夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 北陸(B1)

1995年12月22日(金)、上野駅14番線ホームで嫁と子供の3人家族にて寝台特急「北陸」の入線を待っていた。翌日の23日は祝日で24日は日曜日なため、子供はそのまま冬休みに入るので夜行列車往復2泊と宿1泊のショートな旅だが予定を組んでる時は25日の月曜日は休暇が取れれば休むし、無理なら帰宅後に出社の選択だった。12月下旬の北陸は雪囲いが設置された兼六公園を見るのと子供が1人用B個室乗車を推してきたからだ。

 

1990年3月10日~1992年3月12日までの寝台特急「北陸」は12両編成中、1人用B個室ソロが5両(2.4.7.8.9号車)連結されているため、家族3名で同じ号車の個室を取る事はかなり難易度が高い。通常の指定席やB寝台ならマルス端末1回の操作で4枚分取れるが個室は1枚しか取れないため、最悪3名が別の号車にばらけてしまう可能性がある。そこで3ヶ所の駅みどりの窓口に10時打ちで9号車限定で操作してもらったら9号車のみでソロが無事取れて冒頭部分に戻る。また例によって頭でっかちのレポートになってしまった。

 

「北陸」入線の案内放送が響くと尾久寄りのカーブからスハネフ14の推進運転用ライトとテールマークが見えて発電用ディーゼルエンジンの騒音を周囲に撒き散らしながら22:45に推進運転で回送3011列車が入線した。扉が開くと早速9号車に乗車すると尾久客車区のスハネ14-751に乗り込み、各自渡した個室寝台券とレール&レンタカーの往復2割引きの片道乗車券を渡して各自が個室へ向かった。用意したのは9号車の3番・6番・7番の3部屋でこんなに部屋位置が纏まるとは思わなかった(9号車限定の10時打ちのおかげか?)。

 

12号車の前に連結されている機関車を確認すると長岡運転所のEF64-1053なので家族で記念写真を撮影して乗車口の方向幕を入れて記念撮影もする。ホーム売店で各自の飲み物を購入して車内に戻ると基地としている3番の部屋に集合する。上野駅を23:03に発車して車掌が来ると各自銘々に特急個室指定券と乗車券を纏めて渡して個室キーカードをもらうと各自の部屋に移動して翌朝までフリータイムにした(息子も嫁も久々のソロ個室を楽しみにしてたのでね)。因み私は3番(1階)、息子は6番(2階)、嫁は7番(1階)で全ての個室が長岡まで進行方向に向いて座れる部屋なのが奇跡のようだった。

 

「北陸」と言えばこの5年間は出張で乗るのが殆どで近年個人的な旅行で乗ってないから新鮮な気がするけど缶ビールを飲み終えると大宮駅(22:28-30)に到着。高崎線に入ってから嫁と子供の部屋へ行くと2人は部屋を真っ暗にして流れ行く車窓に夢中だった。自分もベッドに入って快いジョイント音を聞きながら北陸路への旅に期待しつつ、いつの間にか寝てしまったようだ。就寝中の停車駅と時刻は....高崎駅(0:28-30)・水上駅*(1:21-23)・長岡駅*(2:46-3:10)・直江津駅*(4:06-08)・糸魚川駅(4:37-37)・魚津駅(5:16-17)・富山駅(5:37-39)・高岡駅(5:54-56)「*が付く駅は運転停車」。

そういえば9号車のスハネ14-751はオハネ14-1を種車にしてるがそもそも14系寝台の試作車として1971年に新潟鐵工で落成。品川客車区へ新製配置されて記念する試験的な初運用は1971年9月30日の下り急行「瀬戸2号(39列車)」だった。1972年3月15日から「瀬戸」は特急化されて20系客車へ変更されたため、試作車(オハネ14 1~7・スハネフ14 1~3)に1972年3月15日改正で量産車を含めて「さくら」「みずほ」「あさかぜ(11レ・12レ)」の運転が始まったけどオハネ14-1他は「あさかぜ」の25形化で品川客車区から尾久客車区へ転属。尾久転属後は1978年10月2日から「北陸」と「北星」の共通運用で使用開始。

 

