夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

臨時大垣夜行 9375M

1997年8月22日(金曜日)、 8月23日~24日に同じ鉄道写真趣味団体に所属して中京エリアの写真撮影でお世話になってる人が仲間同士連盟で鉄道写真展を開くのでそれを見に行くために関東に住む我々も軍団を組んで応援と写真展を盛り上げるために臨時大垣夜行(救済臨)9375Mで行くために青春18きっぷを利用して品川駅7番線の9375M最後尾の8号車乗車位置に入線2時間前に到着するとすでに10人以上が並んでいるけど全員身内だと分かった。そういえば臨時大垣夜行・9375Mの入線ホームは9番線か10番線と決まってきたけどこの時は7番線ホームであった。

 

入線1時間前になると乗車待ちの行列もかなり伸びて、立ちながら仲間たちと缶ビールでワイワイ雑談して乾杯しながら待っていると23:20くらいに9375Mが田町電車区から167系8両編成が入線(そういえば入線時刻も幾分早くなってるような?)。165系に比べて167系はドアの幅が狭いけど今回は大荷物がないのでスムーズにクハ167-1に乗車して左右前後に4BOXをキープして16名分の席を確保したが、飲み物を購入しに売店へ行くと他の号車に乗車している仲間を見かけた。

 

発車まで待ってるとビールが生温くなってしまうため、早速乾杯する。16人だとちょっとした団体だが4BOX席の内訳は何故か同じ年代・年齢で固まるのが不思議だけど僕が座ってる席と横のBOXは酒飲みばかり集まっているのが不思議である(類は友を呼ぶ)。11番線から東京発の快速「ムーンライトながら」が発車すると我が臨時大垣夜行9375Mも後を追う様に4分後の23:55に品川駅を発車した。皆各自が持ってきたつまみが別BOXへ流したり、流れて来たりで誰かが持ってきた冷凍枝豆(自然解凍)の大袋が一番人気であったが自分は長岡銘菓"元祖浪速屋柿の種"を各BOXに流す。

 

缶ビールばかりでは飽きるので品川駅のキヨスクで購入した氷入りカップにステンレス製のポケット瓶にサントリーリザーブウィスキーを入れたのを持参して氷カップに注いで最初は水割り、後半はロックで楽しむがやや濃い目に作ってしまい、草々に酔っ払ってしまう。ウィスキー飲むならと6Pチーズやソフトサラミなどのウィスキーには最高のオツマミも廻って来てご機嫌に飲みながら乾杯~🍺🍷京浜東北線でいう大森~蒲田間で日付けが変わって多摩川を渡ると川崎(0:06)に到着、ここから8月23日の青春18きっぷを使用する。

 

20歳台が集まるBOXはかなりボルテージが上がっているけど横浜(0:14-15)を発車すると他の乗客の迷惑になるので騒ぎたかったらデッキでやれと釘を刺しておいたが冷房の効き目が極端に弱いデッキには出たくないらしく、少しは大人しくなったがヤレヤレである。そういえば品川駅で待ってる時に「ムーンライトながら」乗車組が2名陣中見舞いに来てくれたがBOX席で飲める方がいいと溢していたけど特急車両でフリーストップ式のリクライニングシートで足元には跳ね上がり式・フットレストが装備された373系電車の環境抜群なのだから我々と変わろうかと言ったら苦笑してたのを思い出した。

 

因みに快速「ムーンライトながら」組は指定席がバラバラとの事でそれも寂しいかも知れないけど人数が集まって飲みながら移動するにはBOXシートの臨時大垣夜行がベストだが、寝る環境は最悪である。列車は戸塚(0:25)・大船(0:30-30)に停車しながらこまめに停車してゆくが、我々グループも飲み疲れたのか眠いのか大分大人しくなってきた。乗車している167系は修学旅行専用電車だったが167系が定期列車で使われたのは急行「東海」に併結された急行「ごてんば」以外に使われてはいないような気がするのだが。列車は藤沢(0:35)・辻堂(0:39)・茅ヶ崎(0:43)・平塚(0:48)・大磯(0:52)・二ノ宮(0:57)・国府津(1:01)と深夜の湘南・西湘エリアを走り抜く。

 

自分は国府津までが限界で当時のメモをPCに落としたExcelファイルには記述がなくて寝てしまった様だ。就寝中の停車駅・時刻は以下のとおり・・・鴨宮(1:06)・小田原(1:09-10)・熱海(1:23-30)・三島(1:43-43)・沼津(1:50-56)・富士(2:12-13)・静岡(2:43-59)・浜松(3:58-4:09)・豊橋(4:39-52)・三河三谷(5:05)・蒲郡(5:08)・岡崎(5:20)・安城(5:27)・苅谷(5:35)・大府(5:40-40)・共和(5:44)。何回か目が覚めているけど完全に目が覚めたのは金山(5:58)で寝る前に飲んだウィスキーが効いたみたいである。車掌の名古屋到着と乗り換え列車の案内放送が聞こえてくると名古屋(6:03-08)に到着。

 

隣の5番線ホームに豊橋駅で抜いた快速「ムーンライトながら」が入線すると臨時大垣夜行9375Mが先に発車する。清洲(6:16)・稲沢(6:21)と停車して稲沢駅の近くでJR貨物愛知機関区の横を通ると構内に停めてあるDD51EF64を目を皿の様にして機関車と番号を確認していると木曽川橋梁を渡って岐阜(6:29-30)に到着。岐阜を発車すると穂積(6:35)に停車して終着大垣駅には6:41に到着した。名古屋での写真展は10時からなので青春18きっぷで適当に時間を潰して朝ごはんを食べてから写真展会場に向かって帰路は普通電車や快速電車乗換えで東京へ向かった。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

快速 ムーンライトえちご(上り)

1997年8月10日(日曜日)、 3日目の羽越線内撮影と海岸で子供と遊んでから鶴岡まで移動してレンタカーを返却後に早めの夕飯を食べてから青春18きっぷに翌日分の日付を入れてもらい、子供用の鶴岡~新津間の小児乗車券を購入して832Dで村上駅へ移動した。最初は19:29に村上駅へ到着してから夕飯を食べる計画だったがラストオーダーが終ってそうな気がしたので鶴岡で食べたが正解であった。快速3948M(新潟から快速3720Mムーンライトえちご)入線までまだ時間があるので駅の待合室は暑いので喫茶店で息子とクリームソーダとトーストの夜食。

 

1997年8月10日(日曜日)、 快速3948Mの改札が始まったのでホームへ入ると既に列車は入線しており、5号車のモハ164-823に乗り込む。帰路の快速「ムーンライトえちご」も6両編成だけど指定券はかなり余っているみたいだけどお盆期間中は連日6両で運行。接続列車の834Dが入線すると3分後の22:25に村上駅を発車した。モハ164-823は上沼垂運転区のM1編成で1986年11月改正で夜行以外の165系・急行「アルプス」が廃止になった際に際に松本運転所から上沼垂運転区へ転属した車両で中央線のトンネル断面が低いためにパンタグラフ部分の屋根が低くなってるのが特徴である。

 

席の位置とか逆に進むのは前に乗った時に子供には説明したけどまだ本人は納得してないようで新潟駅から進行方向が変わる旨を説明するが時刻表の地図を見ろと言っておいた(昨年の特急「白鳥」でも説明したのだが)。列車は坂町(22:30)・中条(22:37)・新発田(22:48-48)と小まめに停車して新発田から白新線に入り、豊栄(23:05)に停車すると上沼垂のデルタ三角線を通過して新潟駅(23:15-23)に入線。新潟駅1番線には新発田の缶入り地酒「菊水ふなぐち一番しぼり」の自販機があるので早速買って新潟発車と共に乾杯する。新潟を発車すると正規に向きに変わって新潟車掌区のレチが指定券や乗車券のチェックに現れた。

 

