夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

ブルートレイン・14系

前回の「ブルートレイン・20系」から2ヶ月以上の月日が経過してしまったがこの手のブログ記事は一部のコアなファン以外は好まれないと思い、時間を空けてしまった感があるけどブルートレインや20系の経緯や歴史などは2021年2月15日のブログ記事を読んでもらうとして今日は続きとしての14系に付いて書いて行きたい。お断りするが14系は14系寝台車の固定編成のみとし、個室改造や食堂車改造に500番台改造のその後まで追ったらえらい事になりそうなので20系の時みたいに第一次ブルートレインブームが始まったゴーサントオくらいまで追いかける事にしたい。

 

【14系特急形寝台客車】従来の電源車を連結した集中電源方式の20系に代わり、第2世代のパイオニア・12系座席客車の技術を生かして基本・付属編成の各両端の緩急車4両の床下にディーゼルエンジン発電装置を搭載した分散電源方式をとり、オハネフ13の後を受け14系特急形寝台客車と名乗って1971年9月に新潟鐵工・富士重工日本車両による量産先行10両が誕生、全車品川客車区へ配置された。

 

14系寝台車では3段寝台ながら移住性向上のため、寝台の幅を52⇒70㎝へと広く改良、電動式の自動寝台設廃(昇降機)装置の採用、各内部の変更のほか、外観も大きく変わり、20系の非貫通流線形の丸い顔が貫通式・ホロ付きの折妻流線形になり、冷房ユニットが各車端屋根家上を削った位置にまとめられた。またニューブルートレインを表象する明るいブルーは従来の20系や一般車両にも使用中の「あさかぜブルー」(青15号)から0系新幹線ブルーの青20号になり、白線は従来の20系の飾り帯や黄色味の濃いクリーム1号から殆ど白に近い「0系アイボリーホワイト」(クリーム10号)へ変えられた。

 

この配色は12系座席車以降の新系列PCの標準となっており3本から2本に減った飾り帯は上幅80㎜幅、下幅60㎜幅で側面と折妻全体に回されている(20系にあった雨どい下の白線は14系から消えた)。20系増備の途中から分割併合の列車(さくら・みずほ・あかつき)が増え、付属編成を運用して2方面に分かれるにはもう1両の電源車(マヤ20等)が必要になった事などから14系では分散電源方式がとられた。その後1972年11月6日未明に北陸トンネル内を走行中の下り急行「きたぐに」(501レ)のオシ17-2018から火災が発生して鉄道火災では未曾有の被害が出てから分散電源方式は危険との事で14系14形の製造は一旦中止になった。

 

1971年9月には14系寝台車が10両品川客車区へ、最終的に1972年9月までに94両まで増産されますがその後は品川から一部が向日町・早岐・青森・尾久へ転属となる。14系14形寝台車の初運用は1971年9月30日の急行「瀬戸」でオロネ10やスロ54にオシ17とスハ・スハフの旧型客車との併結で13両編成の内、3~6号車がスハネフ14とオハネ14であった。これは飽くまで6ヶ月間の試用だったけど「瀬戸」は定期列車なので特別に紹介したが分割併合が特徴の14系14形寝台車にこんな使い方は無駄だと思わざるえない。

 

2番目は1972年3月10日から運用に入った「さくら」「みずほ」「あさかぜ2号」でさくらとみずほに限れば非常に適切な使い方だと思うがなぜ下り「あさかぜ2号」上り「あさかぜ1号」に14系寝台車を投入したのか頭を傾げてしまいたくなるけど1~8号車の基本編成が博多まで、9~14号車の付属編成は下関止まりなのに14系を使うのかよって感じである。ちなみにこの「あさかぜ」は「さくら」「みずほ」と共通運用で同一編成で組成してあるのが特筆される。3番目の14系寝台車投入は1972年夏に14系座席車装備した車両と品川から向日町へ転属した14系を使った「あかつき」(下り3号/上り2号・下り2号/上り3号・下り4号/上り1号)で1972年10月2日からである。

 

続いて4番目に14系寝台車を投入は1975年3月10日からの「いなば」「紀伊」、実は下り「あさかぜ2号」上り「あさかぜ1号」で使っていた車両が20系に戻ったため、いなば/紀伊の運用に入れて同列車の14系化が叶い、東京発着ブルートレイン14系はメンツが揃った。更に同じく、4番目に14系寝台車が投入されたのは「明星」「日本海」である。何と一往復は早岐客貨車区の運用で早岐から長崎へ回送された「あかつき」は大阪駅に到着すると、「日本海」の運用をこなして青森まで行き、大阪へ帰って来ると今度は「あかつき」として長崎まで戻り5日後に早岐へ入区というロングランな運用を組んでいた。

 

更に1973年10月1日からは下り「あかつき5号」と上り「あかつき2号」と併結していた下り「彗星2号」と上り「彗星2号」の一部(9~14号車)にも14系寝台車が使われており、1972年10月2日からの「あかつき」はオロネ14とオシ14も連結されて一部の「あかつき」は食堂車の営業もしていた。さて5番目に14系寝台車を投入したのは1978年10月2日から運用に入ったのは東北・北陸勢の寝台特急ゆうづる」「北星」「北陸」である。14系寝台車が投入された関西発着九州方面ブルートレインに24系24形、24系25形、そして1978年10月2日には14系15形の投入で余剰になった14系14形が東北・北陸方面の列車が回り、本州と九州の寝台特急に新系列客車が広がった。

 

本来なら15形は別の機会を設けようかと思ったが、それも手間なので序に入れてしまおう。急行「きたぐに」の火災で14系寝台車の製造は一旦中止になっているけど分割併合が可能な分散電源方式の特急用寝台客車の気運が高まり、1978年分割併合を行う列車についても2段式寝台を投入するため、電源分散方式の更なる防火安全対策を強化済み・ハロン式自動消火装置を積み、A-A基準に準拠の14系15形を1978年に全車モノクラスで客室内は25形-100番台と同様である。1978年7月~9月に富士重工と新潟鐵工(現新潟トランシス)が担当してスハネフ15を21両、オハネ15を42両、合計63両を全て早岐へ集中配置。

 

1978年10月2日ゴーサントオ白紙ダイヤ改正で「あかつき」2往復分に全て投入するが暫く15形は「あかつき」専用の早岐のみが運用できる新型ブルートレインであったが25形に慣れた乗客からすれば15形は25形と大差なく、14系時代にはあったA寝台や食堂車もなくて不評だったと聞く。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★