夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 能登(489系)

1994年1月21日(金曜日)、上野駅16番線ホームで急行「能登」自由席となる8号車の乗車位
置で入線2時間前より並んでいた。今回は大糸線の非電化区間に入線するDD16又DE10牽引のリゾート14系、サロンカーなにわ、20系、キハ181系の「シュプール白馬」・「シュプール栂池」等の列車を撮影するため、急行「能登」を糸魚川駅まで乗車する事になった。 上野発の定期座席夜行列車では急行「能登」のみとなってしまい、特に年間を通して急行「能登」の乗車率は高く、スキーシーズンは混雑するため、1月上旬~中旬に撮影行きを実行したかったのだが、その時期は撮り鉄には外せない*1成田臨・*2高尾臨があるため、致し方ない。

 

急行「能登」は信越線経由になってから14系では何回も乗ったけど1993年で489系になってからは今回初になる489系急行「能登」乗車だ。 一緒に糸魚川からK車に便乗する撮影仲間のN君と合流すると「能登」入線60分前なのに自由席を待つ行列はかなり長く伸びて、スキー客が目立つ程度。 急行「能登」は1号車~3号車は指定席で4号車はグリーン車、先頭5号車~9号車が自由席で6号車は半車が、ラウンジ&コンビニエンスカー(非営業)なので、座席数は半分だけどそれを知ってるのか知らないのか、不明だけど6号車の行列も長く伸びていた。因みに禁煙席の自由席は8号車と9号車であるから定員の多い方に並んだのである。

 

23:25に回送電車が入線すると扉が開いて8号車のモハ489-13に乗車して進行・右側の席
を余裕でキープするとホーム売店で冷えたビールを買い込んで早速N君と乾杯していると周囲の席は全て埋って満席になった。 上野駅発着の定期座席夜行は今となってはこの「能登」のみで何かと人気が高いらしい。 特急「白山」用489系は過去に特急「白山」で乗車済みだが、一応フリーストップリクライニングシートだけど作りが簡素なのが難点だ。 23:58に上野を発車すると赤羽(0:11)・大宮(0:26-26)・上尾(0:36)・桶川(0:41-41)・鴻巣(0:49)とホームライナー代わりも務めて熊谷駅(1:03-04)に到着。

 

熊谷くらいで殆どの帰宅サラリーマンを降ろして車内の灯りが減光されると夜行列車らしくなり、8号車もようやく立席が消えて29分で高崎駅(1:33-34)に到着。 明日は5:09到着の糸魚川駅下車なのでフリーストップ・リクライニングシートを倒して就寝する事にする。 以降は就寝時の停車駅と時刻・・・横川(1:58-2:04)・軽井沢(2:21-24)・小諸(2:40-41)・上田(2:53-54)・長野(3:18-21)・妙高高原(3:55-55)・直江津(4:34-39)・能生(4:58)。 途中2回くらいトイレで目が覚めたけど能生発車さえも気が付かなかったのだが、N君が起こしてくれて急いで下車準備をしてから糸魚川(5:09-10)で下車してK君と合流した。

 

*1成田臨・・・国鉄時代から運転していた団体の成田山新勝寺参拝の集約臨で12系や14
系座席車、お座敷列車を使い、成田線我孫子~成田)経由で佐倉機関区のDD51他が牽引したがJRになると佐倉機関区はJR貨物になったため、田端運転所のEF58他が牽引し、休日にEF5861が引くと始発電車前から多くのファンが集まった。

 

*2高尾臨・・・成田臨と同じく国鉄時代から運転していた団体の高尾山・薬王院有喜寺への
参拝目的の集約臨で特に八高線に入線するDD51牽引の高尾臨が、撮り鉄から人気で高崎
第二機関区(JRからは高崎運転所)のDD51が担当してお召列車指定機でもあるDD51-842
が登場する事もあった・・・ 因みに使用客車は*1成田臨と同様である。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

 

大垣夜行「375M」普通車

1994年1月3日(火曜日)、1994年始まって最初の想い出夜行列車レポートになりますが、新年早々の1/3夜に東京駅9番線ホームの神田寄りにある定期大垣夜行11号車の乗車口に発車3時間前からK君と並んでいた。 実は「カートレインユーロ名古屋(8112レ)」の撮影を大垣口で行うために大垣夜行・375Mを選んだのである。いつもなら必ず「車で行こう」と誘うK君も帰路の高速道路渋滞を危惧しており、余ってる青春18キップを1枚彼に譲ったのだ。 1月3日という日は上り列車の混雑ピークだけど大垣夜行は当てはまらず、下りでも混雑するが、明日から仕事の人も多いから混雑度はさほどではない。

