夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

臨時夜行急行 妙高(14系ハザ)

★ブログお休みのお知らせ★ 11月23日(月曜日)はブログUPの日ですが11月21日から11月23日まで不在するため、久々にブログをお休みして次回は11月30日からUPさせて戴きたくご案内申し上げます

 

1995年8月10日(木曜日)、 明日8/11~17日までは勤務先のお盆休暇(2回目の夏休み)に入るため、前夜の上野駅17番線ホームにて臨時夜行急行「妙高」(9307列車)の入線を入線時刻1時間前から自由席6号車前よりの乗車位置にて待っていた。1995年夏臨も4日間の運転日(8/10・12・9/14・22)を確保してあり、約2年後には北陸新幹線の長野暫定開業で横川~軽井沢間は廃止。軽井沢駅篠ノ井駅第三セクター化へと変わるため、上記区間信越線をEF62(一部EF63も含む)牽引による客車の夜行列車で越える事が最後になる可能性もあるので「妙高」利用は躊躇なく選んだ。

 

暫くすると同じ勤務先だけど部署が違うN君がやって来たが明日早朝に長野駅からK君の車にお世話になるけどN君はK君と僕の知らないところで繋がりがあるらしく、人と人との接点とは不思議なものである。お盆休みの移動にはまだ早いけど16番線で並んでいる急行「能登」自由席を待つ行列はハンパなく長いけど「妙高」6号車を待つ2ヶ所の列も合計25人以上が並んでこの状態だと二人で席を回した1BOX占領は無理の様だ。尾久を23:28に発車した回送9307列車が23:39、上野駅に推進運転で入線すると早速6号車(オハフ15-48)へ乗り込み、14系夜行「妙高」初乗車のN君へ窓際を譲る。

 

急行「妙高」利用は横川駅まで乗る事が多いけど、今回は長野駅までの乗車なのでゆっくり夜行列車の旅情気分を味わう事が出来そうである。今宵のFIRST RUNNERは田端運転所のEF65-1023で高崎駅まで牽引するが車内に戻り、ホーム売店で購入した缶ビールとツマミを待機させて発車を待っていると上野駅を23:53に発車したので早速N君と乾杯した。6号車の乗車率は約5割強だけど自分が乗車した臨時夜行急行「妙高」としては一番乗っており、流石にお盆休み期間中だ。大宮駅(0:18-21)を発車すると車内は減光されて車内は夜行列車らしくなると熊谷駅(0:57-58)に停車。

 

急行「能登」みたいに普通電車終了後のホームライナーみたいに赤羽・上尾・桶川・鴻巣などの駅には停まらないけど熊谷駅を出ても速度が上がらず、ブレーキがかかって籠原駅(1:06-10)へ運転停車した。籠原駅では熊谷駅を1:04に発車した急行「能登」を先行させるための退避停車であるが扉は開かないし、寝ている乗客もいるので一般客は知らない人が多いと思われる。金サワ489系9Bが一瞬に高速運転で通過すると4分停車を終えた臨時急行「妙高」も発車して28分で高崎駅(1:38-2:10)。停車時間は32分と長いが、機関車交換を見ているとSECOND RUNNERは田端運転所のEF62-43であった。

 

流石に深夜2時近くになると眠くなり、今回は長野まで乗車するので高崎駅を発車する前に寝てしまった様だが、就寝中の停車時刻は次のとおり。横川駅(2:42-48)・軽井沢駅(3:05-10)・小諸駅(3:30-31)・上田駅(3:47-48)。N君に起こされて目覚めるとあと5分で長野駅(4:18-23)に到着との事で急いでトイレと下車準備を行って下車を待つ。臨時夜行急行「妙高」(9307列車)の運転は長野駅までで、長野から妙高高原までは快速9323列車となるが妙高高原までの区間で快速9323列車を撮影するため、急いで改札を出てK君の車で撮影地となる黒姫~妙高高原へと急いだ。

 

このあと妙高高原から豊野までの回送9324列車と豊野から上野までの回送9304列車を車で追いかけ倒して何回もベストなロケーションで撮影する事ができた。参考までに返却回送である回9324列車、回9304列車、回9354列車の停車駅のみ書き止めておく。

 

回9324レ: 妙高高原6:08→牟礼6:30-7:01→豊野7:11

回9304レ: 豊野8:34→三才8:40-42→長野8:52-54→戸倉9:13-57→大屋10:16-59→小諸11:13-22→軽井沢11:45-52→横川12:16-19→安中12:35-13:35→高崎13:49-14:04→大宮15:05-06→上野15:30 (ここから回送9354レ) 上野15:45→尾久15:55

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

特急 ゆうづる1号(人生初の夜行列車)

今から紹介する想い出夜行列車レポートは45年前に北海道修学旅行にて人生初めて乗った夜行列車であり、乗車日時や号車・車番・席番などが全く分からず、当時は乗ってもメモなんて書かなかったので当然感想文的でマトモなブログ記事にはなりません。しかし自分が始めて乗った夜行列車なので何とかブログにUP化したく、当時の時刻表とその時の微かな記憶を頼りに毎週月曜日にUPできるブログ内容に作成してみたのが本ブログである。

 

1975年10月上旬のとある日、高校の修学旅行出発日で上野駅団体待合室集合で13番線の車止め付近にあった立ち食い蕎麦屋の奥を進むと団体待合室に現地集合だった。修学旅行と言えば学年纏めて移動するのが普通だと思うけど、自分の高校は2クラスずつの移動で自分たちのグループはM、H、K、N、R、そして自分の6名で往路の「ゆうづる1号」は既にジャンケンで下段寝台を押さえていた。日本交通公社(現 JTB)の添乗員が現れると団体待合室から19番線へと移動するとすでにこれから乗る寝台特急ゆうづる1号」が入線していた。

 

確か6号車か8号車だと思ったが7号車に非営業の食堂車サシ581が連結されていたのを思い出す。クラスメイトは北海道修学旅行にはしゃいでいたが当方は生まれて始めて乗る夜行列車、そして寝台列車に乗れるのが嬉しくて心の中が張り裂けそうでルンルン気分であった。窓にはベネシャンブラインドが下りて車窓が見れないため、当時からクラスメイトの友達として付き合っていたM君から場所を聞いてハンドルを回して外が見えるようにした。19:50に上野駅を発車した「ゆうづる1号」だが夕飯は各自持参なので僕は上野駅で買ったとんかつ弁当、Mはチキン弁当でこの2種類が人気の様だ。