新津運転所(1997年9月から新津運輸区)の横を走るが構内に三つ目ライトが特徴の"ナシゴ"ことDD51-745は不在中でまだJR貨物・東新潟機関区へ長期貸し出しらしい。列車はすぐに新津(23:37-58)に到着。21分停車中に特急「日本海2号」と高速貨物列車を先行させるたのに停車だが暇なのでホームに降りて通過を見守る。先に敦賀派出のEF81に牽引された「日本海2号」(盛アオ24形13両)が通過すると6分くらいして富山機関区のEF81に引かれた高速貨物2082列車が通過したけどお盆期間のためか、いつもより短い編成で空コンテナも見受けられた。

 

新津駅を発車したので子供を寝かせて自分もリクライニングを最大に倒して休む体制に入ると列車は加茂駅(0:15)・東三条駅(0:22-23)・見附駅(0:34)と停車して長岡(0:43-1:09)に到着。長岡駅では26分停車なのでホームの自販機やコンビニ食料買出し組もいたけど既に車内で寝ている人も少なくない。自分も長岡発車前に寝てしまったのだが別のホームに寝台特急日本海1号」が入線してきたのは覚えているが、気が付いたら列車は清水トンネルを走行中だった。下り快速「ムーンライトえちご」とは水上~湯檜曽間ですれ違うのだが確認したが第2湯檜曽トンネルか第3湯檜曽トンネル走行中で気が付かなかったのかも知れない。

 

運転停車(運転士交代)の水上駅で停車したが発車を待たずに寝たみたいで途中駅の高崎(3:39-40)・大宮(4:30-30)も夢の中で北浦和で子供に起された様で急いで下車準備して何とかギリギリ4:40着の赤羽で列車を降りて京浜東北線南行電車に乗り換えて帰宅したが田端へは赤羽からの方が便利なのである。お盆休みは8月17日までだが残りの日は「カートレイン北海道・9010レ」が運転される日はED75が牽引する黒磯以北の交流区間へ車で移動して撮影したり、上野口で臨時急行「八甲田+モトトレイン」を撮影して1997年の夏を過ごしていた。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

快速 ムーンライトえちご(下り)

1997年のお盆休みは8/9~17の9連休だが1997年3月ダイヤ改正から特急「白鳥」の車両受け持ちが、上沼垂運転区の上沼垂色485系から京都総合運転所(旧向日町運転所)の原色485系に換わり、1号車と9号車のクハ481に100番台のボンネット車が入る確率も高いため、海の色がきれいで天気も安定する夏に撮影行きを計画していた。子供に一緒に行くかと問えば行くとの事で列車撮影だけだと飽きるので浜辺か磯で遊ぶ時間も入れて計画した。往復の「快速MLえちご」と鶴岡市のビジネスホテルを予約・・・本来なら瀬波温泉か温海温泉に泊まりたいけどハイシーズンなので一番高い時期ゆえ自粛。真夏の炎天下に駅から撮影地まで歩くのも地獄だからK君の勤務先関係で安いレンタカーも手配。

 

1997年8月8日(金曜日)、  9連休前夜なので新宿駅7番線ホームにはすでに多くの快速「ムーンライトえちご」乗客が待機しており、自分たちも3号車の乗車位置で待っていると22:50に回送電車が入線。ドア扱いが始まると上沼垂運転区のクモハ165-130に乗り込み指定された席に子供だけ残して自分は上にあるコンコース売店で冷えたビールやツマミに子供用の飲み物を買って戻るが車内では指定券は売切れだと何回も放送があって事実1ケ月発売当日に完売してるので今夜は6両編成となっている。子供を窓際に座らせて発車前から缶ビールをグビグビ飲んでいると新宿を23:03に発車した。

 

快速「ムーンライトえちご」に乗るのは1997年3月21日以来、約5ヶ月ぶりになるがここ数年の傾向では臨時大垣夜行(救済臨)と「ムーンライトえちご」に乗るのは青春18きっぷの期間ばかりでパターン化している。鉄道写真撮影の旅だとアタッシュケース型の一番大きなアルミケースにカメラ3台に単焦点レンズ各本数×2のフル装備なのだが、今回は着替えやサンダルなども持って行くので富士クローム・ベルビア50(RVP)+1増感を入れたカメラに50mm、85mm、100mm、135mm、200mmのF値の明るいレンズだけで三脚からマルチアームも外した軽装備なので法面登りはできそうだ。

 

列車は池袋(23:11)・赤羽(23:26)に停車しながら埼京線山手貨物線東北貨物線へと進み、2本目の缶ビールを飲み終えた頃に大宮(23:40-43)へ到着。指定席は完売なので大宮発車時点で85%は埋まっているけど隣席も買う(某匿名掲示板では2席厨と呼ばれる)輩もいそうなので高崎駅でどれだけ乗り込むのか楽しみである。高崎線を快調に飛ばすと車掌が回ってきて高崎駅までの運賃と翌日の日付が入った青春18きっぷに指定券を渡すが青春18きっぷは1枚で5日分なので息子の分も含んでいる。今回は村上まで乗車するので高崎駅での缶ビール自販機が楽しみだ。

 

しかしお盆休み前の業務多忙で連日22時まで残業した疲れがでたのか熊谷駅より先で寝てしまい、高崎駅での缶ビール補給はチャラになってしまう。就寝中の停車駅と時刻…高崎(0:55-1:09)・長岡駅(4:05-15)・見付駅(4:26-26)・東三条駅(4:36-37)・加茂駅(4:44)・新津(4:59-59)。高崎駅長岡駅、そして新津駅も記憶になくて爆睡していたようで気が付いたら新潟駅手前の越後石山付近だった。多分車内放送か息子に起されたかどちらかであるのだろうが新潟(5:12-19)に到着したので自販機で飲み物を購入してまたうつらうつら寝てしまったようである。

 

進行方向の向きを変えて白新線にはいるが子供が席の向きを変えて欲しそうな顔をしているけど後の客もそのままなので小声で子供に説明したのは覚えているけどその後の記憶が、殆ど無いと当時の手帳には綴ってある。「ムーンライトえちご」は豊栄(5:32)・新発田(5:44-44)・中条(5:55)・坂町駅(6:02)に停車するが接続3分接続の酒田行き821Dには座りたいので早々にデッキの扉で待機して村上駅へ6:12に到着すると扉が開いた瞬間にダッシュして進行方向左側(海側)のボックス席に三脚(ハスキー4段ハイボーイとリュックを置いて子供を捜すと僕を見失った子供がホームでウロウロしてたので声をかけて手を振る。

 

酒田行き821Dに無事に座れて親子で窓際に座って昨日の夜にコンビニで翌朝まで賞味期限があるおにぎりと新潟駅で買ったお茶のペットボトルで朝食だがツナマヨと鶏めしは子供に取られて僕は余り物の鮭と鱈子を食べた。「ムーンライトえちご」から酒田行きに乗り換えるのは本当に久々で1994年3月以来でこの時は833Dだった。鶴岡駅までノンビリ日本海を見ながら旅をして鶴岡駅でレンタカーを借りてから上り特急「白鳥」は小砂川~上浜で海を入れて撮影。本当はあつみ温泉から新潟寄りで撮影したかったけど光線的にイマイチなポイントばかり。特急「いなほ」や貨物を写して鶴岡のビジホ泊。

 

8月10日は早起きして吹浦~女鹿で「日本海3号」と583系の急行「あおもり」を撮影後に移動してからあつみ温泉~小岩川で特急「白鳥」を撮影して撮影は終了。山形県だけどやや県境を超えた新潟県の遠浅の砂浜と岩場もあってレンタカーも近くに置けるビーチ(駅間で言えば府屋~鼠ヶ関)で早めのお昼ご飯の弁当を食べてから親子で浜にて遊んで国道7号線を鶴岡へ戻ってレンタカーを返却した。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

指定券の思い出  

今週もメインコンテンツである想い出夜行列車レポートはお休みして今週も非乗車レポートネタで書きます。夜行列車の場合指定券とひと口に言っても座席夜行の指定席からB寝台、B個室、A寝台、A個室にグリーン指定席まで多種多様。座席指定券なのに号車指定だけで寝場所は早い者勝ちの定員制指定券(ミッドナイトのカーペットカー等)という指定券もあって選ぶ楽しみも増えていた。私が高校生の頃は自由席主体だったので自分で指定券を入手するという行為はしなかったし、同じクラスメイトのM君(現在は故人)に任せてあったし、学生時代は繁忙期に出かける事は少なかったので困る事もなかった。

