚丼の老舗ぱんちょうでランチタイム。帰路は特急「「スーパーとかち6号」の2階建てグリーン車でとんぼ返りしたが行きのグリーン車はA席orB席、帰路はC席+C席で一人用席を向かい合せに座っていると車掌のご好意で1階部分の普通2人用個室も見学させてもらった。翌日は朝が早いので札幌駅北口前のホテルクレスト札幌(当時僕が札幌で愛用してたシティーホテル)のツインに宿泊。

 

翌日8月31日はこれまた子供のリクエストだった「スーパー北斗」での往復で「スーパー北斗2号」で函館まで行って函館朝市の海鮮丼屋さんで早めのランチを済ませて「スーパー北斗6号」で札幌駅へ戻った。同じ列車で戻るだけという芸のない乗車行為だが子供のリクエストとあれば致し方ない(苦笑)。

 

2021年最後のBlogUPとなります・・・早いですがよいお年をお迎えください。

 

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特急 おおぞら13号(B寝台)

1996年8月28日(水曜日)、 宇登呂温泉の知床第一ホテル朝9時少し前にチェックアウトした僕たち親子はウトロのゴジラ岩に見送られる様にレンタカーで能取湖、能取岬、サロマ湖などをドライヴィング周遊しながら半日観光&景勝地巡りを楽しんで網走でレンタカーを返却して網走駅で13:53発の札幌行き特急「オホーツク6号」のグリーン車に乗って常紋峠と北見峠を通って札幌へ。1992~1995年くらいの1~2月に原色DD51重連牽引・石北線臨貨撮影で何回も訪れた事がある峠区間の撮影地をグリーン車内から眺めるのは不思議な気持ちだった。

 

札幌駅構内パセオのお気に入り北海道料理屋"魚河岸甚平"で夕飯を済ました自分達親子2人は札幌駅で8月26日に乗った同じ列車である夜行特急「おおぞら13号」を札幌駅6番線ホームで待っていた。連続して同じ夜行列車の同じ下り列車に乗るのは冴えないけど道東がメインなので致し方ない。5・6番線ホームのベンチに座りながら息子は各地に発車する列車の発車や入線に退屈もせずに一人で楽しんでいるが僕は携帯電話で家に電話をして嫁に「何もトラブルなく順調だよ」報告の電話をすると札幌駅独特のざわついた騒音に気動車のエンジン音が聞こえるから札幌駅から電話しているのがバレバレであった。

 

ほどなくすると向かいのホームに見慣れない列車が入線、息子が落ち着かないので列車が近付くとキハ183系5100番台(走行性能はNNキハ183系に順ずる)のクリスタルエクスプレスだった。時刻表に掲載される多客臨(夏臨)ではないので団臨運用みたいだが息子にはJR北海道で5番目のリゾート列車兼ジョイフルトレインである事を説明する。先頭車が展望車みたいになってる風貌や編成中央に2階建てのキサロハ182-5101のディテールに興奮しているので新車なんだけど実は国鉄時代の古い台車(サハネ581-15)を流用してる事を説明したけど分かってもらえたどうか怪しい(苦笑)。

 

やがて6番線に夜行特急「おおぞら13号」が入線したので3号車のB寝台車へ乗り込むと2日前にのった客車と同じでスハネフ14-503だった(ちょっとガッカリ)。今回は3号車3番下段と4番下段で押さえたがすぐに浴衣に着替えて車内で寛ぎながら缶ビールを飲み始めると息子が通路側の椅子に座って窓の外ばかり見つめているので早く寝ないと明日の朝が眠くてツライよと言っても昨夜の宿でたっぷり寝たので眠くないらしい。確かに昨夜は夜10時に親子で寝てしまい、8時間以上は寝ているから僕自身も眠くないので気持ちは分かるのだが・・・。ここまで読んで早く「おおぞら13号」を発車させろよと思われる人も多いだろう。

 