 

中段や上段の友達は弁当食べる場所がないので下段寝台に呼んだら斜め横に居た担任のK島先生までくる始末。そういえば取手~藤代のデットセクションでは車内照明が消えるのに盛り上って気が付かなかったようである。自分たち6人は隣の非営業・食堂車に潜入を試みたが、「ゆうづる」と「はくつる」は非営業でも共通運用である東京⇔青森間を結んでいた「はつかり」「みちのく」は営業しているのでサシ581の車内は洋食屋の匂い?がして将来はここで食べてやるぞと心に誓う。

 

引率教師が明日の到着は5時だから早く寝る様にと伝言があったけど始めての夜行列車で初めての寝台列車なのだからそんな事は無理に決まってる。先生が寝たのを見計らって車内探検したり、遅くまで下段ベッドでコソコソ声で話したり、初めての経験を楽しんだ。当時の時刻表を見ると寝台特急ゆうづる1号」の停車駅と時刻は水戸(21:15-17)・平(22:32-34)・仙台(0:34-36)・青森(5:03)。高速で9時間も走る寝台特急なのに途中停車駅は3駅しかないのにも驚きだった。当時の上野口583系は13両編成と長く、グリーン車上野駅寄りの2号車に連結してあるのも意表をついた。

 

これは20系「ゆうづる」(下り4・5・6・7号・上り1・2・3・4号)の1号車と2号車にA寝台が連結されている関係があるのかと思ったが関係は無いらしい。1979年10月1日ダイヤ改正から2号車に位置していたグリーン車(サロ581)が6号車に変更になってからはその後は9両編成まで短くなっても6号車へ固定するようになったがこれは485系グリーン車(サロ481)と乗車号車を同じにするためらしい。車内は流石に21時半を過ぎると車内も静まり、僕とM君は下段で遅くまで夜更かしをしていたが流石に先生に見つかってしまい自分もベッドに横になるけどワクワクして寝るのが勿体ないのである。

 

それでも寝たようで窓から風景を確認すると朝靄の西平内駅付近を走行中みたいで車内放送では青函連絡船は5:25出港の3便で乗船名簿の記入を案内しているが我々は団体なので乗船名簿は書く必要なし。眠くて頭が回らないけど青森駅桟橋一岸(いちがん)の第一乗船口から青函航路に乗って椅子席に座ったけど津軽海峡に入ると温帯低気圧の余波を受けて人生初の船酔いを経験するが朝食以外はプロムナードデッキでクラスメイトとふざけていたので船酔いは楽勝だった。

 

到底、想い出夜行列車レポートとは言えない内容でただ乗っているだけで充分に満足だったので資料的な価値は全くありません。しかし自分が始めて経験した夜行列車&寝台列車で北海道修学旅行で「ゆうづる」に乗らなかったらここまで夜行列車に夢中になれなかったと思うし、自分にとっては趣味人生の岐路でもあるし、ただの鉄道好きで終わったかも知れません。よって無理して通常毎週月曜日にUPするブログとしてリリースさせてもらいました。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★ 

 

寝台特急 北斗星4号(SA1)

1995年7月31日(月曜日)、長男との北海道旅行もいよいよラストになって札幌駅5番線ホームで、寝台特急北斗星4号」の入線を待っていた。昨日は川湯温泉の温泉観光ホテルに宿泊して川湯温泉駅まで車送迎してもらい、釧網線経由して和商市場で買物をして釧路からは特急「おおぞら6号」で戻った。旅のエンディングは「オホーツク9号」で網走駅から釧網線4725Dに乗り換える間に空席探しで電撃的にGet乗車変更した「北斗星4号」のロイヤルにて帰るだけだが、ロイヤル入手は日頃の運の良さに感謝している。久々に乗る「北斗星4号」(6004列車)SA1は楽しみにしていたのである。

 

実際に7月31日の6004列車は東オク編成なのか北サウ編成なのか分からず仕事用の手帳には一目見れば何月の奇数日or偶数日がどちらの運用か分かるのだが今回の旅は往復B2の旅を想定してたので手帳はないため、運試しとなるがまぁそれもいいだろう。なんて昨日の出来事を回想していたら回送6003列車の接近放送が聞こえてくると桑園駅よりから手稲からの回送が函館運転所のDD51-1068(次位は番号失念)重連で入線した。入線されてすぐは尾久車なのか札幌車なのか判別付かないけど窓の下のゴールドラインが2本のwラインや扉の周囲がゴールドラインで縁取られているため、札幌車の気配を感じた。

 

すぐにZONE539の北斗星エンブレムマークが視界に入るとJR北海道では唯一1両のみ保有しているオールロビーカー(オハ25-551)が6号車に連結されていたので札幌車持ちの6004列車である事は分かった。18:03に入線した「北斗星4号」の9号車に乗車するとオロハネ25-558で早速2番個室に荷物やお土産を入れて飲み物と簡単なつまみを購入しておく。車内に戻ると月曜日の夜行列車なのに個室は全部売り切れて車内での乗車変更発行しないと案内が流れてる。1995年5月6日以来のステラリウム・ロイヤルで約3ヶ月振りだけどやはり嬉しいものである。

 

札幌駅に11分停車した寝台特急北斗星4号」は18:14に定時で発車して札幌市の中心から走り去ると新札幌を通過してすぐにグランシャリオスタッフが登場してウェルカムドリンク(おたる ミュラー・トゥルガウ完熟フリーラン、ブレンド オブ ニッカ、缶入緑茶、缶入名水)が運ばれて来たので明日朝のコーヒー(息子はミルクティー)と和風朝食のデリバリー時刻を伝えると今度は函館車掌所の車掌が登場。北海道ワイド周遊券と補助別途利用ロイヤル指定券を呈示して去ると南千歳駅で買った駅弁を広げて僕はワインを飲みながら「日高路」(焼いた鱧蒲焼の押し寿司と鵡川名物・生シシャモの押し寿司をツマミに頂く。

