夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 出雲2号(B1)

1998年5月4日(月曜日)、 ゴールデンウィークラスト2日目となった4日の16時にレンタカーを返却し、出雲市駅に到着した我ら三人家族は土産店で最後の土産を買って車内で食べるおつまみ&オヤツを物色していた。寝台特急「出雲2号」の改札開始案内放送が聞こえてきたので早速改札からホームへ入ると出雲神西駅近くにある出雲鉄道部出雲運転区からの回送列車がDD51-1186に牽かれて入線してきた。早速3号車のオハネ14-301に乗り込み、改めて決めた個室に荷物を置いて往路に乗った「出雲3号」の個室カードキーでロックしてから、家内に買出しを頼んで自分は子供を連れて先頭の機関車を見学。

 

DD51-1186は4年前の1994年5月に山陰線・播但線のお召列車を牽引した栄誉ある機関車で21日の居組~浜坂と23日の竹田~姫路(播但線)でお召本務機を勤めた実績がある機関車なので子供にお召を牽引したロイヤルエンジンだぞとドヤ顔で説明しても鉄道好きな子供は浮かぬ顔をする。子供だからスマートなEF65PFやEF81は大好きなんだけどセンターキャブ凸型ディーゼル機関車は苦手な様でいつだったかまだ小学生低学年の時に札幌駅ホームで「北斗星2号」の入線を待っていたらDD51重連総括が爆音上げて入線した時は顔を背けた事があった。

 

尤も小学生が原色DD51恰好ええわ~、タブレットキャッチャーも汽笛カバーもあってVだ~っ・・・なんて言い出したら怖くなる。DDって何の略と聞き、自分がDynamic dieselと混ぜ返したらdieselのDに車輪4個のDでしょ?とマジ顔になる。DD51は車輪6個だが真ん中のは動輪ではない中間台車なので数に含まない点を説明するとニヤニヤする。発車時刻が近付いたので3号車車内に戻るが僕がDD51に興味を覚えたのは高校生くらいで釧路駅で夜汽車「からまつ」の先頭に立つ、DD51の天井から吹き上げている蒸気とファンが回る際、くるくる回るゼンマイ巻きみたいなのが魅力に感じたのである。

 

「出雲2号」の発車時刻が迫ったので3号車の個室に戻り家内の部屋に集合して16:55、発車と同時に軽く乾杯したが岐路の個室割り振りでは家内が帰りくらい宍道湖が見たいと強制的に進行方向左側の8番をGETして10番は子供に譲り、自分は何回も乗っているので進行方向右側の12番の個室に決めてあるが僕はまた座る席がないので席と壁の狭い場所に入って立ったまま缶ビールを飲んだ。すぐに車掌が回ってきて狭い部屋に3人入ってるのに笑いながらツイン(本日分は既に満席)を説明するがツインだと席に座ると車窓がよく見えない点を説明して前回乗車して不評だった事を話すと車掌は苦笑していた。

 

家族は宍道湖や中海の夕日を期待しているけど残念ながら1998年5月4日の日没時刻だと宍道湖どころか中海でも無理で淀江~下北条の海岸に近い車窓から海に夕日が沈んで赤く染まるシーンが見れればラッキーだと思っていた。しかし玉造温泉宍道湖に面した温泉宿の窓から真っ赤に染まった宍道湖を見て満足しているのだからと妻子に話しても列車の窓からも見たいとの事。狭い隙間の場所に立ちながら蒲鉾屋でばら売りしてた廉価なあご野焼き(飛び魚を原材料にした手作りのちくわ風)を丸かじりしながら缶ビールを飲み飲み、沿線の車窓をガイドして一家の長も大変だ。

 

沿線車窓ガイドをしていると宍道(17:10-10)を発車すると宍道湖沿いを走るが、まだ日は少し高くて、夕日にはまだ早いけど(日没までまだ1時間46分ある)それらしい雰囲気には見えなくもないが「出雲2号」だと9月22日から10月21日くらいが黄昏色に染まる夕日を楽しむには最高の季節である。宍道駅先から乃木駅手前の間が車窓から宍道湖を望むには一番のビュースポットだが自分も立ってるのが疲れてきたので解散して後は各自の個室で個々楽しんでもらう事にする。列車は宍道湖と分かれて松江(17:29-40)に到着、(特急「くにびき11号」と特急「スーパーやくも17号」との退避もあり、11分停車である。しかし11分停車は買物するには好都合だけど廃止が決まってるので特急優先ダイヤなのだ。

 

自分は一番前に歩いてDD51-1186「後藤寺総合車両所・DLA-12仕業」の勇姿を見に行くとB寒地「B寒冷地」仕様なので道内各区や東新潟機関区に長岡運転所所属のA寒地DD51に比べておとなしい風貌だけど500番台後期に見られるブロック式ナンバープレートやラジエターカバーの二分割や扇風機取り付けのキャブ屋根の突起二ヶ所など特徴がある機関車でもある。ちなみに1186号機は2011年のお召列車運転の本務機に選ばれてキャブ側のナンバープレートと区名札を入れて嫌がる子供を撮影してたら「出雲2号」のハンドルを握る米子運転区の乗務員が笑っていたのが対照的だった。

