夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

臨時急行 八甲田(14系ハザ)

1994年4月28日(金曜日)、上野駅13番線ホームにて臨時急行「八甲田」(8105列車)の入線
を待っていた。 そういえば昨年の今頃も上野駅でまだ定期列車だった急行「八甲田」を待っていたが、1985年3月14日改正で季節列車から臨時列車へ格下げされた急行「おが」ですけど格下げされた後も臨時列車で9年以上走りましたが、1994年の冬臨を最後に完全廃止になる事が決っていた。 日が長くて霧が出ることも少ないゴールデンウィーク北上線で最後となる臨時急行「おが」の勇姿撮影と、更に陸羽東線でのDE10重連牽引寝台特急「あけぼの」の撮影もするため、北上駅まで臨時急行「八甲田」を利用する事になった。

 

2月15日に発売された鉄道ダイヤ情報1994年3月号の春の臨時列車一覧表では臨時急行「
八甲田」は14系座席車の現車9両で自由席が5両との情報であるが8号車の禁煙自由席へ並
んでいた。 流石にゴールデンウィーク初日前夜だけあって今夜は多くの臨時夜行列車が上野駅から発車され、上野発の夜行急行だけでも「八甲田」「おが」「津軽」「加賀」の4本が、設定されている。 入線1時間前から待っていたが、入線時刻になると我が8号車の待ち人数も増えて20:30に回送8105列車が推進運転で入線した。 8号車に乗車するとオハ14-91で青森運転所所属の14系座席車であるが、進行方向右側の窓際をキープしてから先頭車の一番前に向かう。

田端運転所のEF65-1027が連結されているシーンを確認してからホーム売店酒類とツマミを購入して車内に戻ると8号車は約半分の席が、埋っている感じである。 席に戻ると
21:30に臨時急行「八甲田」は定時で上野駅を後にして、幾つものポイントを渡って今宵も青森を目指して星空の使者となった。 臨時「八甲田」に乗るのは1993年12月22日の「八甲田85号」以来、約4ヶ月振りだが、大宮(22:10-12)に停車して小山(22:58-59)を発車すると車内は減光された。 飲む物が無くなり、周囲を見回すと車内は大宮駅で乗車が増えて8号車は6割以上の席が埋ってこのまま盛岡駅までこの乗車率が続くのであろう。

翌朝は5:14到着の北上駅なので早く寝ないと翌日自分が、つらい思いをするので宇都宮(23:20-24)発車前に簡易リクライニングを倒して寝た。 以下は就寝時間帯に停車した駅の時刻・・・那須野(23:56-56)・黒磯(0:07-14)・白河(0:36-37)・郡山(1:08-10)・福島(1:50-2:01)・仙台(3:06-08)・一ノ関(4:20-22)・水沢(4:49)。 途中、郡山駅前後と仙台駅前後でトイレで目が、覚めて郡山駅前後のトイレ起床では9号車の先頭にある、展望エリアへ機関車番号を確認しに行ったら青森東運転区のED75-1033を確認した。 目が覚めた時に列車は水沢駅へ到着してたのでセーフだったけど最悪5:00には目覚まし時計が鳴る。

 

北上駅(5:03-04)到着が、近いので目覚まし時計のアラームを切ってから急いでトイレへ行き、下車準備をしていると列車は徐行運転に切り換って北上駅到着を知らせてくれるが、昨年の今頃と同様に荷物を持って跨線橋階段に一番近い、5号車に移動するとちょうど列車は停まって扉が開いた。 改札口を出るとK君の車が、横付けしてあって撮影機材をぶち混んでシートベルトが未だなのに即座にM君の車が、急加速で国道107号線を高速運転で走り、"横川目~岩沢"で急行「おが」を撮影した後に、更に車で追いかけて2発目は"相野々矢美津"で撮影。

翌々日まで早朝は北上線で急行「おが」を、撮影してから残りの5/2と5/3は陸羽東線でDE10重連牽引の寝台特急「あけぼの」を撮影した。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

嗚呼、原稿作成は難しい

乗車レポートや紀行文を書くと人それぞれの癖というか、匂いみたいなモノがあるのにお気づきだろうか?。 これはプロの文筆業や作家、はたまた鉄道雑誌の記者でも同じだと思うが、著名な小説家だって文章の端々に香ってくるものがある。弊ブログはそもそもネット上に保管庫という文章置き場を作りたくて始まったのがこのブログだ。 自分で書いて自分で読めればOKというメモ的なニュアンスで始めたのが2014年に開始したエキサイトブログ(以降yahooブログ→ハテナブログへ移転)で最初は1列車に14~20行(560~800文字)くらいのメモを纏めたお粗末な非公開ブログでした(今回は夜行列車のレポートではありません) 。

 

