夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 はやぶさ(前編)

移転する前のyahooブログでは簡単な感想を綴っただけの文章で詳細時刻や乗車客車番号は全く掲載しなかったお粗末なブログであったが一緒に「はやぶさ」へ乗車したM君の一周忌も過ぎているため、生前にこのブログの資料を送ってもらった弔いを兼ねて当時の資料を整理して新たに書き直したいと思う。機会を見てHatena Blogでも1977年10月に乗車した「瀬戸」や1978年8月に乗車した「富士」のフル乗車レポートを新たに書き直してみたいものである。

 

1978年7月29日(土曜日)土曜日の大学講義は午前中で終わりのため、一旦帰宅後に東京駅13番線ホームの南口階段付近でM君と待ち合わせた。僕にとっては初めての九州ブルトレ旅で気分が高揚してて約束時刻より早く着いたがM君も同じ様で顔を見合わせて笑っていたら隣の12番線ホームには1列車こと「さくら」が15:53に入線。さくら・はやぶさ・みずほ・富士・あさかぜ・出雲1・4号・瀬戸の牽引機は昨日(1978年7月28日)から東京機関区のEF65P(500番台・旅客用)から新製配置したEF65PF(7次車1096~1116)へ置き換わっており、「さくら」の牽引機はピカピカに光った新車のPFだった。

 

そして続いて13番線には我々が乗る「はやぶさ」の回送が入線する時刻(16:25)になるともしかして牽引機はEF65Pだといい記念になるのだが希望的観測の夢は儚く消えてPF1108がはやぶさのHMを付けてPF独特の甲高いホイッスルを鳴らしながら入線した。自分達は指定券に表記のある基本編成の6号車で待機していると約1年10ヶ月に投入された24系25形の新しい車両がホームに入り、6号車の扉が開くと早速オハネフ25-117に乗り込み7番下段と8番下段に分かれて二人とも窓際の席をキープする。指定券はM君が指定券発売開始の7日前朝から並んでくれて入手してもらった。

 

先頭に機回しした牽引機を見に行くが東京駅発着のブルートレインはEF65Pの方が似合うと思うが決してPFが嫌いな訳でもなく、ただ宇都宮運転所のPFはスノープロウや尾灯上にある通風孔があり、パンタも大きいので好むがPF4次車以降は好きになれない。売店で缶ビールや飲料を買ってから6号車内に戻ると乗客は殆ど増えてないのは東京駅の発車時刻が早いためで静岡駅、名古屋駅などから乗り込むのであろう。16:45、東京駅発車を祝って缶ビールで乾杯するが、2人とも20歳を迎えてるので大手を振って車内で酒を飲んだり煙草を吸う事が出来る(苦笑)。

 

24系25形に乗るのは1977年10月の「瀬戸」以来2度目になるけどやはり2段ハネの25形はベッドに座っても頭上が高いのがいい。横浜駅(17:11-11)を発車すると6号車にも数人が乗り込み、大船観音が見えてくると「はやぶさ」より7分早く東京駅を先に発車した337M静岡行きを大船駅で退避させ、相模川(馬入川)を渡って平塚駅を通過した頃に営業開始のオープニング放送が流れたのでM君と8号車の食堂車へ行くとオシ24-5だった。0系新幹線や在来線特急の食堂車は食べた事があるものの、寝台特急の食堂車は初めてである。海が見える進行方向左側のテーブルに座り、メニューを見て考える。

 

まだ夕飯には時間的に早いので瓶ビールを注文して皿うどんをツマミに飲んで〆は焼肉定食なんかを頼んでしまうところがまだガキであった。帰路の「富士」では予定どうり関門定食を食べる事が出来たからいいがまだまだ甘いようである。小田原駅を過ぎると夕方の雰囲気になるが相模湾を見ながら食堂車でお酒や食事をする事に心地よさを感じて完全に嵌り、自分の鉄道趣味から関西発着九州方面の寝台特急は眼中から消えてしまったほどですっかり東京駅発着・食堂車営業中のブルートレインに魅せられてしまったのだ。

 

