夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 富士(B1)

1997年4月26日(土曜日)、 東京駅9番線ホームで寝台特急「富士」の入線を待っていた。勤務先の1997年ゴールデンウィークは4月29日から5月5日であるが早期に4月28日(月曜日)に年次休暇(有給休暇)を入れて場合によって4月25日の寝台特急「あさかぜ」乗車とレール&レンタカーの適用が可能に準備はしておいた。美祢線DD51貨物と山口線DD51重連牽引貨物の事をK君に話すとK君も話しに乗って来て4月26日の宇部空港まで飛行機と割安レンタカーはK君の勤務先で手配するから日曜日の早朝に厚狭駅に到着する「富士」で来ればいいよと言われて急遽「富士」のソロを手配。

 

都合10連休になった今年(1997年)のゴールデンウィークであるが「富士」12号車乗車位置で待機していると16:45に南宮崎行きの「富士」が入線したが東京駅から下り富士に乗車するのはこれが人生初めてである。扉が開くと12号車に乗り込むと熊本運転所のオハネ25-1005で3番個室に荷物を置いたら発車までの10分間に機関車確認と冷えたビールの購入があるので意外と忙しない。牽引機は下関運転所のEF66-42、通常下関運転所のブルートレイン牽引運用は45号機から55号機が主に運用に入るのだが検査や不具合などでの降板交代運用だろうか?

 

ホーム売店で缶ビールの500mlとカップ氷を買うと発車ミュージックが流れており、適当な号車から乗り込んで何とか12号車まで辿りついた。まだゴールデンウィーク前なので車内は空いているけど喉はカラカラなので購入したビールをひと口飲むと落ち着いたがノックがしたので扉を開けると車掌の登場で寝台特急個室券と往復きっぷより安くて購入した「津和野・秋吉・萩フリーきっぷ」を呈示して個室のルームキーをもらう。八重洲口のコンビニで購入したフライドポテトでビールを飲み、カップ氷には持参してきたウィスキーのミニチュア瓶でツマミは6Pチーズで楽しむ。

 

横浜(17:21-22)を発車してもまだ日は高く、本日の日没時刻は熱海発車後なので暫く明るいけど下りではよく乗る「はやぶさ」では大船駅の手前で日没になるから今日は楽しみだけどソロ個室の窓際が山側なのが何とも残念。さて何で今回美祢線山口線DD51貨物を撮影しに行く事になったか説明しよう。美祢線DD51単機牽引ながらセキ600やセキ800の石炭石貨物で昔の北海道炭鉱貨物を彷彿させてくれる。一方山口線DD51重連貨物は小郡駅(現新山口駅)から山口線経由で益田から山陰線で江津駅まで風光明媚な山沿いから日本海沿いを撮影できるが自分が嫌うDD51の800番台だった。

 

普段からA寒地装備のDD51-500番台(500番台とは501~799と1001~1193)ばかり撮影しているとどうも800番台の装備や面構えが、軟弱で今まで無視して放置していた。しかし美祢線貨物もそう長くない事を知ると嫌いなDD51の800番台でも記録は行いたい訳で今回の撮影行きになったのである。車窓を眺めながら飲んでいると携帯電話にK君からの連絡が来て明日早朝6:40到着時間に厚狭駅で待っている件と明日の撮影プランを聞いて通話を切ってアンテナを収納した(当時の携帯電話にはドコモだとiモード携帯中期まで引っ張り出すアンテナが付いていた)

 

夕飯にはまだ早い時間だけど辻堂駅を通過くらいからチキン弁当を食べるが東海道ブルトレのソロでチキン弁当を食べるのは久々である。小田原駅を通過すると個室から出て通路側の椅子に座って早川駅から湯河原駅相模湾を眺めながらちょうど通りかかった車内販売から冷えた缶ビールを求めて飲みながらまったりする。この日の三島市の日没時刻は18:26なのでまだ暫くは明るいので車窓が楽しめそうだが熱海(18:22-24)に停車して伊東線来宮駅横を通過すると「富士」は丹那隧道に進入。丹那隧道を出ると日没時刻を回っているので周囲は暗くなってきたけどようやく夜行列車らしくなってきた。