 

そういえば「北斗星4号」より5分早く札幌駅を発車した星置発苫小牧行き・普通2828Mをそろそろどこかで抜くはずだけどこの時間帯は運転本数も多く、千歳線だけでホームが4ヶ所ある駅は北広島駅までないのだ。車窓を眺めていると2828Mらしき電車が待機停車していた西の里信号所を一気に通過したが2828Mは快速「エアポート182号」にも同信号所で抜かれる不運な列車でもある。列車は南千歳駅(18:47-47)を発車して美々~植苗付近で日没を迎えると今度は苫小牧駅(19:07-08)に入線したが、この駅で隣のロイヤル住人が乗り込んだ。

 

我がロイヤルではモニターTVから「夜逃げ屋本舗3」「ベスト・キッド4」が流れているが息子は「えぞ寿司」を食べ終えて車内販売のバニラアイスクリームに食べながら映画を眺めている。父親での私はウェルカムドリンクの白ワインも飲み終えて同じく車内販売の缶ビールを飲んで映画を見るが350ml缶ビールより、アイスクリームの価格がやや高いのは如何なものだろう?などと考えてしまうのが情けないけど北斗星や昼間の特急車内販売でもバニラアイスクリームの方が20円くらい高い。鉄道での長距離旅行ではやたらと缶ビールに手を出す自分なのでこんな事を書くのは本当に恥ずかしい。

 

昼間乗った特急「おおぞら6号」でも事前に電話予約乗車口までdeliveryしてもらって昼食として食べた池田駅の「十勝ワイン漬けステーキ弁当」を食べたあとに車販のアイスを食べていたが間食が多いのはどうかと思う。登別駅(19:37-37)と東室蘭駅(19:51-52)を発車するとビデオが終わり、STVテレビのニュースに切り替ったが、登別駅のビデオでVTR録画してそれを流しているのだろうが1995年9月4日で廃止される深名線の特集とかは今でも覚えている。JR北海道になって運営の軌道が乗り、最初の赤字ローカル線切捨てなので北の原風景が多く残る深名線の廃止は残念である。

 

やがて列車は伊達紋別駅(20:12-12)に停車したが、以前はこの駅で下り特急「北斗」とのすれ違いがあったけど281系化による速度アップでのダイヤ改正で「スーパー北斗19号」とは有珠~長和間ですれ違った。有珠駅を通過すると下り寝台特急の撮影地で有名なS字カーブを進むと北入江信号所を通過して海沿いを進み洞爺駅(20:23-24)に到着。個室の照明を落として親子でロイヤルの大きな窓にへばり付いていると意外と車窓は見えるものであるが流石にS字カーブまでは分からないけど列車の揺れ具合と台車が軋む音で何とか分かってしまうのが鉄道好きを越えた鉄道ファンの所以なのだと思われる。

 

洞爺駅からは長万部駅までは海沿いと海沿いとは思えない山間部みたいな箇所やトンネルを通過するため、車窓を見てても飽きない区間なのだが夜なので個室の照明を全て落としても線路横の車窓しか確認出来ないのが難点。朝や昼間なら奇岩が多い海岸線や周囲にキャンプ場の多いビーチ沿いを進んだり、山の中に分け入る礼文華峠を行くシーンが展開する区間や静狩から先の直線区間は気持ちがいいけど夜なので沖合いに浮かぶ漁船の漁火くらいしか見えないけどこれも夜行列車ゆえの旅情なので非日常的な時間の経過が忙しかった日々を癒してくれるのが気持ちいいくらいだ。

 

札幌駅発車後に早めの夕飯を子供と食べたけど今夜は予算の都合でパブタイムへは行かないため、夜食を食べ始める用意をしていたら寝台特急北斗星4号」は長万部駅(20:55-55)に到着した。僕は南千歳駅で買ったサーモン寿司を、息子は同じく南千歳駅のお寿司(稲荷寿司と太巻き寿司セット)を食べてお腹も満足して先に息子がシャワーを浴びて次に僕もシャワーを浴びたが、ロイヤルは好きな時間に入れるのが嬉しい。「北斗星4号」は札幌駅を発車して3時間が経過したが3時間がいつもより短く感じて八雲駅(21:19-19)と森駅(21:44-45)に到着した。

 

子供が眠そうなのでベッドをWベッドにしてから寝床を造り、邪魔になったウェルカムドリンクのグラスやタンブラーを返却して氷を入れた紙コップを貰い、部屋に戻ってその紙コップにまだ飲んでなかったブレンド オブ ニッカのミニチュア瓶を流し入れて僕は流れゆく夜景をツマミにロックウィスキーを寝酒として飲んだがまだ暫く睡魔はやってこない様である。仁山駅周辺で一瞬見える函館市内の夜景と函館山の輪郭が薄っすら浮かんで見えて函館市内に入ると函館駅(22:31-37)に到着した。寝ている息子を起こさないように個室を出てホームで牽引機の確認をすると青函運転所のED79-4だった。

 

車内に戻る際、ホーム自販機で"よつ葉牛乳"を買って個室に戻って進行方向を逆に進んだ「北斗星4号」の窓から夜景でも見ながらと牛乳を飲もうとしていたら子供が起きて使ってない紙コップに半分入れたのを子供に渡して一緒に飲んだ。青函連絡船に乗ると船内自動販売機でよつ葉牛乳を買うのが楽しみだったけど大人になると隣の自販機で売ってた道内限定缶ビールばかり買って飲む様になってしまった。函館発車後11分で久根別駅(22:48-51)に停車したが1021Mを待避するための運転停車なので扉は開かない。

 

少し早いけど木古内駅通過くらいでベッドに入って物思いに耽っていると23:35に青函トンネルと繋がっている第一湯の里トンネルへ入り、0:14青函トンネルを出て青森駅に到着する前に寝てしまったようである。以降は就寝中の停車駅「*印は運転停車」と時刻・・・青森駅*(0:57-1:07)・盛岡駅*(3:35-37)・仙台駅(5:46-48)。朝は自然に起きたというより子供に起こされた感が強いのだが目が覚めたら福島駅到着10分前であった。急いで着替えて補助ベッドを格納してから朝シャワーを浴び終わると福島駅(6:47-50)は既に発車しており、7:00にサービスのコーヒーと紅茶に新聞の朝刊が運ばれてきた。

