夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 銀河(B寝台)

1997年11月28日(金曜日)、東京駅9番線ホームで寝台急行「銀河」の入線を待っていた。急行「銀河」と言えば出張の移動で乗る事が殆どだけど私用で乗るのは本当に久々であるが明日11月29日はJR西日本主催の「さよなら20系客車号」撮影のためである。2号車の乗車位置で待っていると22:54に「銀河」の回送である回101レが入線、早速2号車に乗車すると宮原客車区のオハネ25-66の下段に荷物だけ置いてホーム売店で缶ビールを購入してから牽引機を確認すると田端運転所のEF65-1105であった。因みに電源車のカニ24はトワイライトエクスプレス塗装で予備車が銀河の運用に回ったみたいである。

 

6分間の停車は瞬く間に過ぎて23:00定刻に東京駅を発車すると早速缶ビールを飲みながら始めて20系寝台に乗った頃を思い出す。1958年10月に20系は「あさかぜ」でデビューして39年間でその生涯を終えてのさよなら運転になるのだが500系「のぞみ」東京~博多運転初日と同じ日とは運命的な物を感じてしまう。自分も1958年生まれなので20系とは同期なのだがその所為か寂しさを覚えるけど元祖ブルートレインの運転がこれが最後とは残念である。車掌が回って来たので往復切符代わりで購入した京阪神ミニ周遊券と銀河の急行寝台券を呈示してしばし寛ぐ。

 

品川(23:08)を発車して京浜東北線を追い越したりしながら六郷川橋梁を渡り、川崎駅を一瞬に通過すると実家があって(現在はない)幼少の頃にブルートレインをよく眺めた矢向踏切を通過。ここの踏切で初めて20系を見たのは昭和40(1965)年のまだ暑い夕方で20系15両(電源車含む)の「さくら」を目撃した時だった。EF60-500番台が牽引し、パンタグラフ2丁を上げたカニ22を先頭にナロネ21・ナロネ22を2両連結して確かナロ20も連結してあったと記憶するが20系とのfirst impressionは衝撃的というか運命との出会いとうか印象的なシーンでその姿は今でも僕の瞼の裏に焼き付いている。

 

横浜(23:26-26)を発車後、ベッドに入って照明も落として目を瞑っても何故か寝られないけど音と車両の軋みで相鉄・西横浜駅横須賀線保土ヶ谷駅間にあるカーブとか車窓を見なくても分かるのが怖いけど大仙寺踏切から樹源寺踏切にかけての直線区間は横になっていても分かってしまうけど吸い込まれるような感覚だった清水谷戸隧道に入ったのは覚えていたけど寝てしまったらしい。就寝中の停車駅と時刻は大船(23:41-42)・小田原(0:14-15)・熱海(0:36-37)・静岡(1:48-55)・岐阜(5:01-02)・米原(5:45-47)・大津(6:33)、目が覚めたら京都(6:43-44)到着直前であった。

 

京都(6:43-44)を発車して日の出時刻を迎えても外は真っ暗で今日の関西・兵庫方面は天気が悪いのが気になるけど天気予報は当たっているようで岡山まで概ね雨天陽気なので気分的に盛り上がらないけど記録なので致し方ない。急いで洗顔と歯みがきを終らせて下車準備を終らせていると新大阪(7:13-14)に到着した。今回は天候が悪いため、RVPが入ってるカメラは置いて来たのでE100VS+1が入ってるカメラのみでの参戦となるので軽装備で気が楽。淀川橋梁を渡ると急行「銀河」は7:19に大阪駅3番線に到着。

 

大阪駅で友達の車に便乗させてもらって高速経由で出発するがどうせ晴れないので普段は逆光になるポイントでEF58-150が牽引する臨客9321レと回送を撮影したがEF58を茶色にする意図が分からない。60号機と61号機が御召列車牽引のロイヤルエンジンなので分かるけど89号機、150号機、122号機を茶色にするとネタになってしまうから撮影意欲がいまいち湧かない・・・元の色が一番いいのに。新神戸駅に送ってもらい、帰路は100系新幹線の118Aに乗って残り少なくなった2階建て食堂車で飲み食いしながら東京へ戻ったが食堂車も夕飯前だったので空いてて長居してしまった。

       ★★★★★Memories of the night train★★★★★