しかし前回(先週)と同じ列車の想い出レポートでは新鮮度がないし、マンネリ防止を少しでも解消したいと思っておるブログ記事作成者の思いを少しでも・・・(閑話休題)・・・いい訳しても仕方がないので「おおぞら13号」のレポートに戻ろう。23:00に札幌駅を定時発車するとすぐに車掌が現れたのでキップ類を呈示し終わると「おおぞら13号」は速度を落として新札幌(23:12)に到着した。そういえば「おおぞら13号」が新札幌駅に停車するようになったのはいつ頃の事なのだろう?少なくとも1995年春の時刻表には新札幌駅は通過になっているのに合点がゆかない・・・なんて事を考えながら眠りに就いたようだ。

 

途中停車駅は先週のブログ(2021年12月13日UP)を見ていただくとして何時ごろが忘れたけどヤケにカーテンから光が差し込むなぁーと目が覚めて気が付くと寝台側窓の日除けが外してあり、不思議に思って息子のベッドを覗いたら窓際のカーテンフックを外して日除けを上げて寝台内から外の景色が見れるように工夫したみたいで本人は窓際に頭を置いて既に爆睡中であった(苦笑)。僕も1977年10月に始めて客車寝台の「瀬戸」乗った時も同じ様な事をしているので血筋は争えないと思ったが喜んでいいの悲しむべきなのかヤレヤレである。

 

目が覚めたのは白糠(5:30)を発車して5分くらい経過した頃だったが釧路駅まで20分ちょいしか時間がなかったので子供を起すがなかなか起きてくれない。訳を聞くと昨夜は追分くらいまで起きて車窓を眺めていたようで寝台側窓の日除けが開いて窓際カーテンが開けてあった件を質すと寝台側で車窓が見たくてカーテンを外して日除けを上に上げてから1人で秘密基地にして楽しんでいたようで正に"この親あってこの子あり"ぢゃないけど怒る気もしなくなった。大急ぎで下車準備を終らして「おおぞら13号」が定刻6:00に釧路駅へ到着するとデッキで待機していた息子は全力疾走にて釧網線4726Dの席をキープに消えた。

 

釧網線4726Dで釧路湿原駅で下車して釧路湿原細岡展望台まで歩いて早朝の釧路湿原を展望台から望んだ。夏場の早朝ゆえ、釧路名物朝霧が出たらアウトだけど朝霧の影響は最低限で澄み、幻想的な早朝の釧路湿原を堪能したが流石に雌阿寒岳と雄阿寒だけを見ることは出来なかったけど大急ぎで釧路湿原駅に戻り、釧路行きに乗って塘路駅で降りてから釧路湿原の一部である駅から近い塘路湖やマクントー沼を見物しながら周囲を散歩して釧路行きで釧路駅へ戻った。駅構内でモーニングサービスの朝食を急いで食べて9:00に予約した駅のレンタカーに乗って釧路市湿原展望台、鶴居村、阿寒湖、パンケトウ、摩周湖屈斜路湖他を回る。

 

川湯温泉駅の駅舎内で営業しているオーチャードグラスでお茶して斜里からオホーツク海沿いに進んで北浜駅舎で営業している停車場でお昼を食べてお腹も満足してオホーツク海沿いに進み、網走市内のオホーツク流氷館で流氷体験してサロマ湖の夕景(黄昏色のサロマ湖)を見て網走駅の駅レンで車を乗り捨てれば道東の旅は終了である。網走駅から徒歩圏内の中華料理屋でラーメン2個にギョーザと炒飯をシェアしながらの夕飯を済まして夜行特急「オホーツク10号」に乗るために網走駅へと戻った。

 

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特急 おおぞら13号(B寝台)

1996年8月26日(月曜日)、 札幌駅6番線ホームにて特急「おおぞら13号」釧路行きの入線を子供と一緒に待っていた。本日は稚内から急行「宗谷」で旭川へ向かい、旭川ラーメンの昼食を食べて小樽の夜景観光を楽しみ、夕飯は小樽の寿司も楽しんで今夜の「おおぞら13号」で道東へ一気に移動する。流石に8月下旬の札幌駅は涼しくてエアコンがないホーム上でも夜風が涼しく感じて心地よいけど周囲に停まっているキハ183系NやNNのエンジン・アイドリング音が煩い。22:00に青森行きの急行「はまなす」が発車すると暫くして特急「おおぞら13号」が入線するので座っていたベンチから乗車位置に移動した。

 

