夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 妙高81号(12系ハザ)

1993年12月28日(火曜日)、6日前の12月22日に上野駅から臨時急行「八甲田85号」に乗った自分はまた上野駅に来て今度は臨時急行「妙高81号(9305レ)」を待っていた。 実は「妙高81号」の返却回送となる回送9304レ(豊野11:29→15:30上野)を横川~軽井沢の碓氷峠にて三重連牽引(EF63+EF63+EF62+12系ハ・ハフ6B)で撮影したいためである。 横軽こと碓氷峠三重連牽引の上り客レはジョイフルトレイン入線が偶にあるけどオーソドックスな原色12系の牽引入線は意外と少ないのだ。 これからの時期は「シュプールレインボー信越」と「シュプール野沢」もあるが碓氷峠通過の上り時間帯が悪すぎるのだ。

 

碓氷峠なんて夜行列車で行かなくとも、マイカーで行けば現地で寒い思いをせずに余裕なのにわざわざ横川駅まで中途半端な距離に夜行列車へ乗るのは12/28は勤務先の仕事納めの納会があってお酒を飲むためである。 回送9304レの横軽通過は昼過ぎなので朝に出れば間に合うけど煉瓦作りの丸山変電所を手前に入れて撮影するベストアングルは先着2人のみ。 朝なら185系の快速「信州リレー号(3320M)」も撮影したいし、定期急行「妙高」も1994年3月18日で廃止になってるからこれが最後の急行「妙高81号」乗車になりそうである。 上野駅17番線ホームで急行「妙高81号」の入線を待つ。

 

急行「妙高81号」は高崎の12系6両編成で自由席は前より2両の5号車~6号車なので禁煙車である6号車の1番前の乗車位置で待っているが、隣の金沢行き・急行「能登」は自由席の行列も延びているけど急行「妙高81号」は23:39に入線。 早速6号車に乗車するとスハフ12-151で、てっきり尾久の12系だと思ったらJR東日本の12系(JoyfulTrainや普通列車用除く)を60両以上保有する高崎運転所の担当なのである。 今回は一人旅なので相席の多い12系は避けたいものものだが長蛇の列が出来ていた急行「能登」は更に避けたいから我慢だと思ったら意外に空いており、ひと安心。


先頭の機関車を確認に行くと田端運転所のEF62-43が独特のブロアー音を上げていたがEF62も旅客と貨物の定期運用を失い、4両まで減って孤塁を守っている。 ブロアー音が高23:53に上野駅を定時で発車して、やや緩いショックで12系も動き出した。 いくら臨時列車で妙高高原(5:45着)の所要時間6時間に満たない夜行列車でも自由席が、2両しかないからもう少し利用客があるのでは・・・と思ったが、6号車は1BOX平均1~2人の乗車率が現状。 急行「妙高」という夜行列車に想いを馳せていると大宮駅(0:18-21)に到着しても遅い帰宅のサラリーマン乗車が皆無である。

急行「能登」の様に上尾・桶川・鴻巣みたいに細かな駅の停車はないため、「ホームライナー」代わりにはならない様だ。 初めて夜行急行「妙高」に乗ったのは1981年11月で当時は全車が、旧型客車でその後14系寝台車+座席車に変わって更に169系から189系になり、1993年3月に定期列車から季節臨へと格下げになったばかり・・・なんて思い出していたら熊谷(0:57-58)に到)に到着。 熊谷を発車すると岡部か本庄?で後から来る急行「能登」の退避待ちで7分間の運転停車を行い、神保原~新町で埼玉県から群馬県に入って高崎(1:38-46)に到着。 高崎駅ホームは缶ビールの自販機が、あるのに横川下車なので自粛(笑)。

 

高崎を出ると信越線に入って安中駅のやや手前で進行方向・左手に深夜なのに不夜城の如く照明を点けて操業しているのが、東邦亜鉛・安中製錬所である。やがて松井田駅西松井田駅を通過すると下車駅の横川駅(2:17-23)に到着したので下車してホームの後ろへ移道すると西松井田方面からEF63重連が近付き1号車に連結された。 EF63連結シーンを眺めながらポケットに入った無線機より流れる、EF62本務とEF63補機のやりとりを聞きながら定時で発車したが、車で出かけると早朝に撮影する列車は前夜に出て現地で車中泊する事が多く、それに比べて列車移動だと冬の駅待合室・駅寝は寒さとの戦いでつらい。

 

朝まで待合室で仮眠したけど防寒の用意はしてきたので寒い思いをせずに朝まで寝て踏切の前に三重連牽引となる「妙高81号」の返却回送9304レ(12系)の撮影ポイントに三脚を早々と立ててから上り始発電車の3320M(185系7B)を丸山変電所の中から窓越しにEF63とクハ183の連結面をカメラ縦アングルで撮影。 回送9304レは早期に場所取りした踏切の前で煉瓦作りの丸山変電所を入れて撮影後に撤収するが、特急「あさま」に乗って帰りたいけど予算の関係で帰路は青春18キップ使用の普通電車乗り継ぎで帰宅した。

なお1994年の春臨から臨時急行「妙高」へ変わり、客車も14系座席車にグレードアップされた。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★