夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 あさかぜ(B寝台)

7月と8月は夜行列車を利用しての出張は無かったので久々だが、1998年9月25日に山口県山口市に仕事で来ていた。山口線山口駅からの今度の出発は17:06発の小郡「現新山口」駅行き652Dだが小郡駅から180Aと144Aを乗り継げば23:19に東京駅へ着けるし、小郡駅北口からサンデン交通の空港連絡バスに乗れば山口宇部空港から19:35発の羽田行き最終便JAL700便にギリギリ間に合っていたかも知れないけど翌日は土曜日なので小郡駅から寝台特急「あさかぜ」で帰る事にして山口駅みどりの窓口で「あさかぜ」の寝台特急券と乗車券を購入して山口線652Dに乗り込んだ。

 

1998年9月25日(金曜日)、一旦小郡駅の改札を出てコンコースの駅弁屋で夕飯の弁当を購入してから「あさかぜ」が入線するホームへ移動すると17:46少し前に下関地域鉄道部のEF66-49に牽引された上り寝台特急「あさかぜ」が入線。扉が開くと早速2号車「オハネ25-199」に乗り込んで11番下段の寝台に座ると小郡駅を17:47に発車した。珍味"焼きふぐ"をつまみにビールを飲んでいるとすぐに車掌が回ってきたので寝台特急券と乗車券を呈示して缶ビールも二本目に入るが、9月の下旬なのに日没前で車窓から景色が見えるのが何より嬉しく、列車は防府(18:00-01)に到着した。

 

列車は富海駅の手前から待望の海(周防灘)が見えて来た。特に富海~戸田間は一駅区間なのに8.5kmの距離があり、その殆どをレール以外は人跡まれな周防灘の波打ち際に沿って走る、山陽本線随一の風光明媚な区間であると思う。丁度列車が富海(18:07)~戸田(18:14)通過中に日没時刻を迎えて美しい周防灘を見る事が出来たので通路側の椅子に座って素敵な時間の一時を楽しむ事が出来た。徳山(18:24-26)と光(18:37-38)に停車して外の景色がすっかり暗くなった柳井(18:55-55)に到着。4号車のラウンジカー自販機で缶ビールを購入して小郡駅で購入した駅弁で夕飯を楽しむ。

 

5~7号車はそこそこ乗ってるのに我が2号車は空いており、これは前にも書いたけどマルス任せで発券すると2号車が最後に発券するような仕組みを逆手に取って開放B寝台の旅だから空いてる2号車を敢えて指定「ついでにコンパートメントボックスに先客がいない区画もリクエスト」した訳なのだが混雑する時期はこの手は使えない。夕飯は「巻きずし弁当」という細巻寿司、太巻寿司、稲荷寿司におかずがセットされた豪華版で950円。内容と味に大満足してビールと共に美味しく食べたけど列車は山口県最後の停車駅でもある岩国(19:21-21)に到着。

 

本日の上り「あさかぜ」は10号車から13号車を季節減車した1号車から9号車の9両で運転しており、電源車(カニ24-100)は連結されてなくて4号車のラウンジカーはスハ25が連結されており、1号車のオハネフ25は荷物運搬スペースを取り付けた300番台が組成されている。山口県から広島県に入ると宮島口(19:37-38)へ停車した。因みに25形「瀬戸」の廃止でカニ24-103、105、108が1998年7月と9月に宮原に転属してラウンジカーのオハ25-301と302が1998年8月と9月に廃車扱いになって更にオハネフ25とオハネ25の合計21両が宮原へ転属している(オロネ25-301・305も宮原へ転属)。

 

因みに広セキから大ミハに転属したカニ24-100番台やオハネフ25とオハネ25は「日本海」「銀河」用だが25形0番台で運用している車両を25形100番台(一部200番台)に変えるのではなかろうか?(あくまで私の個人的な推測です)。宮島駅から20分走ると中国地方では一番大きな駅で乗降客数も一番多い広島(19:58-20:00)に到着したけど市の人口も多くて企業数も多いから流石に多くの乗客が乗ってきた。発車時間的にも仕事を終えて一旦帰宅しても乗れる時間だし、残業を終えてから乗るのにもちょうどいい時間帯だ。我が2号車は35~40%の寝台が埋まり、5~7号車は70%が埋まっていた。

