夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

1978年の時刻表から・・・中央線夜行列車

 1978年10月2日の国鉄白紙ダイヤ改正(昭和53年10月改正なので"ゴーサントオ"とも呼ばれた)の時刻表を使って何かやりたいと思うがこの手のブログ投降は暫く凍結したいと思う。今回は中央東線新宿駅発車の夜行列車で攻めてみたいが来週から暫く想い出夜行列車レポートを続けるので今日は我慢してください。ゴーサントオダイヤ改正と言えば今まで下り列車や上り列車に関係なく列車名の号数を1号、2号、3号と振ってきたけど本改正からは下り列車が奇数、上りが偶数で電車特急のヘッドマークやテールマークが文字から絵入りマークに変わっている。

 

さて新宿駅発の夜行列車を紹介しよう、本来なら夏休みやスキーシーズンなら多数の臨時夜行急行「アルプス」が走るのだが10月では中途半端だけど致し方ない。トップバッターは新宿22:50発の季節夜行急行「アルプス13号」(6413M)の信濃森上駅行きで全車松本運転所の165系・8両編成である・・・先頭には荷電のクモニ83を松本まで連結。次の発車は23:00発の臨時夜行急行「アルプス53号」(8401M)の松本行きで全車が松本運転所所属の165系・12両編成で全車両が松本止まりとなっている。本来なら「アルプス13号」と「アルプス53号」の間に「アルプス51号」が設定されている筈なのだが10月はなし。

 

なお1978年10月2日改正で夜行急行「アルプス」で主に使われた長モト165系12Bの主な編成を1号車から書いておく。MC165  'M164  TS165  TS165  TB165  MC165  'M164  TC165   MC165  M164'  TC165  TC165(但しTB165のビュッフェは非営業であった)。中央東線名物のやたらMC165やTC165(運転台付き制御者)が多いのは笑える。更に進もう、次の発車は23:20発の夜行定期急行「アルプス15号」(415M)の信濃森上駅行きで全車松本運転所の165系・12両編成だがシーズンによって編成を8両や12両に出来るのは松本運転所165系の殆どがユニットを組んでいるから可能な技なのである。

 

次は23:30発の白馬行き臨時夜行急行「アルプス55号」(8403M)は松本運転所の8両編成で全てが白馬まで運転されるが付属編成が連結される日は4両が増結されて12両になるけど9~12号車の4両は松本で切り離しされる。さて中央東線夜行の核心部へ行こう・・・新宿を23:45に発車する南小谷駅行きの急行「アルプス17号」(417M)は一往復まで続く夜行「アルプス」の中心的な夜行列車だが他の急行「アルプス」は大糸線内も急行列車として走らせたが急行「アルプス17号」(417M)は大糸線内は快速運転なのでグリーン解放したくない国鉄は基本編成は松本止まりにして付属編成を南小谷駅まで運転した。

 

当時の新宿駅から出る夜行列車の自由席は直接ホームに並ばさずに自由席待合所を設けてそこに列車別に並ばしていた。一番多くて有名なのが新宿駅のアルプスの広場で夜行列車が沢山運転される夜行需要期にはアルプスの広場意外にも通路とかに行列が出たけどホームに移動するさいのやり方が適当且つ、いい加減な駅員もおり、行列の先頭を後ろから抜く輩や行列誘導がホームに来る直前にホームに並んだり、いい加減な国鉄西鉄道管理局や新宿駅へ苦情の手紙を書いてもなしの礫(つぶて)で改善は見られなかった。441Mの乗車が直接ホームに並べる様になったのは1987年くらいであった。

 

次に紹介するのは新宿駅23:50発の臨時普通夜行(大月から快速運転)の9631レで品川客車区の旧型客車を使用しており、この列車が生まれた1975年夏から旧型客車だったけど当初は西イイ(飯田町貨客車区)かと思ったが1978年10月現在では西イイや西コフ(甲府)に旧型客車の配置はなく、普段は使われない品川の旧客は川崎駅など側線に疎開してあった客車を使用。1975年運転当初は9631レでなくて、9431レで「山男列車よみがえる」「旧型客車よみがえる」と一部新聞報道された。入線時刻は発車の48分前と早く、このあと紹介する441Mに比べて茅野駅は1時間早く、岡谷駅は2時間早く到着した。