せっかくブログにするのだから公開にしようとメモではなく、レポートにしたのが現在のブログでやはり開始早々は内容的にも酷くて、知人からも忠告を受け始めましたが出身大学の学部が、文学部や教養学部でない自分に長文を書くのは苦手で下手なのです。若い頃から鉄道趣味団体の会報で投稿文章は沢山書いたのに研究報告や臨時列車紹介等と違って、列車の乗車レポートは自己満足で書いてはいけない・読んでる人の身になって書け・・・的な趣旨を諸先輩から教育された物ですが、20歳台の頃に自分にはピンと来なかったのです。若い内は諸先輩の意見とか耳を貸しませんから。

自分も人並みに竹島紀元宮脇俊三種村直樹、壇上莞爾など今では他界されている鉄
道乗車記・著名人の本や記事を読み、養分として吸収はしているのでしょうが何故か文章を書くのが苦手で国語も嫌い。子供の頃から感想文を書くのが嫌いなのにこの手の文章作成は向いている訳がありません。所詮下手はどんなに頑張っても下手の横好きにしかなれないのを自分では自ずと理解してましたし、そもそも無茶な話なんですよね。 それでも書籍から得た何かを取り入れたくて、盗んでも著作権問題にはならない文章の感性を得て活かしましたが、それでも真似なのでこのブログもオリジナル100%です。

 

このブログをアップした43日後に僕は62歳の誕生日を迎えますが、人生60を超えると人生のピークから凋落化への一途ですから後は下降線を転げ落ちるだけです(苦笑)。 かなり寄り道しながら話を進めてますけど、夜行列車の乗車レポートを"乗車日記"みたいなスタイルだと誰でも書ける(描ける)のだと思いますが、自分は資料にもなるように乗車日・区間・利用施設は勿論の事、出来る限りの運行発着・時刻(一部は運転停車含む)に入線ホームの入線時刻や乗車した、車両の番号と客車なら牽引した機関車の番号まで記載している。 そこまで見る人はいないだろうけど拘りみたいな物かな?


200%真っ直ぐなドキュメントを書くのに拘りなんて必要は無いと思うけど個人的には文章の箸安め的な意味合いとして必要かなと思っている。 自分の文章は頭でっかちで、冒頭から始まって夜行列車が始発駅を発車するまでの間がとても長い。全体の文章文字数も多く、一列車が1回のブログに収納できずに2回に分けて書いた事もある(Hatena Blogでは2回に分けてない)。始めて乗った開業まじかの「北斗星」や初めて乗った「トワイライトエクスプレス」と12系時代の「きたぐに」フル乗車。文章だけのブログなのに長くなる習性があるのだ。 最初に書いた"冒頭が長い"のには訳がある。導入部として乗車前の期待や楽しさ感みたいな物を伝えたい意味合いもある訳だ。

夜行列車が一番楽しいのは乗車してる時もそうだけど苦労して入手した指定券を眺めな
がら旅の計画を立てたり、乗車駅に向かってる時と乗車駅で入線を待っている時間帯は実際に夜行列車乗車中の楽しさを凌駕する事さえあると思うのだが、そんな訳で私の想い出夜行列車レポートは最初の冒頭部分が長くなっているのですよ。 特に初めて乗る夜行列車では単な紹介や個室の紹介もするから全般的に長くなってしまうキライがある様だ。 ブログで扱う、夜行列車の種類も極めて単一的になっているため、似かよっている箇所も増えてマンネリ気味なのは否めない。


高校生から始めた所属鉄道趣味団体への会報・投稿から初めて1990年くらいから鉄道雑
誌へのニュース投稿も数えられないくらい行ったけど鉄道写真が主体で文章はやや少なめ。2002年くらいに鉄道とは関係ないジャンルの愚痴や呟き主体のブログを初めて、後に撮り鉄系のブログを初めたけど写真画像が中心的。 その後、このブログの前身となる想い出夜行列車のブログを2009年エキサイトブログで開始したが、20​15年9​月にyahooブログへ移転、更に2019年9月にハテナブログへ引越しして現在に至っている。 2019年にアップしたブログ「想い出夜行列車レポート」くらいから新しい風を吹かそうと、いつもとは別の違うタッチで書いてマンネリ防止に努めているが如何だろうか?

 

と・・・ここまで書いたけど自分の言いたい事は半分も書けてない私の悪い癖、いつもブログを書いて読み直すと伝えたい事や書きたい事が抜けていて己の不甲斐なさに意気消沈してしまう連日にいじける事もあるけど、これも生存確認の一つかな・・・と思いながら暇をみて記事作成に勤しんでいる。 ここまで書いて読み直してからブログタイトルを考えるもよいタイトルが見つからないから『無題』にでもするか?(爆)

                         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

寝台特急 出雲3号(B1)

