夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 北斗星2号(B1)

1998年9月14日、  朝から周遊きっぷの"札幌・道南ゾーン"で1人旅を楽しんだ後に札幌駅5番線ホームで上野行きの寝台特急北斗星2号」の入線を待っていた。特急「スーパー北斗20号」が発車した6分後に手稲(札幌運転所)からの回送1列車が接近して17:01に函館運転所のDD51重連総括(1054+????)「A106+A102運用」牽引で入線。扉が開くと早速5号車6番のソロ(オハネ25-552)に乗り込んで個室に荷物を置いてホームで飲み物を購入してから車内に戻ると発車まで残り4分を切っており、流石に7分停車で次位(機次)の機関車番号確認と見物は時間的に難しい。

 

そうこうしている内に寝台特急北斗星2号」は17:13に札幌駅を発車、藻岩山や大倉山を見ながら高架から地上に降りると苗穂運転所と苗穂工場が見えて来ると豊平川を渡る。平和駅の先で千歳線と函館線と別れたところで車掌が訪問して切符類を呈示して札幌駅で購入したやまべ鮭寿司(680円)をつまみにサッポロ・クラシックビール缶を飲む。札幌駅を17:06に出た普通1798Mを北広島駅で抜いて南千歳(17:47-48)に到着するとちょうど日没時間で美々駅「現美々信号場」では札幌駅を16:51に発車した普通2796Mを抜いた。苫小牧(18:08-09)を発車すると外はすっかり暗くなって北海道の秋の夕暮れは早い。

 

前回「北斗星2号」に乗ったのは1998年6月5日でこの時は出張の帰りだったけど日没時間が19:09で黄金~稀府間で向かえたけど流石に3ヶ月以上遅くなると日没時刻ゾーンの駅は南千歳まで狭まる。札幌駅近くのスーパーで買ってきたデリカおつまみで二本目の缶ビールを飲み終わった頃に登別(18:40-41)に到着。既に車窓は真っ暗で富浦界隈の海岸は見れないけど鷲別機関区の広いヤードを通過すると東室蘭(18:55-57)に入線。北斗星5号で乗った9号車ソロ1階(オロハネ25-500番台)に比べると北斗星2号の5号車ソロは1階部屋は荷物室の空間があるため、足が伸ばせて心地いい。

 

東室蘭を発車すると待望の非電化区間に入るけど車窓は全く見えないので追加の缶ビールを買いに行って札幌駅で別に購入した"ほたて弁当(750円)"で夕飯にしたけど今夜も節約のためにパブタイムはパスである。闇の車窓の中で一瞬に小駅を通過したのが北舟岡駅だと分かったが7年か8年くらい前に夜の北舟岡駅の跨線橋の上で上り北斗星を後追い流しバルブ(長時間露光)撮影をした事があるけどそんな思い出を考えながら列車は伊達紋別(19:17-17)に到着した。伊達紋別駅では5017D「北斗17号」とすれ違ってすぐに発車したけど伊達紋別は1986年11月1日に廃止された国鉄胆振線の基点駅でもあった。

 

列車はこの先、有珠~北入江信号所~洞爺の単線区間を走って洞爺(19:29-30)に到着すると2列車の到着を待っていた高速貨物3053列車が動き出して札幌貨物ターミナル駅へと向かったがDD51の運用なのに何故か、DF200牽引であった。1991年に初めて北の台地へ投入された試作機のDF200-901が来て早7年、現在12両まで増えて石勝・根室線向けに1運用、五稜郭~札幌(タ)間向けに8運用が動いており、増備が増えると共にDD51の休車や廃車扱いの部品とり用になって北海道の非電化貨物の主力がDF200になる前にDD51の撮影で近年中に渡道したいなと思う。

 

洞爺を発車すると豊浦、大岸、礼文と海沿い近くを走って室蘭本線の中でも特に私の好きな区間であるが車窓は漆黒の世界だけど月が綺麗なので暫し、月と漆黒の闇の中の海岸でも眺めるとしよう。豊浦、大岸、礼文の詳細時刻は分かるが小幌駅の通過時刻はJR北海道の公式にも記述はなく、DD51の運転士が使うスタフ(動力車乗務員時刻表)にも記述がなくて、JR室蘭線2分目ダイヤグラムから推測するしかないのだけどその小幌駅を一瞬に通過すると静狩駅・旭浜駅「2006年3月18日 廃駅」も通過して長万部(20:01-01)に到着した。

 

そろそろ個室で1人過ごすのにも飽きてきて持参したMDウォークマンで車内で聞くために編集した繋ぎ目なし(曲と曲の間がfade-in/fade-outで編集)の曲を聞きながら目をつぶりながらうとうとしていたら八雲(20:25-25)と森(20:52-52)は音楽を聴きながら寝ていたのか気が付いていたら森駅を発車して砂原線を分かれるところであった。姫川駅「現・姫川信号場」で高速貨物3095列車と交換、大沼駅を定時通過すると仁山駅の先で函館の街夜景が望める場所から100万ドルの夜景を一瞬だけ拝んで渡島大野「現新函館北斗」では4637D「森行き普通列車」と交換すると函館(21:39-46)に到着した。

 

函館から連結される青函運転所のA102運用はED79-12を確認して函館駅のホーム自販機の"よつ葉牛乳"を購入して車内に戻ると発車2分前であった。自分も浴衣に着替えて寛ぎながら牛乳を飲んでいると函館駅を発車して進行方向逆に進むと五稜郭から江差線に入る。茂辺地で3085列車と交換すると泉沢(22:20-21)では運転停車にて1021M「はつかり21号」と交換退避。木古内を通過「22:29」すると流石に眠くなって来たので早いけど休もうと思うが1998年の寝台特急乗車といえば出張での利用が殆どで早寝早起きが常になって習慣になっている。

 

就寝中の停車駅と時刻「*印=運転停車」・・・蟹田*(23:38-40)・青森(0:05-13)・盛岡*(2:38-40)・一ノ関*(3:31-43)・仙台(4:49-51)・福島(5:50-52)。目が覚めたのは松川通過(6:04)くらいで歯磨きと洗面を終えてからロビー室に移動してグランシャリオ側で待つと6:30少し前にアテンダントから呼ばれて席に着くと丁度郡山(6:31-33)に入線した。和朝食と食後の別会計コーヒーも注文して待つとすぐに和朝食が運ばれて味噌汁をひと口啜ってからおかずとご飯を頂くが文句なく、安定の美味さだ。コーヒーも頂いて会計を済ませてから1号車のオハネフ25の展望区画で牽引機を確認すると田端のEF81-79でした。

 

5号車ソロに戻ると交直電源切換がある黒磯(7:18)を通過してAC20kV(50Hz)からDC1.5kV区間へ入ると宝積寺~氏家、蒲須坂~片岡、片岡~矢板などの上り「北斗星」の撮影地が多い地域を通過すると宇都宮(7:56-58)に到着。宇都宮を発車して赤い機関車(EF81-95かEF65-1118?)のみの単機回送とすれ違ったけど予定臨で言えば8101レスジの列車だろうか?(帰宅後に調べてみると乗務員ハンドル訓練であった)。下車準備をしながら荷物の整理をしていると早いもので大宮(8:54-56)到着である。大宮を発車すると京浜東北線を沿って走り、荒川橋梁を渡ると東京都へ入って尾久客車区と田端運転所を見ながら走る。

 

鶯谷付近から地平ホーム入るため、数多くのポイントを通過して9:21に上野駅14番線ホームに定時で到着・・・1998年最後の北斗星乗車の旅となりました。

       ★★★★★Memories of the night train★★★★★