入線2時間前から急に行列が伸びて23:32に回375Mが9番線に入線すると若干のどよめきが、聞こえて早速乗車すると11号車はクモハ165-59であった。早速進行方向右手のBOX席をキープ、何故か知らないのだが類は友を呼ぶじゃないけど顔見知りの鉄道写真ファン(今で言う撮り鉄)が集まってしまう。 ホーム売店で新年おめでとう乾杯用の缶ビールを買って待機していると23:40に375Mが、発車したのでK君と乾杯する。 東京駅発車時点での11号車乗車率は座席が全て埋っている程度で立ち客は0人、正に乗車率100%だ。 新橋での乗車は3名だけで帰宅利用のサラリーマンは皆無である。

旧東京機関区の脇を進み品川運転所はお座敷列車江戸以外は蛻の殻状態で急行「銀河81
・82号」も設定されてるし、予備の14系座席車も波動用か臨客等のフル運用の様だ。 やがて品川駅(23:49-52)に到着すると9番線ホームには臨時大垣夜行(救済臨)9375Mの167系8両が停車しており、今宵は救済臨の方が、乗車率が高そうだ。 定期より救済臨の方が早く大垣駅に到着するため、大垣乗継の735Mに定期より9分早く乗れるため、好みの席に早く座れるので救済臨を選ぶのは道理だ。 375Mは品川駅で3分停車(9375M運転日の時変)のちに発車すると川崎駅で日付が変わって横浜駅(0:09-10)に到着。

 

そういえば昨年の今日も大垣夜行375Mに乗っている・・・確か375M/372Mの富士駅返しで三島~沼津の黄瀬川橋梁で富士山バックにて上り寝台特急を撮影したような? 大船駅(0
:25-26)を発車すると年末年始が連日寝不足だったので早いけど寝ようと思う・・・K君は戸塚駅手前から寝てるし、他の二名は「カートレインユーロ名古屋」を岐阜~木曽川で撮影するため、早寝賛成でBOXに4人座ってお互い足を伸ばして就寝した。 就寝中の停車駅と時刻は熱海(1:22-24)・三島(1:35-36)・沼津(1:42-47)・富士(2:02-03)・静岡(2:33-40)・浜松(3:39-4:15)・豊橋(4:49-52)・大府(5:46-46)「一部の駅を除く」。

 

大高駅あたりで目が覚めたと記憶するが、途中2回くらい目が覚めたけど大垣夜行の普通車で5時間も寝たのは初めてかも知れない? 外はまだ暗くて夜の延長だけど375Mは各駅に停車して名古屋駅(6:08-14)に到着すると近年ホームのきしめん立ち食いは早朝を営業しなくなり、前夜コンビニで買ったおにぎりが、朝飯である。 名古屋駅を発車しても375Mは各駅に停車して木曽川~岐阜にて「カートレインユーロ名古屋」を撮影する2名は木曽川駅で降車。岐阜(6:42-43)に停車すると13分で6:56定時時刻で大垣駅に到着した。 急いで改札を出て友達の車に便乗して大垣~垂井で8112レを熱田~金山で回送9523レを撮影して名古屋駅まで送ってもらい、快速+普通列車乗継で帰った。


カートレインユーロ名古屋・8112レ 時刻:米原7:53-45 大垣8:17 岐阜8:29 名古屋8:56-58  熱田9:10。回送9523レ:熱田10:59 名古屋11:07(大垣と岐阜は通過時刻)

              ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

急行 妙高81号(12系ハザ)

1993年12月28日(火曜日)、6日前の12月22日に上野駅から臨時急行「八甲田85号」に乗った自分はまた上野駅に来て今度は臨時急行「妙高81号(9305レ)」を待っていた。 実は「妙高81号」の返却回送となる回送9304レ(豊野11:29→15:30上野)を横川~軽井沢の碓氷峠にて三重連牽引(EF63+EF63+EF62+12系ハ・ハフ6B)で撮影したいためである。 横軽こと碓氷峠三重連牽引の上り客レはジョイフルトレイン入線が偶にあるけどオーソドックスな原色12系の牽引入線は意外と少ないのだ。 これからの時期は「シュプールレインボー信越」と「シュプール野沢」もあるが碓氷峠通過の上り時間帯が悪すぎるのだ。

 

碓氷峠なんて夜行列車で行かなくとも、マイカーで行けば現地で寒い思いをせずに余裕なのにわざわざ横川駅まで中途半端な距離に夜行列車へ乗るのは12/28は勤務先の仕事納めの納会があってお酒を飲むためである。 回送9304レの横軽通過は昼過ぎなので朝に出れば間に合うけど煉瓦作りの丸山変電所を手前に入れて撮影するベストアングルは先着2人のみ。 朝なら185系の快速「信州リレー号(3320M)」も撮影したいし、定期急行「妙高」も1994年3月18日で廃止になってるからこれが最後の急行「妙高81号」乗車になりそうである。 上野駅17番線ホームで急行「妙高81号」の入線を待つ。

 

