夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

臨時大垣夜行 9375M

1996年1月3日(水曜日)、1996年になって最初の夜行列車レポートとなるが品川駅9番線で臨時大垣夜行9375Mの入線を同じ勤務先に努めるN君を待っていた。実はN君から青春18きっぷが余ってるので正月末に東海道線・興津~由比の通称由比S字カーブで東海道線の上り寝台特急第二群を撮りにいかないかと年末から誘われていた。N君も僕も静岡県内なら確実にマイカーで移動してしまうが青春18きっぷが余っているのでは協力しましょうと品川駅9番線ホームの最後尾乗車位置で落ち合って代金を渡すと翌日の乗車日が入った青春18きっぷを受け取る。

 

N君との夜行列車に乗っての撮影行きは1995年8月10日の臨時・夜行急行「妙高」以来だと思うがまだ正月三が日が終わっていないのに臨時大垣夜行9375Mに乗車する人は多く、大垣夜行に限っては繁忙期移動の下り/上り需要が曖昧で掴めない。今夜は田町電車区の167系8B運用である。発車2時間前から待っていると突然入線アナウンスと165系のライトが光り、入線して扉が開くと8号車(クハ167-1)に乗り込んで2人でBOXをキープするとよく見かける撮り鉄2人が「ここ空いてますか?」と挨拶したので許諾したが名前こそは知らないけど各地の撮影地や夜行列車内で見かける24~27歳の若者だ。

 

車内の席はあっという間に全て埋まり、23:55に品川駅を発車すると日付が変わる5分前に列車は西へと向かった。臨時大垣夜行9375Mは蒲田駅付近で日付が変わり、僕とN君と若者2人の計4人で明日の撮影話で盛り上る。若者2人は浜松まで乗って上り始発電車で金谷から大井川鐵道に入り、しめ縄の付いたSLを列車と撮影するとの事である。多摩川を渡り、神奈川県に入ると川崎駅(0:04)・横浜(0:13-14)と停車するが臨時列車なので途中駅から乗る乗客はいつも以上に少ないのは、まだ仕事が始まらない新年早々だからなのだろう?。

 

いつもなら夜行列車の旅立ちだと必ずお酒とか買って車内で乾杯するのだけど正月の元旦と二日両日は飲み過ぎたため、今夜は休肝日なのでノンアルコールのソフトドリンクで乾杯した(笑)。戸塚(0:24)・大船(0:29-30)と停車して横浜市から藤沢市に入ると、藤沢(0:34)・辻堂(0:38)・茅ヶ崎(0:42)へ各駅に停車する。同じBOX席内では1995年冬にNTTドコモの携帯電話、デジタルムーバ101シリーズを契約購入したN君の話題になるがN君曰く、基本料金と通話料金が高いと苦笑いしていたけど自分に身近なK君も携帯電話を所持してるし、携帯は急遽旅先や撮影地でも連絡が取れるので必須アイテムだ。

 

列車は深夜の東海道本線を飛ばして平塚(0:42)・大磯(0:51)・大磯(0:51)・二ノ宮(0:56)・国府津(1:01)に停車。N君は若い2人と話していたが自分は大晦日からの慢性的な寝不足で小田原到着前に寝てしまったようである。以下は就寝中の停車駅時刻・・・小田原(1:08-10)・熱海(1:29-30)・三島(1:43-43)・沼津(1:50-56)。2時くらいにN君から起こされるが、猛烈に眠くてこの先の予定がどうなってもいいからこのまま寝ていたい衝動に駆られるがそれは一時の事であって正気に返ると現実と向き合う事になるため、眠い目を擦って起きた。

 

急いで下車準備をしていると列車の速度が遅くなったのでデッキに移動して富士(2:12-13)で9375Mを下車するとどこかでK君の声が聞こえ、周囲を見渡すと上り線の先端で臨時大垣夜行を撮影中だった。K君と合流して由比~興津にある興津川橋梁へ行き、早朝まで待機してからEF65-112が牽く12系臨客をサイド気味に撮影したら今度は同じ興津~由比の由比S字カーブへK君車で移動して3人で長崎運転所持ち15形寝台車の「あさかぜ82号」から「富士」「はやぶさ」「さくら」を写し、明日まで休みでそのまま飯田線で撮影するK君に興津駅まで送ってくれたので駅前で少し雑談してから別れた。

 

N君と興津駅発10:26発の442Mで沼津駅まで行き、沼津駅始発の344M(昔の上り大垣夜行みたいな列車番号だ)にそのまま乗り継ぎ東京へ到着後に帰宅。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★