夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

臨時大垣夜行 9372M

1995年8月14日(月曜日)、 8月13日の大垣夜行375Mから鈍行列車乗り継ぎで京都の梅小路機関車館他へ行った僕+子供とY君+子供の一行4名様は鈍行列車乗り継ぎで大垣駅へ戻り、夕方から早めの夕飯(大人たちは当然生ビールジョッキでの乾杯付き)を済ませて発車3時間半前に一番先頭の8号車乗車位置(1番線ホーム)に荷物を並べて待つ。帰路は定期大垣夜行372Mか臨時大垣夜行(救済臨)9372Mにするか迷ったが8月14日発の臨時9372Mは田町電車区の167系8両なのでもしかするとアコモ改善車が入るかもという淡い期待をして事前にY君と相談して救済臨と呼ばれる臨時9372Mにしたのである。

 

子供達が楽に過ごせるように持参したレジャーマットを敷いて寛ぐがホームにいても退屈なので2人ずつフリー時間を設けるが親子でフリータイムを楽しんで19時半くらいに戻ってきたY君曰く、19時過ぎでは飲み屋以外の飲食店は殆どラストオーダーを終えて驚いたと言っていたが、大垣夜行で有名な大垣市は人口約16万人で岐阜市は約2.6倍の約41万人だから大垣市が如何に小さな市であるかが分かると思う。我が8号車も行列が長くなっているが定期372Mに比べると少ないがこれは372Mが東京駅に5分早く到着するためで上野駅からの東北線高崎線の始発へ確実に早く乗り継げるからなのだと思う。

 

待ち時間が長いため、子供がぐずらないか不安だったけどようやく入線時刻が近付いて1番線ホームに9372Mが入線すると運転席の正面窓ガラスにH11編成の表示が見えたのでアコモ改善車ではなく、ボックス席車だと分かり肩を落とすがまあいいや。扉が開くと早速8号車(田町電車区のクハ167-1)に乗車して進行方向右手のボックス席を4人で占めてY君と発車前から缶ビールで乾杯する。乗車率約80%で22:30に大垣駅を発車した9372Mは穂積(22:36)・西岐阜(22:39)・岐阜(22:42-43)と停車すると短距離客の乗車はあるものの、名古屋駅で下車するのだろうと推測する。

 

2人の子供は疲れきったのか早々と寝てしまい、二人の父親で話すが往路の375Mでも寝不足なのとやはり鈍行乗り継ぎは疲れる様で次第に口数が減ってゆく。木曽川(22:48)・尾張一宮(22:53)・稲沢(22:58)・清洲(23:02)・枇杷島(23:06)に停車すると名古屋駅(23:11-15)に到着したので4分停車で缶ビール追加を買いに行く。名古屋で下車した人も多く、逆に乗車客も居たので乗車率はあまり変わらない様で空席は探せばあるけど近距離客が多いのか若者3名で盛り上っているBOX席には寄り付かないようだ。疲れて元気が無かった我々も缶ビールを飲み始めると元気になってしまう。

 

大府(23:35-36)・三河安城(23:48)・岡崎(23:59)・蒲郡(0:13)・豊橋(0:29-30)「一部駅のみ」と停車しながら9372Mは大垣駅を発車して2時間が経過したが今宵はそろそろ限界の様で寝てしまったようである。以下は就寝中の停車駅と時刻・・・浜松(1:09-10)・静岡(2:09-12)・富士(2:38-39)・沼津(2:54-59)「この駅で372Mを先行」・熱海(3:17-19)・小田原(3:36-37)・大船(4:06-07)・横浜(4:20-21)・川崎(4:29)。蒲田~大森付近で目が覚めるとY君親子が下車準備をしてたのでお疲れさまでしたと声をかけていると品川駅(4:38)に到着したので大崎・五反田方面のY君に窓から手を振って見送る。

 

列車は新橋駅(4:43)を到着すると山手線・京浜東北線の有楽町駅脇を通過すると大きなカーブを曲がると終着駅の東京駅8番線ホームに早朝というか未明の4:47に到着したので4:54発の京浜東北線北行電車に乗り換えて帰宅した。自由席の混雑する座席夜行2連泊は息子にとって始めての経験だったけど僕は眠くて弱っていたのに息子は朝食にご飯をお代わりしたそうである。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★