急行「妙高81号」は高崎の12系6両編成で自由席は前より2両の5号車~6号車なので禁煙車である6号車の1番前の乗車位置で待っているが、隣の金沢行き・急行「能登」は自由席の行列も延びているけど急行「妙高81号」は23:39に入線。 早速6号車に乗車するとスハフ12-151で、てっきり尾久の12系だと思ったらJR東日本の12系(JoyfulTrainや普通列車用除く)を60両以上保有する高崎運転所の担当なのである。 今回は一人旅なので相席の多い12系は避けたいものものだが長蛇の列が出来ていた急行「能登」は更に避けたいから我慢だと思ったら意外に空いており、ひと安心。


先頭の機関車を確認に行くと田端運転所のEF62-43が独特のブロアー音を上げていたがEF62も旅客と貨物の定期運用を失い、4両まで減って孤塁を守っている。 ブロアー音が高23:53に上野駅を定時で発車して、やや緩いショックで12系も動き出した。 いくら臨時列車で妙高高原(5:45着)の所要時間6時間に満たない夜行列車でも自由席が、2両しかないからもう少し利用客があるのでは・・・と思ったが、6号車は1BOX平均1~2人の乗車率が現状。 急行「妙高」という夜行列車に想いを馳せていると大宮駅(0:18-21)に到着しても遅い帰宅のサラリーマン乗車が皆無である。

急行「能登」の様に上尾・桶川・鴻巣みたいに細かな駅の停車はないため、「ホームライナー」代わりにはならない様だ。 初めて夜行急行「妙高」に乗ったのは1981年11月で当時は全車が、旧型客車でその後14系寝台車+座席車に変わって更に169系から189系になり、1993年3月に定期列車から季節臨へと格下げになったばかり・・・なんて思い出していたら熊谷(0:57-58)に到)に到着。 熊谷を発車すると岡部か本庄?で後から来る急行「能登」の退避待ちで7分間の運転停車を行い、神保原~新町で埼玉県から群馬県に入って高崎(1:38-46)に到着。 高崎駅ホームは缶ビールの自販機が、あるのに横川下車なので自粛(笑)。

 

高崎を出ると信越線に入って安中駅のやや手前で進行方向・左手に深夜なのに不夜城の如く照明を点けて操業しているのが、東邦亜鉛・安中製錬所である。やがて松井田駅西松井田駅を通過すると下車駅の横川駅(2:17-23)に到着したので下車してホームの後ろへ移道すると西松井田方面からEF63重連が近付き1号車に連結された。 EF63連結シーンを眺めながらポケットに入った無線機より流れる、EF62本務とEF63補機のやりとりを聞きながら定時で発車したが、車で出かけると早朝に撮影する列車は前夜に出て現地で車中泊する事が多く、それに比べて列車移動だと冬の駅待合室・駅寝は寒さとの戦いでつらい。

 

朝まで待合室で仮眠したけど防寒の用意はしてきたので寒い思いをせずに朝まで寝て踏切の前に三重連牽引となる「妙高81号」の返却回送9304レ(12系)の撮影ポイントに三脚を早々と立ててから上り始発電車の3320M(185系7B)を丸山変電所の中から窓越しにEF63とクハ183の連結面をカメラ縦アングルで撮影。 回送9304レは早期に場所取りした踏切の前で煉瓦作りの丸山変電所を入れて撮影後に撤収するが、特急「あさま」に乗って帰りたいけど予算の関係で帰路は青春18キップ使用の普通電車乗り継ぎで帰宅した。

なお1994年の春臨から臨時急行「妙高」へ変わり、客車も14系座席車にグレードアップされた。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

急行八甲田83号(14系)

1993年12月22日(水曜日)、東北線を走る24系25形6両の回送が、青森東運転区のED75に限定運用(オリエントサルーン専用機)指定かかってるため、急遽定期「八甲田」が、不定期になった初日の臨時急行「八甲田83号」(8105レ)に乗るべく、上野駅13番線ホームの9号車・乗車位置に入線時刻の30分前に向かうと誰も並んでいない。 約1ヶ月前の11月19日に乗った定期「八甲田」の時はもっと人が居たのに臨時列車になった事と翌日の23日は祝日だけど、翌々日は平日で冬休みにもなっていないためであろう?。暫くすると相棒のK君も登場して21:30に推進回送8105列車が入線した。


早速先頭でもある9号車(禁煙車)のスハフ14-54に乗り込むと進行方向右手の席でBOXを作って荷物を置いて牽引機を確認しに行くと田端運転所のEF65-1020を確認して缶ビール他を購入して車内に戻る。 車内は空席だらけで21:45に上野駅を定時に発車すると、定期急行「八甲田」と同じ停車駅と同一ダイヤをトレースしながら大宮(22:10-12)・小山(22:58-59)に停車。ここで定期「八甲田(101・102レ)」と臨時「八甲田83・82号(8105レ・8108レ)」の相違を記したい。末期の定期「八甲田」は14系座席車6両編成(指定席2両・自由席4両)だったが、臨時「八甲田83・82号」は14系座席車9両(指定席4両・自由席5両)に増えている。


