夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 あさかぜ4号(B4)

1994年10月9日(土曜日)、博多駅4番線ホームでこちらもいよいよ1994年12月2日を最後に定期列車から廃止される寝台特急「あさかぜ4号」」の入線を待っていた。 「あさかぜ1・4号」は臨時列車の「あさかぜ81・82号」へ格下げされるが、東オクの14系14型または熊クマ14系15形のオール開放B寝台オンリー9両となる。 因みに「あさかぜ1・4号」に連結してあったA1(シングルDX)は24系にリニューアルする「はくつる」へ。B個室のB2(デュエット)とB4(カルテット)は夢空間用の編成として移籍。 こうなると臨時でも博多「あさかぜ」は現在の面影が、消滅しそうで「みずほ」の惜別乗車より、こちらがメインなのである。

 

 因みに「あさかぜ81・82号」となる車両の東オク14系14型は廃止になった品川持ち「みずほ」付属編成を尾久に転属させて寄せ集めから補充するとは世も末だけど天下の博多「あさかぜ」で20系元祖ブルートレインなのに急に寂しくなる。 「みずほ」で長崎に到着した我々4名は長崎新地中華街でランチを楽しみ、特急「かもめ24号(787系)」で博多駅に戻って家族への土産や夕飯の駅弁など食料を求めて4番線ホームで待ち、文章最初の冒頭へ繋がる。 帰路は4人用カルテット(B4)なので入線前にホームでジャンケンの寝台場所争奪戦を行うと自分は2番抜けで下段にありついた。

 

17:23、大分運転所のEF81-413に牽かれて旧竹下区(現博多運転区)からの回送が入線すると扉が開いて早速2号車に乗車したらオハネ24-703だった。 停車時間があまりないので飲み物(と言ってもビールばかりだが)を購入して車内に戻ると寝台を4人用ソファーに変更して帰路の酒宴を準備開始。 博多駅を定刻17:32に発車した寝台特急「あさかぜ4号」は日没前の筑肥路を進むと下関車掌区の車掌が来てキップ拝見が終わると乾杯のやり直しを行う。 カルテットはソファーにすると窓際のテーブル以外にソファー収納のテーブルが、現れるので有効利用しようと一口大に切れてる明太子や焼売を広げる。

 

列車は黒崎(18:15-15)・小倉(18:28-32)に停車しながら2号車のカルテット個室内では飲みながらの評価めいた意見が多数出たけどカルテット自体は1984年7月20日「さくら」で既に乗車済みのため、詳しくは記さないが10年ぶりの乗車で自分にとっても元祖B個室だから懐かしさもひとしおだ。 やがて列車は門司駅(18:40-45)に停車に入線すると機関車交換は無いので5分停車を利用して改札横に売店まで行って追加のビールやふぐのヒレ酒などを購入して車内へ戻った。 機関車や運転士の交換もなく、5分も停車するのは解せないけどATCの投入と関門隧道入口にあるデッドセクション切替準備に要する時間らしい?。

 

門司駅を発車して関門隧道を越えると9分で下関駅(18:54-58)に到着すると博多駅から牽引してきたEF81-413が外されて、変わりに下関運転所のEF66-55が連結されると制動試験・貫通試験に無線機・感明試験が終わると発車となる。 自分は最後となる「あさかぜ4号」の機関車交換を目に焼き付けたが、他のメンバーはホーム売店で家族の土産となる瓶入り粒ウニ等を購入したみたいだ。 下関駅を発車してすぐに我々は博多駅で銘々に購入した駅弁で夕飯タイムに移行、自分はおかずが多い筑前お弁当をビールで流し込んだ。 列車は本州に上陸すると宇部(19:34-34)そして防府(20:08-08)も停車。

話は元祖ブルートレインの「あさかぜ」話題に移って各自が、乗った「あさかぜ」乗車ネタで盛り上がる。 自分は1984年に4号を2回、1987年に3号と1号を1回ずつ乗車して1991年に1号を1回、1993年に2号を1回、そして今回の4号を1回乗車の合計7回乗車だが3回が出張利用だけど我々の中だとW氏が10回乗車の№1だったが、「あさかぜ」にB1ソロが、連結されていれば最多利用になったかも知れない。「あさかぜ4号」は徳山(20:31-33)・岩国(21:25)と進み、山口県から広島県に入って宮島口(21:42-43)を発車した頃には各自寝台へ横になってから雑談は続いたが、自分は広島到着前に寝てしまったようである。

以下は就寝中に停車した駅と時刻(<>=運転停車)広島(22:03-07)・尾道(23:20-21)・岡山(0:17-19)・大阪<0:28-30>・京都<3:02-03>・米原<3:52-54>・名古屋<4:51-55>、東海道線内の寝台特急が、4駅連続の運転停車とは珍しいけど運転士交代とカニ24内部の荷物扱いがあるためで因みに上り「はやぶさ」でも4駅連続運転停車があるのに驚き。 自分は朝6時に起床して洗面と歯磨きなどを済ませて個室に戻るとちょうど浜松(6:06-07)に入線するところであった。飲み物が欲しくなり、4号車のスハネ24(B2)の端にあるミニロビー室というかシャワー待ち談話室みたいな場所にある自販機で冷えたソフトドリンクを購入。

 

7時頃にカルテット個室へ戻ると全員起きており、自分は静岡駅で受け取る予約駅弁を引き取りに2号車デッキで待機していると静岡(7:04-05)に到着。 朝食の駅弁くらい車内販売で買えるけどJR東海系(SPSかJ・D)は高いため、避けて東海軒の幕の内弁当とお茶を人数分事前予約した。 まだ暖かいので早速頂いたが、この弁当は大垣夜行347・344Mや345M・340Mなどでよく食べた弁当で美味しくて幕の内弁当の完成形に近いと思われると4名で食べながら話を集約したら列車は沼津(7:46-47)に到着。 カルテットは日本初の元祖B寝台個室だけど通路側に窓もあってエアコン調節もあるのに外から鍵がかえないのが唯一の欠点か?。

丹那隧道を出ると熱海(8:06-07)を発車して湯河原駅手前の千歳川橋梁を渡ると静岡県から神奈川県に入るが、この先早川駅手前まで相模湾が見えるので通路側に出て秋の相模湾を眺めていると海の青さと沿線の温州ミカン畑の実のオレンジ色と葉の緑色がよいカラー・アクセントになっている。 小田原駅を通過したくらいから下車の準備をして静岡県界隈では姿を見せなかった富士山が、平塚~辻堂間くらいで望め、大船駅の観音様が見えると横浜市に入り、横浜(9:08-09)に到着。 M君は横浜駅から羽田空港直行高速バスに乗って空路で札幌に戻るため、デッキで見送った。 横浜を発車すると東京までは24分だ。

川崎駅先の六郷橋梁から都内に入り、並走する京浜東北線を何本も抜かしながら品川駅を通過すると既に帰区している第一群のブルートレインが、勢揃いしているシーンは素晴らしいけど2ヶ月後には第二群の「あさかぜ1・4号」と「みずほ」が廃止になるのは残念すぎる。新橋駅通過前くらいから下関車掌区ベテラン車掌の東京駅到着の案内放送が、流れて9:33、定刻に東京駅9番線ホームに到着した。 下車後ホームで流れ解散して自分は田町駅まで戻って田町駅京浜東北線南行きホーム先端から「あかかぜ4号」の回送10列車を撮影して帰途に就いた。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★