 

朝刊に目を通しながらまったりモーニングコーヒーを飲んでいると太陽が眩しくて今日も暑くなりそうだ。やがて郡山駅(7:28-30)を発車するとGrand Chariotスタッフが再びの訪問があり、7時半に指定した和風朝食とお茶が運ばれて来たので早速頂く。息子が椅子に座ってテーブルで食べるので僕が食べる場所がなくなり、ベッド部分に新聞紙を広げて敷いて食べる事にする。最後の和風朝食だったらしく、いつもよりご飯の量が多いように感じたが副菜も含めて最後まで美味しく頂きました。夢中になって食べていたのでJR東日本・東北地域本社と東京地域本社の境駅だった久田野駅や電源切替がある黒磯駅の通過は忘れていたらしい。

 

宇都宮駅(8:54-56)を発車すると泣いても笑っても終着上野駅まであと1時間16分なので少し早いけど下車準備を始める。今回は4泊5日の旅だったのでお土産が多く、他に年次有給休暇を1日使ってるので職場へのお土産もあるし、家族へのお土産や実家への土産など今回はヤケにお土産が多い。9時40分頃に車掌が個室ルームキーを回収しながら乗車のお礼を言いに回って来ると大宮駅(9:50-51)である。上野まで21分で到着するので息子に何が一番楽しかったか、何が一番よかったか聞いてみた。

 

乗ってよかったのは7月31日に乗った特急「おおぞら6号」の展望席(6号車15番C/D席にあるキハ183-500番台の前方展望が見える席)で偶にキハ183-100番台が入るとアウトなのだけど食事時間以外は前方注視していた。北斗星の個室は1994年5月に乗った「はやぶさ」と「富士」みたいに1人用ソロ個室(2020年4月13日と4月20日の弊ブログ参照)の方が希望だった様である。マルスでは1操作で個室寝台券は1枚しか取れないから北斗星のソロを2部屋取るのは至難の業だと説明したけど理解してくれただろうか?。

 

北浜駅の喫茶停車場で食べたシーフードカレーと池田駅の十勝ワイン漬けステーキ弁当は美味しいと言ってくれたし、往路に乗った北斗星パブタイムのハンバーグも気に入ってもらえて喜んでいたバカ鉄オヤジであった。4泊5日の親子旅を振りかえっていると車内放送から上野駅到着(10:12)の案内が聞こえて来たので靴を履き替えていよいよ下車である。15番線ホームに降り立つと湿度が身体中を包み、蒸し暑さが戻って来た。牽引機でもあるEF81の番号が知りたくて大連絡橋には行かず、車止めの方に歩くとEF81-99が井堀信号所経由で尾久客へ向かう推進回送6004列車になる準備中だった。

 

             ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

特急 オホーツク9号(自由席)

1995年7月29日(土曜日)、札幌駅7番線ホームにて網走行き夜行特急「オホーツク9号」の入線を5号車乗車位置にて小学校3年生の長男と待っていた。実は札幌駅から釧網線への夜行列車アクセスは函館本線石北線経由と石勝線・根室線経由の2種類があって「おおぞら13号」の自由席は喫煙車1両しかなく、夏臨の増結有無と内部に勤めてる知人に調べてもらい、更に「オホーツク9号」「おおぞら13号」の自由席混雑度についても詳しい人から調べてもらった。夜行自由席増結の件は無く、自由席混雑度においては平日なら前者が確実に混雑するけど土曜日や休日なら大差なしとの事で禁煙車がある網走行きに決定。

 

余裕を持って発車1時間前に並んだけど並ぶ人は意外と少なく、6番線にキハ400・480にスハネフ14を挟んだ滑稽な姿の急行「利尻」が発車すると5号車の乗車位置にも6名くらいの列が出来て7番線から22:47発の千歳行き普通1858Mが発車すると、入れ違いに23:05発の夜行特急「オホーツク9号」がすぐに入線した。早速禁煙自由席である5号車に乗ると札幌運転所のキハ183-904(試作車)である。乗るならキハ183N編成やキハ183NN編成の方がいいけどN編成やNN編成は特急「北斗」限定運用なのだから致し方が無い。前の席を回して1BOX確保してから飲み物購入してから発車を待つ。

 

土曜日は流石に休みの企業が多いのか土曜日の夜行を帰宅に使うサラリーマンやOLの乗車は皆無で乗ってる人も接客業の仕事帰りや旅行・所用組が目立つ程度で、ワイド周遊券利用の若手が目立つ程度で寝台車や指定席の利用客が、多いのかも知れない。6番線から釧路行きの「おおぞら13号」が発車すると我が特急オホーツク9号も5分後を白石駅まで追いかける様に札幌駅を23:05発車した。今回乗車したキハ183-904は道内のキハ80系取替用として1979年に函館運転所へ配備された特急「おおぞら」用試作第2編成(キハ183・キハ182・キロ182・キハ182・キハ184・キハ183)である。

 

特急「オホーツク9号」は江別(23:24)・岩見沢(23:41-41)・美唄(23:55)に停車する乗り込んで来る客はいるけ長距離客の装いではなく、途中で降りる客筋だと予想。今夜はワンボックス占領しても迷惑になりそうもなく本当によかった。自分にとって石北線の夜行列車は本当に久々で、1984年に夜行「大雪」に乗った以来である。夜行「大雪」の10系寝台車が14系ハネに変わったのが1983年7月20日からなので「利尻」も「大雪」も旧型客車時代の方が長く乗ってるのだが1986年くらいから1989年まで「利尻」「大雪」「まりも」の沿線撮影には何回も来ているのに乗る機会が殆ど無かったようである。

 

2席分を子供のベッドにすると僕は足を伸ばせなくなるのだが子供が寝返りを打った時に窓際の壁と子供の頭に間に隙間ができたのでそこに足指部分を入れさせてもらう。列車は砂川(0:10)・滝川(0:17-18)・深川(0:36-37)と停車するがやはり座席夜行だと眠れないのが辛い。夜行急行ならB寝台車を取るけど特急格上げすると親子2人だと寝台券込みで16,000円越えは負担増でその分を帰路「北斗星」で使うとか、食事やお土産をグレードアップした方がいいかなとも思ってしまう。乗車時間が7時間なら座席車で充分(当然出張などは別です)だと思ってしまう。