因みに繁忙期である年末年始は14系12両(指定席4両・自由席8両)に増えて、翌年2月の運転日は14系6両(指定席2両・自由席4両)へとフレキシブルな客車運用を行っているのが、素晴らしいと思う。 臨時列車になると指定席の比重が増えるようで客車は尾久車と青森車の運用が、ある様で季節臨の14系座席車「おいらせ」「おが」「天の川」他の運用如何で客車持ちが変わる様で、因みに1994年の春臨からは83号・82号の号数が付かない臨時「八甲田」へ変更となった。 宇都宮駅(23:20-24)を発車すると車内は減光されていよいよ夜行列車の気出てきて何となく嬉しい。


途中西那須野(23:56)に立ち寄るとすぐに日付が変わって黒磯(0:07-14)に停車、K君によれば今夜の臨時急行「八甲田83号」を牽引するED75は青森東運転区持ちだから12/22の午後にモカ座(盛岡支社・ふれあいみちのく・12系ロ・ロフ6B)を牽引したED75-146が、下り臨時「八甲田83号」が運用に入るとのお説だったが、田端運転所のPF1020が離れると高久方から近付いてきたED75は予想通りに青森区のED75-146が接近。 1993年12月1日ダイヤ改正東北本線・青森口の客レが、一部廃止され、青森区のED75M型の146号機以外は余剰で廃車や部品取りになったため、旅客会社のED75M型では唯一の146号機となってしまったのである(その代わり、北斗星運用の青森区で休んでいるEF81が、客レのアルバイト運用もこなしている)。

 

黒磯駅を発車して交流区間に入ると車内が空いている事をいい事に2ボックス作成してお互いに別のボックスで体を海老の様に曲げて寝たのである(この姿勢で寝るのは寝れそうで寝れない)。列車は就寝中に白河駅(0:36-37)・郡山(1:08-10)・福島(1:50-2:01)・仙台(3:06-08)・一ノ関(4:20-22)・水沢(4:43-49)・北上(5:03-04)・花巻(5:14-15)・盛岡(5:43-45)に停車している筈だ。 目が、覚めたのは盛岡駅だが実際にはトイレで水沢駅で起きており、何で水沢駅にて6分も停車させるのか解せなかったのだが、水沢駅では寝台特急はくつる3号(13M)」を先に先行させる停車だったのである。 水沢駅の6分停車で盛岡駅での停車が短くなった。

 

本文上から10行目・11行目に上野駅を定時に発車すると定期急行「八甲田」と同じ停車駅
と同一ダイヤをトレースしながら・・・と書いてあるが定期「八甲田」と同一時刻なのは上野から福島迄であり、それ以降のダイヤは相違が発生している。僅か2分停車の盛岡駅を発車すると26分で下車駅の沼宮内駅(現いわて沼宮内駅)へ6:11に到着して、我々2名は臨時急行「八甲田83号」を下車して沼宮内駅には盛岡の鉄道写真仲間のT君が愛車のHilux Surfで迎えに来てくれて、早速撮影地がある好摩岩手川口の直線に移動してから撮影準備。好摩駅を7:30に発車したED75-711牽引の24系25形・回送6Bを撮影した。

 

オリエントサルーン専用機のED75は北海道乗り入れの金帯24系25形に似合って格好良
かった。 過去にシュプールニセコの回送や北斗星トマムスキーでも撮影しているが客車が8両以上欲しいところ。この後はT君の案内で山田線のキハ52を撮影して新幹線経由で帰宅。

 

参考:本文上から4~5行目の記述『約1ヶ月前の11月19日に乗った定期「八甲田」』

https://blogs.yahoo.co.jp/hokutosei_95/65271933.html   (2019年12月15日終了)


                              ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 








寝台特急 Twilight Express(SA1)

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2017年6月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載しています。なお一部駅の時刻や一部の電車や気動車の番号などに相違がありましたらご了承願います。

 

1990年5月5日(土)、僕の32歳の誕生日であるがレンタカーで巡る鉄道写真撮影の旅を終
えて寝台特急「Twilight Express」に乗るべく、札幌駅6番線にて入線を待っていたのだが、実は帰路も「北斗星4号」のソロ予定していたのだが、2日前に上り「Twilight Express」のロイヤルが、1枚だけ空いてたのでこんな機会でないとトワイライトには乗れないと思って乗車変更してしまったのである。 札幌13:54発の千歳空港行き1786Mが発車した後に手稲方面からTwilight Expressの回送が14:08にDD51-1052+1102重連にて入線。 DD51ヘッドマークには黄昏時の日本海と白い波をイメージして、天に舞う天使が描かれて微笑ましい。

