夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行八甲田(惜別乗車特別編)

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2019年5月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載していますが、今回は廃止11日前に乗車した特別編でお送りします。

 

東北本線を走りぬく唯一の定期急行夜行列車、寝台車は連結されず、普通車指定席と自
由席だけで編成されている。車両は14系アコモ改良車であるが、古き良き時代の夜汽車ムードをかろうじて残している。そんな夜行列車らしい「八甲田」も1993年12月ダイヤ改正で僚友「津軽」と共に定期列車から姿を消す事になった。3月ダイヤ改正で「能登」が電車に置き換えられ、「まりも」「かいもん」「日南」が、特急格上げで列車名が消滅した時もショックだったが、しかし「八甲田」だけは大丈夫だと思っていた。上野⇔青森間の伝統夜行急行、正に東北を代表する夜行急行だったからだろう? しかし特別扱いの例外はなかった。

 

急行「八甲田」は上野駅13番ホームから発車する。常磐線ホームとニ階建構造になった薄
暗い地平ホームだが・・・1993年11月19日(金)、私は上野駅で「八甲田」の入線を待っていた
が、入線まであと90分近くあるのに各乗車口全体で50人以上が並んでいた。 廃止まで残り11日間なのでサヨナラ乗車組が、多いのであろう。時間が経つに連れて乗客が、増えて入線5分前に行列も長く伸びて多くの人達が入線を遅しと待っていると突然「業務連絡トーサンバン(13番線)回送101列車接近」と放送が流れ、次に乗客向けの案内放送に変わると尾久寄りから尾灯と推進運転用のライトを輝かせながら更にディーゼル発電機の騒音と排煙を撒き散らしながら21:29、定刻より約1分早く「八甲田」が入線。


ホームにはスハフ14の発電機を回すディーゼルエンジンの轟音が響いているが、これからの遥かなる旅への前奏曲となる。 扉が開くと一斉に乗車が始まり、私は車両真ん中の進行方向右手をキープしたが車内は暖房が効いてて暑いくらいだ。 既に殆どの席は埋って毎週末にこれだけ乗れば廃止なんかにならないのにと今更思っても、時遅しなのである。先頭へ移動すると田端運転所のEF65-1105を撮影しようと大勢の鉄道ファンに囲まれているのを尻目に売店で飲み物を購入して車内の窓下の棧に並べておく。 他の乗客も発車前の一時を楽しんでいる中、入線してからの15分間はあっという間に過ぎた。

ホームでは発車の音楽が、流れて21:45カン高いホイッスルが鳴り、定刻に発車。 上野駅
の構内の幾本ものポイントを渡り、夜のしじまの中を列車は青森へ向けて735.8㎞・・・11時間23分の長い旅に就いた。車内は殆ど旅行者で混雑しているせいか急行「八甲田」を帰宅のホームライナー代わりに利用しているサラリーマンは少ないけど廃止11日前となる「八甲田」惜別乗車組の鉄道ファンが異常なほどに数多く見受けられる。 私も同行者と缶ビールを飲みながら八甲田の思い出話(同行者とは1976年7月「八甲田」車内で出会ったS氏)に花を咲かせながら列車は大宮駅で数人が乗り込み席は全て埋ってデッキにも立ち客数名。

 

周囲の乗客の話に聞き耳をたててみれば鉄分の濃い話題wが、多いけど普通に東北旅行の
乗客も居て急行「八甲田」人気を今更ながら実感。 相変わらず車内は暖房で暑く、4分停車の宇都宮駅では飲み物の自販機に人が集まって各自好みの飲み物を購入していた。 車内が暑いので宇都宮駅のホームが心地よくて、飲み物購入ですぐに車内へ戻らない人が多いのは当方と同じなのだろうと思ったりもするが、4分停車も終わって宇都宮駅を発車。車掌が巡回して来たので車内が暑いから暖房を弱くする様に請願すると周囲からも同調の声が飛んで一件落着したが鉄ちゃんは図々しいのである(笑)。

 

時刻は0:00、日付は11月20日となり、既にお休みの乗客も多いが、小声でヒソヒソ話してる急行「八甲田」お名残乗車の方も少なくないようだ。列車は黒磯駅へ入線するとここまで「八甲田」を牽引してきたEF65PF(1105)からED75に付け替えるため、7分停車するので開放or連結シーンを見物したり撮影する鉄道ファンが先頭に集まった。青森東運転区のED75-1037が、連結されると銘々は撮影開始。 国鉄時代から「八甲田」は長年福島機関区⇒福島運転所のED75が牽引していたが、急行「八甲田」廃止で福島のED75は既に全車青森東運転区へ転属している(臨客・工臨・配給用の4両は青森東所属だけど仙台電車区常駐)。

 

交流区間に入った急行「八甲田」は白河駅郡山駅に停車して1:50福島駅に到着、4番線に入線すると2番線に上り急行「津軽」が入線。 「津軽」の扉が開くと数人が、「八甲田」の方に流れて来るが言わずと知れた夜行列車折り返しである。 1:53上り「津軽」が先に発車すると上野を「八甲田」より32分後に出た寝台特急はくつる」が到着、運転停車のため、扉は開かない。ベネシャンブラインドが降ろされ、車内の様子は分からないが「八甲田」と違い、起きている人は疎らであろう。 2分後、「はくつる」は「八甲田」より、一足早く先に青森駅へ向けて静かに発車してテールランプが流れ星の様に流れた。

