夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

大垣夜行 375M

1995年3月17日(金)、東京駅9番線ホームの北口階段側にある大垣夜行11号車乗車口の近くで375Mの入線を待っていた。3月18日と19日は親交のある撮り鉄仲間の連盟鉄道写真展覧会が名古屋市内のフォトギャラリーであるため、見学と応援を兼ねて前夜の大垣夜行375Mで行こうぜと何人か仲間を集めた。3月17日から4月2日までは品川駅始発の救済臨こと、9375Mが、毎日走るので大垣駅より西へ向かう旅人は乗り換えの431Mへ早く接続するので定期375Mに狙いを付けておいた。そう言えば2日前も大阪出張でこの9番線から急行「銀河」乗っている。

 

いつものK君始め、顔馴染みが合計4人集まる時間には行列が出来始めるが、品川始発の救済臨9375Mは行列が更にエキサイトしていたとT氏が到着早々に報告してくれた。下り大垣夜行に乗るのは1994年1月以来となるけど自分にとっても大垣夜行は久々の乗車になり、1年後には快速「ムーンライトながら」に変わるので165系の定期大垣夜行はもしかしたらこれが最後になるかも知れない。そうこうしていると9番線には375Mの回送電車が23:33に入線して扉が開くと11号車のクモハ165-86に雪崩れ込む様に乗車した。

 

我々は先頭集団だったので進行方向右側の定番ボックスを確保して短い7分停車を利用して買出しに行くが、自分は駅売店だと品数も少ないので日本酒やツマミは地元の安いスーパーで購入して350mlの缶ビールのみ購入して車内に戻ると知り合いやよく見かける顔馴染みも乗っていて車内が落ち着いてから様子を伺うと目的地は同じとの事であった。23:40に東京駅を発車したので4名で乾杯いていると新橋(23:43)に停車して旧東京機関区・旧品川客車区(何れも品川運転所)に田町電車区の一大ヤード群を横目に見ながら品川(23:49-52)に到着。

 

通常、品川駅は45秒停車だけど大垣夜行救済臨(9375M)が、走る日は品川発から小田原着まで時変(時刻変更)がかかり、375M運行ダイヤの調整が生じる。品川駅で3分停車してから発車すると多摩川を渡り、川崎駅(0:01)に到着した。今宵は川崎から日付が、変わるので青春18キップは川崎駅から使用開始となるが自分は家を出て最寄の田端駅で日付を入れてもらってる。横浜(0:09-10)・戸塚(0:20)・大船(0:25-26)・藤沢(0:31)と順調に停車して東京を発車して1時間経過した平塚駅(0:44)くらいで酒宴は終わり、小田原(1:04-05)を発車すると就寝するメンバーも増えてきた。

 

自分は東海道線・東京口の鉄道写真撮影地・聖地であった根府川~真鶴間にある白糸川橋梁(アンダートラスの鉄橋)を渡り終えてから就寝したが1ボックスに男が4名足を突き出しながら寝る訳だから誰かが動くと起こされてしまい、完全熟睡には程遠い。就寝中の停車駅と時刻は・・・熱海(1:22-24)・三島(1:35-36)・沼津(1:42-47)・富士(2:02-03)・静岡(2:33-40)・浜松(3:39-4:15)・新居町(4:31)・豊橋(4:49-52)・蒲郡(5:09)・岡崎(5:23)・三河安城(5:34)・大府(5:46-46)。仲間の話だと浜松駅で定期375Mを救済臨9375Mが抜いて行ったらしいが、自分は大府くらいまで寝ていたそうだ。

 

外はまだ暗くて夜の延長だけど始発電車の役目を担って各駅に停車しながらJR東海本社のある名古屋駅(6:08-14)6番線に到着。6分停車では何も買えないので自販機で暖かい缶コーヒーを買って終了、名古屋を発車すると稲沢駅周辺で愛知機関区のDD51が、見えると一瞬だけど東新潟機関区から転属したA寒地装備の758号機が見えて目で追ってしまった。今日は土曜日なので朝のラッシュは無いため、車内はまったりだけど岐阜駅(6:43-43)に停車すると西岐阜(6:47)・穂積(6:50)に停車して6:59に終着・大垣駅へ入線した。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★