早速1号車に乗り込むとスロネフ25-502で1号車3番ロイヤルに乗り込むと初めて乗車とるトワイライト・ロイヤルで窓に向いて椅子に座るのとランプシェード付きのテーブルが窓側に付いているのが1988年にデビューした北斗星5・6号のロイヤルと同じ様な感じを受けた。入線したら8分後に発車する慌ただしい中なので個室のチェックは一旦止めてDD51の様子を見に行く。札幌駅で発車前に見ておかないと、その後は1~2分停車ばかりで五稜郭駅運転停車ゆえ、DD51の姿を見れるのは札幌駅だけのため、乗客の撮影組も多かった。

 

14:16に札幌駅を発車して車内の装飾やAudio/Visualのスイッチを触っていると扉をノックする音が・・・。ダイナープレヤデス・スタッフからのウェルカムドリンク注文でワインかウィスキーどちらかの選択でワインを注文してついでに明朝の朝食も時間枠と内容と更に翌朝の珈琲・新聞の希望時間もお願いしたが北斗星のウェルカムドリンクは両方可能だったのに片方だけなのは会社が違うから致し方ないけど呑み鉄の自分からすれば残念である。すぐに冷えたワインとお茶にミネラルウォーターにナッツ類とポテチが入ったおつまみも添えられており、早速冷えたワインを飲もうとしてたら今度は車掌の登場だ。

 

どこかでお見かけしたようで1989年の5月に「北斗星4号」に乗務してた函館車掌所のM車掌で約1年後の再会とは驚き。早速個室の中を案内してもらい20時半くらいに3号車ラウンジカーで青函トンネルの説明会があるのでよかったらおいで下さいとの事。やっと落ち着いてワインを飲もうと車窓を眺めれば「Twilight Express」は千歳空港駅「現 南千歳」(14:50-51)に到着していた。今日は昼飯も食べずに家族や実家へのお土産購入や宅配便送りで空腹も限界だったので札幌駅で購入した駅弁の「やまべ鮭寿司」という山女魚と鮭の握り寿司風を食べながらワインを楽しんで過ごす。

 

車窓を眺めたり、3chある映画のビデオ放映を楽しんだり、色々と忙しくしていると苫小牧(15:11-11)と登別(15:40-41)に停車。 2号車の食堂車(Diner Pleiades)でお茶して、3号車のラウンジカー(Salon du Nord)の様子を見に行って個室に戻ると洞爺駅(16:26-26)に到着だ。洞爺駅を発車すると翌朝の新津駅まで停車はないけど、乗務員交代や機関車交換で数ヶ所の運転停車があり、夕暮れの内浦湾(噴火湾)沿いに走っていると運転停車の森駅(17:47-54)に到着。あとから来る特急「北斗12号」を先に発車させてから7分停車した「Twilight Express」も発車すると駒ヶ岳経由で進むが、数年後からは運転経路を砂原線経由に変更された。 

 

 ちょうど大沼駅で日没を迎えた「Twilight Express」は運転停車駅の五稜郭駅(18:37-57)に到着。 20分停車してもホームに降りれないし、予約しておいた車内厨房調製のプレヤデス弁当で早目の夕飯・・・五稜郭から進行方向が変わって江差線~海峡線へと進む。因みに車内の厨房で調製されたプレヤデス弁当も合理化で数年後に車内調整をやめて上りだと五稜郭駅での駅弁業者(みかど)、下りだと金沢駅の駅弁会社(大友楼)へ下請けさせた積み込み弁当になってしまった。

外も真っ暗なので3号車のラウンジカー(Salon du Nord)へ行ってビールでも飲んでいると下り普通列車の327Dと交換するため、上磯で運転停車。19:14に発車すると少しずつ人が集まりだして函館車掌所の車掌が、青函トンネル説明会を開始。 知内駅(現・湯の里知内信号場)を過ぎて19:55頃にトンネルに入ると車掌曰く青函トンネルを説明(実際は長さ約1.2kmの第一湯の里トンネルであって、その先にコモナイ川橋梁の短いシェルターで覆われた先に一体化された青函トンネルが続いてる)。吉岡海底駅竜飛海底駅は最徐行で通過して最深地点には青色と緑色の蛍光灯による目印があって53.85㎞のドラマは終わった。

説明会が終わるとクイズ大会になってTwilight Expressの総㎞を当てるクイズでは1番に
手を上げて景品(青函トンネル開業トランプ)をGetして終了。 下り貨物とすれ違うため、蟹田駅(20:42-43)で1分間運転停車した後にこれまた運転停車青森駅(21:14-19)に到着。運転停車なのでドアは開かないが車掌交代でドアが開いていたので許可をもらい降りると先頭では敦賀運転所のEF81-103が連結作業中で乗務を終えた車掌にお別れすると青森までの牽引機は函館運転所のEF76-551牽引だった情報を頂く。 青森駅発車前に2号車のダイニングカー(Diner Pleiades)へ移動してパブタイムを楽しむ。