1994年4月11日(月曜日)、21時過ぎ、東京駅8番線ホームで寝台特急「出雲3号」の入線をス
ーツ姿で待っていた。 実は翌日の12日は初めての鳥取出張で仕事で 寝台特急「出雲3号」に乗れる嬉しさで多分ニコニコ顔だったと思う(爆笑)。 通常の新幹線接続だと早朝新幹線接続での乗換だと東京6:07(のぞみ1号→あさしお1号)12:53鳥取伯備線経由でも東京6:56(のぞみ3号→やくも3号)12:19米子で何れもアウト。 急行「だいせん」が、あるけど鳥取着4:12なので上司には伏せておいて寝台特急「出雲3号」利用に決まった。 「出雲1号」の方が早く鳥取に着くけど1号は伯備線経由なので3号しか術がないのだ。

 

出張は10日前に決まっていたため、会社から支給される乗車券・特急券・B寝台券なので出張が決まった日の昼休みに購入すると自腹で2820円を払ってシングルツイン3号車10番をGETできた。この日はギリギリまで残業して東京駅へ向かったので食事を済ます時間が、無かったので既にホームでは弁当は終わってると思い、八重洲口の新幹線コンコース駅弁売場でラスト2個だったチキン弁当(750円)を買ってから8番線ホームに上がり、冒頭の文章に繋がる。「出雲3号」乗車は約1年前の1993年4月28日以来の乗車だが8番線に「出雲3号」の回送列車が入線、この後急行「銀河」を牽引する事になる田端運転所のEF65PFが牽引。

早速3号車に乗り込むとオハネ14-301だったが早速指定された10番個室に入り、使わな
い補助ベットの上に書類ファイルが入った鞄と会社が用意した手土産(東京銘菓)を乗せて編成の先頭に向かうと瀬戸を東京まで回送(詳細は2020年1月6日の急行「銀河」・1994年1月27日乗車分に記述)した田端運転所のEF65-1098を眺めてキオスク売店で缶ビールと茹でた枝豆を購入して車内に戻ると、9分間の停車時間はすぐに終わって発車時刻である。 寝台特急「出雲3号」乗車は1993年4月28日以来でおよそ1年ぶりとなる乗車だが、東京駅を21:11に発車すると枝豆で缶ビールを飲んでチキン弁当で満足。

 

いつものように見慣れてる東京駅~浜松町駅間だけど寝台列車から見るオフィスビル
乗りなれている電車とは違ったように見えるが、すっかり心まで寝台列車のシチュエーションにも酔いしれて東京脱出を祝って缶ビールで乾杯。 暫くすると最初の停車駅である横浜(21:42-43)を発車して東海道線・東京口唯一のトンネルになる清水谷戸隧道を超えて東海道・貨物線と並ぶと後方からEF200が牽引する特急貨物列車が、接近してちょうどEF200と並走するが、大船駅のカーブで「出雲3号」の方が速度が、上回っていたようで完全に抜き去った。 明日は仕事だし、茅ヶ崎~平塚の馬入川橋梁くらいでベッドに入り就寝した。

 

就寝時間の停車駅と時刻(<>は運転停車時刻)・・・熱海(22:39-41)・沼津(22:58-59)・静岡(23:39-40)・浜松(0:35-36)・名古屋<1:49-51>・米原<2:50-51>・京都(3:42-50)・綾部(5:08-08)・福知山(5:20-22)。 朝6時くらいまでゆっくり寝たけど線路と平行して進むベッドのため、いつも以上にすっきりよく寝れた感じがした。 起床してすぐに先頭のスハネフ14の切妻展望スペースへ行くと米子運転所のDD51-1119が、ドドン・チャチャ・ドドン♪とDD51特有のサウンドを流して走っている。 列車は豊岡(6:19-21)・城崎「現城崎温泉」(6:31-31)・香住(6:55-55)に停車していよいよ車窓に目を凝らす。

 

香住(6:55-55)を通過すると日本海の海岸が近付き、青い海と自生した松とのカラーバランスが美しい鎧を通過するといよいよメインイヴェントの余部橋梁(鎧~餘部)を渡って眼下に日本海と1986年12月に発生した余部橋梁列車転落事故の死者を供養する慰霊碑と聖観世音菩薩が見えた。 浜坂駅(7:14-15)に到着すると、1号車から地元の車内販売員が、乗り込んでホットコーヒーを飲んでいると下車駅の鳥取駅(7:49-55)まで25分くらいで到着するので急いで下車準備をして待機しておく。 鳥取で下車するのが、勿体なくてこのまま終着駅の出雲市まで行きたいが仕事なのでそうもいかないのがツライところである。

出張なのに如何に夜行列車を楽しんでるか、お分かりであろうけど(苦笑)やがて寝台特急「出雲3号」は定刻7:49に鳥取駅へ到着した。 まだ時間があるので駅近くのホテルに忍び込んで朝食料金を支払ってモーニングバイキングでお腹を落ち着かせてタクシーで移動した。
             ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 




