夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 津軽(20系)A寝台

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2015年12月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載しています。

 

1983年1月2日(日)、急行「津軽」はいよいよ1本に整理させてしまった(1往復は特急あけぼのに格上げ)が今宵は5号車のA寝台に乗るため、5号車付近で待っているとDE15に牽かれて15:19に青森駅に入線したが最後尾には牽引機となる秋田運転区のED75-711が連結されていた。 この711号機は1984年から登場した、仙台局のお座敷列車「オリエントサルーン」に合わしたボンマルーン地色にゴールデンストライプを入れた、シックな外観の専用機関車に変身して711号機とその後に707号機が専用色に指定されて間合い運用に「あけぼの」八甲田」「津軽」「臨客」他にも入ったが、この時急行「津軽」を牽引したのは、交流機色の711号機であった。

 

今夜乗車する20系「津軽」は1ヶ月ちょい使われ、「十和田3・4号」で5年間使われて更に「ゆうづる」で10年使われた車両なので、かなり老朽化しているだと覚悟したがナロネ21に限ってはそんな事もなく、ちゃんと保全と清掃されており、安心した。まだ夕食には早い時間なので缶ビールと青森駅のホームにあった"津軽味小屋"という店で、焼き帆立串を数本と地酒桃川「濁り酒ワンカップ」に缶ビール500mlを買って戻るが、急行「津軽」のA寝台は秋田までグリーン指定券となるけど、青森を15:50に発車してもその手の客は乗ってこなかった(普通の客なら13時台のいなほ8号か、18:06発の24系25形・あけぼの4号に乗るもんな)。

 

今のところ上段客は居ないし、遠慮なく青森津軽味小屋で購入した炉端焼き風の帆立焼き串に缶ビールで一杯やる。この青森ホームにあった津軽味小屋は1984年か1985年には消えて他の商業施設に変わってしまったのが、残念・・・焼きイカや焼き帆立串が美味かったのに。急行「津軽」最初の駅、弘前に到着すると各号車の乗り込む乗客の行列が出来ており、我が5号車にも4名が乗り込んで着たが、自分の席の上段にはまだ誰も着ていない。弘前(16:29)を発車すると各号車の乗り込む乗客の行列が出来ており、我が5号車大鰐、碇ヶ関も小まめに立ち寄る。

 

2分停車の大館(17:12)に停車すると、電話で予約した花善の駅弁・鶏めしを引き取りに5号車デッキに行くと、立売販売も出てたが女将さん風の方が袋に入れて待っててくれたので代金を払って受け取る。 まだ温かいので早速頂いたが、いつ食べても期待を裏切らない駅弁だと思う。 今夜の急行「津軽」座席車は1~3号車ナロネ21のA寝台を畳んでそのまま使っているが、自由席に絨毯はもったいないのか、絨毯が無理やり剥がされてリノリウムの床が丸見えでみっともない。大館を発車すると流石に車窓は真っ暗だが、列車は鷹巣二ツ井東能代森岳八郎潟と停車しながら秋田駅に向かうが、今の内に各車両を見学して来よう。

 

1~3号車はナロネ21改造のナハ21の座席車自由席で上段寝台を撤去した後に網棚が増設されているがナロネ21に比べて改造後のナハ21では定員が倍に増えて夏場のエアコンが効かない問題が発生しそうだ(鉄道ピクトリアル誌による改造後の冷房カロリー出力は変更なし)。5号車はナロネ21で、流石にA寝台だけあって古くてもきれいに磨かれている。4号車と6~11号車が、ナハネ20やナハネフ21のB寝台で、そもそもこの編成は急行「おが」で使われていたが、1982年11月改正で急行「おが」の14系座席車と急行津軽津軽」の20系を編成丸ごと交換している。


東北新幹線開業で多少は客足が落ちているにしろ、秋田を発車してみないと本来の急行「津軽」乗車率は掴めないであろう。そして19分停車の秋田駅(19:02-21)に停車すると5号車には整備会社の係員が乗ってグリーン座席車をA寝台にセッティングを開始している。 秋田を発車すると5号車のA寝台も9割位が、埋まって自分の上の上段客が乗って着たが上下ともベッドになってるが、自分は窓のカーテンを広げて折り畳みテーブルを引き上げて2回目の夕食準備をする。 こちらも事前に電話予約した大曲駅の曉月堂弁当部の「仙北おばこめし」を入手、大館の鶏めしを食べて約3時間近く時が過ぎているけどこちらの駅弁も美味かったが、1990年くらいに廃業してしまったのが残念。

 

食事中に飯詰に停車して分停車の横手(20:39-43)に停車、行きの急行「おが」で買った”かまくら弁当”が美味しかったけど流石にこの時間では発売してないだろうが、今日は食べ物ネタばかりで申しない(苦笑)。 横手を出ると十文字、湯沢、横堀、真室川と停車、新庄(22:08-17)では9分停車だが、せっかくのA寝台なので横になる事にする・・・一旦おやすみなさい。1時間ばかり仮眠をとって12分停車の米沢で一旦起きてホーム先頭まで走って機関車交換を確認すると既に機関車交換は山形駅で行われた様であり、先頭には板谷峠専用(仙山線でも使用されているけど)福島機関区のED78-10が連結してあった。


 どうせ板谷峠は真っ暗なので、またベッドに戻ったが次の福島でも機関車交換があるので熟睡はできそうもない。 深夜の目覚まし時計は非常識なので、目覚ましタイマーでラジオが聞える機種にて1番雑音が、入る受信周波数帯にセット後、イヤホンしてたので福島(1:32-55)到着前にイヤホンから聞えるラジオで起床。 流石に深夜の福島は寒かったけどED78-10の開放から福島機関区のED75-66(自分が好きなM型若番ヒサシ付きのED75だ)が連結されたが、急行上り「津軽」が入線した数分後には反対側ホームには急行下り「おが」が停車。

 

急行「おが」の福島発は「津軽」が発車した後なので、「おが」の板谷峠専用牽引機は確認できなかったけど、急行「津軽」は23分停車を終えて福島駅を発車した。福島を発車して暫くすると寝台特急「あけぼの」3本と下り急行「津軽」と通過したみたいだが、通過音だけの確認なので定かではないが、その内に自分も寝てしまったようだ。 郡山の22分停車も黒磯の10分停車、宇都宮の2分停車も全て爆睡中ゆえ、覚えがなかったようだ。 気がついたのは大宮駅到着の車内案内放送で今何が牽引してるか確認に行くと、先頭車は電源車のカヤ21ゆえ、確認できず(まだ寝惚けているようだ)。

 

やがて6:05に上野駅14番線に入線して、黒磯以西の牽引機と対面したが、宇都宮運転所のヒサシ付きパックこと、EF58-89号機だった。この機関車は1984年に車体カラーを国鉄カラーぶどう色2号(茶色)に変えて、見事に茶ガマになったのだが個人的には従来の青いカラーのEF58-89が、好みである。自分にとって始めての20系プルマンA寝台でしたがいい機会に走行キロが長い756.8km、所要時間が14時間15分の乗車と長い時間乗れて20系プルマンA寝台下段と上り「津軽」という列車を堪能する事が出来ました。

 

いつもの"想い出・夜行列車乗車レポート"だと詳細時刻や乗った車両の番号を書くのですが今回は車内外の様子などを中心に描きたかったので詳細時刻他は敢えて省きました。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★