夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

団臨 メモリアル能登(14系14形)

このブログに掲載する夜行列車は市販の時刻表に掲載されている定期列車、季節列車と臨時列車が中心で団体列車は除外しているのですが1997年5月31日から6月1日にかけて自分が所属する撮り鉄系の鉄道趣味団体「RSEC鉄道資料交換会」がスペシャルトレインとして運転した「メモリアル能登」が宮原~直江津~宮原間を往復運転されたので乗車参加という事で乗車レポートをここにアップする。団体専用列車だけど乗車客にも沿線で撮影してもらって高崎線で追いかけたり定期急行「能登」で追いかけて「メモリアル能登」に戻れるように、更に沿線撮影撮影者が車で何回も追っ掛け撮影出来るようなダイヤに設定している。

 

1997年5月31日(土曜日)、 「メモリアル能登」の乗車始発駅でもある宮原駅(JR高崎支社の駅)で列車の入線を待っていたら能登ヘッドマークを着けたEF62-43が14系寝台車6両を従えて臨客9339列車が入線。団体列車といってもどこかに集合して纏まって乗るという事はせず、予め郵送で送られた乗車票に書かれた号車と番号と席番に着席するだけなので団体専用列車にありがちな事はなにもなく、気軽に乗車出来る。寝台は全て1BOX6名定員の座席利用なのでやや窮屈である(昔の長距離寝台特急は3段寝台BOXに6名座ったのであたり前な時代はあったけど)。

 

とりあえず指定された席に座って撮り鉄仲間と缶ビールで乾杯していると21:38に「メモリアル能登」臨客9339列車が発車した。乗車客は100%鉄ちゃんなので受信機や受信改造した無線機を持ってる人が多くてCタイプ無線下り周波数を傍受しているので各所から「こちら9339列車車掌、運転士さんどうぞ、9339列車発車」の音が聞こえてくるのには爆笑してしまう。R会員T車掌の声が放送から聞こえて最後にこの列車には食堂車と車内販売はありませんが聞こえてくる(苦笑)。6分ほどで上尾(21:44-22:05)に停車だがこれは宮原駅で9339列車をホーム対岸から長時間露光撮影で写してからも後続の高崎線でゆっくり間に合うように設定されたダイヤで終着駅までバカ停が続く。

 

21分停車の上尾では新特急「あかぎ5号」(21:47)と高崎線普通975M(21:53)更に快速アーバン3953M(22:02)を退避。975Mで到着した仲間も増えて上尾駅を発車したが、宮原駅から直江津まで所要時間10時間04分だけど停車時間が、313分(5時間21分)「運転停車除く」という運転ダイヤで半分がバカ停での停車という鉄ちゃんが鉄ちゃんのために走らす団体臨時夜行列車の有様である・・・通常の夜行列車ではありえない運転ダイヤ設定なのが笑える。因み急行「能登」601Mだと同区間を4時間33分で走破している。上尾から乗り込んできた仲間が上尾駅前のコンビニで調達してきた缶ビールを頂き乾杯だ。

 

我々の乗ってるスハネフ14-40は空席が多く横川駅か軽井沢駅能登ヘッドマーク付きのEF63重連を撮影してから乗って来るグループもいるため、一番乗車率が多い区間が不明瞭でもある。因みに乗車会費を抑えるために運転種別は快速列車になっているが熊谷(22:35-54)に停車すると19分停車して高崎線普通電車2859M(22:43-43)を先行させる。普通の夜行列車なら寝る時間帯だけど声のトーンを下げて鉄道話で盛り上るが車内は減光されて雰囲気は夜行列車に。本庄(23:16-0:24)では68分の大休止で高崎線979M(23:31)と快速アーバン3955M(23:42)、985M(0:06)、987M(0:20)の先行退避と寝台特急「北陸」の通過待ちで「メモリアル能登」と「北陸」が一瞬並んだ時は凄かった。

 

長い68分停車が終って発車すると神保原~新町で埼玉県から群馬県に入り、高崎運転所が見えてくると高崎(0:45-1:10)に到着。高崎駅では快速「ムーンライトえちご」(0:55-1:09)を先行させるために25分の停車だが、扉が開くと一斉にビールの自販機へ走り、500ml缶を6本購入して同じBOX仲間に配って乾杯するが高崎駅を発車すると信越線に分け入り、深夜なので既に寝ている乗客もチラホラいるようだ。安中、磯部、松井田と通過して西松井田を過ぎると横川駅手前のEF63電留線に第二エンド側に取り付けてある連結用照明を灯しながら横を通るとEF63独特のブロアー音が聞こえてきた。

 

