夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 はくつる(Bネ)

1999年2月24日(水曜日)、急遽翌日朝1番で青森市まで行く仕事が発生したため、羽田空港からの青森空港行き最終便JAS219便は18時台で終っているので寝台特急はくつる」しか選択肢が残ってない。定時で一旦帰宅して風呂と夕飯を済まして出直すが勤務先最寄り駅で特急寝台券と乗車券を株主優待割引にてびゅうカード決済で購入して出直すが一番乗車率の低い禁煙車2号車下段で確保。自宅を21:30に出発して山手線にて移動、上野駅15番線で待っていると尾久駅寄りから推進ライトを光らせながら推進運転で回送11列車が入線して22:08にホーム横付け。

 

ドアが開き、早速2号車へ乗車するとオハネ25-152「盛アオ」だったが牽引機を見に行くと青森運転所東派出のEF81-134号機に"はくつる"マークが格好良く光っていた。寝酒用のカップ氷だけ買って車内に戻ると発車5分前だった。今夜の列車ホテルは2号車10番下段で周囲は乗客が殆ど乗っていない。マルスの特性からすれば3号車から発券して最後が2号車(ただし個室などはそうとも限らない)を売る事になるので多客期や繁忙期以外はいつも乗車率が少ない車両でもある。そうこうしていると発車時刻が近付き、寝台特急はくつる」は定刻22:23に上野駅を発車した。

 

早々と浴衣に着替えてベッドの上にあぐらを書いて薄型のステンレス容器の中に入ってるウィスキー(自宅でサントリー角瓶を詰めてきた)をカップ氷に注いでこれまた自宅から持ってきたソフトサラミをツマミに車窓を見ながら飲んでいると車掌がやってきたので寝台特急券と乗車券を呈示。そういえば寝台特急はくつる」が24系化されておよそ5年が経過しているがそもそもは「あさかぜ1号・4号」からのB寝台は100番台や200番台が中心だったのに5年目ともなるとオハネ25-3など古めかしい1974年3月18日に新製落成して1980年10月、向日町運転所から転属した初期車と混結しているのが笑える。

 

自分が今乗っているオハネ25-152だって1976年9月10日新製落成なので2年6ヶ月の差だけど25形0番台初期車は古く感じてしまうのが不思議でならないw。1976年9月と言えば自分が高校3年生の時にニューブルートレインが誕生して1976年9月で25形100番台が投入、1977年9月には下関と広島へ25形100番台と200番台が投入されて正に新型25形の増備車祭りであった。あれから23年も経過してすっかりブルートレインも衰退して車両も老朽化したのも増えているとオハネ25-152に乗りながら当時を懐かしく思いながらウイスキーを飲んでいると昔の事がそんな昔ではないような気がしてくるのが不思議だ。

 

北斗星を除けば上野駅から北を目指すブルートレインも「はくつる」と「あけぼの」だけになってしまい、随分寂しくなってしまったけど観光夜行列車を除けばもう時代のニーズに合わないし、そんなに長く続かないような気がする(東北新幹線新青森開業までかな?)。それでもブルートレインは乗っているだけで心が豊かになるし、乗れる限りは乗ってやりたいと思ってる・・・なんて考えていたら列車は大宮(22:49-50)に到着した。上野駅を「はくつる」より3分前に発車した3555M「通勤快速(土曜日と休日は快速ラビット)」を黒磯まで抜けないのは前から納得できなかったけどそろそろ寝る事にしよう。

 

就寝中の停車駅と時刻は以下のとおり「*=運転停車」、宇都宮(0:01-02)・黒磯*(0:41-50)・郡山*(1:38-39)・福島*(2:13-15)・仙台*(3:15-17)・一ノ関*(4:23-25)・盛岡(5:30-32)・一戸(6:24-25)・二戸(6:30-31)・三戸(6:43-44)。目が覚めたのは三戸駅に入線した時で7時間以上は寝ているため、気分はすこぶるよいが八戸駅で買物したいので急いで着替える(ホーム自販機で缶コーヒーを買うだけでも浴衣姿で主要駅ホームに降りるオヤジみたいな事は避けたいので急いで洗顔&ハミガキを済まして着替えていると何度か撮影で訪れている苫米地~北高岩を通過して八戸(7:00-02)に到着した。

 

2分停車を利用してホーム自販機で甘くないビタータイプの缶コーヒー(190ml缶)を購入して車内に戻るが八戸から終着駅の青森まで「はくつる」の5号車と6号車は立席特急券ヒルネの対象区間に入る。缶コーヒーを飲みながら上北三八地方の雪景色を眺めながらまったりしていると小牧温泉最寄駅となる三沢(7:18-18)に到着。雪景色を見ながら温泉でも入りたくなるけど今日は出張なので温泉は無理だけどこの先には青森市内に浅虫温泉も有名だけど温泉宿泊は家族旅行以外縁がない私であった。列車は進行方向右側に海と繋がる汽水湖(海水が交わる湖)でもある小川原湖が遠くに見えてきた。

 

デパートの青森県物産展で小川原湖名産のシジミを買ったら大粒で美味しかったのを思い出したが青森県五所川原市にある汽水湖十三湖で採れるシジミも美味しくて有名だけどどうも青森県の貝類は陸奥湾の名産帆立貝が有名になったのは水揚げ量の違いらしい。シェーバーで髭を剃りながら空腹を感じながら列車は野辺地(7:40-41)に到着。鉄道防雪林で有名だけど南部縦貫鉄道線が休止になって約2年弱となって寂しくなったが、今では大湊線しか接続していない。その大湊線も定期列車ではキハ110系しか走らない線区になってしまったのがのが残念無念。

 

野辺地を発車するといよいよラストスパートで次の停車駅は青森だけど意外と車窓からは見所が多くて東北線らしくないポイントもある。海沿いを走るのかと思えば急に山の中に分け入り、田園地帯を走って長いトンネルを出ると浅虫温泉駅手前から海岸沿いに入る展開が私は好きである。早合点な人は津軽海峡が見えたと思う人がいるかも知れないがここから見える海は陸奥湾である。簡単に言えば大湊線下北駅大湊駅から見える海と津軽線蟹田駅付近から見える海も陸奥湾なのである。その陸奥湾野内駅まで続くと海から離れて青森運転所東派出が見えてきた。

 

青森信号場を通過すると青森駅まで向かう線路と奥羽線まで行く線路が分かれる分差器を越えて寝台特急はくつる」は定刻8:15に青森駅へ到着した。まだ時間があるのでホームの立ち食い蕎麦コーナーへ行くと顔馴染みの女性がいたので「おはようございます」と挨拶してから天ぷら蕎麦と朝限定のおにぎりを注文して遅めの朝ごはんとした。この立ち食い蕎麦スタンドでは蕎麦を食べるより、ワンカップの濁り酒を買う事が多くて事実キヨスク売店の濁り酒よりこちらの方が美味しいのだが店の人から見れば蕎麦を食べない変な客という事になってるらしい。

 