 

やがて特急「オホーツク9号」は北海道第二の都市お膝元駅である旭川駅(1:01-15)に到着すると近距離客の殆どが下車してしまった。機関車交換もないのに14分も停車するのは不明であるが旧客時代から深夜の旭川駅で駅弁を売っていた時が何とも懐かしいとか思っていたら旭川駅発車前から夢路を辿ってしまったらしい。就寝中の停車駅並びに時刻は以下のとおり、当麻駅(1:39)・上川(2:15-24)・白滝駅(3:22)・丸瀬布駅(3:43)・遠軽駅(4:05-09)・生田原駅(4:27)・留辺蘂駅(4:54)・北見駅(5:16-17)・美幌駅(5:43-44)。目が覚めたらちょうど女満別駅(5:57)に停車しており、何とか4時間半は寝れたけどそれでも流石に眠い。

 

急いで朝の支度と下車準備を行い子供をトイレに生かせて一息していると網走湖の周囲を走って特急「 オホーツク9号」は約15秒早く終着駅の網走へ6:15到着した。6:44発、釧網線始発列車4725Dまで29分の接続だが子供のリュックも持って全力疾走で4725Dのオホーツク海側のボックス席を何とか死守して子供に席で待っててもらい自分は網走駅の改札を出てみどりの窓口で7月31日発の上り北斗星・SA1の空室調べをすると北斗星4号の9号車に空があるので帰路の原券/北斗星2号・B2と北斗星4号・SA1(2人利用)に乗変して差額を支払い、乗変したマルス券を確認して弁当屋で朝食の駅弁(かにめし700円)と飲み物を購入して釧網線4725Dに戻ると発車5分前だった。

 

今日は4725Dで標茶まで行って下車したい駅へ立ち寄りながら行きつ戻りつしながら楽しみ、川湯温泉駅から無料送迎車で川湯温泉のお得な温泉宿に泊まった。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寝台特急 北斗星1号(B2) 

1995年7月28日(金曜日)、夏休み前半の4連休(7/28~7/31)に1日だけ年次有給休暇を足して5連休にして前から子供と約束してた親子2人旅をするために計画していた旅だが息子も小学校3年生なので往復北斗星個室で道内では宿1泊の他に座席夜行1泊くらい絶える体力もあるので息子が乗りたいと請願してた特急列車や釧網線などを尋ねる旅に出た。撮り鉄に転向して約10年弱の期間が流れたのでローカル線に乗る歩く事自体も僕にとっては久々だし、子供以上に僕も楽しみにしてたが、上野駅13番線ホームの北斗星4号車乗車位置にて「北斗星1号」の入線を待つ。

 

入線10分前くらいに嫁(息子の母親)がホームに現れて注意事項を子供に伝えていると16:29に尾久駅方面から回送1列車が推進運転でオハネフ25の貫通路を開いて推進運転用のライトを灯して入線してきた。定期寝台特急では日本で始発駅に最初に入線して発車するのが「北斗星1号」なので、推進運転士が本務運転士と無線連絡しながら非常ブレーキ操作箱のハンドルに手をかけてして入線するシーンが儀式みたいで旅立ちのムードがあるように感じるのは私だけだろうか?。ゆっくりと入線して車体側面のランプ(側灯)が消えると同時に扉が開いて4号車に乗車した。

 

乗車した4号車はオールデュエットのオハネ25-562で1974年9月に製造された、オハ14-157を1982年8月に五稜郭車両所にて500番台寒冷地改装されたオハ14-537で急行「ニセコ」「利尻」「大雪」「まりも」「宗谷」「天北」用に投入されたがキハ400・480やキハ183系に取って変わり、余剰になったので1991年10月に苗穂工場にて三度改造されたのがオハネ25-562である。早速5番の1階部屋に荷物を置いて牽引機を確認するとEF81-58で通常は貨物牽引が多い田端運転所一般機(一般色)だった・・・後日談、某所の話では該当81の主抵抗器損傷でピンチヒッター登板らしい?。

 

個室に戻ると僕の缶ビールと息子の飲み物を買いに行った嫁が戻ってて、家族団欒の時間も終わって発車1分前に嫁がホームに戻って僕らはデッキで見送りを受けると16:50に上野駅を時刻どおりに発車した。息子と北斗星での二人旅は久々であるけど発車と旅立ちを記念して僕は缶ビール、息子はオレンジジュースかサイダーだったかで男2人旅を記念して乾杯した。今回は2ヶ所の10時打ちで1階部屋と2階部屋が取れたのだが写真や鉄道誌を見せながら床面積の広さか、窓からの眺めの良さと部屋内に階段があるなど、短所と長所を色々説明して息子が選んだのは1階個室であった。

 

すぐに車掌が来て銘々にワイド周遊券を見せて個室寝台券も呈示すると車掌は去り、列車は大宮駅(17:15-17)へ到着。夕飯にはまだ早いけどお腹も空いたので夕飯の駅弁を食べる事にするが2人で上野駅で買ったチキン弁当(750円)で早めの夕飯を食べ、自分は残っている缶ビール1本分のアテとして食べた。7月下旬だけど日没時刻は遅く、天気が良ければ北斗星1号だと黒田原~豊原くらいまで景色が見えるが6月下旬だと白河か新白河くらいまで景色が楽しめるけど梅雨で雨天の危険性もある・・・なんて車窓の夕景を眺めていたら宇都宮駅(18:11-12)に定時到着。

 

宇都宮を発車すると予約してあるシャワー時刻になるので浴びに6号車のロビー室へ行くと誰もいないけど息子はすでに経験済みなので先に入れて今度は自分がシャワーを浴びてロビー室の「ここで待ちなさい」と指定した椅子にもロビー内を見渡しても居ないので一気に血の気が引いた思いだった。僕が10分もせずに戻る事は伝えてあるから部屋に戻る事はないし、個室の暗証番号操作まで教えていないからパニックになってた僕だったけど数分したら7号車の方から息子が歩いてきてトイレに行ってたとの事。もしこのまま終着駅まで息子と会えなかったらどうしようかと真剣に悩んでいたのである。(西村京太郎トラベルミステリーの読みすぎが影響してるかも)

