夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 北陸(B1)

1996年11月4日(月曜日)、 三連休も今日で終わりだが、現地2泊の能登北陸旅行を終えてレンタカーを返却して夕飯を済ましてから駅で上り寝台特急「北陸」の入線を待っているが翌日は平日なので利用客は少なそうである。21:46頃に西金沢方面から「北陸」が入線すると牽引機は長岡運転所のEF81-127が牽引だった。往路と同じく9号車ソロに乗ると行きと同じスハネ14-758で帰路のソロ個室の割り当ては7番(1階)、9番(1階)、10番(2階)、を押さえる事が出来て7番は自分、9番は子供、10番は嫁が乗る事に決まり、部屋に荷物を置いて下りで使ったカードキーで施錠してから息子と先頭へ歩く。

 

長岡運転所のEF81-127はヒサシがないタイプだったが「北陸」のヘッドマークはEF81にもEF64にも似合うようなデザインだと思う。機関車バックで子供を入れて撮影してから9号車へ戻り、買物を終えた嫁と合流して取りあえず9号車7番に3人集まって旅のフィナーレを記念して好みの飲み物とお菓子で談笑タイム。僕は能登牛のビーフジャーキーで缶ビールを飲み、嫁と子供は加賀あんころ餅に緑茶やジュースといった感じで楽しんでいると寝台特急「北陸」は定刻22:08、金沢駅を静かに離れた。明日は僕は仕事だし、子供は学校があるので今夜は早めに終了解散した。

 

飲食はしないので洗面所で歯磨きしていたら列車は津幡(22:18-19)に到着、帰りに息子の部屋によって明日は学校登校日だから今夜は早く寝るんだよと忠告したけど早く寝たら来年早々に特急「白山」フル乗車の旅を餌に言い聞かせた。深夜の倶利伽羅峠を越えて石川県から富山県へ入った頃に7番個室に戻って備え付けの浴衣に着替えて寛いでいると高岡(22:42-43)に到着して数名を乗せて寝台特急「北陸」は上野駅を目指しながら北陸第2の都市である富山(22:58-58)に到着。そろそろ時間なので寝る体制でベッドに横になりながら乗車している車両の事を考えながら寝たようである。

 

因みに乗車してるスハネ14-758の前身であるオハネ14-99は1972年7月に製造されて品川客車区へ配属後は「さくら」「みずほ」「あさかぜ」運用に入って、1975年3月に早岐客貨車区へ転属後3月14日から「あかつき」「明星」「日本海」の運用に入って南は熊本まで、北は青森までのロングラン運用に就くが1978年10月2日から尾久客車区へ転属して「北陸」「北星」「ゆうづる」の運用に入り、1982年11月からは急行「妙高」、1984年2月からは急行「津軽」そして1985年4月から急行「能登」の運用にまで入って1990年4月20日に北陸ソロへ改造されるまで華麗なる転配歴がある車両であった。

 

就寝中の停車駅と時刻[* は運転停車富山駅(22:58-58)・魚津駅(23:17-18)・糸魚川駅(23:57-58)・直江津(0:27-30)・長岡駅*(1:30-2:06)・越後湯沢駅*(3:05-09)・水上駅*(3:48-50)・高崎駅(4:44-46)・大宮駅(5:53-54)。目が覚めると大宮駅に停車していたので子供の部屋と嫁の部屋をノックして「次上野駅だよ」の伝言をしてから1号車まで急いで車内を歩いて牽引機を確認しに行くと長岡運転所のEF64-1053が、大きな車体を揺らしながら14系寝台車を牽いている姿を確認。急いで戻り、洗面と歯磨きを済ませて下車準備が終ると既に東十条駅を通過。

 

嫁はグッスリと寝たようだが子供は夜更かしした様で眠たそうだが学校の授業中に寝ないとよいのだが10歳(小学生4年生)になれば親がグチグチ文句言っても始まらず、自分で己を管理する能力を備えて欲しいものである。尾久駅を通過する頃には7番個室に全員揃うと寝台特急「北陸」は1分遅延した6:20に終着駅でもある上野駅14番線ホームに入線した。機関車確認は終っているので先頭までは行かずにエスカレーターで大連絡橋から2番線へ移動して京浜東北線北行電車で田端まで乗って帰宅後にシャワー後着替えて自分は職場へ向かった。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★