夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 あさかぜ(Bネ)

1998年5月13日(水曜日)、  急遽山口県下松市まで出張の破目になり、今からでは羽田空港18:25発の山口宇部空港行き最終便・ANA699便には間に合わない公算が強いため、「あかかぜ」しかないなと新幹線の時刻表ページを捲りながら少し思案して上司から許可をもらって自分の仕事をしながら明日の出張で使う資料のコピーを用意しながらギリギリまで残業して東京駅に向かう。みどりの窓口で禁煙車でマルスの指定席発売プログラムでは一番最後に売る2号車の禁煙車で頼むと余席が大量にあるので中ほどで隣の下段と上段がまだ売れてない編成中ほどの下段を発券してもらう。

 

ついでに夕飯がまだなので駅弁を探すがチキン弁当がない、東北新幹線乗り場近くの売店には何とか残り1個見つけて早々に会計してから東京駅10番線ホームの2号車乗車口に辿り付くと回送7レが18:49に入線するところだった。扉が開いて早速2号車に乗り込むとオハネ25-207で指定された席に鞄を置いて11分間の停車時間を利用して牽引機を確認すると下関地域鉄道部・下関車両センターのEF66-43だった。EF66原色は富士やまだ牽引機会がないけど日本海のマークも似合いそうだ。ホーム売店で缶ビール他を購入して車内に戻れば発車2分前を切っていたのには驚き。

 

仕事としての出張なのにブルートレインに乗るといい歳してついついハイテンションになってしまうのが恥ずかしいけど仕事なのにどうしても自分のペースに持って行きたくなる癖があるのは困りものである(苦笑)。発車早々に缶ビール500mlを空けて車窓に乾杯するが家族や友達との夜行列車旅もいいが、やはり1人で夜行列車を味合うのが最高だとつくづく思う。さっきまで仕事に終われていたのに僅かな時間差でスーツを脱いでワイシャツ姿で今は寝台特急「あさかぜ」の車内で缶ビールを飲んで寛いでるアフターな時間は大好きなんて考えていたら車掌が回って来た。

 

東京駅を19:00に発車して有楽町~浜松町のオフィスビルを眺めながらもう何回も書いてるけど東海道線普通列車の車内で見た風景と違う様に見えるブルートレインは異空間なのだなと自分に納得しながらもう1本の缶ビール(500ml)を飲みながらチキン弁当を食べる事にする。実は東京駅中央コンコース・新幹線口売店で最後の1個だったチキンを弁当を購入した際に実は別に狙っていた人がいてその人はチキン弁当か他の弁当と思案してた時に自分がタッチの差で購入したので買えなかった人はやられた~的な顔をして思わず笑いそうになったが美味しく頂きました。

 

横浜(19:26-27)を発車して左手に当時は日本で一番高かったビルでもあるランドマークタワーが見え、清水谷戸隧道をぐぐると大都会から抜けて住宅地といった感じであるが相変らず2号車は空気輸送だ。それでも5号車と6号車はそこそこ乗っていたし、やはり2号車はマルスの妙技らしいが自分はそれを裏に取って指定券入手している訳なのだが。本日の「あさかぜ」に電源車のカニ24-100番台は連結されていないので1号車は荷物室が付いたオハネフ25-302、4号車はパンタグラフで集電したのち静止波インバーターで適正電圧に変圧する装置が搭載されたラウンジカーのスハ25-301が連結されている。

 

列車は東京駅を発車してちょうど1時間経過した時に茅ヶ崎~平塚間を走行中でまだ1時間経過とは信じられないくらいに「あさかぜ」車内は快適で運転もムラのない滑らかな走行に感謝。小田原駅を通過(19:20)する際に「あさかぜ」より10分早い、18:50に東京駅を発った伊東行き535Mを退避させて抜かす。早川駅を通過すると街並みの灯りが、急に減って玉川橋梁や白糸川橋梁を渡るとカーブの感じや橋梁走行音で分かってしまう自分が怖い。そういえば3~4日前の土曜日と日曜日もこの界隈(早川~真鶴)でAM5時台通過の「出雲2号」から「銀河」「出雲4号」「瀬戸」「あさかぜ」までの写真を撮影していた。