 

少しロビー室で過ごしてから個室に戻ろうとすると車上切替がある黒磯駅を18:48に通過して個室でロビー室で購入した缶ビールを飲んだが子供が居なくなって本当に焦って喉がカラカラだった。やがて太陽が沈んで日没になると闇が忍び込み、夜の静寂[シジマ]に支配されても「北斗星1号」は秒針が進む如く、時刻通りに運転されると郡山駅(19:33-34)に到着。牽引機のEF81-58は郡山まで両パンで走行したため、2END側のパンタを下ろして片パンになったはずである。「北斗星」のオールデュエットは2回目の乗車になるけどHatena blog以降後は初めてなので簡単に紹介しておこう。

 

JR北海道持ちの北斗星の中で1号と2号はいち早く個室車両を増やしているのだがオールデュエットであるオハネ25-561と562は車内意匠面や個室内の窓枠他にFRP(繊維強化プラスチック)を用いて洗面所にカーテンが出来たり、トイレに男性用の小便トイレが新設されて、更に洗面所側・通路端上には号車番号、現在時刻、温度、トイレ知らせ灯の表示されて便利になった。北斗星車両では一番新しい車両だけどオハネ25-561と562が他にも存在する。

 

国鉄時代は同じ番号の車両が複数存在するなんて信じられなかったけどオハネ25-561と562はトワイライト・エクスプレスのBコンパートメント用として確かに存在するのである。どちらかがオハネ24-561・562かオハネ25-570番台にすれば同一形式の同一番号なんてみっともない事にはならなかったのに。気が付くと「北斗星1号」は福島駅(20:08-10)を発車しており、息子も退屈しているみたいなので6号車のミニロビー(ソロ合造車・スハネ25-501)へ向かう。夕飯が早かったせいか、小腹も空いたので息子と食堂車に近いロビー室のシャワールーム側の椅子が空いていたので映画を見ながら過ごした。

 

パブタイム開始5分前の20:55頃にアテンダントから「パブタイムお待ちの方どうぞ」と案内されたので7号車グランシャリオ(スシ24-508)に移動して2人用のテーブルを選んで着席すると8号車側からもお客が乗り込んでメニューを選んでいると車内放送でグランシャリオのオープニングが伝えられた。息子にはケーキセットのミルクティーを勧めたが僕が注文したハンバーグセットがよいと聞かないので残さずに食べるんだよと念を推して僕はグラス赤ワインと息子にはオレンジジュースをお願いした。まだ小学生なのでモーニングタイムは経験あるけど夜の利用は初めてなのでキョロキョロ落ち着かない。

 

小学校3年生に大人の時間を味わうには10年早いけど父親公認だからまぁいいだろうって自己納得していたら早速ハンバーグステーキセット(スープ・フルーツサラダ・ライス付き「1800円」)が来たので早速親子で食べ始めると息子は美味い美味いを連発するのでお母さんが作ってくれるハンバーグの方が美味しいだろうと茶々を入れると両方美味しいと言っていたが今から25年前に1800円もするハンバーグが不味いと言われると困るのである。因みに1994年6月11日に乗車した「夢空間北斗星82号」(2020年5月4日UP)でもこのハンバーグステーキセットを食べている。

 

このメニューは約5年後くらいにイタリアンハンバーグセットと名称を変えて200円高い2000円で提供していたが北斗星末期まで人気のパブタイムメニューであった。食べるのと会話に夢中で、仙台駅(21:11-13)到着はスルーしてしまったが夏休みの金曜日発なのでパブタイムは大盛況であったがテーブル待ち客も居た様なため、食べ終えて早々に会計を済まして我が4号車の個室へ戻ってまだ起きてると聞かない子供を早く寝かせ付けて自分も早めにベッドインした。以降は停車駅と時刻《*印は運転停車》、一ノ関(22:20-20)・盛岡(23:30-32)・八戸*(0:52-53)・青森*(2:03-11)・函館駅(4:24-32)・森駅(5:17-17)。

 

深夜3時頃にトイレで目が覚めるとどうやら青函隧道を走行中の様で1号車の貫通扉の前へ行くと青函運転所のED79-10が牽引していた。個室に戻ってすぐに寝たと思うが次に目が覚めたのは八雲駅(5:43)くらいだと思ったが起きると隣の寝台が、もぬけの殻なのでまたトイレかなと思って通路に出ると通路側の椅子に座りながら流れゆく車窓を眺めていた。随分朝起きるのが早いなーと思いながら学校へ行く時は朝食ギリギリまで寝ているのにやっぱり遊びに行く時は別な様である。時間的に早いけど寝台を片付けて個室の窓から見える内浦湾(噴火湾)の海岸を親子で楽しんだ。

 

長万部駅(6:07-08)を発車すると浴衣から服に着替えて限定の和朝食を食べに食堂車の手前で待機するが時間待ちの間に息子に場所取りさせて、僕はミニロビーの公衆電話から自宅に電話して嫁に特に問題がない事を伝える(昨夜息子が一瞬消えた事は黙っておいた)。戻るとグランシャリオ・モーニングタイムのオープニングでパブタイムで座った同じ場所をキープして和風朝食(1,500円)を2個注文した。昨夜のハンバーグでもそうだったけど普段の朝ならまだ寝ている時間帯なのに息子の食欲には目を見張るばかりである(第一次成長期なので当たり前なのだが)。

 

食事中に洞爺駅(6:39-39)と伊達紋別駅(6:50-50)に停車して食べ終わって会計を済ましてから4号車に戻る手前、6号車のロビー室に寄り道すると部署は違うけど同じ勤務先の後輩であるT君夫妻から声を掛けられたので挨拶しておく。北斗星に乗るとは聞いていたけどまさか同じ1号とは思わずT君曰く、ロイヤルは555でしたと悔しそう。僕たちは最初からデュエット狙いだったので9号車の運用は一切調べてないけどロイヤル狙いだったら危ないところだった。列車は東室蘭駅(7:09-11)を発車すると非電化区間から電化区間の架線下を走り、札幌車掌所の車掌が登場。