高岡到着5分前に目が覚めたが昨夜はぐっすりと寝たので清々しい朝だけど他の2人が気になって個室に行くがノックしても返事がない、どうせ遅くまで車窓を眺めていたに違いない。金沢駅到着30分前にもう1回起こしに少し強めに扉をノックするとやや遅れて2名から返事があった。金沢駅まで25分だから着替えてトイレと洗面に済ませて3番個室に集合させると案の定2人は遅くまで起きていたらしくまだ寝たいを連発。1991年くらいまでは乗ったまま金沢駅から西金沢駅まで車両を移動して9時くらいまで寝れたチェックアウトサービスがあったけど終了しているので金沢で降りないといけないのだ。

 

津幡駅(6:17-18)を発車するとやがて寝台特急「北陸」は夜が空ける前の6:30に金沢駅に停車したが雪は降っていないようで何よりだ。牽引機の確認が未だなので家族で一番先頭へ移動すると長岡運転所のEF81-135号機が北陸のヘッドマークを付けて任務を終えて回送として金沢運転所まで回送の発車待機をしていたがスノープロウには雪が付着しており、県境の峠(倶利伽羅峠)は雪だったのかも知れない。

 

近江町市場まで歩き、早朝営業してる店で海鮮の朝食を食べてから兼六公園を散策して路線バスで金沢駅まで戻ってから予約してある駅レンタカーでSクラスのホンダ・シビック・1300㏄ 3ドアハッチバックを借りて能登半島方面に向かった。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

 

 

寝台特急 あけぼの(B1)

1995年10月27日(金曜日)、 秋田県能代市への出張を終えて帰るのに翌日は土曜日なので東能代駅寝台特急「あけぼの」を待っていた。仕事は17時で終わったのだが出張先から東能代駅までタクシーで移動してからJRに乗って秋田駅へ出て更にタクシーで秋田空港まで行っても秋田⇒羽田行き19:45発、最終ANA880便では到底間に合わないから19:35発の寝台特急「鳥海」か20:01発の「あけぼの」になる。東能代駅みどりの窓口で調べてもらうと「あけぼの」ソロに空があるので手帳に書いてある個室ベストポジション位置から9号車16番で発券してもらった。

 

「あけぼの」が入線するまでまだ時間がかなりあるので駅構内の立ち食い蕎麦を食べて売店で地酒のワンカップ能代を購入駅前を歩き、土産屋を冷やかして駅舎の待合室で暫し待つ。改札が始まり、ホームで待機していると20:00に南秋田運転所のED75-771に牽引されて「あけぼの」が入線。9号車に乗り込むとオハネ24-555(555は不気味な番号?)で予想通り16番ソロは上りあけぼの2階で進行方向に向かって足を伸ばせる個室で更に日本海側(奥羽線陸羽東線東北線経由の「あけぼの」からは日本海は拝めない)なので進行方向右側の個室であり、自分の好みである個室をチョイス出来て満足である。

 

20:01に東能代駅を発車するとすぐに車掌が回ってきて特急寝台個室券と乗車券を見るとそそくさと消えたがそれにしても久々に乗るあけぼのソロの狭さは酷いもんである。北斗星や北陸・富士・はやぶさと同一料金なのが信じられない。カプセルホテルより狭いのに一晩6,180円は如何なものだろう。しかし狭いながらも寝てる時間帯が長い区間ならまだ我慢が出来るけど上野~青森のフル乗車では厳しいかも知れない。八郎潟駅(20:27-27)に停車すると25分間で秋田駅へ停車するが現段階での9号車は半数くらいしか乗っていないようだ。

 

秋田駅(20:52-54)に停車すると2分停車だが流石にこの時間帯では駅弁売りはホームにいないため、ホーム売店で家族土産の金満と缶ビールのみ購入して車内に戻った。流石に秋田駅からの乗車は多く9号車も7割に近いくらいの乗車率に増えて来たが一般のB寝台は半数未満の乗車率である。秋田駅の弁当にありつけない事を考えて東能代のコンビニでそのままでも美味しく食べられる助六寿司を買っておいたので缶ビールで流すとやっと腹が朽ちて満足した・・・車内で食べるなら駅弁が好みだが、東能代駅の駅蕎麦はオヤツ感覚なのでコンビニ飯もこんな時は便利。

 

