夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

ブルートレイン・20系

ブルートレイン」 ・・・ 青い帯のように夜を駆け抜ける固定編成の寝台列車を誰となく、ブルートレインと呼んだ。窓ごしに街のネオンを別れ、ごとごと揺れるベッドで目を覚ませば見知らぬ土地に運んでくれるブルートレインには汽車旅の魅力と味わいが残っています。そこにはスピード本位の飛行機や新幹線が切り捨ててしまった安らぎがあったのである。"星影の旅情"や"青い流れ星"というネーミングが使われたのも20系後期くらいでブルートレインブームなんて言葉が世に出てくるほど夜行列車での癒しや旅情を求めていた人が多かったに違いない。

 

しかしそんな人気のあったブルートレイン整備新幹線や地方飛行場の開設と航空便が増えてブルートレインもすこしずつ減ってゆくが1970年台は「安芸」と「いなば」の名称消滅だけで本格的なブルートレインの衰退は1980年台以降になる。ブルートレインの定義って何だろう?青い色の列車から?そうすると青い電車や気動車まで全てブルートレインになってしまう。一般的には寝台専用特別急行寝台特急)の固定編成の説が有力だが12系座席車や14系座席車もブルートレインに入れてしまう無理やり的な記述が残ってる書籍もあるほどだ。そこで簡単だけどブルートレインに付いて簡単に整理したく、1回目は20系を紹介したい。

 

【20系】20系寝台がデビューしたのは今から約63年前の1958年で、1970年まで製造が続けられた。サービス電源を自車の専用発電機で補う(一部パンタからDC1500Vを集電して非電化区間は電源車内のディーゼル発電機から給電される)マニ20、カニ21、カニ22の発電電源集中化を図って全車完全冷暖房の密閉式になった固定編成として集約している。初運用は1958年10月1日からで「あさかぜ」(7レと8レ)に充当された。その後は1959年7月20日付で「さくら」から20系運用が広がる。

 

更に1960年7月20日はやぶさ」・1963年6月1日「みずほ」・1964年10月1日「富士」「はくつる」・1965年10月1日「あかつき」「ゆうづる」・1968年10月1日「彗星」「日本海」「あかつき」1970年7月1日「あけぼの」・1972年3月15日「出雲」「瀬戸」・1972年10月2日「つるぎ」・1973年3月1日「北星」「北陸」「安芸」を順次投入。約17年間を寝台特急で使うと老朽化するので一部の寝台専用急行の10系寝台・ハネやロネを救済すべく、1970年代から14系寝台車投入や24系投入で余剰になった20系を寝台専用急行にも運用した。

 

1976年2月20日「銀河」・1976年10月1日「天の川」「新星」。1977年以降は寝台専用急行に関わらず、20系と12系座席車との併結を目的にナハネフ22やナハネフ23とナハネ20の1000・2000番台改造して客用扉を12系客車と一括操作可能な自動ドアに交換。サービス電源を12系客車の440Vから供給とするために1000番台車はジャンパ連結器を12系客車対応品に交換。さらに変圧器などを搭載ナハネフ22形・23形は車掌室・業務用室に車掌スイッチ、デッキにドアコックを取付。

 

更に急行「十和田」及び「だいせん」が20系化される際に座席車が必要になったため、A寝台だったナロネ21形16両を種車に改造した普通座席車ナハ21が生まれて充当された。20系の寝台車以外に座席車併結を含む夜行急行化(「十和田」「だいせん」以外は全て12系座席車を併結する20系の夜行急行)は以下のとおり。1977年10月1日「十和田(201レ・204レ)」・1978年3月15日「かいもん(101レ・102レ)」・1978年3月16日「日南(501レ・502レ)」。1978年10月2日からは「ちくま(4803レ・4802レ)」「だいせん(705レ・706レ)」「さんべ(811レ・812レ)」まで20系が普及していく。

 

その後も20系の臨時寝台特急や臨時寝台急行は増えるけど全部追ったら大変なのでゴーサントオ(昭和53[1978]年10月2日ダイヤ改正)以前の動きとしてそれ以降はキリがないため、今回の20系特集に終止符を打った。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★