寝台特急の食堂車事情Ⅱ

2016年7月25日に既に廃止消滅したyahoo弊ブログの「夜行列車の想い出」からUPした「寝台特急の食堂車事情Ⅰ」から約3年間が経過するけど前回は東京発着の九州/山陰方面の寝台特急食堂車の意義・楽しさから絶頂期を終えて停滞期から衰退期、そして凋落期からの食堂車を廃止して売店になった経緯を書いてきた。 寝台特急の食堂車事情Ⅱでは1988年3月にデビューした北斗星の食堂車「GRAND CHARIOT」に付いて書いてゆきたい。

 

1988年3月13日から始まった「北斗星」は日本で始めて夕食のみ事前に駅みどりの窓口
駅の旅行センターや交通公社など、旅行会社でも指定券と同様にマルス端末で予約をする販売方法が取られた事はまだ記憶に新しい。7000円の肉中心Aコースディナーに5000円の魚中心Bコース、そして3000円のCコース海峡御膳と同一価格のDコース・スペシャビーフシチューコースの4点で展開。 1988年から1990年にかけての数年は実に順調な滑り出しであったが、内容的にも価格的にも更に4種から選べて利用率も高かった。 しかし開業当初から北斗星1号・2号はディナー3回、北斗星5号・6号はディナー2回で食べる時間が約50分しかなくてディナーA・Bコースでは時間的に難しくて所定の時間枠から遅延。


更に慣れないスタッフで遅延が増えてパブタイムが予定時刻を大幅に遅れて開催されたり、パブタイム自体が休止する日もあって4月か5月くらいにディナータイムの回数が変更されて北斗星1・2号(その後食堂車を連結した3・4号も同様)は2回、北斗星5・6号は1回に見直された。 食事時間も50分から1時間20分に増えてパブタイムも時間通り営業する事が出来たのである。 開業当初は3往復全て日本食堂仙台営業所が担当し、仙台駅から新幹線で便乗後、尾久客車区から乗り込んで準備を始める組と上野駅乗車組に分かれた。 途中下りも上りも仙台駅で食材などを積み込んで上野駅に到着すると新幹線便乗で仙台へ戻った。

順風満帆だったグランシャリオも1991年3月16日改正で5,000円だった、魚中心のディナーBコースディナーと3,000円だったスペシャビーフシチューCコースが、消えて10,000円の洋食ディナーと6,000円の和食懐石膳コースに集約されたが、これは大幅な値上げだ。 トワイライトエクスプレス・ディナーの影響を受けたのか知らないけど、一気に10,000円へアップは相応しくないと思うが、1991年は利用者もそこそこいて、北斗星人気に支えられていた。 しかし値上げしたディナーも1回食べれば上等と思う人も増えたのか、人気は下がる一方である(北斗星人気も落ち着いてきた)。

 

1993年3月からは北斗星1・2号の受け持ちが今まで東京発着寝台特急(あさかぜ1・4号除く)の食堂車末期を受持っていた日本食堂・上野営業所に変更、本改正で全ての北斗星食材積み込みが上野駅に変更になって全定期北斗星の上野発車ホームが13番線に固定された。しかしながら列車食堂の事前予約制ディナーの権威(言い過ぎ・褒め過ぎ)的な物が、売りだったのに日本食堂上野営業所に変わった北斗星1・2号は過去の東海道ブルトレとは全く違うのに格差を考えず、スタッフを"Attendant"と称して何か軽いイメージが、北斗星には似つかないのだ。


北斗星」と東京発着ブルトレ食堂車の大義の差を縮めて安っぽくしてる感じは否めないが、1994年10月号の鉄道ダイヤ情報「私の仕事は北斗星」を読めば一目瞭然。 北斗星を安っぽく考えてるし、これでグランシャリオの栄光も終わったなと思った。 簡単な料理の説明もないし、グランシャリオに男性・チーフ(食堂長)が居た時(1991年)は料理の説明もあって、人が少ないディナーだとスープとかは直にお皿へ盛り付けてくれたり、これぞホテル仕込の腕を見せてもらったけど日本食堂上野営業所はそうゆう技もなく、フレンドリーなだけであった。ここまでが北斗星・食堂車"グランシャリオ"の第一章で所感を述べるとすれば1988年から先人が積み重ねた努力が一気に安っぽくなってしまった感じ。


日本食堂からJダイナー、そしてNREへと食堂車を管理する母体の管理管理会社も変わっているので致し方ないけどステーキの焼き加減を聞いてくれた初期からクリスマス時期にはパブタイムのクリスマス限定メニューもあった一番"GRAND CHARIOT"らしい時に乗れたのが唯一の救いだったのかも知れない。何れこの続きは「寝台特急の食堂車事情Ⅲ」で書きたいと思う。結局は東海道ブルトレ食堂車での経験と手法をそのまま北斗星の食堂車で展開したのが誤算で仙台営業所の時みたいにホテルのレストラン研修を受ければ良かったのかも知れない。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

f:id:hokutosei_95:20200301052614j:plain

Bコースディナー「和食懐石御膳」

 



寝台特急 北斗星2号(B1)