 

ロビー室のテーブルの上にJR北海道公認・北斗星オリジナルグッズと札幌車掌所発行のオレンジカードが所狭しと並べられて早速口開け客となり小銭入れ黒色2個と小銭入れ茶色2個にエンブレムのキーホルダーと皮製の北斗星コースター、ワッペンなど大量に買ったら北斗星の手提げ袋に入れてくれた。実は知人から頼まれた物もあって纏め買いは初めてなのだけど車掌が盛んにオレンジカードを進めてくるが、都内の一部駅では切符を買わずにそのまま自動改札に投入できる「イオカード」が使える駅も増えてオレンジカードはお断りした。そういえば登別駅(7:27-27)も停車したけどグッズに夢中(苦笑)。

 

進行方向右手に社台ファームの馬が見え、左側には活火山の樽前山が見えてくると、いよいよ苫小牧駅(7:57-58)で札幌駅まで1時間を切ったので4号車の我が個室に戻る事にした。実は先頭のDD51が何号機なのか気になるけど11号車の前には電源車が連結されているため確認できないのだ。下車準備を済まして待機していると南千歳駅(8:17-18)に到着していよいよ次の停車駅が終着駅・札幌である。札幌駅から7分接続で特急に乗るので息子に最後のトイレを行かせて西の里信号所を通過して上野幌駅の少し手前から札幌市厚別区に入った。

 

進行方向右手に旭川からの函館本線が近付くとJR貨物の札幌機関区脇を通過すると残る通過駅は新札幌、平和、白石、苗穂のみになって新札幌駅を通過すると札幌到着の車内放送が聞こえてきた。奥の苗穂工場と手前の苗穂運転所が見えて来ると少しずつ高架区間へ入り、8:53に終着・札幌駅5番線ホームに到着して上野駅からの16時間03分の旅が終わった。

今回も文字数が規定より多めになり、読むのも大変かと思いますが「北斗星」の想い出レポートはパターン化してマンネリしているため、打破するためにいつもとは違う雰囲気のレポになりました。

           ★★★★★Memories of the night train★★★★★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寝台特急 はくつる (B寝台)

1995年6月6日(火曜日)、上野駅15番線ホームの「はくつる」9号車乗車位置にて青森行きの寝台特急はくつる」の入線を待っていた。青森市内の出張で青森空港三沢空港まで始発のフライトで飛んでも主張先へ9時に到着する事は出来ないので、どうしても「鳥海」や「はくつる」になり、21時まで残業してからでも乗れて青森駅到着が8:15と都合がいいため、今回の青森市内出張も「はくつる」を選んだ。途中で夕飯を食べながら少し飲んでから上野駅15番線へと移動した。

 

22:10に尾久からの回送11列車が推進運転でゆっくりと入線と15番線のざわめきと電源車(カニ24)の騒音が交じり合って上野駅地平ホームから出発する寝台列車の旅立ちを奏でる音だと思いながら扉が開いたので9号車に乗り込むとオハネフ25-201だった。指定された下段寝台に鞄を置いて牽引機の確認を行うと田端運転所のEF81-99で車体にサイドに流れ星を描いた通称星ガマである。車内に戻り、浴衣姿に着替えていると22:15静かに上野駅を発車したので350ml缶のビールで咽の渇きを潤しながら車窓を眺めていると切符拝見の車掌が登場。

 

車掌に乗車率を聞くと当直点呼時点で約半分の乗車率との事であるがシーズンオフの平日にこれだけ乗ればよいのかも知れない(シーズンオフの下り東京発ブルートレイン第一群が空気輸送だから余計にそう思う)。一時期は「はくつる」の他に常磐線廻りの「ゆうづる」が何本も走っていたし、「はくつる」でさえ2往復設定していた時期もあったが今では夜行急行も全部廃止され、定期列車で上野と青森を東北線で結ぶ夜行列車は「はくつる」だけになってしまった。大宮駅(22:48-49)を発車すると眠たくなってきたのでまだ早いけどベッドに入る事にした。

 

今夜乗ってるオハネフ25-201は新製配置から品川客車区で「はやぶさ」「富士」「あさかぜ1・4号」「出雲(のちの1・4号)」に使われたが1987年の国鉄分割民営化では「あさかぜ1・4号」「出雲1・4号」のみの運用になって「あさかぜ1・4」号の廃止で不定期になると受持ちがJR九州に変わったため、不用になった「あさかぜ1・4号」の編成は青森運転所に転属後は「はくつる」として再利用されている。因みに青森へ転属した200番台はオハネフ25が3両でオハネ25が7両であった。数年後には青森運転所持ちの「日本海」「あけぼの」にも充当されている。

 

一番前の9号車なので時折聞こえるEF81のホイッスル(汽笛)と24系25形の走行音を子守詩代わりに寝てしまったらしいが、以下は停車駅と時刻。宇都宮駅(0:01-01)・盛岡駅(5:31-35)・一戸駅(6:25-25)・二戸駅(6:31-31)・・・二戸発車くらいに目が覚めたけどベッドの中でウトウト2度寝を楽しんでいたら三戸駅(6:44)に到着する放送が流れたので急いで着替えて朝の支度を済ます。6月初旬ともなれば青森県内の新緑もすっかり終わって濃い色の木々が眩しく、田んぼに植えられた稲がきれいに並んでいると旅している気分も上々でお腹が空いた頃、八戸駅(7:00-02)に到着した。

 

2分停車を利用して幕の内弁当(特製奥入瀬弁当)800円と缶入りのお茶を購入して車内に戻り、朝食変わりの駅弁を美味しく頂く。八戸駅からはB寝台のみ立ち席特急券で乗車出来るヒル区間になるけど流石に9号車まではヒルネ客は乗ってこない(9号車が一番空いていると思うのだが)。朝食の駅弁を食べ終わったくらいに三沢駅(7:18)に到着して小川原湖が見えて鉄道防雪林が見えてくると野辺地駅(7:40-40)に到着。野辺地を発車すると並走してた大湊線の線路と分かれて進み、暫くすると浅虫温泉辺りから陸奥湾の紺碧な海が姿を現す。

 