 

1980年10月1日から指定券は一部を除き乗車日の1ヶ月前・AM10時から全国一斉に各駅みどりの窓口や駅の旅行センター、旅行会社から発売されたが、1980年9月30日までは前売りは乗車前の1週間前だった。実際にはMARS202(団体枠、4人以上のグループ旅行、旅行会社枠の個札)だと1ヶ月前にも買えたのだが、一般指定券としては数的に少ないのと団体と同じ号車に混じってしまうケースもあり、乗車日の7日前に購入するのが得策であった。当時はMARS105が通常の1週間前発売、MARS202が1ヶ月前発売で202や105はマルスシステムのホスト電算機名称である。

 

ちなみに昔から旅行会社にも各社が国鉄の指定券を予約する端末があって交通公社ならトリップスⅢ、近畿日本ツーリストだとシステムⅢ、日本旅行QRⅢという端末があって1週間前からの発売はMARS105に繋がっていたが1987年くらいから指定券だけのお客は毛嫌いするようになって宿やレンタカーを申し込む客を優先に難易度の高い指定券を振り分けて駅の旅行センターやJRの旅行センター(JR東日本ならびゅうプラザ)も同じ様な考え方に変わり、知り合いとかいないと便宜は図ってもらえない事が多かったが全てでない事を記しておく。

 

個室中心の北斗星が走るようになって希望の個室をGETするために1番最初に事前申し込みを済ませて最初にMARS操作をしてもらう"10時打ち"という言葉が、一部の鉄道ファンで流行ったが、1列車に2部屋しか個室がなかった1988年の北斗星の1人用A個室ロイヤルは10:00分00秒に操作しても取れない事が珍しくなかった。大きな駅だと繁忙期は朝5時くらいから事前受付をする駅も多くて発売日が出勤日だと仕事中に眠くて大変だった辛い思い出が残ってる。自分にとって事前受付指定券申し込みでミスもやらした事を白状しておこう。

 

社会人1年生になって始めての年末年始に冬の東北でも行こうかと1981年12月28日出発計画で1ケ月前の11月28日に決めて事前受付は何時くらいから行う事などを前もって駅のみどりの窓口で時間を聞くとその駅は5:00からだと言うので当日早起きして前もって指定席申し込み票にも特急ゆうづる7号・上野→青森・大人1枚・B寝台下段と書いて朝5時前に駅へ到着するとすでに指定券1ヶ月前売り・事前受付の縦看板を先頭に15人くらい並んでいて仕事帰りにみどりの窓口掲示してある黒板には受付番号の横に×印が付いてて我ながらまだ自分は青いなと感じた次第である。

 

同じ失態はしないぞと己に誓った訳だが、急行八甲田や急行津軽の自由席は3時間以上前から並ぶ必要が、あるので頭を切替えて12月29日は早起きして上野7:33発「はつかり1号」の自由席に並んで無事窓際の席をGetして朝食と昼食は食堂車で優雅に食べて青森まで乗り通し、帰路(1/2)は一番空いてそうな弘前発の臨時急行「津軽54号」(52号かも知れない)で戻る旅をして結構楽しめたが指定券ネタの話は意外と多い。これは指定席に限った話ではなく、自由でもよいのだが座席車の場合、皆さんは進行方向に向かって右側に座りますか?それとも左側?。

 

海が見えるとか山が見たいとかの理由は除いて自分は右側座るのが好みなのです。対向列車とのすれ違いも見れるというのも理由の一つだけど進行方向に向かって右に窓がある方が按配がいいのである。上手く言葉で伝えられないけど普通に椅子に座って左側の車窓を見るより右側の車窓見るほうが楽だし落ち着くのである。簡単に指定券・1ヶ月前の10時発券といっても早朝から並ばして朝5時前後から受付する駅と並ばせないで、みどりの窓口が開いたらその都度受付してくれる駅など駅によってやり方が違うのでそれを逆手に取って前者の駅で事前受付したら後者の駅へ行ってダブルで頼んだ事も多い。

 

更に1987年12月には「JR北海道プラザ東京支店」がオープンすると電話予約だけで乗車日の2ヶ月前(1ケ月前売りの1ヶ月前)から寝台特急などの指定券のみ予約が可能でこの店舗はJR北海道札幌販売センターと繋がりがあってロイヤルなど人気が高い指定券でも手配率が高くて少しでも貢献するのと顔を売るために北海道とは関係ない出張用の指定券や通勤定期まで発券してもらった事が懐かしい。寝台特急に個室寝台が増えると同じ個室でも寝台席に座って進行方向に向かう個室とそうでない個室、更に1階個室と2階個室など10時打ちなどを3ヶ所に頼んでその中からベストな個室をチョイスしたものだ。

 

北斗星のSA1(ロイヤル)は会社(JR東日本JR北海道)の違いや登場年度によって個室の意匠や操作パネル、折り畳みテーブルの有無など装備に相違があってJR東日本北斗星なら10号車、JR北海道北斗星なら9号車に増備車が連結されるのでそれを目的に入手可能だけ手配して取れた指定券の中からベストチョイスを選んで余った指定券は払い戻すと手数料がかかるので節約するため、別の旅で使う指定券や出張で使う指定券に乗車変更したりしたが一番笑ったのは2002.4.1~6/30までの北斗星3・4号の2~3号車にも尾久車と札幌車の予備車であるSA1/B2、SA1/B1を連結した時の事「4号車はA2も増結」。

 

10時打ち2駅とJR北海道プラザ東京支店の3ヶ所で10時打ちをお願いしたら全てロイヤルで取れてしまったという信じられない思い出がある。運用を調べると3号車はJR北海道のオロハネ25 555~558なので札幌運転所内の整備会社で働いてる趣味友達に問えば鬼門であるオロハネ25-555は北斗星1号と北斗星2号で暫く運用と聞いてから安心して3号車2番の指定券だけ残して余った2枚は乗車変更で放流したのだがそもそも全社尾久客車区車で組成してる北斗星3号に札幌運転所のオロハネ25-557が連結しているのは愉快であった。

 

北斗星の個室で指定券がW発行されてダブった(Double Bookingした)事が過去に2回あります。最初は1990年の夏で札幌駅から乗車した「北斗星2号」の3号車1番SA1での話だが僕は入線前からホームの乗車位置に早めに来て並び、そこで入線シーンを眺めるのが好きなので一番で3号車のオロハネ25-556に乗車して1番ロイヤルに入ったのですが発車5分前に同じ部屋の指定券を持ったご夫婦が来てお互いに指定券を見合わせると日時・列車名・号車・番号も同じですぐにダブりと直感したのだが車掌に来てもらうと自分のは1ケ月前の発売で相手は2日前の発行だし一番に乗車したのが私なのが決定打になった。

 

2回目のダブりは1993年の北斗星2号のオールデュエット4号車で同じ札幌車掌所でこの時は先に自分達が乗ったから優先権があるとの事だったが全車指定席なのに早めにホームに入って一番で乗車する事が無駄ではなかったと再認識した次第。あと指定券の思い出話で心が温まる話を一件。これは夜行列車の指定券ではないのだが出張で名古屋と大阪へ行くため、朝の「のぞみ」で東京⇒名古屋と午後の「のぞみ」で名古屋⇒新大阪の指定券を禁煙E席で申し込んだら号車と席番号が同じであった。窓口係員の配慮に驚き、頼んでいないのに心が温かくなって仕事が出来る人は凄い。

 

2015年4月に廃止になった東京駅・丸の内地下改札の近くにあるJR東日本ではないJRの窓口で僕がよく個室寝台を取るのにお世話になったところで箇所で突発的な出張を除けばそこでよくお願いしてたけど素晴らしいサービスに唸ったものである。他にも夜行列車に於ける指定券ネタの話はあるけど長くなるからまた数年後に別の機会で纏める事にしよう。