 

そして新宿駅23:50発の長野行き普通夜行441Mは三鷹電車区115系・8両で運転されて下りのみ最後尾にクモユニ82とクモニ83を連結。中央線鈍行夜行とて名高く、1975年3月の改正までは伝統の客車鈍行425レ・426レで運転されていたが飯田町客貨車区の縮小合理化で電車になった。この時国労とレールファンが一緒になって「425列車を愛する会」が結成、結局老朽化している西イイの旧型客車では残せなかったが電車で残った逸話がある山男列車。何と入線時刻は発車時刻の2時間25分前という早い時間で長距離客を如何に優先しているのかが分かる。

 

更に途中の停車駅の停車時刻も多く3分以上停車がザラにあるのが凄い。3分以上の停車駅と停車時刻は以下の通り、大月7分、甲府25分、韮崎3分、日野春55分、小淵沢13分、富士見3分、茅野9分、上諏訪49分、辰野3分、東塩尻信号所3分、塩尻4分、松本15分、潮沢信号所3分、羽尾信号所4分という有様で日野春駅の55分停車はこの後に紹介する臨時夜行急行「アルプス57号」(8401レ)の通過待ち調整時刻で「アルプス57号」の運転の無い日も「アルプス57号」は予定臨の盛スジ8000番台列番なので55分停車するため、静かな小駅での停車ゆえ、いい仮眠タイムになった。

 

学生の頃から大垣夜行347Mとこの441Mは数え切れないほど乗ったり見送りに行ってるが僕は大学時代に鉄道が大好きだけど彼女を見つけるために敢えて鉄道研究会には入らずにバトミントン同好会という名前とは関係なく、イベントや飲み会が多いためにそちらに加入した。高校時代からのクラスメイトで鉄道友達だったM君が鉄研に入っていた関係上、非会員なのに鉄研の部屋やイベントに参加させてもらい、鉄研の知り合いが441Mで旅に出ると自分も缶ビールを買って441MのBOXシートで見送り宴会してから最終電車で川崎まで帰宅した事が何回もある。

 

入線時間の2時間25分前に乗れるので新宿駅停車中に車内で一次会は出来ちゃう感じで楽しめた列車でもあった。小淵沢で降りると当時はまだキハ58やキハ28だった小海線の始発にも乗れたし、逆に松本駅到着が遅い時間なのでスキー客からは不人気である意味利用しやすかった。最後は新宿駅0:30発の臨時夜行「アルプス57号」の松本行きで新宿駅から発車していた唯一の旧型客車使用の優等列車である。客車は品川客車区で岡谷行き夜行と同じく川崎駅他の側線に留置していた旧型客車で上記にも書いたとおり、日野春駅で先行の441Mを追い抜く。

 

この列車は後に千葉発としても運転され、後に12系客車や14系客車にも発展したが民営化されると1987年には品川客車区のお座敷列車「江戸」を使った臨時急行「お座敷アルプス」や1988年夏や1991年夏には品川客車区や尾久客車区の14系座席車+14系寝台車(14系寝台車だけの日もあり)を使った臨時夜行急行「アルプス91号」(9401レ)としても運転されたが1987年には441Mは上諏訪止まりになって1988年には441Mは消えて421Mとして急行「アルプス」の運転本数も減って中央東線の夜行は凋落化を過ぎていた。

 

1978年の中央東線の夜行列車は僕にすれば青春そのもので特に441Mは旅行ではなく、飲みながら語り合う場所でした。初めて急行「アルプス」に乗ったのは大学のバトミントン同好会の夏合宿を仁科三湖の湖ほとりのキャンプ場バンガローでキャンプしたのが最初だったし、青春の想い出しか残っていません。来週からは暫く想い出夜行列車レポートが続きます。

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       ★★★★★Memories of the night train★★★★★