青森駅到着の車内放送が聞こえてくるとED75やDE10などが停まってる青森機関区や青森東運転区が見えて来たのでネクタイを締めてスーツの上着を着て待機していると定刻8:15に青森駅へ滑り込んだ。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

急行 越前(旧客・自由席)

先週(2020年9月28日)にアップした急行「能登」の岐路になるため、今日の記事も乗車した年月日や時期他などが分からないため、没になる記事ですが詳細時刻や編成・牽引機は判明しているため、特採として引続きアップしてみた。全くをもって乗車日時が不明だがM君と福井駅で上野行きの急行「越前」最後尾となる自由席・9号車で入線を待っていた。岐路に急行「越前」を選んだのは往路が上越線廻りなので変化を持たしたのと少しでも乗車時間が長い(10時間31分)のが理由で他には寝ているかも知れないが、横川~軽井沢の碓氷峠を越えるのと上野駅到着が7:05と遅い事。

 

20:20に敦賀第二機関区のEF70-1007に牽かれて颯爽と入線したが平日の翌日も平日で夜行列車の発車にはまだ早いのか、乗客は疎らだが直江津駅まで先頭車になる9号車のオハフ45-2014に乗り込み、席を確保して編成チェック済ませて席に戻ってから発車を待つ。昨夜は糸魚川駅の駅寝環境がすこぶるよくてぐっすり寝れたため、体調は絶好調で急行「能登」での寝不足もすっかり解消できた。20:34定時で福井駅を発車した急行「越前」9号車だが福井駅発車時点で今夜も空気輸送でその先、金沢駅富山駅で乗り込むだろうけど空いているのは有り難い。

 

夕飯がまだなので缶ビールを飲みながら福井駅の駅弁でもある「赤えびすし」という甘エビの押し寿司を食べ、M君は越前かにめしを食べているが地上泊1泊分を駅寝して贅沢な夕飯を楽しんだ。列車は芦原温泉駅(20:49)と加賀温泉駅(21:04)の温泉駅名の2ヶ所に停車して更に粟津駅(21:12)そして小松駅(21:19)に停車。今夜の急行越前の編成は以下のとおり・・・⑨オハフ45-2014⑧オハ46-2098⑦オハ47-2235⑥オハ47-2032⑤オハ47-2207 ④スロ62-2060③オハネフ13-2607②オハネフ13-2506①オロネ10-2043にマニ37-2008が連結されて客車と荷物車全て福井客貨車区担当。

 

列車は金沢駅(21:42-44)へ到着すると流石に北陸で一番大きい駅だけど乗ってくるのは旅行客というより仕事帰りや短距離移動の乗客ばかり。上野方面なら12分前に発車した急行「能登」の方が便利だし、その後に「越前」は1982年11月ダイヤ改正で急行「能登」に吸収されてしまったのも今考えると分かる様な気がする。列車は津幡駅(21:55-55)・石動駅(22:07)・高岡駅(22:21-22)・小杉駅(23:09)と停車して富山駅(22:40-50)へ停車すると金沢駅で乗車した旅客の殆どが富山駅までに下車してしまった。富山駅では福井から牽引して来たEF70-1007が開放されて変わりに富山第二機関区のEF81-19を連結。

 

富山駅からはそこそこの乗客が乗り込んだけど仕事を終えて遅い帰宅組や一杯飲んで帰る帰宅者が多くて、自分達みたいな旅行者風情は殆どいなかった。普通は翌日も平日だし、学校の休みもまだなのでやはり短距離移動旅客が中心の様である。富山から先は小まめに停まって滑川駅(23:05)・魚津駅(23:09-10)・黒部駅(23:20)・入善駅(23:31)・泊駅(23:38)と停車するが県境を越えて新潟県に入った糸魚川駅(0:03-05)に停車。糸魚川駅は昨夜も駅寝でお世話になった駅で深夜あるけど、深夜から未明に下りと上りの「能登」「越前」「北陸」が停車。

 

更に深夜0時台から深夜1時台に停車する上り「きたぐに」「つるぎ」と未明4時台と早朝5時台に停車する下り「つるぎ」「きたぐに」が停車するため、駅舎待合室も含めて開放なので駅寝するには都合の良い駅だ。糸魚川駅を発車すると32分で直江津(0:37-46)に停車するが直江津では進行方向が変わり、牽引機もEF81からEF62に変わるので早速ホームに降りて牽引機を見に行くとマニ37-2008の前に高崎第二機関区のEF62-2が連結されてEF62独特のブロアー音を奏でていた。今まで我が9号車は機次(機関車の次位)だったけど直江津駅を発車すると最後尾になって信越線に入って行った。我々もここらで休む事にした・・・以下は就寝中の停車駅と時刻。

 

高田駅(0:57-57)・新井駅(1:10)・妙高高原駅(1:34-35)・長野駅(2:37-39)・上田駅(3:25-29)・小諸駅(3:47-47)・軽井沢駅(4:10-16)・横川駅(4:38-43)・高崎駅(5:10-18)。高崎駅停車中に目が覚めて肝心の碓氷峠・横軽区間は寝過ごしてしまったが熊谷駅(5:59-59)くらいまではうつらうつら寝ぼけていたようである。深夜の直江津駅で買った甘くない缶コーヒーを飲みながら目覚めの一服を吸っていると頭の中もシャンとして東北線と合流すると大宮駅(6:31-33)に到着した。朝6時半を過ぎてるので京浜東北線南行き電車は混雑しており、朝のラッシュアワーが始まったようである。

 

103系京浜東北線を抜いたり並走しながら走っていると荒川橋梁を渡り、東京都に入って終着駅を除けば最後の停車駅となる赤羽駅(6:52)へ入線した。下りの「越前」と「能登」は赤羽駅は通過なのに上りの「越前」と「能登」は赤羽駅に停車するのが何か解せなかったけど「鳥海」「佐渡」「天の川」「妙高」も時刻表をみると同じで何で上りだけ停車なのであろうか?当時はEF80とEF81しか配置がなかった田端運転所(EF58やEF65PFは宇都宮運転所の担当だった)の脇を通過すると10時間36分にも及ぶ旧型客車での夜行列車旅も終わりで定刻7:05に終着上野駅15番線に入線した。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★