夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

臨時急行 八甲田(自由席)

1998年8月1日(土曜日)、 全ての撮影を終えてレンタカーも返却して青森駅で臨時急行「八甲田」(8108レ)の入線を待っていた。既に今夜の臨時「八甲田」となる14系座席車の編成は臨時快速「海峡86号」(8144レ)として19:01に入線中だが、今夜は簡単な車内整備を行うために乗車出来るのは19:35頃との情報は得ていた。そういえば2年前の1996年7月28日に子供と上り臨時急行「八甲田」に乗車した際は、「海峡86号」が入線するとそのままの状態で車内整備や車内清掃もせずに「八甲田」へ仕立てちゃったけど2年後の今頃に同じ列車なのに体制が変わったのは何故なのだろう?。

 

早々と並ばなくても確実に希望の席へ座れるけど「八甲田」の発車が20:03発なのでホームの立ち食い蕎麦を食べて腹ごなしだけはしておいた。既に先頭には青森運転所東派出のED75-751が連結されており、751号機の牽く下り「八甲田」は今回の旅で満足のいく撮影ができたので騒ぎはしないけど人気のオリエントサルーン専用機でもあるが個人的にはもっとED75P型(1000番台)を撮影したかった。ホーム先端で751のバルブ(長時間露光)撮影からN君が戻ると車内清掃と整備が終ったのか、上り臨時急行「八甲田」(8108レ)の扉が公約時間に開いたので往路と同じ8号車のオハ14-91に乗り込む。

 

発車時刻まで約30分あるので発車前だけどN君と1BOXにした席で飲み始める。実は帰路の自由席座席車で帰るのがだるくて自分1人なら確実に特急「はくつる」のB寝台に魂を売ったであろうが、お互いに倹約しているので何とか掟破りをする破目だけは免れたが4泊の旅もようやく終わりを迎える事ができた。2日目の晩は八戸着が、遅かったのでフルフラットシート車での車中泊に3日目の晩は4800円の激安ビジネスホテルで思ったより、安上がりな旅だったが臨時八甲田もこれで乗り納めとなる。次回の北東北エリアの鉄道写真撮影は積雪期以外はマイカー移動になるだろう。

 

臨時急行「八甲田」に接続する快速「海峡12号」が到着しても乗り換える人は殆どいなくてどうしてここまで八甲田が人気がなくて腐っちゃたのだろう?。臨時列車格下げになっても暫くは人気があった列車なのにここまで落魄れてしまったとはショックなのだが僚友の臨時「津軽」が1996年のゴールデンウィークから消えて今年は一番混雑するお盆まで設定がない病みたいなものが「八甲田」にも取り憑かれてしまったのだろうか。どんな人気の列車でも臨時格下げして運転日数が年々少なくなると乗客からは忘れられてしまう事は過去にも「十和田」「おが」「天の川」などで同じ様な兆候で消えていった。

 

青森駅を20:03に定時発車したので発車間際に購入した缶ビールで乾杯しながら青森駅で購入した若どり弁当(820円)をツマミに飲み始める。価格の割にはこれと言った特徴もない駅弁だがぱっと見た目は野辺地のとりめし(700円)と変わらんが若鶏の照り焼きが多くて三角コーナーの橋休めも唐揚げや茄子など立派なおかずに変わっていたが割高に感じてしまう。とりめし系駅弁では立派に確立した高崎駅の鳥めし(800円)、横川駅の峠の鶏もも弁当(700円)、仙台駅のわかどり弁当(700円)、水戸駅の鳥めし(700円)など価格的にも内容的に味覚的にも満足する鶏めし系が多いのに割高感を感じてならない。

 

今夜も8号車は空気輸送的な臨時急行「八甲田」(8108レ)は浅虫温泉(20:18)と小湊(20:27)に停車しながら帳の降りた陸奥(みちのく)路を南に向かうが車内がこうも空いていると盛り上りに欠けるというものだ。気分だけでも盛り上げようと青森駅のホームで立ち食い蕎麦を食べた時に購入したワンカップ清酒。まだ12系座席車時代の八甲田や津軽が運行していた頃から立ち食いそば屋でそばを注文せずにカップ清酒カップ入り濁酒ばかり買うお客だと思われていた節があるけど今は誤解も解決済みだけど塩分濃度の濃い青森駅の立ち食い蕎麦は苦手なのである(顔馴染みの人だと味薄めに作ってくれる)。

 

お互いにこれが本当に最後の「八甲田」乗車になるので八甲田に纏わる想い出話で盛り上る。昔の繁忙期は自由席乗車待ちの列を各乗車口別にホームに対して縦に整列させて先発の列車ドア扱いが終ると所定乗降口に移動させていたとか旧型客車時代の「八甲田」は仙台回転車(1978.10.2で廃止)が連結されていたり、上り「八甲田」は青森駅0:03発なので夜行列車というより始発列車扱いで交通公社の時刻表東北方面から上野行き夜行列車抜粋から上り「八甲田」が消えていたり(※)想い出話は尽きないのだが、八甲田乗継で一番思い出されるのは青函連絡船である。

 

上り「八甲田」の伝統の乗継ルートだと札幌15:05(おおとり)19:24函館19:40(青函連絡船6便)23:30青森0:02(八甲田)11:06上野、だと記憶するけど北海道ワイド周遊券で特急自由席が乗れなかった時代は札幌から函館が急行「宗谷」や急行「ニセコ」だったと思う。更に夏に旧型客車で運行された「八甲田」は流石に暑くて毛嫌いして避けていたのも今では懐かしい思い出だ。1976年10月から季節列車の急行十和田下り1号(6201レ)や上り3号(6202レ)に14系座席車12両が投入されて青函連絡船への接続は劣るけど冷房の快適さには敵わなくて我ら八甲田派は裏切って夏季のみ14系ハザ十和田に浮気していた罰当りな俺。