1994年3月27日(日曜日)、快速「ムーンライト」と快速「ミッドナイト」乗り継ぎ旅も終え
てS氏を新千歳空港駅まで送った自分は札幌の友達とランチを楽しんで札幌駅5番線ホー
ムにこれから入線する寝台特急北斗星2号」を待っていた。札幌滞在が10時間30分とな
ったけどそれなりに楽しめた"Sapporo Shortstay"で、美味しい朝食と昼食に仲間との
語らいに満足。もうS氏は羽田空港に到着して浜松町行きのモノレールの中か、既にJR
へ乗り換えているのかな~っと考えていたら突然札幌駅独特の列車接近3点チャイムが
聞こえたので我にかえると2列車となる回送1列車の接近だった。

 

やがて桑園方から札幌運転所の回送が空知運転所のDD51(1093+1143)重連で17:07に入
線すると4基合計4,400psのエギゾーストノート音と排煙を上げながら入線。前にも書いたけど札幌駅はドーム状になってるからDML61ZAのエンジン音がハンパなく響くのでDL(Diesel Locomotive)好きには堪らない。 早速5号車のオハネ25-551に乗り込み6番(1階ソロ個室)に荷物を置いてから缶ビールと肴を買ってソロの住人となる。北斗星1・2号だけに連結されている5号車のオールソロだが1991年9月1日から運用に加わり、今回で4回目の乗車になるが荷物室が広く、足元も広い1階ソロは上り北斗星の際に進行方向を向いて座れる。


17:13に寝台特急北斗星2号」は札幌駅を発車すると、流石に3月下旬で日没時刻まで40分
あるのが有難くて南千歳駅の先まで車窓が楽しめそうである。 豊平川を渡って上野幌~北広島で車掌が回って来ると少しずつ夕暮れが忍び寄り、南千歳駅(17:47-48)に到着して室蘭線に入ると植苗駅あたりから日没を迎えて苫小牧駅(18:08-09)に到着したら外は漆黒の闇に支配されていた。 札幌駅で買った「あったかどんカルビー」という弁当を食べながらビールを飲んでから予約購入したシャワーの時刻なので、タオルとボディーソープ等を持参して隣のロビー室へ向かい、指定されたB室に入った。

 

シャワーを浴びてる最中に登別駅(18:40-41)に到着・・・シャワーを終えてミニロビー室の自販機で缶ビールを購入してロビーの空きスペースで、「シャワー上がりの1杯」を飲んでいると乗継ツアーに参加した数名が寛いでいた。 翌日は平日でも春休み効果で、狭いロビーは満室だけど「北斗星2号」は東室蘭(18:55-57)に到着した。 とりあえず一旦5号車個室に戻ってシャワー道具を置いてから少し早いけどロビー室の7号車寄りに並ぶとパブタイム目当ての数名がやってきた。 普段はパブタイム利用ではこんな早い時間には並ばないけど今夜のパブタイムは混雑しそうな予感がしたのである。

 

周囲の北斗星ファンや北海道ファンと雑談しながら過ごしていると、列車は伊達紋別駅(19:17-18)・洞爺駅(19:30-30)に到着するとミニロビー7号車に入ってミニロビー7号車寄りに集まったファンで北斗星・他の話題で盛り上がってシャワー待ちの人まで巻き込む始末。 「北斗星2号」は礼文駅を通過して最初のトンネル(礼文華隧道)に入ると、このトンネルの中央が、道内気象区分の"胆振地方"と"渡島地方"の境界線であると自分が、説明を始めるとロビーで寛いでる一般の乗客まで食いついて来た。 そして小幌駅を一瞬に通過すると新辺加牛隧道に吸い込まれて暫く走ると長万部駅(20:01-01)に到着した。

 

長万部を発車すると北斗星関連雑談の人数は増えて話には加わらないけど話を聞きなが
らニンマリしている人もいて今宵の北斗星2号・ロビー室は鉄分が濃そうである。北海道側に地上から見える青函トンネル出入り口は実際には青函トンネル出口に続いている第1湯の里トンネルである事など自分が力説。話の内容が濃くなるけどこんなに鉄話で盛り上がった北斗星のロビーは初めてであった。北斗星2号は八雲駅(20:25-26)、そして森駅(20:53-53)を発車するとまた雑談に戻ったが、大沼公園駅を通過(21:15)したくらいにパブタイムのお呼びがかかってグランシャリオへ移動する。

 

各自それぞれのテーブルに付いて僕は「帆立と魚の湯葉包み」に「魚介のオードブル北斗星サラダ」を時間差で注文して飲み物は国産ウィスキーをロックにて乾杯。先程まで、ロビー室で盛り上がってた連中も各自の席ではしんみり車窓を眺めながらお酒を飲みながら感傷的な気分になって楽しんでいるのだろう。「北斗星」という列車はただ乗って楽しい列車だけでなく、ロビーで人と出会ったり、パブタイムで少しだけ感傷的な気持ちに自分を見つめ直す事が出来てそれが明日への糧(明日以降も仕事や趣味などで頑張るぞー的な意味合い)になると信じてやまない・・・趣味が楽しいと仕事も頑張れるからね。

