夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

大垣夜行345M⇒急行東海52号

今から紹介する記事は乗車した日にちや時期が分からないため、今まで前のyahooブログにさえ紹介されずに日の目を浴びる事がなかった記事です。そのような想い出・夜行列車レポートにも採用されなかった記事ですが、Hetena Blog移転で機会があればその様な記事もアップしてみたらどうかと個人的に考えて数点だけUPしてみる事にする。

 

乗車日が全く不明で1980年頃(青春18きっぷがこの世に存在しなかった)だと記憶するが当時何気に時刻表を眺めていたら大垣と品川を結ぶ臨時急行「東海52号」という列車に乗ってみたくなり、前夜の東京駅で列車番号が347Mから345Mへ変わったばかりの大垣夜行を東京駅9番線ホームで待っていた。シーズオフ平日の大垣夜行は意外と空いていたし、当時はまだ週休二日制などなかったので土曜日以外は確実に楽な旅が出来たので大学4年生だった自分は入線1時間前に並んで23:08に入線した345Mに乗り込んだ。

 

急行「東海」は1972年くらいまでは東京~大垣間を定期列車で走っていたけど自分が本格的に鉄道趣味を意識した大学時代の急行「東海」は東京~静岡のみの運行だったのでこの臨時急行「東海52号」は是非とも乗ってみたくて、そのための大垣夜行345M乗車なのです。入線してから発車までの17分間は瞬く間に過ぎて、定刻23:25に345Mは西へ向かった。自分が乗った神田寄りに連結された最後尾から2番目の車両は空席も多かったが、新橋駅(23:28)で遅い帰宅のサラリーマンやサラリーウーマン達が座って全て席が埋まる。

 

品川駅手前では東京機関区、品川客車区、田町電車区の一大車両基地を通るが殆どの夜行列車は出払っているため、今夜は運転のない「銀河51・52・53号」の14座席車や14系・24系ブルートレインの予備車が停車しているだけだ。品川駅(23:34)・川崎駅(23:44)・横浜駅(23:53-54)に停車して、横須賀線保土ヶ谷駅を通過してすぐに日付変更を迎えて東海道線を更に下る。新橋や品川で乗車した遅い勤め帰り人も大船駅(0:12)・藤沢駅(0:17)・辻堂駅(0:21)・茅ヶ崎駅(0:25)の各駅で徐々に下車して4人BOX席も禁煙区間が終わり、煙草が吸える平塚駅(0:31)に到着すると自分も愛用の煙草に火をつけた。

 

平塚到着時点で自分だけしか座ってないBOXを貸切って前に靴を脱いだ前足を伸ばして2本目の煙草を吸っていると今夜は豊橋までこの状態が続きそうだ。青春18きっぷが、世に出る前のシーズンオフで翌日も平日の大垣夜行はこれが当たり前だったのである。静岡まで起きていても駅弁を買う予算もないので、早寝に決めて足を伸ばしたまま就寝した。以降は時刻表表示で1分以上停車のある駅のみ停車時刻記載・・・小田原駅(0:53-54)・熱海駅(1:18-19)・沼津(1:40-42)・富士(1:57-59)・静岡(2:29-37)・浜松(3:50-4:03)・豊橋(4:43-51)・大府(5:43-44)。

 

車内のザワツキで目が覚めると通路に立ち客がいて急いで1BOX解放後座って煙草を吸うと朝夕は禁煙だとかのたまうアホがいてこの当時は禁煙区間こそあったけど禁煙車や東海道本線の時間帯禁煙はなく、名古屋鉄道管理局・大垣電車区165系車内にも禁煙区間は東京⇔平塚の記述しかなかった。よって周囲に遠慮なく煙草を吸って紫煙を派手に上げたのだが、同調するように他の東京駅から乗ってきた愛煙家も煙草を吸ってたけど当時の嫌煙派は肩身が狭かったに違いないと結婚を気に煙草を止めた私が言うのも変かな?

 

洗面して下車準備をしたり、トイレで用を済ましていると345Mは10分停車の名古屋駅(6:07-17)に到着したので立ち食いのきしめんを食べてから列車に戻るとどこで下車するか時刻表を見ながら考える。このまま大垣駅まで行くと臨時急行「東海52号」には乗れないので6:35の尾張一宮駅で下車して尾張一宮駅6:54発の急行「東海52号」に乗る事に決めて一段落(大垣まで行けないのは残念だけど今回は「東海52号」(8312M)に乗るのが目的なので致しかたない・・・なお乗車券は普通の乗車券より安い「名古屋・岐阜ミニ周遊券」を学割で購入しておいた。自分は345Mを尾張一宮駅で下車して上り線ホームへ急ぐ。

 

尾張一宮駅ホームで大垣駅を6:28に発車した臨時急行「東海52号」を待っていた、大垣駅を出る途中駅は岐阜駅(6:40-43)だけなので確実に座れるだろうと思っていたが入線したのは大垣電車区165系8両編成にて入線したので乗り込むと2日間しか、運転されない臨時列車だけど先客はそこそこ乗ってたけど余裕で海が見れる進行方向右側のBOXをキープした。すぐに先ほど345Mで通った名古屋駅(7:11-13)で、下車客も乗車客もそこそこ乗ったけど見た目が通勤客ばかりで長距離移動客は殆ど乗っていないのが笑える。

 

名古屋を発車すると大府(7:30-31)・苅谷(7:35)・安城(7:41)・岡崎(7:51)・蒲郡(8:05)・と急行らしくないまるで快速の様な停車駅で進み、豊橋駅(8:19-22)でほぼ通勤・通学客の輸送を終えた臨時急行「東海52号」(8312M)は急行らしい停車駅と速度に戻って愛知県から静岡県に入り、浜松駅(8:50-54)に停車した。日中の東海道線中京圏内から首都圏に向かう珍しい列車なので3分停車の豊橋駅ホーム売店で購入した稲荷寿司を車内で食べたけど本音を言えば浜松駅の鰻弁当が食べたかったのである。

 

列車はこの先、静岡(9:53-55)・草津(10:04)・富士(10:27-28)・吉原(10:33)・沼津(10:48-50)・三島(10:57)・熱海(11:12-13)と東海圏を進むが流石に静岡から先は定期の急行「東海」が2往復設定されているので、利用客も増えてやっと長距離優等列車らしくなって来た。熱海を出ると,急行「東海」や急行「伊豆」(当時は全車153系)と同じ停車駅を辿り、小田原(11:35-36)・国府津(11:41)・平塚(11:53)・藤沢(12:03)・大船(12:08)・横浜(12:23-24)・川崎(12:32)・と停車して終着駅の品川には12:42に到着した。学生時代は川崎の実家に住んでいたので定期券で戻ったが、大垣電車区165系8両(TC M' M TC+TC M' M TC)を大垣方面へ送り返したのが分からず仕舞いであった。

 

当時は臨時大垣夜行も無かったし、団体輸送か集約臨で戻すスジも分からず、臨回電Aという仕業で返却回送したのかも知れないが、その手の情報に詳しい鉄道ダイヤ情報誌も年4回発売の季刊だったため、アテにはならなくてその時は現業機関(運転所や電車区)とのパイプも無く、迷宮入りと相成った(笑)。


         ★★★★★Memories of the night train★★★★★