夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 八甲田(下り・自由席)

1996年7月27日(土曜日)、上野駅13番線で息子と青森行き臨時急行「八甲田」の入線を待っていた。7月27日から7月30日まで僕の勤務先は1回目の短い夏休みなのでGO・GOフリーきっぷを使って子供と3日間、JR東日本管内の新幹線や特急を乗り回そうと子供が発案したのでそれを実施する旅で2泊は宿に泊まると経費もかかるので夜行列車移動で「八甲田」を宿代わりにするだけで本日は上野6:00発の東北新幹線・始発臨時「やまびこ23号」で動いて一旦帰宅して風呂に入って着替えて夕飯を済ましてから上野駅まで戻ってきた。(やまびこ23号は途中停車駅が大宮と仙台だけの速達列車)

 

臨時急行「八甲田」(MOTOトレインのオハネ14とマニ50も連結)は7/26から運転を開始しており指定席が4両、自由席が5両で8号車と9号車が禁煙自由席なので8号車の乗車位置に入線1時間前から息子と並んで待っていると21:28に尾久客からの推進運転で回送8105レが入線した。上野駅からの夜行列車で発車48分前に入線するのは異例の早さだと思うが早いのに越した事がない。夏休みの土曜日という事で「GOGOフリーきっぷ」も使えるため、需要があるのか自由席はそこそこの人数が集まり、今宵は1BOX占領は無理なようである。

 

早速8号車の扉が開くとオハ14-49に乗り込み、進行方向右側の窓が広いシートに荷物を置いてから機関車を見に行くと先頭には田端運転所のEF65-1026が、連結されているのを確認してホーム売店で缶ビールと息子の好きな飲料を買ってから車内に戻ると半分以上の席は埋まり、1BOX貸切は諦めて正解だった。ビールが温くなるので発車前から乾杯して子供が家から持ってきたオヤツのベビースターラーメンをツマミに飲むとビールによく合うのが笑いだが上野駅を22:16に発車すると8号車の自由席は約7割が埋まった。

 

急行「八甲田」は1994年12月改正までは長年上野駅発車が21時台発(旧客や12系時代は19:10前後発車)だったけど改正後は22時台に変わっており、時刻が変わってからの下り「八甲田」に乗るのは初めてなのでワクワク感があるけど時間も遅いので子供を早く寝かすが、一向に寝る気配がなくて困っていたら大宮駅(22:42-43)を発車した。土曜日なので仕事帰りの乗車はなく、車内は80%以上が旅行者のようで中には乗り鉄しているような人も見受けられた。隣の20代後半の男性2人も会話の中に"14系"や"簡易リクライニングシート"という一般人が使わない言葉を使っていたのを私は聞き漏らさなかった。

 

息子もやっと寝てくれたので昼間に岩手県内で購入したワンカップ濁り酒が鞄に入ってる事を思い出して通路側のテーブルを引き出してちびりちびりと飲む。オハ14-49は青森運転所の車両なので通路側にも小型のテーブルがあって便利であるが、小山駅(23:20-21)や宇都宮駅(23:43-44)にも停車しながら「八甲田」は夜の静寂を抜けて北へ向かう。宇都宮駅を発車してから少し寝たみたいだけど黒磯駅(0:26-34)の停車で目が覚めたので機関車交換を見に行くと青森運転所・東派出所のED75-1035が連結されて車内に戻って黒磯発車を待たずに寝た様である。

 

次に目が覚めたのが運転停車の仙台駅(3:09-24)でホームの横を青い列車が通過するので一瞬寝ぼけてて分からなかったけど「はくつる」のテールマークが見えたので乗務員交代と「はくつる」を先行させるための運転停車だと分かったのであるが因みに運転停車の福島駅や上り臨時急行「八甲田」とのすれ違いが行われたであろう桑折~藤田の離合は夢の中。以降は就寝中の停車駅と時刻・・・一ノ関(4:33-35)・水沢(4:55-55)・北上(5:09-09)・花巻(5:21-21)。2度目の目覚めは盛岡(5:51-6:04)で車内放送で強制的に起されてめちゃくちゃ眠くて弱っていたが盛岡しか朝食が買えないのでまだ寝ている息子を残して降りた。

 

駅弁ワゴンから特製とりめし(村井松月堂・520円)と五色弁当(むつ弁・520円)と飲み物を購入して車内に戻ると息子は起きていた。車内に戻り、まだ眠いのでもう少し寝かせてもらいウトウトしていたら沼宮内(6:31-31)は夢の中で子供に起されると小鳥谷~小繋の十三本木峠の勾配を登っている最中だった。一戸(7:01-01)を発車すると息子に盛岡駅で購入した二つの駅弁を見せて選ばせたら案の定"特製とりめし"を選んでくれたので僕は五色弁当で2人で朝ごはんにする。食事中に二戸(7:08)に停車して金田一温泉~目時間で青森県へ入ると三戸(7:21-21)に到着。

 

苫米地~北高岩の有名撮影地を通過すると今日も何人かが三脚を立てて八甲田+MOTOトレインへカメラを向けてる人が何人かいたが今年のゴールデンウィークも自分はここで14系寝台車が3両連結された「八甲田」を撮影している。八戸(7:39-39)を発車すると前の席が空いたので回して1BOXにして靴を脱いで前の席に足を伸ばすと癒される感じがする。盛岡駅の自販機で購入した缶コーヒーを飲みながら息子に今夜も座席車の仮眠で大丈夫かと念を推すが座席夜行2連泊初経験の息子が心配になって一声掛けたのだけど本人は至って余裕の様だ・・・蛙の子は蛙みたいである。

 

流れる景色を見ながらぼーっとしていると寝不足により瞼がくっ付きそうになるけど今夜も座席夜行がツライところだ。ウトウトしながら外は暑そうな夏景色の車窓を眺めていると三沢(7:59-59)と野辺地(8:24-24)に停車して1997年5月6日で運転休止になる噂が流れている南部縦貫鉄道への乗り換えであろう鉄道ファン5~6人が8号車から下車した。日本最古の鉄道記念物に指定されている野辺地駅の鉄道防雪林を見ながら野辺地駅を発車するとまた居眠りが始まる。奥羽線と違って単調な東北線の景色は飽きてくるのだが息子は14系の窓ガラスに顔を付けるくらいに近付いて必死になって景色に注視しているのが対照的だ。

 

小湊(8:40)を発車して西平内駅を通過してトンネルを出ると待望の陸奥湾の海が右側に近づき、浅虫温泉(8:49)を発車すると更に海の横を走って息子も歓喜の声を上げた。この海を見て津軽海峡と早合点した20代前半の自分が恥ずかしいけど、むつ市脇野沢までは陸奥湾なのである。野内駅の手前で陸奥湾と別れると終着駅の青森駅までは15分なので下車準備を終えて青森到着を待っていると青森信号所を通過して滝内信号所と青森駅へ向かう線と分かれると9:09に青森駅へ入線した。臨時急行「八甲田」(8105レ)は青森9:39発、臨時快速「海峡83号」(8143レ)函館行きに変身する。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★