 

北斗星2号」は北海道最後の停車駅となる函館駅(21:40-46)に到着すると牽引機がDD51重連からED79に変わるが、まだ飲食中なのでED79の番号が分からないまま、ホームを眺めながらパブタイムを楽しむ。 「北斗星2号」は五稜郭駅から江差線に入り、釜谷駅を通過(22:18)した時間帯に会計を済ましてロビー室を通ると先程大いに盛り上がった仲間達が、いたので一声掛けると、青函区間は青函運転区のED79-1との事である。 僕は個人的にはパブリックスペース(公共の空間)への長居は禁物というスタンスなのでお互いの旅の検討を祈り、挨拶をしてから自分の個室(5号車6番)へ戻った。

 

北海道内最後の通過駅となる知内駅「現湯の里知内信号場」(22:37)を通過するとやがて先
頭のED79が汽笛を鳴らし始めた。列車は第1湯の里隧道に入り、乗っていると分からないけど非常に短いシェルターで覆われたコモナイ川橋梁を渡ると全長53.85kmの青函隧道に直通すると吉岡海底駅(現吉岡定点)、隧道最深部分、そして竜飛海底駅(現竜飛定点)を通過して本州側に出るとJR北海道JR東日本の境界にもなってる新中小国信号所(23:30)を定時通過・・・急行「はまなす」とのすれ違い運転停車する蟹田駅(23:37-38)に停車。蟹田駅を発車すると26分で青森駅に到着したが、電留線に北斗星ヘッドマークを付けたEF81-95号機を発見。

 

青森駅(0:04-12)に到着すると1号車側に移動してロビーに集まってた同士も集結すると、「北斗星2号」に接近したのは田端運転所のSuper Express Rainbow専用機のEF8195で一瞬響いた。 今さら95北斗星も珍しくないけど、1988年3月13日開業日初日の1列車が95牽引なので特別と言うシチュエーションを感じてならない。 発車数分前に客車へ戻って、5号車ソロの窓から発車を眺めてから着替えてベッドに入る・・・今回乗った「北斗星2号」は色んな人との出会いが多く、メインは「ムーンライト」・「ミットナイト」の乗り継ぎで帰路に乗った「北斗星2号」はあくまで移動に過ぎないのだが・・・同じ趣味人との出会いを現在(2020年)でも詳しく覚えている。

 

お馴染みさんと盛り上がっても楽しいけど、初めて出会った人達と一緒に盛り上がると更に楽しく、後者の場合はお互いを知らないので本音が出るからなのかと考えながら就寝した様であり、以降は就寝中の停車駅時刻(<>は運転停車)。 盛岡駅<2:39-41>・仙台駅(4:49-51)・福島駅(5:50-52)・郡山駅(6:31-33)。郡山駅停車中に目が覚めてそれからゆっくり起き着替えて朝の支度、トイレに行って歯磨きして髭剃って髪の毛を梳かしてから7号車グランシャリオへ到着したのは7時を軽く回っていた。和朝食は終わっていたため、洋朝食を注文して珈琲だけ最初に一気飲み(目覚めの珈琲は美味し)。

 

洋朝食内容はオレンジorトマト/ジュース・オムレツ+ハムorベーコン・パン・フルーツサラダ・珈琲であっという間に完食。 追加の珈琲を注文して飲んでいると交流/直流デッドセクションがある黒磯駅を(7:31)通過した。 満足して洋朝食と追加珈琲の会計を済ましてロビー室を通ると昨日のメンバーが、居たので早速朝の挨拶をして話しに加わると自己紹介中で自分もそれに習って簡単に自己紹介する。 登録してる趣味団体の個人名刺を配ると昨日夕方にロビー室で出会った人からも同じ団体の名刺を頂いたと、話して軽く趣旨を説明している内に列車は宇都宮駅(7:56-58)を発車。

 

僕は小山駅を通過したくらいで失礼したが自分の個室に戻って下車準備をしながらクリコガ(栗橋~古河)、ワシクリ(東鷲宮~栗橋)、ヒガハス(東大宮~蓮田)の有名撮影地を通過すると流石に春休み期間中で平日なのに95牽引効果か、鉄道写真ファンの姿を見る事が出来た。 大宮駅(8:54-56)を発車すると次は上野駅なので鞄の整理をして札幌で購入したお土産と北斗星グッズを鞄の奥に入れて生理整頓。 荒川を渡ると埼玉県から東京都に入って京浜東北線と並走したり、抜いたりして進むと尾久客車区と田端運転所横を通過すると井堀信号所脇を経由して上野駅地平ホームに向かう線へと入る。