前回の青森出張の際も「はくつる」を降りてこの蕎麦スタンドで朝蕎麦を食べているけど今日はお酒の方はよろしいのですかと冗談混じりに聞いて来るので蕎麦を噴出しそうになったけど朝食を食べ終えて改札口を出てタクシー乗り場へと急いだ。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★

寝台特急 北斗星5号(B1)

本来なら1999年1月に「北斗星」の車両運用を調べてFAXや後のE-mailで情報をやり取りして仲間内だけの非公開WEBサイトで見れるようにした某グループが毎年新年会or忘年会を札幌か東京で持ち回りでやるようになったのだが1998年度(1998.4.1~1999.3.31)は札幌で開催と決まったのだが1月は皆の都合が悪く、では翌月の2月に変更になった。しかし第1週は札幌雪祭り時期でホテル確保が難しく、第2週は飛び石4連休となって難しく、最終的に2月20日の第3土曜日に落ち着いた。非公開サイトの活動については2023.1.30のブログ記事「鉄道趣味とインターネット」参照。

 

北斗星5号」のBソロは1ヶ月前の10時打ちを最寄駅で頼む予定だったけど1月19日は米子市出雲市出張があったので信頼してる駅みどりの窓口で10時打ちをお願いする事が出来ないため、発売日の1ヶ月前によくお世話になってるJR北海道プラザ・東京店に依頼して特急寝台個室券と周遊きっぷの"札幌近郊ゾーン"で帰路「かえり券」はJAL航空券で手配してもらった(B個室の部屋数が少ない北斗星5号だけに心配だったけどこれで安心)。帰りに上り北斗星が乗れないのは残念だけど翌日の2/22は朝から大切な会議があるのでどうしても休む訳にはいかず、つらいところである。

 

1999年2月19日(金曜日)、17:00ジャストで定時退勤して一旦帰宅後、風呂に入って私服に着替えてから上野駅へ向かって車止め付近の広場にある弁当屋を覗くとチキン弁当の在庫があるのを確認すると"江戸前あなご弁当"なる始めて見た新発売らしい駅弁があるので購入してから13番線ホームの9号車乗車位置で待っていると回送5レが18:46に入線したのでドア扱いが始まると9号車に乗るとオロハネ24-501だった。通常は3号or4号のJR東日本編成で使っており、「本件については最後の方に記す」運がいい。牽引機を確認(田端のEF81-86)して缶ビールを購入して7番個室に戻った。

 

北斗星5号の場合、入線してから発車までは17分あるので牽引機確認とビール買出しなどでは時間的には余裕があるからいいけど東京駅発のブルートレインは10分程度の停車時間が多いため、時間的に厳しく、札幌駅発の北斗星2号は僅か6分間で始発駅の停車時間が短すぎる・・・なんて事を考えていると上野駅を19:03に発車。北斗星5号に乗るのは5ヶ月振りだけど北海道へ行く寝台特急の個室へ乗るとテンションが高まり、缶ビールでも開けようとすると携帯電話に連絡が来た。札幌への新年会へ行くメンバーからで6号車のロビーカーで待ってるから各自飲み物と食べ物持参で集合とのだった。

 

列車は荒川を渡ると埼玉県に入り、車掌が来て切符類を呈示してから酒類と弁当にツマミ一式を持って7番ソロに鍵を掛けてからロビーカー「オハ25-504)」へ移動すると3名がコッチコッチと手招きしている。早速自分を含めて4名で乾杯して飲み始めると大宮駅ら1名が増えるとの事で列車は大宮(19:28-29)に到着して1名が直接ロビーカーへ来て加わった。合計5人は全員1人旅なのだけど東京組の幹事が北斗星に乗ったらロビーカーで前夜祭気分で飲もうという話に落ち着いたらしい。こうして現在5名がロビーカーへ集まり、声は控え目にでも気分は晴れやかに乾杯をした。

 

HSG(Hokutosei Study Groupの略)参加グループが6人も集まったが先行北斗星や飛行機で来る関東メンバーもいるらしく、今宵は5レ前夜祭と称して各自持ち寄った食べ物に北斗星のネタ話をつまみに酒盛りが始まる。上野駅で購入した缶ビールは瞬く間に飲んでロビーカーの自販機でサッポロCLASSIC缶を購入して2本目を飲み始めるが、上野駅で購入した"江戸前あなご弁当"を食べながら飲むと「うなぎ弁当」とは豪勢だなと勘違いされたけど焼き穴子の量、厚み、柔らかさともに満足で確かに見た目は何となく、うなぎ弁当に似ているかも知れないがこれが結構美味しくお気に入り駅弁になりそうだ。

 

今年(1999年)初めての北斗星乗車だが北斗星を媒体にして知り合った同じ趣味の仲間と一緒に北斗星車内で飲むのも楽しく、愉快であるが雑談する内容がかなりコア的と言うかマニアック的でロビーカーに居た他の乗客は何を話しているか判らないかも知らない。自分は回5レ~5レ~回6レの全駅停車駅(運転停車駅含む)と通過駅と信号場(但し出発信号機がない停留所扱いの駅を除く)の通過時刻をExcel97「Excel version8.0」で作成して印刷してきたのだが駅名は全て電略なのでそれもネタになってしまい ラオ ワミ ウタ ってどこだの話になって爆笑「ラオ⇒白岡、ワミ⇒東鷲宮、ウタ⇒宇都宮貨物ターミナルが答」。

 

飲みながらの談笑は時間が経過するのが早く感じられて5列車は宇都宮(20:27-29)に入線したので場所を変えてパブタイムを待つ席に移動して談笑する。宇都宮駅からHSG仲間が1名増えたので軽い新年挨拶を周囲に聞こえない様に小声で終らせて雑談大会の続きをしていると黒磯駅を定刻21:05に通過すると21:10にグランシャリオのアテンダントが案内に来てくれて6人で4人用テーブルと通路挟んで隣の2名用テーブルも確保した。大宮駅と宇都宮駅から乗り込んだ2人は食事メイン、上野駅から乗り込んだ4名は飲みメインで上手くテーブル分けが出来て流石と思った。

 

4人用テーブルはソーセージ盛り合せ、ピザ、サラダ、ハンバーグ単品など好みの料理を取って小分けにして味わいながら好きなお酒(自分はウィスキーミニチュア瓶)で乾杯して盛り上る。郡山(21:54-55)を発車したので会計を済ませて各自個室に戻るが9号車に同じメンバーが5人も乗っているなんて初めて気が付いた。着替えてすぐに寝てしまったけど就寝中の停車駅と時刻は以下のとおり・・・「*は運転停車」福島(22:29-31)・仙台(23:30-32)・一ノ関*(0:37-39)・盛岡*(1:43-45)・青森*(4:13-20)・蟹田*(4:45-46)。目が覚めたのは5:00くらいで新中小国信号場(4:53通過)と津軽今別(5:02通過)の間くらい。

 

どうせ上磯くらいまでは車窓も真っ暗なので寝台でウトウトしながら青函隧道に突入したけど二度寝してしまったらしく、二度目の起床は茂辺地~矢不来信号場の辺りだったが外は明るくなって来たので通路に出て景色を眺めようとすると昨夜ロビーカーとパブタイムで乾杯した仲間もいたので一緒に朝ごはんを食べる事になり、ロビーカのグランシャリオ寄りに集合する事にして自分は洗面とハミガキを終らせて着替えてから少し早めに7号車のグランシャリオへ向かった。すでに3人が集まっており、SA1利用の1名は朝食は部屋で食べ、もう1名は寝坊する旨である。