札幌運転所からの回送列車がキハ183-1552先頭で入線するとまだ旧型客車で運行していた急行「狩勝」や普通夜行「からまつ」、そして14系になった急行「まりも」の事を想い出のひとつとして思い出してしまう。とりあえず禁煙車の3号車であるスハネフ14-503へ乗り込んだ。月曜日の釧路行き夜行特急なので乗客は少ないと思ったけど1両しかない自由席の6号車へ行ってみると思ったより4割弱の乗車率があって驚いた。昨夜乗った急行「利尻」より特急「おおぞら13号」の方が1時間乗車時間が短いため、子供には今夜も早寝するように言いつけた。

 

北斗星1号から数えると今夜で3連続夜行列車泊になり、8月上旬で10歳になった息子にとっては3連続夜行は始めての経験だけど座席車泊はなく、全てB寝台車移動だから苦痛にもなってないようだ。僕が若かった学生の頃は旧型客車のBOXシートで6連続夜行列車が最高記録で駅寝とかしなければ連続8夜行泊くらいの記録が出来たと思うが寝台だから寝れて当たり前だもんね。23:00に札幌を発車すると釧路運輸所の車掌が、検札を始めると列車は新札幌(23:12)に停車して自分も今夜は酒類を飲まずに浴衣に着替えてすぐ横になった。

 

特急「おおぞら13号・14号」の寝台に乗るのはこれが最初だけど北海道の夜行急行が14系ハネ+14系ハザ時代はかなり乗っているのに気動車化されてから「利尻」も「大雪」も「まりも」も一番いい時代に乗れて嬉しいが客車夜行急行がDC(diesel car)化される前に乗り鉄を辞めて撮り鉄に転向したのが北海道内の夜行と縁遠くなったのが理由の一つである。まさか子供のために乗り鉄に戻って子供に色々案内してると難だが自分も楽しくなってきて今回の旅が楽しくて仕方ない・・・なんて思いながら寝てしまったようだ。

 

以下は就寝中の停車駅と時刻・・・南千歳(23:41-41)・追分(23:59-0:01)・新得(2:26-31)・帯広(3:52-54)・池田(3:52-54)・浦幌(4:26)・音別(5:10)・白糠(5:30)。自分は古瀬駅手前の馬主来(パシクル)沼がある馬主来自然公園あたりで目が覚めたが、やはり道東は車窓の景色も雰囲気も最高である。今朝も子供が早起きして通路側の折り畳み椅子に座ってそうな気がしたけど今朝は下段ベッドでまだ寝ていたが釧路まではまだ先なのでトイレに行って戻ると息子は昨日と同じ様に通路側の折り畳み椅子に座っていた。急いで下車準備しても笑っても泣いても釧路駅までもう少し。 

 

釧路駅に到着すると釧網線始発列車の釧路6:10発の4726Dに乗り換えるために網走行きの席を押さえるように伝えて僕は特急ホームで朝食用の駅弁を2個買って6時ちょうど発の釧網本線4726Dに乗り込むと進行方向左側・車両中央の向かい合い席で大型テーブルのある席をキープしていた。息子との釧網線は昨年夏に網走から釧路へ向かった時にオホーツク海が見える席をキープしたので今日は釧路湿原側の景色が楽しめそうである。真夏の繁忙期だと夜行「おおぞら13号」接続で4726Dの席の半分は埋まってしまうが流石に8月下旬の平日だけあって車内はまだ余裕がある。

 

釧網本線から見える釧路湿原や数多くの湖沼や池塘を眺めて釧北原野に釧北峠、そして清里町のジャガイモ畑と斜里岳を望み、待望のオホーツク海などを眺めながら網走駅へ移動する。1990年に釧網線の車掌からオレンジカード購入でオマケにもらった車掌区手作りの「車掌が作った旅ガイト・釧網線編」を自宅から持ってきたのでそれを見ながら子供に釧網線の見どころを教えながら車窓を楽しんだ(因みに釧網線普通列車は1991年11月1日からワンマン運転に変わって車掌制度は廃止されている)

 