定刻9:20に上野駅14番線ホームに到着したので下車して早速牽引機EF81-95の横に向かうと多くのギャラリーが集まっていたけどその中にロビー室で楽しく雑談させてもらった仲間と軽く談笑しながら推進回送2列車を見送ってまた再会できる日を楽しみに分かれた。今回で23回目の乗車となった北斗星トマムスキー含む)の想い出・夜行列車レポートであるが、流石にマンネリ気味の文章量産なので今回は少しロビーでの出会いに比重をかけてみた。馴れ合いが鼻に付くと言われそうで今回のブログ内容は最後まで危惧したのだが、このブログは同じ訪問者の方に多く読まれている傾向があるため、不評を覚悟でこの内容にてアップしてみた。

本文上から6行目「3点チャイム 

https://www.youtube.com/watch?v=Zu6L6pCZKF4

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

f:id:hokutosei_95:20151129210603j:plain

 

7~8年目の北斗星

このブログをアップした2020年2月24日現在で定期「北斗星」が、廃止になってすでに5年半が経過しているけど弊ブログのメインコンテンツである「想い出の夜行列車レポート」では1994年3月辺りをトレース中で翌週に「北斗星」の想い出レポートをリリースさせるために近年の車両変化やサービスの相違と新しいディナーメニュー内容or紹介をするための夜行列車レポートに連結したコーナーだと思って頂いても間違いではない。 よって本件は1994年・1995年の北斗星が対象である。本当は毎年行いたいが大きな動きが無いため、今回も2年分とする。


それでは北斗星7年目(1994年)と8年目(1995年)の車両動向と動きなど、そしてGrand ・Chariotの変更点を紹介して行きたいと思う。 1994年1月16日、冬季臨時寝台特急北斗星トマムスキー」を新宿発着に変更。 1994年6月11日、東北本線白河駅構内に於ける貨物列車脱車脱線事故の影響で下り北斗星常磐線を経由する迂回運転を実施。 1994年9月22日、東北地方の集中豪雨の影響で「北斗星1~5号」が上越線羽越本線奥羽本線を経由する迂回運転を実施。1994年10月から同年12月まで、「DC」こと「Destination・ Campaign」の期間中、夢空間編成を連結した臨時寝台特急夢空間北海道号」を上野~函館・札幌・池田間などで運転。

1994年12月3日、ダイヤ改正により、以下のように変更…「北斗星3・4号」が毎日運転の季節列車(6003・6004列車)に変更。 北東北地方における停車駅を見直しを行い、明示した「北斗星」各列車が、従前停車した各駅は通過ないしは運転停車とした。 [1号 水沢駅花巻駅八戸駅]、[3号 一ノ関駅]、[4号 青森駅]、[6号 花巻駅]。 1995年7月14日、臨時「夢空間北斗星81・82号」に「カルテット」を連結(1994年に「あさかぜ1・4号」が廃止されたことでオハネ24-701・702・703は全車尾久客車区・集約管理)。 寝台特急「あけぼの」がEF81牽引に代わり、客車寝台特急はくつる」新設で田端運転所のEF81所有両数が、足らなくなって酒田運転区から長岡運転所へ転属したEF81の100と133が、田端に転属して北斗星運用にも充当される。

 

次に北斗星GrandChariotで1番大きく変わってメニュー変動が起きた1994年から・・・北斗星開業した1988年からディナータイムは1年に1回更新されて価格も7000・5000・3000円の4種から8000・6000・3000の4種、そして10000・6000円の2種までジワリジワリと値上げしたが、1994年の3月改正から8000円と5000円の2種は大幅値下げかと期待したら内容が1990年の8000円・肉中心のディナーコースに比べて大幅グレードダウン、品数も皿数も減って内容も「これが8000円かよ」と文句も言いたくなる内容でこれは勘弁してよって感じでグランシャリオディナーも終わったなと思ったくらいである(飽くまで個人的所感だけどこれが北斗星ディナー凋落化の原因となる)。 

 

気になるAコースディナーの内容は・・・「北の野菜とオマール海老のサラダ仕立て」「烏賊墨のパスタ添え・大浅蜊チャウダースープ」「帆立貝と紅鮭クネルのワイン蒸しサフランソース」「牛フィレ肉の網焼きマスタードソース」「小豆のアイスクリーム添え」「珈琲・小菓子」「パン」という内容でこのメニューが、1999年7月15日まで続いたのである。さらに1995年くらいから北斗星3・4・5・6号と臨時北斗星トマムスキーや夢空間連結列車もJダイナー(現NRE)上野営業所が担当して仙台営業所は北斗星関連の食堂車供食部門から撤退した。 新規8000円ディナーは散々disrespectしちゃったけど最後にパブタイムでの食事メニューを紹介する。

 