横川(1:40-2:30)に到着すると「メモリアル能登」のマークを高崎側に掲載したEF63を撮影したり連結シーンを見物する乗客が一斉にホームへ降りて深夜なのに入線ホームは大盛況。さらに先頭のEF62側を対岸ホームから2線空けで撮影するファンも多くて深夜とは思えない人出である。2時少し前に489系の定期「能登」が入線すると並びを撮影するポイントには雛壇が出来て定期「能登」はEF63重連の補機が連結されると2:04に発車。自分は車掌⇔EF62運転士の無線感銘試験とEF62運転士⇔EF63運転士の無線感銘試験や貫通試験や制動試験を聞きながら待機しているとEF62運転士からEF63運転士への軸重率とバーニア制御オーダーを聞いていると発車時刻。

 

「こちら9339列車の車掌です、運転士さんどうぞ、9339列車発車」、続いてインカム無線機で同じ様にEF62運転士からEF63運転士へ発車指示が出されると「メモリアル能登」も横川を発車した。この先軽井沢到着までEF62運転士からEF63運転士へ進段指示が無線で飛びシリース(直列)から横川運転区通過する時にはシリースパラ(直並列)、中山道踏切を通過でパラ(並列)のオーダーが飛んでここから主幹制御器のノッチが進んで行く訳だ。旧丸山変電所くらいから速度も下がるが変電所先のカーブを曲がると急勾配区間に入り、霧積川橋梁の鉄橋音が聞こえると66.7‰の勾配に差し掛かり、坂本集落を過ぎると第一トンネルに突入。

 

幾つかのトンネルを出入りして少し周囲が開けると熊野平信号所を通過して再びトンネルへ吸い込まれる。碓氷峠最後のトンネルを出ると急勾配から平坦になって矢ヶ崎信号所を経て軽井沢(2:47-3:53)に到着。怒濤の1時間6分停車だが流石に眠さも限界で横川側に「メモリアル能登」のヘッドマークを付けたEF63の解放を見る事なく寝てしまった。以下は就寝中の停車駅と運転時刻・・・小諸(4:13-53)・長野(5:40-50)・古間(6:20-24)・妙高高原(6:39-49)。自分で起きたのか誰かに起こされたのかは定かではないけど6:45くらいに目が覚めたようである。

 

関山~二本木でもの凄い三脚の林(それもスーパー雛壇)を目撃して思わず皆さん頑張るな~って思ってしまう。自分は基本ヤラセのネタ列車は興味ないので撮影する気もない(時刻表に掲載される列車は過去に急行越前・能登・軽井沢・信州・妙高シュプール・特急サロンエクスプレスそよかぜ・荷物列車等撮影している)。列車はスイッチバックの駅で有名な二本木駅(6:55-7:00)へ入線するのだが下り列車だと行き止まりの駅へ到着して5分間の停車が終ると列車はバックしてスイッチバックで非難線に入ってから向きを変えて本線に入り、新井駅方面に向かった。

 

そうえいば昔旧型客車と10系寝台の急行「妙高」(長野~直江津普通列車)に乗った時は二本木駅スイッチバックしてたなと昔の想い出が脳裏に蘇ってきた。朝配られた朝食用のたかべん"だるま弁当"を食べながら北新井~高田の車窓を眺めると各所に三脚が立ってて、この列車の人気を知る事になる。春日山(7:26-30)で4分間の停車するといよいよ下り「メモリアル能登」の終着駅である直江津駅に7:42に到着した。直江津では折り返し9342列車になるため、1時間7分停車してEF62-43のエンド交換(上り列車先頭にEF62を付け替えて直江津を8:49に発車して高崎線宮原駅に戻る訳だ。

 

しかしこのブログは夜行列車を主題なので帰路は対象外のために軽く簡単にトレースしておく。多くの乗客は1時間7分停車を利用して先行の普通1342Mや特急「あさま10号」で撮影へ先行移動すべく、車内が空いてるので誰もいない上段寝台で私は直江津駅発車前から仮眠させてもらい、1時間5分停車の長野駅で目が覚めて「山菜栗おこわ弁当」と「ますの青葉ずし」を昼飯に購入してビール飲みながら食べて更に寝て、碓氷峠区間以外はあまり記憶がない状態だった。宮原から宮原まで21時間を越える長時間の旅だったが碓氷峠区間を客車に乗って超えるのはこれが最後であった。最後に帰路の時間を記しておく。

 

9342~9344列車:直江津(8:49)・春日山(8:54-59)・高田(9:05-35)・脇野田(9:41-52)・妙高高原(10:23-36)・豊野(11:07-10)・北長野(11:19-20)・長野(11:26-12:30)・戸倉(12:48-58)・小諸(13:29-35)・中軽井沢(15:25-32)・軽井沢(15:25-32)・横川(15:56-16:00)・安中(16:17-17:15)・高崎(17:27-39)・上尾(18:44-49)・宮原(18:55)「運転停車除く」。

 

直江津~高崎:EF62-43(HM付)

軽井沢~横川:EF63-21 23(23号機にHM付)

高崎~宮原:EF65PF(HM付)

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★