 

『追記』今は指定券取るにも混雑してるみどりの窓口へ行かずにMV端末の自動指定券販売機で簡単に買えて座席位置もある程度指定出来るので便利な時代になった。夜行列車が無いに均しくなった今は早起きして早朝から並んで1番で事前受付するという苦労もしなくなったので楽なんだけど何だか寂しく思ってる私です。

※MV端末:ネット予約・ネット決済した指定券を受け取ることに特化した端末も存在した利用者の補助としてオペレーターモードが利用できる券売機もある。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

やっぱり楽しかった夜行列車

思い出夜行列車レポートが10週以上続いたので乗車レポート以外のネタで書きます。時刻表に掲載されている夜行列車は事実上「サンライズ出雲・瀬戸」しか走ってない昨今で楽しかった夜行列車というタイトルは如何かと言われそうだが2020年~2022年のコロナ禍で都道府県を公共の乗り物で跨ぐ行為を自粛して直接会う事も控えなければいけなくなった時代に入ってしまったが「2022年は規制緩和」鉄道趣味のコミニュケーションも在宅リモートワークになってSkype・LINE・Discordによる通話や会議機能のよる複数名での雑談で出る話は夜行列車の思い出話や若い人はもっと早く生まれて多々の夜行列車に乗りたかった等の話になる事が多い。

 

弊ブログでは2019年10月20日(yahooブログでは2015年9月に記述済み)に「夜行列車の楽しみ」というタイトルで簡単な夜行列車の楽しみ方を書いているが、今回はもっとディープに紹介しよう。趣味で夜行列車に乗る人の殆どは"乗り鉄"だと思うのだが中には僕みたいに撮り鉄だったり、夜行列車は好きだけど目的地に着いたら観光を楽しむ人がいるのでどんな夜行列車を利用する旅でもプランニングを楽しむ人は多いだろう。時刻表を読みながらどんな列車の寝台を選ぶか座席車を選ぶか、先ずはそこから始まる。旅の目的や予算によって大きくかわるが種別も普通、快速、急行、特急などお好み次第だけど2022年現在ではサンライズ出雲+瀬戸しか定期夜行列車は走っていない。

(夜行列車の楽しみ https://hokutosei-95.hatenablog.com/entry/2019/10/20/143644

 

上記にURLを貼った2019年10月20日のブログ記事「夜行列車の楽しみ」には僕の感性が描いた"夜行列車の楽しみ"をUPしてるが実際にはもっと他にも夜行列車の楽しみがある。人気があってなかなか寝台特急券が取れない、更に人気の個室が取れない時に思わず取れた時の喜びや初めて乗車する夜行列車ならその列車への期待や乗車までに色々調べたりする楽しみがある。停車駅時刻を調べてホーム自販機で飲料が買えるとか、ごく稀だけど深夜~未明~早朝に弁当など食料が買えるなどの情報を調べたりするのも楽しい。実際に始めて乗車してみて期待を裏切るような夜行列車もあっただろうけど何事も経験である。

 

偏に夜行列車と言っても多々あり、機関車が牽引する客車、電車、気動車ディーゼルカー)など等。これは趣味的な好みになってしまうのだが私が思うに一番夜行列車らしいのは機関車に牽引される客車で"ブルートレイン"がこれに当たるのだが駅へ停車している時は無音に近く冷暖房も温度設定出来るので車内環境も良かった。しかし分散式電源を持つスハネフ(座席車だとスハフ)は特に騒音を出していたので無音には程遠かった。尤も国鉄時代は運転が未熟な乗務員のおかげで発車する前に機関車と客車の連結器隙間を詰めないでいきなり起動させるものだからつんのめるショックが大きくてそれは酷いものだった。

 

それでも自分は機関車が大好きなので機関車が牽引する夜行列車に旅情を感じてたし、幼少の頃から強い憧れみたいなのがあって特に食堂車が営業してた1983年くらいまでの東京発着寝台特急には拘っていた。食堂車のメニュー(手の込んだ酒のツマミ的メニューなど)が大幅に減った1986年後半ではくらいから食堂車への魅力は薄れていったけど腐っても鯛ではないけど東京発着ブルートレインは機会を作ってよく乗った。出張でブルートレインに乗って食堂車を利用したのが2回ほどあるがこの時は先輩や同僚など計4名で「あさかぜ1号」で山口県出張だった。

 

東京を発車早々に食堂車へ駆けつけて最初は瓶ビールで乾杯して後半はウィスキーのミニチュアボトルに移行したがつまみの料理は4名で個々に注文して更に追加や食事などをオーダーして会計の時に割り勘でも飲食税が10%かかって苦笑いしたのが今ではよい思い出になっている。あと自分が若かった頃は走行区間の長いブルートレインに乗ると3段B寝台ベッドや2段A寝台ベッドは中段(A寝台なら上段)が畳まれて座席になったり、夕方は中段や(A寝台なら上段)が格納されているので中段や上段のお客と一緒に座席となる下段寝台で過ごす訳になるので他のお客との触れないがあった。

 

知らない人同士が6人向い合って座るのは照れ臭いけど若い1人旅してる奴がいると好奇の視線で見られていろいろ尋ねられる事がある。自分が行く旅先に詳しい人がいれば名物や美味しい物を聞く事が発端となり、話が弾む事だってあるのだが仮に何も話さなくても一晩同じ列車で過ごした連帯感みたいなのが生まれて朝に寝台から座席に変われば朝の挨拶するのが当り前に思えてくるのが不思議である。それらが楽しい事ではないけど夜行列車ならではの出会いになったし、車内や同じ席で相席になった人と親しくなってお互いが鉄道好きと分かれば手紙書くために氏名・住所の交換とかも珍しくない。

 

流石に2000年くらいから個人情報保護という観点が世間的に当たり前になると見ず知らずの人に教える事は憚りますけど車内や駅などで同じ趣味の人を出会いって今でも飲みに行ったり(コロナ禍中は自粛)年賀状の交換をする真柄になっています。前にもどこかで書いてるかも知れないけど家内とは1984年5月に青森から乗った寝台特急ゆうづる4号」で偶々同じ区画の寝台で出会って鉄道ファンではないけど寝台特急を軸に観光旅行をするのが好きで僕の無理矢理なアプローチで交際が始まり、翌年にはめでたくゴールインした訳ですが人との出会いなんてどこにあるか本当に分からない。

 

時代の流れと風潮の変化で若い人が知らない客と混じりたくない考え方が増えてさらにプライバシー重視で個室を連結した寝台特急も増えて逆に言えば女性でも安心して寝台車の旅が出来る様になった訳だけど個室にこもってばかりの旅もな~っと考えるようになった事もありました。しかしフリースペースのロビーカーやラウンジカーが連結されると色んな人と出会えてそこで親交を深めたり、その場だけの付き合いの人が殆どだけど色んな話が出来てとても楽しく、有意義な時間を過ごす事ができて私個人的には満足している。

 

この原稿を書いてるのは1997年末までに乗車した夜行列車のレポート記事を全て書き終えた段階で想い出乗車レポートとしてHatena Blog(ライブドアブログ・yahooブログも含むが二重投稿分は含めない)に紹介した夜行列車の総計が、約480回に近付いており、500回目が気になるところだ。実際にはブログ未掲載の夜行列車にも数多く乗っているため、数値的には500回は軽く超えていると思うけどこんな夜行列車バカwの私なので趣味関係の人や勤務してた時は職場や出張先の人から今まで乗って一番よかった夜行列車は何かと訪ねられるのが一番難しい。

 

目的が旅行だったり、出張での乗車だったりその都度違うし、その時の健康状態や機嫌によっても違うから大まかに選べないのが本音である。しかし無理して拾うなら寝台特急北斗星と急行八甲田だと思う。理由は前者は北斗星という列車を媒体に数多くの友達や仲間が出来た事。後者の八甲田は始めて乗った1976年の3月に冬の北海道へ行くために偶々車内で出会った僕より1学年上のS氏(高校卒業まもない高校3年生で僕は3年へ進級まもない2年生だった)。同じ高校でクラスメイトだったM君は既に他界してるのでS君は僕にとって生涯の趣味友達である。

