夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

普通 はやたま(921列車)

1981年1月25日(土)、前夜の「はやたま」くずれ924列車を多気で降りて、参宮線名松線を乗って津駅まで戻って来た自分は天王寺行き921レ(新宮から「はやたま」)を待っていた。本当は始発駅から乗りたかったけど、時間的に無理なので致し方ない。 17:44にDD51-1044に牽引された921列車に津駅(17:44-46)から乗り込むと17:46にDD51の澄んだ汽笛が聞こえて発車。車内(オハフ33)は意外に乗車率がよくて、途中駅でも仕事帰りや部活帰りの学生が乗車と下車を繰り返す。松坂(18:19)や多気(18:31-38)で纏まって降りたので空席が、多い隣りの客車(オハ47-308)へ移る。

 

多気駅の8分停車で改札を出て、キヨスクで缶ビールとワンカップ清酒を買い求めてからDD51 1044を眺め、車内に戻ったが外は真っ暗で夜行列車の様相である。 ビールを飲み終えて、昨夜の寝不足で1時間以上船を漕いでウトウトしていたら三瀬谷から相賀までの記憶は全くなく、この区間は手帳にも未記入であった。尾鷲駅(20:44-46)直前の車内放送で目が覚める。松坂駅で名松線から津へ行く普通列車の乗り継ぎで時間があったため、外に出て駅弁を買ったのを思い出してカバンから出したすきやき弁当(600円)で夕食タイムにした。

 

日本酒を飲みながら駅弁を食べ、満足して食後に一服していると熊野市(21:41-50)の9分停車でホームに降りてDD51に近付くとSGボイラーがゴーゴーと音を立てて暖房用蒸気を客車に送気しているシーンを眺め、編成各所から漏れて、特にDD51の屋根から白い湯気が、吹き上げて夜空に昇るシーンを眺めているとこれぞ冬の夜汽車の醍醐味と浪漫だとそれらしい事を手帳に書いてる自分がおかしかった。熊野市を発車すると少しずつ熊野灘に近付くけど夜なので海は見えないけど漁船の漁火が見えてそれらしい感じはするのでよしだろう。熊野川橋梁を渡ると三重県から和歌山県に入り、新宮駅(22:24-40)に到着。

新宮では10系寝台車連結と機関車交換で16分停車するため、荷物だけ席に置いて改札の外に出ると既に売店は閉ってて、松坂で早めに夕飯の駅弁を仕入れて正解だった.。 ホームへ戻ると既に10系B寝台車の連結されており、先頭にはEF58 99が繋がりスタンバイOK。昨夜の924列車はヒサシ付きのEF58-39だったが、99号機は小窓白Hゴムでう~んっ言ったところ(苦笑)。 新宮駅を22:40に発車していよいよここからが鈍行夜行「はやたま」となるのである。 車内は1BOXに1名でかなり空いているけどこの先乗って来る人はいるのだろうか?

 

新宮駅発車早々に飲んだ日本酒と昨夜の寝不足が効いて(序に言えば初めて乗った一昨日夜のブルートレイン紀伊」の寝不足も抱え込んで今夜は眠さも限界である。列車は三輪崎(22:47)・紀伊佐野(22:51)・宇久井(22:55)・那智(23:02)・紀伊天満(23:05)と停車して紀伊勝浦(23:07-08)に到着したが発車を覚えていないので寝てしまったようだ。以下は就寝時間の停車駅と時刻(一部の駅のみ)・・・太地(23:18)・古座(23:44)・串本(23:53-54)・周参見(0:41-41)・白浜(1:00-01)・紀伊田辺(1:14-32)・御坊(2:17-40)・和歌山(3:41-58)。起きたら既に紀勢線から阪和線に入っており、鳳~津久野を通過中だった。

 

急いで下車準備をしてこれが、最後になる「はやたま」最後の走りを堪能していると定刻5:00に天王寺駅8番線ホームに到着した。「はやたま」は1984年2月1日に廃止されたが翌日からは12系客車5両+荷物車で天王寺⇔新宮間を921・924列車として1986年10月30日まで運転されて臨時列車では12系6両の快速「いそつり」が加わった。

             
         ★★★★★Memories of the night train★★★★★