夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 だいせん(12系・自由席)

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで、2019年2月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載しています。

 

5月24日の夜に撮り鉄仲間のK君から5月28日は「出雲1号」の米子~浜田間が、DD51重連
牽引になるとの情報をもらい、5月28日(金曜日)は年次休暇が、取れないか連絡が来ていた。5月~6月は年間で一番仕事が、暇な時期ゆえ、参戦OKの返事をして当日は17時ジャスト定時退勤して一旦帰宅後、大至急着替えて撮影機材を担いで急行「だいせん」に接続する新幹線に飛び乗り、食堂車で夕飯を済ませて新大阪駅から大阪駅へと向かう。

 

1993年5月27日(木曜日)、大阪駅1番線ホームへ移動すると既に急行「だいせん」が、入線して扉を開けるところだったが5号車のスハフ12-3005に乗り込むと485系電車の発生品である簡易リクライニングシートへ交換した席になっていたが、フリーストップリクライニングシートでないのが残念。更に化粧板・トイレ・洗面所のリニューアルが行われて車掌室側妻の貫通路開戸に「だいせん」のテールマークが設置してあった。 木曜日の夜行列車なので遅い仕事帰りが、目立つ程度で旅行者は数える程なため、前の席を回して荷物で場所キープしてから牽引機を確認すると米子運転所のDD51-1130だった。

 

急行「だいせん」は初めて乗る夜行列車で詳細は書籍程度での予備知識しかないが、普段
からも関西圏発着の夜行列車に乗る機会は少ないので今夜は楽しみである。大阪駅を定時22:55に発車すると尼崎まで東海道線を走り、その先から福知山線に入るが自分がまだ大学生の頃に旧線の武田尾駅周辺の武庫川沿いでDD51が牽引する旧客を撮影した事がある。今は新線なので昔ながらの風情はないけどその時の思い出が、濃く残っている。 急行「だいせん」は宝塚(23:22-22)・三田(23:41-41)に停車して、日付が変わり、篠山口(0:09-09)に到着すると駅弁を販売していた。

鈍行夜行「山陰」が走っていた頃は福知山駅のリアカー深夜の駅弁が、有名だったけど篠山口は1分停車なので時間的に難しそう。 僕は新幹線の食堂車で沢山食べ且つ、飲んだので駅弁はパスしたが、明日は早朝4:54着の倉吉駅で下車するので早めに就寝・・・念のために目覚まし時計を4:50に合わせて就寝。 なお途中の停車駅・時刻は以下の通り(1分停車以上のみ)・・・福知山(1:01-22)・和田山(1:58-59)・豊岡(2:28-30)・城崎(2:40-41)・鳥取(4:12-15)。実は鳥取停車する時にトイレで起きたため、下車駅の倉吉まで40分弱なので下車準備をして車掌に聞いた階段前の号車まで荷物を持って移動しておく。

急行「だいせん」は倉敷から快速3735レになるが倉吉駅に到着すると猛ダッシュで階段と跨線橋を移動して駅前に出ると、後部扉を開けていたK君のパジェロに撮影機材を放り込んでタイヤを鳴らして出発。 国道9号線から急行「だいせん」くずれの快速3735レを追尾するが、道路は空いているので怖いくらい飛ばすから八橋駅の手前で快速3735レを抜き去り、淀江伯耆大山の撮影地に到着。 ここで「だいせん」くずれの快速3735レと寝台特急「出雲1号」を撮影して「出雲1号」をすぐに追いかける。 「出雲1号」は米子10分、松江2分、荒島4分、出雲市で9分、合計25分間あるから間に合うだろう。

 

小田~田儀の日本海バックで「出雲1号」を撮影して午後の12系団臨は田儀-波根で撮影してから夕方の「出雲4号」は石見津田-益田で撮影して終了。 翌朝は泊~松崎で「出雲1
号」を、鎧~餘部で「出雲3号」を撮影してK君のパジェロに便乗して東京まで帰った。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★