 

流石に広島発の東京行き、最終新幹線「のぞみ30号」が19:37に発車した後なので東京方面に向かう出張族などには重宝がられているようで上り「あさかぜ」としては広島駅までは回送みたいなものだ。下関から号車指定のヒルネも広島で終りなのだが、どうやら2号車はヒルネ指定がかかってなかったようである。列車は山陽本線唯一の難所と呼ばれた通称セノハチと呼ばれる瀬野~八本木を通過して連続22.6‰「パーミル:千分率」の急勾配(JR後の22.6‰なんて急勾配とは言えないかも)にアタックするがEF66牽引の現車9Bは余裕である。

 

尤もセノハチで旅客列車に補機を連結してたのは旅客列車だとEF58牽引の夜行列車などで特に編成の長い寝台特急はEF65PやPFの登場で補機連結はしていない。セノハチ区間が終ると列車は西城(20:30-30)に停車して33分後に三原(21:03-04)に到着したので早いけど今夜はこれでベッドに入る。就寝中の停車駅と時刻は以下の通り(*は運転停車)・・・尾道(21:15-15)・福山(21:30-31)・新倉敷(21:55-56)・倉敷(22:04-05)・岡山(22:17-19)・姫路(23:21-23)・大阪(0:33-36)・米原*(1:52-55)・名古屋*(2:50-53)・浜松*(4:02-04)・静岡(4:58-5:00)・熱海(5:53-54)。

 

目が覚めたのは丹那トンネル内で爆音(隧道内の反響音)を上げながら爆走してたのでその音で目が覚めたものと思われるがベッドから起き上がって窓から景色を確認したのは熱海停車中であった。よって米原駅で「サンライズ出雲・瀬戸」が先行したのも夢の中で全く気が付かなかったけど良く寝れたので今朝は清々しい。日の出時刻が5:33なので既に外は明るく、湯河原通過(5:59)から通路側の椅子に座って早川通過(6:10)まで相模湾の海岸など車窓を楽しむ。青い海と温州みかん畑の色彩がなんとも見事で早起きしてよかったと思う瞬間であった。

 

小田原駅を通過(6:11)してから4号車のラウンジカーにある自動販売機で缶コーヒーを買ってソファーで景色を見ながら飲み終えて寝台に戻ると平塚を通過(6:27)し、大都市近郊区間東京近郊区間に入った。馬入川(相模川)を渡ると終着東京駅まで60分の距離なので洗面所へ赴き、顔を洗って歯磨きを済ましてから浴衣姿からワイシャツ&ネクタイしてスーツを着てから下車準備に取り掛かる。大船(6:45)を通過すると大船観音寺曹洞宗の寺」観音さまが見えて戸塚~横浜間では煉瓦積みの清水谷戸隧道を出ると5分で横浜(6:59-7:00)に到着。

 

朝7時だとラッシュアワーになるけど本日は土曜日なので並走したり、追い抜く京浜東北線北行電車の車内は空いてて立ってる乗客も少なめである。川崎を通過(7:08)すると多摩川を渡り、いよいよ神奈川県から東京都へ入ったが、とにかくお腹が空いた。上りあさかぜは車内販売がないので致し方ないのだがデッキに出て携帯電話から家に電話して朝食を食べるから残しておいてとお願いする(苦笑)。品川駅を通過(7:19)すると品川運転所脇を暫く通過するがブルートレイン「瀬戸」「出雲3.2号」の廃止でここも寂しくなってしまった。

 

いよいよ小郡~東京間・1027kmのブルートレイン「あさかぜ」旅も終わりで新橋~有楽町界隈の景色が見えてくるとホッとする一方、降りたくない気持ちもあるけどそれは一瞬の事で早く帰宅して朝ご飯が食べたい現実に戻って終着駅の東京駅10番線に7:28到着した。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★