夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 富士(B1)

1997年8月29日(金曜日)北九州市小倉区への出張を終えて小倉駅で佇んでいた。この時間なら最終「のぞみ」の1本前の「のぞみ」でも間に合うし、羽田空港行きの最終便でも博多へ移動しても間に合う時間だが、翌日は土曜日で休みなので寝台特急で帰ろうかなと鉄の虫が疼き始めていた。みどりの窓口で「富士」か「はやぶさ」の1人用個室ソロの空席を調べてもらうと「富士」は残席1なのですぐに押さえてもらい、乗車券も購入したがソロに空席が無ければ新幹線や飛行機も考えたけど、早めに夕飯の駅弁も購入して家族への土産(辛子明太子や小倉銘菓など)を選ぶ。

 

早めに小倉駅の改札に入って4番線ホームで寝台特急「富士」を待っていると19:09に大分運転所のEF81-410が牽引した「富士」が入線したので12号車に乗り込むと熊本運転所のオハネ25-1004であった。19:10に小倉駅を発車してすぐに門司到着(19:16-18)、門司を発車すると関門海底トンネルに入る直前に電源がAC20kV(60Hz)からDC1.5kVに変わるデットセクションを通過して関門海峡の下を隧道走行中に車掌が来て個室指定券と乗車券を見せて2番個室のルームキーをもらうと下関(19:26-31)に近付いたので下関ホームで朝食に食べる弁当とこれから飲む缶ビールを買ってから先頭に移動して牽引機を確認すると下関運転所のEF66-55だった。

 

12号車2番のソロ個室(2階部屋)に戻って小倉で買った穴子ちらし寿司をツマミに下関駅で買った缶ビールを飲んで乾杯し、夕飯を楽しむ。しかし1997年は寝台特急「富士」に4回も乗車して上り「富士」は3回目ともなると新鮮味が薄れて読んでくれる読者の方もまた「富士」かよって思っているに違いない(笑)。昼は出張先企業の会議室で頂いた会議用弁当という仕出弁当を食べただけなのでおなかが空いており、これまた小倉で購入した折尾駅・東築軒のかしわめしで2本目のビールで流し込めばお腹も満足で食べ過ぎたかも知れない。

 

列車はEF66による力強い運転で宇部(20:07-08)に到着すると日本の大手化学総合メーカーでもあり石炭やセメント等を供給している宇部興産の本店があるので出張サラリーマン数名が12号車にも乗り込んだ。20時台の発車だと19時くらいまで残業してからでも間に合うし朝も遅いのでゆっくり寝れて丁度いいかもしれない。この時間帯だと宇部空港からの飛行機も小郡駅(現新山口駅)からの東京行きの新幹線も終っている。今回乗車している2番ソロは最後の売れ残りみたいだけど進行方向へ向いて座れる2階個室だが残り物には福があったようだ。列車は防府(20:41-42)を発車するとソロの8割が埋まる。

 

前にも書いたかも知れないがソロ個室の1階は全ての照明が消えるので外が見やすいけど2階のソロは階段の所に階段を踏み外さないような照明があってこの照明はコントロールパネルで操作出来ないため、個室内が完全に暗くならないため、夜間に部屋を暗くして車窓を眺める際に階段の照明が湾曲した窓ガラスに微かに反射するため車窓が見づらい時がある。列車は夜の山陽路を快調に走り、下松(21:10-11)と柳井(21:32-33)に停車して乗客を拾っていく。まだ寝るには早いけど今朝は早起きして羽田空港から7時少し前の飛行機に乗って眠いため早めに就寝する。

 

就寝時間中の停車駅と時刻は以下のとおり「*印は運転停車の時刻」・・・広島(22:31-35)・尾道(23:46-48)・福山(0:03-0:04)・岡山(0:45-47)・*大阪(2:55-57)・*米原(4:20-22)・名古屋(5:18-21)。朝目が覚めたのは6時を過ぎており、浜松駅が2分停車なので急いで着替えてから車内を歩き、7号車まで移動すると浜松(6:31-33)に停車したのでホームに降りて身近な自販機で甘くない小さな缶のコーヒーと緑茶のペットボトルを購入して急いで車内に戻ってから12号車まで歩くと7号車(オハネフ25-200番台)の貫通路のテールマークが彗星になっていたのに苦笑してしまう。