当時の食堂車夕食用の主なメニューは以下のとおり・・・ちゃんぽん 400円、皿うどん 400円、焼肉定食 750円、関門定食 800円、一口カツ定食 850円、幕の内 850円、グリルチキン定食 1000円、ハンバーグ定食 1000円、うなぎご飯 1100円、ミックスフライ盛り合わせ定食 1100円、シチュー・ビーフ定食 1200円他。小田原駅を通過して左手に相模灘の海が見えて来ると根府川の白糸川橋梁を渡って最高のロケーションを食堂車の窓から見つつ、食堂車を堪能していると熱海駅を通過する頃から夕暮れが迫って丹那隧道を出た頃には少しずつ漆黒の闇が迫って来た。会計を済まして自分にとっては初のブルトレ食堂車に充分満足して6号車に戻ると列車は静岡駅(19:13-15)に停車。

 

横浜駅発車以来、2時間2分もノンストップで走っていたのだが静岡駅では8名くらい乗り込み、乗車する時間帯もいいようだ。車内販売の冷えた缶ビールを飲みながら煙草を吸ってM君と鉄分の濃い話をしながらも明日「はやぶさ」が西鹿児島(現鹿児島中央)駅へ到着した後の予定などを話し合っていると静岡駅を出て2時間20分経過した次の停車駅でもある名古屋駅(21:35-40)に到着である。そういえば汐留駅を15:42に発車した熊本行き急行荷物列車「荷35列車」を大府~名古屋間で抜き去ったようだ。宮原機関区のEF58と浜松機関区のEF58重連の姿を目に焼き付ける事ができなくて残念。

 

既に車内販売は終えてる時間だし、当時は列車内に飲料自販機などなかったので5分停車を利用してホームの自販機で好みの缶飲料を購入してから車内に戻ると我が6号車も多くの乗車があって4割強くらいの乗車率になった。少し早いけど寝台をセットして浴衣に着替えて寝転がって小声でM君と話していたら岐阜駅(22:02-03)に到着したので明日も早いので就寝する。以降は就寝中の停車駅時刻・・・京都(23:35-36)・大阪(0:08-12)・三ノ宮(0:36)・糸崎(3:35)・広島(4:41-45)・岩国(5:19-20)。朝起きたのは6時少し前でトイレに洗面とハミガキから戻ったたらM君も起きていたので事を済まして着替えた。

 

はやぶさ」の基本編成は1号車のオロネ25を除いて厚狭からヒルネ対象になるのでその前に朝食を済ませようという考えで6:15くらいに8号車の食堂車(オシ24-5)へ行くと食堂車スタッフと車掌が朝食後のお茶を飲んでいたが少し待って6:20過ぎに向かい入れてくれた。朝のメニューは和朝食と洋朝食しかないので2人で和朝食を選んで運ばれて来た時に車内放送で食堂車オープンの放送が入り、続いて車掌のおはよう放送に代わった。和朝食はお料理盛り合わせ(鮭、蒲鉾、玉子焼き、山葵漬)にご飯・味噌汁・焼き海苔・香の物で別会計のコーヒーでお腹満足。

 

いつも自宅の朝はパン派のM君も東海道ブルトレ食堂車の和朝食は美味しいとベタ褒めだけど、会計して6号車に戻ると寝具やリネン類を上段寝台(結局朝までノンゲストでした)に投げ込んでカーテンを畳み、座席にするとは小郡(現新山口)駅(6:51-52)へ滑り込んだ。小郡といえば翌年の夏から梅小路機関車館で動体保存されてる蒸気機関車を整備して山口線でSL列車が運転されるらしい。小郡駅を発車すると30分で次の停車駅でもある厚狭駅(7:22-23)に到着するが6号車にはヒルネ客が数名乗ったけど早朝から2人して煙草の煙を上げている我々のBOXには誰も来ない(苦笑)。

 

今回のブログは物凄い文字数が増えたので来週へ後編として続きます。続きは1週間後に「寝台特急はやぶさ(後編)」としてUPします。

 

       ★★★★★Memories of the night train★★★★★