大曲駅(21:38-39)を発車すると車内は減光され、横手駅(21:57-58)でも1~2名を乗せて上野駅を目指すと22時を回ると流石に眠くなって来たので浴衣に着替えて縦二つ折りベッドを広げてから寝台にしてBGMを聞きながら横になって湾曲になった窓から車窓や星空を眺めていると狭いながらもベストな空間だ。しかし横になってみて考えるとこのソロは1階と2階ではどちらが環境がよいのだろうか?床面積は確実に1階の方が広いけど個室内に2階へ上がる階段みたいな突起物が邪魔だし、2階は床面積の約半分が階段というのもなんだかなぁ~と思う。

 

十文字駅(22:08-08)と湯沢駅(22:16-16)の停車は覚えていたけどED75からDE10重連へ牽引機を交換する新庄手前で寝てしまったようである。以下は就寝中の停車駅と時刻・・・新庄駅(23:14-16)・宇都宮(4:53-54)。いきなり停車駅が、新庄から宇都宮まで飛んでいるけど機関車交換や乗務員(運転士)交代の運転停車で下記の駅(小牛田・仙台・福島)にも停車している。東北線・交流区間ED75が牽引していた頃は黒磯駅運転停車してEF65PFにチェンジしたけど1993年12月1日より上野~小牛田間が田端のEF81ロングランへ切り替り、黒磯駅の地上切替はEF81の車上切替で通過中に行える様になったため、黒磯駅運転停車は廃止された。

 

定期急行「八甲田」廃止前には福島運転所のED75は全機、東青森運転区へ転属して配給や工臨・臨時で使う3~4両のED75は仙台電車区常駐になってるけど定期列車を牽引する両数はないため、EF81スルーになったのである(24系「はくつる」も同じ理由)。因みに臨時急行「八甲田」や臨時「カートレイン北海道」の黒磯~青森間は東青森運転区のED75を使用している。さて7時間爆睡したので大宮駅直前くらいに目が覚めたけど流石に10月末なので外は真っ暗でまだ夜の続きのようなもの。大宮駅(6:04-05)に到着すると朝のトイレにハミガキ&洗面を済ませて下車準備も終了して上野駅到着を待つ。

 

外が明るくなって太陽が出た大宮駅を発車して京浜東北線を追い越したり、駅停車中の電車を見かけると立ってる乗客も多く、首都圏の通勤タイムが始まっている。1995年当時の僕ならまだ寝ている時間帯だけど朝早くからの通勤は本当に大変だと思ってしまう。ラッシュアワーを避けてのこの時間帯なのか、勤務開始時刻が早いからなのか定かではないけど違う列車の窓から別の列車の車内を覗いて傍観している自分が変に見えて思わず苦笑いをしてしまった。やがて列車は荒川を渡って東京都に入り、赤羽駅を通過すると通称"ひがじゅう"と呼ぶ東十条駅近くの撮影地を見かけると数名撮影していた。

 

10月が終われば更に日の出時刻も遅くなるため、東十条で「あけぼの」を撮影するのは光線的に難しくなるのは火を見るより明らかである。やがて列車は尾久駅と尾久客車区の脇を通過すると途中、急行「能登」の回送と寝台特急「鳥海」の推進回送とすれ違うと上野駅地平ホームへと下り坂を降りてカーブすると上野駅15番線に定時6:30に到着した。狭いあけぼのソロだが寝てしまえば関係ないというのが結論である。牽引機が気になるので大連絡橋通路には行かず牽引機を確認してから中央口地下道方面に歩くと田端運転所のEF81-86の勇姿を見ることが出来た。 

         

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

快速 ムーンライト(指定席)

1995年9月14日(木曜日)、15~17日は三連休になるため、前夜の14日夜に新宿駅5番線で村上行きの快速「ムーンライト」を待っていた。18日は出社日だが磐越西線・非電化区間DD51-745に牽引されるS E R(Super Express Rainbow)が初入線(9212レ)するため、こちらも狙いたいので18日は年次休暇を申請して4連休に延長している。1995年11月30日で磐越西線DD51牽引50系客車列車(223レ・236レ)も残るところあと2ヶ月半なので5番線ホームには当方と同じ装備を持った鉄道写真ファンも見かける。

 