 

因みに青函区間は青函運転所のED79-10を確認、函館から牽引するDD51の前ソ「A102運用」は函館運転所の1100号機は確定で重連次位の次ソ「A106運用」は不明との事で撮り鉄でもないのに機関車運用を捕捉しているのは関東在住なのに凄いと思う。なんて早朝から鉄分の濃い話で盛り上っているとグランシャリオのスタッフが呼びに来てくれたので一番乗りで4人テーブルにつくと列車は五稜郭駅を通過して4人とも和朝食をオーダーすると「北斗星5号」は函館(6:34-40)に到着した。そういえば函館駅へ入線する前に函館運転所の広いヤードにオホーツクかスーパーとかちキハ183系が見えたとの事。

 

北斗用のHET183系ではないのかと色んな意見が出るが函館運転所のキハ183系はHETキハ183系と主に団体で使う原色キハ183系0番台しか配置はないので運ばれた和朝食を食べながら車窓を確認すると確かにオホーツク用で先頭車がキハ183-200番台車らしき編成が見えたけど謎である。オホーツク色のキハ183系でハンドル訓練(乗務員訓練)でも行っていたのであろうか?疑問は解決しなかったけどグランシャリオの和朝食は安定の美味さですっかり満足したものの、一番乗りだった我々で4食、更にA個室からの事前に予約があり、限定8食は即座に終了して並んだのに先着8食から漏れた客もいた様だ。

 

別会計のコーヒーを飲みながら雪が積もる大沼国定公園の小沼と大沼を眺めながら列車は駒ヶ岳への登り勾配に入り、駒ヶ岳が風雪で見えないけど東山駅(現廃駅)から姫川駅(現姫川信号場)付近から下り勾配になったくらいで会計を済ませて解散して自分は9号車7番の個室へ戻る。森~八雲間は噴火湾(内浦湾)沿いに走るため、車窓を眺めているとmail着信「ロビーカーが空いてるから集合との事」で早速移動開始。営業中の食堂車を通過するのは忍びないけど大きな区画に4人集まって自分と10号車12番の主他が集まると全員集合したので朝から鉄分の濃い雑談会が始まった。

 

仲間内での雑談中にロビーカの大きな窓から黒岩~北豊津間で午後の上り列車を俯瞰する撮影地をロケハンするが道央自動車道の後ろにある山しか見当がつかなかった。列車は函館駅を発車して初めての停車駅でもある長万部(8:11-11)に停車するが秒単位の停車では商売にならないのか名物だった"かにめし弁当"の立売りも消えてしまった。また仲間内との雑談で何で5レは森駅と八雲駅には停車しないのだろうかという謎も話し合う事になるが、後方から5001Dが接近していると予測するが2分目ダイヤグラムを見ると実は5001Dの前に3000番台の高速貨物も5レの続行として運行されている。

 

旭浜駅「現廃駅」と静狩駅を通過すると新静狩隧道と新辺加牛隧道に入り、一瞬の内に小幌駅を通過すると我々6名が一斉に声を上げるのでロビーカーにいた他の乗客は一体何が起きたとこちらを向くが一部ニンマリしてる人は秘境駅を知ってる鉄道ファンだと思われる。礼文、大岸、豊浦と風光明媚な噴火湾の海沿いを走ると洞爺(8:41-47)に到着した。6分間停車するのは5001Dを先行退避するためで我々は寒いのでホームには降りなかったけどホームで雪と戯れる家族連れや若いカップルを見ていると微笑ましい。我々35歳から41歳までのaround fortyオッサンには眩しく見える。

 

5001Dが入線してすぐに8:44発車すると5レも後を追う様に8:47に発車して洞爺駅からは暫く単線区間に変わり、北入江信場を通過して有珠駅から再び複線になった。進行方向左側に有珠山昭和新山が見えてくると伊達紋別駅を通過すると噴火湾の海岸が近付いて海から近い駅として有名な北舟岡駅を一気に通過。海から近い駅としては鶴見線の海芝浦駅、信越本線青海川駅などが上げられるけど海芝浦駅は海というより運河なので海と川が混じったのを海と言うのは如何な物であろう。なんて話で盛り上りながら1997年12月改正か1998年3月改正で5レの時刻が変わってる話題へ移行。

 

5レの洞爺は改正前までは8:41-41だったが、5001D先行退避で8:41-47に変わり、その後も微妙にダイヤが変わって札幌着10:50が10:59に伸びてる。室蘭本線の特急高速化で281系が130km/h運転、NN183系が120km/hだし、貨物もDF200が増えてDD51重連よりパワーがあって速度も速いDF200が増えたので速度の遅い列車はどうしても邪魔になるのが鉄道の掟である。ロビーカーでは札幌車掌所の車掌がJR北海道オリジナル・北斗星グッズの出張販売中で6人は北斗星ファンであるから乗る機会も多く、我々は誰も購入しなかったけど車掌がカモだと思ったのか声を掛けて盛んに営業する。

 

愛用してますよと北斗星グッズでもある使用中の小銭入れを見せると他の5名が銘々に小銭入れや懐中時計などを見せると今度は北斗星オリジナルカードの営業に切り替ったので自分がJR東日本ではそのまま自動改札口に投入できるイオカードがあるのでオレンジカードは使わないため不要である事と北斗星オリジナルグッズにネクタイピンや携帯電話用ストラップ等があれば買いますので商品化希望の旨を伝えた。列車は陣屋町、元輪西と通過して非電化区間から電化区間に変わると東室蘭(9:20-22)に到着したのでここで解散して各自の個室へ戻る事にした。

 

ホームの自販機で暖かい缶コーヒーを購入してから9号車に戻って札幌までは1時間37分なので缶コーヒーを飲みながら個室でゆっくりと過ごすがさっきまでのロビーカーでハイテンションだったので1人で静かに個室で過ごしていると時間の流れが早くて5列車は登別(9:36-36)に到着。昨日から今日にかけて仲間とロビーカーで雑談している時間が長かったので手帳に色々書き加えていると車掌の車内放送が苫小牧到着を告げており、苫小牧(10:05-06)を発車すると日高線の線路と分かれて札幌駅まで50分余りとなる。下車準備だけ済ましておいて9号車1番と10号車12番の優雅なSA1乗車氏へ表敬訪問した。

 

オロハネ24-501のSA1は同時期に増備されたオロハネ24-550番台(551~554)と同じだけど9号車1番氏は車端ロイヤルだと思っていたけど乗車3日前に運用変更が発生して大喜びしてHSGの本部に連絡して自分もその件は号外メールで確認していた。事前にメール連絡したので部屋主が扉を開けて待っててくれ、中に案内されたので雑談するが今夜の6レで上野駅に到着すると尾久へ回送後はオロハネ25-553と差し替えられてその後オロハネ24-501は6003レへ組成されるとの話であった。

