夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急の食堂車事情Ⅰ

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2016年7月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。

 

東京駅発着の寝台特急といえば食堂車での飲食が楽しみで、食堂車が営業する寝台特急
に乗れば必ず利用したし、逆に言えば食堂車を利用したくて営業している列車を乗るような旅行計画を立てて極端な話、関西発着の山陽~九州方面の寝台特急を避けて、結局1回も乗らなかった訳で、それだけ寝台特急に連結してあった食堂車のファクターは大きかったのです。

 

初めて寝台特急の食堂車を利用したのは「はやぶさ」の夕食と翌朝の朝食で、1978年7月下旬、当時20歳だった貧乏大学生にとっては破格な出費だったですが、友達と清水の舞台から落ちたつもりで夕食と朝食を食べてみました。当然帰路に乗った寝台特急「富士」でも念願だった沿線の郷土料理だった関門定食にありつく事が出来てこれまた大満足だったのですが、1978年7月下旬~8月上旬の「はやぶさ」と「富士」の食堂車利用で完全に寝台特急・食堂車の虜となってファンにもなりました(食堂車で飲む酒の美味さを覚えたのもこの頃でした)。

 

世間では食堂車は高くて不味いと罵られており、確かに価格は街の食堂やレストランに
比べて高かったけど、不味いと思った事は1回もありませんでした。 値段は高いけど流
れる景色を見ながらの走るレストランって事を考えれば、そんなに高いとは思いませんでし(10,000円や12,000円の予約制フレンチディナーを除く)、あの狭い揺れる厨房の中で2~3名のコックさんが煮えたぎる油でトンカツや海老フライなどを揚げたりしてたのですから感謝ですよ・・・高くて不味いなんて個人的には言えません。

 

日本食堂門司営業所が担当する食堂車では「関門定食」「ちゃんぽん」「皿うどん」が名物で
日本食堂長崎営業所(後に「さくら」の食堂車は門司営業所が担当)が担当する食堂車でも上記3種の他に「ミニ卓袱」が、日本食堂米子営業所では「大山おこわ定食」や「あまさぎ南蛮漬」などの郷土料理が、ご当地郷土料理として有名でしたし、「はやぶさ」や「富士」は薩摩定食やつけあげ(薩摩揚げ)などのご当地メニューもあった。そんな寝台特急の食堂車も採算やニーズの変化で郷土料理が消えて、食事メニューの種類も減ってからは利用客も少しずつ減り、ブルートレイン食堂車の停滞期から衰退期、そして凋落化へ移行してゆく。

 

 

長年ブルートレインの食堂車を担当してきた、日本食堂門司営業所・米子営業所が国鉄分割民営化にともなり、1987年から撤退して「あさかぜ1・4号」が日本食堂新博多営業に変わり、他の寝台特急日本食堂上野営業所に変わってしまう。全てのブルトレ食堂車は以前よりも食堂車勤務人員が減ったり、メニューが減ったけど頑張ってる列車もあった。特に食堂車をリニューアルした「あさかぜ1・4号」がそうで、1987年3月に投入された700番台改造された星空食堂車こと、スターダストラウンジやオリエント急行風・レトロ食堂車のデビューで、両者が揃うとレトロ食堂車は「あさかぜ1・4号」に、星空食堂車は「出雲1・4号」の運用に就いていたけど、運用の都合で組合せが相違した事もあった。

 

1987年、新たに連結された2人用B個室デュエットとレトロ食堂車を利用してみようと乗ったら食堂車はレトロ調でメニューは1985年辺りより増えていた。 旅路御膳1400円 ・ハンバーグステーキフォレスト風(パンorライス ミニサラダ 珈琲or紅茶付)1400円・ ビーフシューアラモード(パンorライス ミニサラダ 珈琲or紅茶付)1600円 ・ シーフード盛りあわせ定食(パンorライス 珈琲or紅茶付)1200円・ ポークヒレカツレツ定食(パンorライス 珈琲or紅茶付)1100円・・・など、定食が5種類あったのは意外であったが個人的には旅路御膳にもう少し、九州らしさがある郷土料理を期待してたのでちょっとガッカリ(出来たら100系新幹線メニューの玄海定食くらいのレベルは欲しい)。

 

九州ブルトレの晩年(1989年ごろから)には朝食がバイキングになったりして顰蹙を買
ったが、朝から朝食はガッツリ派の私にはWelcomeなのですが、更にその後は朝食メニューから私の定番だった和朝食が消え、洋食セット、朝粥セット、朝なのにイタリアンセットなる朝食に変わって吃驚。 パスタは大好物ですが、朝からスパゲティーミートソースは勘弁ですよ(苦笑)。 あと1988年から復活した郷土料理メニューがありまして、何れも日本食堂上野営業所担当の「さくら」「はたぶさ」「富士」で長崎皿うどんが、「出雲1・4号」は大山おこわ定食を1年間のみメニューに載りました。しかし上野営業所のメニューやサービス内容は凋落化を早める原因になったのは自業自得でしょう。

自分は1989年に「富士」の1人用B個室1ソロ乗車の際に、食堂車で皿うどんを注文しましたが、調理担当者は1名のみで皿うどんの上にかかる具はレトルトでした。 厨房からは野菜を炒めているフライパンの音は聞こえなかったのですが、別の日に乗った友達が厨房で皿うどんの上にレトルトの物体をかけているシーンを目撃したとの事。 日本食堂上野営業所が、担当するブルートレインの食堂車は1993年(一部1991年)に売店へ変更される、その後に完全廃止となりました。

 

少しでも人気のセットメニューを増やしてお客を持て成してくれる日本食堂新博多営業に比べ、やる気の無い日本食堂上野営業所。その上野営業所が北斗星を担当すると開業以来グランシャリオを担当してた日本食堂仙台営業所とは違い、今度は北斗星の食堂車まで凋落化を進めてしまうのです。 

           ★★★★★Memories of the night train★★★★★