夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

臨時急行 妙高(14系ハザ)

1995年4月28日(金)、今年のゴールデンウィークも今では貴重になったEF62が、牽引する14系座席車の臨時「妙高」が運転される。前回(1993年12月)乗車した時は「妙高81号」と号数が、あったけど今回も列車番号にダイヤや機関車運用は同じであり、帰路の撮影を碓氷峠(横川~軽井沢)でEF62+EF63+EF63、三重連牽引返却回送(回送9304列車)を撮影するのが目的である。横軽くらい車で行けるくらいのお手軽距離だけど翌日29日には上野駅から「北斗星1号」乗車を控えており、帰りは高崎から上越新幹線乗り継ぎでないと間に合わないため、致し方ない。

 

上野駅17番線で入線1時間前に先頭の6号車禁煙自由席乗車口へ行くとまだ誰も来ていなかったが、隣の16番線に入線する急行「能登」の乗車口は各列15名くらいが並んでいる。北陸の観光都市である富山・金沢・福井へ行く定期列車と年間僅か数日しか運転されない臨時の妙高高原行き(それも長野から妙高高原までは快速列車だ)との違いを見せ付けられた。それでも少しは増えたけど23:39に推進運転で回送9307列車が入線したので6号車へ乗り込むと尾久のスハフ14-61で席に荷物を置いて牽引機関車を見に行くと田端運転所のEF65-1014が連結されていた。

 

帰りに売店で缶ビールとツマミを買って6号車に戻ると閑散としてこれなら1BOXにしても余裕だけど自分は横川駅までの利用だし、寝れないと思うので席は回さずに発車時刻を待つ。23:53に臨時急行「妙高」(9307レ)は上野駅を離れたけどやはり車内は空いているのは急行能登みたいに赤羽・上尾・桶川・鴻巣の駅に停車しないからホームライナー代わりに利用する仕事帰りのサラリーマンが、乗らない所為もあるみたいである。大宮駅(0:18-21)を発車すると数名の車掌(特改要員なのか?)が切符を改めて急行券を持たない客から徴収してかなりの売上げみたいだ。

 

北本~鴻巣間で車内の蛍光灯が減光されると、熊谷駅(0:57-58)に停車して下車する客の方が多くて笑えるが、深夜1時を回ると車内は静かになった。快調に高崎線内を走行していると八高線と合流すると列車の速度が、落ちて倉賀野駅に停車した。時刻表では勿論、倉賀野は通過だけど熊谷発車時刻基準だと「妙高」の6分後に発車した急行「能登」の先行通過待ちの運転停車である。到着して2分後に489系9Bの「能登」が一瞬に通過して消え去るように私の視界から流れて行った。運転停車も終わって「妙高」も能登を追う様にして発車すると高崎駅(1:38-2:10)に到着。

 

32分停車の高崎駅では機関車交換が行われるため、ホームに降りると田端のPFが外されると数分して独特のブロアー音を発しながら田端運転所のEF62-54が近付いてスハフ14に連結された。EF62の運用は貴重になり、既に定期運用はないため、営業列車牽引可能なEF62は43号機と54号機の2両のみである。因みに高崎支社・通達(運転報)のA報では機関車運用が臨A323で上がっており、回送を含めた詳細時刻はB報で確認している。32分間の大休止を終えた列車は信越線に入り、ここまで全く寝てない私も少し眠くなったが、次の横川で下車するのであと少しだ。

 

高崎から横川までは32分なので真っ暗な車窓に目を凝らして外を見ていると何年か前に家族で行った磯部温泉最寄り駅の磯部駅を過ぎると西松井田駅くらいから上り勾配が始まったのが何となく分かり、やがて急行「妙高」は碓氷峠の麓駅でもある横川(2:42-48)へ到着。下車して一番後ろに移動してEF63重連が、連結されるシーンを眺めて変則三重連のユニットが完成されてから駅構内に響き渡る貫通試験や制動試験での汽笛合図を聞きながら「妙高」発車を見送り、改札を抜けて駅舎内の待合室で朝5時半くらいまで仮眠をとった。

 

軽井沢から来る始発電車(185系)から「妙高」の客車返却回送まで写して撮影は終了だが本来なら信越線で帰る予定が、撮影地で知り合いに会って高崎駅まで送ってもらい、高崎から上越新幹線「あさひ318号」に乗って上野に到着。

 

EF62は臨時急行「妙高」や12系・14系の他にジョイフルトレインの臨客(団体臨時客車列車)や信越線内の工臨くらいしか臨時運用はないけど電化区間ジョイフルトレインはネタ的な要素があるため、撮影対象が臨時夜行急行の返却回送でも夜行列車にこだわって撮影したかった。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★