夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 出雲1号(Bネ)

1997年12月24日(水曜日)、 言わずと知れたクリスマスイブであるがあと15分で17時定時となる時に1本の電話がかかってきて急遽、島根県出雲市へ出張になってしまった。今日は早く帰宅して家で家族とクリスマスを行うべく、早く帰宅するつもりであったのである。家では嫁がクリスマスの夕べの料理にケーキが待っているのにいくら夜行列車が好きでも流石に堪える(苦笑)。羽田空港からの出雲市空港行きは最終フライトが17:40発の日本エアシステム279便には今から急いで行っても最終搭乗チェックイン時刻までに間に合わない公算が強く、寝台特急「出雲1号」しか残されてない。

 

のぞみ25号(17:52⇒21:08)・スーパーやくも29号(21:21⇒0:06)乗り継ぎという手もあるけど御免被りたい。無事寝台特急利用の出張許可も下りて出張準備も整い、最後に自宅に電話してこれから出張なので帰宅できない点とイブは子供と二人で楽しむ旨を伝えてからこれから街へ繰り出す独身社員や帰宅の帰途に就く既婚者社員とは全く別に自分はややムッとして東京駅へ向かった。みどりの窓口で今夜の出雲1号の禁煙B寝台で人が少ない区画を探してもらい、7号車の下段と乗車券をViewカードで購入して夕飯のチキン弁当と道中寿司(助六寿司)を購入してから改札に入った。

 

東京駅10番線ホームに上がると「はやぶさ」出たばがりで18:25に乗車する寝台特急「出雲1号」が入線すると7号車はオハネ25-224で指定された12番下段に鞄と弁当を置いて先頭に行くと出雲のHMを付けた田端運転所のEF65-1116でホーム売店で缶ビールを2本購入してから7号車に戻る。クリスマスイブに夜行列車に乗るのは初めてではないが、かつて家内と北斗星に乗った事があるけど出張で乗るのは人生初の経験である。何の因果かしれないけどヤレヤレだ。東京駅を18:34に発車すると有楽町や新橋のオフィスビルの明かりを見ながら車窓を眺めていると山下達郎のクリスマスイブが聞こえて来そうだ。

 

缶ビールを飲みながらまったりしてると品川駅通後、すぐに米子車掌区の車掌が回ってくると特急寝台券と乗車券を見せながらどのくらいの乗車予定があるのか聞いてみると3割強程度との事でしたが、はやりクリスマスイブに乗る人は少ない様です。出張でメリークルシミマスとなった訳だが、こうなったのも自業自得という事だろう。横浜(19:00-01)を発車すると2本目の缶ビールでチキン弁当を食べるがイブの夜にチキン弁当で一献してるのが情けないやら。帰宅してれば家内の手料理でワインでも飲んでいるのになんて今更言っても始まらないけど・・・。

 

しかしよく考えてみると下り「出雲1号」に乗るのは1年ぶりくらいで1996年9月30日以来でこの時も島根県出雲市への出張だったけど昔から「出雲」と「はくつる」は人気のある寝台特急でなかなか寝台券が取れない事で有名だったのだが「出雲」も落ちぶれてしまったものである。ビールを買いに5号車の売店(元食堂車のオシ24-702)へ行くと星空バー風の食堂車が見た目哀れに寂れつつある。星空バー風なんかに改造せずに日本食堂米子営業所が担当している頃が華で活気があったのにと思う。大山おこわ定食やあまさぎ南蛮漬けで飲んでいた国鉄時代が懐かしい。

 

食堂車の席に座って缶ビールを飲んだけど盛り上りにかけたので1本空けてからお茶も買って自分の席に戻ってから道中寿司(助六寿司)を食べると価格の割りにこっちの方が美味い。チキンの唐揚げにチキンライスのセットは僕的には脂っぽくて(と言いながら結構食べてるが)シンプルな巻寿司と稲荷寿司のセットだからまずいはずがなく、ビールの事を考えなければ道中寿司2個で充分だけどやはりおかずが欲しくなる。茅ヶ崎~平塚間の相模川(馬入川)を渡って神奈川県平塚市から神奈川県中郡を走りぬけ、小田原駅を通過すると急に民家の明かりが少なくなる。

 