 

熱海(20:38-38)を発車するとJR東海・静岡運転所の運転士が担当する区間だけどどんな運転になるか楽しみである。シャワーを浴びに4号車のラウンジカーへ移動すると1回も使われた事がないカウンターにシャッターが下りてて滑稽。シャワーを浴び終えて自販機で缶入り水割りを購入して寝台に戻って一気に飲み干す(喉が渇いていた)。そういえば下りの「あさかぜ」に乗るのも久々で出張から帰宅後に調べてみると1995年1月10日の何と3年4ヶ月振りである事が分かり、この時も下松の某H製作所笠戸事業所であった。

 

1994年12月3日「あかかぜ1・4号」「みずほ」が消えて今年の夏には「出雲3・2号」と「瀬戸」が事実上の廃止となって残った「出雲1・4号」も出雲市~浜田間が、廃止で東京駅発着の寝台特急群も随分寂しくなってしまうのが、気にかかるけど繁忙期以外のB寝台は利用率も低く、「出雲3・2号」と「瀬戸」が、個室中心の夜行列車になるのは嬉しいと思ってる人は多いみたいだけどやっぱり自分としては青い機関車が青い客車を牽引する夜行列車が最高だと思っているけど風情だけでは利用してくれないのだから致し方ないのだろうか?。なんて考えていたら眠くなったので早いけど寝る事にする。

 

以下は就寝中の停車駅と時刻・・・静岡(21:32-22)・浜松(22:28-29)・名古屋(23:41-46)・米原*(0:44-46)・京都*(1:33-34)・大阪*(2:05-08)・岡山(4:15-17)・福山(5:01-01)・尾道(5:17-17)・糸崎(5:26-26)・三原(5:30-31)「*=運転停車」。目が覚めて車窓を見ると三原駅に停車中で外は夜が空けて太陽が出ているので通路側の椅子に座って車窓を楽しむ。

 

ラウンジカーの自販機で缶コーヒーを購入してモーニングタイムを味わっていると列車は西条駅の街中を通過して八本木駅くらいから山の中に入る。この辺りは瀬野八(セノハチ)とも呼ばれ、瀬野~八本木間を略した読み方だが連続急勾配区間が続き、特に上り線は22.8‰(22.8/1000)の連続急勾配区間であり、専用の補助機関車を連結した区間でもある。瀬野駅を通過して呉線の線路と合流する海田市駅くらいから街が広がって広島(6:36-39)に到着した。3分停車なのでホームの自販機で緑茶500mlペットボトルを購入して車内に戻ると昨日の夜にコンビニで翌日まで賞味期限があるオニギリを朝食用に購入しておいた。

 

お茶を飲みながらオニギリを食べてお腹が満足したところで車窓を眺めると芸備線可部線の線路と分かれて阿品駅から瀬戸内海が見えて来ると宮島口(6:57-58)に到着。玖波駅から海と分かれて列車は岩国(7:16-16)に滑り込んだ。岩国駅で2号車にもヒルネ客が、数名乗ってきたけど感じからして通勤客ではなさそうである。岩徳線の線路と分かれて藤生駅くらいから瀬戸内海が近付いて来ると神代~大鼻の有名撮影地を通過。大島へ渡る大島大橋から海沿いをアウトカーブして西へ向かう寝台特急を俯瞰気味に写す昔から有名な撮影地だけど未だに訪問できていない。

 

寝台特急「あさかぜ」は柳井港駅までは瀬戸内海沿いを走っていたが一旦内陸に進んで柳井(7:41-42)に到着すると自分が下車する光駅まで近いので下車準備をして過ごしていると東海道線にもある同名の島田駅を通過すると定刻7:59に光駅へ到着した。「あさかぜ」を下車して8:25発の広発・小郡行き621Mの115系電車に乗り換えて1区間のみ乗車して下松駅で改札口を出てタクシーで出張先へ向かった。なおJR西日本管内では阪和線にも下松駅があるけどこちらは"しもまつ"と読む。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★