夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

1990年代の夜行列車変移

弊ブログの「想い出夜行列車レポート」が続いたので久々に違うネタで書いてみたいと思う。「想い出夜行列車レポート」は1997年1月14日をトレースしているので1990年代の夜行列車を総括してもいい頃だと思い、本日は1990年から1999年の間に廃止になった、新設された、経由線区(一時的な経由変更は除く)や車両が変わったり、愛称が変わった夜行列車を年表風に描いてみたいと思うが1990年以前はyahooブログに発表済みだけど現在は閉鎖になったので閲覧する事は不可能になっている。本当は臨時の夜行列車も取り上げたいがキリがないので一部を除き、定期列車を中心に紹介してゆく。

 

【1990年】9月1日付:14系座席車で運行していた急行「津軽」が山形新幹線工事のため、仙石線経由によって583系(全車座席車扱い)にて運行。仙山線をED78+14系で走る事は可能だが、ED78は新幹線軌道強化工事により板谷峠を単線運行していた50系牽引や仙山線の貨物重視で使われるための理由。将来的に福島運輸区のED75を全車青森東運転所に集中配備する事も理由。更に山形新幹線の工事で寝台特急「あけぼの」1往復が東北線奥羽線経由から東北線陸羽東線奥羽線経由に変わり、別の「あけぼの」1往復が高崎線上越線羽越線経由で上野~秋田を結ぶ寝台特急「出羽」として設定された。

 

【1991年】3月16日付:札幌~稚内間を結んでいた14系夜行急行の「利尻」がキハ40系気動車を改造したキハ400形・480形に14系寝台車(スハネフ14-500番台)を挟んで運行するスタイルに変更されてキハ400形・480型は急行「宗谷」と共通運用になった。

 

【1992年】3月14日付:札幌~網走間を結んでいた14系夜行急行の「大雪」は14系寝台車のスハネフ14-500番台をキハ183系で挟んで運行、急行「大雪」から特急「オホーツク9・10号」として格上げて運行する形になり、「大雪」という名称は一時的に消えた。急行「大雪」と時間的には大差なく、便乗値上げだと揶揄された事もある。7月付:583系で運行されていた急行「津軽」が485系に車両変更。

 

【1993年】3月18日付:門司港西鹿児島間を25形客車と12系座席車で運転していた急行「かいもん」と「日南」は787系の特急格上げで特急「ドリームつばめ」と「ドリームにちりん」へ変更されて「かいもん」・「日南」の列車愛称名が消滅した。一方、上野~金沢間を14系座席車で運転していた急行「能登」が、同日改正から金沢運転所の489系に車両変更になり、車両も車掌もJR西日本持ちとなる。更に上野~長野間を189系電車で運行していた急行「妙高」も同日廃止になったが臨時「妙高」は189系・12系座席車・14系座席車にて長野新幹線北陸新幹線)開通直前まで臨時運行された。

 

3月19日付:札幌~釧路間を14系寝台車と14系座席車で運行していた急行「まりも」は「オホーツク9・10号」と同じ様に14系寝台車をキハ183系で挟んで特急「おおぞら13・14号」として運転。夜行「おおぞら」は自由席が1両のみで自由席利用客からは不評だった(余剰となったドリームカーは「はまなす」用に転属)。古くは441Mと呼ばれた新宿~長野間を結んだ115系普通夜行列車の流れを汲んで上諏訪行き、更に甲府行き(列車番号は変わるけど乗ったまま上諏訪まで運行された421M→1521Mが遂に定期列車から姿を消したた。後に松本夜行快速として臨時列車(8421M)が残ったけど1998年5月で完全廃止。10月1日付:急行「津軽」の車両が485系から583系に戻った。

 

12月1日付:上野~青森間を東北線廻りで運転された伝統の急行「八甲田」も廃止の運命を辿って臨時列車格下げ。夏のモトトレイン併結のため、臨時列車化後も2年間は運転日数も多く臨時は三段B寝台車1~2両の連結もあった。大昔は出世列車とも呼ばれた東北線仙山線奥羽線経由で結ぶ名門だった急行「津軽」も前記「八甲田」と同じく廃止の篩にかけられて臨時列車へ格下げされた。一時期は青函連絡船との連絡で最大7往復も走っていた寝台特急ゆうづる」も廃止となって臨時格下げへ。しかし全線東北線経由の寝台特急はくつる」の1往復増えて2往復体制となる。上越線関連では1990年で紹介した「出羽」も廃止となり「鳥海」へ統合吸収された。1993年はJRになって初めて多数の夜行列車が廃止になって年であった事を忘れてはないならないだろう。

 

【1994年】12月3日付:最初に東海道スジから、東京~熊本・長崎間を結ぶ寝台特急「みずほ」と、東京~博多間を結んだ寝台特急「あさかぜ1・4号」(通称 博多あさかぜ)が廃止となり、東京発着寝台特急の廃止は1978年の「いなば」、1984年の「紀伊」以来の廃止となった。新大阪と新潟を結んでいた寝台特急「つるぎ」も廃止になって臨時格下げされ、関西発の北陸方面寝台特急群の中では最初に廃止になった寝台特急でもある。更に今度は東北側の動向を見てみよう・・・1993年12月1日で寝台特急はくつる」が2往復化に増えているが1年後には1往復の「はくつる」が廃止、臨時列車化。

残る1往復の「はくつる」は583系から「あさかぜ1号・4号」の廃止で捻出された編成を転用して「はくつる」で使用。同じく12月3日付けで臨時夜行急行として繁忙期のみ細々と走っていた座席車の「おいらせ」(上野~青森)、「十和田」(上野~青森)、「天の川」(上野~酒田)も完全廃止となった。