やがて22:50に3763Mとなる回送電車が入線して扉が開くと5号車(モハ164-66)に乗り込み指定された席の網棚に機材を上げて代々木側の階段を上がって売店で買物市手戻ると既に隣の席に鉄ちゃんが座っており、同じ様な機材なので何処へ行くのか聞いてみたら磐越西線の223レ狙いだった。三連休前夜という事で指定券は既に完売している様であるが、快速「ムーンライト」は定刻23:03に村上駅へ向けて発車したので缶ビールで乾杯。山手貨物線埼京線)を経由して池袋(23:11)に停車して、赤羽(23:26)にも停車すると田端信号所から東北貨物線へシフトして大宮(23:40-43)に到着。

 

乗車している上沼垂運転区のモハ164-66は1965年に新製配置されてから転配属がなく、新潟の地を離れた事がない生粋の新潟車だが新製配置された時は上沼垂区はまだ無くて新潟運転所だったが乗車日から30年前になる。特急「とき」の増備で181系100番台が世に出たのが1969年だからそれ以前に登場した車両という事である。隣の彼氏は明日の磐西223列車をどこで撮影しようか悩んでいたので新津から乗車する224Dと撮影する223レは野沢駅で交換なので上野尻駅より新津寄りでないと時間的に間に合わない事をアドバイスしたが理解してもらえたであろうか?。

 

自分は既に色んなアングルで撮影しているので9月限定のコスモスを入れて狙う事を話したが撮影アングルは好みがあるので人によって様々だけど50系客レ(223レ・236レ)もあと76日で廃止になるから納得がいく場所で撮るのがいいよと説明しておいた。快速「ムーンライト」は鴻巣付近通過で車内照明が減光されて明日も新津駅下車なのでトイレを済ませてリクライニングを深く倒して就寝した。就寝中の停車駅の時刻は高崎駅(0:55-1:09)・長岡駅(4:05-15)・見付駅(4:26)・東三条駅(4:36-37)・加茂駅(4:44)。

 

実際には乗務員(運転士)交代などで新前橋・水上・越後湯沢の各駅にも運転停車しているが今回は運転停車以外に高崎駅長岡駅の停車も全く気が付かないまま爆睡できたので加茂駅発車後に目が覚めたけど下車駅・新津駅まで15分を切ってるので急いで下車準備をトイレを終わらすと新津の手前で札幌発・大阪行きの臨時寝台特急トワイライトエクスプレス」とすれ違うと新津駅(4:59-59)に停車した。急いで改札を出てK君と落ち合いK君が新車で購入したデリカ・スペースギアのお世話になる。

 

オフロード4WDタイプのミニバンだが、車内が広いので3連泊・車中泊は楽そうだ。宿には泊まりたいけど会津若松6:55発の223レと会津若松20:39着の236レを撮影するので宿から撮影地まで行くのと、撮影後にまた会津若松まで戻るにも時間的に効率が悪いので15日、16日、17日は全て車中泊でこなす事にしてある(ガソリン代とか経費もかかるから節約だ)。なおて18日の帰路は夜行列車には乗らずにDD51745+SER(臨客9212レ)を撮影後はK君の車でそのまま帰った。

 

本日が2020年最後のブログ更新となります、少し早いですが本年もお世話になりました・・・よいお年をお迎えください。翌年2021年(令和3年)もよろしくお願いします。

 

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

🍴夜行列車の味・大垣夜行編🍱

弊ブログでは"想い出夜行列車レポート"という1本の夜行列車を題材にした実際に乗った夜行列車の当時を殆ど夜行列車が消滅した令和の時代に追跡したレポートをメインコンテンツしているがこの先数年後になると夜行列車の乗車回数がお得で使い勝手が良い「ワイド周遊券」や「ミニ周遊券」の廃止で大幅に減ってしまう事による"想い出夜行列車レポート"ネタ削減を危惧している。

 

せめてこのブログは5年以上は毎週月曜日にブログ記事をUPしたいため、"想い出夜行列車レポート"以外にコンテンツを増やせないかと2020年9月くらいから他にもブログコンテンツが無いか模索していた。yahooブログ時代にやっていた事をまたやってもつまらないし、なるべく長く続くネタはないだろうかと考えていたら夜行列車に関係するグルメはどうだろうかと思案してみた。車内販売や停車駅で買った駅弁に食堂車、更にホームの立ち食い蕎麦・うどんなどの味覚などを紹介してみてはどうだろうかと半分企画倒れ承知で立案・企画してみた。

