夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

1975年の時刻表から・・・東海道夜行②

2021年11月22日にUPした「1975年の時刻表から・・・東海道夜行」の続きで関西(京都・新大阪・大阪)発着の夜行列車を紹介します。時期的には1975年3月と言えば山陽新幹線が博多開業した年で多くの夜行列車が統廃合や淘汰された時期だけど、まだ関西発着の東海道・山陽方面の夜行列車は元気があった時期であります。

 

では1975年3月号の時刻表/下り東海道線山陽線89ページから。関西始発下り東海道線山陽線最初の夜行列車は新大阪17:55発の寝台特急「明星1号」の西鹿児島行きで583(581)系の電車寝台にグリーン車1両と4両が普通座席指定席車になっているがこれは4両寝台をセットしないで座席車として販売しているが583(581)系を組み立て寝台設定するスタッフが不足しているため。2番目の出発は新大阪18:12発の座席夜行急行「雲仙」+「西海」の長崎行きと佐世保行きで肥前山口駅で両列車は切り離して単独で運転。客車は1975年3月から14系座席車の6B+6Bの12両で運転。

 

3番手は新大阪を18:28に発車する日豊線経由の宮崎行き・寝台特急「彗星1号(3003M)」、編成は583(581)系で寝台特急「明星1号」と同様で4両が全車指定の普通座席車なのも上記に書いた理由である。何で客車の「彗星」が都城まで運行されるのに583(581)系だと宮崎止まりなのかは宮崎からまだ非電化区間なので乗り入れが出来ないだけという理由。4番手の発車は新大阪18:42発の寝台特急「明星2号(25レ)」西鹿児島行きで24系25形0番台使用。全てがモノクラスだけど初めて2段ハネの24系25形が関西に投入された列車。5番目は京都を18:20に発車する寝台特急「明星3号(27レ)」の西鹿児島行きで583(581)系でグリーン車と非営業のサハネ581意外は全車B寝台で運転となっている。

 

なお1975年10月2日当時の583(581)系関西口・発着車両は門ミフ車を全車両大ムコに集中配置した12両編成で編成組換えがなされている。6番手の発車は大阪19:10発の寝台特急「あかつき1号(41レ)」、長崎・佐世保行きで早岐の14系14形で運転。肥前山口で長崎行きと佐世保行きを分割運転してA寝台は長崎行きに連結。7番目の発車は新大阪19:15発の夜行急行「阿蘇(203レ)」の熊本行きで熊本の14系座席車12両なのに全車指定席という強気だが翌年1976年3月より一部自由席連結、更に1978年10月よりこの先に登場する夜行急行「くにさき」と統合されて門司まで「阿蘇」+「くにさき」という多層立て列車になる。

 

8番手は季節列車の夜行特急「明星4号(6029レ)」、西鹿児島行きだが14系座席車使用の全車指定席で運転。更に9番手は新大阪19:31発の寝台特急「彗星2号(3005レ)」の都城行きで全車モノクラスオール二段B寝台は向日町の24系25形0番台・12両編成を使用。いよいよ二桁10番目の発車は名古屋16:50発(途中大阪19:51発)の臨時夜行特急「金星51号(8031レ)」西鹿児島行きで全車指定席、14系座席車(区所名不明・・・客車運用が名古屋起点なので受け持ち区はおそらく名ナコか?)。11番目の発車は新大阪19:58発の臨時特急「彗星51号(8009レ)」宮崎行きで全車指定席の14系座席車使用。

 

12番目の発車は新大阪駅20:27発の寝台特急「あかつき2号」(33レ)+「明星5号」(33レ)長崎・熊本行きで全車向日町の24系25形、オール2段ハネのモノクロスB寝台編成。2本の列車は鳥栖で分離運転している。13番手は大阪20:44発、夜行急行「くにさき(205レ)」大分行きで列車名は国東半島から銘々、宮原の14系座席車11両を使用して全車指定席で運転しているがその後に「阿蘇」と併結して自由席も連結している件は2番目の急行「阿蘇」に記述済み。14番目は新大阪20:44発、寝台特急「なは」(35M)の西鹿児島行きで583(581)系にて運転・・・西鹿児島行きなのに沖縄県の県庁所在地名の列車名が意味不明。