 

2:01、つかの間の休息をとった列車は闇夜を切り裂くようなホイッスルと共に再び動き出し、2:15を回ると流石に車内は寝静まり、乗客のほとんどはすでに夢路を辿っているのであろう。 しかし列車は一分一分、時を刻み、乗務員の手によって終着駅に向けて正確に運転されている。 時折踏切を通過する時にぼうっと明るくなって警報機が鳴り、通過と同時にその音は急に変調して消えていく・・・ドップラー効果と呼ばれるその現象は淋しく切ない響きがあった。2:44そろそろ上り「八甲田」とすれ違う時刻であるが、上野からここまで一睡もせずに急行「八甲田」に乗ってきた私もそろそろ眠くなってきたようである。

シートをリクライニングさせて「八甲田」という列車に思いを巡らせていたら、いつしか深い眠りに落ちていた。 仙台駅着発は全て夢の中、目が覚めたらちょうど列車は一ノ関駅へ入線。定刻時刻より約2分早いが、運転時間に余裕があるのだろう・・・昔の「八甲田」は12系9両に荷物車を連結した現車10両だったが、今は14系たったの6両だからED75にとっては余裕の仕業。4:30、ドアが開くと駅弁の立売りが始まり、「弁当、べんとーう」の声につられて車内からパラパラと乗客がホームに出てきた。 こんな時間に駅弁が昔懐かしい立売りスタイルで売られているので嬉しくなり、私も作りたてホカホカの駅弁「まつたけめし」を一つ求めた。

朝食というより、まだ夜食に近い時間帯だが、暖かい内に一ノ関発車と共に弁当を開いて秋の恵みを十二分に味わったのである。一ノ関駅を発車すると水沢・北上・花巻の順に停車するが、乗客の動きはあまりなく、5:55 列車は"北の杜"盛岡駅に到着した。 外はまだ暗いが、5:55着の盛岡駅が実質的な夜明けとなり、ホームでは駅弁のワゴン3台(伯養軒、村井松月堂、むつ弁)に人集りが出来る。 5分停車ではあるが、駅弁の種類も豊富な盛岡は格好の朝食駅弁調達タイムだ。 6時ジャスト、急行「八甲田」は盛岡駅を離れ、この時間帯に設定のない特急「はつかり」の補完的役割も努めて終着駅・青森を目指す。

 

既に夜の帳の中を抜けた列車は朝靄のみちのく路をひた走り、奥中山の十三本木峠を越
え、一戸から車内販売が乗り込み、二戸、三戸に停車しながら一級河川馬淵川に沿って走ると八戸駅に到着。八戸ではかなりの下車客もあって八戸線東北線のローカル客車列車が接続待ちをしていた。 乗客は5分停車を生かし、売店で八戸名物・小唄寿司を購入したり、また鉄道ファンはホームで「八甲田」や客車普通列車(鮫行き1429レ・青森行き525レ)にカメラを向けたり、オレンジカードを買いに切符売場に走ったりでそれぞれのフリータイム(5分間)を楽しんだようである。

 

急行「八甲田」は八戸を出ると三沢に停まり、車窓右側に小川原湖が見え始めて来ると野辺地はもうすぐで鉄道防雪林が、見えて来ると大湊線南部縦貫鉄道乗り換え駅でもある野辺地駅だ。 野辺地を発車すると陸奥湾の海岸沿いに列車は走り、青森駅へラストスパートをかける。海沿いにホテルや旅館が、立ち並ぶ温泉街に隣接した浅虫温泉駅を発車して、終着青森駅はあと僅かだ。小柳駅を通過すると青森観光物産館「アスパム」や青森ベイブリッジが見え始め、青森東運転所や青森信号所を過ぎて一瞬高架線を抜けると青森駅のホームが姿を現す。 午前9:08定時にて急行「八甲田」は青森駅1番線ホームに滑り込み、735.8kmの長い旅にピリオドを打った。

 

【番外編・ラストラン】あれから11日後の11月30日、最終下り急行「八甲田」の様子を見に上野駅へ行ってみた。 当日は鉄ちゃんやマスコミ等でパニックになると思い、カメラは持たず平静を装い、「私は通りすがりのサラリーマンですよー」みたいな顔をして13番線ホームへ行ってみたが最終日に付き物のさよならイベントもなく、EF65-1019が牽引した最終急行「八甲田」を見送った。 しかし12月22日から臨時急行「八甲田83号」として通いなれた道に姿を見せてくれるだろう。

このレポートは当時親交のあった鉄道趣味サークルの代表から機関誌(会報)へのゲストとして出筆を頼まれて書いた記事を参考に一部再構成・手直し(まるっきり同じだと著作権的な問題もあるし、掲載してくれたサークルに失礼なため)を行い、弊ブログ用に作成した。 いつもの様な全停車駅の到着/発車時刻は敢えて割愛している。サークル誌では1人旅になってるけど実は同行者がいた・・・会報に部外者の登場は相応しくないため、1人旅に設定してあるのだ。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★