夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 あけぼの(B1)

1995年10月27日(金曜日)、 秋田県能代市への出張を終えて帰るのに翌日は土曜日なので東能代駅寝台特急「あけぼの」を待っていた。仕事は17時で終わったのだが出張先から東能代駅までタクシーで移動してからJRに乗って秋田駅へ出て更にタクシーで秋田空港まで行っても秋田⇒羽田行き19:45発、最終ANA880便では到底間に合わないから19:35発の寝台特急「鳥海」か20:01発の「あけぼの」になる。東能代駅みどりの窓口で調べてもらうと「あけぼの」ソロに空があるので手帳に書いてある個室ベストポジション位置から9号車16番で発券してもらった。

 

「あけぼの」が入線するまでまだ時間がかなりあるので駅構内の立ち食い蕎麦を食べて売店で地酒のワンカップ能代を購入駅前を歩き、土産屋を冷やかして駅舎の待合室で暫し待つ。改札が始まり、ホームで待機していると20:00に南秋田運転所のED75-771に牽引されて「あけぼの」が入線。9号車に乗り込むとオハネ24-555(555は不気味な番号?)で予想通り16番ソロは上りあけぼの2階で進行方向に向かって足を伸ばせる個室で更に日本海側(奥羽線陸羽東線東北線経由の「あけぼの」からは日本海は拝めない)なので進行方向右側の個室であり、自分の好みである個室をチョイス出来て満足である。

 

20:01に東能代駅を発車するとすぐに車掌が回ってきて特急寝台個室券と乗車券を見るとそそくさと消えたがそれにしても久々に乗るあけぼのソロの狭さは酷いもんである。北斗星や北陸・富士・はやぶさと同一料金なのが信じられない。カプセルホテルより狭いのに一晩6,180円は如何なものだろう。しかし狭いながらも寝てる時間帯が長い区間ならまだ我慢が出来るけど上野~青森のフル乗車では厳しいかも知れない。八郎潟駅(20:27-27)に停車すると25分間で秋田駅へ停車するが現段階での9号車は半数くらいしか乗っていないようだ。

 

秋田駅(20:52-54)に停車すると2分停車だが流石にこの時間帯では駅弁売りはホームにいないため、ホーム売店で家族土産の金満と缶ビールのみ購入して車内に戻った。流石に秋田駅からの乗車は多く9号車も7割に近いくらいの乗車率に増えて来たが一般のB寝台は半数未満の乗車率である。秋田駅の弁当にありつけない事を考えて東能代のコンビニでそのままでも美味しく食べられる助六寿司を買っておいたので缶ビールで流すとやっと腹が朽ちて満足した・・・車内で食べるなら駅弁が好みだが、東能代駅の駅蕎麦はオヤツ感覚なのでコンビニ飯もこんな時は便利。

 

大曲駅(21:38-39)を発車すると車内は減光され、横手駅(21:57-58)でも1~2名を乗せて上野駅を目指すと22時を回ると流石に眠くなって来たので浴衣に着替えて縦二つ折りベッドを広げてから寝台にしてBGMを聞きながら横になって湾曲になった窓から車窓や星空を眺めていると狭いながらもベストな空間だ。しかし横になってみて考えるとこのソロは1階と2階ではどちらが環境がよいのだろうか?床面積は確実に1階の方が広いけど個室内に2階へ上がる階段みたいな突起物が邪魔だし、2階は床面積の約半分が階段というのもなんだかなぁ~と思う。

 

十文字駅(22:08-08)と湯沢駅(22:16-16)の停車は覚えていたけどED75からDE10重連へ牽引機を交換する新庄手前で寝てしまったようである。以下は就寝中の停車駅と時刻・・・新庄駅(23:14-16)・宇都宮(4:53-54)。いきなり停車駅が、新庄から宇都宮まで飛んでいるけど機関車交換や乗務員(運転士)交代の運転停車で下記の駅(小牛田・仙台・福島)にも停車している。東北線・交流区間ED75が牽引していた頃は黒磯駅運転停車してEF65PFにチェンジしたけど1993年12月1日より上野~小牛田間が田端のEF81ロングランへ切り替り、黒磯駅の地上切替はEF81の車上切替で通過中に行える様になったため、黒磯駅運転停車は廃止された。

 

定期急行「八甲田」廃止前には福島運転所のED75は全機、東青森運転区へ転属して配給や工臨・臨時で使う3~4両のED75は仙台電車区常駐になってるけど定期列車を牽引する両数はないため、EF81スルーになったのである(24系「はくつる」も同じ理由)。因みに臨時急行「八甲田」や臨時「カートレイン北海道」の黒磯~青森間は東青森運転区のED75を使用している。さて7時間爆睡したので大宮駅直前くらいに目が覚めたけど流石に10月末なので外は真っ暗でまだ夜の続きのようなもの。大宮駅(6:04-05)に到着すると朝のトイレにハミガキ&洗面を済ませて下車準備も終了して上野駅到着を待つ。

 

外が明るくなって太陽が出た大宮駅を発車して京浜東北線を追い越したり、駅停車中の電車を見かけると立ってる乗客も多く、首都圏の通勤タイムが始まっている。1995年当時の僕ならまだ寝ている時間帯だけど朝早くからの通勤は本当に大変だと思ってしまう。ラッシュアワーを避けてのこの時間帯なのか、勤務開始時刻が早いからなのか定かではないけど違う列車の窓から別の列車の車内を覗いて傍観している自分が変に見えて思わず苦笑いをしてしまった。やがて列車は荒川を渡って東京都に入り、赤羽駅を通過すると通称"ひがじゅう"と呼ぶ東十条駅近くの撮影地を見かけると数名撮影していた。

 

10月が終われば更に日の出時刻も遅くなるため、東十条で「あけぼの」を撮影するのは光線的に難しくなるのは火を見るより明らかである。やがて列車は尾久駅と尾久客車区の脇を通過すると途中、急行「能登」の回送と寝台特急「鳥海」の推進回送とすれ違うと上野駅地平ホームへと下り坂を降りてカーブすると上野駅15番線に定時6:30に到着した。狭いあけぼのソロだが寝てしまえば関係ないというのが結論である。牽引機が気になるので大連絡橋通路には行かず牽引機を確認してから中央口地下道方面に歩くと田端運転所のEF81-86の勇姿を見ることが出来た。 

         

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★