網走でレンタカーの軽自動車を借りて網走湖、北浜駅、濤沸湖、浜小清水原生花園ハマナスと小清水海岸などを回りながら斜里から知床半島に入り、オシンコシンの滝やフフレベの滝、カムイワッカの滝知床五湖雄大な自然を遊歩道から眺めてウトロ温泉知床第一ホテルに泊まって子供のリクエストで何でもありありのバイキング食べ放題料理を楽しんだ。

 

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急行 下り利尻(B寝台)

1996年8月25日(日曜日)、 前夜の「北斗星1号」で苫小牧で下車してから日高本線を様似往復して子供の行きたい所を回り、夕飯を済ましてから札幌駅7番線ホームで急行「利尻」の入線を待っていた。待つといっても北海道フリーきっぷ・グリーン車用のB寝台が乗れるのでホームで待つ必要はないけどそこは「利尻」入線前の雰囲気を感じたいためにホームでサッポロクラシック缶を飲みながら待っているとキハ400を先頭に利尻マークを付けた311D列車が入線。早速3号車のスハネフ14-501(元スハネフ14-42)に乗車して5番下段と6番下段が今夜の宿である。

 

子供に明日は稚内到着が6:00なのでその前には起床するので今夜は早く寝る様にいい付けるが通路側の椅子に座って寝る様子も無い。札幌駅を22:00に発車した急行「利尻」はすぐに旭川車掌所の車掌がキップ拝見に来たので北海道フリーきっぷと金額表示にない寝台券を見せて僕は浴衣に着替えてベッドに横たわると子供も諦めてベッドに入った。キハ400とキハ480にスハネフ14をサンドイッチして運行する急行「利尻」のスタイルは2回目くらいの乗車で急行「利尻」といえば10系寝台車+旧型客車や14系ハネ+14系ハザの運行が慣れ親しんでいるので違和感は否めない。

 

「利尻」に乗って稚内からグリーン車施設のない「宗谷」で旭川に戻るのは意味もない事なのだが是非とも雄大な道北の風景(手塩川沿いの風景やサロベツ原野に見えれば利尻島利尻岳)だけは見せたくて今回のコースに入れた。自分も過去に「利尻」というか宗谷線に乗り入れるのも1991年以来なので懐かしいという思いと自分の青春時代によく乗った旧型客車急行だったので想い出も多く、最悪定期急行「利尻」に乗るにもこれが最後になる公算が強かったのである。最初の停車駅、江別(22:19)を発車すると以降の記憶もないので夢路を辿ったのであろう。

 

以降は就寝中の停車駅と時刻・・・岩見沢(22:37-37)・美唄(22:52-52)・砂川(23:07)・滝川(23:14-15)・深川(23:33-34)・旭川(23:59-0:32)・和寒(1:17)・士別(1:33-34)・名寄(1:56-2:15)・美深(2:39)・音威子府(3:11-31)・天塩中川(4:06)・幌延(4:47-47)・豊富(5:06)。 僕が起床したのは稚内到着20分前で、ベッドから出ると既に着替えを終えた息子が通路側の椅子に座って景色を眺めていた。ちょうど列車は兜沼~勇知の間を走っており、待望の利尻岳の上半分に雲が、かかって残念だけど兜沼~勇知と抜海~南稚内は風景がきれいなので子供は喜んでくれたので良かった。

 

急行「利尻」は街の中へ入ると先ほどの大自然から急に市街地っぽいエリアに入って南稚内(5:54)に到着、車内は途中駅で乗ったのであろうか・・・寝台車も乗客は増えているけど下段が埋まる程度で観光客は学生が多く、自由席はそこそこ混雑したのであろうか?。南稚内を発車すると線路は右へ大きくカーブして終着の稚内駅に6:00に到着。7:52発の急行「宗谷」で旭川へ移動するが時間があるけど宗谷岬や野寒布(ノシャップ)岬に移動する時間はないので駅前の宗谷線の行き止まりを見た後に北防波堤ドームまで歩いて見学して戻ると急行「宗谷」の改札時刻だった。

 

このあと 急行「宗谷」で旭川まで移動したら旭川ラーメンの昼食を済ませて特急「スーパーホワイトアロー」で札幌まで移動して更に小樽まで乗り換えて小樽観光と夕飯は海鮮か寿司でも食べるという計画であった。さて今夜で夜行列車3連泊になるけど息子はまだまだ元気である。

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