夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 能登(自由席)

1997年10月1日付けで北陸新幹線・長野先行開業に伴う信越本線・横川~軽井沢間の廃止と軽井沢~篠ノ井間の第三セクターしなの鉄道)に経営移管されるのでこの区間をJRの夜行急行「能登」や特急「白山」「あさま」は通れなくなり、66.7‰の急勾配を控えた碓氷峠にEF63が補機の任に付く事もなくなるため、夏くらいには乗りたいと思っていたが夏休み期間中は急行「能登」が混雑するため、9月になってしまった。前回の急行「能登」フル乗車は往路の602Mだったので今回は下りの601Mに乗る事を決める。3連休は混雑しそうだけど第2土曜日は子供の学校も休みなので一緒に行くとの事。

 

1997年9月12日(金曜日)、 上野駅16番線ホームで急行「能登」9号車(禁煙自由席)乗車位置前にて発車2時間前から並んでいたが発車1時間前になると自由席の各列の待ち人数も増えて23:25に3036M折り返し運用(3036Mは上野に到着後、車内整備を終えて暫し待機後に601Mの回送になる)となる急行「能登」の回送が入線。扉が開いて乗り込むと金沢運転所のH-03編成でクハ489-3で進行方向右側の窓が広い方の席をキープして待っていると17番線に臨時急行「妙高」(189系9B)が入線した。ホーム売店でビールや子供の飲み物などを買って車内に戻ると「妙高」が23:55に発車。

 

23:58、「能登」は臨時「妙高」の後を追って上野駅を後にする。車内にはテープによる能登オリジナルのチャイム(おもちゃ笛を主旋律に使ったトイ的な鉄道唱歌)が流れ、これから停車する福井までの各駅の時刻が延々放送されていく。その途中にすでに日付が変わっており、闇夜の中を列車は進んでゆく。編成は普通車8両のグリーン車1両の9両編成で6号車は半車がラウンジ&コンビニエンスカーカー(非営業)、1号車はレディースカーなっており、自由席は5号車~9号車で他は指定席である。赤羽(0:11)と大宮(0:26-26)に停車。

 

急行能登ホームライナー的な性格と高崎線の最終電車を持ち合わせているので深夜帯の高崎線に入っても停車駅は多く、上尾(0:36)・桶川(0:41)・鴻巣(0:49)・熊谷(1:03-04)の各駅へ小まめに停車して熊谷駅を発車早々に車内灯が一斉に消され、代わって各照明グローブ内に1個ある豆ランプの深夜灯が点るが、減光というより消灯に近い。急行「能登」の普通車はR51改造の簡易リクライニングシートだが、1号車と9号車はR55系のフリーストップリクライニングシートなので楽だけどシートピッチ改善してないのであさまDX編成のアコモ改造車には敵わない。

 

上野駅を「能登」より3分早く発車した本庄駅運転停車中の夏臨「妙高」(9307M)を一瞬に抜き去り、深夜の高崎線を快走すると上野発車時点では満席だった9号車も急行券を購入すれば定期券で乗れる遅い帰宅者も下車したのか、高崎(1:33-34)到着するくらいには空席も増えてきたが3連休前夜に発車する夜行急行なので1BOXを占領する事は不可能である。高崎を発車すると列車は上越線から信越線へとシフトして30分で横川(1:56-2:04)に到着。碓氷峠麓の駅で峠のシェルパことEF63重連西松井田側の1号車へ連結するため爆睡している子供はそのままにして席に荷物を置いてホームへ降りてみた。

 

ホームを歩いているとEF63重連の力強いブロアー音が響き、その巨体が暗闇のホームに姿を現す。自動連結器の開放梃が上げられ、連結を待つクハ489-503を目前に一旦停車して連結するとエアーホースや協調運転用のKE70ジャンパー連結器が繋がると峠を克服する準備は揃った。座屈現象防止のためにホームに響く、489系の空気バネのエアーが抜ける音を聞きながら9号車に戻ると子供は起きてきょろきょろしながら私を探していた。8分停車も終って横川駅を発車すると空気バネをパンクさせてるのでジョイントのショックがもろにお尻に伝わって本件を子供に詳しく伝える。

 

因みに横軽通過時に空気バネをパンクさせるのは189系、489系、185系200番台のみで115系や客車はこの限りでない。横川駅ホームの自販機で買った飲み物を子供と飲みながらこれが夜行列車で超える最後の碓氷峠(横軽)になってしまった。リクライニングを最大限に倒してお尻に受けるショックを受けながら初めて夜行列車で碓氷峠を越えた時にの事(1977年・急行「越前」)の事を考えていたらいつの間にか寝てしまった様である。就寝中の停車駅と時刻は・・・軽井沢(2:21-24)・小諸(2:40-41)・上田(2:53-54)・長野(3:18-21)・妙高高原(3:55-55)・新井(4:13)。

 

高田(4:22)・直江津(4:31-35)・糸魚川(5:02-03)・泊(5:23)・入善(5:29-29)・黒部(5:38)・魚津(5:43-43)・滑川(5:30)。目が覚めたのは6時少し前で腹ペコなので富山駅到着前にホーム売店の号車へ移動すると富山(6:03-05)に到着した。終着駅の福井駅まで富山駅以外に食料が買える駅もなく、停車時刻も1分ばかりなので富山2分停車を利用してホーム売店で源の富山ます弁(1人前の量が入った正方形容器に入ったますの寿司・650円)を2個購入して車内に戻ると子供は起きていたので朝早い朝食を渡す。僕も子供も寿司駅弁が好きなので早朝からます弁(ますの寿司)を頬張る。

 

小杉(6:14)・高岡(6:21-21)・石動(6:33)と停車するが睡眠不足なのに朝ごはん満腹効果で二度寝を楽しみ、津幡(6:42-43)や金沢(6:52-53)は夢の中。気が付くと金沢駅を発車したばかりで9号車は空いているので1BOXにして子供と足を伸ばしながらまた寝てしまう。松任(7:01)・小松(7:16)・加賀温泉(7:26)・芦原温泉(7:38)は夢の中で記憶がなく、目が覚めたのは芦原温泉駅を過ぎたあたりだった。上野駅から8時間弱の短い様で長かった旅もそろそろ終わりで下車準備をして7:50、福井駅に到着した。信越線経由の急行「能登」に乗るのはこれが最後になってしまったが思ったより楽しめた「能登」のラスト旅。

 

このあとは夜行列車旅ではないので簡単にトレース・・・福井から越美北線(127D・130D)を往復して特急で高岡まで行き城端線を往復。自分が始めて乗った1977年の越美北線はキハ23やキハ52だったし、城端線氷見線はDL牽引の旧型客車であった。金沢に戻って勤務先の福利厚生で安く泊まれたホテル(ツインルームで税込み8000円の激安)に宿泊して翌日は金沢7:44発の特急「白山」で上野まで最後のフル乗車して旅を終えた。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★