 

夜行列車なんて乗り心地や寝やすさとか最適な個室などが選ぶ基準になるのだろうけど現在64歳の自分はよい人間関係を基準に考えてる。所詮夜行列車は鉄の箱、やっぱり人間関係が一番なのかな~! と深夜1時過ぎに好物のシングルモルトウィスキーを呑みながらExcelで原稿作成している私であった。

 

後述・・・最後のブルートレインと言われた「北斗星」が完全廃止になって7年が経過したがJR西日本で二年前にWE銀河「WEST EXPRESS銀河」が走るようになっただけで本来の夜行列車は全く復活していない。JR東日本管内でも牽引可能な機関車はEF65PFとEF81が僅かに在籍しているだけで一から客車や牽引機を新規製造するには費用がかかるし、交流直流に非電化区間まで走れる車両だと更に金額が増すため、寝台夜行列車復活は無理であろう。自分は1975年から47年間夜行列車に乗ってきたので今さらどうでもよいと思うが、若い人はもっと気軽に乗りたいだろう。

 

日本の産業低迷期からの構造不況が始まって旅をいう概念が大幅に変わってきた。安いLCC(Low-cost carrier)に格安高速バスや安いビジネスホテルの参入で古い車両を使った夜行列車と牽引する機関車の老朽化が重なって一気に夜行列車は姿を消して労働者の賃金は下がり、社会問題までなった非正規労働者が増えて解雇問題。更に悪化した中へ2020年のコロナ禍がトドメを刺した。日本のGDPは落ち、サラリーマンの平均年収は韓国に抜かれて円まで下がってこの後述「追記」を書いてる現在でも1ドル147円だ。夜行列車の復活を願う人は多いと思うけどコロナ禍で赤字に転じたJRが黒字計上になる事を願う。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

寝台特急 北斗星2号(B2)

1997年7月28日(月曜日)、 トワイライトエクスプレスで7月26日に札幌入りした我々家族3人はレンタカーで豊平峡、定山渓、定山湖、中山平高原、定山渓温泉etc、支笏湖、白老、倶多楽湖、熊牧場、地獄谷、登別温泉と回って定山渓温泉登別温泉に一泊ずつ宿泊して札幌駅へ戻ってレンタカーを返却してお土産や夕飯の弁当を買いこんで札幌駅5番線ホームで寝台特急北斗星2号」の入線を待っていた。月曜日出発のため、「北斗星2号」の寝台個室券は10時打ち二ヶ所とJR北海道プラザ早期予約で個室券は5号車4番(B1)と4号車9番(B2)で何れも1階部屋である。

 

4号車が9番といきなり飛んでいるのはツアー枠や手配旅行枠の事前押さえの所為だと思われるが5番線ホームで待っていると手稲(札幌運転所)からDD51重連(1037+????)牽引で北斗星2号となる回送1列車が17:07に入線。扉が開いて4号車(オハネ25-562)に乗り込み取り敢えずデュエット個室へ3人で入って発車3分前に冷えた飲み物を購入。停車時間は6分停車なので機関車確認は避けてルームキーの暗証番号を設定しておくが3人なら誰でも知ってる固定電話の下四桁番号である。4号車の団体さんは初めての経験なのか、添乗員が汗をかきながら各部屋を回っていた。

 

札幌駅を17:13を発車すると暮れなずむ前の札幌の街を通り過ぎていつも思う事だけど上り北斗星に乗って札幌駅を離れるシーンは物悲しい。特に友が見送ってくれた時も同じだったし、僕には長距離恋愛の経験がないけど仮に彼女が札幌に住んでて自分が北斗星で帰る時はもっと切なくて悲しいのかな・・・と目の前に妻子がいるにも関わらず、妄想してしまった。車掌のキップ拝見では子供用に買った5号車4番ソロの寝台特急券も見せてからいよいよ早めの夕飯だ。今夜の夕飯は札幌駅で買った幕の内弁当・いしかり(750円)である(海鮮には流石に飽きたから)。

 

僕だけ缶ビールで嫁と息子は緑茶で乾杯して僕は幕の内弁当・いしかりの沢山詰まってる副菜をツマミにして飲む。鮭塩焼き、帆立貝の煮物、牛肉すき焼き煮、フライ、卵焼き、蒲鉾、磯部揚げ、きんぴらごぼう、高野豆腐、豆、昆布佃煮、フキ煮物、漬物などでこれだけ副菜が多種だと有り難い。ただ、ご飯がキララ397を使っているのだろうか冷めていると風味やうま味が弱くてやや残念だと思う!。なんて家族で駅弁の内容を寸評していると列車は南千歳(17:47-48)に到着。1992年6月迄は千歳空港駅だったが1976年に下り夜行急行「すずらん」でここを通った時はまだ駅はなく、両側が山のみだった。

 

因みに千歳空港駅の開業は1980年10月1日で翌年、1981年10月1日に石勝線が開業して道東方面への優等列車は滝川・富良野経由から占冠・石勝高原(現トマム)経由へルートが変わっている。なんて話を家族にしても聞いてくれるのは息子だけで嫁は札幌駅コンコースのキヨスクで買った十勝どらやきに夢中だ!!  美しい名前の美々駅(現美々信号所)を通過して「北斗星」や「トワイライト」の撮影名所でもある植内~沼ノ端のカーブを過ぎると苫小牧(18:09-09)に到着。しかしよく考えると今回の北斗星乗車は1997年、初めての乗車であり、1997年はGWの美祢線山口線DD51貨物撮影(一部山陰線)。

 

GW後半は「はやぶさ」「富士」フル乗車の南九州温泉家族旅行に夏は今回のトワイライト・展望スイートで行く道央温泉旅行とお金がかかるのでまだ下り北斗星さえ乗っていないありさまである。たらこで有名な虎杖浜の浜を通過して昨夜宿泊した登別温泉の最寄り駅でもある登別(18:40-41)を発車して富浦駅の浜を走る頃には車窓から見える空が、オレンジ色から茜色に変わり、東室蘭(18:55-57)に到着した。さて気になる本日2列車の編成だが夕食後に子供を連れて見に行くと9号車が1/4の確率で入る鬼門のオロハネ25-555で8号車は1両しかないレアなオロネ25-551。

 

6号車はスハネ25-502、7号車はスシ24-508だが今回9号車のロイヤルを取っていれば確実に24-555が入ってた訳であり、何と運がいい事か。尤も往路でかなりの予算オーバーのため帰路の北斗星は端っからB個室と決めていたのだが・・・。列車は崎守~黄金の海沿いを走ると太陽が海に没した時で感動的なシーンであったが撮影的には向かない。この先、黄金~稀府~北舟岡~伊達紋別の海沿いを走るが日没後から夜が始まる独特の世界が広がり、印象的なシーンが見れるので外せない。伊達紋別(19:17-17)「5017Dと交換」を発車すると嫁はソロ使っていいでしょ?と一言。

 

本当は息子用に取ったソロなので息子本人も「それは僕の部屋」と言いたげに形だけの抵抗を示したけど鉄ちゃん同士なかよく過ごしなさいよの一言で嫁の部屋になってしまった。5号車4番には例の暗証番号で鍵がかけてある件、明日の朝食は限定8食の和朝食狙いなので6時25分食堂車集合、携帯は寝てるときも電源は入れておいて等伝えてソロ個室へ行く嫁と別れる。列車は撮影地として有名なS字カーブを通過してその先にある北入江信号所を通過すると洞爺(19:28-29)へ停車。自分の部屋を母親に取られて不機嫌な息子にソロよりデュエットの方が窓が広いので景色が楽しめる事を伝える。

 

