夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

臨時急行 八甲田(自由席)

1998年の夏季休暇の第1回目の4連休(7/30~8/2)は1998年の冬臨運行が最後となる、急行「八甲田」の乗車と撮影がしたくて序に撮影する「はくつる」や583系で運行される「はくつる81号」の撮影プランを同じ勤務先でも部署は違うN君に昼休みにランチを食べながらそれとなく6月くらいに計画を話していたらN君曰く、MOTOトレイン併結も今年の夏が最後だし、下りは先頭にハネフが連結されるので自分も参加したいと急遽話が決まって後日家族と調整して参加が決まった。帰路は同じく1998年の冬臨を最後に完全廃止になる急行「津軽」を考えていたのだが6/15発売された某誌にはお盆の運転さえなかった。

 

1998年7月29日(水曜日)、 4連休前夜だが上野駅13番線の「八甲田」8号車・乗車位置の前でN君と並んでいた。既に臨時急行「八甲田」は既に入線しているけど扉が、開いたのは21時30分くらいで早速、禁煙自由席の8号車に乗ると盛アオのオハ14-91で乗車待ち人数も少なかったので進行方向右側の席をキープするが、前の席を回して1BOX状態にした。途中で大勢乗ってくれば開放すればいいだけの話である。発車まで45分あるので牽引機の確認(田端運転所のEF651029)と売店で缶ビール(500ml)を購入して早速乾杯だ(発車6分前くらいに増結ビールを買いに行く目論み)。

 

流石に夏休み期間中とはいえ、水曜日発の臨時座席夜行急行は需要ないのか発車10分前なのに8号車の禁煙自由席は空席多数なのは需要がないのであろう?。同じ臨時夜行急行の「津軽」はお盆期間中も設定がなくて1998年の夏臨で上野から青森まで行く夜行列車は急行「八甲田」の他に特急「はくつる81・82号」(583系9B)と特急「あけぼの81・82号」(24系青森車9B)のみで寂しくなったものである。増結ビールをN君が買いに戻ると数分して急行「八甲田」(8105レ)は上野駅を22:16に発車したので500mlのロング缶ビールで再度乾杯をした。周遊きっぷは座席夜行の急行自由席に全区間乗れる恩恵も薄いのか若者の利用が少ないのが気になる。

 

ミニ周遊券やワイド周遊券が使えた1998年3月末までは自由周遊区間に入る前のエリアでも全区間急行列車の自由席が使えたのだが周遊きっぷになるとゆき券と帰り券は急行自由席が有料になって自分達も上野駅から青森駅まで自由席急行券はレール&レンタカーの1割引で購入したが、本当に周遊きっぷは使えない。下り臨時夜行急行「八甲田」に乗車するのは1996年以来、約2年ぶりになるが下り八甲田に乗るのはこれが最後になる筈である。大宮(22:42-43)を発車しても1BOXを開放する事も無い乗車率なので人気がないのであろうか?。

 

末期の臨時急行妙高81号(14系座席車)みたいで今年度で完全廃止もこれでは止むお得ない。N君は旧客や12系時代の「八甲田」は一番乗ったらしいけど臨時格下げされた「八甲田」に乗るのは初めてで、旧客や12系時代の八甲田はいつ乗っても程々乗車率があったのに翌日平日とは言え、夏休み期間中なのにこの乗車率は酷いと驚いていた。そういえば急行「八甲田」も年々上野駅を発車する時間帯が遅くなっているが旧客や12系で運行していた頃は上野発19:08前後、14系になると21:30発になり、1996年から上野発が22時台に変わった事をN君に説明していると小山(23:20-21)と宇都宮(23:43-44)に到着。

 

宇都宮を発車すると車内は減光されたのでもう寝ようかという事になり、寝る努力をすれど快速「ムーンライトえちご」のように暗い減光に比べて明るいし、すぐに寝れるか微妙ではあるけどウトウトはしたけど列車の制動で目が覚めたら黒磯(0:26-34)に到着。二人ともいそいそと先頭へ行くと黒磯まで牽引したEF65PFが外されて青森運転所東派出のED75-758が連結されたが発車1分前まで758号機を眺めてホームの自販機で飲み物を購入してから車内に戻ったが、ED75牽引の夜行列車に乗るのも久々である。この辺で寝ておかないと明日がしんどいので1BOX確保のままお互いに足を投げ出しあって寝た。

 

以降は就寝中の停車駅と発着時刻・・・一ノ関(4:33-35)・水沢(4:55-55)・北上(5:09-09)・花巻(5:21-21)。目が覚めたのは岩手飯岡駅付近であり、僕が起床した時には既にN君は起きていて仙台駅の運転停車10分間の時に後続の寝台特急はくつる」に抜かれたと報告。盛岡(5:51-6:00)に到着すると唯一の朝食購入駅なので早速3社(村井松月堂、伯養軒、むつ弁)のワゴンを見て回り、530円の"特製折とりめし"を選んだ。価格が価格なので鶏肉のソボロをご飯の上に乗せただけの弁当だと思っていたら盛岡駅を発車早々に二人で弁当を開くと鶏の出汁スープで炊いた炊き込み飯の上にスライスした鶏の照り焼きを乗せておかずにはコロッケ、焼売、鶏肉団子、フルーツ、香の物が付いていた。

