夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 津軽(惜別乗車)

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2019年5月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載しています。

 

1993年11月20日(土曜日)、19日発の急行「八甲田」で青森駅に到着した自分とS氏はタクシーで新青森津軽新城にて下り急行「津軽」他を撮影してから、遅い昼飯を青森の郷土料理屋で生ビール付きで食べてから青森駅で急行「津軽」の入線を待っていた。 前回乗った「津軽」は485系だったけど1993年10月改正から583系に戻って、電車化された1990年9月改正からと同じ583系になった訳である。 自分にとって急行「津軽」は上野⇔山形県内の利用が、多くて青森から急行「津軽」乗るのは本当に久々で1990年8月25日に乗った最後の14系「津軽」以来、3年振りだがその時もS氏が一緒で14系津軽のラストフル乗車だったと記憶する。

急行「津軽」の青森駅入線は発車25分前で入線した583系のテールマークには冴えない急行の字幕が入っており、前にも書いたが伝統の夜行急行なんだから何とかしてもらいたい物であるが、今月で廃止だから意味ないか。 2号車に乗り込むと青森運転所のモハネ582-94で定番の進行方向右手のBOX席を陣取るとS氏は583系の夜行座席利用は初めてだそうで興味深々のようだ。 車内には昨夜の下り急行「八甲田」5号車に乗ってた鉄道ファンも居て、今夜の急行「津軽」は鉄分多目である。 売店で500ml缶ビール4本を購入してつまみは駅ビル・食品街で購入した帆立貝の燻製と烏賊の唐揚げを待機させて発車を待つ。

 

16:49定時に青森駅を発車した急行「津軽」だが、青森駅発車時点で乗車率は自由席(禁煙2号車)全体で3割も乗ってないけど「津軽」が、混雑するのは秋田から先なのはいつもの事だ 。11月下旬のためか、青森発車時点で日没時刻を34分も過ぎているため、外は暗くて昼間に発車する上り「津軽」のイメージはない。電車化になって青森駅発車時刻が繰り下がった影響だろうけど取あえずS氏と乾杯である。 上り急行「津軽」は大館駅秋田駅でも酒類の補充が、利くため、呑み鉄には嬉しい限りだ。川部(17:17-18)で停車した後に弘前(17:24-26)にも停車して数名ずつ乗って来るけど降りる乗客もいるので±0といった感じ。

 

弘前を発車すると40分ちょいで秋田犬と比内地鶏で有名な大館(18:09-13)に到着するが、前回上り急行「津軽」(自分らには最後となる14系上り「津軽」)にフル乗車した時は青森駅の駅弁だったので今回は前もって気合を入れてTEL予約してから名物の"鶏めし"弁当を2号車デッキで受け取ってついでに冷えた缶ビールも購入。まだ暖かいので大館発車前から缶ビールを開けて乾杯した後に弁当を頂いたが、期待を裏切らない美味さに感服である。 食後もS氏と急行「津軽」の懐かしい想い出話に講じて特に想い出に残る旧客・12系・20系時代の想いを語っていると隣のBOXに居る同年代っぽい人がこっちを見て話しに交わりたそうに見えたけど会釈だけして2人で盛り上がる。
 

列車は早口駅くらいから米代川沿いに進み、二ツ井富根米代川を渡って3分停車の東能代(19:00-03)に発車すると五能線と分かれて針路を西にとり、干拓された八郎潟の脇を通過するが既に外は真っ暗で車窓からは何も見えないが、秋田駅(16:56-20:10)に入線した。例によって秋田駅では自由席に乗り込む客が、自由席に長い列が出来ていたけど秋田で下車する乗客も多く、案ずる事はないけど14分も停車するので車内が落ち着くまで待機してから席に荷物を置いてホームへ買出しに行く。 缶ビールにムール貝のツマミに家族の土産に秋田銘菓の金満他を購入。

 

秋田では多くの乗客が乗ってきたけど下車した乗客も多かったので何とかボックス席を2名で死守する事が、出来て追加の酒で3度目の乾杯をする。 秋田駅を発車すると羽越線と分かれて秋田市から仙北郡(現大仙市)に入り、山間部を抜けると田沢湖線(現秋田新幹線)と合流して全国花火競技大会でも有名な大曲(20:54-21:00)に到着して6分停車する。 昨夜は3時間弱しか寝てないし、青森+大館+秋田各駅で調達した500ml缶ビール4本分の酔いも手伝って一気に睡魔が忍び寄り、S氏と2人でお互いに脚を投げ出して弱っていたら寝てしまった様である。

 

以下は寝ている?間に停車した駅の停車時分「一部を除く」横手(21:19-21)・湯沢(21:37-37)・真室川(22:21-21)・新庄(22:36-38)・天童(23:29-30)・山形(23:44-53)・仙台(0:51-55)・福島(1:51-53)・郡山(2:28-29)・黒磯(3:21-28)・宇都宮(4:16-18)・小山(4:42-44)。あれだけ大量のビールを飲んだから何回もトイレに起きたけど7時間は寝ている筈で座席夜行列車でここまで寝れたのは本当に久々かも知れない。小山を発車する直前に目が覚めて昨夜の秋田駅で買った缶コーヒーを飲みながら寛いでいると車内の乗客が、増えているのに驚いたが山形駅か仙台駅で乗車したらしい。

 

有名撮影地ワシクリ(東鷲宮~栗橋)を走行中にS氏が目覚めて昨夜の事を聞くと山形駅と仙台駅で大量の乗車があったらしいけど席を譲って欲しいような人がいたらしい。 私だって撮影の帰りに山形駅や福島駅で上り「津軽」に乗る時は占領して寝ている先客はスルーして少しでも早く他で空いてる席を探す努力をするんな。席を空けてもらう大義名分より自分で努力しないで空席を探さない輩は結局は後で後悔すると言う当たり前の事を言いたいのである。

 

 そういえばS氏は更に夜行急行で黒磯駅停車中の電源切替における車内照明が消えたのも初体験だと言っていた。 寝台特急はくつる」には乗ってるけど寝ている時間帯だったのかも知れない。かくいう自分も455系・夜行急行「あずま」で始めて黒磯駅デッドセクション停電を経験してその後は485系津軽」まで座席夜行では経験なかった。右手車窓に東大宮操車場(現東大宮センター)が見えて来ると大宮市(現さいたま市大宮区)の中心駅でもある大宮駅(5:24-25)に到着である。 隣のホームに京浜東北線南行電車205系103系が見えて来ると東京圏に帰ってきたんだなーと思ってしまう。

 

急いで下車のの支度をしていると荒川を渡って東京都に入るとすぐに赤羽駅(5:41-41)に到着した。当時住んでいたのが、田端だったので上野駅まで乗らずに赤羽から田端へよく帰ったものだが、自分にとって最後の上り定期「津軽」なので本日は終着駅まで乗車するつもりだ。やがて尾久客車区や田端運転所が、見えると井堀信号所付近で地平ホームへ誘導するポイントから上野駅14番線に入り、定刻5:54上野駅に到着した。今月末で急行「津軽」と「八甲田」は廃止になり、定期列車から姿を消すと思うと寂しいと言う気持ちよりも一つの時代が終わったような気がした。

 

定期急行「津軽」は2往復走っていた旧客の頃から乗って来たが、これほど列車の車種(系列)が変わる車両はなかったと思う(座席車だけでも旧型客車・12系・20系・14系・583系485系583系)。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★