 

あくまでこのブログは"想い出夜行列車レポート"が中心なので「🍴夜行列車の味🍱」は月に1回くらいを限度にして「yahooブログ・夜行列車の思い出」時代に作成したコミュニティー(現在はSNSへ移行)で評判が悪ければ頻度を下げようかかと考えているけど、どうであろうか?。列車別だとかなりの本数があるし、話の中身が乏しい列車もあるから中身が濃い夜行列車以外は系統別や線区別でまとめた方が良いかも知れない。そんな訳で第一回目の🍴夜行列車の味🍱は大垣夜行編からスタートしたいと思うが意外とお世話になった大垣夜行(347M・344M・345M・340M・375M・372M)でもある。

 

大垣夜行と言えば深夜に静岡駅で売っていた東海軒の幕の内弁当はあまりにも有名だが上りの344Mや340Mだと幕の内弁当以外に鱒寿司やえび寿司も売っている時もあるけど人気があるのはまだご飯がほんのり温かい幕の内弁当だ。下り寝台急行「銀河」や下り臨時急行「銀河52号」(後の銀河53号)に乗ってる時にホームを探しても駅弁売りが出てなくて大垣夜行専用なのが泣かせる。初めて大垣夜行・347Mで駅弁を買った時は缶入り麦茶を始めて見て飲んで感激・・・1978年当時はスーパーでも缶麦茶はみかけなかった。

 

あとは347M時代の下りに限定されるけど名古屋駅で20分停車したため、その時間を利用して名古屋駅の東京方面にあるきしめんの立ち食いを食べるのが楽しみだった。かけのきしめんに薬味ネギとオカカをふり掛けただけだが柔らかくて喉越しがいいきしめんはヘルシーで朝の軽食にちょうど良かったが何故か早朝営業をやめて、347M名古屋駅の停車時刻も縮まってしまった。10分という時間を気にしながら丼のきしめんを味わいながら博多から名古屋に到着した、寝台特急「金星」の583系を眺めながらのきしめん賞味は僕にとっては347M想い出の味である。

 

更に大垣夜行375Mは浜松駅30分以上停車したのでその停車時間を利用して浜松駅南口駅前にあるコンビニ(ヤ○ザキデイリース○アー)で買物ができるけど夜行列車グルメにコンビニ飯を入れるのは些か旅情に反しているように思えてならない。コンビニは便利で何でも売ってるし、自分も車で撮り鉄する時は普段からお世話になってる口だけど流石に夜行列車に乗ってる時はコンビニ飯の世話になりたくないと思ってる自分は贅沢だろうか?確かに一時期に比べ、駅弁を扱ってた業者もかなりの数が撤退して旅の食生活も大きく変わってしまった。

 

東海道山陽新幹線を走ってた100系のカフェテリアもコンビニみたいなものだし、駅のキオスクもコンビニのように様変わりしているから考えが古いのは私の頭の中なのかもしれない。とりあえず2021年1月は北から月1ペースでスタートしてみたい。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

 

寝台特急 瀬戸(B寝台)

1995年8月30日(水曜日)、 岡山出張+軽く接待で帰路の最終新幹線(岡山20:09発東京行き「のぞみ28号」に余裕で間に合わなくてこれは寝台特急「瀬戸」で戻るしかないと諦め顔で特急寝台券を発券してもらい、岡山駅11番線ホームで寝台特急「瀬戸」の入線を待っていた。上り「瀬戸」に乗車するのは本当に久々で前回に乗車したのは本四備讃線瀬戸大橋線)が開業する前だと思われる。13号車の乗車口で待機していると遠くからハイビームのヘッドライトが近付き、21:42に田端運転所のEF65-1100が牽引して入線した。

 