 

15番手は新大阪20:57発の臨時急行「阿蘇51号」+「くにさき51号」(7111レ)の熊本行きと宮崎行きで下関まで全車指定席、使用客車の詳細不明だけど12系座席車か旧型客車かと推察される。全車指定席の臨時夜行急行に旧型客車は無さそうな気がするのだけど?。16番目は新大阪21:27発、寝台特急「明星6号(43レ」+「あかつき3号(43レ)」の熊本行きと佐世保行きで、この列車は筑豊線経由で鳥栖まで向かい、鳥栖で熊本行きの「明星6号」と佐世保行きの「あかつき3号」を切り離す寝台特急で客車は門ハイの14系14形客車を使い、1~7号車までが「あかつき3号」(2号車はオロネ14)、8~13号車が「明星6号」であった。

 

17番目は新大阪21:43発、寝台特急「彗星3号(3011M)」の大分行きで大ムコの583系を使用して1両のみ寝台をセッティングせずに指定席を発売していたが寝台解体・設営要員の目処がつくとB寝台として設定。18番目は新大阪21:58発、臨時特急「あかつき51号(8045レ)」の長崎・佐世保行き、14系座席車6B+6Bユニットの編成で全車指定席・・・肥前山口駅で編成を分割して運転。19番目は新大阪22:27発、寝台特急「明星7号(37M)」の博多行きだが大ムコの583系を使用して1両のみ寝台をセッティングせずに指定席を発売していたが「彗星3号」同様その後にB寝台として設定されている。

 

いよいよ20番目である、大阪22:40発の臨時夜行急行「阿蘇52号」(8113レ)の鳥栖行きでこれまた強気の下関まで全車指定席だが残念ながら使用客車が全くと言っていいほど分からないのである。客車なので14系座席車か12系客車、はたまた旧型客車なのか全く予想が付かない。14系座席車は臨時夜行特急のハザシで多く利用されているから臨時急行まで回らないと思う。21番目の発車は新大阪22:58発の寝台特急「安芸」(1001レ)は呉線経由の下関行き、

 

「安芸」はそもそも急行列車だったけど1975年3月10日に急行「音戸」の特急格上げにより、再々度新設された寝台特急で下関運転所の20系寝台車で運転。関西発着の山陽方面定期寝台特急では唯一の20系だったけど1977年10月に24系25化されたが1978年10月2日には利用客減少にて廃止になった僅か3年7ヶ月弱の短い生涯だった定期寝台特急だ。いよいよ発車時間帯が深夜の23時を越えると23番目の発車は新大阪23:31発の宇野行き急行「鷲羽1号」(601M)で関西始発の定期夜行列車では最終列車となる。急行「鷲羽1号」は宮原の153系だが5号車のグリーン車のみサロ165を組み込んだ全車指定編成である。

 

そして24番目は新大阪23:25発の臨時急行「鷲羽51号」(9603M)の宇野行き、宮原の165系モノクラス編成で全車指定席だが「鷲羽1号」(601M)も行「鷲羽51号」(9603M)も宇野線宇野駅から宇高連絡船・深夜便に接続しているが宇野着がAM2時台なので寝れない夜行列車としても有名。走行区間も短くて中途半端だけど関西圏からの四国連絡列車として多客期シーズンのみ人気があった。

 

関西発着山陽・九州方面の夜行列車は以上だが番外編として名古屋を22:50に発車する福岡行きの寝台特急「金星」も京都と大阪に停車するので敢えて仲間に入れておく。「金星」は583系門ミフ車を使用、博多着が10:11なのでビジネスには使えないが下松以西の山口県内には出張に使いやすい時刻。以上で終わりだが名古屋始発を含めた関西始発の山陽本線方面・九州方面の定期夜行列車が9種類もあるのに30年後の2005年に残ったのは何と「彗星」「なは」「あかつき」のみという事実。

         

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                          ★★★★★Memories of the night train★★★★★