 

少し話して2人で10号車12番へ訪ねるとちょうど南千歳(10:25-26)に到着したので20分くらい3人で話してから2人は各自の個室に戻ると列車は札幌市厚別区を走行中で手稲駅を通過したくらいにデッキに出ると全員9号車のデッキに集まって身内で混雑している。定刻10:59に札幌駅5番線に到着するとホームには見た顔が何人もいて5レの出迎え組との事で扉が開くとガッツポーズで再会を喜び合った。やっぱり同じ趣味の仲間っていいものだな~って再確認した旅であった。1レ先行者や飛行機で来た仲間も居て札幌駅5番線に集まったのは総勢12名で快速エアポート105号でプレツアーのランチへ出かけた。

 

18時より総勢16名が集まり、1ヶ月遅れの新年会(実は忘年会)に参加して二次会まで参加してから札幌駅北口にある、ホテルクレスト札幌に一泊してJAL506便で東京に戻った。今回は自分にとって乗車は別々だけどロビーカーやグランシャリオで長い時間を過ごした初めての団体旅行というか、グループに近い北斗星旅は初めてだったので結構楽しめました。同じ仲間同士なので馴れ合い的な事が鼻に付くかもしれないけどマンネリ気味のブログが多いため、目先が変わったブログ内容でもよくないかな?。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

寝台特急 出雲(Bネ)

1999年1月20日「水曜日」の朝に寝台特急サンライズ出雲」で米子駅に到着した自分は午前中は米子市に出張して午後からは特急「やくも」にて出雲市へ移動してからプラットフォーム(コンピューターに於けるOSやハードウエアサービスにソフトウェアを提供・カスタマイズするのに必要な基礎部分となるスタンダード環境)のLinuxにおける構築と実装での問題点解決の打ち合わせだったので以外と早く終って17時前には出雲市駅に到着する事ができた。

 

1999年1月20日(水曜日)17時前には出雲市駅に戻れたので帰路の寝台特急「出雲」の特急B寝台券(7号車下段)だけは押さえて昼は移動で何も食べてないため出雲蕎麦では定番となる三段の割子蕎麦を食べて家族の土産などを購入すると大まかな入線時刻が近付いて来たのでコンビニで缶ビールなどを買って改札を通り、駅員に入線時刻を聞いてホームに入る。早めにホームに入ると後藤総合車両所DD51-1179が出雲のヘッドマークを掲げて入線。11両編成「電源車混みで12両」だが9号車から11号車は季節減車でいつもより短いが扉が開くと早速7号車に乗車した。

 

7号車は尾久客車区のオハネ25-225で個室でもない昔ながらの開放二段B寝台だけど自分が初めて1977年に乗ったブルートレイン「瀬戸」がこのタイプなので違和感はないし、この設備だけでも充分に夜行列車の旅情と浪漫を感じる事が出来て往路に乗ったサンライズ出雲のBソロより有効面積が広くて快適だと思える。寝台特急「出雲」は1998年7月10日の「サンライズ出雲/瀬戸」の開業により従来の「出雲3号・2号」が廃止になり、残っていた「出雲1号・4号」が出雲市~浜田間を廃止にして上り「出雲」(8レ)として旧「出雲4号」の時刻をほぼカバーしながら東京へ6:57に到着するダイヤである。

 

岡山行き特急「やくも28号」が発車した12分後に我が「出雲」も後を追う様に一路東に向けて発車(17:46)したが向こうは電車でこちらはDiese機関車DD51が牽引する客車列車なので差が広がるばかりでお話にならない。車掌の特急寝台券他改めは簡素に終ったので缶ビールで乾杯しよう。米子から出雲市へ特急やくもで移動した時に夕飯に購入した米子駅の名物駅弁"吾左衛門弁当「1,220円」"を夕飯に買っておいた。かに寿し・大山おこわ・吾左衛門鮓「鯖」におかず類が入った酒を飲みながら食べるには最高の弁当だ。本日の出雲市の日の入り時刻は17:24なので出雲市駅発車時点で日没という事になる。

 

車窓からの景色が見れると確かに楽しいけど始発駅発車時点で日没時刻だと車窓は別にして音と揺れと五感にて夜行列車を楽しむ事が出来る。特に個室じゃなくて今宵みたいに乗ってる客数が少ないと単線非電化区間(一部複線区間もあるけど)をディーセル機関車に牽かれてコトコト進むようなブルートレインは「出雲」だけになってしまった。途中、宍道(18:01-01)に停車するが8号車は誰も乗車しなかったが、出雲市鳥取間のB寝台に限って立席特急券で乗れるが、米子駅までなら自分も特急「やくも」を使う。「やくも28号」に乗れば岡山から新幹線乗り継ぎでも名古屋までしか行けないけど・・・。

 

弁当は吾左衛門鮓(鯖)だけ残り3個になったのでワンカップ清酒を出して鯖鮓を食べ終えると松江(18:19-20)に到着するして7号車にも数名が乗り込んで安来(18:41)にも到着して米子駅構内の手前で島根県安来市から鳥取県米子市への県境を越えると米子(18:50-52)に到着。2分停車なので先頭車の一番前からホームに出て後藤総合車両所DD51-1179を見学する。1179号機は1976年に日立で落成すると福知山機関区に投入されてその後も山陰線を出る事無く、後藤総合車両所で過ごして現在でも後藤総合車両所に籍を置いて山陰線で活躍している。

 

北海道を除く、どこでも見かける500番台のB寒冷地対応車だが2分間の停車は短くて発車時刻が近付いたので自分も車内に戻って米子発車を確認してから寝台に戻ると米子駅から乗車した乗客で増えていたけど立席特急券利用者かも知れない。冬だと車窓は真っ暗なので日本海や秀峰大山に落陽によるトワイライトタイムとかは無関係なので時おり聞こえるDD51の擦れたホイッスルを聞きながら24系25形が奏でる走行音を聞いていると開放B寝台でも心が豊かになって客車の夜行列車本来の楽しみや味わいを感じる事ができてこれが非電化区間の夜行列車旅情だなーと納得している自分がそこにあった。

 

倉吉(19:38-38)を発車すると最後のカップ酒も飲み終わると鳥取(20:21-23)に到着したので2分停車を利用して食料を求めに行くけど立ち食いそば屋には駅弁の売れ残りはなくて自販機で飲み物だけ購入して7号車のB寝台に戻って25形出雲の旅を満喫するが今夜の上り出雲は特に空いている。正月の松の内が終ってまだ2週間なのと週の真ん中の水曜日なのが原因しているのだと思う。先頭車のオハネフ25の展望区画から小刻みに揺れて力行しているDD51サウンドを聞いていると「ドドン チャチャ ドドン」のリズミカルなジョイント音を確認してから7号車に戻ると浜坂(20:58-58)に到着。

 