早速先頭車である13号車(下関運転所のオハネフ25-145)へ乗り込み指定された9番下段に荷物を置いて発車を待つ。そういえば「瀬戸」と共通運用の「あさかぜ」は8号車から13号車の付属編成(広附101・広附102・広附103・広附104運用)は全て広島運転所の所属だったけど気が付いたら全て下関運転所に統合集約されていた(1994年12月ダイヤ改正で変更だったような?)。岡山駅を21:44に発車した寝台特急「瀬戸」の13号車は下段も空がある有様だけど切符拝見に来た岡山車掌区のレチによれば約半分は売れてるそうである。乗車率なんて聞いたから出張の常連客に見られたのか「いつもご乗車ありがとうございます」なんて言われて照れ臭いわ(笑)。

 

早速浴衣に着替えて岡山駅で購入した缶ビールを飲みながら寝台列車独特の旅情を楽しんでいると熊山~万富の鉄橋(吉井川橋梁)と上郡~三石のS字カーブは音と揺れの体感で分かったが明日は東京駅に着いたらそのまま出社するので今夜は早めに就寝した。以降は就寝中の停車駅と時刻・・・姫路駅(22:50-51)・三ノ宮駅(23:37-38)・大阪駅(0:02-05)・米原駅(1:31-33)・岐阜駅(2:10-11)・名古屋駅(2:33-37)・浜松駅(3:49-50)・静岡駅(4:45-46)・富士駅(5:13-13)・熱海駅(5:43-44)。因みに米原、岐阜、名古屋、浜松は運転停車米原と浜松がEF65PFの運転士交代。

 

岐阜と名古屋の運転停車は電源車・カニ24-100番台の荷物輸送の荷扱いで、電源車が連結されない編成だと1号車・オハネフ25-300番台に設けてある荷物室からの荷扱い停車となる。朝目が覚めたのは6時くらいで早川~小田原を走行中だったがもう海は望めない区間に入ってしまったため、少し二度寝して起きたのは茅ヶ崎~辻堂あたりだった。なんだかんだで7時間は寝たので4号車のラウンジカーまで延々と歩き、自販機で缶コーヒーを買ってその場で飲んでからまた13号車まで延々と遥々歩いて戻って下車準備をしていたら横浜駅(6:46-47)に停車した。

 

8分ほどで多摩川を渡ると東京に戻ってきた嬉しさと寝台特急「瀬戸」を降りないといけない寂しさが混じり合うがネクタイを締めると気分も引き締まり、品川駅を定時で通過すると途中、東京駅から回送された「銀河」「出雲2号」そして「出雲4号」とすれ違い、寝台特急「瀬戸」は7:12に定時で東京駅9番線ホームへ到着した。東京駅に下車すると快適なエアコンに慣れた体には暑さが応えるけどスーツの上着を手に持ってホームを歩くと既に朝のラッシュアワーが始まっている。このまま出社するには早いので八重洲口を出て煎れたてのコーヒーと朝食が楽しめる早起きカフェへと姿を消す。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

 

臨時大垣夜行 9372M

1995年8月14日(月曜日)、 8月13日の大垣夜行375Mから鈍行列車乗り継ぎで京都の梅小路機関車館他へ行った僕+子供とY君+子供の一行4名様は鈍行列車乗り継ぎで大垣駅へ戻り、夕方から早めの夕飯(大人たちは当然生ビールジョッキでの乾杯付き)を済ませて発車3時間半前に一番先頭の8号車乗車位置(1番線ホーム)に荷物を並べて待つ。帰路は定期大垣夜行372Mか臨時大垣夜行(救済臨)9372Mにするか迷ったが8月14日発の臨時9372Mは田町電車区の167系8両なのでもしかするとアコモ改善車が入るかもという淡い期待をして事前にY君と相談して救済臨と呼ばれる臨時9372Mにしたのである。

 

子供達が楽に過ごせるように持参したレジャーマットを敷いて寛ぐがホームにいても退屈なので2人ずつフリー時間を設けるが親子でフリータイムを楽しんで19時半くらいに戻ってきたY君曰く、19時過ぎでは飲み屋以外の飲食店は殆どラストオーダーを終えて驚いたと言っていたが、大垣夜行で有名な大垣市は人口約16万人で岐阜市は約2.6倍の約41万人だから大垣市が如何に小さな市であるかが分かると思う。我が8号車も行列が長くなっているが定期372Mに比べると少ないがこれは372Mが東京駅に5分早く到着するためで上野駅からの東北線高崎線の始発へ確実に早く乗り継げるからなのだと思う。