 

味付けもあっさりしてて朝に食べるには都合がよくて美味しく平らげて満足したが近年は高い駅弁が、多過ぎて東京駅や上野駅では最低クラスが800円なのは物価の差だけでは無い様な気がしてならない。車窓から岩手山が見えてくると昔ED75牽引の「ゆうづる」を撮影した好摩岩手川口の撮影地を通過すると沼宮内(6:27-27)に到着して奥中山越えとも言われる御堂~奥中山に横たわる十三本木峠へと入る。かつての東北本線の最高地点に当たり、最大23.8‰(パーミル)が連続するこの区間は、蒸気機関車時代の同線では最大の難所であったがED75の登場で電源車込み13両まで牽引できる時代がきた。

 

小繋~小鳥谷の撮影地を車窓から眺めていると一戸(6:57)と二戸(7:03-04)に到着、朝ご飯でお腹が満足すると眠くなってくるのは仕方が無い事だが、昨夜あまり寝ていないN君は特に眠そうだ。金田一温泉駅目時駅の間にある馬淵川を渡ると岩手県から青森県に入ると目時(7:17)に到着した。N君は爆睡中であるがそろそろ明日と明後日に「はくつる」と「八甲田」を撮影する予定の苫米地~北高岩北高岩~八戸を通過するので起そうかと思ったら自分から目覚めてくれたので車窓から簡単にガイドしていると八戸(7:36-36)に到着した。

 

N君は再び船を漕ぎ出して夢空間へと入ってしまったが八戸駅では区間利用者が乗ってきたけど下車客もそれ以上にあったので車内は朝なのに閑散としていた自分も釣られて眠くなったので盛岡駅での駅弁+お茶購入した際に自販機で缶コーヒーも買っているので早速飲もうと缶を開けた音でN君は目を覚ましたので早速今日の予定を詰める。「八甲田」が9:07青森到着したら9時から予約してあるレンタカーを借りる所までは決まっているのだが奥羽線大釈迦鶴ヶ坂鶴ヶ坂津軽新城で「あけぼの」「日本海3号」を写して上りの「日本海2号」と「あけぼの」はその辺で撮影する事に決めた。

 

乗車した優等列車を沿線で風景を入れて撮影する事は100%出来ないのでどうしても効率が悪く、無駄な時間が増えてしまうのが難点だが今回は臨時「八甲田」最後の乗車になる公算が強いため、敢えて「八甲田」に乗車した。三沢(7:57-57)を発車すると車窓右側に小川原湖が見え始めて来ると野辺地はもうすぐで鉄道防雪林が、見えて来ると大湊線乗り換え駅でもある野辺地(8:22-22)である。1997年5月6日で運転休止になって1年が経過した、南部縦貫鉄道のホームを見ながら野辺地を発車すると1986年11月に新たに駅が新設された小湊(8:38)に到着。

 

そして車窓に陸奥湾が見えてくると海沿いに温泉ホテルや温泉旅館が立ち並ぶ温泉街に隣接した浅虫温泉(8:48-48)を発車すると陸奥湾の海岸沿いに列車は走り、青森駅へラストスパートを駆けると終着青森駅はあと僅かだ。東青森駅を通過ると青森信号場、青森運転所・東派出、JR貨物青森機関区線路が見えてると滝内信号場へ行く線路と分かれて9:07、定刻で青森駅に到着した。そういえば仕事での出張を除けば青森駅で降りるのは初めてかも知れない。

 

14系客車はこのまま臨時快速「海峡83号」(8143レ)に変わるのだが、レンタカーの予約時刻を過ぎているため(予約時に8~9分くらい遅れる事は伝えである)、急いで改札を出た駅レンタカーへ急ぐ。各種の手続きを終えてから、限定車予約したマツダデミオに乗り込んで出発。国道7号線を進み、途中から道道247号線にシフトして鶴ヶ坂津軽新城間の撮影地近くに車を停めて撮影地まで機材を担いで三脚と立てて「あけぼの」を撮影すると今度は大釈迦鶴ヶ坂の撮影地へ行く予定が時間的に間に合いそうなので国道7号線をさらに進み、浪岡~北常盤で「日本海3号」を狙った。

 

N君のために川部~津軽新城間の撮影地を回りながら撮影ポイントを紹介してお昼も済ましてから午後の上り寝台特急を撮影に大釈迦鶴ヶ坂にて85㎜望遠レンズでややサイド気味に「日本海2号」を撮影して81分後に来る「あけぼの」は当初の予定では鶴ヶ坂津軽新城で撮影する都合だったけど何とか光線が回りそうだったので同じ撮影地にて今度は200㎜望遠レンズでやや正面気味に狙ったらエロイ光線にギラギラ輝いて無事に撮影した。明日は朝から苫米地-北高岩で「はくつる」「八甲田」を撮影するために八戸市へ向かった。

       ★★★★★Memories of the night train★★★★★