本人からすれば窓の大きさよりひとりで気ままに過ごせる個室の方が快適に決まってる訳で今夜はパブタイムへ行こうなと機嫌をなおしてもらうが、8月上旬には11歳になる子供の気持ちは父親として分からない時がある。普段は温和な明るい子供なのにそもそも子供のために取ったソロを母親に横取りされた時はまるで睨むような目つきをして別人のようだった。豊浦駅を通過すると暫く海沿いを走るので個室の照明を全部切って車窓を楽しむが大岸海岸や礼文華浜は列車撮影の合間に砂浜で弁当を食べたりして癒された思い出の場所だ。

 

礼文駅を通過すると列車は内陸に進路をとると礼文華のカーブから登り勾配にはいって礼文華浜隧道に吸い込まれると一瞬に小幌駅を通過。途中静狩駅と旭浜駅(2006年3月に廃止)を通過して長万部(20:01-01)に到着したのでロビー室へ行く事にする。ついでなので5号車4番のソロをノックすると嫁は部屋を真っ暗にして景色を眺めていた。これからロビー室に行くけどパブタイムはどうするとの声に行けたら早めに携帯へ電話するとの事で僕と息子は6号車のロビー室(半車ソロ)へ行くと月曜日の晩だけあって空いていたのでグランシャリオに近いシャワー室側の椅子に座った。

 

既に2回目のディナータイム中だが息子が探索しに行くとゲストは半分以下で殆どが和食(懐石膳)との事、自分も見に行くと確かに夏休み中の割には少ないゲストで通常ならパブタイムは21:00に終ってパブタイムは21:15開始になるのだが、懐石膳ばかりなのでこれはいつもより早くパブタイムが、始まりそうだ。列車は八雲(20:25-25)に停車すると暫くして嫁がふらりとロビー室に現れると一言・・・何食べるの?。森(20:53-53)を発車すると6分くらいしてグランシャリオのスタッフが案内しに来た。翌日平日のグランシャリオ・パブタイムは利用回数は少ない方だけど今夜は何気に空いている。

 

3人なので4人テーブルに案内されて早速メニューを見ながら検討すると息子は真っ先にイタリアンハンバーグを、嫁はケーキセットの予定がクリームパスタとネーブル系のカクテルを、僕は食事よりもう少し飲みたいのでビールにソーセージ盛り合せを注文して夜食&飲みの宴が始まった。JR北海道のグランシャリオはデザインも間接照明も赤いスタンドの灯りもパブタイムにベストな雰囲気である。その点JR東日本のグランシャリオは間接照明ではなく、内装デザインも野暮ったく、透明加工ガラス製のスタンドは電球が眩しくてガラスに色をつけてくれた方が雰囲気的にもよい様に思えてならない。

 

グランシャリオは583系や381系みたいな二重窓なので暗い外の景色はよくわからないけど森駅から登り勾配と急カーブが続き、姫川と東山の駅を通過して駒ヶ岳では高速貨物3095列車を退避させて通過。仁山渡島大野(現新函館北斗)の下り勾配を降りて走っているのは乗ってて感覚で何となく分かる。函館(21:40-46)ではDD51重連からED79に機関車交換してる筈だがパブタイムで飲食中なので機関車番号は不明である。追加のビールと同時にミックスピザを注文したら息子と嫁に味見と称して1切れずつ食べられてしまったではないか。

 

列車は函館を発車すると進行方向を変えて五稜郭から江差線に入り、会計を済まして我一家は5号車と4号車の個室に戻るけど自分と息子はオハネフ25の展望区画で流れる景色を眺めてから4号車に戻るとちょうど矢不来信号所(22:05_)を通過した。暫く単線区間だったけど木古内(22:26)を通過して複線区間に入ると速度を上げて江差線松前方面の線路と分かれると上野トンネルに入って知内駅「現湯の里知内信号所」(22:35)を通過した。22:37に第1湯の里トンネルに入り、シェルターに覆われているコモナイ川橋梁に続いている青函トンネルを入るが車内から見る限りは1本の同じ隧道に見える。

 

吉岡海底駅通過(22:49)、トンネル最深部分通過(22:55)、竜飛海底駅通過(23:05)、青函トンネル出口通過(23:17)、新中小国信号所通過(22:31)、蟹田駅運転停車「急客201レと交換」(22:37-38)、新油川信号所(23:58)。眠さも限界なので子供に早く寝ろよと言い聞かせて自分だけ早めにベッド設営して寝台カーテンを引いて寝る事にしたが流石に青森駅で機関車確認する気力は無かった。青森駅(0:05-14)の到着までは気が付いていたけど発車を待たずに寝たようだが目が覚めたのは携帯電話のアラームセットによる朝6:00で、やけに子供が興奮している。

 

所定ダイヤなら「北斗星2号」は6:00だと南福島駅付近を走行中であるが南仙台駅だったか名取駅付近を走行中である。急いで無線機の電源を入れると仙台輸送指令が聞こえてきたが約1時間遅延の原因は盛岡支社管内で前を走る貨物列車の機関士が、異音感知で緊急停車と防護無線・発砲で防護無線を傍受した北斗星2号も抑止になったらしい。取り合えず列車が遅延してもグランシャリオのモーニングタイムは6:30オープンなので急いで着替えて嫁の携帯に電話してから5号車経由で嫁を増結して7号車のグランシャリオへ行くと開店10分前で先頭集団に入れた。

 

時間少し前に案内されてパブタイムで座った席に家族3人で座り、オーダーが来ると和朝食を銘々に注文して暫し待つと限定8食の和朝食が運ばれて来たので僕と嫁だけ食後のコーヒーも別注文。車窓を眺めながら家族と朝ごはんを食べていると嫁と子供は眠そうで遅くまで車窓を眺めていたに違いないけど子供が言うには北斗星2号が停車しない駅で長く停車してたそうだ。時おり流れて来る車掌の車内放送では「お急ぎの方は福島駅か郡山駅から新幹線の振替輸送」の放送も増え、その先の推定到着時刻を案内すると6004列車「北斗星4号」のスジに乗せて走らすようである。

 

和朝食と食後のコーヒーも美味しく頂いて会計を済まして個室に戻るけど牽引気が気になるので1号車の展望区画へ行くと田端運転所のEF81-79だった。暫く展望区画でEF81の検討ぶりを眺めていると列車はすっかり6004列車のスジに乗って郡山(7:28-30)を発車。たぶん6004レは6レ、6レは8008レのスジで走るのだろうけどJR東日本・東北地域本社(1998年から仙台支社)の普通列車は所定運行の様で遅延してるのは北斗星と上り貨物だけみたいだ。個室から消えた息子が戻ってくると手には北海道バニラアイスwが・・・車内販売では扱ってなくてグランシャリオまで買いにいったそうだ。

 

カチカチで食べれない困ってる息子を笑いながら列車は福島県と栃木県の県境でもある黒川橋梁を渡り、AC20kV(50Hz)からDC1.5kVのデットセクション地上切換がある黒磯駅を車上切換があるEF81は通過すると関東圏に来たなぁ~としみじみ思う。田舎のイメージだったけど大田原市矢板市と人口が少しずつ増えるとやがて宇都宮市に入って県庁所在地駅の宇都宮(8:54-56)へ入線。朝食を食べた後に二度寝を楽しんだ嫁もデュエットへ集まり、カチカチだったアイスクリームもやっと食べ頃になった息子は美味そうに一人で食べている。

 

ワシクリ(東鷲宮~栗橋)の有名撮影地には誰も撮影している人がいなくて1時間遅延なので待てずに撤収したらしい。有名撮影地のヒガハス(東大宮~蓮田)は何人かいたけど撮り鉄が僅か3人しかいなかった。やがて列車は大宮(9:50-51)に停車すると次は終着駅の上野なので下車準備を進めるが並走したり、すれ違ったりする京浜東北線や山手線が見えて来ると嫌でも現実に戻されるのでため息とかが出てしまう(ヤレヤレ)。下り寝台特急に比べて上り寝台特急は終着へ近付くとブルーな気分になるけどまだ夏休みが1ヶ月続く子供が羨ましくなる。

 

