夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 出雲4号(B寝台)

1995年5月16日(火曜日)、私は松江駅で東京行きの寝台特急「出雲4号」の入線を待っていた。出張で松江市に来ていたのだが地方航空の最終便は早く、松江からの最寄空港である米子空港・最終便はANK818便が米子発18:20で、各便の出発1時間前に到着するバスは米子駅から米子空港まで所要25~27分かかるため、松江駅から米子駅までの移動を含めると到底間に合わない。伯備線&新幹線接続でも松江17:14(やくも24号)20:01岡山20:09(のぞみ28号)23:24東京着で帰宅は0時近くで9時間後には出社せねばならず一番疲れるパターンなのでゆっくり寝ていける「出雲4号」を選んだのである。

 

やくも&のぞみの乗り継ぎ特急券が7630円、出雲の特急B寝台券が9270円で差は1640円だから許容範囲内で納まる。相手企業との最終打ち合せも終わり、呼んでもらったタクシーで松江駅に到着すると「出雲2号」の発車前だったけど「出雲4号」の指定券を探ってもらうと11号車が空席ばかりなので客車なかほど11番下段で発行してもらう。一旦街中へ入り、著名な出雲蕎麦の店で割子蕎麦を味わって土産屋で家族への土産を求めてから再び駅へ戻った。改札を入り、ホームで寝台特急「出雲4号」の入線を待っていると18:07に米子運転所のDD51-1186が牽引して入線した。

 

扉が開くと早速11号車に乗り込むと尾久客車区のオハネフ25-204だったが早速指定された寝台に座って車掌の指定券確認が去った後に松江駅で購入したアゴ野焼き(飛び魚の焼き竹輪)をツマミに缶ビールで松江での仕事が無事終わったお疲れ乾杯をする。11号車は乗車している客が極端に少なくて浜田から米子までは立席特急券でも乗れるけどその手の乗客は皆無であった。列車は東松江駅を通過すると左手に中海が近付き、安来節で有名な安来駅(18:28-28)を発車すると10分間で米子駅(18:38-43)へ入線した。5分停車なのでDD51と客車をじっくり観察しよう。

 

オハネフ25-204は金帯が3本入った車両で扉は折戸式で25形に相応しく、最初はシルバーラインの方が似合って見えたけど金帯は「北斗星」で見慣れて今ではゴールドラインの方がそれらしく見えて来るから不思議である。DD51-1186は1994年5月21・23日に山陰線と播但線でお召列車の先頭に立った栄誉ある機関車であるがお召指定解除されてからは汎用的に使われている。車内に戻る時に売店で購入した追加の缶ビールを飲みつつ、松江で購入した大和シジミのもぐり寿司で夕飯にすると列車も米子駅を発車して山陰線を進むけど下りの「出雲1号」は山陽線伯備線を経由している。

 

伯耆大山淀江間くらいで赤く夕日に染まった名峰大山を右手に見ると今度は名和駅前後を通過すると左手に太陽が沈みかけている日本海が見えて倉吉駅(19:38-39)へ入線した。先ほどまではまだ空がオレンジ色が残った夕方のイメージだったのに倉吉を発車すると漆黒の闇をまとい、すっかり夜行列車らしくなったが、11号車なので前に連結されているDD51が奏でる汽笛を聞きながらの夜汽車を楽しんでいると鳥取駅(20:18-20)へ到着。鳥取県に入り、米子・倉吉・鳥取と停車しても我が11号車の乗車率は3割未満でこの先乗車が増えそうな駅は少ない。

 

鳥取駅発車と同時に11号車デッキへ移動して切妻にある展望スペースからDD51の勇姿を眺めていると滝山信号所のポイントを渡り、岩美駅を通過すると米子駅を17:28に発車したDD51]牽引、普通客車列車の522列車(12系1000番台5B)が「出雲4号」へ道を譲ったが522列車は米子~豊岡間を4時間50分で結んでいる。前面展望というよりDD51の動きを楽しんだ自分は寝台に戻って寝床を作っていると浜坂駅(20:54-55)に到着した。明日朝は職場直行なので睡眠時間確保のため、早めに横になって餘部~鎧間にある余部橋梁を渡る音を聞きながら寝てしまったようだ。

 

以下は就寝中の停車駅と時刻・・・城崎「現城崎温泉」駅(21:38-38)・豊岡駅(21:49-49)・福知山駅(22:49-51)・綾部駅(23:03-04)・京都駅(0:25-33)・米原駅*(0:44-46)・名古屋駅*(2:21-23)・浜松駅*(3:36-37)・静岡駅(4:32-33)・沼津駅(5:13-14)『*印は運転士交代の運転停車』。丹那隧道内で目が覚めると2分停車の熱海駅(5:31-33)へ到着したので、浴衣姿のまま機関車を見に行くとEF65-1030であった。通常東京駅発着のPF牽引寝台列車(瀬戸、出雲1・2・3・4号、銀河)は田端運転所のPF7次車が充当される事が多く、同じ田端の3次車が運用に就くのは珍しい事である。

 

昨夜は早く寝たので8時間の睡眠を得る事が出来て、今朝は清々しい気分で早く起きたので通路側の折り畳み椅子に座って湯河原~早川間の車窓から見える早朝の相模湾を見物する。ブルトレ第二群だと太陽が上り過ぎて眩しいけど早朝のブルトレ第一群は太陽光線も弱いため、逆光になる相模湾を眺めるのに都合がいいのである。長いトンネルを数個出ると急に視界が開けて鉄橋の上から海を眺めると白糸川橋梁で渡り終わると根府川駅を通過した。ここはまだEF58が牽いていた上り「銀河」などの撮影から数え切れないほど撮影しているが強風除けのフェンスが出来てから撮影しなくなった。

 

小田原駅を通過したのを確認してから朝の支度と下車準備を済まして5号車の売店として使われてるオシ24-703へ行き、公衆電話で自宅へ電話して家内にお土産と不要な荷物(着用済みのワイシャツや下着)を田端駅まで取りに来てもらう約束を取り付けてまだ準備中だった売店で暫しまってからホットコーヒーとミックスサンドイッチを購入して11号車へ戻ると横浜駅(6:33-34)へ入線するところだった。急いでカップコーヒーの蓋を外してコーヒーでサンドイッチを流し込んで食べ終わるともう品川駅通過で時間が経つのは早い。

 

新橋駅手前で長い東京到着と乗り換えの車内放送が、聞こえてくると新橋駅構内で客車区へ向かう「出雲2号」の回送1002列車とすれ違うと「出雲4号」は定刻6:56、東京駅9番線ホームに到着した。本当に久々に乗った25形出雲だったけど車内は空いていたので快適な旅であった。

                          ★★★★★Memories of the night train★★★★★