夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

ブルートレイン・24系

前回の「ブルートレイン・14系」をUPした4月26日から約1ヶ月強が経過したが本日は24系24形と24系25形の両方をまとめてみたいと思うがゴーサントオくらいまで追いたいと思う。「走るホテル」と呼ばれた20系特急形寝台客車の登場後10年が経過し、1971年より分割・併合に備えて分散電源方式とした14系特急形寝台客車が新製されていた。しかし、寝台車としての性格上、スハネフ14形床下に取付けられた電源装置の騒音は旅客には不評であり、さらに1972年11月6日に北陸トンネルで発生した夜行急行列車「きたぐに」の列車火災事故により、国鉄では車両の防火対策を見直す必要が生じた。

(ちなみに急行「きたぐに」の火災原因は配線ショート、食堂車の火不始末、喫煙所でのタバコの火とも言われ、火災原因の断定が出来ていない)

 

そこで再び電源装置を旅客用車両から離した集中電源方式を採用することになった。こうした背景から誕生したのが24系特急形寝台客車である。24系寝台客車は14系寝台客車を分散電源方式の騒音・保守問題のから再び集中電源方式に戻して、防災対策を施して昭和48年から5系式115両が製造されました。24系寝台車は1973年から新潟鉄工所(現新潟トランシス)、富士重工日本車輌の3メーカーで製作。1973年に向日町運転所に全車新製投入されると関西~九州間の寝台特急に使われ、1975年9月末には全車品川客車区へ転属して東京口ブルートレインで活躍。

 

その後、青森へ転属して上野発着ブルートレイン・他にも24系が使われるようになる。1973年度から製造された24系24形の118両(オハネフ24×27、オハネ24×67、オロネ24×9、オシ24×5、マヤ24×10)が全車向日町運転所へ新製配備されると「あかつき」と「彗星」に投入されたが1974年3月から製造された24系25形0番台とカニ24、合計91両が全車向日町運転所へ新製配備されると1973年に申請配置された24系24形の一部を除き、品川客車区に戻って1975年3月10日から「はやぶさ」「富士」「出雲」で使用する。

 

その後はやぶさ」「富士」「出雲」にニューブルートレインの新型25形と呼ばれた24系25形100番台(一部非100番台)が投入されると余った24系24形は青森運転所へ移管して「ゆうづる」(下り4・5・6・7号と上り1・2・3・4号)に投入。更に1978年10月2日から青森運転所持ちの「日本海3号・2号」(4003レ・4002レ)でも使用。関西発着の寝台特急の殆どが25形や15形に統一されて余剰になった24系24形が、秋田運転区へ転属となって1980年10月1日に「あけぼの1・4・3・2号」へ配車されて24系24形の新製・転属・転廃はこれで終了。

 

24系24形は14系と同様に3段寝台であり、かつての寝台車に比べて寝台幅・長さは拡大されたものの、居住性の面で時代遅れの間は否めなくなった。そこで1974年より2段寝台のB寝台車としてオハネ25、オハネフ25が新製された。また、電源車は本格的な荷物室を設けた荷物車カニ24形が新製されることになった。これらは従来の24形と区別して25形と呼ばれている。車体は24形を基本としているが、2段寝台化による定員減を補うため便所の配置の変更などがなされ、オハネ25形ではオハネ24形の乗務員室・更衣室を廃止、オハネフ25形ではオハネフ24形の業務用室・車掌室の寸法縮小などが行われている。

 

塗装は24形では青20号にクリーム10号の帯であったが、区別のため青20号にステンレス帯となった。25形は寝台側の窓が大きくて上段の自動昇降機が付いた0番台に寝台側の窓が小さくなった100番台と200番台になり、特にオハネフ25の100番台は切妻形で幌は外吊り式の簡易型設計で車掌室の窓(2ヶ所)も小型になって、東北向き一方方向固定になってる。更にオハネフ25の200番台は再び折妻になったが切妻形をミックスした曲切妻形、下のステンレス帯が短くなって方向転換可能になっている。

 

それでは24系25形の詳細(新製後の配置と運用)へ移ろう・・・1974年3月に新製配置で登場した24系25形-0番台91両(オハネフ25×56、オハネ25×27、カニ24×8)が全車向日町運転所へ配備されて1974年4月25日から「あかつき」(下り3号と6号、上り1号と2号)と「彗星」(下り5号と上り1号)で使用開始スタート。1975年3月10日からは「明星」(下り2号・上り2号と下り5号と上り4号)。1975年12月から1976年2月までに製造されて宮原客車区へ新製配置された25形0番台・60両(オハネフ25 28~46・オハネ25 57~91・カニ24 9~14)を1976年2月20日に「つるぎ」と「日本海」(下り1号・上り2号)へ投入。

 