少し早いけど寝具をセッティングして横になって毛布をかけて証明を落とすと餘部橋梁(全長310.59m)を渡る音が聞こえてトンネルを出入りしている内に寝てしまった様だ。以下は就寝中の停車駅並びに時刻、香住(21:19)・城崎(21:43-44)・豊岡(21:54-56)・福知山(22:56-57)・綾部(23:09-09)・京都(0:27-35)・静岡(4:32-33)・沼津(5:13-14)「途中米原・名古屋・浜松で運転停車」。目が覚めたら爆音の丹那隧道を走行中で熱海(5:31-33)に到着すると2分停車を利用してホームの自販機で缶コーヒーを買う事に成功した。車内に戻った時に確認したら自分の周囲の寝台(13番上段と14番下段・上段)はノンゲストで驚きであり、7号車全体でも3割強の乗車率である。

 

取り合えず先頭の8号車「オハネフ25」デッキの貫通扉窓へ移動して牽引機を確認すると田端運転所のPFが見えて1100号機のナンバーを確認して寝台に戻るが日の出時刻が6:50なのでこの時間帯に楽しみにしている車窓から相模湾を除む事は100%不可能なため、昨日出雲市のコンビニで買った朝飯の助六寿司を食べてから熱海駅で購入した缶コーヒーを飲みながらマッタリしていると小田原駅国府津駅を定刻で通過。そういえば寝台特急「出雲」は長年列車番号が1001レ~1004レ(更に昔は「出雲」が1001レ・1004レ・「いなば」は1003レ・1002レ)の1000番台だったけど1998年7月からは9レと10レに変わっている。

 

9レと10レの列番だと当時は「あさかぜ1・4号」が使っており、ピンと来ないのだが東京発着ブルートレインの削減整理でここまで変わるとは思わなかったけど「あけぼの」も1000番台を使っていたのに現在では2000番台を使っている事を考えるとブルートレインも衰退終期をとっくに越えて末期なのだな~と1人で納得してしまった。列車は藤沢駅を通過して下車準備をしていると清水谷戸トンネルを出ると外は随分明るくなったので下車準備を始める。横浜(6:33-34)に到着すると以外と横浜駅で下車する乗客が多くて驚いたりしながら川崎駅を通過して多摩川(六郷川)を渡ると都内へ入った。

 

個室もいいけど狭いサンライズ・ソロより空いてる25形開放B寝台の方が楽だし、音も静かでよく寝てたかと思うがオシ24の弁当販売(時間帯によって車内販売で巡回)もあるし、空いてる時期なら25形「出雲」の方が落ち着けると思ったほどだ。二往復から一往復へ削減してしまったけど昔ながらのブルートレインを応援したいなと考えていたら品川駅を通過して6:57、定刻で東京駅に到着した。横浜~東京間を23分で走り抜き、最高速度130km/h運転の上りサンライズ瀬戸・出雲と同一所要時間で走ったなんて凄い。嫁と落ち合いお土産と着用済下着類とワイシャツが入った手提げ袋を引き取ってもらう。

 

時間からして会社へは直行なので25形「出雲」の回送10列車の発車(東京駅発7:06)を姿が見えなくなるまで見送ると9番線には「サンライズ瀬戸・出雲」が入線したので自分はコーヒーを飲んでから会社へ向かった。

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寝台特急 サンライズ出雲(B1)

1999年1月19日(火曜日)、 1999年初めての出張となるが寝台特急「出雲3・2号」と「瀬戸」が廃止になってサンライズ「出雲」・「瀬戸」になると出張として利用しずらくなって正にダイヤ改悪だ。松江や出雲市だと下り「サンライズ出雲」だと到着が遅くて使えず、上りだと出雲市発が19:01なので17時に仕事が終わっても乗車時刻が遅いように感じる・・・とは言うものの使いやすかった「出雲3号」は廃止になり、「出雲1号」も「出雲3号」のダイヤを継承して米子、松江などに9時前に到着可能な寝台特急は消滅してしまったので現在ある物を有効利用するしかない。

 

昨年の1998年7月10日から登場した285系電車に乗るものの、今回が初めてで嬉々としてそうだけど本人からすれば「出雲3・2号」と「瀬戸」を死に追いやった列車なので複雑な心中に決まってる。今回の出張は早めに決まっていたので唯一出張手当から捻出できる一番狭くて安いサンライズ・ソロを確保してある。東京22:00発車では駅弁も手に入らないため、20時半に残業を終らせてから職場近くの中華飯店で夕飯を食べてから東京駅に向かった。今宵の宿は10号車18番ソロなので早めに9番線ホームに入り、「サンライズ出雲」10号車乗車位置で待つ。

 

21:50に5031Mとなる285系の「サンライズ瀬戸出雲」の回送電車が入線すると開業して半年が経過するけどホームは俄かに活気付く。扉が開いて早速10号車に乗り込み、18番ソロに入ると2階の進行方向左側だけど第一印象は狭いの一言。寝台幅や個室内幅・高さも「あけぼの」ソロ2階室より明らかに狭いと感じたが、10分停車なのでホーム売店で缶ビール等を購入して車内に戻ったけど乗車したのはモハネ285-3001「MN285」である。22:00の東京駅発車と同時に缶ビールを開けて人生初となった285系及び寝台特急「SR出雲」の旅を1人で乾杯した。

 

列車は2M5T×2の4M10T(Mはモーター車・Tはトレーラー車の付随車)モーター車比率が極めて少ない国鉄時代やJR初期には信じられないが三相誘導電動機・WMT102Aが気持ちよい加速で新橋駅をあっと言う間に通過。車掌が現れたので今夜の乗車率を聞いてみるとシングルツインとノビノビ座席に若干の空席があるだけでほぼ満室との事。自分が購入したサンライズ出雲のソロも20部屋しかなく、18番なので残り数部屋の部類で開業以来平日でも人気だと車掌が述べていた。今夜は明日の朝食と同時にデリカ系のおかすおつまみも用意したのでビールのピッチが早くて500ml缶2本を早々と飲んでしまう。

 

よく考えると東京駅22時台発の寝台特急に乗るのは初めてで(22:45発の寝台急行「銀河 」に乗車した事は数回ある)臨時急行ではあるが1980年台前半の急行「銀河51号」の東京駅発車時刻が22:00であった。さてサンライズのカラーコンセプトは朝焼けの高貴な赤色と朝霧の印象のベージュ色に日の出の地平線をイメージした金色からなり、先頭車前面と側面数箇所に昇る太陽をイメージした"SUNRISE EXPRESS"のロゴマークが表示しており、優等列車の冠であるヘッドマークやテールマークは用意されていないのが何とも残念である。これでは写真撮影でSR出雲かSR瀬戸なのか判別できない(苦笑)。

 

東京~横浜間の所要23分間は8レ「上り出雲」と同じで130km/h運行が可能ならスーパー踊り子83号(8003M)みたいに所要20分は無理なのだろうか?横浜(22:23-24)を発車したのでテンキー式の暗証番号で個室に鍵をかけて同じ10号車にあるラウンジスペースヘ行くと海側と山側に4席ずつ椅子や窓際にカウンター系式のテーブルが、あるけど従来のブルートレインみたいな座り心地がよいソファーではなく、回転椅子で座り心地が悪くてとても長居できない場所だ。このスペースでグループに騒がれるとソロの環境が悪くなりそうだが今宵は静かであった(そのために座り心地が悪い椅子なのかな?)。

