夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

快速 ムーンライト(指定席)

1996年1月5日(金曜日)、2日前に大垣夜行・375Mで静岡県まで行ったばかりだけどその2日後である1月5日に羽越線583系9両(盛アオ車)の団体臨時運用を撮影するためにN君から購入した青春18きっぷの残り1枚を使って青春18きっぷで快速「ムーンライト」で行くために新宿駅5番線で入線を待っていると同じ会社に勤めるN君がやってきたが磐越西線・非電化区間DD51+50系客レが廃止になって快速「ムーンライト」に乗る機会も少なくなってきた。

 

新宿駅でN君と快速「ムーンライト」の回送を待っていると中野方面から22:50に回送が入線したので早速5号車となる上沼垂運転区のモハ164-853に乗り込み、指定された席に荷物を置いて編成(TC165-195+M'164-853+MC165-130)を確認し、階段上がったコンコース売店で缶ビールとツマミを購入して車内に戻った。車内は年末年始明けの金曜日で学生にとっても翌週から学校が始まるので車内は空いているかと予想したが青春18きっぷ最後の週末前夜なので意外と18きっぷ利用客らしき乗客が多くて驚きであるが快速「ムーンライト」は新宿駅を定刻23:03に発車したのでN君と乾杯した。

 

深夜の新宿副都心の夜景を眺めながら列車は池袋(23:11)、赤羽(23:26)と停車しながら山手貨物線埼京線)から東北貨物線へ入り、東京都から埼玉県に入ると大宮(23:40-43)に到着。今夜乗ってる「M'164-853」は1969年6月に東急車輛で新製され、津田沼電車区へ配属後に1972年7月に今度は幕張電車区へ転属。房総半島を走る急行電車の運用に就いたり、臨時で急行「アルプス」「かわぐち」「かいじ」「こまがね」等の運用に入る。1982年11月に新潟運転所へ転配すると急行「佐渡」「よねやま」の運用へ回され、1986年11月・新潟運転所から上沼垂運転所へ移転すると急行「赤倉」・快速「ムーンライト」で使用されるようになる。

 

大宮駅を発車すると快速「ムーンライト」は高崎線へと入るが今宵は3両編成なのと車掌がテキパキと切符チェックを進めて6号車の検札が終ると号車別にデッキの配電盤を開けて減光にしたので我々が乗ってる5号車も吹上駅の手前で減光になった。要領の悪い車掌だと全部終ってから一斉に減光するけど人それぞれにやり方が違う様である。N君と明日はどこで撮影しようか相談するが日本海沿いの冬は鉛色の空で雪晴れは希薄なので今川~越後寒川や今川~桑川の俯瞰で海を入れて撮るのは諦めて天気次第で村上~間島の海バックか天気が悪い時は三面川橋梁に狙いをつける。

 

いつもなら磐越西線の客レ撮影だと4:49着の新津駅で降りるため、早寝するけど今回は終点の村上駅まで行くのでいつもよりは遅くまで起きていると快速「ムーンライト」は高崎駅(0:55-1:09)に停車したため、N君と顔を見合わせながらホームの自販機で缶ビールの350ml缶を購入して乾杯してからリクライニングを倒して寝ることにした。以降は就寝中に停車した駅の時刻・・・長岡駅(4:05-15)・見付駅(4:26)・東三条駅(4:36-37)・加茂駅(4:44)・新津(4:59-59)・新潟(5:12-19)・豊栄(5:32)新発田(5:44-44)・中条(5:55)。目が覚めたら既に列車は逆方向に向いて走っており、白新線から羽越線に入っていた。

 

目が覚めたのは中条~坂町だったので急いで下車準備をしいたら快速「ムーンライト」は定刻6:12に終着村上駅に到着した。どうせ583系の回送電車は2時間後なので現地の天気を調べると曇り時々雪の予報で日本海側方面には鉛色の空なので海バックは無駄だと確認して村上~間島の三面川橋梁に確定である。撮影地までは徒歩30分かかるが年末年始は2人とも不摂生な生活が続いたのでトレーニングを兼ねたいい運動である。9時少し前に通過する583系×9連の回送を撮影して村上駅へ戻り普通電車や快速電車を乗り継いで東京向かった。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★