 

個室に戻って買ってきた甘くないビター系の缶コーヒーを飲みながらまったりしていると列車は静岡(7:31-32)に到着。静岡駅の1分停車では駅弁を買うのは難しく事前予約のデッキまで弁当を持って来てくれるのは2個以上なので(「富士+はやぶさ」併結時代は弁当1個でも前もって予約すればデッキまで持って来る様になった)この先の停車時間も1分間なので車内販売のジェイダイナーかSPSの弁当を買うしか方法がなかったのであるが自分は昨夜下関駅で朝食用に購入したふくすしがあるので緑茶を飲みながら美味しく頂いたけど暖房が入る時期はこの手が使えなくなる。

 

富士川橋梁を渡ると雲が多くて待望の富士山(標高3,776 m)は望めないけど列車は富士(7:59-59)に到着。ちょうど車内販売が通りがかったのでホットコーヒーを楽しんで食後のコーヒータイムと洒落込んでマッタリと味わう。こうして下関駅のふくすしで優雅な朝食を楽しみ、ホットホーヒーを2階ソロ個室で景色を眺めながら味わっていると不思議ながら出張の帰りとは思えない。仕事(出張)の帰りでもブルートレインはいいな~としみじみと思えてくるのは真から夜行列車が好きなのだと自負するが翌日通常出勤日であれば100%飛行機を選んでいるけど会社の金で寝台個室に乗れて本当に幸せだよ。

 

なんて考えていたら寝台特急「富士」は沼津(8:16-17)を発車して少しずつ関東圏に近付いているが御殿場線と分かれると富士山を真横に入れて撮影出来る黄瀬川橋梁でも富士山は雲に隠れて姿を拝む事が出来なかったけど三島駅函南駅を通過すると丹那トンネルに進入。丹那トンネルの付近には1930年に起きた北伊豆地震により、2mにも渡る断層のズレが生じて大洪水と落盤が酷くてトンネル採掘工事が大変だったと聞く。トンネル函南側には今でも犠牲者の慰霊碑が立っているけど難工事だった丹那トンネルを出ると熱海(8:34-35)に到着した。

 

熱海駅を発車すると遠くに相模湾と沖合いに初島が見えて泉越トンネルを出ると千歳川を渡って神奈川県に入ると湯河原駅を通過。この先は早川駅手前まで海が望めるので通路に出て窓から海を眺めていると何ともいえない様な気持ちになってくるが非日常的な気分を楽しみながら気が付くと列車は白糸川橋梁を渡って根府川駅を通過し、さらに石橋山古戦場の近くにある玉川橋梁を渡ると列車は早川駅を通過して箱根登山鉄道の線路が近付いてくると小田原駅を一瞬に通過。御殿場線の線路が近付くと国府津駅を通過して平塚から東京近郊区間に入り、昔の中距離近郊電車で言えば禁煙区間に入るエリアでもある。

 

馬入川(相模川)を渡ると築堤を走り後方左手に富士山が見えるのだがここでも富士山は見えずに茅ヶ崎を通過。少し早いけど下車準備を終らしてワイシャツにネクタイを装着して素足に靴下も履いて準備は終了。戸塚駅を通過したくらいで車掌が個室キーの回収に現れたので手渡すと清水谷戸トンネルを出て横浜(9:35-36)到着である。AM6時台に到着する夜行列車は寝る時間も少なくて本当はあまり乗りたくないのが心境だけど富士みたいに寝るまでの時間も楽しめてゆっくり寝て朝起きてから下車するまでのインターバルが長いと本当に楽しめて気分も体調も最高だ。

 

この時代に寝台車で出張が許される会社も少ないと聞くが翌日が休みだから合法的に夜行列車を使っているのは別として首都圏発車の夜行寝台も残業してから乗れるけど近年中にそれも出来なくなるかも知れない(この手のブログに書き始めたのは私が定年退職した後なのでもう時効だからいいけど)。なんて考えていたら列車は品川駅を通過して日常的な現実に戻ったのだが9:58、定刻に東京駅9番線ホームに到着した。ホームに降りると嫁と子供が出迎えに来てくれて荷物を半分持ってもらい、京浜東北線北行き快速電車で一緒に帰った。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★