 

他にシャワールーム(シャワーカードは車掌から買う)と自販機(酒類はなし)と公衆電話があるスペースだけど禁煙なのが嬉しいが個室に戻る。それにしてもソロのベッドが狭く見えるが70㎝幅のベッドだけど他の部屋からの張り出し部分があるため、56㎝か58㎝くらいまで狭い箇所があって狭い箇所は足を入れる様に使うのが一般的だけど部屋の向きからして進む方角に足を向けたい乗客も少なくはないだろう。狭いけどコンセントに目覚ましアラームもあって列車の位置や向きが変わったり、県境で周波数が変わっても最適なFM-NHKラジオが聞ける自動チューニングFMチューナーは素晴らしい。

 

時刻は23時を回ったので詳細感想は翌朝にお答えする事にして今夜は早々と寝る事にした。以降は就寝中の停車駅と時刻、熱海(23:21-23)・沼津(23:39-40)・富士(23:53-54)・静岡(0:19-20)・浜松(1:11-13)・姫路(5:28-29)・岡山(6:27-6:33)。目が覚めたら岡山駅到着9分前で急いで歯磨きと洗面を済まして着替えてから6分停車の岡山駅11番線ホームを散歩してみると事前情報で聞いた駅弁売りが見つからない。階段を上がった連絡コンコース上に売店があるのかは定かではないけどこんな事のために東京駅付近のコンビニで朝ご飯を用意して正解だった。自販機で缶コーヒーとお茶を購入して車内に戻った。

 

サンライズ瀬戸」を切り離して先に高松へ向けて発車すると次に「サンライズ出雲」が列車番号を5031Mから4031Mに変わって西へ向けて発車した。下り「サンライズ出雲」は米原駅大阪駅伯備線内の駅でも運転停車があるようだけど岡山駅を発車して約30分で白壁の町並みが有名な倉敷(6:44-45)に到着。いよいよ伯備線に入るが僕の世代だと子供の頃に布原信号所付近の橋梁で撮影したD51三重連のパネル写真を親にせがんで買ってもらった経験があるので伯備線といえばまずD51三重連を想像する。初めて伯備線に乗った時はまだキハ20で特急「やくも」がキハ181で運行されていたのが懐かしい。

 

昨夜東京駅近くのコンビニで買った助六寿司とおにぎりを岡山駅の自販機で購入した緑茶で流し込み、最後に缶コーヒーを飲みながら昔を思い出す。思えばキハ20で走破した伯備線以来乗るのは初めてかも知れない。ただし「出雲1号」の伯備線迂回運転が2年続いた1994年か1995年にDD51重連「出雲1号」の撮影でK君の車で黒坂~根雨間で撮影はしているが伯備線入線は久々である。列車は高梁川に沿って走るのは昔と同じだけど非電化区間だった約20年前(このブログを書いてる2023年からすれば約44年前)なので当時はもっと周囲の人口も少なく、ここまで栄えていなかったと予想する。

 

急に住宅が増えて来ると総社市となる総社駅を通過すると暫く走るとまた周囲は田舎の佇まいに戻る(ローカル線でよくあるパターン!!)。では昨夜から乗って来た「サンライズ出雲」の乗車感想に付いて記してみようかと思う・・・ソロの内装や通路に車内全般だけど木の温もりを感じさせる木目調のインテリアに統一されて住宅の設計や施工などを行っている"ミサワホーム"が携わったらしいけど木目調のデザインは良く出来ていると思う。東京駅で初対面したソロの寝心地や居住性だが狭いの一言。幅70㎝ベッドが他の部屋の突起物の所為で56㎝まで狭まれるのは狭い方向に足元を向けて寝れば解決する。

 

一番難儀したのは天井が低くて狭い事、まだ2階ソロは階段部分に立てば立ち上がれるけどそれでも車窓を見ながらビールを飲んだり車窓を眺めながら朝食を食べるのにはつらい姿勢をとる必要があります。天井までの高さは145㎝しかなく、Bシングルは185㎝あるそうでこれはB個室ツイン車はダブルデッカー構造でBソロはシングルデッカー構造なのでソロは部屋の中に階段がある原因によりソロの1階と2階は狭いと言う結論になりました。今回出張という事でB寝台料金しか会社側からもらえないのでソロにしたけどプライベート等で乗る時は約1,000円高くてもBシングルを選びたいと思う。

 

他に気づいた事は隣の人が個室の扉を閉める際にかなり響くし、モーター搭載車なので120km~130kmで走行する際にキーンというモーター音が気になる。電車寝台は上野~青森間を爆走した583系の「ゆうづる」・「はくつる」に乗ってきたけどここまで気にならなかった。1984年くらいまでの盛アオ583系は8M5Tのモーター比率が多かったけどそんなに気にする様な騒音ではなかったけど2M5Tの7両編成で僅かモハネが2両しかない285系サンライズ」はマキシマムで走る際の騒音は半端ないと思う。以上が初めて285系サンライズ」ソロへ乗って気付いた所感である。

 

最新の設備に寝台はオール個室は若い人や女性にビジネスマンには好まれるかも知れないけどこれは個人的な考え方だが、旅情や夜行列車浪漫は全く感じなかった。EF65PFやDD51に牽かれて青いブルートレインの「出雲」で例えれば開放B寝台でも私はそちらに軍配を上げるし、大好きだったPF牽引「瀬戸」を死に追いやった張本人は好まないけど高松出張の際に利用する事になりそうだ。なんて考えながら伯備線を車窓を眺めていたら新見(7:42-43)に到着した。布原駅「1987年3月31日までは布原信号所」を通過するとD51三重連で有名な第23西川橋梁を探すけど分からないまま通過した。

 

1994年か1995年にDD51重連牽引「出雲1号」の伯備線迂回を撮影した黒坂~根雨はすぐに分かったけど懐かしさを覚える。今は出雲市止まりの「出雲」が一往復しか残ってないけどDD51重連で走る事もないんだろうな?。そう言えば「サンライズ出雲」は伯備線経由なので山陰の海が見れないのと餘部橋梁を通らなかったので山陰地方に来た感じが全くしないまま、山陰線との接続駅でもある伯耆大山駅を通過した。自分が米子駅で下車するので下車準備も完了しているが米子9:08着は利用しにくいダイヤだ。米子駅到着の車内放送が流れたので自分もデッキにでて9:08定着した米子駅で下車した。

 

次回の想い出夜行列車レポートより乗車した285系の詳細番号は割愛します。乗車号車や個室番号と乗車系式の記号「TNwc'  TNw2  MN  TNws  MN2  TNw  TNwc」は表記します。更にサンライズ○○では長いので次回より本文はSR「SUNRISEの略」表記に変更。

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快速 ムーンライトえちご(上り)