パブタイムのメニューを開くと、天ぷら盛り合わせ等Diner Pleiadesには似合いそうもな
いメニューもあるがビールとソーセージ(1000円)・トワイライトサラダ(800円)を注文して「Twilight Express」に乾杯だ。弘前駅(21:55-56)と大鰐駅(22:07-10)「現・大鰐温泉駅」で運転停車して、自分も満足したので会計して序にTwilight Express車内グッズのトワイライト・ネクタイピンもレジで購入してから自分の個室に戻る。 シャワーを浴びているとどこかの駅に停車したようだが運転停車大館駅(22:40-42)の様であった。 昼間でも素晴らしい「Twilight Express」のロイヤルだが、夜になってランプシェードを灯らせると更に素晴らしい時を演出してくれて、北斗星のロイヤルより上質な時間が過ごせそうだ。

 

スイッチを押すとソファーからセミWベッドに早変わりするし、モニターTVの画面サイ
ズも大きくて、更にビデオチャンネルは3ch切替で個室内のスイッチも集約されて流石に最新鋭の超豪華寝台特急である。特にロイヤル個室内色彩は好きなのだが2002年に終え
たリニューアル工事でロイヤルは木目調に変わってしまったので敢えて記述は避ける。 そろそろ休もうとスイッチでソファーからセミWベッドに切り替えて寝る支度をしてたら東能代駅(23:23-24)で運転停車・・・確か8002レと8001レとの離合は8002レの東能代発が、23:24、8001レの秋田発が23:32なのでもうじきだ。

 

持参してきた鉄道ダイヤ情報誌の1時間目ダイヤグラムのコピーによれば離合は羽後飯塚~八郎潟間で通過時刻は23:48前後である。個室の照明を全て落として真っ暗にしてから窓ガラスに顔を近づけると遠くからライトが近付き、EF81の轟音と共に「Twilight Express」8両(電源車込み9両)の光跡が流れた。この先「Twilight Express」は秋田・羽後本荘・酒田と運転停車を重ねて途中で「日本海1号」「鳥海」「出羽」「日本海3号」等とすれ違う深夜~未明のブルトレ離合タイムなのだが、このまま起きていたら朝になりそうなので就寝した。


寝心地のいいベッドだったが何故か興奮して熟睡出来ずに昨日の洞爺駅以来の営業停車駅である新津駅停車(4:44-46)で目が覚めた。 新津駅を発車すると新宿発・村上行きの夜行快速「ムーンライト」とすれ違う。長岡駅(5:23-25)到着と共にベッドから起きだしてベッドからソファーに変えてから熱めのシャワーで目覚めさせてスッキリさせる。 道内での夜行列車撮影旅行で連日朝と言うより未明の4時起きで5時台から撮影してたから早起きは得意だけど昨夜は寝た時間が遅いだけに眠さが残る。

柏崎駅(5:55-56)で運転停車すると車窓から鯨波青海川笠島~米山の日本海が近付いて6:15に持って来てくれたサービスの珈琲を飲みながら朝の日本海の海岸を見物していると直江津駅(6:26-28)に到着した。 やがて7時になると予約してた朝食予約時間が始まるので少し早めに白い朝食予約券を持参して隣の2号車「Diner Pleiades」(スシ24-2)へ移動する。朝からガッツリ食べたい派なので和食をセレクトしたら副菜が入ったお重以外にご飯茶碗2膳分が、入ったお櫃が付いてたのでご飯もおかずも残らず頂きました。食後の珈琲も飲んで大満足のトワイライト・モーニングスタイルでした。

 

朝食を終えて個室に戻って新聞を読んでいると列車は富山駅(7:51-54)に到着したのでホーム売店で土産の"ますの寿司"を買ったりして過ごし、続いて高岡(8:10-11)にも停車して金沢駅(8:43-55)では後から追いかけて来た特急「スーパー雷鳥2号」(8:51-52)を先に発車するため、12分停車する。途中駅の長い停車時間は大歓迎で家族へのお土産(加賀あんころ餅 他)や飲み物が買えて都合いい。昼間走る時間が長い上り「Twilight Express」は翌日のこの時間帯が長くてダレて仕舞いそうだが金沢駅売店で購入した缶ビールを飲みながら車窓をぼんやり眺めていると福井駅(9:53-55)に到着。

 

いよいよ終着駅に近付いて残る走行都道府県は滋賀県京都府大阪府のみとなり、福井県最後の駅である敦賀駅(10:36-51)に到着。敦賀駅では後続の特急「雷鳥20号」と「加越4号」を先発させるために15分間停車するので自分はこの時間を利用して昼食の弁当を買いにトワイライトの指定券を見せて改札を通り、駅舎内で名物の鯛寿司とお茶を購入して戻るが、日によって敦賀駅でEF81が交代する時もあるそうだ(1号車の車掌談)。

