夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

鈍行夜行 ながさき(422列車)

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2016年1月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載しています。なお一部駅の時刻や一部の電車や気動車の番号などに相違がありましたらご了承願います。

 

1983年12月29日(木曜日)、大村線松浦線を走破して来た自分は長崎駅から徒歩圏内で行ける中華料理屋で長崎中華を堪能して長崎駅に戻り、行き止り式ホーム横の改札前に荷物を置いて待っていると今宵の鈍行夜行「ながさき」 のお名残乗車らしい鉄道ファンが集まり、時間もあるので雑談をしていると話題に上がるのは廃止が近い、「ながさき」の事で、「ながさき」が廃止になると、九州内の定期夜行は「かいもん」と「日南」だけになってしまうのがやはり残念だという気持ちは全員同じ様である。

 

22:30に改札が始まると一斉に各自好みの車両が散るけど自分は3号車のオハ46-618に乗車したが、1983年12月29日の「ながさき」の編成は以下のとおり。DD51-734[早岐]+ナハフ10-2003(門サキ)+オハ47-37(門サキ)+オハ46-618(門サキ)+ナハフ11-17(門サキ)+オハネ12-29(門サキ)+オユ10-1002(門モシ)+マニ36-62(門モシ)、 電化区間はED7652(鹿)が牽引。23:00に定刻で夜行「ながさき」が、発車すると各車内は1ボックス当たり1~2名の乗車率で座席夜行列車を楽しむには丁度いい人数だ。

 

その8割がレールファンと見られるが、隣のボックスでビールを飲んでる先ほど長崎駅の「ながさき」改札口で並んで雑談いてた同年代の彼と乾杯しながら暫く雑談して過ごす。 列車は非電化区間の旧線を浦上・道ノ尾・長与・大草・喜々津と停車しながら進んで、6分停車の諫早駅(23:53-59)に到着。鈍行夜行「ながさき」は諫早から先は、大村線経由で進み、早岐(1:05着)に到着すると、佐世保を0:30に出た佐世保編成の「ながさき(4422レ)」(スハフ42-301+スハ43-102[何れも門モシ])の2両を長崎編成に連結させて、終着門司港まで牽引する機関車もDD51から鹿児島運転所のED76-52へバトンタッチ。

 

そういえば長崎発車から鈍行夜行なのに、ブルトレ電子音チャイム(ハイケンスのセレナーデ)だったが、旧型客車にもPA-2型拡声装置が搭載されているのだろうか?それとも14系のお古を流用しているのだろうか?このまま終着の門司港まで乗りたいですが、自分は早朝5時台の駅で下車するため、50分停車の早岐駅を発車(1:55)したら靴を脱いで前の席に足を伸ばして眠る事にする(身体を海老みたいに曲げてシートで寝る人が多いですが自分は前の席に足を伸ばして、窓際の壁に頭もたれかけて寝るのが一番楽な姿勢かも)。

 

早岐駅発車は覚えてないのですぐに就寝した様だが途中、武雄温泉で4分、肥前山口で32分、佐賀で4分、鳥栖で20分停車した模様。鳥栖駅停車中に目が覚めて外はまだ真っ暗の早朝というより、夜の続きであるが5:01到着の原田駅で鈍行夜行「ながさき」を乗り捨てて、原田駅から旧客の2832列車へ乗り換えて筑豊線添田線、香月線、上山田線田川線日田彦山線伊田線糸田線のいわゆる筑豊支線の走破に向かった。

鈍行夜行「ながさき」はおよそ1ヶ月後の1984年2月1日ダイヤ改正で廃止になった・・・

                             ★★★★★Memories of the night train★★★★★