1999年1月16日(土曜日)、 昼間は磐越西線DD51-745牽引の上り臨客を撮影し終えた僕とN君は新潟駅まで戻って新潟で晩酌付き夕飯を終えてから新潟20:41発の945Mで村上駅に戻って快速「ムーンライトえちご」(3948M)の2号車に乗るとモハ164-860で上沼垂運転区のM6編成で今夜も三連休対応の6両編成であった。席に座るとN君が買ったばかりのPDAPersonal Digital Assistant」シャープ・パワーザウルスを取り出して本日撮影したデーターを打ち込んでる。スケージュールや連絡先にタスク管理ができる電子手帳というか情報端末でWebブラウザやメールもあり、デジカメ搭載らしい。

 

22:31に村上駅を発車したが何でもシャープ製のPC「Mebius」と互換性があるらしく、撮影データー(撮影年月日・撮影線区・駅区間列車番号・牽引機と客車・使用フィルム・使用カメラと使用レンズで可能ならシャッター速度と露出(F値)も入力したいと言ってるが流石に撮影後は即座に片付けて撤収して次の撮影に急行する追っ掛け撮影では無理だが当時僕は手帳に記入して帰宅後にパソコン入力というアナログ的な手法だった。列車は坂町(22:41-41)・中条(22:48)・新発田(22:58-59)の順に停車して新発田駅から白新線に入ると豊栄(23:09)と停車して新潟(23:22-27)へ入線した。

 

新潟駅からは進行方向を変えて列車番号が3948Mから3720Mに変わり、5分停車を利用してホームの菊水ふなぐち一番しぼりの自販機で黄色いアルミ缶に入った清酒を買ってから列車に戻る。N君から明日は八高線で高尾臨「DD51+12系6」9222レを撮影するので高崎駅か大宮駅で下車するという。既に列車は新潟駅を発車しているが自分も行くので大宮駅から川越線八高線経由で寄居駅からタクシーで行こうと提案する。流石に冬の3:39に到着して待合室のない高崎駅で約2時間待つのはつらい。新潟駅から信越線に入ると列車は鉄道の街として有名な新津(23:40-0:02)へ到着。

 

新津駅のホームでは新津小学校に保存してあったC57-180を復元復活させて4月29日から磐越西線で週末を中心に新津~会津若松~新津で運行する「SLばんえつ物語」のポスターと旗が飾ってあった。寝台特急日本海2号」と高速貨物2082レの先行通過が終ると新津駅を発車して自分達は寝る体制に入る。しかし昨夜の馬下保養センターでは早く寝て爆睡したため、中々寝付かれない。寝れない中、加茂(0:16-16)・東三条(0:22-23)と停車して知らない内に寝てしまった様だ。以降は就寝中の停車駅と時刻、見附(0:34)・長岡(0:43-1:09)・高崎(3:39-40)。

 

目が覚めたのは大宮到着10分前の北本駅近くでN君に起されたみたいだが急いで下車準備をしていると大宮(4:30-30)に到着したので下車するが上りムーンライトえちご(旧ムーンライト含)を大宮駅で降りたのは初めての経験である。川越線八高線を乗り継いで寄居駅へ到着すると駅前からタクシーで寄居~用土の撮影地に直行して高尾臨9222レを撮影して折り返しの9223レは八高線非電化区間では時間的に暗いので撮影しないでそのまま帰宅した。

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快速 ムーンライトえちご(下り)

1999年1月14日(木曜日)、 1999年始まって最初の3連休(1/15~17)前夜であるが僕と同じ会社に努めるN君と新宿駅7番線ホームで村上行きの快速「ムーンライトえちご」の入線を待っていた。およそ1ヶ月前ににはN君と快速「ムーンライトえちご」でK君のマイカーへ便乗してJR北海道731系の甲種輸送羽越線まで撮影に行ったけど今回は盛アオ583系(9B)の団体列車回送が青森から越後石山まで走るのと翌日16日は磐越西線DD51-745牽引のカヌ座を牽引するためで尤もK君が583系の回送如きでは来ないのであり、後者がメインである。

 

1998年12月から1999年1月までに使う青春18きっぷも早くも2冊目(正確には2枚目)の用途となりホームで待機していると22:50に快速「ムーンライトえちご」となる回送電車が入線して扉が開くと5号車のモハ164-823「新カヌM1編成」に乗車した。流石に青春18きっぷが使える3連休前夜は殆どの席が埋まって今夜は早々と指定券が早くから売り切れ状態であった。本日は6両編成の運転だが、快速「ムーンライトえちご」は新宿駅を定刻23:16に発車したので我々も缶ビールで乾杯してK君には携帯電話のショートメールにて新宿駅を定時で発車した旨を連絡しておく。

 

1998年12月のJR北海道731系甲種輸送の際は新津下車だったけど今回は村上までゆっくり寝て行けるのでその分助かるが、今回の583系団臨回送はマークが無表示か回送表示になる公算が強いので接近戦より線路からかなり引いて撮影するサイド写真か俯瞰撮影の風景写真になりだけど雪が降ると風景写真は真っ白の世界になるので難しい。列車は池袋(23:16)と赤羽(23:26)に停車して東京都から埼玉県に入ると大宮(23:40-43)に到着。N君が現地の天気を気にして明日の撮影で使うポジ(リバーサルフィルム)の選択で悩んでいる。

 

まだスマートフォンどころか携帯でWEBサイトを検索さえ出来ない時代だったので現地の天気予報を市外局番+177で聞くしかなく、新潟県下越地方の気象はエリアが広すぎてピンポイントな天気は分からなかった。NTTドコモFOMA登場は2001年からだが大都市圏の一部でしか使えずに同じドコモのiモード携帯でネットが出来るようになったのも2001年から登場の210iシリーズからだった。自分も常用リバーサルフィルムはフジクロームVelviaRVP」を+1補正するかエクタクローム「E100VS」なので現地に到着して1発目を撮影する時に考えようとアドバイスしたと記憶している。

 

曇った時にカラーなんて使っても意味がなく、趣味的な写真なら白黒のトライX(TX400)やT-MAX400(TMY)で充分だけど鉄道雑誌社への投稿はポジを要求(ポジは印刷に向いてるから)されるので自分としては極力ポジでの撮影がしたいのである。話が違う方に脱線したがほぼ満席状態で大宮駅を発車すると列車は高崎線に入り、暫くすると車掌が回って来たので銘々に高崎までの乗車券+青春18きっぷと指定券を呈示するとどこかで見かけた車掌で向こうも自分を見ながらおや?と言いたげである。1998年は快速ムーンライトえちごに9回も乗車しているので不思議じゃないけど。

 

5号車の切符拝見も終ると減光したのでリクライニングを大きく倒して高崎駅では缶ビールが飲めるなんて考えていたらいつの間にか寝てしまったらしいw。以降は就寝中の停車駅と時刻・・・高崎(0:55-1:28)・長岡(4:05-13)・見付(4:24-24)・東三条(4:33-33)・加茂(4:40)・新津(4:53-54)。目が覚めたら新潟(5:06-15)に停車していたのでホームの自販機で微糖缶コーヒーを購入して飲んでいると新潟駅を発車した。新潟を発車すると向きを変えて3921Mとして運転するが外はまだ暗いし、船を漕いで寝てしまう。豊栄(5:25)・新発田(5:35-36)・中条(5:46)は気が付かないままに坂町(5:54-55)に到着。

 