明日から学校は冬休みになるので「出雲1号」にも若者のグループは乗ってるけど思ったり多くなく、用務客が目立つ程度だ。列車は全長199m、アンダートラスの白糸川橋梁を渡る音が聞こえてくるともう根府川まで来たのかと納得してしまう自分であった。根府川の鉄橋とも称される白糸川橋梁は1922年に竣工したが、翌年1923年10月の関東大震災により背後の山が崩落して土石流によって崩壊してしまう。1925年3月に新たに掛けられた橋が現在も使われている訳で鉄道遺産としても貴重なため、また橋梁上からの眺めが風光明媚なので1991年にかながわの橋100選に選定された。

 

湯河原駅を通過して県境の千歳川を渡り、泉越隧道を出ると熱海(20:06-08)に到着。2分停車なのでホームに降りると目の前に自販機があるので冷たい爽健美茶を購入して車内に戻って飲むが暖房が効きすぎてやけに喉が渇いてしまう。熱海駅を発車すると東海道本線では一番長い丹那隧道(7,804m)に突入して函南駅三島駅を通過すると沼津(20:25-26)に到着。客車が作り出すリズムを聞きながら車窓を眺めてボーっとしていると日頃の疲れが出てきたのか微妙に眠くなって来たので下段寝台を設営して静岡駅到着前に寝てしまった。

 

以下は就寝中の停車駅と時刻・・・静岡(21:10-11)・浜松(22:06-08)・名古屋(23:21-25)・福知山(2:53-56)・豊岡(3:54-56)・城崎「現 城崎温泉」(4:07-07)・浜坂(4:51-51)・鳥取(5:26-28)。目が覚めたら鳥取駅を発車する直前で8時間は寝た計算になるけど業務多忙で睡眠時間が短かったため、久々爆睡したので目覚めが気持ちいい。しばらく横になったまま過ごして6時にまだペットボトルに残っていた爽健美茶を飲んで歯磨きと洗面に髭を剃ってから着替え終わると列車は倉吉(6:05-06)に到着。外はまだ暗くて大山は見えないが車内放送で2号車から4号車まで米子駅からヒルネの座席利用になる旨の案内があった。

 

少しずつ空が東の方から明るくなって空の色のグラデーションが美しくなり、これこそ夜行列車での醍醐味だと思うのだが早朝の空の色の妙技は何回見ても素敵である。列車は米子鉄道管理局時代、そして現在米子支社のお膝元駅でもある米子駅(6:53-55)に到着したので2分停車を利用して朝めし調達へ向かうが2分では大山そば立ち食いは無理なので”大山おこわめし”を購入していただく。そういえば山陰本線といえば気になっている列車があった・・・鳥取を4:51に発車して小倉へ14:29に到着する急行「さんべ」(鳥取~米子・下関~小倉は普通列車扱い)だ。

 

実に運行時間9時間38分のロングラン、昼間の定期急行列車の中では一番走行時間が長く、全区間キハ28とキハ58の2両編成。前から乗ろうと思っていたのだが中々そこまで手が回らず内に1997年3月22日のダイヤ改正で廃止されてしまった経緯がある。朝めしを食べながら車窓を眺めていると列車は安来(7:05-05)を発車して荒島駅を通過すると進行方向右手に面積では日本で5番目に大きな湖沼である中海(85.74㎡)が見えてきた。揖屋駅の手前から中海から離れて列車は大きな街に入ると島根県の県庁所在地駅でもある松江(7:24-26)に到着。

 

流石に山陰地方を代表する大きな行政市になる駅なので7号車に残っていた乗客の半数以上が下車したので7号車に残ったのは自分を含めて10人くらいになってしまったが松江駅を発車するといよいよ車窓右手に東西約17km、南北約6km、周囲約45kmの宍道湖が見えて来る。島根県内では鳥取県境に位置する中海に次ぎ、2番目に大きな湖で、湖が形成されたのは約1万年前だと推定されている。列車は木次線の起点駅でもある宍道(7:49-52)に到着。宍道駅では快速通勤ライナー(3136D)と交換すると木次線のレールと分かれて宍道湖から離れて次が下車駅なので支度を済ませる。

 

やがて列車は出雲大社(正式には「いずもおおやしろ」と読む、「いずもたいしゃ」ではない)JR最寄り駅の出雲市駅(8:11-20)へ到着した。付属編成の5号車から11号車を切り離すため、9分停車するので先頭まで歩いて初めて牽引機のDD51を確認すると後藤総合車両所(旧米子運転所)のDD51-1105であった。改札を出て出雲蕎麦の立ち食いそばを食べてからタクシー乗り場から出張先の会社へと向かった。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★