今まで北斗星のGrand Chariotパブタイム営業ではお酒のツマミばかりで食事メニューは皆無だったが、1993年には「牛すきセット(1200円)」の登場が布石となり、1994年から「ビーフシチューセットコース(3000円)」と「ハンバーグステーキセット(1800円)」が、パブタイムに新設された。前者のコースはビーフシチューにスープ・サラダ・デザート、パンと珈琲or紅茶が、付く本格的なコースで後者はハンバーグステーキにスープ・フルーツサラダ・ライスが付くセットになっている。 二種類のセット食事メニューが予約無しに食べれるため、好評で下り北斗星で殆ど売れて繁忙期の上り北斗星パブタイムでは材料切れにより、提供出来ない日もあった。


上記新メニューの味と感想は近々ブログアップする「北斗星」乗車レポートか、夜行列車の食事情Ⅱ(仮称)で書く予定である。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★



快速 ミッドナイト(ドリームカー)

1994年3月26日(土曜日)、快速「ムーンライト」から普通列車と快速「海峡」を乗り継いで18:49に函館駅へ到着した我々2名は路面電車谷地頭温泉まで行って軽く浴びてから函館駅にほど近い、松風町の寿司屋で寿司をつまみながら一献して函館の味覚を楽しんで23時少し前、駅に向かった。 翌日の青春18きっぷ・日付を入れてもらい、改札を抜けて5番線ホームへ行くとカーペットカーの場所取り(カーペットカーは号車の指定はあるけど寝る位置は自由で早い者勝ちになっている)と季節連結されてる自由席へ並ぶ行列が出来ていた。 盛岡駅から来た特急「はつかり21号」が22:59に到着すると「ミッドナイト」を待つ乗客も更に増えた。

 

発車25分位前に快速「ミッドナイト」(3981D)となる編成が、入線して今日は所定編成以外にお座敷列車の摩周とサロマ(何れもキロ29)が、増結2号車と増結3号車として編成に組まれており、自由席も含めると堂々7両編成で入線。 さっそく3号車のキハ27-501のドリームカーに乗り込んで発車を待つ。 快速「ミッドナイト」に乗るのは約6年ぶりで懐かしい。 灰色系の色をしたリクライングシートに深く腰をかけてフットレストを裏返し、靴を脱いだ足を乗せると気分も上々で一泊300円也とは思えない座席夜行でS氏も満足そうな顔をしている。

 

函館駅を23:30、定時発車した快速「ミッドナイト」は一連の車内放送が終わるとすぐに減光されて非常灯以外は全部消えて真っ暗になるけどこれくらい暗い方が寝やすいし、起きていても車窓が見やすくて良いと思う。 七飯駅通過から藤城線に入って駒ケ岳脇を走る勾配区間に入るとディーゼルエンジンを吹かす音が聞こえて来る。 当初ドリームカーにするか、カーペットカーにするか、指定券発売前から悩んだけどドリームカーとカーペットカーのメリットとデメリットをS氏に伝えて氏が、選んだのが現在乗っているドリームカーなのでシーズンオフならカーペットカーを希望したいとの事。

 

昨夜の快速「ムーンライト」でも寝不足だったため、すぐに寝てしまったようで以下は停車駅の運転時刻・・・森駅(0:18-1:01)・八雲駅(1:28-29)・長万部駅(1:57-2:50)・東室蘭駅(4:03-38)・苫小牧駅(5:25-27)・千歳駅(5:52-52)・新札幌駅(6:16-16)。 途中、長万部駅東室蘭駅の長時間停車中にトイレ他で起きたけど目が覚めたのは白石駅(6:20-21)入線直前であり、札幌駅到着10分前だった。 大急ぎで下車準備が終わったら列車は6:30、定刻に札幌駅到着済みでラストが慌ただしかった快速「ミッドナイト」の旅だった。


この後は小樽駅へ移動して北海道鉄道記念館(現・小樽市総合博物館)へ移動する予定が、快速「ミッドナイト」の3号車談話室で出会った人からリニューアル工事で閉館中と聞
き、予定変更。 ホテル内の喫茶でモーニング珈琲を飲んでからタクシーで二条市場へ移動して、朝8時から営業している食堂で朝から海鮮を食べてお土産を自宅発送してから札幌駅に戻って新千歳空港より、飛行機で帰るS氏を見送りに快速「エアポート116号」に乗車して新千歳空港駅ホームで別れ、自分は札幌駅に戻って旧知の友達と遅い昼食を食べながら夕方まで久々の再会に話が弾んだ。

 

僕たちの世代だと函館~札幌間の夜行列車と言えば山線経由の43・44列車や後の41・42列車、そして海線経由の夜行急行「すずらん」なのだが、300円の投資で元グリーン車シートやカーペットで寝て行けるのは素晴らしいとS氏が評価していたのを思い出す。因みにこの快速「ミットナイト」も2000年12月からキハ183系になり、ドリームシートは廃止になって通常のキハ183系のシートになり、サービスダウンは否めない。その後は季節臨格下げされて2002年12月で完全廃止されてしまったが青春18きっぷで乗れた意義は大きいと思う。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★