夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 銀河(B寝台)

1995年3月15日(水)、関西出張は本来なら1月中旬に計画されていたのだが、1月17日に発
生した兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)の影響を受けて京阪神の出張は暫く自粛していたが、3月になると状況も変わって大阪出張が決まり、3月15日は21時30分まで残業して勤務先に程近い店でお酒を飲みながら夕飯を済ませて東京駅へ向かった。 みどりの窓口で急行・寝台券を購入すると禁煙車の5号車と9号車の下段だけでも10枚以上の空席があるので乗客密度がやや少ない5号車の下段と往復乗車券(往復割引不適用)より100円安い、京阪神ミニ周遊券を購入して東京駅9番線ホームに上がった。


ホームに上がると22:54、ちょうど急行「銀河」の回送101列車が入線して扉が開くと5号車のオハネフ25-47に乗り込み、寝台に鞄を置いて先頭の牽引電気機関車を見に行くと田端運転所のEF65-1098が転結されて待機中であった。 せっかく立派なテールマークが、あるのに機関車全面に取り付けるヘッドマークが、無いとはやはり寂しく思う。 寝台専用急行なのだし、急行とは言え東京発着ブルートレインの立派な仲間なのに・・・以前は宮原区持ちのPFだったけどJRになって田端所持ちPFだから可能だと思うのだが如何か?。 停車時間の7分間はすぐに終了するので売店に立ち寄り、5号車の車内に戻ると急行「銀河」は定刻23:00に東京駅を発車して一路西へ向かう。


5号車・車内は3割の乗車率で下段寝台でさえ空席が目立つくらいで明らかに阪神・淡路大震災が尾を引いて寝台急行「銀河」も多大の影響を受けている感じである。 車内放送でも京都駅以降は到着時間が、増すとの事で神戸線複々線運転が、始まってない影響かと推測する。 有楽町から浜松町までのオフィスビル街を見ながら缶ビールを飲んでいると車掌が、巡回して来たので急行寝台券と京阪神ミニ周遊券を呈示する。品川駅(23:08-08)発車と同時にいつもの様に早々と浴衣に着替えていると多摩川を渡って、神奈川県に入り、横浜駅(23:25-26)を発車すると就寝した。

 

以降は就寝中の停車駅と時刻…大船(23:41-42)・小田原(0:14-15)・熱海(0:36-37)・静岡
(1:48-55)・岐阜(5:01-02)・米原(5:45-47)・大津(6:33)・京都(6:43-44)。 山科駅手前くらいで目が覚めていたのだが、二度寝して京都駅停車中に起床である。 京都駅発車が、遅れて京都6:45発の普通・播州赤穂行き、711Mを先行させたので2分くらい遅れての発車となった。 急行「銀河」は1時間遅れても出張のスケージュールには影響ないが、「銀河」の京都駅着は定時なのに711M先行は解せない。朝の支度をしながら下車準備を済ますと先行する711Mの高槻駅や茨城駅の停車により「銀河」の遅延が発生。

 

所定時刻だと新大阪駅(7:13-14)だが5分遅延の7:18に到着して7:19に発車。 そういえば下り急行「銀河」は新大阪駅を通過してた時代が、あったけどこのブログ作成をしながら調べてみると下り「銀河」は1991年から1992年の間に新大阪駅停車になっている。 新大阪駅を発車すると次は終着駅の大阪だが、遅延はそのまま5分間引きずって定刻より5分遅れて7:24に大阪駅3番線ホームに到着した。 この後、「銀河」は塚本信号所から北方貨物線経由で宮原操へ回送されたが、出張で下り「銀河」に乗るのは僅かであろう。

                      ★★★★★Memories of the night train★★★★★