二度目の目覚めは坂町停車中で自分で起きたのかN君に起されたのか定かではないけど終着駅となる村上駅には定刻の6:05に到着した。改札を出るとK君が待っており、車に乗り込んで国道7号線と高速の無料区間で余目付近まで行き、上りの583系回送を追いかけて3回撮影して新津市内(現新潟市秋葉区)にあるJRの某運輸区へ行って明日の磐越西線臨客の詳細時刻を確認するためにB報を確認。その後、五泉市公共の宿でもある「馬下温泉・馬下保養センター」に宿泊(当時素泊まり1泊4000円ちょい)して温泉に入って寛いだ。

 

翌日は磐越西線・非電化区間DD51-745牽引のカヌ座を北五泉五泉猿和田馬下、徳沢~上野尻、山都~喜多方で撮影して終了。K君に喜多方駅まで送ってもらい、喜多方駅からN君と231D・新潟行きに乗って新潟駅方面に戻った。

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快速 ムーンライトながら 

1月2日に東京駅から始発の東海道線普通列車乗り継ぎで新大阪まで来た我々親子2名は新大阪発新宮行きの夜行快速2921Mで翌早朝に新宮駅に到着してそこから紀勢本線で松坂~亀山~名古屋方面へ移動したがそのまま行くと12時前には名古屋駅に付いてしまうので途中のローカル線を乗りつつ、正月期間の大垣駅前商店街では飲食店や飲み屋さえ営業していないと予想していたので名古屋駅前で夕飯を済ませて大垣駅へ向かった。

 

1999年1月3日(日曜日)、 当初は大垣駅から臨時大垣夜行・9372Mに乗る事を考えており、計画書でもそうなったけど12月の某会定例集会で知り合いが1月3日の快速「MLながら372M」が2枚並び席を買ってくれないかと言われたので即座に手帳を出して該当日を確認すると丁度親子旅の期間中で2枚の指定券は乗変済みだが大人2名分の料金を支払い指定券を確認後に無事受け取った。自分は1976年から347M・344Mと呼ばれた大垣夜行に乗って来たけど快速「ムーンライトながら」乗車は生まれて初の乗車になるのでこれは楽しみである。

 

中京エリアの新快速に乗ったり、名古屋グルメを楽しんで僕たち親子は快速「ムーンライトながら」(372M)が入線する少し前に名古屋から大垣駅に到着して372Mの入線を心待ちにしていた。大垣駅の改札を出て翌日の青春18きっぷの捺印を入れてもらいホームに戻るとちょうど373系電車が入線するところだった。一番最後尾となる1号車に乗るとクハ372-3で席は中ほどの6番AB席であったが、完全に特急形車両なので子供は喜んだけど臨時大垣夜行の古びたBOX席に比べればリクライニングするし、足元にはフットレストが装備されて並ばなくても良いのは本当に助かる。

 

乗り込むと車両の窓が大きくて子供はワイドビューだと喜ぶけどワイドビュー383系キハ85系である事を付け加えておく。回転リクライニングシートに座席間隔は970㎜でフットレストもあって上々の設備だけど373系は客室と乗降口を分けるデッキ部の仕切りがないので夏場の冷房が心配だけど冬場は隙間風が寒い165系・167系・169系に比べれば環境はよさそうである。22:52発臨時大垣夜行(9372M)の発車を見送り、大垣を通過する大阪発長野行き・急行「ちくま」(4801M)の勇姿を見送ると快速「ムーンライトながら」(372M)は23:08に大垣駅定刻発車した。

 

僕は快速「ムーンライトながら」と373系電車初乗車を記念して名古屋駅で購入した珍味で清酒ワンカップを傾けるが、子供は始めて乗る快速「ムーンライトながら」と373系に落ち着かない様で車内彼処を探索している。列車は穂積(23:13)・岐阜(23:18-18)・尾張一宮(23:27)と快速運転で停車すると名古屋(23:37-41)に到着したが、本日の指定券が何回も調べたけど満員御礼状態だったのだが名古屋駅を発車してもいい具合にポツポツ空席が目立つのである。この先、豊橋、浜松、静岡で乗って来るとも思えないし、やっぱり隣に誰も来ない様に隣席も買ってしまうニ席厨と言われてる輩の仕業なのだろうか?。

 

指定券・額面が安い「300円・310円・510円」列車の場合だと1ヶ月前の発売だと正確な必要枚数が判らずに多めに購入して余った分は駅の精算所やみどりの窓口に返却して精算すると差額が帰ってくるけど300円や310円の普通「快速」指定席券の場合、返却しても逆に精算料金が高い(高いといってもその分請求される訳はない)ので面倒だから駅へ返却しないでそのままだと席は空いてるのにマルスでは満席というケースが多々ある。しかし一番許せないのは隣に誰も座らせない様に隣席も購入して知らんぷりするセコくて幼稚なやり方でムーンライト系、ふるさとライナー系、ミッドナイトにはこの手が多い。

 

名古屋駅では夜行急行「ちくま」より先に快速「ムーンライトながら」発車したけど明日は品川駅下車だし、初めての373系の寝心地を試したくてリクライニングを深く倒してフットレストの上に足を乗せて目を瞑ると金山(23:44)停車は覚えていたけど前夜の寝不足も手伝ってすぐに就寝したようだ。以降は就寝中の停車駅と時刻・・・大府(23:54-54)・苅谷(23:59)・安城(0:04)・岡崎(0:10)・蒲郡(0:20-20)・豊橋(0:30-36)・浜松(1:01-03)・静岡(1:58-2:00)・富士(2:27-29)・沼津(2:46-56)・熱海(3:12-14)・小田原(3:31-33)・大船(4:02)くらいまで爆睡していたようだが横浜(4:16-16)到着で目が覚めた。

 

窓際の子供は完全熟睡しているようで中々起きないけど起していると川崎(4:24)到着くらいにやっと起きて次が品川駅で乗換がある旨を伝える。無理せず東京まで行き折り返しの323Mで富士駅まで行くと始発駅から終点まで乗り換えなしで乗れる直通列車が暫くないため、品川駅に付いたら1分の接続で321Mに乗る原案は子供が作成したのだが本人は眠くて忘れているようだ。品川駅に接近してるので子供と扉前で待機していると品川(4:23)に到着。急いで階段を走って渡り東海道線下り電車が出る7番線ホームに降りると沼津行き321Mに間に合いBOXで親子にて沼津まで寝て行く。

 

沼津から735Mに乗り換えて富士7:41発の625M(身延線)で甲府まで身延線の走破に付き合うが富士駅仕入れた駅弁「駿河ちらし」「牛肉弁当」に飲み物各種と酒類も入手して身延線3時間半の旅にチャレンジした。甲府からは普通に中央線の普通電車に乗って年始早々の親子旅は終了した。

 

なお本文中に子供がワイドビューと喜んでいるのにワイドビュー383系キハ85系だと制した記述があるけど後に子供から373系ワイドビューだと時刻表を見せられると確かに"ワイドビュー東海"や"ワイドビュー富士川"と書いてあった。国鉄型でない電車は興味ないもんなー(苦笑)。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★