 

発車時刻が迫ったので3号車に戻って各自自分の個室で寛ぐ事にするが、本日出雲市駅までレンタカーを返却する時に米子駅を通った際に購入した、米子駅の駅弁くいしんぼう吾左衛門弁当を夕飯として配った(出雲市駅から乗ると出雲蕎麦とカニ寿司におかずがセットになった駅弁も流石に飽きた)。1人で食べてもいいのだが、毎日残業で帰宅が遅くて休日は友達と遊んでて親子の触れ合いも少ないので子供の個室へ行って一緒に会話しながら食べる。吾左衛門鯖寿司に大山おこわとカニちらし寿司に豊富なおかずが沢山入ってて1220円だったけど満足できる内容で出雲市の辛口純米酒天隠にこれまたよくあう。

 

子供と車窓を見ながら始めて山陰線に乗った1978年5月(日本一長い区間を走る鈍行列車・824列車・門司⇒福知山)に見た風景とは変わった場所もあるけどそうでない場所もある事を話すと意外と子供は興味ありそうにいろいろ質問してくるが旧型客車に関してもあまり興味は示さない。1年くらい前に信越線・横川~軽井沢間が廃止される前に子供を誘って旧型客車の「レトロトレイン碓氷号」に乗った時も窓を開けて風を浴びて車窓を眺める良さと峠の釜飯は喜んでくれたが旧客は今ひとつだった。スマートじゃない機関車や車両はどうやら好みでない様である。

 

揖屋~荒島間で中海が見えるけどまだ太陽は高くて夕日タイムは米子駅の先でないと無理でない事が、分かった子供も残念そうだけど子供は1人で楽しみたいだろうと思って自分は海が見えない12番個室に戻ると列車は安来(18:01-01)に到着した。安来駅米子駅の中間で島根県安来市から鳥取県米子市に変わると国鉄でいう管理局、JRでいう支社である米子鉄道管理局⇒米子支社お膝元の米子(18:11-13)に入線。ここで運転士は変わり、(同じ米子運転区の乗務員)車内販売員が乗り込んで鳥取まで乗務するので乗り込んで早々申し訳ないけど缶ビールを購入した。

 

米子駅を発車すると我が3号車のシングルツインとツインの個室はほぼ一杯になって空いてる部屋は調製席なのか鳥取以東に乗ってくるのか分からないけど今回の岐路はシングルツインが3部屋押さえられたのはラッキーだけどこのB個室と2号車のA個室は「出雲3.2号」がサンライズ化されれば余剰になるので噂の範疇では関西発着の14系寝台特急に組み込まれるけど14系で使うのか、24系化改造して25形寝台特急なんて話が流れていたけど「出雲3・2号」のシングルツイン、ツイン、シングルデラックスは14系15形で運行する「あかつき」に組み込まれる様である。

 

伯耆大山駅のホーム通過中に名峰大山(標高1,791m)が見えてきた。独立峰であり、日本百名山にも選ばれた中国地方最高峰の山でもある。淀江駅大山口駅周辺からも見えて特に大山口~名和間の阿弥陀川橋梁を渡った時に夕日に染まって見えた大山が圧巻であった。日本海側の夕日は見たのか気になって子供の個室へ行くと赤碕~八橋間の海沿いを走行中に夕日が拝めたそうである。18:53の日没時刻を過ぎると急に暗くなって夜行列車の雰囲気が濃くなってきたところで「出雲2号」は倉吉(18:59-19:00)に入線した。昔は倉吉から国鉄倉吉線というのが走っていたけど1985年廃止になっている。

 

走り出してすぐに町の風景から山の中か田んぼの中を走っているのだろうが外は真っ暗だけど周囲に民家が少ないので灯りが急に減るため、何となくわかるけど好撮影地がある泊~松崎も真っ暗で何も見えません。僅か3年前の1995年7月に開業した鳥取大学前駅を通過して暫く走ると急に街らしくなると5分停車の鳥取(19:39-44)に到着した。ホームに降りて立ち食い蕎麦店へ行くと子供もついてくるので明日の朝食に"元祖かに寿し"食べるかと問えば食べるとの事で残っていた2個を購入して列車に戻り、1個を手渡して家に持ち帰って朝に食べてもいいけど母親に半分取られるよ忠告しておいた(笑)。

 