尾久駅を通過すると井掘信号所の脇を通過して京浜東北線・山手線の鶯谷駅の横を通過すると地平ホームへ降りる下り勾配になって常磐線の中電がよく停めてある電留線が見えて来ると上野駅だ。約1時間遅れて6004列車のスジに乗って10:13、上野駅15番線ホームへ入線した。北海道の涼しさと北斗星の冷房に慣れた我が身には体を包み込む蒸し暑さは東京の夏を象徴する蒸し暑さであった。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

Twilight Express(SA2)後編

『先週からの続き 後半です』

1997年7月25日(金曜日)、富山駅を16:20に発車した臨時寝台特急トワイライトエクスプレス」は岩瀬浜方面の富山港線の線路と分かれて滑川駅の手前から富山湾が、見えてきた。北陸本線から富山湾が一望出来る場所は意外と少なくて実際に海の近くを走る区間は僅かである。国鉄時代はもっと海がよく見えたのだがJR後は周囲に工場や建物が増えて富山湾への眺望はあまり期待できないのが残念。何気に車窓を眺めていたら黒部川橋梁を渡るがこの川の上流は黒部五郎岳に水源があり、黒部湖の黒部ダムを経由して欅平からの鐘釣温泉から宇奈月温泉を経て日本海に注いでいる河川である。

 

ラグビーボールみたいな形のスイカで有名な入善の街を通り、泊駅の先から待望の日本海沿いを走り海に近いので嫁や子供から声が上がったけど晩夏や早秋ならこの辺で黄昏タイムの落陽がみれたのに何とも恨めしい。越中宮崎~市振の境川橋梁が県境で新潟県に入った・・・大阪、京都、滋賀、福井、石川、富山、そして新潟県で7府県目に入る。この先も日本海を見ながら走り、トンネル区間が増えると昔から難所で有名な親知らず子知らずだ。列車からではトンネル区間なので眺める事は出来ないけど名称の由来を家族に説明していると海の上に北陸自動車道が走る親不知駅を一瞬に通過。

 

展望風景に右側と左側の3方向の景色を目で追うのは結構忙しくて疲れてくるがこんな経験は滅多にできないので缶ビールを飲みながら大いに楽しんでいる。上流から翡翠が流れてくるらしい姫川を渡ると大糸線の線路が近付いてくると糸魚川駅を通過すると敦賀~南今庄デットセクション(DC1.5kV⇒AC20kV「60Hz」)以来2回目のデットセクションを糸魚川~梶屋敷(AC20kV「50Hz」⇒DC1.5kV)で行う。展望席から見ていると金属の架線が絶縁樹脂に変わるので電気が流れてない死電区間がすぐに分かるがこの先、村上~間島でもで電源が変わり、これを子供に説明するのは難しい・・・中央地溝帯の説明など。

 

有間川駅から谷浜駅まで海沿いを進み、特にたにはま海水浴場のビーチは美しく、トンネルに入って出ると上越市の街中に入って直江津(17:42-45)に停車。直江津駅での特急退避はないけど前方パンタグラフの上昇パンタ目視チェックと乗務員交代である。直江津を発車すると柿崎から日本海が近付いて米山、笠島青海川鯨波と最高の海沿いロケーションの中を走ってややオレンジ色に染まった太陽を眺めたけど落陽タイムまでまだ70分くらいあるのに列車は海から外れて内陸部へ移動。柏崎や来迎寺を通過して宮内駅の手前で上越線と合流すると長岡(18:39-41)に到着した。

 

長岡駅の2分停車(売店の位置は知ってるので前もって移動)で売店にて缶ビール、緑茶、ジュースを買い込んで少し早いけど夕飯タイムにする。敦賀駅で購入した越前かに寿し、笹すし、四季の華、あなごすしの4種、嫁が選んだのは豪華幕の内弁当、子供は越前かに寿し、自分は笹すしを旅前から駅弁本を見ながら選んで2週間前に敦賀駅の塩荘に電話して乗車口まで運んでくれる事を確認して予約した。あなごずしは3人で分けようと思って購入。早速僕と嫁はビールで、子供は緑茶で乾杯して夕飯のスタートであるが3人で食べ比べる。

 

自分は笹すしだけど笹に包まった鯛と鱒の2種類が入っており、金沢駅にも似た様な駅弁があるけど意外と美味くて初めて食べたけど大当たりだった。嫁に笹すしの鯛と鱒を持って行かれた自分はあなごずし(穴子の押し寿司)も食べたけどこちらも美味しく食べて嫁と子供も食べたけど柔らかくて味付け最高との事でした。駅弁4個の総額は3,900円でプレヤデス弁当がお茶代を除くと3個で4,170円なので敦賀駅手配の駅弁の方が安くて満足できたのがお分かりであろう。長岡を出ると見附、東三条を通過するが海から24~25㎞くらい離れているため新潟平野に沈む落陽を家族3名で拝んだ。

 

海に沈むシーンは見れなかったけど空が茜色に染まって沈む太陽は凛々しく、今日の終わりを告げてくれると同時に少しずつ闇が迫って最終的には漆黒の闇になった。こうなると展望も魅力も半減するので車内配信で流している映画を楽しむ。車内放送で本日最後の停車駅でもある新津到着が聞こえてきた。新津を発車すると明朝の洞爺まで停車駅はないとの事だが実際には多くの運転停車がある。鶴岡、酒田、秋田、大舘、青森、蟹田五稜郭がそうで運転士や車掌の交代や機関車交換に上り列車の交換やシャワールーム清掃スタッフ乗降など。

 

列車は速度を落とすと昔から鉄道のジャンクション(信越線・羽越線磐越西線)である新津(19:19-34)に停車。特に退避はないけどこの先、村上~間島のデットセクション(DC1.5kV⇒AC20kV「50Hz」を控えており、下りトワイライトエクスプレスにとってはセクション手前の停車駅が新津(新潟発の特急は新潟駅坂町駅で行う)なのでABBと交直切換器の動作試験を行うためです。因みにセクションを終えると運転停車鶴岡駅で前方のパンタを降下させ、目視確認後に目的地に向かう。新津停車中に家族3名は順番にシャワータイムを楽しんだ。

 

明日の深夜というより未明3時から4号車のサロンデュノールで青函トンネル説明会に参加するため早寝も正解だがまだ早いので子供を連れてサロンデュノールへ親子で公式グッズのトワイライト・オリジナルTシャツを着て遊びに行く事にする。空いてるスペースに子供と座って親子で鶴岡駅停車の事を話していると昼間もサロンで見かけた子供が食いついて来た。僕が説明するのでは大人気ないので息子に説明させると自分が言いたい事を全て代弁(デットセクション後のEF81前部パンタ降下など)してくれたが運転停車の事は意外と知らない人が多い。

 

天狗になった息子は鶴岡から五稜郭まで7駅の運転停車とその理由を説明したけど自分がフォローするように大阪行き4002列車「特急日本海2号」とのすれ違い退避の件も付け加える。列車は村上~間島のデットセクションを通過して鮭の遡上で有名な三面川橋梁を渡り、Twilight Expressは府屋駅鼠ヶ関駅間を走り、国道7号線をアンダークロスすると県境になるのは普段の沿線列車撮影で知っていたのでまもなく新潟県から山形県に入ります、トワイライトエクスプレス陸奥(みちのく)路に入り、終着札幌まで残り秋田県青森県、そして北海道のみとなりましたと報告。

 

やがて列車は速度を落として鶴岡駅へ接近、鶴岡駅に到着すると1番線ホームを見てください・・・トワイライトと同時刻に入線する筈ですと説明するとEF81一般色に牽引された24系24形の4002列車「日本海2号」が入線(21:36-37)。同時に8001列車「トワイライト」は鶴岡(21:36-37)も到着。新潟支社羽越線2分目ダイヤグラム50%縮小コピー版だと発車は同時の様でも8001レは37分00秒発、4002レは37分30秒発なのでトワイライトが先に発車した。4002レはこの先で迎え撃つデットセクション通過のために各種換器の動作試験もあるので運転士は緊張している事だろうなど色んな話をプラスしてご説明。