そしてここから25形100番台(オロネやオシにカニは除く)の登場である。しかし24系24形からの改造(オシ24-100番台)や電源車が25形0番台で登場したカニ24も含まれるため完全な100番台ではない。1976年7月から9月にかけて新製された25形99両(オハネフ25×29、オハネ25×52、オロネ25×10、カニ24×8)とオシ24やオシ14から改造したオシ24-100に24形で使っていたカニ24に向日町運転所から転属したカニ24などを1976年から「はやぶさ」「富士」「出雲」(浜田出雲)に運用開始され、これで東京駅発着ブルートレインも"ニューブルートレイン"の仲間入りが出来た。

 

更に1976年8月7日から8月21日(上りは22日)まで品川区25形モノクラス編成のみで「臨時あさかぜ51号(8011レ・8012レ)」を担当しているが臨時列車なので割愛するべきなのだろうが東京発着ブルトレ初の25形運用という事で特別に紹介。新車投入の最終ステージは25形-100番台後期と200番台の登場で以降は従来車両からの改造ばかりなのであとは新車投入と運用の紹介へ移動する。まずは1977年7月から9月にかけて新製された25形-100番台(一部200番台)のオハネフ25(130~157)、オハネ25(153~207)、カニ24(101~108)の計62両が基本編成として下関運転所へ配置。

 

更に同じく1977年8月から9月にかけて新製された25形-100番台(一部200番台)のオハネフ25(136~153)、オハネ25(162~200)の計29両が基本編成として広島運転所へ配置。下関持ちの25形基本編成と広島持ちの予備編成を集約して以下の寝台特急の編成を構築した(但し「安芸」に付いては全車下関車のみで運用)。なお今回の1977年度債務で新製したカニ24-100は25形-100番台後期から200番台に合わせた初の貫通型電源車でオハネフ25-100番台とほぼ同一の面構えになっており、帯はステンレス2本の切妻形で従来の24系電源車とは違うフォルムである。

 

最初に1977年9月1日付で「安芸」投入されるが、20系から25形-100に変わった「安芸」だけど乗車率が思わしくなく、約1年後の1978年10月2日大改正で廃止となる。次に運用に就いたのは1977年9月25日から運用に入った「あさかぜ」(下りあさかぜ2号・上りあさかぜ1号「13レ・14レ」)で下関あさかぜと呼ばれた。更に翌日の1977年9月26日には「あさかぜ」(下りあさかぜ2号・上りあさかぜ1号「13レ・14レ」)と共通運用になった「瀬戸」の運用も始まり、増備車ラストの最終ステージを迎える。1977年12月から1978年1月にかけて製造された25形-100番台(200番台含む)とオロネ25の増備車他が品川客車区へ配置される。

 

品川区へ配属になったのはオハネフ25(201-210)、オハネ25(208~226)、オロネ25(11~12)、カニ24(109~112)の合計35両が1978年2月1日から「博多あさかぜ(9レ・10レ)」(下りあさかぜ1号・上りあさかぜ2号)へ投入された車両だが上の方に書いたとおり、1976年7月から9月にかけて新製された25形99両(オハネフ25×29、オハネ25×52、オロネ25×10、カニ24×8)とオシ24やオシ14から改造したオシ24-100に24形で使っていたカニ24に向日町運転所から転属したカニ24などを1976年から「はやぶさ」「富士」「出雲」(浜田出雲)に運用開始した車両を全て集中集約して「はやぶさ」「富士」「出雲」「あさかぜ」(博多あさかぜ)を区別なしに運用して「はやぶさ」「富士」「あさかぜ」は共通運用とした。

 

この後は15形の「あかつき」投入で完全余剰になった25形や「明星」の一往復整理や「彗星」の2往復583系化などで25形0番台が余剰になって1980年10月1日付けで「ゆうづる11・13・2・6号」が25形化。1982年11月15日付けでは「あけぼの3・4号」が25形化、同日付けで「日本海1・2・3・4号」日本海全てが25形化で全車宮原客車区担当へ。さらに1984年2月1日付けでは「なは」が25形化されて定期「なは」の583系運用を終えたのである。日本国有鉄道ならではの全国ネットワークで車両を運用構築する術は流石だと感服した国鉄末期であった。

 

この先も続けたら今後の資料として使えそうだが国鉄分割民営化されてJR化されると更に複雑な運用や改造での意味不明な改番など厄介な事や摩訶不思議な事が発生(24形と25形を混ぜて編成組みしたり、そもそもは25形だった車両を15形でサンドイッチしてオハネ15-1000番台にしちゃってもう最悪。摩訶不思議といえばオハ25-551が2両存在した事・・・1両は札幌運転所の北斗星全車ロビーカー、もう1両は宮原客車区のトワイライト・ラウンジカー。国鉄時代には同じ系式番号の車両が2両存在するなんてありえなかったけどJRになるとルーズになっしまうのに失笑してしまう。

 

今回の中でデーターの相違やミスがあったらぜひコメント欄で指摘していただければ幸いと思うし、僕の公式LINEやコミュにツイッターDMなどでもOKですので是非よろしくです。このあたりで「ブルートレイン・24系」を終らせてもらう。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★