鳥取駅を発車すると因美線の線路と分かれて鳥取駅から5.3km離れてダイヤでは19:51通過の滝山信号場(スイッチバック式)を探すけど真っ暗で全然分からなかったがポイント上を走行する音で何となく判断は出来たけど列車は山間部に入り、車窓もつまらなくなったので家族の部屋を訪れてみる。先ずは家内の個室からノックするとすぐに反応があってロックを解除してもらい、中に入るとBGMを聞きながらお菓子を食べて車窓を眺めていた。開口一番にこの個室は下りも上りも進行方向に向かって座れて窓も広くて景色が見やすくていいとの事だった。

 

普通のソロは寝台券が6,300円なのに対してシングルツインは2,870円も高い、9,170円もする事を説明すると多少高い方がいい。あけぼのソロみたいに狭かったり、設備が悪いのは最悪で2号車にはソフトドリンクの自販機もあるし、もっと早くこのような優れた個室に乗りたかったと家内からいい評価が出たのは珍しい。夢空間のES(エクセレントスイート)やあけぼのソロの酷評はそれは酷かったから(苦笑)。次に子供の部屋へ行くとノックしても反応がない・・・最後尾の1号車の展望スペース(折妻部分の貫通扉窓)へ行くと子供が後に流れていく景色を眺めていた。

 

楽しんでいるのを邪魔しても悪いので声を掛けずに自分は3号車12番の個室に戻ると列車は東浜~居組間で鳥取県から兵庫県に県を跨いで浜坂(20:19-19)に到着。久谷駅を通過するくらいに子供の個室へ行き、そろそろ余部橋梁だよと伝えて部屋にお邪魔する。餘部駅のホームを通過すると全長510.59m、高さ41.45m、アメリカンブリッジ社で製造されたトレッスル橋を渡り始めた。ここの橋を渡る時は1986年12月28日に宮原区の14系ロ.ロフ7B(みやび)が転落した事故を思い出す。回送列車だったので乗客が乗っていなかったのは不幸中の幸いだけど被害者が出たのは胸が痛む。

 

自分の個室に戻るとちょうど列車は香住(20:39-40)を発車したところで少し早いけど疲れたので横になる事にした。時おり聞こえるDD51のホイッスルを聞きながら今回の家族旅行で家族は楽しんでもらえたのか思案するが、するべき事は全てしたので悔いはない。まだ早いがもう寝てしまおうかと浴衣に着替えて個室の照明は落としてベッドに入ると運転速度が下がってカーブ区間が多いのか列車の台車から悲鳴みたいに軋みが聞こえるのは佐津~竹野~城崎のSカーブ区間を走っているのであろう。自分はいつの間に寝てしまったようだ。以降は就寝中の停車駅と時刻「*印は運転停車」。

 

城崎(21:04-05)・豊岡(12:15-17)・福知山(22:17-18)・綾部(22:30-31)・京都(23:49-57)・米原*(0:44-46)・名古屋*(1:47-49)・浜松*(3:05-07)・沼津(4:41-42)・熱海(4:59-5:00)。昨夜は21時前に寝てしまったので目が覚めたら湯河原駅(5:06)の手前だったので2号車の自販機で缶コーヒーと缶のお茶を買って子供の個室へ行くともう起きて寝台を座席に変えてる最中だったが真鶴~早川で見える相模湾の風景をかに寿しを食べながら眺める。思ったほど飯が固くなっておらずカニの味が飯に染みて意外と美味しくあっという間に完食である。大船駅を通過したら下車準備するんだぞと言い残し、ゴミは纏めて回収。

 

自分の個室で出たゴミも含めてデッキのゴミクズ入れに投入して先頭号車の8号車へ移動するとスハネフ14-24先頭の展望スペース(折妻部分の貫通扉窓)から牽引機を確認すると田端運転所のPF、EF65-1112だった。PFの7次車とも呼ばれる一番萌えない奴だが特に東京区へ集中配備したタイプはスノープロや汽笛カバーが無く、6次車からの改悪をそのまま引き継いだPFでもある。移動中に各号車をチェックすると一番乗車率がいいのは3段寝台のオハネ14で"出雲B3きっぷ"を使うと夜行バスの料金で寝台が使えてしまう激安企画乗車券で米子支社のみの発売になっている。

 

東京駅到着30分前となる5:57の清水谷戸隧道を出たら家内の部屋に行ってあと30分で東京駅到着の旨告げるとまさに起床したばかりの寝惚けてる家内が個室の鍵を開けた。列車は横浜(6:02-03)を発車していよいよ次が終着駅の東京駅なので部屋に忘れ物とか無い様に再確認させていると列車は多摩川を渡って東京都に入った。6日間なんて本当に終ってしまえばすぐなんだけど明日からの仕事の弾みにはなるから今回は家族で行けて本当によかったと思う。「出雲2号」は品川駅を6:19に定時通過して気が付いたら東京到着の車内放送が聞こえてきた。

 

今回が最後の乗車になるかも知れない「出雲3・2号」のシングルツインに家族で乗れて1人1部屋利用という満足で一杯。列車は定刻6:27に東京駅10番線ホームに入線したのでこのレポートもこの辺で終る事にしよう。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★