 

そういえば丹那隧道を高速走行中に12号車は横揺れ以外にピッチングみたいな揺れを感じたが4月11日に出張の帰りに乗った寝台特急「出雲4号」では異常な横揺れやピッチングは感じなかったが台車に不具合あるのか12号車の11号車側と13号車側に取り付けてある平行ダンパに問題があるか線路やバラスト状態に不備があるのであろう?。沼津(18:41-41)で12号車は4人ほど乗り込み、富士(18:56-57)でも乗車があったが仕事が終わった後に乗る夜行列車としてはこの時間でないと難しいのが同じサラリーマンとして気持ちも分かる様な気がする。仕事終わりに定時退勤・駅直行でも18時以降だもんな。

 

国鉄時代の1列車「さくら」も東京駅からハンドルを握ってきた静岡運転所の機関士(現運転士)が乗務員交代する静岡(19:23-24)に到着。流石に静岡県の県庁所在地駅だけあって12号車にも5人が乗り込んで発車したがJR化後は東京~熱海は品川運転所が、熱海~浜松間は静岡運転所の乗務員が担当して寝台特急の静岡駅での乗務員交代は行われていない。夜の静寂「しじま」の中を列車は快調に牧之原台地を進むが車窓からは島田~金谷、金谷~菊川などの有名撮影地は分からないけど大井川や天竜川を渡る橋梁通過音で何となく分かる自分が怖いかも?。

 

浜松(20:18-19)を発車すると第一浜名橋梁で浜名湖を渡るが、ここは東京駅と大阪駅のほぼ中間で昔は東京発大阪行きの「つばめ」と大阪発東京行きの「つばめ」がこの橋梁付近ですれ違った逸話もある。東京駅を発車して4時間が経過、明日は6:40到着の厚狭駅で下車するため、まだ早いけど今夜はこれで寝台で横たわる事にしよう。就寝中の停車駅と停車時刻は下記の通り・・・名古屋(21:29-33)・米原*(22:33-35)・京都(23:21-23)・大阪(23:52-55)・三ノ宮(0:18-19)・岡山*(0:58-2:00)・広島*(4:06-08)・岩国(4:42-42)「*は運転停車」。そう言えば兵庫県内のスラブ軌道を高速走行中にもピッチングみたいな揺れ現象が発生している。

 

朝目覚めたのが防府駅通過くらいで早いものでもう山口県まで来ているが朝の洗面やトイレを済まして下車準備を終らせていたら小郡「現新山口」(6:09-10)に到着。小郡を発車すると山口鉄道部(旧小郡運転区)が見えて構内には「SLやまぐち」用の12系客車や下関地域鉄道部のDD51が停まっていたが「SLやまぐち」用のC57-1は庫の中に格納されているので見えなかった。当時の厚狭駅は新幹線が停車する前の旧駅で早く改札に出れるように撮影機材他を担いで12号車からやや真ん中の号車デッキまで移動して厚狭(6:40-41)到着まで待機して扉が開いたらすぐに降りて改札まで急ぐ。

 

改札口にはK君がスタンバイしてて朝食も取らずに美祢線・湯ノ峠~旧松ヶ瀬信号所~厚保のロケーションがいい撮影地に移動して早速DD51がセキ600・セキ800他を牽く石灰石専用列車(長い編成)を撮影した。期間中、終日美祢線DD51がセキを撮影する日と早朝の山口線DD51重連を宮野から折居(DD51重連山口線内のみ)まで車で追いかけしながら撮影して午後は美祢線に戻ってから撮影する日に分けて実施。山口線内のDD51重連牽引貨物は暫く安泰だけど北海道の石炭輸送で使い終わった黒いボディーに黄色いラインが入ったセキ600やセキ800での石灰石輸送は1998年?で終るので美祢線を優先に撮影した。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★