 

待ち時間が長いため、子供がぐずらないか不安だったけどようやく入線時刻が近付いて1番線ホームに9372Mが入線すると運転席の正面窓ガラスにH11編成の表示が見えたのでアコモ改善車ではなく、ボックス席車だと分かり肩を落とすがまあいいや。扉が開くと早速8号車(田町電車区のクハ167-1)に乗車して進行方向右手のボックス席を4人で占めてY君と発車前から缶ビールで乾杯する。乗車率約80%で22:30に大垣駅を発車した9372Mは穂積(22:36)・西岐阜(22:39)・岐阜(22:42-43)と停車すると短距離客の乗車はあるものの、名古屋駅で下車するのだろうと推測する。

 

2人の子供は疲れきったのか早々と寝てしまい、二人の父親で話すが往路の375Mでも寝不足なのとやはり鈍行乗り継ぎは疲れる様で次第に口数が減ってゆく。木曽川(22:48)・尾張一宮(22:53)・稲沢(22:58)・清洲(23:02)・枇杷島(23:06)に停車すると名古屋駅(23:11-15)に到着したので4分停車で缶ビール追加を買いに行く。名古屋で下車した人も多く、逆に乗車客も居たので乗車率はあまり変わらない様で空席は探せばあるけど近距離客が多いのか若者3名で盛り上っているBOX席には寄り付かないようだ。疲れて元気が無かった我々も缶ビールを飲み始めると元気になってしまう。

 

大府(23:35-36)・三河安城(23:48)・岡崎(23:59)・蒲郡(0:13)・豊橋(0:29-30)「一部駅のみ」と停車しながら9372Mは大垣駅を発車して2時間が経過したが今宵はそろそろ限界の様で寝てしまったようである。以下は就寝中の停車駅と時刻・・・浜松(1:09-10)・静岡(2:09-12)・富士(2:38-39)・沼津(2:54-59)「この駅で372Mを先行」・熱海(3:17-19)・小田原(3:36-37)・大船(4:06-07)・横浜(4:20-21)・川崎(4:29)。蒲田~大森付近で目が覚めるとY君親子が下車準備をしてたのでお疲れさまでしたと声をかけていると品川駅(4:38)に到着したので大崎・五反田方面のY君に窓から手を振って見送る。

 

列車は新橋駅(4:43)を到着すると山手線・京浜東北線の有楽町駅脇を通過すると大きなカーブを曲がると終着駅の東京駅8番線ホームに早朝というか未明の4:47に到着したので4:54発の京浜東北線北行電車に乗り換えて帰宅した。自由席の混雑する座席夜行2連泊は息子にとって始めての経験だったけど僕は眠くて弱っていたのに息子は朝食にご飯をお代わりしたそうである。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★

大垣夜行 375M

1995年8月13日(日曜日)、子供を連れた僕は東京駅9番線で大垣夜行375Mを待っていた。一番混雑する夏の繁忙期ピークに一番混雑する大垣夜行なんて乗りたくないのだが子供が前から京都府下京区にある梅小路機関車館(現京都鉄道博物館)へ行きたいと請願があり、この時期なら青春18きっぷもあるので仕方ないかと計画を立てると嫁からは自由席の座席夜行列車なら行かないと言われてしまう。二人で知らない人と同じBOXに座るのは苦痛かと思い、誰か同じ年代の親子で鉄ちゃんいないかなと考えて何人かに声を掛けると撮り鉄仲間のY君が参加してくれる事になった。

 

早めの夕飯を食べて地元の駅で青春18きっぷ2枚に翌日の日付を入れてもらい早速出発して東京駅9番線の大垣夜行1号車の乗車位置に入線3時間前から並ぶと一番乗りだが大垣より西を目指すなら救済臨9375Mの方が早く大垣駅に到着するので品川駅に集まっているのだろうと思案していたらY君と長男君がやってきた。挨拶をしていると乗車待ちの列が伸びて日曜日発は空いているだろうと予測したが大垣夜行はこの期間中は総じて混雑しそうである。子供たちは初対面なのに屈託がないと言うか、お互いにもう仲良く話しをしているのが驚きだ。

 

