夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 鷲羽1号(153系)

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2016年5月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載しています。

 

1977年10月(当時19歳)、生まれて初めて乗ったブルートレイン「瀬戸」の旅で帰路に選んで乗ったのが、宇野~新大阪を結んでいた急行「鷲羽」だったのです。 上り夜行急行「鷲羽1号」で列車番号が、602Mで宇高(宇野高松)連絡船に接続していた宇野線宇野駅から新大阪駅まで153系12両編成でした。岡山・倉敷ミニ周遊券で下り寝台特急「瀬戸」に乗ったM君と、自由周遊区間内や今は今は無き、片上鉄道や下津井電鉄に乗って時間を潰してから宇野駅に戻った。 急行「鷲羽1号」は宇高連絡船の深夜便に接続するので宇野駅発はAM1:40と遅い時間帯だが、1時間前くらいからホームに停車してたので早速10号車のモハ152に乗車する。

 

急行「鷲羽」は12両編成の153系ですが、5号車のグリーン車はサロ165になってて、1号車~7号車は指定席、8号車~12号車が自由席でした。 発車時刻からし宇野駅から乗り込むのは高松港発0:26出航⇒1:26着の宇高連絡船2便からの接続のみで、意外と2便から急行「鷲羽1号」への乗り換えは少なく、M君と楽々別々隣同士の1ボックスずつを占領して発車を待つ。 眠さも限界の中、1:40に急行「鷲羽」は発車しましたが、18分くらいして茶屋町駅(1:58-59)に停車。 AM2時に近いローカル線で利用客などないだろうにと、M君と訝しげな顔をしていると下り貨物とのすれ違いで、宇野線に貨物など走ってないだろうと、高を括っていたのですが、よくよく考えると宇高連絡船は車両航送(貨物列車輸送)も行うので貨物列車が走って当り前なのだ(苦笑)。

 

単線だった宇野線から山陽本線のジャンクション・岡山駅(2:12-31)に到着するが、電車なので機関車交換もしないのに長時間停車は何故だろうと思案していたら、隣りのホームに三つ目ライトを輝かしながら583系寝台特急「金星」22Mが入線した。 手持ちの交通公社時刻表を急いで捲ると岡山駅は通過扱いになっており、乗務員交代なのだろうがすぐに発車して行った。今乗っている列車名の由来を半分寝てそうなM君と考えるが沿線に鷲の飛来地がありそうもなく、結局分からず仕舞いで、5年後に鉄道ファン誌1982年4月号(通巻252号)の連載してたネームド・トレイン特集というコーナーで判別した(倉敷市児島駅近くにある鷲羽山から命名)。

 

そろそろ岡山発車だな~と2人で話していたのに岡山発車の記憶がなくてそのまま2人とも就寝してしまったようだ(行きに乗った寝台特急と同じ駅の名前(瀬戸駅)の通過を確認しようと約束したのにこのザマです。行きに乗った寝台特急「瀬戸」でさえ、生まれて始めてのブルートレインなのであまり寝てないのですからもう眠さも限界だったのかと思われます)。以降は就寝中の停車駅と時刻・・・和気(2:55)・相生(3:32)・姫路(3:52-54)・加古川(4:30)・明石(4:37)・神戸(4:44)三ノ宮(4:49)。

 

覚めたら三ノ宮くらいだったと思うが、大阪近郊区間内でも急行「鷲羽1号」の後から寝台特急「安芸」が追って来るので153系のスペック限界で飛ばして4分停車の大阪駅(5:17-21)に到着。大阪駅では殆どの乗客が下車して4分後に大阪駅を発車すると淀川を渡って終着の新大阪に到着。本当は大阪で降りて大阪環状線、弁天町駅近くの交通科学博物館へ行って、その後に京都の梅小路機関車館へ移動する予定だったのであるが、余りの眠さに弱ってしまい、新大阪駅から新快速(快速だったかも?)に乗って在来線快速・普通列車乗継にて帰ってしまったのである。

 

2ヶ所の博物館に寄れば帰路は確実に大垣夜行344Mになる訳で今夜は家のベッドで寝たいとあまりにも軟弱な奴でありました。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★