 

なんてN君と「八甲田」の想い出をネタに語り合っていると列車は野辺地(20:41-42)を発車して三八上北(青森県東部を指す地域呼称)の三沢(21:05)を発車するとJR東日本.盛岡支社・2分目ダイヤグラムのA3判コピーと時刻表を眺めながら八甲田より青森駅を57分遅く発車した臨特電8002Mスジが自分らが乗ってる臨急客8108レをどこで抜くのか、N君が必死なって探している。時刻表では8002Mは盛岡発車時点では8108レとの差は21分に縮まるが8002Mの次の停車駅は宇都宮まで止まらないので途中時刻は分からない。盛岡支社2分目ダイヤグラムは一ノ関までしかスジが引いてないのだ。

 

実際に盛岡支社管内は東北線だと油島駅までだが一ノ関以南は書き込みがなく、今回の撮影旅行で仙台支社管内では撮影しないため、仙台支社管内の東北線・2分目ダイヤグラムコピーは持ってこないので分からないが、一ノ関駅まで8002Mと8108レの間に高速貨物3076レが入り込んでいるため、抜けずに仙台駅か福島駅で待機かも?と適当に答えたがこれは大嘘である事が帰宅後に分かる。青森県第3の都市である八戸市のお膝元駅(因みに八戸市の中心地は八戸線本八戸駅になる)八戸(21:23-24)に到着。八戸駅を発車すると朝の夜行を撮影した北高岩~八戸や苫米地~北高岩の撮影地を通過。

 

更に昼間583系はつかりED75貨物も撮影した諏訪ノ平~剣吉も通過すれど車窓からは暗くて確認できないまま三戸(21:40)に到着した。目時~金田一温泉青森県から岩手県に入るものの、途中での利用客が恐ろしく少なく、二戸(21:54-54)では8号車に乗った乗客は0人であった・・・これじゃあ完全廃止されても致し方ないけど急行「八甲田」栄光の時代であった1975年くらいから1982年6月22日までの輝かしかった足跡を知る者にとっては見たくもなかった凋落化の末路を見てしまい、動揺を隠せない。一戸(22:01)発車とともに車内は減光になったので2人で1BOX使って寝るとしよう。

 

以降は就寝中の停車駅と停車時間・・・沼宮内(22:32)・盛岡(22:57-23:01)・花巻(23:30)・北上(23:40-40)・水沢(23:55)・一ノ関(0:14-15)・黒磯(4:09-4:16)・宇都宮(4:54-55)。私は寝る体制に移って早々に寝てしまったがN君は盛岡到着はまだ起きていたそうで盛岡駅での乗車は予想に反して少なかったとの事であった。目が覚めた時には小山(5:16-17)入線間じかだったけど既に首都圏内に戻ってきている。ヒガハスこと東大宮~蓮田間の有名撮影地には多くの鉄道写真ファンが集結していたので本列車の臨時「八甲田」の牽引機がEF65-1118?と思ったが1号車の貫通扉までN君が確認から戻るとEF65-1107との由。

 

実は8月1日の朝に苫米地~北高岩で撮影した11列車「はくつる」が青森運転所のEF81でなくて田端運転所のEF8195が牽引してやってきた。所定は青森81牽引だけど多客臨や団体の臨客牽引が増えたり、検査などで有効機関車の保有台数が少なくなると田端のEF81が変臨運用として11~12列車の運用に入る事もあるのだ。なので11レが、田端EF81運用に入れば12レで戻って帰区する、今回の様なイレギュラーなケースになったのだと思われる。しかし今朝のヒガハスは朝霧が発生してISO50~ISO100のリバーサルフィルムで撮影するのは露出的に難しそうである。

 

大宮(6:04-05)に停車する直前に大宮駅のホーム先端にもカメラ持った鉄ちゃんが多くてこんな駅のホームで狙うなら大宮~浦和間の沿線から狙える場所が沢山あるのに駅の先端に群がる輩を見ると同じ鉄道写真ファンとして気持ち悪く見えるから不思議である。赤羽(6:19)を発車すると多くの鉄道写真ファンが待機していた、東十条駅界隈の撮影地を通過すると多くの脚立と三脚が並んだ激選地に知った顔が何名かいたけど一瞬に通過して京浜東北線の駅にもカメラを持った人が増えて尾久客車区と田端運転所の横を通過。10時間27分の臨時急行「八甲田」の旅も終り、上野駅13番線に定刻6:30に入線した。

 

N君に9分後にEF81-95に牽引された12レが入線するけど上野発の推進回送12レ発車時刻は6:52なので鶯谷駅で推回が狙えるよと混ぜ返すと昨日朝に苫米地~北高岩のS字カーブで正面にバリバリ光線を受けてギラついたEF8195はくつるをVに決めたので早く帰りましょうと余裕の笑顔だった。ここで「八甲田」の想い出夜行列車レポートは終りですが我々が乗った8108レを後発の8002Mがどこで抜くのかについては未解決である。自分が適当に答えてたのであるが帰宅後にJR東日本・仙台支社管内の東北線2分目ダイヤグラムを確認すると何と8002M(はくつる82号)が8108レ(臨時八甲田)を抜いたのは仙台駅でも福島駅(両駅は1分停車)でもなくて何と松川駅でした。

 

最後に本文上から47~48行目に記述した(※交通公社の時刻表東北方面から上野行き夜行列車抜粋から上り「八甲田」が消えて)件の1978年10月号時刻表・12ページをUPして下に貼っておく。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★