 

【1995年】1月4日付:上野~秋田間を結ぶ臨時夜行急行「おが」は季節列車から臨時列車として長い期間に運転されたが1995年1月5日の運転を最後に臨時夜行急行「おが」は完全廃止となった。上野発着の臨時夜行急行では最後の25形二段B寝台車連結を連結していたが最終日の運転は24系25形寝台車3両(オハネフ25+オハネ25+オハネ25)と14系座席車4両(スハフ14+オハ14+オハ14+スハフ14)で運転されて末期は北上線DD51経由で運転されて自分も北上線内で撮影している。

 

【1996年】3月16日付:「ムーンライトながら」(東京~大垣)の新設で165系・自由席の通称大垣夜行は役目を終えた。更に新宿~村上間を結んでいた快速「ムーンライト」が快速「ムーンライトえちご」に変更になったが夜行列車自体の廃止はなかった1996年。

 

【1997年】3月22日付:寝台特急「鳥海」は同日に経由を東北線陸羽東線奥羽線から高崎線上越線羽越線奥羽線にルート変更した寝台特急「あけぼの」に吸収される形で廃止となり、上野発着の寝台特急がまた1本消えた。10月1日付:大阪~長野間を結ぶ昔からの山岳夜行列車で信州方面の観光客やトレッカー達から人気の夜行急行「ちくま」。末期は14系15形寝台車3両(スハネフ15+オハネ15+オハネ15)と14系座席車5両(オハ12+オハ12+オハ12+オハ12+スハフ12)で運行されたが上記改正日からは383系での運行となった。後に165系や14系座席車の臨時「ちくま」も運行されている。定期夜行急行ではEF64-0番台が唯一牽引する貴重な夜行急行だった。

7月29日付:北陸新幹線長野新幹線)開業で信越線の横川~軽井沢間(碓氷峠)が廃止になり、急行「能登」が15年振りに信越線経由から上越線経由に戻った。更に臨時夜行急行「妙高」も消えた。11月29日付:東京~西鹿児島を結んでいた寝台特急はやぶさ」が熊本で運転打ち切り、更に東京~南宮崎を結んでいた寝台特急「富士」が大分で運転打ち切りとなり、日本一の長距離定期列車の座を寝台特急「さくら」に譲る事になった。その「さくら」が11月29日付でカルテットと食堂車が編成から外されて一部編成が14系15形に変更となった。

 

【1998年】7月10日付:14系寝台車で東京~出雲市間を東海道線~山陰線経由で結んでいた寝台特急「出雲2・3号」が廃止。代わりに直流285系寝台特急サンライズ出雲」が東海道線伯備線~山陰線経由にて新たにデビュー。24系25形の旧「出雲1・4号」は出雲市~浜田間を廃止して東京~出雲市間として寝台特急「出雲」として運転。「出雲2・3号」で使われていたシングルDX(オロネ14-300番台)とシングルツイン・ツイン(オハネ14-300番台)は寝台特急「あかつき」に転用された。同じく7月10付では東京~高松間を結んでいた寝台特急「瀬戸」は直流285系寝台特急サンライズ瀬戸」運行に変わって廃止となるがシングルDXのオロネ25-300番台は寝台特急日本海1・4号」に転用。

8月22日付:この日をもちまして臨時急行「八甲田」(モトトレイン含む)は完全廃止となり、上野発着の東北方面行きの座席夜行は全て完全開始となった。更に同僚の臨時夜行「津軽」は早々と1998年1月4日の上り運行を最後にそれ以降は姿を消してしまう事になり、首都圏発の定期夜行座席急行は「能登」と「アルプス」の2本だけになった。

 

【1999年】7月16日付:北斗星の季節列車だった北斗星3号(6003レ)と北斗星4号(6004レ)が臨時列車格下げになり、日本初となった全車2人用A個室をコンセプトにしたE26系客車の臨時寝台特急カシオペア」を運行開始。「カシオペア」は1編成しか車両がないため、運行しない日や検査などで1週間以上運転しない日もある変わった運用。

10月2日付:大阪~出雲市間を福知山線山陰本線経由で結んでいた14系寝台車と12系座席車の昔ながらの夜行列車シーンを彷彿させてくれる急行「だいせん」(倉吉以西は快速列車として運転)はキハ65系気動車(エーデルタイプ)に変更。更に10月2日改正では普通夜行「南紀」のち「はやたま」の血筋を引き継ぐ昔ながらの165系電車で全車自由席で新大阪から新宮(元は天王寺~新宮)まで運転されていた2921Mも夜行列車の運転としては10月2日で廃止されて翌日からは紀伊田辺(1:38着)となり、新宮まで延長は繁忙期の臨時列車となる。

12月4日付:寝台特急「さくら」が寝台特急はやぶさ」と併結運転になり「さくはや」とも呼ばれ東京発着寝台特急の大幅整理が始まった。これにより24系25形と14系15形の当時の鉄道常識では理解出来ない運転方法が確立して夜行列車もいよいよ終焉の時代に向かって行くのである。

 

総括 実際にはカートレインやシュプールなど廃止日が分からない臨時列車も多くて完全網羅は不可能だったけど伝えたい事は全て書く事が出来たかも知れない。特に年間で数日しか運転されない臨時夜行急行「加賀」(1998年8月22日で廃止)みたいに後から分かって取り上げた臨時夜行もあるので記載漏れのある夜行列車もあるかも知れないがこの程度のレベルでお許し願いたいものだ。何れにせよ1990年台は夜行列車に於いて激動の年であった事は言えるだろう。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★