 

分かれる時に色んな事を訪ねられたが運転停車の詳細時刻などは時刻まで教えてこの先に女鹿~小砂川で上り「あけぼの」と離合、羽後岩谷~折渡で「日本海4号」と離合、羽後飯塚駅で「上りトワイト」とすれ違い、五稜郭駅停車中に「北斗星1号」に抜かれるなどの情報も特別に放出。色々質問も受けたが何でそんなに知ってるの?の問いには全国に鉄道ファンの知り合いや友達がいて情報共有のネットワークを作っているから。一番困ったのは展望スイートどうやって取ったの質問にはコネとか言えないので毎日通勤時と昼休みに退勤時など駅を見る度空席探しをしてもらったでお茶を濁してしまった。

 

もう21:45を過ぎているが、盛り上ってる中自分たち親子はお先に失礼して1号車1番に戻ると既に嫁は寝ていて子供は空いてるベッドに寝てしまった。おいおいお前は補助ベッドだろうと愚痴を言いながらソファーをベッドに設営して横になる。パブタイムだけでも行こうかと思い悩んだが青函トンネル説明会にも行きたいので早寝に決める。今日は一日乗り通しで疲れたというより楽しかったが目まぐるしく変わる展望風景や左右の車窓を目で追ってやはり疲れているらしく、すぐに寝てしまった様である。以降は就寝中の運転停車駅と詳細時刻。

 

酒田(22:00-02)・秋田(23:30-32)・大舘(0:57-58)・青森(2:08-18)。さっき寝たと思ったら携帯電話の目覚ましアラームで目が覚めた。列車の進行方向が変わっており、展望窓の先にはED76-551が連結されているのを確認して息子を起してから4号車のサロンデュノールへ行きシャワールームやモニターテレビ側のソファーに息子と座る。昨夜サロンカーで話した若者やご家族もいて朝の挨拶をしていると蟹田(2:46-47)着、貨物輸送繁忙期なら9000番台スジの臨貨とクロスするが本日はなにもなし。やがて函館運輸所の車掌さんが登場して青函隧道の説明会が始まった(青函隧道は3:07に入った)。

 

紙芝居とパネルを使った説明会の後はクイズ大会で僕は黙ってて息子にアドバイスを送るだけで見守っていたら真っ先に手を上げて正解、記念に函館車掌所オリジナル記念乗車証である。しかしよく見るとトワイライト限定ではなくて北斗星、トワイライト、日本海はまなす、海峡、はつかりのマークが描かれており、一番大きな写真はキハ281系スーパー北斗であった。最後に車掌が青函トンネルを出ると北の大地、北海道の風景画が見えますと吹いちゃったので私が突っ込みを入れる。青函トンネルの函館側出口は短いシェルターで覆われたコモナイ川橋梁を渡り、更に第一湯の里トンネルへと続くため、函館側出口は青函トンネルではなく、第一湯の里トンネルですと説明。

 

よって青函トンネル函館側出口を出ても1.2キロ進まないと外の風景は見れない事をバラすと車掌は困った顔をしていたがプロの車掌がいい加減な説明では困るのである。列車は無事に青函トンネルじゃなくて第一湯の里トンネルを出ると流石に朝の早い北海道でも4時前ではまだ夜明け前なので暗い(函館日の出時刻4:26)。車内は記念オレンジカードの即売会に変わっていたけど東京近郊区間ではイオカードでそのまま改札に通れるシステムなのでオレカは買わずに知内駅(現湯の里知内信号所)通過を確認して個室に戻ると嫁はまだ爆睡中であった。

 

補助ベッドをソファーに戻して息子とサロンの自販機で買ってきた缶飲料を飲みながら無線機のCタイプ下り・入換・上りをスキャンしてると運転停車五稜郭(4:29-42)に到着、運転士と車掌の通話が一瞬聞こえた。そしてやや遠いけど1列車「北斗星1号」の無線機感銘テストが聞こえて続くように「1列車函館発車」が聞こえると次に函館駅を4:32に発車した「北斗星1号」がDD51重連に牽引されて本線を走り去って行った。我がトワイライトはED76-551が切り離されて久々の展望車になったが8001レも無線機の感銘テストを入感すると続いて「8001列車、五稜郭発車~」が聞こえてゴトリと動いた。

 

外はすっかり明るくなって七飯駅を通過すると渡島大野(現新函館北斗)駅や仁山駅経由の線と藤城線を分かれて下り特急は高速規格のコンクリート橋が続く藤城線を進む。途中姫リンゴの林などを見ながら5個のトンネルを出ると仁山経由の線路と並走して開けると大沼国定公園の小沼沿いを進むが霧がかかっており、幻想的だったけど駒ヶ岳は中域の輪郭しか分からなかった。大沼駅大沼公園駅を一瞬に通過したけど上りのトワイライトは砂原線経由なのが興味深いところ。右に大沼、左に小沼を見ながら駒ヶ岳駅からは大小のS字・逆S字カーブを登って降りると森駅を通過。

 

まだ5時半なので子供に寝るかと問えば展望景色を見たいと言い出し、それでこそ鉄ちゃんだ!道南非電化区間で特に豊浦まではの風光明媚な風景を専用展望席で見ない手はないのである。森駅からは内浦湾(噴火湾)が車窓右側に見えるため、外せない車窓ポイントで特に石倉~落部野田生は海岸線高台を走るので天気がよくて空気が澄んでいると長万部方面に羊蹄山が見える日もあるけど夏は無理。しかし海裾まできれいに広がる駒ヶ岳が後方へきれいに見えて満足。流れる景色をみて子供とワイワイ話してるので嫁が目を覚ました。僕と子供が未明3時少し前から活動してた事は知る由もない。

 

長万部駅くらいから上りのDD51牽引やDD51重連牽引貨物と連続して3本(3060レ・3080レ・4092レ)通過して豊浦駅(6時半)を通過した頃にモーニングコーヒーと新聞が運ばれてきたが息子はミルクティーである。朝のお茶を楽しんでいると列車は昨夜新津以来の扉が開閉する停車駅でもある洞爺(6:43-44)に到着。洞爺湖洞爺湖温泉最寄駅だが1号車や2号車から下車した乗客は皆無であったがやはり札幌直行が多いのかな?。洞爺~稀府間は単線区間なので北入江信号所を通過して昭和新山有珠山が見えてくると伊達紋別(通過)も近く、北海道で海から一番近い駅でもある北舟岡駅も通過。 

 

稀府、黄金、崎守、陣屋町、元輪西室蘭本線・非電化区間の旅もそろそろ終わりで室蘭駅からの室蘭支線と合流すると東室蘭(7:17-19)に到着した。シャワーを浴びて化粧も終った嫁の支度も完了して7:30に予約した朝食を食べに3人で3号車のダイナープレヤデスへ行き、朝食券を渡すと4名用テーブルに案内してくれて3人とも和朝食なので一膳一膳お替り用のお櫃が付くので朝食にしては量が多い。列車は登別(7:36-36)に停車したので子供に羆がホームにいるぞと脅かすと熊の剝製でしょ?と言われてしまい、何かの本で読んだそうだ。

 

僕も息子も3時少し前から寝ずに活動してるからお腹はペコペコ、列車は苫小牧(8:07-07)に到着したけどご飯もお替りしてお腹一杯。自宅の朝食はあまり量を食べない息子が完食したので嫁は驚いてたがデザートのメロンもコーヒーも美味しく頂いて会計を済ませて個室に戻る。部屋を片付けて下車の準備だけして3人で最後の展望を楽しんでると突然来客が・・・車掌がこの旅はトワイライトエクスプレスのスイートにご乗車くださいましてありがとうございますとお礼の挨拶に伺いましたの事。列車は南千歳駅(8:27-27)を発車すると千歳線を快調に飛ばして9:06に札幌駅5番線ホームに到着した。

 

21時間4分の旅だったが終ってみたらあっという間でした・・・子供はもっと乗っていたかったとその気持ちも分からなくはない。後編がえらく長くなってしまいました。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★