敦賀駅を発車するとすぐに北陸本線の上下線が大きく分かれてループ線(鳩原ループ)
に入り、鉄道写真撮影名所が多い新疋田(11:01_)を通過すると近江塩津駅(11:07_)で北陸
本線と湖西線が分かれて暫く走ると車窓左手に日本一の湖・琵琶湖が見えてきた。 先ほど敦賀駅で購入した鯛寿司を早めの昼食として琵琶湖や遠くに見える竹生島を見ながら美味しく頂いた。 山科駅の手前で東海道本線と合流すると滋賀県の旅も終わりでいよいよ京都府に入り、京都駅(12:02-03)に到着・・・終着駅まであと僅かである。

 

周囲に鉄道写真撮影に向く複々線の直線や曲線が多いロケ地に近い山崎駅(12:13_)を通過すると1991年4月に第3編成が完成すれば多客期のトワイライトに乗車すればこの辺りでもトワイライト同士の離合が、見れる筈だ。そして新大阪駅(12:30-31)を発車すると淀川の橋梁を渡り、車窓前方に高さ122.3mの高層ビル・アクティ大阪(現サウスゲートビルディング)が、見えて来ると終着大阪駅3番ホームに定刻12:36に到着して乗車営業距離1495.8㎞・所要時間22時間20分にもなる長丁場の旅は終わったのだ。

1990年7月20日からはスロネ25形501・502が2号車(SA2・SA1)に投入されて計スイート2室・ロイヤル8室とSA個室枠が倍になり、1991年4月28日から第3編成が落成、繁忙期の毎日運転を開始した。運転停車の時刻を含めて可能な限り、着/発時間を表記したが、時刻数字の右に半角のアンダーバー「_」記してあるのは通過時刻である

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

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鈍行夜行 ながさき(421列車)

 下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2016年1月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載しています。なお一部駅の時刻や一部の電車や気動車の番号などに相違がありましたらご了承願います。

 

1984年1月2日(月)、筑豊線筑豊支線・日田彦山線を走破した自分は現在ほど有名ではなかった門司港駅界隈の昔ながらの洋食屋でグラスワインを飲みながらハヤシライスを食べ、九州最後の夜なので、関門海峡に面したキャビンのようなしゃれた喫茶店でゆらゆら揺れる関門連絡船の浮き桟橋を見るながら、九州旅行を振り返る。 ルネッサンス調の駅舎で名高い門司港駅に戻って待合室で休憩する事にする。 実は「ながさき」のB寝台券は長い硬券(D型硬券)で発券してくれる駅を探して、最後の下段ラスト1枚を発券してもらったため、並ぶ必要はないのである。

 

改札が始まり、最初はボックス席で過ごしたいので、スハネフ12の車掌に指定券と九州ワイド周遊券のB券を提示して、暫くは自由席車にいる旨を話してナハフ11へ移動すると、九州内夜行列車の自由席や高千穂線の車内で出会い、今日は日田彦山線豊前川崎駅舎で列車乗り継ぎ待ち時間に雑談した千葉のレールファンがいたので隣のボックスに座り、再会と鈍行夜行「ながさき」の惜別に乾杯した。氏曰く、今夜の「ながさき」で門司港まで行き、門司から寝台特急「あかつき4号」で大阪まで行って紀伊勝浦まで移動後、寝台特急紀伊」で東京まで行くとの事。


「ながさき」「あかつき」「紀伊」の3連続寝台特急の旅は考え付かなかったし、この時は上には上がいるものだなーって関心したのだが、今考えると夜行列車が沢山走っていて、経済的にも余裕があり独身だった当時にその様な旅もしておくのだったとこの文章を作成しながら後悔先に立たずという言葉が頭の中を過ぎった。自分は事前に用意した官製ハガキに門司港駅の駅スタンプを押し、さっき鈍行夜行「ながさき」のB寝台券を持参して今自由席にいる旨を話した車掌へ官製ハガキの下にレチのサインも頂いた。

 

そのレチサインと駅スタンプが押された完成ハガキを持って郵便車のオユ11へ向かい、車内で公務中だった郵政公社(現JP)の係員に頼んで、「ながさき」の列車番号と扱い区間が入った消印を押して長崎行きの郵袋の中に入れてくれた。ハガキは旅を終えて帰宅した翌日の1月5日にちゃんと自宅のポストに配達されていた。門司駅寝台特急「あかつき4号」に乗り継ぐ、千葉のレールファン氏を見送って自分はB寝台へ戻ったが1984年1月2日の下り「ながさき」(421列車)の編成は下記のとおり。

 