急行「銀河」が入線する頃には375Mを待つ乗客の列がかなり長くなり、今の内にキープするBOXの位置とかを相談して入線時刻を待つと23:33に田町からの回送が入線して扉が開くと一斉に乗車が始まり、後から物凄い圧力で押してくるが無事に進行方向右側のボックス席をキープしたが流石に1号車は乗車率が高いけどクハ165-128に乗車。短い停車時間で飲み物を購入して23:40、東京駅を発車と同時にビール(子供たちはジュースやサイダー)で乾杯する。日曜日なので直前に乗り込む遅い帰宅のサラリーマンやOLは乗ってこないけど東京駅発車時点で席は全て埋っていた。

 

有楽町や新橋(23:43)のオフィスビルを見ながら進み、旧東京機関区と旧品川客車区に田町電車区車両基地群を横目に見ていると品川(23:49-52)に到着した。通常の品川発は、49分だが救済臨9375Mが運転される日は品川~小田原間の時刻が変更になるため、日付変更も横浜駅から川崎駅に変わって多摩川を渡ると川崎駅(0:01)に到着。車内は立ち客も多いけどトイレやデッキへは難儀なく、簡単に行ける程度の混雑でホッとしている。横浜駅(0:09-10)を発車すると窓際に座っている子供たちも寝たのでY君と趣味の鉄道写真撮影の話で盛り上がり、仕事の話や男親の苦悩話へ変わってゆく。

 

375Mは大船(0:25-26)・平塚(0:47)・国府津(0:57)と停車して小田原(1:04-05)に停車した時にはお互いに足を伸ばして仮眠につく事にした。減光しない車内なのと周囲では話している乗客もいるので中々寝る事は難しいけど流石に民度が低い大垣夜行らしい。早川~根府川の玉川橋梁や根府川~真鶴の白糸川橋梁の通過は記憶していたが熱海到着は既に寝ていた様だ。以下は主な代表駅の停車駅と時刻・・・熱海(1:22-24)・三島(1:35-36)・沼津(1:42-47)・富士(2:02-03)・静岡(2:33-40)・浜松(3:49-4:15)・豊橋(4:49-52)・蒲郡(5:09)・岡崎(5:23)・三河安城(5:34)。

 

目が覚めたのは大府(5:46-46)到着直前だったが誰かに起こされたのかも知れないけど平日だと通勤客が乗ってくる時間帯だが、お盆・夏季休暇中なので部活の朝連高校生くらいが目立つ程度。大府~名古屋間で上り寝台特急「富士」か「はやぶさ」とすれ違って名古屋駅(6:08-14)6番線ホームに時刻通り到着した。名古屋駅では半分以上の乗客が降りたが、乗って来る乗客もいて車内の座席は7割くらい埋った感じである。6分停車中に飲み物を購入して名古屋駅を発車すると枇杷島清洲の有名撮影地を通り、上り寝台特急「さくら」とすれ違う。

稲沢駅(6:26)手前で愛知機関区(旧稲沢機関区)構内横を通過して、当区所属でもあるEF64-1000やDD51を眺めていると大垣夜行375Mは木曽川橋梁を渡り、愛知県から岐阜県へと入った。そして高山本線と合流すると岐阜駅(6:43-43)へ停車すると13分で大垣駅へ到着だ。下車準備をして待つが、7:03発の上郡行き431Mは先に到着している臨時大垣夜行(救済臨)9375Mの乗客に席は取られているのでマッタリ大垣駅に到着するのを待つ。途中、西岐阜(6:47)と穂積(6:50)にも停車して定刻6:56に大垣駅へ到着・・・ホームの跨線橋を渡り、431Mの席は埋っていたけど自分達は米原で下車。

 

431M(米原以降は729T)だと京都駅には9:10に到着して、梅小路機関車館の開館10時には早すぎるため、その後の米原始発の姫路行き新快速も米原から西を目指す18キッパーで混雑するため、更に1本捨てて米原始発の8:40発、743Tに標準を当てて待ち時間には悠長にホームの立ち食い蕎麦屋でそばとオニギリの朝食を食べて京都駅からは歩いて行ける距離だけど午前中から猛暑なので4人タクシーで移動した。

 

                 ★★★★★Memories of the night train★★★★★