ED76-1022[鹿]⇒DD51-737[早岐]+マニ36(門サキ)+オユ11(門サキ)+オハネフ12(門サキ)+スハフ42(門サキ)+オハ45(門サキ)+オハ47(門サキ)+スハフ42(門サキ)、佐世保編成はマニ35(門モシ)+スハ43(門モシ)+スハフ42(門モシ)だったと思いますがメモする時に間違えている箇所があるかも知れません。幅が狭くて高さも満足にない10系寝台のB寝台だけどこれが最後の「ながさき」乗車で翌月には廃止になるため、最後のチャンスなので3,500円を自分の趣味に投資した様なものですわ。

 

おかげで念願の普通夜行B寝台券をD型硬券で残す事ができて今もその硬券はあるけどあれから35年、いやあと1ヶ月もしないで36年が経過するけど件のD型硬券は自然劣化している(笑)。15分停車の小倉駅(23:07-22)を発車と同時に早々にB寝台(オハネフ12)のB寝台に移り、折角の旧客ハネなので早めに就寝した。流石に座席夜行と違い、寝台車はよく眠れて諫早まで爆睡してしまい、「ながさき」は旧線経由の大村湾沿いに進んで6:40定刻で長崎駅に滑り込んだ。

列車は廃止になってD型硬券の寝台指定券もボロボロだけど想い出は僕の脳裏にまだ焼き付いており、車中で出会った千葉のレールファン氏とはその後、文通で交流があり、今でも年賀状を交換する真柄でもある。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

鈍行夜行 ながさき(422列車)

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2016年1月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載しています。なお一部駅の時刻や一部の電車や気動車の番号などに相違がありましたらご了承願います。

 

1983年12月29日(木曜日)、大村線松浦線を走破して来た自分は長崎駅から徒歩圏内で行ける中華料理屋で長崎中華を堪能して長崎駅に戻り、行き止り式ホーム横の改札前に荷物を置いて待っていると今宵の鈍行夜行「ながさき」 のお名残乗車らしい鉄道ファンが集まり、時間もあるので雑談をしていると話題に上がるのは廃止が近い、「ながさき」の事で、「ながさき」が廃止になると、九州内の定期夜行は「かいもん」と「日南」だけになってしまうのがやはり残念だという気持ちは全員同じ様である。

 

22:30に改札が始まると一斉に各自好みの車両が散るけど自分は3号車のオハ46-618に乗車したが、1983年12月29日の「ながさき」の編成は以下のとおり。DD51-734[早岐]+ナハフ10-2003(門サキ)+オハ47-37(門サキ)+オハ46-618(門サキ)+ナハフ11-17(門サキ)+オハネ12-29(門サキ)+オユ10-1002(門モシ)+マニ36-62(門モシ)、 電化区間はED7652(鹿)が牽引。23:00に定刻で夜行「ながさき」が、発車すると各車内は1ボックス当たり1~2名の乗車率で座席夜行列車を楽しむには丁度いい人数だ。

 

その8割がレールファンと見られるが、隣のボックスでビールを飲んでる先ほど長崎駅の「ながさき」改札口で並んで雑談いてた同年代の彼と乾杯しながら暫く雑談して過ごす。 列車は非電化区間の旧線を浦上・道ノ尾・長与・大草・喜々津と停車しながら進んで、6分停車の諫早駅(23:53-59)に到着。鈍行夜行「ながさき」は諫早から先は、大村線経由で進み、早岐(1:05着)に到着すると、佐世保を0:30に出た佐世保編成の「ながさき(4422レ)」(スハフ42-301+スハ43-102[何れも門モシ])の2両を長崎編成に連結させて、終着門司港まで牽引する機関車もDD51から鹿児島運転所のED76-52へバトンタッチ。

 

そういえば長崎発車から鈍行夜行なのに、ブルトレ電子音チャイム(ハイケンスのセレナーデ)だったが、旧型客車にもPA-2型拡声装置が搭載されているのだろうか?それとも14系のお古を流用しているのだろうか?このまま終着の門司港まで乗りたいですが、自分は早朝5時台の駅で下車するため、50分停車の早岐駅を発車(1:55)したら靴を脱いで前の席に足を伸ばして眠る事にする(身体を海老みたいに曲げてシートで寝る人が多いですが自分は前の席に足を伸ばして、窓際の壁に頭もたれかけて寝るのが一番楽な姿勢かも)。

 

早岐駅発車は覚えてないのですぐに就寝した様だが途中、武雄温泉で4分、肥前山口で32分、佐賀で4分、鳥栖で20分停車した模様。鳥栖駅停車中に目が覚めて外はまだ真っ暗の早朝というより、夜の続きであるが5:01到着の原田駅で鈍行夜行「ながさき」を乗り捨てて、原田駅から旧客の2832列車へ乗り換えて筑豊線添田線、香月線、上山田線田川線日田彦山線伊田線糸田線のいわゆる筑豊支線の走破に向かった。

鈍行夜行「ながさき」はおよそ1ヶ月後の1984年2月1日ダイヤ改正で廃止になった・・・

                             ★★★★★Memories of the night train★★★★★